フィアット

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フィアット
FIAT S.p.A.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち イタリアの旗 イタリア
トリノ
設立せつりつ 1899ねん - トリノ
業種ぎょうしゅ 輸送ゆそうよう機器きき
事業じぎょう内容ないよう 自動車じどうしゃ部品ぶひん生産せいさんシステムの製造せいぞう販売はんばい新聞紙しんぶんし発行はっこう
代表だいひょうしゃ ジョン・エルカーン, 会長かいちょう
オリビエ・フランソワ, CEO
従業じゅうぎょう員数いんずう 214,036 (2012ねん)
主要しゅよう株主かぶぬし ステランティス
関係かんけいする人物じんぶつ ジョヴァンニ・アニェッリ創業そうぎょうしゃ
外部がいぶリンク FIATGROUP
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フィアット: FIAT S.p.A.)は、イタリア自動車じどうしゃメーカーである。現在げんざいは、ステランティス N.V.子会社こがいしゃである。

ジョヴァンニ・アニェッリみぎ)とジャンニ・アニェッリ

社名しゃめいのFIATとはFabbrica Italiana Automobili Torinoの頭文字かしらもじったものである[1]。「トリノのイタリア自動車じどうしゃ製造せいぞうしょ」の意味いみトリノリンゴット地区ちく本拠ほんきょくことから、フィアット本社ほんしゃ工場こうじょうと「リンゴット」はしばしば同義どうぎとされる。

「フィアット、ろくに、うみに、そらに」のスローガンのもと自動車じどうしゃのみならず、自動車じどうしゃ関連かんれんぎょう鉄道てつどう車両しゃりょう[注釈ちゅうしゃく 1]船舶せんぱく航空機こうくうき製造せいぞうなどのイタリアにおける産業さんぎょう分野ぶんや全般ぜんぱん掌握しょうあくし、マスコミュニケーション金融きんゆうとうにも進出しんしゅつしている。

このことから、イタリアのみならずヨーロッパにおいてもおおきな影響えいきょうりょくつ。かつては「フランスルノーっているが、フィアットはイタリアをっている」とまでひょうされた。

イタリア証券しょうけん取引とりひきしょ株式かぶしき上場じょうじょうしている。2007ねんまでニューヨーク証券しょうけん取引とりひきしょ(コード:FIA)にも上場じょうじょうしていた。創業そうぎょうグループの1人ひとりジョヴァンニ・アニェッリアニエッリだい株主かぶぬしとなり代々だいだい経営けいえいおこなっている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

創業そうぎょう[編集へんしゅう]

メフィストフェレ

ジョヴァンニ・アニェッリらイタリア北部ほくぶすうにん実業じつぎょう出資しゅっしによって、1899ねんトリノ創業そうぎょうされた。同年どうねんには最初さいしょ自動車じどうしゃ発売はつばいした。その1902ねんにはアニェッリがフィアットの社長しゃちょうとなった。1908ねんには最初さいしょ航空こうくうようエンジン開発かいはつした。

イタリア最大さいだい自動車じどうしゃ会社かいしゃ[編集へんしゅう]

「トッポリーノ」こと初代しょだい500
2代目だいめ NUOVA 500

だいいち世界せかい大戦たいせんなかにフィアットはイタリア北部ほくぶ工業こうぎょう都市としトリノにある工場こうじょうをフル操業そうぎょうして、連合れんごうこくぐんの1こくであるイタリアぐん軍需ぐんじゅ製品せいひん供給きょうきゅうした。路面ろめん電車でんしゃ航空機こうくうき鉄道てつどう車両しゃりょうトラクターディーゼルエンジンなどの生産せいさん当時とうじ3まんにん以上いじょう労働ろうどうしゃ雇用こようしていた。

だいいち世界せかい大戦たいせんにはミッレミリアなどのレースでも活躍かつやくしたほか、フォーミュラカーレースにも参戦さんせんしてアルファロメオブガッティなどときそった。その「トッポリーノ」こと初代しょだい「500」などのだいヒットモデルをしたほか、高級こうきゅうしゃ部門ぶもんにも進出しんしゅつした。

また国外こくがい進出しんしゅつ意欲いよくてきで、だいいち世界せかい大戦たいせんには日本にっぽんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく満州まんしゅうこくなどへの輸出ゆしゅつ拡大かくだいしたほか、1934ねんにはフランスシムカ設立せつりつさせたほか、ドイツでは1932ねんNSU自動車じどうしゃ部門ぶもん買収ばいしゅうし、「NSUフィアット」とした。

だい世界せかい大戦たいせん前後ぜんこう[編集へんしゅう]

