メルセデス・ベンツ (独 どく : Mercedes-Benz [注釈 ちゅうしゃく 1] )[6] [7] は、ドイツ を拠点 きょてん とする乗用車 じょうようしゃ ・商用 しょうよう 車 しゃ ブランドである。単 たん にメルセデス (Mercedes )またはベンツ (Benz )としても知 し られる。メルセデス・ベンツAG (Mercedes-Benz AG)(2019年 ねん に設立 せつりつ されたメルセデス・ベンツ・グループ の子会社 こがいしゃ )は、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州 しゅう シュトゥットガルト に本社 ほんしゃ を置 お き、ダイムラー・トラック はシュトゥットガルト 近郊 きんこう のラインフェルデン=エヒターディンゲン に本社 ほんしゃ を置 お く。
乗用車 じょうようしゃ ・小型 こがた 商用 しょうよう 車 しゃ 部門 ぶもん のメルセデス・ベンツ・スプリンター 部門 ぶもん はメルセデス・ベンツ・グループ AGの子会社 こがいしゃ であるのに対 たい し、ダイムラー・トラック は商用 しょうよう 車 しゃ メーカーである。
スリーポインテッド・スター
W223型 がた Sクラス
「メルセデス」は、1899年 ねん 当時 とうじ にダイムラー車 しゃ のディーラー を経営 けいえい していたオーストリア=ハンガリー帝国 ていこく の領事 りょうじ でユダヤ系 けい ドイツ人 じん 富豪 ふごう エミール・イェリネック (英語 えいご 版 ばん ) の娘 むすめ メルセデス・イェリネック の名 な である。イェリネックは自 みずか らが販売 はんばい する自動車 じどうしゃ に、音節 おんせつ が硬 かた い「ダイムラー」を避 さ けて当時 とうじ 流行 りゅうこう していたスペイン 風 ふう の響 ひび きを持 も つ名 な を冠 かん した[注釈 ちゅうしゃく 2] 。この「メルセデス」ブランド は広 ひろ く知 し られ、ダイムラーは1902年 ねん に「メルセデス」を商標 しょうひょう 登録 とうろく した。1926年 ねん に、共 とも にほとんど同 どう 時期 じき に設立 せつりつ された世界 せかい 最古 さいこ の自動車 じどうしゃ 会社 かいしゃ であるベンツ& Cie. ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク(1883年 ねん - 1926年 ねん )とダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト(1890年 ねん - 1926年 ねん )両社 りょうしゃ が合併 がっぺい して「メルセデス・ベンツ」となる。以降 いこう 社名 しゃめい はダイムラー・ベンツ (1926年 ねん - 1998年 ねん )、ダイムラー・クライスラー(1998年 ねん - 2007年 ねん )、ダイムラー(2007年 ねん - 2022年 ねん )、メルセデス・ベンツ・グループ ならびダイムラー・トラック と変更 へんこう したがブランド名 めい は変更 へんこう していない。現在 げんざい はシュトゥットガルト を拠点 きょてん に乗用車 じょうようしゃ と小型 こがた 商用 しょうよう 車 しゃ を製造 せいぞう し、商用 しょうよう 車 しゃ メーカーはラインフェルデン=エヒターディンゲン を拠点 きょてん として「メルセデス・ベンツ」車 くるま を販売 はんばい している。
ベルリン・テーゲル空港 くうこう のタクシー 乗 の り場 ば
日本 にっぽん では、かつて総 そう 輸入 ゆにゅう 販売 はんばい を手掛 てが けたヤナセ の営業 えいぎょう や宣伝 せんでん の手法 しゅほう などから高級 こうきゅう 乗用車 じょうようしゃ メーカーとして知 し られるが、欧州 おうしゅう などでは比較的 ひかくてき 安価 あんか な車種 しゃしゅ も多 おお く製造 せいぞう している。乗用車 じょうようしゃ のほかにバン 、タクシー 、大型 おおがた バス 、トラック 、ダンプカー 、営業 えいぎょう 車 しゃ 、商用 しょうよう 車 しゃ 、作業 さぎょう 車 しゃ 、救急 きゅうきゅう 車 しゃ 、特殊 とくしゅ 車両 しゃりょう 、軍用 ぐんよう 車両 しゃりょう など広範 こうはん な種別 しゅべつ の自動車 じどうしゃ を扱 あつか い、かつては通勤 つうきん 電車 でんしゃ などの鉄道 てつどう 車両 しゃりょう もグループ内 ない で製造 せいぞう するなど、欧米 おうべい ではボルボ やルノー などと共 とも に総合 そうごう 車両 しゃりょう メーカーとして認知 にんち されている。
Sクラス をはじめとした高級 こうきゅう セダン やSUV は、高額 こうがく 所得 しょとく 者 しゃ 、政治 せいじ 家 か 、セレブリティ が嗜好 しこう するなど肯定 こうてい 的 てき な印象 いんしょう があるとして知 し られる一方 いっぽう で、暴力団 ぼうりょくだん [8] などの威圧 いあつ 的 てき な人間 にんげん が乗 の る車 くるま [9] 、成金 なりきん 趣味 しゅみ の象徴 しょうちょう でビバリーヒルズの歯医者 はいしゃ の車 くるま [10] 、古今 ここん 東西 とうざい の独裁 どくさい 者 しゃ 達 いたる の愛車 あいしゃ [11] [12] 、など否定 ひてい 的 てき な印象 いんしょう も存在 そんざい する。冷戦 れいせん 時代 じだい は外交 がいこう 官 かん の公用 こうよう 車 しゃ としても普及 ふきゅう し[10] 、西側 にしがわ 陣営 じんえい の自動車 じどうしゃ 会社 かいしゃ にもかかわらず東側 ひがしがわ 諸国 しょこく の外交 がいこう 官 かん が利用 りよう することも多 おお く「ペルソナ・ノン・グラータ 向 む けの車 くるま 」と揶揄 やゆ されることもあった。
カー・アンド・ドライバー 誌 し が国道 こくどう 246号 ごう の青山 あおやま 通 どお り で定期 ていき 定点 ていてん 観測 かんそく している車種 しゃしゅ 別 べつ 通行 つうこう ランキングで、トヨタなど日本 にっぽん の大衆 たいしゅう 車 しゃ よりも多 おお く、社用 しゃよう 車 しゃ としての登録 とうろく が多 おお いEクラス が1位 い の常連 じょうれん で、登録 とうろく 、使用 しよう 本拠 ほんきょ の地域 ちいき 的 てき 偏在 へんざい も大 おお きい。
商用 しょうよう 車 しゃ 、営業 えいぎょう 車 しゃ 、多目的 たもくてき 車 しゃ [ 編集 へんしゅう ]
路線 ろせん バス O407
