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ヒュー・エヴェレット3せい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Hugh Everett III
ヒュー・エヴェレット3せい
生誕せいたん (1930-11-11) 1930ねん11月11にち
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく ワシントンD.C.
死没しぼつ 1982ねん7がつ19にち(1982-07-19)(51さいぼつ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく バージニアしゅうマクレーン英語えいごばん
市民しみんけん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
研究けんきゅう分野ぶんや 物理ぶつりがく
オペレーションズ・リサーチ
数理すうり最適さいてき
ゲーム理論りろん
研究けんきゅう機関きかん 国防こくぼう分析ぶんせき研究所けんきゅうじょ
アメリカン・マネジメント・システムズ英語えいごばん
モノウェーブ・コーポレーション
出身しゅっしんこう アメリカ・カトリック大学だいがく英語えいごばん
プリンストン大学ぷりんすとんだいがく (PhD)
博士はかせ課程かてい
指導しどう教員きょういん
ジョン・ホイーラー
指導しどう教員きょういん ユージン・ウィグナー
おも業績ぎょうせき 世界せかい解釈かいしゃく
エヴェレットの定理ていり[1][2][3]
子供こども エリザベス・エヴェレット
マーク・オリヴァー・エヴェレット英語えいごばん
プロジェクト:人物じんぶつでん
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ヒュー・エヴェレット3せい(Hugh Everett III、1930ねん11月11にち - 1982ねん7がつ19にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく物理ぶつり学者がくしゃである。1957ねん博士はかせ論文ろんぶん量子力学りょうしりきがくにおける世界せかい解釈かいしゃく提唱ていしょうしたことでられる。

博士はかせごう取得しゅとく前年ぜんねん国防総省こくぼうそうしょう研究けんきゅうしょくき、卒業そつぎょう物理ぶつりがく研究けんきゅうもどらなかった[4]。そのオペレーションズ・リサーチにおける一般いっぱんラグランジュ乗数じょうすう利用りようほう開発かいはつし、軍事ぐんじアナリストやコンサルタントとしてこれを商業しょうぎょうてき応用おうようした。1952ねんに51さい死去しきょした。イールズのEことミュージシャンのマーク・オリヴァー・エヴェレット英語えいごばん息子むすこである。

エヴェレットの物理ぶつりがくにおける業績ぎょうせきは、エヴェレットがくなる直前ちょくぜんまでほとんど注目ちゅうもくされていなかった。1970年代ねんだい量子りょうしデコヒーレンス発見はっけんされたことによって世界せかい解釈かいしゃく注目ちゅうもくされるようになり、コペンハーゲン解釈かいしゃくパイロット理論りろん無矛盾むむじゅん歴史れきしなら量子力学りょうしりきがく主要しゅよう解釈かいしゃく英語えいごばんひとつになった。

若年じゃくねん教育きょういく[編集へんしゅう]

エヴェレットは1930ねん11月11にちワシントンD.C.まれ、そこでそだった。ちちはヒュー・エヴェレット・ジュニア、はははキャサリン・ルシル・エヴェレット(旧姓きゅうせいケネディ)である。幼少ようしょう両親りょうしん別居べっきょし、エヴェレットは当初とうしょ母親ははおやしたそだてられたが、7さいからは父親ちちおやとその再婚さいこん相手あいてのサラ・エヴェレット(旧姓きゅうせいスリフト)にそだてられた[5]

12さいとき、エヴェレットはアルベルト・アインシュタインてて手紙てがみき、うごかせない物体ぶったいめることのできないちからがぶつかったどうなるかというパラドックスを解決かいけつしたとしるした[6]。アインシュタインからはつぎのような返事へんじとどいた。

親愛しんあいなるヒューへ: めることのできないちからうごかせない物体ぶったいのようなものは存在そんざいしません。しかし、この目的もくてきのためにみずかした奇妙きみょう困難こんなん無理むりやりとおけた、とても頑固がんこ少年しょうねんはいるようです。敬具けいぐ A・アインシュタイン[7]

エヴェレットは、奨学しょうがくきんてワシントンD.C.のセント・ジョンズ・カレッジ高校こうこう英語えいごばん入学にゅうがくした。そのアメリカ・カトリック大学だいがく英語えいごばん入学にゅうがくして化学かがく工学こうがくまなんだ。大学だいがく在学ざいがくちゅうに『アスタウンディング・サイエンス・フィクションダイアネティックスについての記事きじんだ。そこからダイアネティックスの後身こうしんであるサイエントロジー興味きょうみしめすことはなかったが、エヴェレットは生涯しょうがい従来じゅうらい医療いりょうたいする不信ふしんかんつづけた[5]