イタリアが1940ねんから参戦さんせんしただい世界せかい大戦たいせんなかは、各種かくしゅ軍用ぐんようしゃ航空機こうくうきなどを生産せいさんしていた。1943ねんイタリアは連合れんごうぐん降伏ごうぶくし、さらにその本社ほんしゃのあるトリノなど北部ほくぶドイツぐん占領せんりょうにおかれたため、生産せいさん停止ていしし、さらに工場こうじょう連合れんごうこく軍機ぐんきばくげきけるなどの損害そんがいこうむった。

だい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせん直後ちょくご1945ねん12月にジョヴァンニ・アニェッリが死去しきょした。そのはヴィットリオ・ヴァレッタが経営けいえいおこなった。イタリアが戦災せんさいから復興ふっこう1950年代ねんだいから1960年代ねんだいにかけて「イタリアの奇跡きせき」とばれる経済けいざい成長せいちょうげ、「アウトストラーダ」の拡張かくちょう自家用車じかようしゃ普及ふきゅうすすなかで「500」(ヌォーヴァ)や「600」などのヒットモデルをおくした。

海外かいがい進出しんしゅつ[編集へんしゅう]

VAZ・2103 ラーダ・ノーヴァ
フィアット・124 ベルリーナ)

なお戦後せんご海外かいがい進出しんしゅつには積極せっきょくてきで、1950ねんスペインセアト現在げんざいフォルクスワーゲングループ)を設立せつりつした。1968ねんにはトルコトファシュ設立せつりつしている。さらにみなみアメリカではアルゼンチン進出しんしゅつした。ほかにも、1970年代ねんだいにはブラジルでも生産せいさんはじめた。

また、イタリアが冷戦れいせんしたにおいて共産党きょうさんとうふく左翼さよく陣営じんえい勢力せいりょくっていたこともあり、西側にしがわ諸国しょこく進出しんしゅつ躊躇ちゅうちょしていた東欧とうおうけんへの進出しんしゅつすすめた。ソビエト連邦れんぽうにプラントを輸出ゆしゅつし、1970ねんアフトヴァースが、もとイタリア共産党きょうさんとう書記しょきちょうパルミーロ・トリアッティかんしたトリヤッチ建設けんせつされた工場こうじょうで「ジグリ(輸出ゆしゅつめい『ラーダ』)」の生産せいさん開始かいしした。

また、1930年代ねんだいから生産せいさんしていたポーランドポルスキ・フィアット)での生産せいさん1965ねんより再開さいかいした。また、ユーゴスラビアザスタバ)にも進出しんしゅつした。

買収ばいしゅう攻勢こうせい[編集へんしゅう]

フェラーリのエンジンを搭載とうさいしたディーノ

1966ねんにヴィットリオ・ヴァレッタから、ジョヴァンニ・アニェッリのまごジャンニ・アニェッリ(ジャンニは愛称あいしょう本名ほんみょう祖父そふおなじジョヴァンニ)が経営けいえいいだ。

ジャンニ・アニェッリが経営けいえいいだ1960年代ねんだい後半こうはんから1980年代ねんだいにかけては、「アウトビアンキ」(1968ねん)や「フェラーリ」(1969ねん)、「アバルト」(1971ねん)のほか、経営けいえい不振ふしんおちいっていた高級こうきゅうしゃメーカーの「ランチア」を1969ねん買収ばいしゅうした。さらに、国営こくえいされて以降いこうだかコスト体制たいせい品質ひんしつ問題もんだいによる販売はんばい不振ふしんから経営けいえい苦境くきょうおちいっていた「アルファロメオ」を1986ねん傘下さんかおさめた。これにより、イタリアの自動車じどうしゃ業界ぎょうかい事実じじつじょう独占どくせんすることになる。

さらに、オートバイおよ小型車こがたしゃメーカーの「ピアッジオ」を1964ねん買収ばいしゅうした。ほかにも、電装でんそう部品ぶひんメーカーの「マニエッティ・マレリ」を1967ねん買収ばいしゅうした。また、商用しょうようしゃ部門ぶもんとして「イヴェコ」を1975ねん創立そうりつした。

経営けいえい不振ふしん[編集へんしゅう]

パンダ
ウーノ
ブラーボ

1974ねんから1978ねんまでフィアットは新型しんがたしゃ発表はっぴょうがなかった。これは、石油せきゆショックや、その前後ぜんご左翼さよく勢力せいりょくによる慢性まんせいてき労働ろうどう争議そうぎにより経営けいえい不安定ふあんていしたため。

しかしリビア元首げんしゅであるカダフィ大佐たいさからの融資ゆうしれた。その1980年代ねんだいはじめに発売はつばいされた、小型車こがたしゃパンダ」と「ウーノ」の成功せいこう窮地きゅうちだっした。これは、イタリアを代表だいひょうするカロッツェリアイタルデザイン創始そうししゃジウジアーロ設計せっけい手掛てがけていた。ほかにも、1988ねんにはエンツォ・フェラーリあとフェラーリ完全かんぜん子会社こがいしゃした。そのさいレイオフ一時いちじ解雇かいこ)された従業じゅうぎょういんもどした。

