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ノルマルム広場ひろば強盗ごうとう事件じけん

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ノルマルム広場ひろばきゅうクレジット銀行ぎんこう建物たてもの、2005ねん撮影さつえい

ノルマルム広場ひろば強盗ごうとう事件じけん(ノルマルムひろばごうとうじけん、スウェーデン: Norrmalmstorgsdramat英語えいご: Norrmalmstorg robbery)は、ストックホルム症候群しょうこうぐんという語句ごく起源きげんとなったことでられる銀行ぎんこう強盗ごうとうおよび人質ひとじち事件じけん。この事件じけんは、1973ねんスウェーデンストックホルムにあるノルマルム広場ひろばNorrmalmstorg)で発生はっせいした。スウェーデンの犯罪はんざい事件じけんとしては、テレビでなま中継ちゅうけいされた最初さいしょ事例じれいとなった[1]

事件じけん概要がいよう[編集へんしゅう]

1973ねん8がつ23にち刑務所けいむしょから仮釈放かりしゃくほうちゅうだったヤン=エリック・オルソン(Jan-Erik Olsson)は、サブマシンガン武装ぶそうし、ストックホルム中心ちゅうしんのノルマルムス広場ひろばにあったクレジットバンケン信用しんよう銀行ぎんこうKreditbanken)にった[2]。オルソンは、事件じけん直後ちょくごけつけた警官けいかん発砲はっぽうし、ひとりの軽傷けいしょうわせた[3]。そのオルソンは当初とうしょは9にん銀行ぎんこういん人質ひとじちり、つづ警察けいさつとの交渉こうしょうによって同日どうじつのうちに5にん解放かいほうしたが、女性じょせい3にん男性だんせい1にん銀行ぎんこういん継続けいぞくして人質ひとじちとして拘束こうそくし、銀行ぎんこうないてこもった[4]

オルソンは、300まんクローネの現金げんきんと、オルソンの友人ゆうじん1966ねんこした銀行ぎんこう強盗ごうとうつみ服役ふくえきちゅうだったクラーク・オロフソン(Clark Olofsson)の解放かいほう、そして逃走とうそうみとめることを要求ようきゅうした[4]。オロフソンは、16さいときから、武装ぶそう強盗ごうとう暴行ぼうこうなどなん犯罪はんざいかかわっていた人物じんぶつであった[1]、「スウェーデン史上しじょうもっと有名ゆうめい銀行ぎんこう強盗ごうとう」とされる人物じんぶつである[2]警察けいさつはこの要求ようきゅうみ、現金げんきん提供ていきょうし、オロフソンをオルソンに合流ごうりゅうさせる[2]。また、交渉こうしょう結果けっか逃走とうそうようくるま提供ていきょうされることとなったが、逃走とうそうしようとするとしても人質ひとじちれてくことはゆるさないということになった[5]

8がつ25にち警察けいさつ犯人はんにんたちが人質ひとじちたちとともにてこもっていた金庫きんこしつ封鎖ふうさし、食料しょくりょう提供ていきょう要求ようきゅう拒否きょひ[6]

8がつ27にち警察けいさつ犯人はんにん人質ひとじちたちのいる金庫きんこしつ天井てんじょうあなけて、武器ぶきてて投降とうこうしなければ「最後さいご手段しゅだんる」などと、説得せっとくこころみた[7]。オロフソンはこのあなかって2発砲はっぽうし、2かいのときにひとりの警官けいかんかお負傷ふしょうさせている[1]同日どうじつ、オルソンはオロフ・パルメ首相しゅしょう電話でんわし、安全あんぜん脱出だっしゅつさせなければ人質ひとじち即座そくざころすと脅迫きょうはくした[8]翌日よくじつふたた首相しゅしょう電話でんわはいったが、この電話でんわ人質ひとじちのクリスティン・エンマーク(Kristin Enmark)からのもので、首相しゅしょう強硬きょうこう姿勢しせい自分じぶん不満ふまんであり、犯人はんにんたちとともに人質ひとじちたちを現場げんばかららせてほしいとうったえる内容ないようだった[5]人質ひとじちたちは、オルソンに脅迫きょうはくされながらも、警察けいさつたいして敵対てきたいすることも、人質ひとじち同士どうしあいだ敵対てきたいすることもなかった[1]

8がつ28にちよる警察けいさつ催涙さいるいガス使用しようする強硬きょうこうさくをとり、ガスの注入ちゅうにゅうづいた犯人はんにんふたりはみずか金庫きんこがいてきたところを逮捕たいほされた[9]人質ひとじちだれおおきな負傷ふしょうをしなかった[1]。なお事件じけん解決かいけつ直後ちょくごには、パルメ首相しゅしょう現場げんばけつけている[9]