バスやバン、特殊 とくしゅ 車両 しゃりょう なども含 ふく めた商用 しょうよう 車 しゃ の主 おも な市場 いちば は、ヨーロッパ のほか、中東 ちゅうとう 、アジア 、ラテンアメリカ 諸国 しょこく などである。商用 しょうよう バン・スプリンター や、ミニバン であるVクラス の商用 しょうよう 版 ばん Vitoは様々 さまざま な仕様 しよう が存在 そんざい しヨーロッパ各地 かくち で使用 しよう されているほか、北 きた アメリカ では、スプリンターがバッジエンジニアリング を受 う け、クライスラー から「ダッジ ・スプリンター」として販売 はんばい されている例 れい がある。
フランス のルノー からはカングー を基 もと にした小型 こがた 商用 しょうよう 車 しゃ を「シタン 」の名 な でOEM 供給 きょうきゅう されている。
韓国 かんこく の双竜 そうりゅう 自動車 じどうしゃ は技術 ぎじゅつ 供与 きょうよ を受 う けて商用 しょうよう バンMB100を基 もと にイスタナ を生産 せいさん し、MB100と共 とも に東南 とうなん アジア圏 けん などで広 ひろ く利用 りよう されている。日本 にっぽん ではダイムラー・トラック 子会社 こがいしゃ のバスなどを三菱 みつびし ふそうトラック・バス が販売 はんばい 、多目的 たもくてき 商用 しょうよう 自動車 じどうしゃ であるウニモグ をワイ・エンジニアリング が販売 はんばい している。
エンジンやトランスミッション を他社 たしゃ へ供給 きょうきゅう し、かつてはポルシェ やジャガー に自社 じしゃ 製 せい のAT を供給 きょうきゅう した。日本 にっぽん で加藤 かとう 製作所 せいさくしょ などの重機 じゅうき メーカーでメルセデス製 せい ディーゼルエンジン を搭載 とうさい した製品 せいひん があり、日産自動車 にっさんじどうしゃ もインフィニティ ブランドの一部 いちぶ 車種 しゃしゅ にメルセデス製 せい エンジンを搭載 とうさい した。近年 きんねん は子会社 こがいしゃ のメルセデスAMG もパガーニ 、アストンマーティン 、ロータス に自社 じしゃ 製 せい のエンジンを供給 きょうきゅう している。
社 しゃ 史 し はダイムラー・ベンツ 、ダイムラー に詳述 しょうじゅつ がある。
1886年 ねん にドイツの技術 ぎじゅつ 者 しゃ 、カール・ベンツ によって創設 そうせつ された世界 せかい 最古 さいこ の自動車 じどうしゃ メーカーの1つで、1886年 ねん に世界 せかい 初 はつ の自動車 じどうしゃ として初 はつ の特許 とっきょ を取得 しゅとく した。当時 とうじ は自動車 じどうしゃ の有用 ゆうよう 性 せい に気 き が付 つ く者 もの はなく「交通 こうつう の主役 しゅやく である馬 うま を怖 こわ がらせる邪魔 じゃま 者 しゃ 」であった。
妻 つま のベルタ・ベンツ は、夫 おっと の発明 はつめい を世間 せけん に認 みと めてほしいと考 かんが え、1888年 ねん 8月 がつ 5日 にち に、夫 おっと が寝 ね ている間 あいだ に2人 ふたり の息子 むすこ と車 くるま に乗 の りマンハイム の町 まち を出発 しゅっぱつ した。当時 とうじ の道 みち は舗装 ほそう されておらず、空気 くうき タイヤもまだ自転車 じてんしゃ 用 よう が発明 はつめい されたばかりでその過酷 かこく さは余 あま りあるものだった。ガソリンスタンド もなく、薬局 やっきょく でシミ抜 ぬ き用 よう のベンジン を購入 こうにゅう してそれを給油 きゅうゆ しながら旅 たび を続 つづ けた。やがて陽 ひ の暮 く れる頃 ころ 、106km離 はな れたプフォルツハイム の町 まち に到着 とうちゃく する。車 くるま の回 まわ りに人々 ひとびと が集 あつ まり、ベルタたちに賞賛 しょうさん の声 こえ を送 おく った。この時 とき の速度 そくど (距離 きょり と時間 じかん )は、当時 とうじ の馬車 ばしゃ なら10頭 とう 以上 いじょう の馬 うま を乗 の り換 か えなければならないほどのもので、この成功 せいこう により夫 おっと の発明 はつめい は知 し られるようになり、妻 つま は世界 せかい 初 はつ の女性 じょせい ドライバーとして自動車 じどうしゃ 長距離 ちょうきょり 旅行 りょこう の歴史 れきし に名 な を残 のこ すことになる。
1920年代 ねんだい より当時 とうじ ヨーロッパで盛 さか んになっていたモータースポーツに積極 せっきょく 的 てき に参戦 さんせん し、数々 かずかず の好成績 こうせいせき を収 おさ めその名声 めいせい を確固 かっこ たるものにした。
1926年 ねん にベンツとほとんど同 どう 時期 じき にゴットリープ・ダイムラー が創設 そうせつ したダイムラーと合併 がっぺい した。
ナチスへの協力 きょうりょく [ 編集 へんしゅう ]
770でパレードするアドルフ・ヒトラー
国家 こっか 社会 しゃかい 主義 しゅぎ ドイツ労働 ろうどう 者 しゃ 党 とう の党首 とうしゅ にしてドイツ の指導 しどう 者 しゃ であったアドルフ・ヒトラー は、政権 せいけん 獲得 かくとく 後 ご の1933年 ねん 2月 がつ 11日 にち 、国際 こくさい ベルリンモーターショー における開会 かいかい 宣言 せんげん で新 しん 時代 じだい の交通 こうつう 機関 きかん である自動車 じどうしゃ と自動車 じどうしゃ 道路 どうろ の建設 けんせつ に注目 ちゅうもく し、モータリゼーション を加速 かそく することが国家 こっか の防衛 ぼうえい 力 りょく を高 たか めることになると説 と いた。これ以降 いこう 政府 せいふ は自動車 じどうしゃ 税 ぜい の撤廃 てっぱい 、アウトバーン 建設 けんせつ 、国有 こくゆう 鉄道 てつどう にトラック輸送 ゆそう 部門 ぶもん の新設 しんせつ 等 とう の政策 せいさく を打 う ち出 だ した。そのヒトラーの愛車 あいしゃ はメルセデスベンツの770K だった[13] 。
ナチスは党内 とうない に国家 こっか 社会 しゃかい 主義 しゅぎ 自動車 じどうしゃ 軍団 ぐんだん (NSKK) を設 もう け、運転 うんてん 技能 ぎのう 者 しゃ 育成 いくせい を始 はじ める。ベンツは運転 うんてん 教官 きょうかん の派遣 はけん 、教習 きょうしゅう 車 しゃ の無償 むしょう 提供 ていきょう 、国家 こっか 社会 しゃかい 主義 しゅぎ ドイツ労働 ろうどう 者 しゃ 党 とう 機関 きかん への役員 やくいん の派遣 はけん 等 とう で積極 せっきょく 的 てき に対応 たいおう し、国家 こっか 社会 しゃかい 主義 しゅぎ ドイツ労働 ろうどう 者 しゃ 党 とう の強力 きょうりょく なバックアップにより、グランプリ ・レース、ル・マン24時 じ 間 あいだ やミッレミリア などのレースで同 おな じくバックアップを受 う けるアウトウニオン などとともに活躍 かつやく した。
