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モージュ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふるいアンジューの地図ちず南西なんせいがモージュ

モージュMauges)は、自然しぜん区分くぶんじょう、そして歴史れきしてきフランス地方ちほうめい。かつてのアンジュー現在げんざいメーヌ=エ=ロワールけん南西なんせいにあたる。主要しゅようコミューンショレボープレオである。

ペイ・デ・モージュ(pays des Mauges)という名称めいしょうもあるが、これは自治体じちたいあいだ連合れんごう名称めいしょうとして使つかわれ、自然しぜん区分くぶんじょうのモージュとはかならずしも一致いっちしていない。

モージュの地元じもと記憶きおく遺産いさんは、ヴァンデ戦争せんそうとその1793ねんからつづいた弾圧だんあつ特徴とくちょうである。

地理ちり

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自然しぜん区分くぶんじょう地方ちほうとしては[1]、モージュはアルモリカ山塊さんかいもっと南東なんとうはしにあたる。きたロワールがわひがしはレイヨンがわ[2][3][4]西にしはセーヴル・ナンテーズがわとモワヌがわかこまれている[5]南側みなみがわ境界きょうかいせんははっきりしないが、ショレテ地方ちほうにまでおよんでいる[6]。モージュ南部なんぶ一部いちぶは、農村のうそん地帯ちたい近接きんせつしているヴァンデ一致いっちする。この境界きょうかいもあまり明確めいかくでないため、ときにモージュにはヴァンデ・アンジュヴァン(Vendée angevine、アンジューのヴァンデ)という名称めいしょうあたえられてきた[2][7][8]

モージュの地形ちけいみなみかってわずかに標高ひょうこうたかくなる高原こうげん形状けいじょうをとっている。

モージュを南北なんぼくながれる河川かせんにエヴルがわがある。モージュの高原こうげんきざんでながれ、エヴルがわボカージュてい潅木かんぼく地帯ちたい)のなかつうじてロワールがわかって蛇行だこうしてながれる。

ボープレオからサン=フロラン=ル=ヴィエイユにかけて、たくさんのはし水車みずぐるまかわ沿いに点在てんざいする。

歴史れきし

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アンシャン・レジーム時代じだいのモージュは、アンジューしゅう一部いちぶであり、アンジューの西にし半分はんぶん管轄かんかつするアンジェのセネシャル管区かんくぞくしていた。

1791ねんから1791ねんにかけ、フランス革命かくめいによって宗教しゅうきょうてき疑問ぎもんがった。国民こくみん皆兵かいへい新税しんぜい導入どうにゅう様々さまざまわざわいの原因げんいんとなった[9] · [10]

ロワール=アンフェリウールけん南部なんぶヴァンデけんのように、農村のうそん人口じんこう主体しゅたいのモージュは1792ねん9がつ共和きょうわこく成立せいりつこのましいものではなかった。しかし、人口じんこうおおまち[11]国民こくみん衛兵えいへい支所ししょがあるショレはもちろん、おそらく共和きょうわこくであった。1793ねん国民こくみん公会こうかい30まんにん募兵ぼへいれい決定けっていすると、3月にモージュで武装ぶそう蜂起ほうき次々つぎつぎきた[12]

1793ねんのモージュは、カトリックおうとうぐんのアンジューおよびこうポワトゥーぐん一部いちぶとして(ショレおよびボープレオ師団しだんをシャルル・ド・ボンシャンが指揮しきし、サン=フロラン=ル=ヴィエイユ師団しだんをモーリス・ジゴ・デルベが指揮しきしていたことがられる)、ヴァンデ戦争せんそう舞台ぶたいの1つとなった。1793ねんのショレのたたかいでは共和きょうわ国軍こくぐん勝利しょうりしたが、これを指揮しきしたのはジャン=バティスト・クレベールであり、中央ちゅうおう政府せいふからナントに派遣はけんされていたジャン=バティスト・カリエ存在そんざいがあった。このおうとうぐん敗北はいぼくが、ロワール渡河とかおよびギャレルヌの彷徨ほうこうはじまりとなり、同年どうねん12がつサヴネたたかいでヴァンデぐん粉砕ふんさいされた。

1793ねん10がつからモージュは、武装ぶそうヴァンデの地域ちいき同様どうように、共和きょうわ国軍こくぐんによる報復ほうふく対象たいしょうとなり、ときには極端きょくたんなまでの弾圧だんあつ地獄じごく部隊ぶたいからけた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Bénédicte et Jean-Jacques Fénié, Dictionnaire des pays et provinces de France, Éditions Sud-Ouest, 2000.
  2. ^ a b P.Wagret J.Boussard J.Levron S. Mailliard-Bourdillon, Visages de l'Anjou, Horizons de France, 1951, p. 23.
  3. ^ Louis Poirier, Essai sur la morphologie de l'Anjou méridional (Mauges et Saumurois), Annales de Géographie, 1935, t. 44 no 251 p. 474.
  4. ^ Célestin Port, Dictionnaire historique géographique et biographique de Maine-et-Loire, 1874-1878, Édition révisée de 1978 par J. Levron P. d'Herbécourt R. Favreau et C. Souchon, t. 2 p. 423.
  5. ^ Célestin Port, Dictionnaire Historique de Maine-et-Loire, Lachèse Belleuvre & Dolbeau, 1874, t. 1 p. X.
  6. ^ Léon Dubreuil, Histoire des insurrections de l'Ouest, Volume 1, Les éditions Reider, 1929, p. 137.
  7. ^ René Bazin, L'Anjou - La Loire, Siloë éditions, 2005 (ISBN 2-84231-307-0), p. 9 et 67.
  8. ^ Célestin Port, Dictionnaire historique géographique et biographique de Maine-et-Loire, 1874 1878, Édition révisée de 1965 par Jacques Levron et Pierre d'Herbécourt, t. 1 p. 754 et 755.
  9. ^ Dont, Marcel Faucheux, L’insurrection vendéenne de 1793 - Aspects économiques et sociaux, 1953 (voir Guerre de Vendée).
  10. ^ Aristide Guilbert, op. cit., p. 444.
  11. ^ Comme en Loire-Inférieure, à Machecoul, ou plusieurs dizaines de républicains sont massacrés au début de l'insurrection.
  12. ^ P.Wagret J.Boussard J.Levron S. Mailliard-Bourdillon, op. cit., p. 73.