しかし実際じっさいは、政府せいふ要請ようせい買収ばいしゅうしたアルファロメオの経営けいえいなおしに多額たがく資金しきんついやさざるをなかったことや、労働ろうどう争議そうぎにより経営けいえい状態じょうたい安定あんていせず、イタリア政府せいふによる日本にっぽんしゃ輸入ゆにゅう規制きせいや、レイオフした社員しゃいん政府せいふによる救済きゅうさい機関きかんってもらうなどの措置そちたすけられている状況じょうきょうであった。

1990年代ねんだいは「ブラーボ/ブラーバ」とジョルジェット・ジウジアーロのデザインした初代しょだいプントがヨーロッパでだいヒットし、かろうじてその屋台骨やたいぼねささえたが、その欧州おうしゅう連合れんごう発足ほっそくのイタリアにおける日本にっぽんしゃ輸入ゆにゅう規制きせい撤廃てっぱいによる競争きょうそう激化げきかなどをけて、不安定ふあんてい経営けいえいじょうきょうつづいた。

経営けいえいなお[編集へんしゅう]

クロマ
グランデプント

2000ねんより自動車じどうしゃ部門ぶもんゼネラルモーターズ提携ていけいしていた。だが、2005ねん経営けいえいじょうきょう悪化あっかしたフィアットとの提携ていけいすすめることを躊躇ちゅうちょしたゼネラルモーターズがわ一方いっぽうてき提携ていけい解消かいしょうした。これにより買収ばいしゅう契約けいやくかんする違約いやくきん、15.5おくユーロをゼネラルモーターズからた。

そのは、傘下さんかフェラーリおよびマセラティ経営けいえいなおしたルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ会長かいちょう、およびセルジオ・マルキオンネCEOのもとで、ゼネラルモーターズから違約いやくきん原資げんしに、経営けいえいなおしをはじめた。

そのようなかでもアニェッリ一族いちぞくによる経営けいえい基本きほんにあり、2005ねんにはジャンニ・アニェッリのまごジョン・エルカーンがフィアットの取締役とりしまりやくに、そのおとうとラポ・エルカーンブランドマーケティング担当たんとう部長ぶちょう就任しゅうにんした。このとき過去かこ使用しようしていたロゴマークを復活ふっかつさせ、ロゴをれたアパレルなどを展開てんかいし、世界せかいてきだいヒットさせた。なお、なが歴史れきしつフィアットは、社名しゃめいロゴと車両しゃりょうオーナメントの変更へんこうおおいことでもられている[2]

また、2005ねんには経営けいえいなおしの一環いっかんとして、モンテゼーモロ会長かいちょう指揮しきのもと、相次あいついで3つの新型しんがたしゃ発表はっぴょうしている。ひとつめには、「クロマ」ので、導入どうにゅうたれていたしんDセグメントモデルを発表はっぴょうした。ボディはワゴンふうの5ドアとなっている。ふたつめには、7がつ28にちには「グランデプント」を発表はっぴょうした。これはプントのだい3世代せだいとなる。全長ぜんちょうは4mをえており、「グランデ」ののとおりおおきいサイズだが、それ以上いじょうおおきな命運めいうんがこの車種しゃしゅかっていることがうかがえる。2006ねん1がつにはどうモデルがヨーロッパ市場いちばにおける販売はんばい台数だいすう1になるなど、フィアットなおしのシンボルとなった。

つめには、12月11にち小型こがたクロスオーバーSUV「セディチ(16、4×4=16から)」を発表はっぴょう。これはスズキとの共同きょうどう開発かいはつによるもの。このみっつはいずれもジョルジェット・ジウジアーロとの協力きょうりょくでデザインされたものである。

復活ふっかつ[編集へんしゅう]

ニューパンダ
500

2004ねんにはニューパンダが、ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞じゅしょうした。これは1979ねんのデビュー以来いらい根強ねづよ人気にんきささえられてきたパンダ後継こうけいである。

その2005ねん11月には単月たんげつ黒字くろじ計上けいじょうした。これは積極せっきょくてき新車しんしゃ攻勢こうせいと、ラポ・エルカーンが主導しゅどうするブランドイメージの復活ふっかつけて販売はんばい台数だいすう増加ぞうかしたため。その単月たんげつ黒字くろじ連続れんぞくして達成たっせい。そのにもクロマの予想よそう上回うわまわ販売はんばい台数だいすうほか、グランデプントが2006ねん1がつのヨーロッパ市場いちばにおける販売はんばい台数だいすう1になる。2006ねんだいさん四半期しはんき販売はんばい台数だいすうも、ルノープジョーなどのライバルが前年ぜんねんれになるなか前年ぜんねんぞうになるなど長年ながねん低迷ていめいから完全かんぜん復活ふっかつしたとの評価ひょうかけたと同時どうじみずからも「復活ふっかつ宣言せんげん」をおこなった。