1935年 ねん のドイツ再 さい 軍備 ぐんび 宣言 せんげん 以降 いこう のドイツの軍備 ぐんび 拡張 かくちょう を支 ささ える企業 きぎょう として、戦闘 せんとう 機 き のエンジンや軍用 ぐんよう 車両 しゃりょう などの生産 せいさん を行 おこ なった。1939年 ねん 9月 がつ に勃発 ぼっぱつ した第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう は軍需 ぐんじゅ 生産 せいさん に集中 しゅうちゅう して、連合 れんごう 軍 ぐん の爆 ばく 撃 げき の標的 ひょうてき になるなどして、ドイツの敗戦 はいせん までの約 やく 6年間 ねんかん に壊滅 かいめつ 的 てき な損害 そんがい を受 う ける。大戦 たいせん 中 ちゅう にユダヤ人 じん や連合 れんごう 軍 ぐん の捕虜 ほりょ を大量 たいりょう に強制 きょうせい 労働 ろうどう 者 しゃ として使用 しよう したことから、戦後 せんご 多額 たがく の賠償金 ばいしょうきん を支払 しはら うことになった。
300SL
Mクラスを改造 かいぞう したパパモビル (謁見 えっけん 用 よう 教皇 きょうこう 車 しゃ )に乗 の るベネディクト16世 せい
1950年代 ねんだい 以降 いこう のドイツ経済 けいざい の回復 かいふく に合 あ わせるように、有名 ゆうめい な300SL や、ミッレミリア やル・マン24時 じ 間 あいだ レース で大 だい 活躍 かつやく した300SLR などの数々 かずかず の名車 めいしゃ を送 おく り出 だ す。
1960年代 ねんだい 後半 こうはん に発売 はつばい されたグロッサーベンツの再来 さいらい でもあるW100 、ミディアム・クラス 、1971年 ねん にデビューした3代目 だいめ メルセデス・ベンツ・SLクラス [14] 、「サッコプレート」で知 し られるブルーノ・サッコ デザインのW124 [15] 、ドイツヘルムート・コール 首相 しゅしょう の専用 せんよう 車 しゃ W126 [16] 、アメリカのCAFE 対策 たいさく で生 う まれたW201 [17] など世界 せかい の高級 こうきゅう 車 しゃ 市場 いちば で広 ひろ く知 し られる。
これらのモデルのシートは世界 せかい でも唯一 ゆいいつ の高 こう 品質 ひんしつ で凝 こ った構造 こうぞう と評 ひょう され、非常 ひじょう に快適 かいてき なことで知 し られる。下 した からコイルスプリング、網状 もうじょう のスプリング(Sばね)、ウレタン製 せい ダンパー、シュロ毛 げ と馬 うま 毛 げ で作 つく られた通気 つうき 性 せい の良 よ いクッション、ウール製 せい の表皮 ひょうひ (ベロア、ファブリック)で構成 こうせい され、十分 じゅうぶん なサイズと調整 ちょうせい 機能 きのう (電動 でんどう 調整 ちょうせい 式 しき が多 おお い)があり、滑 すべ らず疲 つか れにくく、耐久 たいきゅう 性 せい も著 いちじる しく高 たか かった[注釈 ちゅうしゃく 3] 。
1980年 ねん 以降 いこう 、オプション装備 そうび としてのエアバッグ 設定 せってい で先行 せんこう するなど、自動車 じどうしゃ の安全 あんぜん 向上 こうじょう に関 かか わる実績 じっせき がある。ジグザグ形状 けいじょう のゲート式 しき ATシフトレバー(現在 げんざい 特許 とっきょ が切 き れて、多 おお くの自動車 じどうしゃ メーカーにより模倣 もほう されている)、衝撃 しょうげき 吸収 きゅうしゅう 三叉 みつまた 式 しき 構造 こうぞう ボディ、シートベルトテンショナー、レインランネル(雨水 あまみず を窓 まど に流 なが さないボディ構造 こうぞう )、凹凸 おうとつ のあるテールランプ、衝突 しょうとつ 時 じ に体 からだ を守 まも るステアリングコラムとブレーキペダル、横滑 よこすべ り防止 ぼうし 装置 そうち 、グリップ式 しき ドアハンドル、本体 ほんたい 強度 きょうど ・取 と り付 つ け強度 きょうど 共 とも に高 たか い独自 どくじ のシート、伸縮 しんしゅく しながら窓 まど を拭 ふ くワイパー 、2速 そく 発進 はっしん および2速 そく 後退 こうたい 機能 きのう つきAT、安全 あんぜん 性 せい を徹底 てってい 追求 ついきゅう したシャシ、アウトバーンにおける高速度 こうそくど での事故 じこ に対応 たいおう した車体 しゃたい 剛性 ごうせい など。
2010年 ねん 以降 いこう に順次 じゅんじ 発売 はつばい されているメルセデス・ベンツ各 かく 車種 しゃしゅ は、ライトスイッチから「OFF」が廃止 はいし されており、「ON」と「AUTO」(自動 じどう 点灯 てんとう )の選択 せんたく のみになっている。これは、夜間 やかん の点 てん け忘 わす れおよびトンネル内 ない や夕暮 ゆうぐ れ時 じ 、悪天候 あくてんこう 時 じ などの無 む 灯火 ともしび 走行 そうこう を、ドライバーではなく、車 くるま の側 がわ で確実 かくじつ に防止 ぼうし するという、メルセデス・ベンツ流 りゅう の思想 しそう に基 もと づく安全 あんぜん 設計 せっけい である。
他社 たしゃ への影響 えいきょう [ 編集 へんしゅう ]
4代目 だいめ Sクラス(W220)
メルセデス・ベンツが他社 たしゃ に先 さき んじて採用 さいよう したデザインや装備 そうび が、他社 たしゃ に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えていることがある。一 いち 例 れい として、1998年 ねん に4代目 だいめ Sクラス が世界 せかい 初 はつ 採用 さいよう したドアミラー内蔵 ないぞう 式 しき の側面 そくめん 方向 ほうこう 指示 しじ 器 き は、世 よ に出 で るや否 いな や世界中 せかいじゅう のメーカーが追随 ついずい および模倣 もほう しており、2022年 ねん 現在 げんざい は多数 たすう の車種 しゃしゅ が標準 ひょうじゅん 装備 そうび するに至 いた っている。この装備 そうび に関 かん しては「安全 あんぜん 性 せい の向上 こうじょう に寄与 きよ し得 え る」との調査 ちょうさ 結果 けっか がある[18] 。
コストダウンと品質 ひんしつ の改善 かいぜん [ 編集 へんしゅう ]
かつてメルセデス・ベンツは有名 ゆうめい な「最善 さいぜん か無 む か (Das Beste oder nichts. )」の企業 きぎょう スローガンのもと、「全 すべ ての形 かたち に理由 りゆう がある」と言 い われるほどの質実 しつじつ 剛健 ごうけん さ[要 よう 出典 しゅってん ] を持 も ち、妥協 だきょう 無 な き車 くるま 造 づく りを目指 めざ していた。しかしその結果 けっか としての高 こう コスト体質 たいしつ ・製品 せいひん の高 こう 価格 かかく 化 か も事実 じじつ であり、1990年代 ねんだい 中盤 ちゅうばん 以降 いこう の自動車 じどうしゃ 産業 さんぎょう を取 と り巻 ま く環境 かんきょう の変化 へんか (特 とく にグローバリゼーション の進行 しんこう )を前 まえ に、同社 どうしゃ も生 い き残 のこ りのため利益 りえき 率 りつ 向上 こうじょう や経費 けいひ 削減 さくげん を目指 めざ すことになった。