事件じけん[編集へんしゅう]

オルソンは懲役ちょうえき10ねん判決はんけつけた[10]

オルソンは1980ねん出所しゅっしょし、自動車じどうしゃ販売はんばい仕事しごといて社会しゃかい復帰ふっきした[2]。そのオルソンは、ある経済けいざい犯罪はんざいうたがいでスウェーデン当局とうきょくからわれ、10ねんにわたる逃亡とうぼう生活せいかつつづけたのち2006ねんみずか出頭しゅっとうしたが、その時点じてん嫌疑けんぎすでれていた[5]。そのあいだ、オルソンは、タイに15年間ねんかん居住きょじゅうし、タイじん女性じょせい結婚けっこんしている[2]2009ねんには、オルソンの自伝じでん『Stockholms-syndromet』(『ストックホルム・シンドローム』) がスウェーデンで出版しゅっぱんされた[1]

オロフソンは、その犯罪はんざいかさねた[1]

事件じけんから40周年しゅうねんむかえた2013ねん8がつ23にちには、事件じけんかかわった人々ひとびとへのインタビューが新聞しんぶんり、テレビもこの事件じけんのことをげた[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h 40 år sedan Norrmalmstorgs dramat
  2. ^ a b c d e 人質ひとじち犯人はんにん奇妙きみょう共感きょうかん、「ストックホルム症候群しょうこうぐん事件じけんから40ねん”. AFPBB News (2013ねん8がつ23にち). 2014ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  3. ^ AFP (1973ねん8がつ24にち). “武装ぶそう脱獄だつごくしゅう銀行ぎんこうおそう スウェーデン 行員こういん人質ひとじちにろうじょう”. 読売新聞よみうりしんぶん夕刊ゆうかん: p. 10  - ヨミダス歴史れきしかんにて閲覧えつらん記事きじ見出みだしに「脱獄だつごくしゅう」とあるのは、仮釈放かりしゃくほうちゅうあやまり。
  4. ^ a b AP (1973ねん8がつ25にち). “にらみ昼夜ちゅうや ストックホルムの人質ひとじち強盗ごうとう 人質ひとじちたてにう”. 読売新聞よみうりしんぶん夕刊ゆうかん: p. 10  - ヨミダス歴史れきしかんにて閲覧えつらん
  5. ^ a b c Sherwood, Jody (2006ねん5がつ5にち). “'Stockholm Syndrome' robber turned away by police”. The Local. http://www.thelocal.se/article.php?ID=3733&date=20060505&PHPSESSID=05a719dcda4a58c908a1e8993b46c51c 2010ねん10がつ30にち閲覧えつらん 
  6. ^ AP (1973ねん8がつ27にち). “強盗ごうとう人質ひとじち金庫きんこに ストックホルムさん昼夜ちゅうや 警察けいさつ食料しょくりょうことわる”. 読売新聞よみうりしんぶん朝刊ちょうかん: p. 22  - ヨミダス歴史れきしかんにて閲覧えつらん
  7. ^ 共同通信きょうどうつうしん (1973ねん8がつ27にち). “金庫きんこ天井てんじょうあなあけ、犯人はんにん説得せっとく ストックホルム銀行ぎんこうろうじょう4にち”. 読売新聞よみうりしんぶん夕刊ゆうかん: p. 10  - ヨミダス歴史れきしかんにて閲覧えつらん
  8. ^ AP、UPI=共同きょうどう (1973ねん8がつ28にち). “あやうし金庫きんこ人質ひとじち ストックホルム 首相しゅしょう脅迫きょうはく電話でんわも ガス作戦さくせんもお手上てあげ”. 読売新聞よみうりしんぶん夕刊ゆうかん: p. 11  - ヨミダス歴史れきしかんにて閲覧えつらん
  9. ^ a b ロンドン奥山おくやま特派とくはいん (1973ねん8がつ29にち). “ガスに降参こうさん人質ひとじち強盗ごうとう ストックホルム 金庫きんこよんにん無事ぶじ ろくにち抵抗ていこう分間ふんかんまく”. 読売新聞よみうりしんぶん夕刊ゆうかん: p. 11  - ヨミダス歴史れきしかんにて閲覧えつらん
  10. ^ Monica Perosino; Francesco Semprini (2013ねん8がつ28にち). “Forty Years Ago, A Swedish Bank Robber Gave Us "Stockholm Syndrome"”. Worldcrunch. 2014ねん7がつ23にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい5920ふん00びょう 東経とうけい1804ふん26びょう / 北緯ほくい59.3332 東経とうけい18.0740 / 59.3332; 18.0740