2007ねんにはグランデプントベースのセダン「リネア」、だい失敗しっぱいわったスティーロの後継こうけい車種しゃしゅ「ブラーボ」(これまたかつてのくるまめい復活ふっかつ)、往年おうねんのヒットさくである「500」の新型しんがたをデビューさせ、どう車種しゃしゅヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得かくとくした。さらには「アバルト」ブランドを復活ふっかつした。

クライスラー、マツダとの提携ていけい[編集へんしゅう]

ダッジ・ジャーニー」のフィアットばんである「フリーモント」
マツダ・ロードスター」のフィアットばんである「124スパイダー」

2009ねん1がつには、サーベラス・キャピタル・マネジメント傘下さんか経営けいえい再建さいけん目指めざしているクライスラー資本しほん参加さんかし、35 %の株式かぶしき取得しゅとくする資本しほん提携ていけい合意ごうい発表はっぴょうした。フィアットは、クライスラーきたアメリカ市場いちば燃費ねんぴ性能せいのうたかいコンパクトカーを生産せいさんするための技術ぎじゅつなどを提供ていきょうすると同時どうじに、きたアメリカ市場いちば以外いがいにおけるクライスラーしゃ販売はんばいでも協力きょうりょくすることを表明ひょうめいした。

これをけて「クライスラー・300」が「ランチア・テーマ」として、「ダッジ・ジャーニー」が「フィアット・フリーモント」としてイタリアをはじめとしたヨーロッパ市場いちば販売はんばいされたほか、「500」がアメリカ市場いちば販売はんばいされることになった。

2010ねん4がつ21にち、フィアットは産業さんぎょう機械きかいおよび商用しょうようしゃ部門ぶもん分離ぶんりすると発表はっぴょう[3][4]よく2011ねん1がつ1にちCNHグローバルイヴェコなどを統括とうかつする持株もちかぶ会社かいしゃであるフィアット・インダストリアル設立せつりつされた[5]

2012ねん5がつ23にちマツダ業務ぎょうむ提携ていけい発表はっぴょうマツダ・ロードスターの4代目だいめモデルをベースとした新車しんしゃを、アルファロメオのブランドで販売はんばいする計画けいかく発表はっぴょうした。生産せいさんマツダ担当たんとうする[6]。その、アルファロメオではなくフィアットから124スパイダーとして販売はんばいされることが発表はっぴょうされた。

FCA[編集へんしゅう]

500 C
500X

2014ねん1がつには、クライスラー完全かんぜん子会社こがいしゃすると発表はっぴょう[7]同年どうねん10月12にち合併がっぺいあらたに設立せつりつされた持株もちかぶ会社かいしゃフィアット・クライスラー・オートモービルズ」(FCA)の傘下さんかにフィアットとクライスラー両社りょうしゃかれる企業きぎょう形態けいたいとなり、トヨタ自動車とよたじどうしゃフォルクスワーゲンルノーゼネラルモーターズなどに規模きぼ自動車じどうしゃグループとなった。

よく13にちにはニューヨーク証券しょうけん取引とりひきしょでの取引とりひき開始かいしした[8]。またそのフェラーリをFCAより分社ぶんしゃするとともに上場じょうじょうさせたが、現在げんざいもマルキオンネ会長かいちょうがフェラーリの会長かいちょう兼任けんにんし、マセラティへのエンジン供給きょうきゅうおこなうなど密接みっせつ関係かんけいたもっている。

また上場じょうじょう以降いこうは、アルファロメオアバルトジープなどのこう付加ふか価値かちブランドの車種しゃしゅ展開てんかい積極せっきょくおこなうことで、収益しゅうえき向上こうじょうはかっている。しかしながら、同時どうじにグループない経営けいえい効率こうりつけて、老舗しにせブランドのランチアの展開てんかい縮小しゅくしょうすすめられている。

2018ねん10がつ保有ほゆうするマニエッティ・マレリぜん株式かぶしき投資とうし会社かいしゃKKR買収ばいしゅう目的もくてき会社かいしゃであるCKホールディングス(げんマレリホールディングス)に売却ばいきゃくすることを発表はっぴょうした[9]

車種しゃしゅ一覧いちらん[編集へんしゅう]

500
500e
パンダ

現行げんこう[編集へんしゅう]

旧来きゅうらい[編集へんしゅう]

2代目だいめ 500
(NUOVA 500)
フィアット・X1/9 1974モデル
バルケッタ

事業じぎょう[編集へんしゅう]

企業きぎょうでのライセンス生産せいさん[編集へんしゅう]

モータースポーツ[編集へんしゅう]