一方 いっぽう で品質 ひんしつ や性能 せいのう 疑問 ぎもん 視 し される製品 せいひん を販売 はんばい し出 だ した。
アラバマ・メルセデスと呼 よ ばれたMクラス
特 とく に1997年 ねん に発売 はつばい されたメルセデス・ベンツとして初 はつ のアメリカ工場 こうじょう (アラバマ州 しゅう )で生産 せいさん されたMクラス は、その低 てい 品質 ひんしつ で「アラバマ・メルセデス 」と酷評 こくひょう され、全 ぜん 世界 せかい におけるブランド イメージを大 おお きく落 お とす結果 けっか になった。4代目 だいめ Sクラス(W220 )および2代目 だいめ Eクラス(W210 )、3代目 だいめ Cクラス(W203 )が登場 とうじょう した際 さい 、古 ふる くからのメルセデス・ユーザーが代替 だいたい した直後 ちょくご 、乗 の り味 あじ や質感 しつかん に強 つよ いギャップを感 かん じ、早々 そうそう に手放 てばな し、代 か わりにそれぞれの先代 せんだい モデル(Sクラス:W140 、Eクラス:W124 、Cクラス:W202 )やそれらの時代 じだい から作 つく り続 つづ けられていたR129型 がた SLクラス やW463型 がた Gクラス やCクラスをベースにしていたCLKクラス やSLKクラス を求 もと める事態 じたい すら発生 はっせい した。これらにより、1990年代 ねんだい 後半 こうはん に「最善 さいぜん か無 む か(Das Beste oder nichts. )」の理念 りねん のもとに製造 せいぞう された過去 かこ の車種 しゃしゅ が、一時 いちじ 的 てき に中古 ちゅうこ 車 しゃ 市場 いちば で品薄 しなうす となり、装備 そうび や程度 ていど の良 よ い車 くるま が新車 しんしゃ よりも高値 たかね となる事例 じれい も発生 はっせい した。
これらの問題 もんだい に対 たい してメルセデス・ベンツは、各 かく 車種 しゃしゅ のイヤーモデルごとに品質 ひんしつ の改善 かいぜん を進 すす め、1999年 ねん デビューの後期 こうき 型 がた Eクラス(W210)の品質 ひんしつ 改善 かいぜん 、2002年 ねん の後期 こうき 型 がた Sクラスの品質 ひんしつ 改善 かいぜん や2000年代 ねんだい 以降 いこう のモデルであるEクラスやSLクラス、SLKクラスなどでの初期 しょき 設計 せっけい からの品質 ひんしつ 改善 かいぜん などを進 すす めた。
しかしEクラスやSLクラスで採用 さいよう されたセンソトロニック ブレーキは誤動作 ごどうさ が多 おお く国内外 こくないがい で数 すう 度 ど のリコールとなり、長年 ながねん トップクラスであったEクラスの販売 はんばい はその後 ご 低迷 ていめい し現在 げんざい に至 いた っている。
2005年 ねん 以降 いこう のイヤーモデルでは、SクラスのW221の発売 はつばい や最 さい 販車種 しゅ であるEクラスの各種 かくしゅ リコールによる問題 もんだい 部分 ぶぶん の改善 かいぜん が進 すす み、2010年代 ねんだい 中盤 ちゅうばん に入 はい ると、各 かく モデルの品質 ひんしつ や信頼 しんらい 性 せい は高 たか くなっている。
シート構造 こうぞう は従前 じゅうぜん のヤシ (シュロ)のクッション+金属 きんぞく ばね(以前 いぜん のコイルばね、その後 ご のSばね)を、現在 げんざい では一般 いっぱん 的 てき な発泡 はっぽう ウレタンに変更 へんこう しており、経費 けいひ 削減 さくげん と評 ひょう されることもある。ただしホールディング能力 のうりょく や、プリテンショナー 付 つ きシートベルトとの親和 しんわ 性 せい が高 たか い点 てん など、衝突 しょうとつ を含 ふく めた安全 あんぜん 性 せい では新 しん 世代 せだい シートが勝 まさ るともいわれる。
現在 げんざい はメルセデス・ベンツも再 ふたた び「最善 さいぜん か無 む か(Das Beste oder nichts. )」のスローガンを使 つか い、かつての理念 りねん の復活 ふっかつ を訴 うった えている[19] 。2015年 ねん 頃 ごろ より日本 にっぽん 国内 こくない の公式 こうしき ホームページおよびテレビCMでも、同 おな じ意味 いみ の英語 えいご 「The best or nothing」を使 つか い始 はじ めている。
初代 しょだい Aクラス
1997年 ねん に登場 とうじょう したメルセデス・ベンツ・Aクラス を使 つか い、スウェーデン の自動車 じどうしゃ 雑誌 ざっし 「テクニケンス・ヴァルト」(Teknikens Värld)がエルクテスト(ヘラジカ が突然 とつぜん 進路 しんろ 上 じょう に現 あらわ れたときそれを素早 すばや く回避 かいひ するという設定 せってい で行 おこな う運転 うんてん 操作 そうさ )を実施 じっし したところ、横転 おうてん してしまい「メルセデス・ベンツにあるまじき失態 しったい 」と世界中 せかいじゅう のメディア で報 ほう じられることになった。その後 ご 、メルセデス・ベンツは発売 はつばい した全 すべ てのAクラスをリコールし、サスペンションの再 さい 調整 ちょうせい やESP を装着 そうちゃく するなどの改修 かいしゅう を実施 じっし したものの、この事件 じけん が世界中 せかいじゅう で取 と り上 あ げられたことと、同 どう 時期 じき に発売 はつばい されたMクラス、W210型 がた Eクラス、W220型 がた Sクラスが設計 せっけい の悪 わる さと低 てい 品質 ひんしつ で酷評 こくひょう されたことで著 いちじる しく評価 ひょうか を下 さ げることになった。
2004年 ねん から2005年 ねん にかけて発生 はっせい した、ボッシュ 製 せい SBC(センソトロニック・ブレーキ・コントロール)の2度 ど に渡 わた るリコールは、主力 しゅりょく 車種 しゃしゅ であるEクラス と、看板 かんばん 車種 しゃしゅ のSLクラスで発生 はっせい し、ベンツにとっては大 おお きな痛手 いたで となり、経営 けいえい を極度 きょくど に悪化 あっか させる原因 げんいん になった。
