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ラトビア神道しんとう

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角花久留子
ラトビア神道しんとう宗教しゅうきょうてき象徴しょうちょう

ラトビア神道しんとうラトビア:Latviskā dievestība, Latviskā dzīvesziņa, Dievturība)は、ラトビアじん民族みんぞく宗教しゅうきょう。19世紀せいき後半こうはん中興ちゅうこうて1920年代ねんだい制度せいどげた古来こらいのラトビア土着どちゃく民族みんぞく宗教しゅうきょうであり、「ラトビア神道しんとう本庁ほんちょう」(Latvijas Dievturu sadraudze)がその包括ほうかつ宗教しゅうきょう法人ほうじんである。

信仰しんこう[編集へんしゅう]

1199ねんローマ教皇きょうこう主導しゅどうはじまった欧州おうしゅう最後さいご異教いきょうであるバルト文明ぶんめいけんたいする北方ほっぽう十字軍じゅうじぐん[1]表面ひょうめんてきキリスト教きりすときょう支配しはいはいった13世紀せいき以前いぜんから土着どちゃく民族みんぞく宗教しゅうきょう継続けいぞく[2]、19世紀せいきラトビア民族みんぞく啓蒙けいもう運動うんどうに、民俗みんぞく考古学こうこがくてき資料しりょうなどを講究こうきゅうした国学こくがく促進そくしんされ、ラトビア共和きょうわこく建国けんこくおよ戦災せんさい復興ふっこうあいだもなく1920年代ねんだい中興ちゅうこうされ、1927ねん10がつ7にち宗教しゅうきょう法人ほうじんラトビア神道しんとう本庁ほんちょう[いち資料しりょう 1]」(ラトビアLatvijas Dievturu sadraudze)の設立せつりつとも明文化めいぶんかされてきたとしている[いち資料しりょう 2]

神典しんてんとするすうまんへんのラトビア民謡みんよう(Latvju dainas)をはじ民俗みんぞくおさめ、敬神けいしんたかしこころがけ、継承けいしょうされた伝統でんとうかして年中ねんじゅう神事しんじ冠婚葬祭かんこんそうさいときぎょうする性善説せいぜんせつてき生態せいたいけい中心ちゅうしんてき万有ばんゆう内在ないざい交替こうたいしんきょうである。人間にんげん誕生たんじょうとき精神せいしんかいかみ々をつかさど天空てんくうしんからたましい物質ぶっしつかい生滅しょうめつつかさどははしんから肉体にくたい因果律いんがりつ運勢うんせいつかさど運命うんめいしんから定命じょうみょうさずかり、かみ々と主従しゅうじゅう関係かんけいではなく互恵ごけい関係かんけいらし、死亡しぼうとき肉体にくたいははしんへ、卑属ひぞくまれわるたましいはちひゃくまんかみ々のいちはしらとして天空てんくうしんもとかえり、肉体にくたいたましいとをむすんだものがれいとしてかそけに遷りしょうしゃまもることになる[いち資料しりょう 2]という。

いにしえより養蜂ようほうさかんで蜂蜜はちみつ麦酒びーる神酒みきとし、ライ麦らいむぎパンを主食しゅしょくとする農耕のうこう民族みんぞく太陽たいよう崇拝すうはいざした生活せいかつ様式ようしき太陽年たいようねんはち等分とうぶんにし、かく最終さいしゅうたる年中ねんじゅう神事しんじの其々=とししんMetenisをまつ立春りっしゅんさいMeteņi・太陽たいようしんSauleの春分しゅんぶんさいLielā diena・馬屋うまやしんŪsiņšの立夏りっかさいŪsiņi・天福てんぷくしんJānisの夏至げしさいJāņi・ははしんMāraの立秋りっしゅうさいMāras・豊饒ほうじょうしんJumisの秋分しゅうぶんさいApjumības・れいきょうVeļu vakarsをなすれいDievainesにぐ貯畜しんMārtiņšの立冬りっとうさいMārtiņi・天空てんくうしんDievsの冬至とうじさいZiemassvētki・立冬りっとうさいから立春りっしゅんさいまでおこな来訪らいほうしん仮装かそう行事ぎょうじ=をはじめ、命名めいめいしきKrustabas・氏子うじこりIesvētības・結婚式けっこんしきVedības・神葬しんそうさいBedībasの通過つうか儀礼ぎれいおよ各種かくしゅたたえdaudzinājumsをときぎょうする[3]

規模きぼ[編集へんしゅう]

ルアクステネ神社じんじゃ(Lokstenes svētnīca)境内けいだいそらつまみ

2017ねんまつ現在げんざいのラトビア共和きょうわこく法務省ほうむしょう宗教しゅうきょう年鑑ねんかんによると、本国ほんごく登録とうろくされたやっつのキリスト教きりすときょう宗教しゅうきょう法人ほうじんうち最多さいた信徒しんとすうめており[4]、ラトビア全土ぜんどに697にん信者しんじゃ氏子うじこ)、11の信徒しんと集団しゅうだん氏子うじこかい)、9にん指導しどうしゃ神主かんぬし)、11の教会きょうかい神社じんじゃ)をかかえる[5]

13世紀せいきぶりに主権しゅけん国家こっかになってから、ラトビア西部せいぶのDzintariで1930ねん造営ぞうえいされたまえしつ拝殿はいでんぬさ殿どの[6]ソ連それん占領せんりょうちゅうの1979ねんべいウィスコンシンしゅうモンローぐんグラントまちのDievsētaで亡命ぼうめい共同きょうどうたい造営ぞうえいされたスカンダワ神社じんじゃ(Skandava[いち資料しりょう 3])をて、2017ねんけんじ殿しんがりしきむかえた入母屋いりもやづくりひらめにゅうちがや葺のルアクステネ神社じんじゃ(Lokstenes svētnīca)はラトビアの高床たかゆかしき穀倉こくそう建築けんちくから発達はったつして、本国ほんごく独立どくりつ回復かいふくはつ社殿しゃでんとなった[いち資料しりょう 2][いち資料しりょう 4]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Archivum Secretum Vaticanum (1199). Reg.Vat. vol.4, ff.186v-187r, epist.186. Archivum Secretum Vaticanum 
  2. ^ 河添こうぞえ恵子えこ (2018). “日本にっぽんとラトビアをむすぶ「神道しんとう」”. しんしお45 (2018#3) 431: 110-117. 
  3. ^ “ラトビアに神道しんとうあり”. Discover Japan (2017#8) 70: 89-95. (2017). 
  4. ^ Ziņojums par Tieslietu ministrijā iesniegtajiem reliģisko organizāciju pārskatiem par darbību 2017.gadā (Report). Latvijas Republikas Tieslietu ministrija. 2018.
  5. ^ 2017. gada publiskie pārskati - ラトビア法務省ほうむしょう
  6. ^ L. Audzis (1936). “Latviešu svētnīcas”. Labietis (ISSN:0456-9571) 1936#4 4: 219-224. 

いち資料しりょう[編集へんしゅう]

  1. ^ Latvijas Dievturu sadraudze – dažādās valodās / the official title in other languages” (ラトビア). Latvijas Dievturu sadraudze. 2019ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c ウギス・ナステビッチ (2019). “ラトビア神道しんとうとは”. Dievturu Vēstnesis (ISSN:2661-5088) 29: 1402-1405. 
  3. ^ Par Dievsētu” (ラトビア). Dievseta. 2019ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  4. ^ Latvijas Dievturu Sadraudze, Priecīgus svētkus!, https://www.youtube.com/watch?v=cVhzct1nGpk&t=93 2019ねん1がつ28にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]