まよ

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マヨヒガから転送てんそう
遠野とおのふるさとむらまよをイメージした「マヨイガのもり」の「マヨイガきょう

まよ(まよいが、マヨイガ、マヨヒガ)は、東北とうほく関東かんとう地方ちほうつたわる、おとずれたものとみをもたらすとされる山中さんちゅうまぼろしいえ、あるいはそのいえおとずれたものについての伝承でんしょうである。この伝承でんしょうは、民俗みんぞく学者がくしゃ柳田やなぎだ國男くにお現在げんざい岩手いわてけん土淵つちぶちむらげん遠野とおの出身しゅっしん佐々木ささきぜんからききしたはなしを『遠野とおの物語ものがたり』(1910)の「ろくさん」「ろくよん」で紹介しょうかいしたことによりひろられるところとなった[1]

遠野とおの物語ものがたり』によれば、まよとはおとずれたもの富貴ふうきさづける不思議ふしぎいえであり、おとずれたものはそのいえからなに物品ぶっぴんしてよいことになっている[2]。しかしだれもがその恩恵おんけいあずかれるわけではなく、「ろくさん」は無欲むよくゆえにとみさずかった三浦みうらつま成功せいこうたんとなり、「ろくよん」はよくをもった村人むらびと案内あんないしたせいでとみさずかれなかった若者わかもの失敗しっぱいたんえがいている[3]

また語源ごげん表記ひょうきについては、「マヨヒガ」とは遠野とおのでの呼称こしょうであることが『遠野とおの物語ものがたり』および佐々木ささきぜん著作ちょさく山奥やまおく長者ちょうじゃ屋敷やしき」(1923『中学ちゅうがく世界せかい』に掲載けいさい)にしるされている[2]。これをもとに現在げんざいのさまざまな文献ぶんけんでは現代げんだい仮名遣かなづかいにあらためた「まよいが」やの「まよ」などと表記ひょうきされている。

まよ伝承でんしょう[編集へんしゅう]

まよ伝承でんしょうすじ柳田やなぎだ國男くにおの『遠野とおの物語ものがたり』のテキストをもとにしたものがおおい。しかしそのにも『遠野とおの物語ものがたり』の情報じょうほう提供ていきょうしゃである佐々木ささきぜん自身じしんつづったテキストや、どちらにもげられなかった地元じもと伝承でんしょうなど、細部さいぶことなるはなしもまた存在そんざいしている[4]

柳田やなぎだ國男くにおの「まよ[編集へんしゅう]

現在げんざいよくられるバリエーションは『遠野とおの物語ものがたり』の「まよ」である。これは佐々木ささきぜんからききされたものであるが、いたままのはなしではなく、柳田やなぎだによりくわえられた部分ぶぶんすくなからず存在そんざいする[5]

遠野とおの物語ものがたり[編集へんしゅう]

ろくさん 小国しょうこく三浦みうらぼううんふはむらいち金持かねもちなり。いまよりさん代目だいめ主人しゅじん、まだいえまずしくして、つますこしく魯鈍ろどんなりき。このつまある日門ひかど(カド)のまえながれるゝちいさきかわに沿ひてふきりにはいりしに、よきものすくなければ次第しだいたに奥深おくふかのぼりたり。さてふとれば立派りっぱなるくろもん(モン)のいえあり。いぶかしけれどもんなかはいりてるに、だいなるにわにて紅白こうはくはないちめんにわとりおおゆうべり。其庭をうらほうまわれば、うし小屋こやありてうしおおり、うましゃありてうまおおれども、一向いっこうひとらず。つい玄関げんかんよりがりたるに、そのつぎにはしゅくろとのぜんわんあまた取出とりだしたり。おくすわじきには火鉢ひばちありて鉄瓶てつびんのたぎれるをたり。されどもつい人影ひとかげければ、もしは山男やまおとこいえではいかときゅうおそろしくなり、していえかえりたり。此事をひとかたれどもおもものかりしが、またある我家わがやのカドにでゝものあらいひてありしに、川上かわかみよりあかわんひとながれてたり。あまりうつくしければひろえげたれど、これ食器しょっきもちいゐたらばよごしとひとしかられんかとおもひ、ケセネギツ(雑穀ざっこく収納しゅうのうするひつ)のなかきてケセネはかうつわしたり。しかるに此器にてはかはじめてより、いつまでちてもケセネきず。いえものこれあやしみておんなとえひたるとき、はじめてかわよりひろえげしよしをばかたりぬ。此家はこれより幸運こううんこうひ、ついいま三浦みうられり。遠野とおのにては山中さんちゅう不思議ふしぎなるいえをマヨヒガとうんふ。マヨヒガにあたりたるものは、かならず其家のうち什器じゅうき家畜かちくなににてもあれでゝべきものなり。其人にさづけんがためにかゝるいえをばする也。おんな無慾むよくにてなにぶつをもぬすざりしがゆえに、このわんみずかながれてたりしなるべしとうんへり[6]

