ユラン (ロシアの伝承でんしょう)

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ユランタタール: җыланジュランとも)、ロシアで「ジラント」(Зилант)、英語えいごで「ジラント」(Zilant) とはカザン象徴しょうちょうにもなっているドラゴンワイバーン中間ちゅうかん位置いちするりゅうであるがドラゴンにちかいためドラゴンとんでさしつかえない。この記事きじはモスクワしゅうカシーラもジラントを象徴しょうちょうとしているためおもにロシア英語えいご表記ひょうきの「ジラント」のかたりもちいて中心ちゅうしん説明せつめいするが、ユランはテュルクけい民族みんぞく象徴しょうちょうでもあるのでユラン/ジラントはなるべく併記へいきする方向ほうこう記事きじ作成さくせいすることにした。元々もともとユラン/ジラントとは「へび」・「大蛇おろち」・「りゅう」という意味いみである。それがそのままドラゴンとして固有名詞こゆうめいしにもなっている。

ユラン(ジラント)伝承でんしょう起源きげん[編集へんしゅう]

ユラン伝承でんしょうとは統一とういつされていない伝承でんしょうぐん説話せつわである。ユラン(りゅう)の善悪ぜんあく反転はんてんしているものも特徴とくちょうである。つたえられているひとつの伝説でんせつによると、カザンにはまだ処女しょじょでかつうつくしいお姫様ひめさまんでいた。ひめカザンカがわ清流せいりゅうとハーンが僻地へきちゆずけたという。そこでひめまちを「ジランタウ」(Zilantaw、へびおかという意味いみ)にうつすことを提案ていあんし、ハーンもこれに同意どういした。しかしながらおかには名前なまえとおり「丈夫じょうぶ丸太まるた」のごときへびおお出没しゅつぼつしており、さらにジランタウにはへびたちのおうである巨大きょだいな「ジラント」がんでいた。ジラントはひとつめのくび草食そうしょくだが、もう片方かたがたくび処女しょじょ若者わかものむさぼっていたという。魔術まじゅつはハーンにわら出来でき建造けんぞうぶつをジランタウのちかくにてることを助言じょげんした。 はるになるとふゆあいだわら出来でき建築けんちくぶつあなからはいったためへびたちがいなくなっていた。騎士きしわら出来でき建築けんちくぶつはなへびころした。あたりにはへびしゅうがただよっていた。しかし、おもであるジラントはカバン(Qaban lakes)にげた。カバンみずうみげたジラントはときおりひとをさらってむさぼったため、のち退治たいじされたという。べつ伝承でんしょうではくろ(Black lake)にげのびたとき精霊せいれいとなり、みずうみしずんだのちみずうみのさらにふかくに地底ちてい世界せかいつくりそこで地底ちてい世界せかいおうとなったという。それどころかジラントはげずにカザンから50 çaqrım (1 マイル =やく1.6Km= 7 çaqrım なのでおよそ11Kmとなる)はなれた場所ばしょ騎士きし再戦さいせんするというおはなしまである。この説話せつわ場合ばあい、ジラントは騎士きしによってむっつの肉片にくへんしようやく退治たいじされたという。しかし騎士きしもジラントのどく身体しんたいさるという死闘しとうひろげた。

これらの伝承でんしょうから伝説でんせつを「ジランタウ」とぶことにした。おおきなカーブがあることからそうばれる。ジラントは時折ときおり混乱こんらんしながらみずうみのそばおかちかくをんでいたという。最初さいしょ人々ひとびとおとずれたときは魔術まじゅつおくものとどけ、わりに退治たいじしてくれるようにとたのんだという伝承でんしょうがある。このようにつたわる伝承でんしょうはまったくバラバラである。

ジラントあるいはアジュダハ(Ajdaha)は、Aq Yılan(「白蛇しろへび」の)とは区別くべつしなければならない。Aq Yılanはへびおうである。Aq Yılan[1]もしくはŞahmara[2][3](ペルシアのshah「シャーおう」およびmar「へび」に由来ゆらいする[4])は、英雄えいゆうたん登場とうじょうする英雄えいゆうバートルたち助言じょげんおくり、しばしばおくものあたえることによってかれらをたすける。人々ひとびと恩恵おんけいをもたらすというてんにおいて、Aq Yılanは中国ちゅうごくりゅうる。

類似るいじ伝承でんしょう[編集へんしゅう]

アフマド・イブン・ファドラーンが10世紀せいきにヴォルガ・ブルガールに進出しんしゅつしたところ兵士へいしらはなが巨大きょだいおなふとさのへびたという。へびころそうとしたが危害きがいくわえることはかった。へびはアッラーに平和へいわ祈願きがんしたところつばさえた。そのつばさによってとおくにまでげたという。いわゆるチュヴァシりゅう伝承でんしょうである。トゥルクけいしょ民族みんぞくにとってはユランはトーテムであり当初とうしょから民族みんぞく象徴しょうちょうであった。やがてブルガール伝承でんしょう混在こんざいし、民族みんぞく象徴しょうちょうだけでなく守護神しゅごじんとなっていった。

