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ラグパティ・ヴェンカイアー・ナイドゥ

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ラグパティ・ヴェンカイアー・ナイドゥ
Raghupathi Venkaiah Naidu
Raghupathi Venkaiah Naidu
生年月日せいねんがっぴ (1887-10-15) 1887ねん10月15にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1941-03-15) 1941ねん3月15にち(53さいぼつ
出生しゅっしょう イギリス領インド帝国の旗 イギリスりょうインド帝国ていこく マドラス管区かんくマチリーパトナム
職業しょくぎょう 映画えいが監督かんとく映画えいがプロデューサー
活動かつどう期間きかん 1909ねん - 1929ねん
著名ちょめい家族かぞく ラグパティ・スーリヤ・プラカーシュ・ナイドゥ(息子むすこ
ラグパティ・ヴェンカターラトナム・ナイドゥ英語えいごばんあに
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ラグパティ・ヴェンカイアー・ナイドゥ(Raghupathi Venkaiah Naidu、1887ねん10月15にち - 1941ねん3月15にち)は、インド映画えいが製作せいさくしゃ。「テルグ映画えいがちち」としてひろられている[1][2][脚注きゃくちゅう 1]。ナイドゥはインド映画えいがにおけるサイレント映画えいがトーキー映画えいがのパイオニアであり、1909ねん映画えいが業界ぎょうかいみちすすんで以来いらいインド映画えいがにおける様々さまざま局面きょくめんかかわってきた。マドラスはじめて映画えいがかん建設けんせつし、所有しょゆうしゃとなった。かれ功績こうせきとなえ、テルグ映画えいが関係かんけいしゃ表彰ひょうしょうする特別とくべつ功労賞こうろうしょうとしてラグパティ・ヴェンカイアーしょう創設そうせつされた[4][5]

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陸軍りくぐん将校しょうこうスベダール・アッパイアー・ナイドゥの次男じなんとして、現在げんざいアーンドラ・プラデーシュしゅうマチリーパトナムまれる。あにラグパティ・ヴェンカターラトナム・ナイドゥ英語えいごばん教育きょういくしゃ社会しゃかい活動かつどうとしてられている。かれ先祖せんぞイギリスひがしインド会社かいしゃぐん司令しれいかんつとめ、マドラスぐんテラガ連隊れんたい所属しょぞくしていた。18さいときにマドラスに移住いじゅうし、彫刻ちょうこく製作せいさくして芸術げいじゅつ活動かつどうはじめる。その、ナイドゥは写真しゃしん技術ぎじゅつけ、写真しゃしんスタジオを開設かいせつした[3]

キャリア

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1909ねん音楽おんがく同時どうじ映像えいぞう動作どうさできるプロジェクター「クロノ・メガフォン」をイギリスからせる。「クロノ・メガフォン」の代金だいきん3まんルピーを支払しはらうために、ナイドゥは写真しゃしんスタジオをして代金だいきんあつめた。かれは「クロノ・メガフォン」を使つか短編たんぺん映画えいが製作せいさくし、1910ねんヴィクトリア公会堂こうかいどう英語えいごばん上映じょうえいかいおこなった。映画えいが好評こうひょうとなり、バンガロールヴィジャヤワーダスリランカラングーンバゴーめぐ上映じょうえいかい開催かいさいした[6]。1910ねん上映じょうえいかい開催かいさいするための施設しせつつくり、1912ねんにはマドラスにはつ常設じょうせつ映画えいが劇場げきじょうゲイティ・トーキーズを建設けんせつしてオーナーとなる。そのクラウン・シアターとグローブ・シアターをマドラスに建設けんせつし、これらの劇場げきじょうでは『The Million Dollar Mystery』『Mysteries of Meera』『Clutching Hand』『めいかね』『Raja's Casket』『Peral fish』『Great Bard』などのアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく映画えいがイギリスの映画えいが上映じょうえいされた[6]

1919ねん映画えいが製作せいさく会社かいしゃスター・オブ・イースト・フィルムを設立せつりつする。ナイドゥは長編ちょうへん映画えいが製作せいさく目指めざし、息子むすこラグパティ・スーリヤ・プラカーシュ・ナイドゥをロンドン派遣はけんし、映画えいが製作せいさく技術ぎじゅつまなばせた。スーリヤ・プラカーシュは1923ねんにアメリカじん映画えいが監督かんとくセシル・B・デミルした映画えいが製作せいさくくわわり、かれ映画えいが製作せいさく手法しゅほうまなんだ。ナイドゥはインドにもどったスーリヤ・プラカーシュととも長編ちょうへん映画えいが『Meenakshi Kalyanam 』を製作せいさくし、2人ふたりは『Gajendra Moksham』『Mathsyavatharam』『Nandanaar』などを製作せいさくしたのち、1921ねんはつのテルグサイレント映画えいが『Bhishma Pratigna』を製作せいさくした。また、あらたな映画えいが製作せいさく会社かいしゃギャランティ・ピクチャーズ・コーポレーションを設立せつりつして『Dasavataram』『Kovalam』を製作せいさくするが、これらの作品さくひん興行こうぎょうてき失敗しっぱいし、ナイドゥは莫大ばくだい負債ふさいかかえることになった。1929ねん会社かいしゃぜん権利けんりをスーリヤ・プラカーシュにゆず映画えいが製作せいさくから引退いんたいし、1941ねん死去しきょした[3][6]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ナイドゥが活動かつどうしていた当時とうじはインド映画えいが黎明れいめいであり、言語げんごごとに映画えいが産業さんぎょう細分さいぶんされていなかったため、「みなみインド映画えいがちち」ともばれている[3]

出典しゅってん

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  1. ^ Bharat Janani » Raghupati Venkaiah Naidu: The man who started it all”. 17 August 2013てんオリジナルよりアーカイブ。21 June 2013閲覧えつらん
  2. ^ LIST OF NANDI, NTR And Raghupati Venkayya Awards”. greatandhra.com. 2019ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c Raghupati Venkaiah Naidu: The man who started it all”. Bharat Janani. 17 August 2013てんオリジナルよりアーカイブ。21 June 2013閲覧えつらん
  4. ^ Telugu Cinema Celebrity - Raghupati Venkaiah Naidu”. 2019ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  5. ^ 'Nijam cheppamantara, abaddham cheppamantara... '”. The Hindu. 29 May 2007てんオリジナルよりアーカイブ。23 April 2007閲覧えつらん
  6. ^ a b c Why AP Government named an award after Raghupathi Venkaiah.”. 29 October 2014てんオリジナルよりアーカイブ。29 October 2014閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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