だい世界せかい大戦たいせんなか、エヴェレットのちち参謀さんぼう本部ほんぶ中佐ちゅうさとしてヨーロッパでたたかい、終戦しゅうせん西にしドイツ駐在ちゅうざいしていた。1949ねん、エヴェレットは大学だいがくを1年間ねんかん休学きゅうがくしてにちちもと滞在たいざいした。親子おやこともに復興ふっこうちゅう西にしドイツの写真しゃしん大量たいりょう撮影さつえいしたが、技術ぎじゅつてき興味きょうみから撮影さつえいしたものであり、ほとんどの写真しゃしん人物じんぶつうつっていなかった[5]

1953ねんにアメリカ・カトリック大学だいがく卒業そつぎょうした。卒業そつぎょう取得しゅとくしたのは化学かがく工学こうがく学位がくいだったが、数学すうがく学位がくいるのに十分じゅうぶん課程かてい修了しゅうりょうしていた。

プリンストン大学ぷりんすとんだいがく[編集へんしゅう]

エヴェレットは全米ぜんべい科学かがく財団ざいだん奨学しょうがくきんによりプリンストン大学ぷりんすとんだいがく大学院だいがくいん進学しんがくした。プリンストンでは数学すうがく専攻せんこうし、アルバート・タッカーした黎明れいめいゲーム理論りろん研究けんきゅうんだが、次第しだい物理ぶつりがく傾倒けいとうしていった。エヴェレットは1953ねんはじめて物理ぶつりがく授業じゅぎょうロバート・H・ディッケの「量子力学りょうしりきがく入門にゅうもん」など)を受講じゅこうした[5]。1954ねんユージン・ウィグナーの「数理すうり物理ぶつりがく方法ほうほう」を受講じゅこうした。エヴェレットは数学すうがく研究けんきゅうつづけており、同年どうねん12がつ軍事ぐんじゲーム理論りろんかんする論文ろんぶん発表はっぴょうした。1955ねんはる修士しゅうしごう取得しゅとくした。

1955ねん指導しどう教官きょうかんジョン・ホイーラー交代こうたいした。量子りょうしろんかんするみじか論文ろんぶんをいくつかいたのち、1956ねん4がつに「かくりつのない波動はどう力学りきがく」(Wave Mechanics Without Probability)というなが論文ろんぶん完成かんせいさせた[8]

プリンストン大学ぷりんすとんだいがく入学にゅうがくして3ねん、プリンストンの1ねんから友人ゆうじんとなったヘイル・トロッター英語えいごばん、ハーヴェイ・アーノルド[9]チャールズ・マイスナーおなじアパートにした。アーノルドはのちに、学生がくせい時代じだいのエヴェレットについてつぎのようにかたっている。

かれ幅広はばひろ分野ぶんやあたまかった。というのも、化学かがく工学こうがくから数学すうがく物理ぶつりがくへとすすみ、ほとんどの時間じかんをサイエンス・フィクションのほんうずもれてごしていて、本当ほんとうにこれは才能さいのう[5]

このころ、エヴェレットはナンシー・ゴア(Nancy Gore)と出会であった。ナンシーはエヴェレットの手書てがきの論文ろんぶんかくりつのない波動はどう力学りきがく」のタイピングをおこなった。2人ふたり出会であった翌年よくねん結婚けっこんした[10][11]。この論文ろんぶんのちに『普遍ふへんてき波動はどう関数かんすう理論りろん』(The Theory of the Universal Wave Function)に改題かいだいされた。

指導しどう教官きょうかんのホイーラーは1956ねん6がつ量子りょうしろん研究けんきゅう本場ほんばであるコペンハーゲン訪問ほうもんした。そこでエヴェレットの研究けんきゅう披露ひろうして好意こういてき評価ひょうかようとしたが、失敗しっぱいわった[12][13]

