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プーぼう

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アッシュダウン・フォレストの「プーぼうきょう北緯ほくい5105ふん08びょう 東経とうけい005ふん52びょう / 北緯ほくい51.085459 東経とうけい0.097783 / 51.085459; 0.097783

プーぼう[1](プーぼうなげ、えい:Poohsticks)は、A.A.ミルン児童じどう小説しょうせつくまのプーさん』の続編ぞくへん『プー横丁よこちょうにたったいえ』に登場とうじょうする、棒切ぼうぎれを使つかったあそである。作中さくちゅうでは主人公しゅじんこうであるクマのぬいぐるみ・プーがかんがえついたものとしてえがかれている。ルールは単純たんじゅんで、したかわながれているはしさえあれば、あとは棒切ぼうぎれを用意よういするだけではじめることができる。競技きょうぎしゃはそれぞれ自分じぶん棒切ぼうぎれをち、それをはしうえから上流じょうりゅうがわへいっせいにとす。はししたとおって下流かりゅうがわ最初さいしょあらわれた棒切ぼうぎれのぬし勝者しょうしゃである。このあそびは作品さくひん著名ちょめいになったことでよくられるようになり、1984ねんからはテムズがわのデイズ閘門で世界せかいプーぼう選手権せんしゅけんひらかれるようになった[2]

歴史れきし

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「プーぼうげ」はA.A.ミルンが息子むすこのクリストファー・ロビン・ミルンのために考案こうあんしたあそびであった[3]。このあそびは最初さいしょに1928ねんに『くまのプーさん』の続編ぞくへん『プー横丁よこちょうにたったいえ』のなかいちエピソードとしてえがかれ、後年こうねんディズニーの翻案ほんあんアニメーション『プーさんとイーヨーのいちにち』でもえがかれたことで有名ゆうめいになった。物語ものがたりのなかでは、主人公しゅじんこうプーがはししたにうっかりまつぼっくりとしたことから「プーぼうげ」をおもいつき、クリストファー・ロビンピグレットティガー、イーヨーなどの仲間なかまあつめてこのあそびにきょうじる様子ようすえがかれている[4][5]

現実げんじつにおいては、このあそびははじめイースト・サセックス小村こむらアッパー・ハートフィールド近郊きんこうのアッシュダウン・フォレストにあるはしおこなわれた。アッシュダウン・フォレストは『くまのプーさん』シリーズの舞台ぶたいのモデルとなった土地とちである。1907ねん建設けんせつされ、もともとポッシングフォード・ブリッジ (Posingford Bridge) とばれていたものが、親子おやこがこのあそびにきょうじたそのはしだとかんがえられている[5][6] 。もっとも、親子おやこがそのはしあそんだあとに作品さくひんえがかれたのか、作品さくひんえがかれたのち実際じっさいあそんだのかははっきりしない[3]。ミルンの作品さくひんによってこのはし公衆こうしゅう興味きょうみくところとなり、1970年代ねんだいすえにははしさい建設けんせつのためのキャンペーンがかれ、その模様もようBBCの『Nine O'Clock News』でもげられた。そのはしはクリストファー・ロビン・ミルンによって再建さいけんされ公式こうしきに「プーぼうきょう」 (Poohsticks Bridge)に改称かいしょうされた[7]

この木製もくせいはし毎年まいとし多数たすう観光かんこうきゃくおとずれるようになったために疲弊ひへい懸念けねんされ、1999ねんにはイースト・サセックスしゅう議会ぎかいによってディズニー支援しえん要請ようせいおこなわれた[8]。これにたいしてディズニーははしさい建設けんせつ必要ひつよう見積みつもられていた3まんポンドの資金しきん提供ていきょうおこなった。さん度目どめ再建さいけんされたはし近代きんだいされつつも以前いぜんはしのスタイルを維持いじしている[9]。また再建さいけんいわいと資金しきん提供ていきょうしゃへの感謝かんしゃ記念きねんしたプレートも設置せっちされた[6]。「プーぼうげ」はアッシュダウン・フォレストのこの場所ばしょ今日きょういたるまでおこなわれており、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく日本にっぽんなどからの外国がいこくじん観光かんこうきゃくをふくめひろ人々ひとびとせている[8] 。ただし、過去かこ観光かんこうきゃくが「プーぼうげ」に使つかえだるために周囲しゅういきずつけることがあったため、今日きょうでは観光かんこうきゃく棒切ぼうぎれを持参じさんしてくるようにとの注意ちゅういおこなわれている[3][10]

