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モクテスマ2せい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
モクテスマ2せい
アステカ皇帝こうてい
在位ざいい 1502ねん - 1520ねん

出生しゅっしょう 1466ねん
死去しきょ 1520ねん7がつ1にち
父親ちちおや アシャヤカトル
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モクテスマ2せいMoctezuma II, 1466ねん - 1520ねん7がつ1にち)またはモンテスマMontezuma)、モテクソマ(Motecuhzomaa)は、メシカぞくの、アステカだい9だい君主くんしゅ在位ざいい1502ねん - 1520ねん)。ナワトルで「わか君主くんしゅ」という意味いみショコヨツィンXocoyotzin)のでもばれる[1]かれ治世ちせいあいだにメソアメリカ文明ぶんめいとヨーロッパの最初さいしょ接触せっしょくがあり、最後さいごスペインのアステカ征服せいふく過程かてい激怒げきどしたアステカ市民しみんから無数むすういしげつけられて死亡しぼうした(エルナン・コルテス部下ぶかのスペインじんころされたとの異説いせつもある)。在位ざいいちゅうには積極せっきょくてき遠征えんせい中央ちゅうおう集権しゅうけんをすすめ、アステカの最大さいだい版図はんときずいた。

事跡じせき[編集へんしゅう]

1542ねんのモクテスマの宮殿きゅうでん

1502ねんテノチティトランにおいて35さい王位おういについたかれは、叔父おじぜんおうアウィツォトル採用さいようした官僚かんりょうえ、由緒ゆいしょある家系かけいもの登用とうようした[2]。メシカぞくは1428ねん以来いらいどう言語げんごぐん部族ぶぞくであるテスココトラコパン(タクバ)とさんこく同盟どうめいむすんでいた。

1504ねん、モクテスマ2せいはチャルコにあったテスココの領地りょうち占領せんりょうし、1516ねんおいカカマツィンをテスココの君主くんしゅえ、中央ちゅうおう集権しゅうけんはかった。

1519ねんエルナン・コルテスコンキスタドールがアステカにおとずれたこのとしは、アステカのこよみで「いちあしとし」とばれ、メシカぞくにとっては生贄いけにえ習慣しゅうかんきらかみであるケツァルコアトル羽毛うもうへび)が帰還きかんするとしでもあった。この出来事できごとの10ねんほどまえからアステカでは不吉ふきつ予兆よちょうられており、きた夜空よぞら彗星すいせいあらわれたり、火山かざん爆発ばくはつしテスココのみずうみえたぎるなどの現象げんしょう占星術せんせいじゅつらによって、やくわざわいこる前触まえぶれと判断はんだんされた。この占星術せんせいじゅつたちはわる言葉ことばはこんだものをころせばやくふせげるという観念かんねんからモクテスマ2せいによってしばくびにされたとも、餓死がしさせられたともわれる。テスココの領主りょうしゅであり、モクテスマ2せい助言じょげんしゃであったネサワルピリ悪夢あくむからやくわざわい予言よげんしている[3][4]

1519ねん11月8にち、モクテスマ2せいはカカマツィンの兄弟きょうだいでイスタパルパ領主りょうしゅクイトラワク案内あんないでテノチティトランにやってきたコルテスにはじめて出会であった。このとき、コルテスはモクテスマ2せい抱擁ほうようしようとしたが、同席どうせきしていたカカマツィンとクイトラワクにめられたという[5]。コルテスはくびにかけていたガラスだまはずしてモクテスマ2せいくびにかけ、モクテスマ2せい巻貝まきがいからでできた首飾くびかざりをコルテスにかけたという[6]。モクテスマ2せいは、それまでスペインじん呪術じゅじゅつをかけるため妖術ようじゅつをコルテスの一団いちだんおくんだが、いずれも効果こうかがなかったため、コルテスをケツァルコアトルしん使つかい(もしくはかみそのもの)としんじていた[7]。コルテスはメシカぞく最高さいこうしんあがめる存在そんざいであり、生贄いけにえ要求ようきゅうするウィツィロポチトリみなみ蘇生そせいした戦士せんし)とテスカトリポカ噴煙ふんえんかがみ)の神殿しんでん案内あんないされ、そこで生贄いけにえからされた心臓しんぞうよごれた祭壇さいだんせられた。また、モクテスマ2せいはケツァルコアトルからゆずけた王位おういをコルテスに返還へんかんするとったという。しかし、コルテスは「あなたのあがめる偶像ぐうぞうは、我々われわれ悪魔あくまとみなす存在そんざいである。あなたの神殿しんでん聖母せいぼマリアのぞうてさせてほしい」とかたり、モクテスマ2せい困惑こんわくさせ、かれはそれを拒否きょひした。するとコルテスはいくつかの神像しんぞう階段かいだんからとして破壊はかいした[8]

 コルテスは、モクテスマに王国おうこく自治じちけんみとめるわりに改宗かいしゅうせまる。モクテスマは、コルテスに渡航とこう費用ひよう一部いちぶ負担ふたんしようともう黄金おうごん貯蔵ちょぞうされた宮殿きゅうでん案内あんないする[9]