1956ねん6がつから国防総省こくぼうそうしょう兵器へいきシステム評価ひょうかグループ英語えいごばん(WSEG)ではたらはじめた。1ねん以内いない博士はかせごう取得しゅとくすることが就労しゅうろう条件じょうけんだったため、1957ねん4がつ博士はかせ論文ろんぶん提出ていしゅつするためにプリンストンにもどった。口頭こうとう試験しけんは4がつ23にちおこなわれた。首席しゅせき審査しんさいんのホイーラー、ヴァレンタイン・バーグマン英語えいごばん、H・W・ウィルド、ロバート・H・ディッケはエヴェレットについてつぎのようにひょうした。

かれ非常ひじょうむずかしい問題もんだいあつかい、自身じしん結論けつろん堅固けんごに、明確めいかくに、論理ろんりてき主張しゅちょうした。かれは、いちじるしい数学すうがくてき能力のうりょく論理ろんり分析ぶんせき鋭敏えいびんさ、たか表現ひょうげんりょくしめした[11]

エヴェレットはプリンストン大学ぷりんすとんだいがく物理ぶつりがく博士はかせごう取得しゅとくした。博士はかせ論文ろんぶんのタイトルは「量子力学りょうしりきがく基礎きそについて」(On the foundations of quantum mechanics)である[14]。この論文ろんぶんなかで、のちに「世界せかい解釈かいしゃく」とばれる理論りろん提唱ていしょうされていたが、世界せかい概念がいねんをどう表現ひょうげんするかについてエヴェレットとホイーラーのあいだ妥協だきょうがあり、大幅おおはば内容ないようとページすう削減さくげんされており、エヴェレットは論文ろんぶん最終さいしゅうがた満足まんぞくしていなかった[5]:160。この論文ろんぶんは、ホイーラーによる好意こういてき批評ひひょうえて"Reviews of Modern Physics英語えいごばん"掲載けいさいされた[15]

キャリア[編集へんしゅう]

1956ねんのサンディア国立こくりつ研究所けんきゅうじょでの核兵器かくへいきかんする講習こうしゅう参加さんかしたエヴェレットに交付こうふされた受講じゅこう証明しょうめいしょ

1956ねん10がつ23にちから26にちにかけて、ニューメキシコしゅうアルバカーキサンディア国立こくりつ研究所けんきゅうじょ核兵器かくへいきについてまな講習こうしゅうひらかれ、エヴェレットもこれに参加さんかした。この講習こうしゅうでコンピュータモデリングをったエヴェレットはこれをった。1957ねんにWSECの物理ぶつり数学すうがく部長ぶちょう就任しゅうにんした。WSEGでエヴェレットがおこなった研究けんきゅうおおくは、いまなお機密きみつあつかいのままである。エヴェレットは、当時とうじはじまったばかりのミニットマンミサイルにかんする研究けんきゅうや、「だい規模きぼ核兵器かくへいき作戦さくせんにおける放射ほうしゃせい降下こうかぶつ分布ぶんぷ影響えいきょう」にかんする研究けんきゅうたずさわった[16][17]

1959ねんの3がつから4がつにかけて、エヴェレットはホイーラーの要請ようせいによりコペンハーゲンを訪問ほうもんし、「コペンハーゲン解釈かいしゃく量子力学りょうしりきがくちち」であるニールス・ボーアった。この訪問ほうもんはエヴェレットにとって最悪さいあくのものとなった。ボーアはエヴェレットの世界せかいアプローチを全面ぜんめんてき否定ひていし、観測かんそく重視じゅうしするコペンハーゲン学派がくはのアプローチを擁護ようごした。両者りょうしゃあいだみぞはあまりにもひろかった。ボーアの弟子でしレオン・ローゼンフェルト英語えいごばんはエヴェレットのことを「筆舌ひつぜつくしがたいほどおろか」とび、「(エヴェレットは)量子力学りょうしりきがくもっと単純たんじゅんなことも理解りかいできていない」とった。のちにエヴェレットはこの経験けいけんを「地獄じごくだった……それは最初さいしょから運命うんめいづけられていた」とかたった[18]

エヴェレットはコペンハーゲン滞在たいざいちゅうに、一般いっぱんされたラグランジュ乗数じょうすう数理すうり最適さいてき応用おうようするというあたらしいアイデアにはじめた。1963ねん発表はっぴょうされたかれ定理ていりは、ラグランジュ双対そうついおも問題もんだい関連付かんれんづけるものである[1]