ろくよん 金沢かなざわむらはくのぞむふもと上閉伊かみへいぐんうちにてもこと山奥やまおくにて、ひと往来おうらいするものすくなし。ろくななねんまえ此村このむらより栃内とちないむら山崎やまざきなるぼうかゝがいえむすめむこりたり。此聟実家じっかかんとして山路やまじに迷ひ、またこのマヨヒガにたりぬ。いえ有様ありさま牛馬ぎゅうばにわとりおおきこと、はな紅白こうはくきたりしことなど、すべてまえはなしとおりなり。おなじく玄関げんかんはいりしに、ぜんわん取出とりだしたるしつあり。座敷ざしき鉄瓶てつびんたぎりて、いままさにちゃんとするところのやうにえ、どこか便所べんじょなどのあたりにひとちてるやうにもおもはれたり。茫然ぼうぜんとしてのちには段々だんだんおそろしくなり、引返ひきかえしてつい小国しょうこく村里むらざとでたり。小国しょうこくにては此話をきてとするものかりしが、山崎やまざきほうにてはそはマヨヒガなるべし、きてぜんわんるいきた長者ちょうじゃにならんとて、むこ殿どのさきてゝひとあまたこれもとめにやまおくはいり、こゝにもんありきとうんしょれども、にかゝるものもむなしくかえきたりぬ。そのむこつい金持かねもちになりたりとうんふことをかず[7]

佐々木ささきぜんの「まよ[編集へんしゅう]

遠野とおの物語ものがたり』のほか佐々木ささきぜんみずかつづったものもある。かれは「山奥やまおく長者ちょうじゃ屋敷やしき」(1923『中学ちゅうがく世界せかい』)、「かくざと」(1931『聴耳草紙ぞうし』)とだいしてしゅの「まよ」を発表はっぴょうしている。これらはどちらも金沢かなざわむら出身しゅっしん若者わかもの主人公しゅじんこうにしていることから、『遠野とおの物語ものがたり』「ろくよん」と同根どうこんはなしであるとおもわれる。しかしこちらのほう若者わかもの人物じんぶつぞうまよいたるまでの描写びょうしゃ克明こくめいえがかれている[8]

山奥やまおく長者ちょうじゃ屋敷やしき」『中学ちゅうがく世界せかい[編集へんしゅう]

つぎには、きりはな関係かんけいあるかくざと土地とちではマヨヒガ)のはなしをしませう。

金沢かなざわむら上閉伊かみへいぐん)のさんでだといふ若者わかものじゅうよんさい)がわたしいえ近所きんじょむこました。それはよんねんまえのことなのですが、此の若者わかものがどうもうまれつき少々しょうしょうしょうりないほうなので、わたしむらいちねんばかりきょつて離縁りえんされ、いまではおな土淵つちぶちまちなかですが、たがえしょふくにゅうむこしてります、おとこ物語ものがたりつたばなし

