ヘルレスハウゼン (ドイツ語 ご : Herleshausen ) は、ドイツ連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく ヘッセン州 しゅう 北東 ほくとう 部 ぶ のヴェラ=マイスナー郡 ぐん に属 ぞく す町村 ちょうそん (以下 いか 、本 ほん 項 こう では便宜上 べんぎじょう 「町 まち 」と記述 きじゅつ する)である。
ヘルレスハウゼンは、北西 ほくせい のリングガウと南東 なんとう のテューリンゲンの森 もり 自然 しぜん 公園 こうえん を含 ふく むテューリンゲンの森 もり との間 あいだ に位置 いち する。町 まち 域 いき の南 みなみ はヴェラ川 がわ が境界 きょうかい となっている。
ヘルレスハウゼンは、テューリンゲン州 しゅう の郡 ぐん 独立 どくりつ 市 し アイゼナハ の市域 しいき と接 せっ しており、その中核 ちゅうかく 市区 しく は東南東 とうなんとう に約 やく 10 km の位置 いち にある。郡 ぐん 庁 ちょう 所在 しょざい 都市 とし のエシュヴェーゲ までは北 きた 北西 ほくせい に約 やく 22 km、カッセル (最寄 もよ りの大都市 だいとし )へは、北西 ほくせい に約 やく 60 km である。(距離 きょり はいずれも直線 ちょくせん 距離 きょり )
ヘルレスハウゼンは、北 きた はリングガウ (ヴェラ=マイスナー郡 ぐん )とイフタ (テューリンゲン州 しゅう ヴァルトブルク郡 ぐん )、東 ひがし はクロイツブルク とクラウトハウゼン (ともにヴァルトブルク郡 ぐん )、南東 なんとう はアイゼナハ市 し のヴァルタ=ゲーリンゲン区 く 、南 みなみ はゲルストゥンゲン (ヴァルトブルク郡 ぐん )、西 にし はゾントラ (ヴェラ=マイスナー郡 ぐん )と境 さかい を接 せっ している。
この町 まち は、アルテフェルト、アルヒフェルト、ブライツバッハ、フラウエンボルン、ヘルレスハウゼン、ホルツハウゼン、ネッセルレーデン、マルカースハウゼン、ウンハウゼン、ヴィラースハウゼン、ヴォンメンの各 かく 地区 ちく からなる。
ヘルレスハウゼンは、1019年 ねん に初 はじ めて、寄進 きしん 文書 ぶんしょ 上 じょう に記録 きろく されている。この文書 ぶんしょ 中 ちゅう で、この村 むら はカウフンゲン修道院 しゅうどういん に寄贈 きぞう された。この村 むら は、1521年 ねん に世俗 せぞく 化 か されるまでその統治 とうち 下 か に留 とど まった。この村 むら は、その後 ご ヘッセン=カッセル方 かた 伯 はく 領 りょう となり、レーエン としてレッケロート家 か とヴェルゼーベ家 か に授 さづ けられた。
ルードルフ・フォン・レッケロート(またはレックロット)は初代 しょだい レーエン領主 りょうしゅ として城 しろ 館 かん を築 きず いた。ヴェルゼーベ家 か もこれに続 つづ いた。17世紀 せいき 末 すえ にヘッセン=フィリップスタール方 かた 伯 はく フィリップ がこの城 しろ と所領 しょりょう を引 ひ き継 つ いだが、後 のち に兄 あに カール から贈与 ぞうよ としてこれを獲得 かくとく した。
ヘルレスハウゼンは、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、東 ひがし ドイツ へ車 くるま で通過 つうか できる数少 かずすく ない国境 こっきょう 検問 けんもん 所 しょ の一 ひと つとして、一般 いっぱん に知 し られるようになった。1956年 ねん 1月 がつ 16日 にち に、ソヴィエト の戦争 せんそう 捕虜 ほりょ 収容 しゅうよう 所 しょ からの602人 にん の帰還 きかん 者 しゃ を乗 の せた最後 さいご の鉄道 てつどう がここに到着 とうちゃく した。
1970年 ねん 12月1日 にち に、アルテフェルト、アルヒフェルト、ブライツバッハ、フラウエンボルン、ヘルレスハウゼン、ホルツハウゼン、マルカースハウゼン、ネッセルレーデン、ウンハウゼン、ヴィラースハウゼン、ヴォンメンの11の町村 ちょうそん が自由 じゆう 意思 いし で合併 がっぺい し、当時 とうじ 3,696人 にん の自治体 じちたい 「ヘルレスハウゼン」が成立 せいりつ した[ 2] 。その 40 年 ねん 後 ご に人口 じんこう 3,000人 にん 弱 じゃく にまで減少 げんしょう した。
ヘルレスハウゼンの町議会 ちょうぎかい は、15議席 ぎせき からなる[ 3] 。
ヘルレスハウゼンは、隣接 りんせつ するゾントラ (ヴェラ=マイスナー郡 ぐん )およびネンタースハウゼン (ヘルスフェルト=ローテンブルク郡 ぐん )とともに、2006年 ねん 10月 がつ 14日 にち に目的 もくてき 連合 れんごう 「自治体 じちたい 間 あいだ 共同 きょうどう 作業 さぎょう 」を創設 そうせつ した。これ以後 いご 、これら3市町村 しちょうそん は、経済 けいざい 、文化 ぶんか (教育 きょういく )、余暇 よか 施設 しせつ (観光 かんこう 業 ぎょう )、農業 のうぎょう といった分野 ぶんや での共通 きょうつう の課題 かだい について積極 せっきょく 的 てき に処理 しょり を行 おこな っている。