1962ねんオハイオしゅうザビエル大学だいがく英語えいごばん開催かいさいされる量子力学りょうしりきがく基礎きそかんする会議かいぎで、エヴェレットは相対そうたい状態じょうたい定式ていしき世界せかい解釈かいしゃく当時とうじこのようにばれていた)について発表はっぴょうするよう招待しょうたいけた。エヴェレットはこの発表はっぴょうなかで、自身じしん理論りろんにおけるかくりつ導出どうしゅつほうしめし、波動はどう関数かんすうすべてのぶんえだにいる観測かんそくしゃひとしく「実在じつざい」であると明言めいげんした。またエヴェレットは、ボリス・ポドリスキーの「かぞれない無限むげん世界せかいがあるようにえる」という意見いけん同意どういした[18]

1964ねん8がつ、エヴェレットはWSEGの同僚どうりょうすうめいとともに、ぐんのモデリングソリューションを様々さまざま民間みんかん問題もんだい応用おうようするための会社かいしゃ、ラムダ・コーポレーションを設立せつりつした。1970年代ねんだい初頭しょとう国防こくぼう予算よさん縮小しゅくしょうされ、その予算よさん大半たいはんベトナム戦争せんそうのために使つかわれたため、ラムダしゃはゼネラルリサーチしゃ吸収きゅうしゅうされた。

1973ねん、エヴェレットとドナルド・ライスラー(ラムダしゃからの同僚どうりょうおな物理ぶつり学者がくしゃ)は会社かいしゃめ、バージニアしゅうアーリントンでDBSしゃ設立せつりつした。この会社かいしゃは、アメリカ海軍かいぐん艦船かんせんのメンテナンスの最適さいてきなどの軍事ぐんじ関連かんれん研究けんきゅうのほか、司法省しほうしょう保健ほけん福祉ふくししょうから「政府せいふアファーマティブ・アクション・プログラムの社会しゃかい経済けいざいてき効果こうか分析ぶんせき」の業務ぎょうむっていた[19]同社どうしゃは、エヴェレットが開発かいはつしたアルゴリズムを利用りようするビジネス・コンサルティング会社かいしゃアメリカン・マネジメント・システムズ英語えいごばん(AMS)から部分ぶぶんてき支援しえんけていた。エヴェレットは、AMSの管理かんり部門ぶもんのバイスプレジデントを兼務けんむし、AMSの創設そうせつしゃから頻繁ひんぱん相談そうだんけていた。

エヴェレットははやくからプログラミング技術ぎじゅつけ、DBSしゃではTRS-80愛用あいようした。エヴェレットはのこりの人生じんせい大半たいはんおもにDBSしゃはたらいた。

その評価ひょうか[編集へんしゅう]

1970ねんブライス・ドウィットは『フィジックス・トゥデイ英語えいごばんにおいてエヴェレットの相対そうたい状態じょうたい理論りろん(ドウィットはこれを「世界せかい理論りろん」とんだ)にかんする記事きじき、おおくの物理ぶつり学者がくしゃからの手紙てがみせられた[注釈ちゅうしゃく 1]。ドウィットは、これらの手紙てがみ技術ぎじゅつてき反論はんろんへの返答へんとう同誌どうし掲載けいさいした。ドウィットは世界せかい解釈かいしゃく相対そうたい状態じょうたい解釈かいしゃく)についてエヴェレットとやりりをし、世界せかい解釈かいしゃくかんする論文ろんぶんしゅう執筆しっぴつはじめた。この論文ろんぶんしゅうは、世界せかい解釈かいしゃくかんする1957ねんのオリジナルの論文ろんぶんと、エヴェレットが1956ねん執筆しっぴつした論文ろんぶん普遍ふへん波動はどう関数かんすう理論りろん」(この論文ろんぶん発表はっぴょうだった)が中心ちゅうしんとなっている。論文ろんぶんしゅうは1973ねん出版しゅっぱんされ、完売かんばいした。1976ねん、エヴェレットの研究けんきゅうかんする記事きじがSF雑誌ざっしアナログ』(『アスタウンディング・サイエンス・フィクション』の後身こうしん)に掲載けいさいされた[18]

