出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この 存命人物の記事には、 出典がまったくありません。 信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "マーク・キンセラ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年3月) |
マーク・キンセラ (Mark Kinsella, 1972年8月12日 - )は、アイルランド・ダブリン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元アイルランド代表。現役時代のポジションはMF。
下部リーグのコルチェスター・ユナイテッドFCで頭角をあらわす。1996年、当時ディヴィジョン1(2部)に所属していたチャールトン・アスレティックFCに移籍し、1998年には主将としてFAプレミアリーグ昇格の原動力となった。チャールトンは翌シーズン限りで再びディヴィジョン1に降格されたが、さらにその翌シーズンには再びキンセラを中心にした陣容でディヴィジョン1を制覇し、プレミアシップに昇格することとなる。
しかし2001年にキンセラは故障のため、中盤のレギュラーの座をスコット・パーカーに奪われる。このシーズン終了後に開催された日韓W杯では、マット・ホランドとともにロイ・キーン離脱後の中盤を担い、ベスト16進出を果たす。この活躍によりキンセラは100万ポンドの移籍金でアストン・ヴィラFCへの移籍を果たすが、アストン・ヴィラではほとんど見せ場を作れず、2シーズン半在籍した後、2004年1月に2部所属のWBAへ移籍する。WBAのプレミアシップ昇格に貢献したが、契約延長はならず、4部のウォルソールに移籍する。
ウォルソールでは2004-2005、2005-2006の2シーズンを過ごすが、故障のためにもはやフル稼働は不可能であった。ちなみに2006年4月には監督退任を受けて2試合のみ、プレーイング・マネージャーを務めている。2006-2007シーズンはコーチ兼任選手としてウォルソールに在籍し、2006年12月に現役を引退してチャールトンの若手育成担当コーチに就任した。その後チャールトンのリザーブチームの監督を務めた。2011年にダヴェントリー・タウンFCの監督に就任。2015年にはドロヘダ・ユナイテッドFCの監督を務めた。
アイルランド代表として1998年から2004年の間に48試合に出場(3得点)。
- チャールトン・サポーター選出年間最優秀選手 (1997-1998, 1998-1999)