このSBCは雨天 うてん 時 じ などの走行 そうこう でブレーキディスクが濡 ぬ れ、通常 つうじょう であれば制動 せいどう 力 りょく を損 そん じてしまうようなケースでも意図 いと 的 てき にブレーキパッドをブレーキローターに僅 わず かに接触 せっしょく させ、摩擦 まさつ 熱 ねつ でディスクを乾 かわ かしたり(鉄道 てつどう 車両 しゃりょう では、「耐 たい 雪 ゆき ブレーキ 」などで以前 いぜん から使 つか われている制御 せいぎょ )、アクセルペダルを放 はな した瞬間 しゅんかん 、ブレーキングにそなえてブレーキパッドをブレーキローターに接触 せっしょく 寸前 すんぜん まで近 ちか づけ、タイムラグを短縮 たんしゅく するなど、ブレーキの応答 おうとう 性 せい と能力 のうりょく を高 たか めるものであるが、そのセイフティープロセスの要 よう であるセンサ 類 るい やコネクタ 類 るい の不具合 ふぐあい によりSBCが作動 さどう せず、前輪 ぜんりん 2輪 りん のみに利 き き通常 つうじょう の約 やく 5倍 ばい の踏力を必要 ひつよう とする「バックアップモード」に入 はい るというものであった[20] 。
2005年 ねん 8月 がつ 以降 いこう に発売 はつばい されたEクラス 、SLクラスでは、各種 かくしゅ リコール対応 たいおう により充分 じゅうぶん な信頼 しんらい 性 せい の確保 かくほ が行 おこな われたが、マイナーチェンジ後 ご はこの装備 そうび がなくなっている。この年 とし のアメリカでの信頼 しんらい 性 せい 調査 ちょうさ でメルセデス・ベンツは37ブランド中 ちゅう 29位 い 、ジャーマン・オートモービル・グラブの顧客 こきゃく 満足 まんぞく 度 ど 調査 ちょうさ では、33ブランドのなかで最下位 さいかい になった。
2007年 ねん 11月、ダイムラー は子会社 こがいしゃ だった三菱 みつびし ふそうトラック・バス が持 も つハイブリッド技術 ぎじゅつ を流用 りゅうよう したディーゼル・トラックを、2008年 ねん 中 ちゅう を目処 めど に同社 どうしゃ のメルセデス・ベンツ ブランドから発売 はつばい するとの計画 けいかく を発表 はっぴょう した(『産経新聞 さんけいしんぶん 』2007年 ねん 11月12日 にち )。
2009年 ねん に、メルセデス・ベンツの乗用車 じょうようしゃ としては初 はつ のハイブリッドカー である「S400 Hybrid」(W221) が追加 ついか された。このモデルはマイルド・ハイブリッド(ガソリンエンジン+モーター)であり、リチウムイオン二 に 次 じ 電池 でんち を搭載 とうさい した世界 せかい 初 はつ の量産 りょうさん 車 しゃ である。Sクラスのハイブリッド仕様 しよう は、次 つぎ のモデルであるW222 にも継続 けいぞく され、ガソリンエンジン+モーターの「S400h」だけでなく、ディーゼルエンジン +モーターの「S300h」も追加 ついか された。これらのモデルは日本 にっぽん 市場 いちば にも逐一 ちくいち 導入 どうにゅう されており、特 とく にS300hについては、当時 とうじ はクラス唯一 ゆいいつ のディーゼルエンジン搭載 とうさい モデルであった。
2012年 ねん からはEクラス にもハイブリッドカーが追加 ついか された。3.5Lガソリンエンジン +モーターの「E400 Hybrid」、ディーゼルエンジン +モーターの「E300 BlueTEC Hybrid」である。「E400 Hybrid」は市場 いちば を限定 げんてい し、日 にち ・米 べい ・中 なか の3カ国 かこく のみに導入 どうにゅう された。それに対 たい し「E300 BlueTEC Hybrid」はヨーロッパ のみならず世界 せかい 市場 いちば に展開 てんかい されたものの、日本 にっぽん 市場 いちば へは導入 どうにゅう されなかった。
プラグインハイブリッドカー は、CクラスとGLCクラス、Sクラスにそれぞれ「C350e」「GLC350e 」「S550e」として設定 せってい しており、日本 にっぽん へも導入 どうにゅう している。その結果 けっか 、メルセデス・ベンツは2016年 ねん 時点 じてん において、日本 にっぽん で「ガソリン・ハイブリッド」「ディーゼル・ハイブリッド」「プラグイン・ハイブリッド」という3種類 しゅるい ものハイブリッドカーを同時 どうじ にラインアップする、唯一 ゆいいつ の自動車 じどうしゃ ブランドとなっていた[21] [22] [23] 。2018年 ねん 現在 げんざい 、S300h・S400hともにモデル廃止 はいし となっており、新 あら たに直列 ちょくれつ 6気筒 きとう ガソリンエンジンに48Vマイルドハイブリッド を組 く み合 あ わせた「S450」が新規 しんき 導入 どうにゅう されている。450系 けい は2018年 ねん にモデルチェンジしたCLSクラスにも設定 せってい されており「CLS450」としてSクラスと同一 どういつ のパワートレインが供給 きょうきゅう されている。
2019年 ねん 9月 がつ 2日 にち 、Cクラスに新 あら たにプラグインハイブリッドとして「C350e」を新 しん 設定 せってい している。
エンブレムとシルバーアロー [ 編集 へんしゅう ]
Sクラス(W222 )の 「スリーポインテッド・スター」
メルセデス・ベンツの車体 しゃたい に装着 そうちゃく されるエンブレムは、合併 がっぺい 前 まえ のダイムラー社 しゃ が使用 しよう していたスリーポインテッド・スター とベンツ社 しゃ の円形 えんけい 月桂冠 げっけいかん とを組 く み合 あ わせてデザインされたもので、3点 てん はそれぞれ「陸 りく ・海 うみ ・空 そら 」の各 かく 分野 ぶんや において、ダイムラーベンツ社 しゃ の繁栄 はんえい を祈願 きがん する意味 いみ が込 こ められている。
メルセデス・ベンツのセダン、クーペ、オープンカーでは、銀色 ぎんいろ のボティカラーの人気 にんき が高 たか い。理由 りゆう のひとつとしてあげられるのが「シルバー・アロー 」の逸話 いつわ である。1934年 ねん - 1937年 ねん のグラン・エプルーブ(現在 げんざい のF1世界 せかい 選手権 せんしゅけん に相当 そうとう )、グランプリ・レースは、後 のち に「750kgフォーミュラ」と呼 よ ばれることとなる、車 くるま 重 じゅう を750kg以下 いか とするレギュレーションで実施 じっし されていた。1934年 ねん のニュルブルクリンクにおけるアイフェル・レンネン (アイフェルレース)前夜 ぜんや 、車 くるま 重 じゅう 規定 きてい をわずか1kgオーバーしてしまったメルセデス・チーム(監督 かんとく はアルフレート・ノイバウアー )は、苦肉 くにく の策 さく としてボディの純白 じゅんぱく の塗装 とそう をすべて剥 は がすことを決断 けつだん する。