131アバルトラリー
プントS2000

フィアットはだいいち世界せかい大戦たいせんより「ミッレミリア」をはじめとするモータースポーツ参戦さんせんしている。また、世界せかいラリー選手権せんしゅけん(WRC)には早期そうきから参戦さんせんしており、1970年代ねんだいはグループ4マシンの「124アバルトラリー」、「131アバルトラリー」で活躍かつやくをした。とくに131アバルトラリーはマニファクチャラーズ部門ぶもんを3、ドライバー部門ぶもんを2制覇せいはしWRCでもっと活躍かつやくしたFRしゃとなった。

1980年代ねんだいからはグループ会社かいしゃランチアのグループBおよびグループA車両しゃりょう参戦さんせんして好成績こうせいせきのこし、とくデルタで6連覇れんぱたした1987ねん1993ねんにかけては常勝じょうしょうともいえる活躍かつやくをしていた。

近年きんねん経営けいえい悪化あっかもあって活動かつどうひそめていたが、スーパー1600規定きていプントJWRC継続けいぞくてき参戦さんせん。2006ねんからスーパー2000規定きてい施行しこうされるといちはやグランデ・プント参戦さんせんし、ヨーロッパラリー選手権せんしゅけん、イタリアラリー選手権せんしゅけん制覇せいはし、アバルトブランドを復活ふっかつさせた。2007ねんからはIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)に参戦さんせん。2007ねんから2009ねんまで6しょうするも、プジョーシュコダはばまれタイトルにはとどかなかった。

現在げんざいは124スパイダーのグループR-GT車両しゃりょうでラリーに参戦さんせんしている。

また2007ねんから2010ねんまでのあいだロードレース世界せかい選手権せんしゅけんMotoGPクラスにおいてヤマハチームのスポンサーとなった。自動車じどうしゃ会社かいしゃ資本しほん関係かんけいのないほか自動車じどうしゃ会社かいしゃのスポンサーとなるケースはトラック業界ぎょうかいF1ひとしのぞくと数少かずすくないが、チームにフィアットと資本しほん関係かんけいのあるフェラーリへの去就きょしゅううわさされていたバレンティーノ・ロッシ選手せんしゅがいたことが関係かんけいしているとられている。最終さいしゅうてきにヤマハへのスポンサーシップを終了しゅうりょうした理由りゆうも、あきらかにはされていないものの、ロッシが翌年よくねんドゥカティ移籍いせきすることになったことおおきな理由りゆうであるとわれている。

業務ぎょうむよう車輌しゃりょう[編集へんしゅう]

フィアットせいのトラクター(25R)

イヴェコ」ブランドなどで生産せいさんされているトラックバス建設けんせつ機械きかいトラクターなどの農業のうぎょう機械きかいなどの事業じぎょう2011ねん分社ぶんしゃされて「フィアット・インダストリアル」となった。

なお、かつてはフィアットは、トラクターメーカーとしてもられていた。1919ねん最初さいしょのトラクター702がた発売はつばい皮切かわきりに、フィアットは農業のうぎょう機械きかい部門ぶもん進出しんしゅつした。 1971ねんランボルギーニグループから、「ランボルギーニ・トラットリーチ」(農業のうぎょう機械きかい部門ぶもん)のぜん株式かぶしき取得しゅとく

1984ねんには農業のうぎょう機械きかい部門ぶもんを「フィアットアグリ」として分社ぶんしゃ1988ねんには建設けんせつ機械きかい部門ぶもん統合とうごうし「フィアットジオテック」と改称かいしょう1991ねんフォード・ニューホランド買収ばいしゅう、「ニューホランド・ジオテック」と改称かいしょうする。

その1999ねんにはケースIH買収ばいしゅうし「CNHグローバル」と改称かいしょうした。現在げんざいでは、CNHグローバルのゆうするケースIH、ニューホランドブランドのトラクターが世界中せかいじゅう発売はつばいされている。

航空機こうくうき[編集へんしゅう]

アエリタリア G.91

かつてフィアットは航空機こうくうきおよ飛行機ひこうきエンジンのメーカーとしてもせていた。とく軍用ぐんよう分野ぶんやでは様々さまざま用途ようと機種きしゅ開発かいはつ生産せいさんしていた。

だいいち世界せかい大戦たいせん、フィアットはポミリオやアンサルドといった小規模しょうきぼ航空機こうくうきメーカーを吸収きゅうしゅうし、1930年代ねんだいにはフィアット CR.32フィアット CR.42といった有名ゆうめい複葉ふくよう戦闘せんとうおくした。だい世界せかい大戦たいせんでは、ダイムラー・ベンツせいのエンジンを搭載とうさいした戦闘せんとうフィアット G.55すぐれたデザインのばくげきフィアット BR.20などをイタリア空軍くうぐん提供ていきょうした。さらに、イタリアぐんけにフィアット レベリM1935じゅう機関きかんじゅうなど機関きかんじゅう製造せいぞうしていた。