おのれむかしから狩人かりゅうどすじであつたのだから、おのれなどもじゅうよんときからやまぎょうつてた。祖父そふ親父おやじ立派りっぱ鉄砲てっぽうつてゐたのし、その鉄砲てっぽうこそおまえさませたいほどのものだ。(斯うげんつてかれ得意とくいそうに微笑びしょうしました。)おのれまだこちらさねえとき一人ひとり白見山しらみやまぎょうつたことがあつたつけ。さうするとかれみなみきのあるほらとおくからながめてると、なんだがかすみでもうからむやうにうつくしいはなこがぐんがつてえるものだから、あやしくおもえつてれを目的もくてきくだりつてれば、其処はなんともかんともげんはれないさけちょうとしたところで、おおきないわつてゐて、いわしょうあなから綺麗きれいみずゆうてゐた。そして湧水わきみずのほとりにあかぬりつたおけがあつたから、これは此のあたりひといえでもあるべかなとおもえつて、いわをめぐつてすこしばかりくだりつてると、おおきなくろもんがありますけ。あやしくおもえつてもんからにゅうつてくと、あかにわとりがたくさんあそんでゐたり、片方かたがたうまやには、青馬あおうまだの栗毛くりげだのゝうまがゐる、そしておおきな構へのいえがあるものだから玄関げんかんからうえつてたが、ひとだれ気振けぶりもない。四辺しへんがあまりに立派りっぱなものだからいえのなかを彼方此方おちこちあるまわりつてますとな、あかいまうせんをいた座敷ざしきがあつて、其処にはからどう火鉢ひばちがおきて鉄瓶てつびんかかつてがたぎつてゐたところもあればまた客来きゃくらいさまもあるものとえてしゅぜんしゅわん多勢たせぜんそろいならべられてある座敷ざしきもありますけ。おのれはあまりてゐて、いえ人達ひとたちになど見付みつけられたら盗人ぬすっとだべとおもはれべえとおもえつて、どこか其所をはつてにわると、まえにわとりどもがおどろいて其処らをあるくから、おのれもんから此処ここらやみと遁げてました。さうするといつのにかいつもつうつてつてゐるみちのとこにさてゐましたつけ。

それから、ひょつとかれれは泥棒どろぼうの棲家ではないかとおもえつたから、追手おってのかゝらねえうちにと一生懸命いっしょうけんめいはしせて人里ひとざとほうかえつて、そしていえはなしをすると、みんなはなにのことだれはマヨヒガとうておまえうんさづけるところだつたものを、なんたらおまえはよくよくうんのないやつだ。何故なぜ其所からわんにわとりうまなにんでもよい、ひとつてなかつた。なんたらあつたらことをした。さあこんいちかへりれから其所にべとわれて、此度はいえ人達ひとたち村人むらびとだの多勢たぜいくだりつて、其処をたずさがしてたがどうしてもつからなかつた。

まえは此のあたりから、かうしてむこうのほらときそのはなぐんえたのか、なんてとうつたりいわじょうつたりしてながめてても、もうそんなやまほらまみえればこそ、みんなにはなにトボケてけつかる。此の小馬鹿こばかはなししんにしてたばとげんつてみなわらいふし、おのれもさうげんはれると夢見ゆめみたやうな心持こころもちだつた。」

「あゝあゝ、しんおのれげんとしたが、いえのあるきりはやしにはいちめんきりはないたりさんつたりしてゐたつけ」と若者わかものげんひました。ごく近頃ちかごろいたはなしです。

かくざと」『聴耳草紙ぞうし[編集へんしゅう]