一 いち 晩 ばん かかって塗装 とそう を落 お としたアルミむき出 だ しの銀色 ぎんいろ のボディに、直接 ちょくせつ ゼッケンを貼 は り付 づ けてレースに参戦 さんせん 。そしてこの車 くるま を駆 か るマンフレート・フォン・ブラウヒッチュが優勝 ゆうしょう を果 は たした。以降 いこう 、メルセデス・ベンツのレーシングカーは銀色 ぎんいろ がトレードマークとなって「シルバー・アロー」の愛称 あいしょう で呼 よ ばれるようになり、モータースポーツ におけるドイツのナショナルカラー も、それまでの白色 はくしょく から銀色 ぎんいろ に変更 へんこう された。同 どう 時期 じき に活躍 かつやく したアウトウニオン も同様 どうよう に銀 ぎん の塗装 とそう で「シルバー・フィッシュ」と呼 よ ばれ、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん が勃発 ぼっぱつ する1939年 ねん まで、シルバー・アローとシルバー・フィッシュのドイツ勢 ぜい がグランプリ界 かい を席巻 せっけん していた。
新 しん 規則 きそく による車 くるま 名 めい 変更 へんこう (2015年 ねん - )[ 編集 へんしゅう ]
2014年 ねん 、近年 きんねん の車種 しゃしゅ 拡充 かくじゅう にともない車 しゃ 名 めい が複雑 ふくざつ になっていることから、メルセデスベンツは車種 しゃしゅ の新 あたら しい命名 めいめい 方法 ほうほう を発表 はっぴょう した[24] 。
これにより、2015年 ねん からこの命名 めいめい 方法 ほうほう に基 もと づき、一部 いちぶ 車種 しゃしゅ の車 くるま 名 めい が順次 じゅんじ 変更 へんこう される。
既存 きそん のクラスである「A」「B」「C」「E」「S」をコアにし、その頭 あたま にSUVを意味 いみ する「GL」やロードスターを意味 いみ する「SL」、またはクーペの「CL」をつけ、各 かく モデルバリエーションとする。そのため、SLK はSLC となり(3代目 だいめ SLクラス に存在 そんざい した4シータークーペと同 おな じ名称 めいしょう になる)、「ML」はGLE 、「GL」はGLS と順次 じゅんじ 変更 へんこう される。これでSUVやロードスターでも明確 めいかく にクラスがわかるようになる。CLA やGLAクラス は、すでに新 あたら しい命名 めいめい 方法 ほうほう に準 じゅん じた車 くるま 名 めい となっており、変更 へんこう はない。CLS はEクラス・ベースの車種 しゃしゅ だが、「EクラスとSクラスの中間 ちゅうかん に位置 いち する4ドアクーペ」として名称 めいしょう 変更 へんこう はない。
加 くわ えて、パワートレインの種類 しゅるい により、数字 すうじ の最後 さいご にそれを表 あらわ すアルファベットが付 つ くことなり、圧縮 あっしゅく 天然 てんねん ガス車 しゃ は「c」、ディーゼル車 しゃ は「d」、電気 でんき 自動車 じどうしゃ は「e」、燃料 ねんりょう 電池 でんち 車 しゃ は「f」、ハイブリッドカー は「h」となる、四 よん 輪 りん 駆動 くどう 車 しゃ モデルは今 いま まで通 とお り「4MATIC」のサブネームが付 つ く。
基幹 きかん モデル
セダン・ワゴン・コンパクト
2ドアクーペ・カブリオレ
4ドアクーペ
ロードスター
クロスカントリー・SUV
G
S
SL
GLS(GL)
E
CLS
GLE(ML)
C
SLC(SLK)
GLC(GLK)
B
CLA
GLB
A
GLA
黄色 おうしょく の車種 しゃしゅ が車 くるま 名 めい 変更 へんこう された車種 しゃしゅ 。括弧 かっこ 内 ない は旧 きゅう 車 くるま 名 めい
日本 にっぽん における販売 はんばい [ 編集 へんしゅう ]
メルセデス・ベンツ日本 めるせですべんつにほん が入居 にゅうきょ する品川 しながわ シーサイドフォレスト
日本 にっぽん において、販売 はんばい 台数 だいすう は日本 にっぽん 自動車 じどうしゃ 販売 はんばい 協会 きょうかい 連合 れんごう 会 かい 2017年 ねん 集計 しゅうけい で68,215台 だい 、輸入 ゆにゅう 車 しゃ 新規 しんき 登録 とうろく 台数 だいすう は市場 いちば 占有 せんゆう 率 りつ で1位 い 、日本 にっぽん 自動車 じどうしゃ 輸入 ゆにゅう 組合 くみあい 2016年 ねん 集計 しゅうけい の外国 がいこく メーカー車 しゃ モデル別 べつ 順位 じゅんい は、Cクラス が16,560台 だい で3位 い 、Eクラス が13,262台 だい で4位 い 、CLA が7,430台 だい で12位 い 、GLC が5,579台 だい で15位 い 、Aクラス が5,396台 だい で17位 い 、GLA が3,997台 だい で20位 い である。
ブランドの知名度 ちめいど を上 あ げるため、日本 にっぽん 国内 こくない 限定 げんてい のアンテナショップ 「メルセデス・ミー (旧 きゅう 名称 めいしょう :メルセデス・ベンツコネクション)」の運営 うんえい も行 おこ なっている。
かつて正規 せいき ディーラー を担 にな ったヤナセ [注釈 ちゅうしゃく 4] と、1990年代 ねんだい 以降 いこう に整備 せいび されたシュテルングループ(現 げん メルセデス・ベンツ店 てん )が正規 せいき 販売 はんばい 代理 だいり 店 てん である。
シュテルングループの販売 はんばい 店 てん は、バブル景気 けいき 末期 まっき の1980年代 ねんだい 後半 こうはん から1990年代 ねんだい 前半 ぜんはん にかけて一部 いちぶ の三菱 みつびし ギャラン店 てん で販売 はんばい されたことから三菱 みつびし 系 けい ディーラーのほかに、トヨタ や日産 にっさん など日本 にっぽん 車 しゃ ディーラーが経営 けいえい するところもある。
並行輸入 へいこうゆにゅう はいくつかの輸入 ゆにゅう 業者 ぎょうしゃ が扱 あつか い、正規 せいき 輸入 ゆにゅう ディーラーにない車種 しゃしゅ やオプションの組 く み合 あ わせなども可能 かのう である。ドイツ本国 ほんごく 仕様 しよう 、英国 えいこく 仕様 しよう 、北米 ほくべい 仕様 しよう 、UAE仕様 しよう など、仕向 しむけ 地 ち も出処 しゅっしょ も様々 さまざま である。
メルセデスオーナーの満足 まんぞく 度 ど 向上 こうじょう とメルセデス車 しゃ の耐久 たいきゅう 性 せい 例示 れいじ を目的 もくてき に、走行 そうこう 距離 きょり が10万 まん km きろめーとる 、20万 まん km きろめーとる 、30万 まん km きろめーとる 、50万 まん km きろめーとる 、100万 まん km きろめーとる を超 こ えた時 とき 、または、10年 ねん 、15年 ねん 、20年 ねん 、25年 ねん 、30年 ねん を超 こ えた時 とき はオーナーの申告 しんこく により、それぞれ赤 あか 、青 あお 、黒 くろ 、ゴールドの記念 きねん エンブレムと証明 しょうめい 書 しょ がメルセデス本社 ほんしゃ より交付 こうふ される。2000年 ねん ころを機 き に一 いち 度 ど 消滅 しょうめつ したが近年 きんねん 復活 ふっかつ している。