ルールと戦略せんりゃく

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このあそびはにん以上いじょう競技きょうぎしゃによっておこなわれる。伝統でんとうてき競技きょうぎ方法ほうほうでは、参加さんかしゃ各々おのおの棒切ぼうぎれをはし上流じょうりゅうがわ同時どうじとし、それからはし反対はんたいがわる。そして自分じぶん棒切ぼうぎれが最初さいしょあらわれれば勝者しょうしゃとなる[2]べつのルールでは、参加さんかしゃあいだぼうとすポイントとゴールラインとをめておき、棒切ぼうぎれが最初さいしょにゴールラインに到達とうたつしたものが勝者しょうしゃとなる[4]

使用しようされる棒切ぼうぎれは一般いっぱん有機ゆうきてき素材そざいでなければならないとかんがえられており、とりわけやなぎえだこのましいとされている。人工じんこうてき作成さくせいされたものはれられない[10]参加さんかしゃはすべてレフェリーの「ドロップ」(とせ)や「トウィッチ」(うごけ)などの合図あいずによって同時どうじ棒切ぼうぎれをとさなければならない。また競技きょうぎ有利ゆうりはこぶためにはし解体かいたいしたり、ぼう推進すいしんけたりしてはならない[11]棒切ぼうぎれは(日本語にほんごやくでは「ぼうげ」とされているが)「げる」のではなく「とす」のでなければならず、「げた」とみなされた競技きょうぎしゃ失格しっかくとなる[10]

プーぼうげはうん勝敗しょうはい左右さゆうするあそびだとかんがえられるが、競技きょうぎしゃ技術ぎじゅつ関係かんけいするのだと主張しゅちょうするもの存在そんざいする。主張しゅちょうされている戦略せんりゃくのいくつかは、とすときのぼうかたと、かわながれのもっとはや場所ばしょつけすことにかかわっている[5]著述ちょじゅつのベン・ショットは、その3番目ばんめ著書ちょしょ『Schott’s Sporting, Gaming and Idling Miscellany』のなかで、このゲームにつためのぼうかた解説かいせつしているが、この方法ほうほう競技きょうぎ開催かいさいしゃによって「ズル」として退しりぞけられている[10]。いずれにせよ橋脚きょうきゃく周囲しゅういうず時季じきによっても変化へんかするであろう)は棒切ぼうぎれのとおみち非常ひじょう予測よそくしづらいものにしている。

この伝統でんとうてき遊戯ゆうぎ映画えいが製作せいさくしゃ脚本きゃくほんにインスピレーションをあたえており、ロブ・モロークレア・フォラーニ出演しゅつえんした1998ねん映画えいが『Into My Heart』や、BBCのホームコメディ『To the Manor Born』のなかで登場とうじょうしたほか、マークス&スペンサー衣料いりょうコマーシャルのなかでも出演しゅつえんしゃツイッギーらがきょうじるあそびとして登場とうじょうした。その知名度ちめいどはさらに英国えいこく長寿ちょうじゅクイズ番組ばんぐみ『University Challenge』のなか設問せつもんとして登場とうじょうしたことによって強調きょうちょうされることになった[5]

