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ポーティスヘッド

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ポーティスヘッド
Portishead
ポーティスヘッド(2008ねん
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド ブリストル
ジャンル トリップ・ホップ
エレクトロニカ
エクスペリメンタル
アート・ロック
活動かつどう期間きかん 1991ねん - 1999ねん
2005ねん -
レーベル Go! Beat
アイランド
共同きょうどう作業さぎょうしゃ BEAK
Beth Gibbons and Rustin Man
マッシヴ・アタック
トリッキー
公式こうしきサイト www.portishead.co.uk
メンバー ベス・ギボンズ
ジェフ・バーロウ英語えいごばん
エイドリアン・アトリー

ポーティスヘッドPortishead)は、イギリス音楽おんがくグループ。1991ねんブリストルボーカルベス・ギボンズ作曲さっきょく担当たんとうのジェフ・バーロウによって結成けっせいされ、のちギタリストのエイドリアン・アトリーがくわわりトリオとなった。バンドめいは、ジェフがそだったサマセット田舎町いなかまちポーティスヘッドに由来ゆらいする[1]

マッシヴ・アタックラムトリッキーなどとならび、ブリストルを発祥はっしょうとするトリップ・ホップ先駆せんくしゃとしてられ、ファースト・アルバム『ダミー』は350まんまい、セカンド・アルバム『ポーティスヘッド』は200まんまいのセールスを記録きろくするだいヒットとなった。

来歴らいれき

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結成けっせい

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1991ねんブリストルにてベス・ギボンズとジェフ・バーロウにより結成けっせいされる。バンド結成けっせい以前いぜん、ジェフはレコーディング・アシスタントとしてはたらかたわら、自分じぶんつくるトラックにメロディーをけてうたってくれるボーカリストをさがしていた。一方いっぽう、ベスはブリストルのパブブライアン・アダムスのカヴァーなどをうた生計せいけいをたてていた。ベスと出会であったジェフは、「こんなくら音楽おんがくうたをのせてくれるひとがいるとはおもわなかった」と感激かんげき。そのギタリストのエイドリアン・アトリーがくわわり、ファーストアルバムの制作せいさく開始かいしされた。ジェフとエイドリアンはポーティスヘッドが結成けっせいされる以前いぜんから顔見知かおみしりであったが、ベスとエイドリアンはレコーディングが開始かいしされるまでまったく面識めんしきがなかった。エイドリアンは、当時とうじのベスについて「彼女かのじょ人見知ひとみしりは異常いじょういきたっしていた」とべているが、次第しだいかれもベスのシンガーとしての才能さいのうづき、たがいにけていった。

デビュー

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1994ねん、ファースト・アルバム『ダミー』を発表はっぴょうマーキュリーしょうをはじめとした音楽おんがくしょう受賞じゅしょうし、かくメディアから幅広はばひろ支持しじた。また、日本にっぽんふく世界せかい各国かっこくでミリオン・セールスを記録きろく。これは、メンバーのみならずレコード会社かいしゃ関係かんけいしゃ予想よそうをもはるかに上回うわまわ数字すうじだった。世間せけんからの過剰かじょうなまでの歓迎かんげい、そして「この『ダミー』をえる作品さくひんは、かれらにはつくれないだろう」といった批評ひひょうからの言葉ことばなどがプレッシャーとなり、ポーティスヘッドは音楽おんがく制作せいさく一時いちじ中断ちゅうだんプロモーションインタビュー精神せいしんてきにバランスをくずしたベスは、今後こんご一切いっさいのインタビューをことわると宣言せんげん。「彼女かのじょにボーカルをめられたらこまる」という理由りゆうで、インタビューにはジェフがおうじるようになる。このあいだトリッキー無断むだんでポーティスヘッドのきょくサンプリングしてみずからのトラックに使用しようし、両者りょうしゃあいだ関係かんけい悪化あっかするなどのトラブルもあった。

セカンド・アルバムと活動かつどう休止きゅうし

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3年間ねんかん沈黙ちんもくののち、1997ねんニューヨークだい規模きぼ復活ふっかつライブと記者きしゃ会見かいけんおこなう。記者きしゃ会見かいけんになるとベスは一言ひとことしゃべらずにそのから姿すがたした。