メルセデス・ケア
正規 せいき 販売 はんばい 店 てん で新車 しんしゃ を購入 こうにゅう した場合 ばあい 、3年間 ねんかん の無料 むりょう 保証 ほしょう と故障 こしょう や事故 じこ 時 じ に「24時 じ 間 あいだ ツーリングサポート」を提供 ていきょう する。1998年 ねん 4月 がつ から、AMGとGクラスは6月 がつ 以降 いこう 、日本 にっぽん でも開始 かいし された。
一般 いっぱん 的 てき な故障 こしょう のほかにワイパーブレード、オイル、ブレーキパッド、ブレーキディスクなど一部 いちぶ の消耗 しょうもう 品 ひん も無料 むりょう 交換 こうかん の対象 たいしょう で、車検 しゃけん 整備 せいび にかかる費用 ひよう 及 およ び車検 しゃけん 取得 しゅとく に必要 ひつよう な諸 しょ 費用 ひよう は含 ふく まれない。
欧米 おうべい 出荷 しゅっか モデルと日本 にっぽん モデルとの違 ちが い
欧米 おうべい の正規 せいき 代理 だいり 店 てん で購入 こうにゅう できる車種 しゃしゅ と日本 にっぽん 国内 こくない の正規 せいき 代理 だいり 店 てん から購入 こうにゅう できる車種 しゃしゅ は、販売 はんばい 戦略 せんりゃく や電波 でんぱ 法 ほう などの関連 かんれん 法規 ほうき により装備 そうび や内装 ないそう などに相違 そうい がみられる。安全 あんぜん 装備 そうび とは関連 かんれん がない部分 ぶぶん だが、過去 かこ 、ナンバープレート取 と り付 つ けの部分 ぶぶん が欧米 おうべい 仕様 しよう のままの横長 よこなが で、日本 にっぽん のナンバープレートの比率 ひりつ と合 あ っていない状態 じょうたい が、90年代 ねんだい 中盤 ちゅうばん まで続 つづ いた。
中古 ちゅうこ 車 しゃ 市場 いちば
広 ひろ く販売 はんばい されており新車 しんしゃ 売価 ばいか に比 ひ して廉価 れんか であるが、現行 げんこう モデルは売価 ばいか の下落 げらく は大 おお きくない。
商用 しょうよう 車 しゃ
正規 せいき 輸入 ゆにゅう ディーラー としてコマツ 、シュテルン およびその他 た ディーラーでの取 と り扱 あつか いが行 おこな われていたが、ダイムラー・クライスラー(現 げん :ダイムラー・トラック )と三菱 みつびし ふそうトラック・バス との関係 かんけい の強化 きょうか に伴 ともな い、2006年 ねん までに日本 にっぽん における輸入 ゆにゅう 販売 はんばい 事業 じぎょう から撤退 てったい した。
バス
STS北 きた 燈 とう (青森 あおもり 県 けん 上北 かみきた 郡 ぐん 野辺地 のへじ 町 まち )が導入 どうにゅう したO303RHD
神奈川中央交通 かながわちゅうおうこうつう が導入 どうにゅう したO530(シターロG)
ウェスタン自動車 じどうしゃ (メルセデス・ベンツ日本 めるせですべんつにほん 総 そう 代理 だいり 店 てん )によって1985年 ねん に輸入 ゆにゅう され、1986年 ねん に宮城野 みやぎの 観光 かんこう バス に導入 どうにゅう されたものが最初 さいしょ である。その後 ご 、日 ひ の丸 まる 自動車 じどうしゃ 興業 こうぎょう や岐阜 ぎふ バス などで導入 どうにゅう された。
当初 とうしょ はほとんどが貸切 かしきり バスとしての導入 どうにゅう であるが、当時 とうじ の日本 にっぽん 急行 きゅうこう バス は名神 めいしん ハイウェイバス名古屋 なごや - 神戸 こうべ 線 せん を中心 ちゅうしん に「ベンツ特急 とっきゅう 」と銘打 めいう って昼 ひる 行 ぎょう 高速 こうそく バス へ投入 とうにゅう した。
1993年 ねん に西日本鉄道 にしにっぽんてつどう などへ導入 どうにゅう された2台 だい を最後 さいご に新車 しんしゃ の輸入 ゆにゅう は途絶 とだ えていたが、2006年 ねん に東京 とうきょう 都内 とない の新規 しんき 貸切 かしきり バス事業 じぎょう 者 しゃ 亜希 あき プロ が、イギリスで使用 しよう されていたスーパーハイデッカー「トゥーロ 」の中古 ちゅうこ 車 しゃ を2台 だい 輸入 ゆにゅう し、のちに1台 だい が日 ひ の丸 まる 自動車 じどうしゃ グループ に売却 ばいきゃく されている。
路線 ろせん バス車両 しゃりょう は、大阪 おおさか 市 し 交通 こうつう 局 きょく が「赤 あか バス 」と通称 つうしょう される小型 こがた コミュニティバスにメルセデス・ベンツ・スプリンター(T1N)を13台 だい 導入 どうにゅう した事例 じれい が最初 さいしょ である。2007年 ねん 末 まつ に神奈川中央交通 かながわちゅうおうこうつう が連 れん 節 ぶし バスのメルセデス・ベンツ・シターロ を導入 どうにゅう している。
多目的 たもくてき 商用 しょうよう 自動車 じどうしゃ
様々 さまざま な特殊 とくしゅ パーツを装備 そうび できるウニモグと超 ちょう 低 てい 床 ゆか トラックであるメルセデス・ベンツ・エコニック を、ワイ・エンジニアリングが販売 はんばい している。
乗用車 じょうようしゃ (現行 げんこう モデル)[ 編集 へんしゅう ]
メルセデスAMG GT R (2017年 ねん )
メルセデス・ベンツのチューニング 部門 ぶもん であり、メルセデス・ベンツの上級 じょうきゅう 高性能 こうせいのう モデルやスポーティーなパーツに冠 かん されるブランド でもある。工場 こうじょう はドイツのアファルターパッハ (Affalterbach ) に位置 いち する。元 もと は独立 どくりつ したチューナーであるAMG だったが、1999年 ねん にダイムラー・クライスラーに吸収 きゅうしゅう され、2014年 ねん から「メルセデスAMG」(Mercedes-AMG ) としてメルセデス・ベンツ のサブブランドとされている。「究極 きゅうきょく のハイパフォーマンスを追求 ついきゅう するモデル」と位置付 いちづ けられている[25] 。
メルセデス・マイバッハ Sクラス
かつてドイツの高級 こうきゅう 車 しゃ メーカーとして存在 そんざい し、2002年 ねん から2012年 ねん にかけてメルセデス・ベンツ・ブランドから独立 どくりつ した最 さい 高級 こうきゅう 車 しゃ として製造 せいぞう 販売 はんばい されていたマイバッハ は、2015年 ねん に「メルセデス・マイバッハ」(Mercedes-Maybach ) としてサブブランド化 か されている。こちらは上記 じょうき メルセデスAMGとは対照 たいしょう 的 てき に「究極 きゅうきょく のエクスクルーシブ」と銘打 めいう たれている[25] 。
