ペヨは、ブリュッセルのAcadémie Royale des Beaux-Artsを卒業直後から仕事を始めた。小さなアニメーションスタジオのCompagnie Belge d'Animationで、アンドレ・フランカン、モリス、エディ・パープら、後の同業者と出会った。戦後、スタジオが閉鎖すると、同僚達はデュピュイ社へ移籍したが、数歳若かったペヨは受け入れられなかった[2]。しかし彼は新聞用の初めての漫画La Dernière Heureを製作した他、その他にも多くの宣伝用イラストを描いて収入を得た。1949年から1952年にかけては、ル・ソワール紙に猫を主人公とした漫画Poussyを連載した。同じ新聞では、Johanという作品も連載している。
1952年、フランカンはペヨを1938年にベルギーで発刊したデュピュイ社の子供用漫画雑誌「スピルー」に紹介した[2]。ペヨはPierrotやBenoit Brisefer等の多数のキャラクターや脚本を執筆した。しかし彼の一番のお気に入りは、かつて連載していたJohanの続編となる『ジョアンとピルルイ』Johan et Pirlouitであった。さらにスピルーでは、Poussyの連載も続けた。