世界せかいプーぼう選手権せんしゅけん

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閘門の管理かんりしゃとウィッテンハムきょう

プーぼうげは世界せかいプーぼう選手権せんしゅけん (World Poohsticks Championships) の開催かいさいによってよりおおくの観衆かんしゅうまえおこなわれることになった。としいちテムズがわ沿いにあるドルシャー・オン・テムズむらオックスフォードシャー)のデイズ閘門にておこなわれ、外国がいこくからの観光かんこうきゃくふくむ1500にん以上いじょう観客かんきゃくあつめている[4]地元じもと人間にんげんだけでなく、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく日本にっぽん、ケニヤ、オーストリアといったしょ外国がいこくからの出場しゅつじょうしゃられる[4][5][12]。この選手権せんしゅけんは閘門管理人かんりにんのリン・デイヴィッドによって、王立おうりつ救命きゅうめいてい協会きょうかい (RNLI) への支援しえんイベントとして1984ねんはじめられた[3]。デイヴィッドはそれまでに、へいちかくから棒切ぼうぎれをれるひとときおりかけることがあったので、これをチャリティーイベントにすることをおもいついたのである。棒切ぼうぎれをれたはこ募金ぼきんばこという準備じゅんびだけではじまったこのイベントはすぐにとしいち恒例こうれい行事ぎょうじとなった[5]

この選手権せんしゅけんのルールではかわ下流かりゅうはなれた場所ばしょにゴールポイントが設定せっていされており、さきにそこを通過つうかした棒切ぼうぎれのぬし勝者しょうしゃとなる[13]競技きょうぎ種類しゅるい個人こじんせんと6にんいちくみのチームせん種類しゅるいである[3]個人こじんせんでは通常つうじょう決勝けっしょうせんにいくまでに3試合しあいかなければならない。個人こじんせんおよびチームせん勝者しょうしゃにはそれぞれトロフィーがあたえられ、また2、3選手せんしゅにもよりちいさいトロフィーがあたえられる。この競技きょうぎうんよりも選手せんしゅ技術ぎじゅつによって勝敗しょうはい左右さゆうされる、という主張しゅちょう存在そんざいかかわらず、個人こじんでもチームでもふくすうかい勝利しょうりしたれいはない[5]開催かいさいはもとは1がつ設定せっていされていたが、1997年度ねんど開催かいさい非常ひじょう寒冷かんれいであったため3がつ移動いどうされた[14]

ウィッテンハム・クランプスのおかからのデイズ閘門のながめ(夏季かき

この競技きょうぎ地域ちいきてき人気にんき獲得かくとくしたことにはじまり、やがて海外かいがいのメディアからも注目ちゅうもくされるようになった[15]。2002ねんまでのあいだに、世界せかいプーぼう選手権せんしゅけんはRNLIのために3まんポンドの寄付きふきんあつめている[16]。リン・デイヴィッドがしょく退しりぞいたのちは、オックスフォードシャーのウォーリングフォードを拠点きょてんとするロータリークラブ運営うんえいおこなっており[5]あつめられた寄付きふきんはRNLIとロータリークラブのチャリティー企画きかくとのあいだ折半せっぱんされるようになった[13]最初さいしょ開催かいさいから20ねんたつと、このイベントはさらに人気にんきして世界中せかいじゅうから観客かんきゃくあつめるようになり、その様子ようすはロシア、日本にっぽん、チェコのテレビ局てれびきょくでも報道ほうどうされた[17]。さらにイギリスの公式こうしきツーリスト協会きょうかいヴィジットブリテンは、プーぼうげを「英国えいこくかわだねイベント」しゅう目玉めだまとしてあつかった[18]

