マイケル・コール

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マイケル・コール
Michael Cole
マイケル・コール Michael Coleの画像
プロフィール
リングネーム マイケル・コール
本名ほんみょう マイケル・ショーン・クルサード
身長しんちょう 170cm
体重たいじゅう 80kg
誕生たんじょう (1968-12-08) 1968ねん12月8にち(55さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ニューヨークしゅうシラキュース
所属しょぞく WWE
デビュー 1997ねん
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マイケル・コールMichael Cole1968ねん12月8にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくプロレス団体だんたいWWE実況じっきょうアナウンサー

本名ほんみょうマイケル・ショーン・クルサードMichael Sean Coulthard)。

ニューヨークしゅうシラキュース出身しゅっしん

ジャーナリスト時代じだい[編集へんしゅう]

WWE[編集へんしゅう]

  • 1997ねんWWF(げんWWE)移籍いせき当初とうしょはバックステージでのインタビュアーとして活動かつどう
  • 1999ねんRAW実況じっきょうアナウンサーデビュー。そのスマックダウン活躍かつやくうつし、タズとのチームを結成けっせい。「伝説でんせつ実況じっきょうチーム」とばれたボビー・ヒーナン&ゴリラ・モンスーンのチームと比較ひかくされることを目標もくひょうに、2006ねんのタズのECW移籍いせきともな解散かいさんまで、番組ばんぐみかおとして活躍かつやく実直じっちょく公平こうへい実況じっきょうするコールと、善悪ぜんあく基準きじゅん独特どくとく個性こせいてきなタズとのけあいで人気にんきはくした。
  • 2006ねんから2007ねんまではジョン "ブラッドショー" レイフィールドをパートナーにむかえた。
  • 2008ねん1がつから同年どうねん6がつまでジョナサン・コーチマンミック・フォーリー実況じっきょう解説かいせつつとめていた。
  • 2008ねん6がつのドラフトでRAWへ移籍いせきしたためスマックダウンでの10ねんちか活動かつどう終止符しゅうしふげる。そのあらたにジェリー・ローラーをパートナーにRAWのコメンテーターとして活動かつどう
  • 2010ねん2がつからはしん番組ばんぐみNXTジョシュ・マシューズとも実況じっきょうつとめている。だがスーパースターに障害しょうがいぶつ競争きょうそうやクイズ大会たいかいなどレスリングとは関係かんけいことおこなうNXTに不満ふまんつのらせる。シーズン3で不満ふまん爆発ばくはつさせ番組ばんぐみセットのかねらしまくったり途中とちゅう退場たいじょうするなどの行動こうどうをとった(のちのヒールターンへの伏線ふくせんとなる)。
  • 2010ねん中盤ちゅうばんあたりからヒール擁護ようごする実況じっきょうしゃとしてヒールターン。かつてのWWFにおけるジェシー・ベンチュラボビー・ヒーナンテッド・デビアスジェリー・ローラーJBLなど歴代れきだい悪役あくやくコメンテーターと同様どうようベビーフェイス選手せんしゅとくNXTころから因縁いんねんがあるためダニエル・ブライアン)に暴言ぼうげん批判ひはんかえすようになる。またザ・ミズ試合しあいでは、ギミックじょうミズのだいファンであるためおおきくかたよった実況じっきょうおこなう(実況じっきょうちゅうにサインをもらったこともある)。
  • 2010ねんあきごろからふたたびスマックダウンに実況じっきょうとして登場とうじょうし、ブッカーT、ジョシュ・マシューズと3にん体制たいせい実況じっきょうおこなっていた。
  • 2011ねんWrestleMania XXVIIこうそうちゅうだったジェリー・ローラー試合しあいおこな勝利しょうり。(勝利しょうりといっても反則はんそくちであり、実際じっさいはローラーの一方いっぽうてき展開てんかいであった)WWEオーバー・ザ・リミットふたた試合しあいをするが敗北はいぼくし、次週じしゅうのRAWでジェリー・ローラーに謝罪しゃざいおこなこうそうストーリーは終了しゅうりょうした。その実況じっきょうしゃとしてはこうそうまえわらず、おもにヒールサイド実況じっきょうしゃとしての姿勢しせいつづけた。(例外れいがいもある。)
  • 2012ねんもGMに就任しゅうにんしたジョン・ロウリネイティス応援おうえんするなどヒールサイド実況じっきょうつづけていたが、6がつにロウリネイティスがGMを解雇かいこされて以降いこう徐々じょじょにではあるが以前いぜんほどヒールしょくつよ実況じっきょうではくなりつつあった。さらに9がつ10日とおかのRAW収録しゅうろくでジェリー・ローラーが試合しあい解説かいせつちゅう心肺しんぱい停止ていしたおれた(テレビにはうつっていない)さいは、(プロとして)何事なにごといように試合しあい実況じっきょうつづけたが、のち実況じっきょうせきうつ心配しんぱいした表情ひょうじょうでローラーに異変いへんがあったことをつたえ、以降いこう実況じっきょう中断ちゅうだん試合しあい合間あいまにローラーの容態ようだい報告ほうこくした。翌週よくしゅう収録しゅうろくからはジム・ロス実況じっきょうむことになり、とも番組ばんぐみないでローラーをはげますコメントをはっしている。さらに実況じっきょうせきくわわったJBLがヒールがわのコメントをすることもあって、ベビーりになっていった。そして、ながらくザ・ミズ応援おうえんをしてきたが(このころにはすでに下火したびだった)、ミズがIC王座おうざうしなコフィ・キングストンに3連敗れんぱいするとそのことでミズといいになる場面ばめんもあった。11月にはローラーが復帰ふっきし、自身じしん完全かんぜんにベビーフェイス実況じっきょうもどった。だがその、スマックダウンにてJBLとともにジョシュをからかうコメントがえている。

備考びこう[編集へんしゅう]

  • 貧弱ひんじゃく印象いんしょうのため、ジョン・シナやJBLなどからゲイあつかいされることがおおく、2005ねんにはストーリーラインじょうハイデンライクによって強姦ごうかんされている。
  • のアナウンサー同様どうようまれ試合しあいおこなう(される)。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]