1950年代ねんだいNATO加盟かめいこく共通きょうつうけい戦闘せんとう爆撃ばくげき装備そうびする計画けいかくがり、フィアット G.91が設計せっけいされた。その航空機こうくうき開発かいはつ部門ぶもんアエリタリア設立せつりつするためにアエルフェールと合併がっぺいした。G.91の生産せいさんもアエリタリアがいだため、アエリタリア G.91ばれている。

新聞しんぶんしゃ[編集へんしゅう]

トリノ有力ゆうりょくラ・スタンパ (La Stampa)」などの各種かくしゅマスコミもフィアットグループにぞくする。また、ジョン・エルカーン取締とりしまりかいのメンバーをつとめる「コリエーレ・デラ・セラ」も影響えいきょうにあるとされる。

サッカークラブ[編集へんしゅう]

イタリアサッカー1リーグセリエA強豪きょうごうユヴェントスは、フィアットのオーナー一族いちぞくであるアニエッリ設立せつりつし、現在げんざい同家どうけがオーナーとしてその資金しきん運営うんえいにおいてバックアップしている。そのため、ユヴェントスの選手せんしゅたちはフィアットグループのくるまっている。現在げんざいむねスポンサーはステランティス傘下さんかのブランド「ジープ」。

日本にっぽんでの歴史れきし[編集へんしゅう]

1990年代ねんだいまで[編集へんしゅう]

1910ねん12月、日本人にっぽんじんによる日本にっぽん国内こくないでの飛行機ひこうきはつ飛行ひこう成功せいこう[10]よく1911ねん5がつには米国べいこくじんのJ.C.マースが飛行機ひこうきと、大倉おおくら喜七郎きしちろうのフィアット(100馬力ばりき)のスピード・レースが川崎かわさき競馬けいばじょうはやくもひらかれた。大倉おおくらはマースの飛行機ひこうきった[11]

だいいち世界せかい大戦たいせんより日本にっぽんへの乗用車じょうようしゃ輸出ゆしゅつはじめ、大倉おおくら喜七郎きしちろうひきいる日本にっぽん自動車じどうしゃや、ヤナセ正規せいき輸入ゆにゅう販売はんばい代理だいりてんとなり「509トルペード」や「1500ベルリーナ」などの中型ちゅうがたしゃ販売はんばいしていた。その1930年代ねんだいはいると満州まんしゅうこくへの輸出ゆしゅつおこなっていた。1938ねん昭和しょうわ13ねん)には大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんしきじゅう爆撃ばくげき輸入ゆにゅうして使用しようしていた。

だい世界せかい大戦たいせんこう乗用車じょうようしゃ輸入ゆにゅうおこなわれていたが、いくつかの変遷へんせんて1980年代ねんだいはいると、ジヤクス・カーセールスチェッカーモータース、サミットモータース(住友商事すみともしょうじ)が正規せいき輸入ゆにゅう販売はんばい代理だいりてんとなり、フィアットのみならず、「アバルト」ブランドの車種しゃしゅ輸入ゆにゅう販売はんばいされた。

なおアルファロメオの輸入ゆにゅう販売はんばいは、イタリア本社ほんしゃ民営みんえいなど様々さまざま要素ようそから正規せいき輸入ゆにゅう販売はんばい代理だいりてんわり、そのなか1980年代ねんだい中盤ちゅうばんには日本にっぽん国内こくないでの正規せいき輸入ゆにゅう販売はんばい代理だいりてんがなくなり、輸入ゆにゅう販売はんばい中断ちゅうだんすることとなった。しかし1988ねん大沢おおさわ商会しょうかい正規せいき輸入ゆにゅう販売はんばい代理だいりてんとなったことで輸入ゆにゅう販売はんばい再開さいかいされた。

フィアットとアルファロメオ、ランチア[編集へんしゅう]

フィアットオートジャパンが運営うんえいする「アルファロメオ新宿しんじゅくパーク」(現在げんざい閉店へいてんみ)
きゅうアレーゼ中川なかがわげん:フィアット/アバルト中川なかがわ

1990年代ねんだい以降いこう地場じば資本しほん企業きぎょうによる輸入ゆにゅう販売はんばいをやめ、当時とうじ欧米おうべい自動車じどうしゃ会社かいしゃでも積極せっきょくてきおこなわれていたように自社じしゃ日本にっぽん法人ほうじん設立せつりつして、自前じまえでの輸入ゆにゅう販売はんばいへのえをすすめた。

1990ねん4がつより、フィアットグループオートモービルズは日本にっぽん法人ほうじん「アルファロメオジャパン」を設立せつりつ、アルファロメオしゃ販売はんばいするディーラーあみアレーゼ」の整備せいびはじめた。同年どうねん11がつにはアレーゼにおいてフィアットしゃあつかいも開始かいしし、社名しゃめいを「フィアットアンドアルファロメオモータースジャパン」へと改称かいしょうした。

