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ランチア・フルヴィア

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
フルヴィア・ベルリーナ
フルヴィア・クーペ
フルヴィア・ラリー1.6HF
フルヴィア・スポルト・ザガート

フルヴィアFulvia )は、イタリア自動車じどうしゃメーカー・ランチアが1963ねんから76ねんまで製造せいぞう販売はんばいした小型こがた乗用車じょうようしゃである。1600HFモデルのラリーでの活躍かつやくられ、1972ねんにはWRCチャンピオンカーとなった。フィアット傘下さんかはいまえ設計せっけいされた最後さいご純粋じゅんすいランチアであり、その伝統でんとうじない高度こうどなメカニズム、上質じょうしつ工作こうさく水準すいじゅん上品じょうひんなスタイルをっていた。

概要がいよう

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当時とうじ大衆たいしゅうしゃアッピア後継こうけいしゃとして企画きかくされ、設計せっけい上級車じょうきゅうしゃフラヴィア同様どうよう当時とうじのランチアの主任しゅにん設計せっけいしゃで、戦前せんぜんフィアット初代しょだいフィアット・500ダンテ・ジアコーサ共同きょうどう開発かいはつしたアントニオ・フェッシアであった。上級じょうきゅうのアッピアとの共通きょうつうてんはほとんどなく、フラヴィア同様どうよう前輪ぜんりん駆動くどう(FWD)しゃだったが、エンジンはフラヴィアの水平すいへい対向たいこうしきではなく、1920年代ねんだい傑作けっさくしゃラムダ以来いらい伝統でんとうせまかくV4レイアウトをDOHCして採用さいようした。一方いっぽう意外いがいにもこうサスペンションはリーフスプリングによる固定こていしきであった。フラヴィア同様どうよう、ダンロップせい4りんディスクブレーキを装備そうびしていたてん非常ひじょう進歩しんぽてきであった。

歴史れきし

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当初とうしょは「ベルリーナ」とばれた1,091cc59馬力ばりきの、弁当べんとうばこのように真四角ましかくな4ドアセダンかたのみで登場とうじょうしたが、ランチアの伝統でんとうのっとって2つのボディバリエーション、自社じしゃデザインの「クーペ」と、ザガートによる前衛ぜんえいてきな「スポルト」が追加ついかされる。

ベルリーナ 1963ねん登場とうじょう

  • 2C - 71馬力ばりきエンジン搭載とうさい
  • GT - マイナーチェンジをけ1967ねん登場とうじょう。エンジンをクーペとおなじ1,216cc/1,231ccに拡大かくだい
  • GTE - 1968ねんさい改良かいりょう 排気はいきりょうを1,298ccに拡大かくだい
  • 69ねんベルリーナ - ホイールベースを2cm延長えんちょう、インテリア刷新さっしん
  • ベルリーナ5m - 5そくMTギアボックスに変更へんこう最終さいしゅうがたとしてベータ登場とうじょうまで生産せいさんされる。

クーペ 1965ねん登場とうじょう。ベルリーナより15cmみじかいホイールベースと、1,216cc/1,231cc90馬力ばりきエンジンを搭載とうさい

  • クーペHF - 1965ねんまつ登場とうじょうしたラリーバージョン。
  • ラリー1.3HF - クーペHFの改良かいりょうがた。1,298cc101馬力ばりきエンジン。
  • ラリー1.3 - クーペの改良かいりょうがた。1,298cc87馬力ばりき
  • ラリー1.3S - 1,298cc92馬力ばりきばん
  • ラリー1.6HF - 1969ねん登場とうじょうのラリー1.3HFの発展はってんがた。1,584cc115馬力ばりき
  • ラリー1.6HFヴァリアンテ1016 - 最強さいきょうのフルヴィア。1,584cc132馬力ばりき
  • クーペ1.3S - 標準ひょうじゅんがたの1970ねん以降いこうのマイナーチェンジばん。5そくMTギアボックスに変更へんこう。1,298cc90馬力ばりき。1976ねんまで生産せいさんされた最後さいごのフルヴィア。
  • クーペ1600HF - ラリー1.6HFのマイナーチェンジばん。1,584cc114馬力ばりき
  • クーペ1.3Sモンテカルロ - 1972ねんワークスカーのレプリカばん。エンジンは1,298cc90馬力ばりき

スポルト 1967ねん登場とうじょう。ザガートによる前衛ぜんえいてきなアルミニウムせい2シーターボディ 1967ねんのデビュー当初とうしょは1,216cc90馬力ばりき