シロミさんの「かくざと」のことは「遠野とおの物語ものがたり」のなかにもるが、あれとはまたべつはなしをしてやう。此山の東南とうなんふもと金沢かなざわうんむらぼううん若者わかものがあつた。此男ある時山ときやまくと、どのあたりたにおくはてであつたか、とにかくいまだ嘗つてたこともいたこともないほどおおきな構へのかんとうつた。其家のモヨリはさきおおきなくろもんがあつた。そのもんにゅうつてくとにわとりおおた。それからすこくと立派りっぱ厩舎きゅうしゃがあつて其中には駿馬しゅんめろくひきななひきた。うらほうまわりつてるとにはがどがどがえてをり、つねきょのぼると其所には炭火すみびがおこつてる。ちゃにはなにかのコガ(大桶おおおけ)があり、座敷ざしきにはしゅぜんしゅわんならべられて、其次の座敷ざしきにはきむ屏風びょうぶまわされて、からどう火鉢ひばち炭火すみびられてあつたがなんしょにもひといちにんなかつた。さうしてるくうちに、なんとなくおそろしくなつて其男はかえつた。

(そのおとこ少々しょうしょうりない性質せいしつであつた。むら和野わのぜんみぎ衛門えもんうんむこたが、あるとしがつにんやくとかではいりへると、一番いちばんじょうのオサの水口みずぐちへ、にんやくりのはい山積さんせきさしていてた。どうしてそんなことをしたとくと、なあにじょうのオサのみずが、にんやくにかゝるべから、おなごとだとげんつたので離縁りえんになつた。)

(此話は其男の友人ゆうじんむら百姓ひゃくしょうじいだいほらまんさんすすむ殿どのからいたものであつた。)[9]

そのの「まよ[編集へんしゅう]

柳田やなぎだ佐々木ささき両者りょうしゃきしたもののほかにも「まよ伝承でんしょう土淵つちぶちまちきんはたけ部落ぶらく存在そんざいすることは、遠野とおの出身しゅっしん民俗みんぞく学者がくしゃ菊池きくち照雄てるお指摘してきしている。かれによれば「遠野とおのから白見山しらみやまをめざすときには、土淵つちぶちまちきんはたけがその入口いりくちとなるが、琴畑川ことはたかわ川上かわかみから巨大きょだいきりはなわんながれてるので、不思議ふしぎおもった村人むらびとかわ沿って奥山おくやまいたり、マヨイガを発見はっけんしたという伝承でんしょうが、ここにものこっている」という。しかし柳田やなぎだ佐々木ささきのような説話せつわとしての体裁ていさいをとった詳細しょうさいなテキストはのこされていない。

まよ」についてのしょ論考ろんこう[編集へんしゅう]

この「まよ」にはおおくの研究けんきゅうしゃ関心かんしんせており、さまざまな論考ろんこう存在そんざいする。

伝承でんしょうしゃたちの心意しんい[編集へんしゅう]