さらに1997ねんの「フィアットオートジャパン」への改称かいしょうて、2007ねん8がつより「フィアットグループオートモービルズジャパン」として、フィアット、アルファロメオおよびアバルト・ブランドしゃ輸入ゆにゅう販売はんばいおこなっている。ディーラーもう名称めいしょうは、2003ねん以降いこうアレーゼから「アルファロメオ」へと変更へんこうされ、さらに「フィアット」「アバルト」が追加ついかされている。

1998ねんまではマツダ系列けいれつの「オートザム」でもあつかわれていた、ランチア正規せいき輸入ゆにゅう現在げんざいおこなわれていないが、ガレーヂ伊太利屋いたりや並行へいこう輸入ゆにゅう販売はんばいおこなっている。

クライスラー日本にっぽんとの統合とうごう[編集へんしゅう]

2012ねん7がつ1にちに、「フィアットグループオートモービルズジャパン」はクライスラーの日本にっぽん法人ほうじんでもあり、「メルセデス・ベンツ日本めるせですべんつにほん[注釈ちゅうしゃく 2]子会社こがいしゃでもあった「クライスラー日本にっぽん」と業務ぎょうむ統合とうごうし「フィアットクライスラージャパン(FCJ)」を発足ほっそくさせた[12][リンク]

なお、「フィアット・クライスラージャパン」は法人ほうじん名称めいしょうではなく、登記とうきじょう別々べつべつ存続そんぞくしていた「フィアットグループオートモービルズジャパン」と「クライスラー日本にっぽん」を一括いっかつした呼称こしょうとしていた。そして2015ねん1がつ1にち、「フィアットグループオートモービルズジャパン」と「クライスラー日本にっぽん」のりょう法人ほうじん正式せいしき合併がっぺいし、社名しゃめいを「FCAジャパン株式会社かぶしきがいしゃ」(FCA Japan Ltd.、略称りゃくしょう:FCAJ)に変更へんこう[13]

販売はんばいもうさい編成へんせい[編集へんしゅう]

2016ねんからは、フィアット・クライスラーのそれぞれの部門ぶもんで、正規せいきディーラーもうさい編成へんせいおこなわれている。2016ねん4がつ1にちに、全国ぜんこくの「クライスラー・ジープ」てん名称めいしょうを「ジープ(+地名ちめい)」に変更へんこう同年どうねん10がつよりしんCIによる統一とういつ店舗てんぽデザインが導入どうにゅうされる[14]

2016ねん7がつ1にちから、フィアット正規せいきディーラーでアバルトブランド全車ぜんしゃあつかおよびサポートを開始かいしわせて、ディーラーめいをフィアット/アバルト(+地名ちめい)に変更へんこうした[15]。2017ねんより、アルファロメオをしんCIの専売せんばい店舗てんぽ販売はんばいする体制たいせい開始かいし[16]。アルファロメオの販売はんばいをフィアット/アバルトとの併売へいばい体制たいせいからはな専売せんばいせいへと移行いこうする。2018ねんより、フィアット/アバルト販売はんばいてんにもしんCIによる統一とういつ店舗てんぽデザインが導入どうにゅうされる。

フェラーリとマセラティ[編集へんしゅう]

フェラーリマセラティは、長年ながねん正規せいき輸入ゆにゅう販売はんばい代理だいりてん経由けいゆしての輸入ゆにゅう販売はんばいおこなわれていたが、おなじく日本にっぽん法人ほうじんによる輸入ゆにゅう販売はんばいえられた。現在げんざいフェラーリは2008ねん設立せつりつされた日本にっぽん法人ほうじんのフェラーリ・ジャパンが輸入ゆにゅうし、「コーンズ・モーターズ」や「ロッソ・スクーデリア」など8しゃ正規せいき販売はんばい代理だいりてん販売はんばいしている。マセラティは2010ねん4がつ設立せつりつされた日本にっぽん法人ほうじんのマセラティ・ジャパンが輸入ゆにゅうし、全国ぜんこく正規せいき販売はんばい代理だいりてん販売はんばいおこなっている。

ニューホランドとケースIH[編集へんしゅう]

かつてはクボタがフィアットブランドのトラクターを輸入ゆにゅうしていたが、現在げんざい傘下さんかの「ニューホランド」と「ケースIH」のトラクターが、日本にっぽん法人ほうじん日本にっぽんニューホランドおよび三菱農機みつびしのうきによって輸入ゆにゅうされている。

日本にっぽん法人ほうじんさい統合とうごう[編集へんしゅう]

2022ねん1がつに、FCAジャパンとGroupe PSA Japan合併がっぺいさせ日本にっぽん法人ほうじん統一とういつすることが発表はっぴょうされた[17]存続そんぞく会社かいしゃはFCAジャパンとなる。