1977ねん、ホイーラーはテキサス大学だいがくオースティンこう開催かいさいされた会議かいぎでエヴェレットに講演こうえん依頼いらいした。この会議かいぎでエヴェレットははじめて、かつ生涯しょうがい唯一ゆいいつドウィットと対面たいめんした。エヴェレットの講演こうえん非常ひじょう好評こうひょうで、会議かいぎ参加さんかしたおおくの物理ぶつり学者がくしゃ影響えいきょうあたえた[18]。そのなかには、ホイーラーが当時とうじ指導しどうをしていた大学院生だいがくいんせいデイヴィッド・ドイッチュがおり、ドイッチュはのち世界せかい解釈かいしゃく世界せかいひろめることになる[18]世界せかい理論りろんへの信念しんねんけっしてげなかった[20]エヴェレットは、この講演こうえんたのしんだ。エヴェレットはすうねんぶりに人前ひとまえ自身じしん量子りょうしろん研究けんきゅうについてはなしをしたのである。しかし、エヴェレットは自身じしん理論りろん宣伝せんでんはほとんどせず、「1956ねんにこのけんからはあらった」とべた[18]:24。ホイーラーはカリフォルニアにあたらしい研究所けんきゅうじょ設立せつりつするにあたり、エヴェレットに物理ぶつりがく世界せかいもどるようさそったが、エヴェレットはおうじなかった。1980ねん、ホイーラーは「この理論りろんは、一緒いっしょはこぶには形而上学けいじじょうがくてき荷物にもつおおきすぎる」とかんがえているとべた[21][18][22]

死去しきょとその[編集へんしゅう]

1982ねん7がつ18にちから19にちにかけてのよる、51さいのエヴェレットは自宅じたくのベッドで心筋梗塞しんきんこうそくにより死去しきょした[10]健康けんこうそうにえていたが、肥満ひまんチェーンスモーキング英語えいごばん飲酒いんしゅ習慣しゅうかん原因げんいんられている[10]。エヴェレットはかみろんしゃであり[5]自分じぶんんだのち遺体いたいをゴミとしててるようにとっていた。つま当初とうしょ火葬かそうしたのちのこはいつぼれて保管ほかんしていたが、すうねん遺志いししたがった[5]。エヴェレットのについて、息子むすこのマーク・オリバー・エヴェレットはのちつぎのようにかたっている。

ちち自分じぶん自身じしん大事だいじにしなかったことに、わたしがどれだけおこっていたか。医者いしゃこうとせず、ひどふとり、1にちに3はこのタバコをい、さかなのようにさけみ、運動うんどうをしなかった。それでも、くなる数日すうじつまえちちが「いい人生じんせいだった」「満足まんぞくしている」とっていたと、ちち同僚どうりょうからいたことをおもす。ちちかたにはあるしゅ価値かちがあることにわたしづいた。かれは、きなようにべ・い・み、ある突然とつぜんんだ。わたし直面ちょくめんしたほか選択せんたくかんがえると、たのしんだのちにすぐぬということは、それほどむずかしいことではないとわかる[10]:235

エヴェレットがげた企業きぎょうのうち、2023ねん現在げんざい存続そんぞくしているのは、シアトルにあるモノウェーブ・コーポレーションのみである[23]。この会社かいしゃは、ノースカロライナ大学だいがくでドウィットの指導しどうした博士はかせごう取得しゅとくしたのちにDBSしゃでプログラマとしてはたらいていたエレイン・チアン(Elaine Tsiang)とともに設立せつりつした会社かいしゃである。

エヴェレットのむすめのエリザベスは1996ねん自殺じさつ[24]つまのナンシーは1998ねんがんくなった。息子むすこのマークは、"E"と名乗なのってミュージシャンとして活動かつどうしており、イールズのメインボーカルをつとめている。1990年代ねんだい後半こうはん製作せいさくされたイールズのアルバム『エレクトロ・ショック・ブルース英語えいごばん』は、これらの家族かぞくたいするEの感情かんじょうからまれたものだった。