そのなかには「まよ」をかたいできた伝承でんしょうしゃ心情しんじょう主題しゅだいにしているものがある。竹内たけうち利美としみは「ユートピアとしてのかくれさと」(1969『伝統でんとう現代げんだい』)にて「ろくさん」をげて村落そんらくみんのユートピアかんろんじている。かれ立派りっぱ門構もんがまえ、紅白こうはくはな豊富ほうふ家畜かちくしゅくろぜんわんというぶくろく円満えんまん生活せいかつした情景じょうけいを「しょう楽土らくど」としょうして評価ひょうかした。この論考ろんこう宮田みやたも「ユートピア思想しそう」(1977『講座こうざ比較ひかく文化ぶんかだい6かん)に引用いんようしている。いわく、おな地平線ちへいせんのレベルにあるマヨヒガのことを「いつしかそういう機会きかいがひょんなときおとずれるのだろう」としんじさせてくれる「素朴そぼくなユートピアかん」であるとろんじた[5]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 青木あおき俊明としあき2003「マヨイガ」石井いしいただしおのれ遠野とおの物語ものがたり辞典じてん岩田いわた書院しょいん
  • 赤坂あかさか憲雄のりお1987「幻像げんぞうとしての常民じょうみん」『現代げんだい手帖てちょうだい30かんだい4ごう 思潮しちょうしゃ
  • どう1994『遠野とおの/物語ものがたりこう宝島社たからじましゃ
  • どう2010『増補ぞうほばん 遠野とおの物語ものがたりこうあら蝦夷えぞ
  • 石井いしいただしおのれ2000a『遠野とおの物語ものがたり誕生たんじょう若草わかくさ書房しょぼう
  • どう2000b『図説ずせつ遠野とおの物語ものがたり世界せかい河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ
  • どう2002『遠野とおの民話みんわかた三弥みつや書店しょてん
  • どう2009『「遠野とおの物語ものがたり」をく』平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ
  • 石井いしいただしおのれほか2004『日本にっぽんのグリム 佐々木ささきぜん遠野とおの市立しりつ博物館はくぶつかん
  • 石内いしうちとおる(へん)1996a『柳田やなぎだ國男くにお遠野とおの物語ものがたり作品さくひんろん集成しゅうせい』(I)大空おおぞらしゃ
  • どう1996b『柳田やなぎだ國男くにお遠野とおの物語ものがたり作品さくひんろん集成しゅうせい』(II)大空おおぞらしゃ
  • どう1996c『柳田やなぎだ國男くにお遠野とおの物語ものがたり作品さくひんろん集成しゅうせい』(III)大空おおぞらしゃ
  • どう1996d『柳田やなぎだ國男くにお遠野とおの物語ものがたり作品さくひんろん集成しゅうせい』(IV)大空おおぞらしゃ
  • 伊能いのうよしみのり1926『遠野とおの方言ほうげん郷土きょうど研究けんきゅうしゃ
  • こん市子いちこ2007「マヨヒガ」『百鬼夜行ひゃっきやこうしょうだい10かん 朝日新聞あさひしんぶん
  • 岩本いわもとゆかりてる1983『もうひとつの遠野とおの物語ものがたりかたなすい書房しょぼう
  • どう1995「『遠野とおの物語ものがたり初稿しょこうんで(さん)」『平成へいせい6年度ねんど 博物館はくぶつかん講座こうざ 講義こうぎしゅう4』遠野とおの市立しりつ博物館はくぶつかん
  • 大塚おおつか英志えいじ(原作げんさく)、もり美夏みか(作画さくが)2004「マヨイガこう」『きたかみでんあやぎぬ上巻じょうかん 角川書店かどかわしょてん
  • 大藤おおふじ時彦ときひこ1969解説かいせつ遠野とおの物語ものがたり角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 小澤おざわ俊夫としおほか1999『鈴木すずきサツぜん昔話むかしばなししゅう福音館書店ふくいんかんしょてん
  • 小田おだとみえい1982「はつ校本こうほん遠野とおの物語ものがたり』の問題もんだい」『國文學こくぶんがくだい27かん いちがつごう
  • 小野おの和子かずこ庄司しょうじ幸栄ゆきえ1992『佐々木ささきけんかたりによる 遠野とおのさと宮守みやもりむらむかしばなし』世界せかい民話みんわはく実行じっこう委員いいんかい
  • ふうまる良彦よしひこ2008『遠野とおの物語ものがたり再読さいどく試論しろんしゃ
  • 菊池きくち照雄てるお1983『遠野とおの物語ものがたりをゆく』伝統でんとう現代げんだいしゃ
  • どう1989『やまふか遠野とおのさと物語ものがたりせよ』ふくろうしゃ