  • スポルト1.3 - 1,298cc87馬力ばりき改良かいりょうがた。700だい生産せいさん、ボディはスチールせい変更へんこう
  • スポルト1,3S - 1,298cc92馬力ばりきばん
  • スポルト1.3Sシリーズ2 - 1970ねん以降いこうのマイナーチェンジばん。5そくMTギアボックスに変更へんこうくろいフロントグリルになり魅力みりょくうすまる。
  • スポルト1600 - シリーズ2で追加ついかされた1,584cc114馬力ばりきモデル。

高度こうどなメカニズムとすくない生産せいさん規模きぼくわえて、上記じょうきとおりコスト・生産せいさん効率こうりつ部品ぶひん供給きょうきゅうつぎかとおもわれるほど仕様しよう変更へんこうやモデル追加ついかかえした、上級じょうきゅうのフラヴィアとの互換ごかんせいもほとんどないフルヴィアが、当時とうじのランチアにとってもうかる車種しゃしゅであったとはとてもかんがえられない。このためフィアットは1972ねんにはフィアットせいエンジンをベータ投入とうにゅう、クーペよりもきが不振ふしんだったベルリーナをまず廃止はいし翌年よくねんにはベータ・クーペを登場とうじょうさせ、スポルトとクーペ1600HFの生産せいさん終了しゅうりょうした。

ラリー、レース活動かつどう

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1973ねんラリー・サンレモ疾走しっそうするフルヴィアHF(マウロ・プレグラスコしゃ)

[1] フルヴィアでの国際こくさいラリー参戦さんせんげたチェーザレ・フィオリオひきいるセミワークスよりランチアワークスとなったHFスクアドラ・コルセより、ラリー・モンテカルロ過酷かこくサファリRACラリーひとしにも精力せいりょくてき参戦さんせんする。 まず、60年代ねんだい後半こうはんよりHF1.3を投入とうにゅう。 チームにおける歴代れきだいラリーストとしてオヴェ・アンダーソンサンドロ・ムナーリハンヌ・ミッコララウノ・アルトーネンらのドライブによりすうおおくのラリー・ラウンドをり、ラリーにおけるランチアブランドを一気いっきげた。

クーペ1.6HFを投入とうにゅうする1970ねん。このとき、メインストリームはスポーツカーが台頭たいとうするアルピーヌやダットサンが猛威もういるっており、チームの新人しんじんであるムナーリがエースかくそだつにはそこから2ねんつこととなる1972ねん。ムナーリがモンテカルロではつ優勝ゆうしょうげ、ここから、ランチアが世界せかい頂点ちょうてん目指めざすターニングポイントとなっていく。 アルピーヌがボディの軽量けいりょうくわえ、1.8リッターにスープアップしてきていた翌年よくねんのWRC元年がんねん。もはや熾烈しれつきわまってくると1974ねんシーズン後半こうはんからストラトスにスイッチすることになり、最後さいごまでジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランス、タルガ・フローリオひとしのオンロードフィールドでも参戦さんせんさせていたのこったクーペ1.3Sも1976ねん、それにわせストラトスのサポートとしてベータ・クーペ1300と交代こうたいさせていくこととなる。

日本にっぽんにおけるフルヴィア

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フルヴィアは1965ねん以降いこう当時とうじ日本にっぽんそう代理だいりてんであった国際こくさい自動車じどうしゃ商事しょうじつうじてかくモデルが輸入ゆにゅうされた。台数だいすうてきにはすうじゅうだい程度ていどであったが、スポルトのオーナーには作家さっか安部あべ公房こうぼうもあった。1970ねんをもって国際こくさい自動車じどうしゃ商事しょうじはランチアの輸入ゆにゅうから撤退てったいし、1976ねんロイヤル・モータースによってベータ・クーペが輸入ゆにゅうされるまで日本にっぽんではランチアの(正規せいき輸入ゆにゅう途絶とだえた。

復活ふっかつ可能かのうせい

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2003ねんのフルヴィア・プロトタイプ

2003ねんのトリノショーにはフルヴィアとづけられた、往年おうねんのクーペをイメージさせる完成かんせいたかいプロトタイプが展示てんじされ、VWビートルミニのような現代げんだいばん登場とうじょうするかと期待きたいされたが、その市販しはんへのうごきはいようである。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 全体ぜんたいてき三栄書房さんえいしょぼう「ラリー&クラシックス Vol.4 ラリーモンテカルロ 100ねん記憶きおく」より抜粋ばっすい参考さんこう