同年どうねんには、13ヶ月かげつかけて制作せいさくされた3ねんぶりのセカンド・アルバム『ポーティスヘッド』をリリース。ほんさくだいヒットを記録きろくし、アルバムはぜんえいアルバムチャートで2Billboard 200で21記録きろくのちに200まんまいげる)。アルバム発表はっぴょう世界せかいツアーをおこない、各国かっこくでフェスティヴァルのヘッドライナーをつとめた。また、7がつニューヨークにてニューヨーク・フィルハーモニックしたがえてったライブは、よく1998ねんに『Roseland NYC Live』としてVHSとCDで発売はつばいされた。なお、このツアーには日本にっぽん公演こうえんふくまれていたが、直前ちょくぜんにベスが体調たいちょうくずしたことにより中止ちゅうしとなった。

ツアー終了しゅうりょうなが充電じゅうでん期間きかんはいる。ベスはソロ活動かつどう開始かいしし、ジェフやエイドリアンはアーティストのプロデュースやコラボレーションをおこなう。単発たんぱつてきなライブやコンピレーション・アルバムへの参加さんかのぞいてはポーティスヘッドとしての活動かつどう凍結とうけつ状態じょうたいとなった。

活動かつどう再開さいかいから現在げんざい

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2008ねん

2005ねん1がつ活動かつどう再開さいかいし3まいのアルバムの制作せいさく着手ちゃくしゅしたことを発表はっぴょう[2]。2007ねん10がつ制作せいさく最終さいしゅう段階だんかいはいったことが発表はっぴょうされ、12月にはひさしぶりにフルセットでのライブをおこない、新曲しんきょくを4きょく披露ひろうした。

2008ねん4がつ28にち(日本にっぽんでは30にち)、じつに11ねんぶりとなるサード・アルバム『サード』を発売はつばい。リリースにあわせてヨーロッパツアーが開始かいしされ[3]都市とし郊外こうがいにある小規模しょうきぼ会場かいじょうでライブがおこなわれた。その、バンドがわはアルバムをサポートするだい規模きぼなツアーはおこなわないことを表明ひょうめいし、アメリカ・オーストラリア・アジアとうでのライブはおこなわれなかった[4][5]

2009ねん12がつ10日とおかには新曲しんきょく「Chase the Tear」をリリース。このシングルは国際こくさい人権じんけん団体だんたいアムネスティ・インターナショナルから配信はいしんされ、収益しゅうえきはすべてどう団体だんたい帰属きぞくすることになった[6]

2010ねんのインタビューでジェフ・バーロウは同年どうねんなつにも新作しんさくアルバムのレコーディングを開始かいしする予定よていであるとべる[7]。しかし、同年どうねんあきには新作しんさくのレコーディング開始かいし翌年よくねんであるとほうじられた[8]

音楽おんがくせい

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ポーティスヘッドの音楽おんがくトリッキーなどとともトリップ・ホップ文脈ぶんみゃくかたられることがおお[9]。しかし、当人とうにんらはこのジャンルにれられることを嫌悪けんおしており、「トリップ・ホップはヒップホップ基本きほん理解りかいしていないような人間にんげんつくったもの。トリップ・ホップというカテゴリーにれられてられている音楽おんがくはすべてクズだとおもうね。いてるといや気分きぶんになる」と、ヒップホップ・ミュージックからつよ影響えいきょうそだったジェフはかたっている。

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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ライブ・アルバム

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  • 『PNYC - ライヴ・イン・ニューヨーク』 - Roseland NYC Live (1998ねん)

シングル

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  • "Numb" (1994ねん)
  • "Sour Times" (1994ねん)
  • "Glory Box" (1995ねん)
  • "All Mine" (1997ねん)
  • "Over" (1997ねん)
  • "Only You" (1998ねん)
  • "Machine Gun" (2008ねん)
  • "The Rip" (2008ねん)
  • "Magic Doors" (2008ねん)
  • "Chase the Tear" (2009ねん)

映像えいぞう作品さくひん

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  • Roseland New York (1998ねん) ※2004ねんにDVD。ボーナス映像えいぞうとしてPVを追加ついか

脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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