  • 菊池きくち照雄てるお富田とみた文雄ふみお1992『「遠野とおの物語ものがたり」をあるく』国宝こくほうしゃ
  • 國貞くにさだ五郎ごろう2000『昔話むかしばなしふるさとへのたび』King Records
  • 小池こいけゆみ2002『正部家しょうぶけミヤ昔話むかしばなししゅう古今ここんしゃ
  • 後藤ごとう総一郎そういちろう(かん)、遠野とおの常民じょうみん大学だいがく(へん)1997『注釈ちゅうしゃく 遠野とおの物語ものがたり筑摩書房ちくましょぼう
  • 佐々木ささきぜん1972[1964]『聴耳草紙ぞうし筑摩書房ちくましょぼう
  • どう1986『佐々木ささきぜん全集ぜんしゅう』(Ⅰ)遠野とおの市立しりつ博物館はくぶつかん
  • どう1987『佐々木ささきぜん全集ぜんしゅう』(Ⅱ)遠野とおの市立しりつ博物館はくぶつかん
  • どう2003『佐々木ささきぜん全集ぜんしゅう』(Ⅳ)遠野とおの市立しりつ博物館はくぶつかん
  • 佐々木ささきぜん(ちょ)、石井いしいただしおのれ(へん)2009『遠野とおの奇談きだん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ
  • 杉山すぎやま康彦やすひこ1978「『遠野とおの物語ものがたり』をむ」『言語げんごだい7かん1ごう 大修館書店たいしゅうかんしょてん
  • どう1984「遠野とおの物語ものがたり時空じくう」『日本にっぽん文学ぶんがくだい33かんだい1ごう 日本にっぽん文学ぶんがく協会きょうかい
  • 世良せら正利まさとし1989「しょうろん遠野とおの物語ものがたり』-異人いじんろん視点してんから」『民衆みんしゅう文化ぶんか構成こうせい展開てんかい
  • 竹内たけうち利美としみ1969「ユートピアとしてのかくれさと」『伝統でんとう現代げんだいだい17ごう がくとうしゃ
  • 竹村たけむら祥子さちこ1987「『遠野とおの物語ものがたり』における「事実じじつ」の意味いみ」『人文研じんぶんけん紀要きよう中央大学ちゅうおうだいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょ
  • 遠野とおの編修へんしゅう委員いいんかい1974-77『遠野とおのだい1-4かん まんようどう書店しょてん
  • 百目鬼どめき恭三郎きょうざぶろう1983「百目鬼どめき恭三郎きょうざぶろうえらぶ50さつ文庫ぶんこ18遠野とおの物語ものがたり」『週刊文春しゅうかんぶんしゅんだい25かん30ごう 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう
  • 内藤ないとう正敏まさとし1978『きき遠野とおの物語ものがたり新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ
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  • えいふじやすし2007「〈ことかい〉から遠野とおの物語ものがたりむ-流動りゅうどうする世界せかいぞう-」『文藝ぶんげい研究けんきゅうだい101ごう明治大学めいじだいがく文学部ぶんがくぶ
  • 野村のむら純一じゅんいち[ほか]編著へんちょ1992『遠野とおの物語ものがたりしょう事典じてん』ぎょうせい
  • 野村のむら純一じゅんいち三浦みうらたすく宮田みやたのぼる吉川よしかわ祐子ゆうこ(へん)2007『柳田やなぎだ國男くにお事典じてんつとむまこと出版しゅっぱん
  • 富木とみき友治ゆうじ1970「柳田やなぎだ國男くにお遠野とおの物語ものがたりをめぐりて―(いち)」『芸能げいのうだい12かんだい3ごう3/10
  • 三浦みうらたすく1987『村落そんらく伝承でんしょうろんやなぎ書院しょいん
  • どう1998「『遠野とおの物語ものがたり』と文学ぶんがく」『柳田やなぎだ國男くにお事典じてんつとむまこと出版しゅっぱん
  • 三浦みうらたすく赤坂あかさか 憲雄のりお2010『遠野とおの物語ものがたりへようこそ』ちくまプリマー新書しんしょ
  • 宮田みやたとう1977「ユートピア思想しそう」『講座こうざ比較ひかく文化ぶんか だい6かん 日本人にっぽんじん社会しゃかい研究けんきゅうしゃ出版しゅっぱん
  • どう1984「ムラとユートピア」『日本にっぽん民俗みんぞく文化ぶんか大系たいけい だい8かん むら村人むらびと共同きょうどうたい生活せいかつ儀礼ぎれい―』小学館しょうがくかん
  • どう2006『ユートピアとウマレキヨマリ』吉川弘文館よしかわこうぶんかん