2022ねん3がつ1にちに、りょう法人ほうじん合併がっぺい社名しゃめいを「Stellantisジャパン株式会社かぶしきがいしゃ」とし、日本にっぽんにおけるステランティス経営けいえい完全かんぜん統合とうごうされた。本社ほんしゃ機能きのうきゅうFCAジャパンがわかれる[18]。なお、マセラティ・ジャパンは統合とうごう対象たいしょうがいとなり、それぞれ現状げんじょうのまま独立どくりつ会社かいしゃとして運営うんえいされる。

その[編集へんしゅう]

  • イタリアのマイアーニしゃから「フィアット」というチョコレート販売はんばいされている。1911ねんに、新車しんしゃ「タイプ4」の宣伝せんでん使つかうためマイアーニしゃ制作せいさく依頼いらいしたのが誕生たんじょうのきっかけ[19]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 鉄道てつどう車両しゃりょう部門ぶもんFIAT Ferroviariaは2000ねんアルストム・トランスポールしゃ買収ばいしゅうされた。
  2. ^ ダイムラーとクライスラーの協業きょうぎょう解消かいしょうされたものの、日本にっぽんでは小規模しょうきぼながらもメルセデス・ベンツ日本めるせですべんつにほんがクライスラー日本にっぽん経営けいえいたずさわっていたことから

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ カーグラフィック』2013ねん5がつごうのぼるぶるトリノ フィアット・グループのいま」より
  2. ^ ロゴとオーナメントの変遷へんせん
  3. ^ フィアット、自動車じどうしゃ部門ぶもん産業さんぎょう機械きかい商用しょうようしゃ部門ぶもん分離ぶんり”. ロイター (2010ねん4がつ23にち). 2013ねん7がつ13にち閲覧えつらん
  4. ^ 大矢おおやアキオ (2010ねん4がつ23にち). “フィアットがトラック&トラクター部門ぶもん分離ぶんり”. Response.. 2013ねん7がつ13にち閲覧えつらん
  5. ^ FIAT Industrial - FAQs The Group”. フィアット・インダストリアル. 2013ねん7がつ13にち閲覧えつらん
  6. ^ マツダ、フィアットと協業きょうぎょうプログラムを発表はっぴょう (PDF) - 2012ねん5がつ23にち マツダ株式会社かぶしきがいしゃ フィアットグループオートモービルズ
  7. ^ フィアット、クライスラーを統合とうごう ホンダちょう世界せかい 朝日新聞あさひしんぶん 2014ねん1がつ2にち
  8. ^ 新生しんせいフィアット・クライスラー、13にちにNY市場いちば上場じょうじょう - THE WALL STREET JOURNAL 2014ねん10がつ10日とおか
  9. ^ “カルソニックカンセイの親会社おやがいしゃ、マニエッティ・マレリを買収ばいしゅう合意ごうい世界せかい7独立どくりつけい自動車じどうしゃ部品ぶひんメーカーが誕生たんじょう. Response. (2018ねん10がつ22にち). https://response.jp/article/2018/10/22/315306.html 
  10. ^ だい1しょう 日本人にっぽんじんはつ飛行ひこう”. 国立こくりつ国会こっかい図書館としょかん. 2024ねん2がつ12にち閲覧えつらん
  11. ^ 決定けっていばん 昭和しょうわ だい3かん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1984ねん8がつ30にち、138ぺーじ
  12. ^ 「フィアット クライスラー ジャパン」が7がつ1にちより始動しどう 7がつ9にちより本社ほんしゃ機能きのう統合とうごう移転いてん
  13. ^ 「FCAジャパン株式会社かぶしきがいしゃ」2015ねん1がつ1にち誕生たんじょう! - FCAジャパン 2015ねん1がつ1にち
  14. ^ ジープのしんCIを導入どうにゅうするだいいちごうてん「ジープ福岡ふくおか西にし」グランドオープン - FCAジャパン 2016ねん9がつ23にち
  15. ^ フィアット正規せいきディーラーにてアバルトの販売はんばい開始かいし - FCAジャパン 2016ねん6がつ30にち
  16. ^ アルファロメオ専売せんばい正規せいきディーラーもう全国ぜんこく構築こうちく - FCAジャパン 2016ねん10がつ14にち
  17. ^ FCAジャパンとGroupe PSA Japanが統合とうごう ステランティスジャパン設立せつりつ アルファ ロメオのSUV「トナーレ」など2022ねんは13モデル導入どうにゅう - Car Watch 2022ねん1がつ18にち(2022ねん1がつ20日はつか閲覧えつらん
  18. ^ Stellantisジャパン誕生たんじょう 個性こせいゆたかな8のブランドを1法人ほうじんした統合とうごう - Stellantisジャパン 2022ねん3がつ1にち(2022ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  19. ^ 参考さんこうリンク

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • リンゴット - フィアットのかつての生産せいさん拠点きょてん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]