マーク・エヴェレットは、BBCテレビのドキュメンタリー番組ばんぐみ"Parallel Worlds, Parallel Lives"でちち研究けんきゅうについてさぐった[25][26][27][28]。この番組ばんぐみなかで、マークはちちくなるまで、かれ影響えいきょうりょくのある素晴すばらしい物理ぶつり学者がくしゃであることをらなかったとべている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 世界せかい」(many-worlds)という言葉ことばはドウィットがつくったものであるが、1977ねんにエヴェレットと夕食ゆうしょくともにしたデイヴィッド・ドイッチュによれば、エヴェレットは実際じっさいにこの言葉ことば興奮こうふんし、それを擁護ようごしていたという。エヴェレット自身じしん最初さいしょえらんだのは「相関そうかん解釈かいしゃく」(correlation interpretation)だったが、ホイーラーの指導しどうにより「相対そうたい状態じょうたい」(relative state)にあらためていた[7][18]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Lemaréchal (2001, pp. 125–126): Lemaréchal, Claude (2001). “Lagrangian relaxation”. In Michael Jünger and Denis Naddef. Computational combinatorial optimization: Papers from the Spring School held in Schloß Dagstuhl, May 15–19, 2000. Lecture Notes in Computer Science. 2241. Berlin: Springer-Verlag. pp. 112–156. doi:10.1007/3-540-45586-8_4. ISBN 978-3-540-42877-0. MR1900016. https://semanticscholar.org/paper/67b657e7e6b0e8f363cb176847f7970e9136908e 
  2. ^ Everett (1963)
  3. ^ Everett (1957b)
  4. ^ "The Many Worlds of Hugh Everett" by Peter Byrne, from Scientific American, December 2007
  5. ^ a b c d e f g h Peter Byrne (2010). The Many Worlds of Hugh Everett III: Multiple Universes, Mutual Assured Destruction, and the Meltdown of a Nuclear Family. Oxford University Press. p. 29. ISBN 978-0-19-955227-6 
  6. ^ アダム・ベッカー 『実在じつざいとはなに量子力学りょうしりきがくのこされた究極きゅうきょくい』筑摩書房ちくましょぼう、2021ねん、p169
  7. ^ a b Everett” (2003ねん). 2019ねん12月30にち閲覧えつらん
  8. ^ Fabio Freitas (2007). Os estados relativos de Hugh Everett III: uma análise histórica e conceitual [The relative states of Hugh Everett III: a historical and conceptual analysis] (PDF) (Thesis) (Brazilian Portuguese). Graduate Program in Teaching, Philosophy and History of Sciences, Federal University of Bahia. 2008ねん12月18にち時点じてんオリジナル (PDF)よりアーカイブ。ppgefhc.ufba.brより2008ねん12月18にち閲覧えつらん
  9. ^ Obituary for Harvey J. Arnold”. stubbsconner.com. Stubbs Conner Funeral Home & Cremation Services (2013ねん). 2022ねん12月22にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c d Mark Oliver Everett (2007). Things the Grandchildren Should Know. Little, Brown Book Group Limited. ISBN 978-0-316-02787-8 
  11. ^ a b Eugene Shikhovtsev. “Biographical Sketch of Hugh Everett, III”. Max Tegmark. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  12. ^ Olival Freire Jr (2005). "Science and exile: David Bohm, the hot times of the Cold War, and his struggle for a new interpretation of quantum mechanics". arXiv:physics/0508184
  13. ^ Freire, Olival (2005). “Science and exile: David Bohm, the cold war, and a new interpretation of quantum mechanics”. Historical Studies in the Physical and Biological Sciences 36: 1–34. doi:10.1525/hsps.2005.36.1.1. オリジナルの2012-03-26時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120326192406/http://www.controversia.fis.ufba.br/index_arquivos/Freire-Bohm-HSPS.pdf 2011ねん8がつ7にち閲覧えつらん. 
  14. ^ Everett, Hugh (1957) (英語えいご). On the foundations of quantum mechanics. https://catalog.princeton.edu/catalog/2843228 
  15. ^ Wheeler, John A. (1957). “Assessment of Everett's "Relative State Formulation of Quantum Theory”. Reviews of Modern Physics 29 (3): 463–465. Bibcode1957RvMP...29..463W. doi:10.1103/RevModPhys.29.463. 
  16. ^ Hugh Everett III and George E.Pugh, "The Distribution and Effects of Fallout in Large Nuclear-Weapon Campaigns", in Biological and Environment Effects of Nuclear War, Hearings Before the Special Sub-Committee on Radiation of the Joint Congressional Committee on Atomic Energy, June 22–26, 1959, Washington, D.C., U.S. Government Printing Office, 1959.