ジラントフ(ユラントフ)修道院しゅうどういん[編集へんしゅう]

ジラントフ修道院しゅうどういん

ジランタウのうえにジラントフ修道院しゅうどういんがある。「ユラントフ修道院しゅうどういん」(Yılantaw monastery)ともう。もちろん、ジラントフ修道院しゅうどういん(Zilantaw monastery)とはジラント(ユラン)伝承でんしょうからている言葉ことばで、「ジラン(へび)・タウ(おか)」とい言葉ことばから派生はせいした。いまでは観光かんこう名所めいしょとなっている。ジラント伝承でんしょうゆかりの修道院しゅうどういんっている。カザン項目こうもくればわかるとおり、カザンの集落しゅうらくあとつかる場所ばしょでもあり、歴史れきしてき考古学こうこがくてきにも重要じゅうよう場所ばしょである。

カザンの象徴しょうちょうとして[編集へんしゅう]

カザン・ハンこく国旗こっきにもなったジラント(ひだり)。

キプチャク・ハーンくに衰退すいたいのカザン地域ちいきはテュルクけいイスラーム国家こっかであるカザン・ハンこくとして統治とうちしていた。カザン・ハンこく国旗こっきひとつにジラントは採用さいようされた。このときのジラントはくろりゅう姿すがたつばさくろである。ロシアのイワンかみなりみかどはカザン・ハン征服せいふくにカザン・ハーンの称号しょうごうがあるこの国旗こっき紋章もんしょうとして採用さいようしたためこのりゅう伝承でんしょうぞう後世こうせいまでのこった。ただしロシアふうあらためることとなり「1つのあたま、4つのにわとりあしとり身体しんたい、およびへびうろこ」でジラントをあらわした。 その結果けっかりゅう表現ひょうげん一部いちぶコカトリスのような表現ひょうげんこんじるドラゴンとなった。1730ねん国王こくおうれいは、カザンの紋章もんしょうジラントをなおした。法令ほうれいにより「カザンの金冠きんかんおおわれたしろいフィールドであかつばさをしたくろへび」と説明せつめい。これによりジラントはロシア帝国ていこく紋章もんしょうれられた。

モスクワの紋章もんしょうきよしゲオルギウス

1991ねんのソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかい以後いご、タタールけいが50%以上いじょうむタタールスタン共和きょうわこくとモスクワからひがしに800kmきろめーとるはなれたタタールスタン共和きょうわこく首都しゅとカザン民族みんぞく主義しゅぎ意識いしき高揚こうようした。その結果けっか首都しゅとカザンは「ユラン」(ジラント)を全面ぜんめんてきすこととなった。しかし、モスクワ紋章もんしょうりゅう退治たいじきよしゲオルギウスであり、りゅう退治たいじ紋章もんしょうであることから一部いちぶには反発はんぱつたことも事実じじつである。タタールスタンがわからると、「モスクワに征服せいふくされたカザン」ともれるからである。 しかしモスクワの象徴しょうちょうロマノフあさわしであるのにたいし、タタールの象徴しょうちょうであるカザンはドラゴン象徴しょうちょうとなった。なぜならカザンをまもっているりゅうであることにわりはなく都市としとタタールけい民族みんぞく象徴しょうちょうだからである。このてんはウェールズ民族みんぞく意識いしき象徴しょうちょうであるあかりゅうわりがない。現在げんざいはタタールスタン共和きょうわこく独立どくりつ運動うんどう一応いちおう収束しゅうそくし、タタールスタン共和きょうわこくはロシア連邦れんぽう一員いちいんとなっている。

いまではジラントはカザンのいたるところに銅像どうぞうがあり、市民しみんしたしまれている(地下鉄ちかてつ構内こうない通路つうろ天井てんじょうにもジラントがえがかれている)。

様々さまざまなジラント(ユラン)[編集へんしゅう]

様々さまざま紋章もんしょう(タタールスタン共和きょうわこく[編集へんしゅう]

様々さまざま紋章もんしょう(モスクワしゅう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ キリル文字もじ: Ак Еланイスケ・イムリャ文字もじ英語えいごばん: آق یلان
  2. ^ 発音はつおん[ʃʌhmʌˈrɑ]
  3. ^ キリル文字もじ: Шаһмараイスケ・イムリャ文字もじ英語えいごばん شاهمار
  4. ^ (タタール"Şahmara/Шаһмара". Tatar Encyclopedia. Kazan: Tatarstan Republic Academy of Sciences Institution of the Tatar Encyclopaedia. 2002.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

  • [1](カザンHP、「伝承でんしょうについて」)