この選手権せんしゅけんは2008ねん、ロータリークラブが会員かいいん老齢ろうれい理由りゆう準備じゅんび困難こんなんうったえたことで存続そんぞく危機きき見舞みまわれた。シノダンのロータリークラブ会長かいちょうデイヴィッド・カスウェルはこうべている「このイベントの準備じゅんびにはおおくの重労働じゅうろうどう必要ひつようだ。我々われわれメンバーの何人なんにんかは70さいえており、もうとしりすぎている」。しかしながらオックスフォード・スパイアズのロータリークラブは、この競技きょうぎ伝統でんとう未来みらい世代せだい保存ほぞんするためにイベントの運営うんえい続行ぞっこうすることを宣言せんげんした。オックスフォード・スパイアズの当時とうじ会長かいちょうリズ・ウィリアムソンは、このイベントは地元じもと人気にんきイベントであり、英国えいこくじん風変ふうがわりな気質きしつ世界せかいしめすものとして今後こんごつづけていくべきだと強調きょうちょうしている[5]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ A.A.ミルン 『プー横丁よこちょうにたったいえ石井いしい桃子ももこやく岩波いわなみ少年しょうねん文庫ぶんこ、1958ねん、151ぺーじ
  2. ^ a b “23rd world Pooh-sticks race held”. BBC . (2006ねん3がつ27にち). http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/oxfordshire/4845136.stm 2008ねん11月3にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b c d e “Pooh, Piglet, Tigger and You”. BBC. (1998ねん3がつ13にち). http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/64974.stm 2008ねん11月3にち閲覧えつらん 
  4. ^ a b c d “New 'pooh-sticks' World Champion ,”. BBC. (2003ねん3がつ16にち). http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/2853091.stm 2008ねん11月3にち閲覧えつらん 
  5. ^ a b c d e f g h i Davies, Caroline (2008ねん11月2にち). “Poohsticks fans club together to save the game”. London: The Observer. http://www.guardian.co.uk/uk/2008/nov/02/uk-news 2008ねん11月3にち閲覧えつらん 
  6. ^ a b “Disney to save Pooh Bridge”. BBC . (1999ねん9がつ11にち). http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/444815.stm 2008ねん11月3にち閲覧えつらん 
  7. ^ A Short History of Pooh and Winnie”. PoohCorner. 2008ねん11月3にち閲覧えつらん
  8. ^ a b “Appeal to save Winnie the Pooh's bridge”. BBC. (1999ねん8がつ10日とおか). http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/416892.stm 2008ねん11月3にち閲覧えつらん 
  9. ^ Halstead, Robin (2008ねん3がつ21にち). “Great escapes: Days out with a difference”. London: The Independent. http://www.independent.co.uk/news/uk/this-britain/great-escapes-days-out-with-a-difference-798923.html 2008ねん11月3にち閲覧えつらん 
  10. ^ a b c d Marsh, Stephanie (2004ねん10がつ19にち). “Want to win at Pooh Sticks? It’s all in the throw”. London: The Times. http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article496177.ece 2008ねん11月4にち閲覧えつらん 
  11. ^ Barritt, Owen (2003ねん3がつ21にち). “The Official Poohsticks Rules Of The Pembroke College Winnie-The-Pooh Society”. The Pembroke College Winnie-The-Pooh Society 2000-2007. 2008ねん11月4にち閲覧えつらん
  12. ^ It's Pooh Sticks Time!”. BBC (2007ねん12月23にち). 2008ねん11月3にち閲覧えつらん
  13. ^ a b “Czech team takes Pooh-sticks gold”. BBC. (2004ねん3がつ29にち). http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/oxfordshire/3578055.stm 2008ねん11月3にち閲覧えつらん 
  14. ^ “Thaw to bring wave of misery”. The Independent. (1997ねん1がつ4にち). http://findarticles.com/p/articles/mi_qn4158/is_/ai_n9647432 2008ねん11月3にち閲覧えつらん  [リンク]
  15. ^ “Pooh's Pastime Noted In a Village on Thames”. The New York Times. (1987ねん1がつ6にち). http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9B0DE0DF153CF935A35752C0A961948260 2008ねん11月3にち閲覧えつらん 
  16. ^ Pooh sticks championships return”. thisisoxfordshire (2002ねん3がつ1にち). 2008ねん11月3にち閲覧えつらん [リンク]
  17. ^ Townsend, Ian (2008ねん10がつ27にち). “Oxford rotary club steps in to save Pooh Sticks championship previously run by a Wallingford rotary club”. Herald Series. 2008ねん11月3にち閲覧えつらん
  18. ^ Quirky British Events For 2008”. VisitBritain (2008ねん). 2008ねん11月3にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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