  • もりあつし1975「たたなずくやま遠野とおの」『民俗みんぞくたび柳田やなぎだ國男くにお世界せかい』12/10読売新聞社よみうりしんぶんしゃ
  • 柳田やなぎだ國男くにお1990[1910]「伝説でんせつ系統けいとうおよ分類ぶんるい」『柳田やなぎだ國男くにお全集ぜんしゅうだい7かん ちくま文庫ぶんこ
  • どう1997[1910]「遠野とおの物語ものがたり」『柳田やなぎだ國男くにお全集ぜんしゅうだい2かん 筑摩書房ちくましょぼう
  • どう1997[1934]「やま島民とうみんたんしゅう」『柳田やなぎだ國男くにお全集ぜんしゅうだい2かん 筑摩書房ちくましょぼう
  • どう1997[1935]「遠野とおの物語ものがたり拾遺しゅうい」『柳田やなぎだ國男くにお全集ぜんしゅうだい2かん 筑摩書房ちくましょぼう
  • どう1998[1969]「一目いちもく小僧こぞうその」『柳田やなぎだ國男くにお全集ぜんしゅうだい7かん 筑摩書房ちくましょぼう
  • 山田やまだひさし1990「ことかいとの交流こうりゅう古代こだい説話せつわと『遠野とおの物語ものがたり』のあいだ―」『仁愛じんあい国文こくぶんだい8ごう仁愛じんあい女子じょし短期大学たんきだいがく国文こくぶん学会がっかい
  • 吉川よしかわ祐子ゆうこ1996『白幡しらはたミヨシの遠野とおのがたり』岩田いわた書院しょいん
  • どう1997『遠野とおの物語ものがたりきている 白幡しらはたミヨシのかたり』岩田いわた書院しょいん
  • 吉成よしなりいさむほか1992『日本にっぽん神話しんわ伝説でんせつ総覧そうらん歴史れきし読本とくほん特別とくべつ増刊ぞうかん事典じてんシリーズ16 新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ
  • 米山よねやま俊直としなお樺山かばやま紘一こういち2003「柳田やなぎだ國男くにお遠野とおの物語ものがたり』」高田たかだひろし(へん)『対話たいわ東北とうほくろんかたなすい書房しょぼう
  • 2008.9.2『週刊しゅうかん 歴史れきしのミステリー』31ごう デアゴスティーニ・ジャパン
  • 2012.2.10『遠野とおの文化ぶんかともかい会報かいほうマヨヒガ』vol.1遠野とおの市立しりつ遠野とおの文化ぶんか研究けんきゅうセンター
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  • 佐佐木ささきぜん聴耳草紙ぞうしさんげんしゃ、1931ねん、451-456ぺーじdoi:10.11501/1464188ISBN 9784480092977NCID BB02054238OCLC 673362186全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:46081539https://books.google.co.jp/books?id=GMZ6MUp74n4C&pg=PP477#v=onepage&q&f=false2023ねん1がつ2にち閲覧えつらん 
  • 柳田やなぎだ国男くにお一目いちもく小僧こぞうその小山こやま書店しょてん、1934ねん、264ぺーじdoi:10.11501/1444010ISBN 9784044083083NCID BB11657915OCLC 840092280全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:47018602https://dl.ndl.go.jp/pid/1444010/1/1422023ねん1がつ1にち閲覧えつらん 
  • 佐々木ささきたけしじん「マヨヒガ」伝承でんしょうめられた心意しんい再考さいこう : 柳田やなぎだ國男くにお佐々木ささきぜん出発しゅっぱつてんとして」『東北とうほく宗教しゅうきょうがくだい7ごう東北大学とうほくだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう宗教しゅうきょうがく研究けんきゅうしつ、2011ねん、177-200ぺーじdoi:10.50974/00002043ISSN 18810187NAID 120005653329OCLC 928616220国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん書誌しょしID:0242816112023ねん1がつ1にち閲覧えつらん 

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]