11月14にち、コルテスは元々もともとトトナコじん土地とちであるベラクルスにきずいた都市としたいし、税金ぜいきんおさめないトトナコじんかくまっているとしてメシカじん総督そうとくクアウポポカが攻撃こうげきしたことを口実こうじつに、モクテスマ2せい幽閉ゆうへいし、その有力ゆうりょくしゃとなったカカマツィンを、反乱はんらんくわだてたとして捕縛ほばくした[10]

コルテスは、モクテスマ2せいにより1519ねん宣戦せんせんされ、さんこく同盟どうめい反感はんかんいていたトラスカラや、モクテスマ1せい時代じだい侵略しんりゃくされたうらみをつチャルコ、さらにテパネなどを味方みかたにつけており、アステカ王国おうこく征服せいふくする可能かのうせい見出みいだしていた。そして1520ねん5がつ16にち、テノチティトランの神殿しんでんおこなわれていたテスカトリポカの祭礼さいれいのため一堂いちどうあつまった最高さいこう神官しんかん貴族きぞくを、コルテスの部下ぶかのアルバラードが虐殺ぎゃくさつしたという[11]。そしてかれらの豪華ごうか装身具そうしんぐ収奪しゅうだつされた。襲撃しゅうげき自体じたいにはコルテスはかかわっておらず、コルテスのまったくらないところでおこなわれたためコルテスは激怒げきどしたという[12]。この事件じけん以降いこう暴徒ぼうとしたメシカぞくおさえるためコルテスは6がつ29にち、モクテスマ2せい神父しんぷ派遣はけんし、攻撃こうげきしゃ説得せっとくするよう要求ようきゅうした。 モクテスマ2せいはアステカの兵士へいしまえち、攻撃こうげき中止ちゅうしうったえた。だが、アステカぐん代表だいひょうは、モクテスマ2せいまえすすて、なみだながしながらこうべた[13]

我々われわれはもうあたらしいおうえらんでしまいました。我々われわれ軍神ぐんしんに、貴方あなた安全あんぜん毎日まいにち祈願きがんしています。だが、我々われわれたたかいのゆるめること出来できません。しかし、もしかみ々のしんどおりこのたたかいがわれば、そのときこそ、貴方あなたふたたおうとしてむかえ、まえにもして尊敬そんけいささげるでありましょう[13]

そういいおわるかいいおわらないうちに、モクテスマ2せいあめのようないしやりげられ、かれ頭部とうぶ胸部きょうぶ直撃ちょくげきした[13]最初さいしょ致命傷ちめいしょうにはえなかったが、翌日よくじつにはきずもといきった[14]死後しご5あいだ経過けいかしており、あるものは、かれけん串刺くしざしにされたとう。[15]コルテスとの出会であいからやく半年はんとし出来事できごとであった。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

  • メンドーサ写本しゃほんふくまれている年代ねんだいによれば、かれは「教養きょうようがあり、また、占星術せんせいじゅつとして、哲学てつがくしゃとしてすべての技芸ぎげいすぐれた人物じんぶつ」であったという[16]
  • スペインがわ記述きじゅつによれば、モクテスマ2せいは「たかく、均整きんせいれ、無駄むだ脂肪しぼうられない。はだ褐色かっしょくかみりょうみみおおうくらいであった。黒色こくしょくあごひげうすく、かたちをしていた。面長おもながかおつきで、つきはおだやか。なりは清潔せいけつだった」という[17]

その[編集へんしゅう]

  • モクテスマはナワトルで「勇気ゆうきある王侯おうこう」という意味いみがある[18]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ セルジュ・グリュジンスキ(66p)
  2. ^ セルジュ・グリュジンスキ(65p)
  3. ^ セルジュ・グリュジンスキ(80p)
  4. ^ モーリス・コリス(62p)
  5. ^ モーリス・コリス(160p)
  6. ^ セルジュ・グリュジンスキ(85p)
  7. ^ モーリス・コリス
  8. ^ モーリス・コリス(216~220p)
  9. ^ 『アステカ帝国ていこく滅亡めつぼう法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく、1994ねん8がつ1にち、273ぺーじ 
  10. ^ モーリス・コリス(187~199p)
  11. ^ セルジュ・グリュジンスキ(85~89p)
  12. ^ モーリス・コリス(244p)
  13. ^ a b c 中山なかやま義昭よしあき、「メキシコ (世界せかいくにぐにの歴史れきし 10)」1990ねん3がつ10日とおか だい1さつ発行はっこう 岩崎いわさき書店しょてん 68ぺーじより引用いんよう
  14. ^ モーリス・コリス(261~262p)
  15. ^ 『アステカ帝国ていこく滅亡めつぼう法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく、1994ねん8がつ1にち、281ぺーじ 
  16. ^ モーリス・コリス(p53)
  17. ^ モーリス・コリス(p170)
  18. ^ モーリス・コリス(p52)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • セルジュ・グリュジンスキ「アステカ王国おうこく 文明ぶんめい再生さいせい落合おちあいはじめたいやく そうもとしゃ(2007)ISBN 4-422-21069-6
  • モーリス・コリス「コルテスせいりゃく金森かなもりまこと也訳 講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ(2003)ISBN 4-06-159581-4

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]