  17. ^ Cf. Dr. Linus Pauling Nobel Peace Prize 1962 lecture (and reprinted in Peace by Frederick W. Haberman, Irwin Abrams, Tore Frängsmyr, Nobelstiftelsen, Nobelstiftelsen (Stockholm), published by World Scientific, 1997 ISBN 981-02-3416-3), delivered on December 11, 1963, in which he mentioned the work by Pugh and Everett regarding the risks of nuclear profliferation and even quoted them from 1959. Pauling said: "This is a small nuclear attack made with use of about one percent of the existing weapons. A major nuclear war might well see a total of 30,000 megatons, one-tenth of the estimated stockpiles, delivered and exploded over the populated regions of the United States, the Soviet Union, and the other major European countries. The studies of Hugh Everett and George E. Pugh [21], of the Weapons Systems Evaluation Division, Institute of Defense Analysis, Washington, D.C., reported in the 1959 Hearings before the Special Subcommittee on Radiation, permit us to make an estimate of the casualties of such a war. This estimate is that sixty days after the day on which the war was waged, 720 million of the 800 million people in these countries would be dead, sixty million would be alive but severely injured, and there would be twenty million other survivors. The fate of the living is suggested by the following statement by Everett and Pugh: 'Finally, it must be pointed out that the total casualties at sixty days may not be indicative of the ultimate casualties. Such delayed effects as the disorganization of society, disruption of communications, extinction of livestock, genetic damage, and the slow development of radiation poisoning from the ingestion of radioactive materials may significantly increase the ultimate toll.' ..."
  18. ^ a b c d e f g h Osnaghi, Stefano; Freitas, Fabio; Olival Freire, Jr (2009). “The Origin of the Everettian Heresy”. Studies in History and Philosophy of Modern Physics 40 (2): 97–123. Bibcode2009SHPMP..40...97O. doi:10.1016/j.shpsb.2008.10.002. オリジナルの2016-05-28時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160528110359/http://stefano.osnaghi.free.fr/Everett.pdf 2009ねん8がつ12にち閲覧えつらん. 
  19. ^ The Many Worlds of Hugh Everett”. Scientific American. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  20. ^ Aldhous, Peter (2007ねん11月24にち). “Parallel lives can never touch”. New Scientist (2631). https://www.newscientist.com/article/mg19626311.800-interview-parallel-lives-can-never-touch.html 2007ねん11月21にち閲覧えつらん 
  21. ^ Woolf, Harry. "Some strangeness in the proportion. A centennial symposium to celebrate the achievements of Albert Einstein." Some strangeness in the proportion. A centennial symposium to celebrate the achievements of Albert Einstein. 1980. pg 385
  22. ^ Gardner, Martin (July 2003). “Multiverses and Blackberries”. Are Universes Thicker Than Blackberries?. New York: W. W. Norton & Company. ISBN 978-0-393-05742-3. https://archive.org/details/areuniversesthic0000gard 
  23. ^ ihear iha – annotating speech in the IHA phonetic alphabet”. ihear. Monowave Corporation (2022ねん4がつ10日とおか). 2023ねん3がつ9にち閲覧えつらん
  24. ^ Peter Byrne (2010). The Many Worlds of Hugh Everett III: Multiple Universes, Mutual Assured Destruction, and the Meltdown of a Nuclear Family. Oxford University Press. p. 352. ISBN 978-0-19-955227-6. https://books.google.com/books?id=XqsVDAAAQBAJ&q=%22Liz+succeeded+in+killing+herself%22&pg=PA352. ""A few days after her 39th birthday, Liz succeeded in killing herself ... She left a note, that read, in part: '... Please sprinkle me in water...or the garbage, maybe that way I'll end up in the correct parallel universe w/ Daddy.'"" 
  25. ^ Banks-Smith, Nancy (2007ねん11月27にち). “Last night's TV: Parallel Worlds, Parallel Lives” (TV review). The Guardian. https://www.theguardian.com/culture/tvandradioblog/2007/nov/27/lastnightstvparallelworlds 
  26. ^ Parallel Worlds, Parallel Lives BBC Four documentary about Eels founder Mark Everett and his father”. BandWeblogs.com (2007ねん11月16にち). 2008ねん2がつ14にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
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  28. ^ Parallel Worlds, Parallel Lives (BBC iPlayer). bbc.co.uk. BBC.

世界せかい解釈かいしゃくかんする情報じょうほうげん[編集へんしゅう]

オペレーションズ・リサーチにかんする情報じょうほうげん[編集へんしゅう]

エヴェレットの生涯しょうがいかんする情報じょうほうげん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

論文ろんぶんとう[編集へんしゅう]