ラウヒレーデンは、ヘルレスハウゼンに隣接 りんせつ するゲルストゥンゲンの集落 しゅうらく である。
この町 まち の紋章 もんしょう は赤地 あかじ で、両側 りょうがわ が銀 ぎん の円 えん 塔 とう で終 お わる銀 ぎん の胸壁 きょうへき が描 えが かれており、この壁 かべ には金 かね の閉 と ざされた門 もん がある。その上 うえ には、二 に 重 じゅう のウェルシュ風 ふう ボンネット型 がた 屋根 やね を戴 いただ いた塔 とう (城内 きうち 教会 きょうかい )がある。
胸壁 きょうへき は、ヘルレスハウゼンの教会 きょうかい 墓地 ぼち を囲 かこ んでいたかつての防壁 ぼうへき を象徴 しょうちょう している。元々 もともと は1300年 ねん 頃 ごろ に建設 けんせつ された防衛 ぼうえい 教会 きょうかい であった現在 げんざい の教区 きょうく 教会 きょうかい の内陣 ないじん 塔 とう がこれを見下 みお ろしている。赤 あか と白 しろ はヘッセンの国 くに の色 いろ である。この紋章 もんしょう の承認 しょうにん は1984年 ねん にヘッセン州 しゅう 内務省 ないむしょう によってなされた。
ヘルレスハウゼンのパノラマ
ヘルレスハウゼン近郊 きんこう のヴェラ川 がわ が創 つく り出 だ した蛇行 だこう は「クーヒェンシーバー」
宗教 しゅうきょう 改革 かいかく が受 う け容 い れられ、ヘッセンの修道院 しゅうどういん が世俗 せぞく 化 か された後 のち 、フィリップ方 かた 伯 はく はグート・ヘルレスハウゼンを部隊 ぶたい 長 ちょう ゲオルク・フォン・レックロットにレーエンとして授 さづ けた。彼 かれ は 1539年 ねん にシュタインシュトック城 じょう を建設 けんせつ した。1558年 ねん のレックロットの死後 しご フォン・ヴェルザーベ家 か が封 ふう 臣 しん としてこれを引 ひ き継 つ いだ。彼 かれ らは城 しろ 館 かん に2翼 つばさ を増築 ぞうちく して拡張 かくちょう した。1678年 ねん にヴェルザーベ家 か の男系 だんけい 後継 こうけい 者 しゃ が断絶 だんぜつ した後 のち 、城 しろ とグート・ヘルレスハウゼンは相続 そうぞく 者 しゃ のないレーエンとしてヘッセン=カッセル方 かた 伯 はく カールに返還 へんかん された。彼 かれ は、これを弟 おとうと フィリップに初 はじ めはレーエンとして、後 のち には所有 しょゆう 権 けん を授 さづ けた。これ以後 いご 、城 しろ と所領 しょりょう はヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト家 か の財産 ざいさん となった。1821年 ねん に城 しろ は、ヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト方 かた 伯 はく カール の早 さ 逝した最初 さいしょ の夫人 ふじん 、アウグステ・ツー・ホーエンローエ=インゲルフィンゲンにちなんで「アウグステナウ城 じょう 」と名付 なづ けられた。
ヘルレスハウゼンの戦没 せんぼつ 者 しゃ 墓地 ぼち には、1,593人 にん の、主 おも にソヴィエトの戦争 せんそう 捕虜 ほりょ が埋葬 まいそう されている[ 4] 。
ホルツハウゼンの領主 りょうしゅ 館 かん
ヴィラースハウゼン城 じょう
ネッセルレーデン城 じょう
ヘルレスハウゼン駅 えき
ヘルレスハウゼンにはテューリンゲン鉄道 てつどう のアイゼナハとベーブラとの間 あいだ にあたる駅 えき がある。1656年 ねん 1月 がつ 16日 にち にコンラート・アデナウアー がモスクワ を訪 おとず れて以降 いこう 、ここで最後 さいご の戦争 せんそう 捕虜 ほりょ が解放 かいほう された。ドイツ鉄道 てつどう のインターシティー 網 あみ や ICE 網 あみ への最寄 もよ りの接続 せつぞく 駅 えき はアイゼナハ駅 えき である。
町 まち 域内 いきない には、アウトバーン A4号線 ごうせん が通 かよ っており、ヘルレスハウゼン・インターチェンジとヴォンメン・インターチェンジがある。2005年 ねん に6車線 しゃせん への拡張 かくちょう に伴 ともな い、ヘルレスハウゼン・サービスエリアは廃止 はいし された。その跡地 あとち は 2010年 ねん に公園 こうえん 施設 しせつ 「ブルクベルク」が設 もう けられた。将来 しょうらい 的 てき にはヴォンメン付近 ふきん で A44号線 ごうせん が A4号線 ごうせん から分岐 ぶんき することになっている。
アウトバーンのヴォンメン・インターチェンジから連邦 れんぽう 道 どう B400号線 ごうせん が始 はじ まる。
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