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フーバーダム(Hoover Dam)は、アメリカ合衆国の多目的ダム。アリゾナ州とネバダ州の州境に位置するコロラド川のブラック峡谷(ブラックキャニオン)にある[1]。
フーバーダムは、1931年に着工し、1936年に竣工した[1]。ダム建設は既に1928年のボルダーキャニオン・プロジェクト法で承認されており、1929年3月に第31代アメリカ大統領に就任したハーバート・フーヴァーにより推進された[1]。その後、1929年10月の世界恐慌の発生により失業者対策や景気回復を目論んだ公共事業という側面を持つようになった[1](第32代アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトによるニューディール政策)。ダムの建設作業にあたっては事故による犠牲者も出ており96人とも112人とも言われている[1]。
建設当時の名称はボールダーダム(Boulder Dam)だった。名称をめぐっては完成式典でも共和党のフーバー前政権下の内務省長官と民主党のルーズベルト政権下の内務省長官が牽制しあう状態だったが、1947年の共和党第80回大会で正式にフーバーダムとなった[1]。堤頂の道路はネバダ州道172号線(英語版)である。片側1車線で渋滞のボトルネックとなっているため、ダム直下にバイパス道路として、日本の大林組がコロラドリバー橋(正式名称 英:Mike O'Callaghan–Pat Tillman Memorial Bridge)の建設を請け負い、2010年10月に竣工した[2]。
型式は重力式アーチダムで、堤高は221.3メートル、堤長は379.2メートルである[1]。ダム湖はミード湖と呼ばれ、米国最大の規模であり、周長885キロメートル、最大水深151.4メートル、貯水容量は348.5億立方メートルである[1]。水力発電所がアリゾナ側とネバダ側のそれぞれダムの直下にあり2080MWの電力をカリフォルニア州・アリゾナ州・ネバダ州の各都市に供給している[1]。
ダムの完成により、広大な乾燥地で灌漑農業を行うことが可能となったが、同時に下流域では塩類集積の公害が見られるようになった。1961年、下流のメキシコ政府は、1944年に締結した「コロラド川、ティファナ川およびリオ・グランデ川の水利用に関するアメリカとメキシコ間の条約」に違反し、国際水域を汚染したとして、アメリカ合衆国連邦政府に抗議している[3]。
フーバーダムは、1985年にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。
- 位置
- 北緯36度0分56秒 西経114度44分16秒 / 北緯36.01556度 西経114.73778度 / 36.01556; -114.73778座標: 北緯36度0分56秒 西経114度44分16秒 / 北緯36.01556度 西経114.73778度 / 36.01556; -114.73778
- 河川
- コロラド川
- 目的
- 水位調整、発電、水道
- 型式
- 重力式アーチ
- 堤高
- 221.4メートル
- 堤頂長
- 379.4メートル
- 堤体積
- 250万立方メートル
- 湛水面積
- 639平方キロメートル
- 有効貯水容量
- 344億立方メートル
- 着手
- 1931年
- 竣工
- 1936年
- ダム湖名称
- ミード湖
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