小型 こがた 商用 しょうよう 車 しゃ [ 編集 へんしゅう ]
商用 しょうよう 車 しゃ (ダイムラー・トラック)[ 編集 へんしゅう ]
ウニモグ U4000
アクトロス
OM441LA
バンコク
大量 たいりょう 輸送 ゆそう 公社 こうしゃ (
BMTA )
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ ・大戦 たいせん 中 ちゅう の車種 しゃしゅ [ 編集 へんしゅう ]
770 昭和 しょうわ 天皇 てんのう 御料 ごりょう 車 しゃ
S/SS/SSK/SSKL 通称 つうしょう Sシリーズ。1927年 ねん 、前身 ぜんしん のKシリーズをいっそうスポーティにしたモデル「S」(SはSport(シュポルト)の略 りゃく )が登場 とうじょう 。設計 せっけい はフェルディナント・ポルシェ である。前身 ぜんしん のKシリーズのフレームにキックダウンを付 ふ して低 てい 重心 じゅうしん 化 か してエンジン位置 いち を調整 ちょうせい したもので、市販 しはん 車 しゃ だがレースに出場 しゅつじょう 可能 かのう なスーパースポーツカーである。Sシリーズはエンジン排気 はいき 量 りょう ・ホイールベースを改良 かいりょう してSS/SSKへ進化 しんか した。SSKは1920年代 ねんだい の市販 しはん 車 しゃ ながら最高 さいこう 速度 そくど 192km/hが可能 かのう であった。最終 さいしゅう 的 てき にエンジンは300馬力 ばりき まで強化 きょうか して大幅 おおはば にストリップダウンされて軽量 けいりょう 化 か したSSKLとなり最 さい 高速 こうそく は235km/hに達 たっ したが、レース専用 せんよう でわずか数 すう 台 だい だけが製造 せいぞう された。SSKLは1931年 ねん に伝統 でんとう のミッレミリア を制 せい したことでも名高 なだか い。Sシリーズは、名手 めいしゅ ルドルフ・カラツィオラ の活躍 かつやく や生産 せいさん 台数 だいすう の少 すく なさなどから現在 げんざい まで伝説 でんせつ のマシーンとして記憶 きおく されている。
170H
540K - ホルヒ・853 と互角 ごかく に競 きそ った、最高 さいこう のパーソナルカーである。当時 とうじ 、どの自動車 じどうしゃ 会社 かいしゃ もスペシャルモデルはすべてコーチワークをコーチビルダーに任 まか せていたが先代 せんだい の500K同様 どうよう 、自社 じしゃ でコーチワークを行 おこ なっている。その完成 かんせい 度 ど はコーチビルダーに勝 まさ るとも劣 おと らないほどであった。映画 えいが サウンド・オブ・ミュージック でもこれのカブリオレBが使用 しよう されている。
260D - 世界 せかい で初 はじ めてディーゼルエンジン を搭載 とうさい ・市販 しはん された乗用車 じょうようしゃ である。
770/770K - 通称 つうしょう 「グローサー・メルセデス」。初代 しょだい と2代目 だいめ がある。排気 はいき 量 りょう 7.7Lの直列 ちょくれつ 8気筒 きとう エンジンを積 つ むこのモデルは、当時 とうじ のダイムラー・ベンツのフラグシップモデル である。主 おも な顧客 こきゃく は世界 せかい の王侯 おうこう 貴族 きぞく や富豪 ふごう 、ナチ高官 こうかん であった。ナチス・ドイツ では戦勝 せんしょう 地 ち でのパレードで国力 こくりょく を見 み せつけるために使用 しよう された。ヒトラー らナチ高官 こうかん のものはスーパーチャージャー(Kompressor )を追加 ついか した「770K」であり、中 なか でもヒトラー専用 せんよう 車 しゃ はルドルフ・カラツィオラにより納車 のうしゃ された。当時 とうじ の大日本帝国 だいにっぽんていこく でも、昭和 しょうわ 天皇 てんのう の御料 ごりょう 車 しゃ として採用 さいよう されている。こちらはスーパーチャージャー非 ひ 装備 そうび (出力 しゅつりょく は150馬力 ばりき [26] )の770が選択 せんたく された。1931年 ねん から1935年 ねん にかけ合計 ごうけい 7台 だい が輸入 ゆにゅう され、1969年 ねん まで連綿 れんめん と使 つか われた[27] 。黒 くろ と溜 ため 色 しょく に塗 ぬ られたこの御料 ごりょう 車 しゃ は、戦後 せんご 間 ま もなくの昭和 しょうわ 天皇 てんのう の戦後 せんご 巡幸 じゅんこう でも使用 しよう され、昭和 しょうわ 天皇 てんのう と共 とも に全国 ぜんこく を周 まわ り、当時 とうじ の日本 にっぽん 国民 こくみん の目 め に触 ふ れている[28] 。
300SL - スポーツクーペ・ロードスター。世界 せかい 初 はつ のガソリン直 ちょく 噴エンジン 搭載 とうさい 車 しゃ 。クーペはガルウィングドア が特徴 とくちょう 。
190E (W201) - 長 なが らく小型車 こがたしゃ を持 も たなかったメルセデスが1982年 ねん に発表 はっぴょう 、業界 ぎょうかい を驚 おどろ かせた。アメリカのCAFE対策 たいさく で生 う まれた車 くるま 。名称 めいしょう も本来 ほんらい は排気 はいき 量 りょう を示 しめ す「190」がそのまま車 くるま 名 めい になってしまい、2.3リットルモデルは、190E2.3などとCクラス出現 しゅつげん までは変則 へんそく 的 てき な名称 めいしょう となってしまった。デザインは、社内 しゃない デザイナーのブルーノ・サッコ の手 て によるものでSクラス に酷似 こくじ している。ブレーメン工場 こうじょう で初 はじ めて生産 せいさん された。小型 こがた 化 か するために世界 せかい 初 はつ のマルチリンクが開発 かいはつ され、空 そら 力 りょく 的 てき なボディデザインやサッコプレートとともにその後 ご 世界 せかい の各 かく メーカーで模倣 もほう された。
本来 ほんらい の目的 もくてき はラリー参戦 さんせん とも、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく で販売 はんばい する際 さい のメーカーの総 そう 排気 はいき 量 りょう 規制 きせい の結果 けっか とも言 い われる(ラリー参戦 さんせん については実現 じつげん しなかったがツーリングカーレースに参戦 さんせん )。コスワース が開発 かいはつ に協力 きょうりょく した高性能 こうせいのう 版 ばん 『2.3-16』後 ご の『2.5-16』は特 とく に有名 ゆうめい で4ドアセダンの高性能 こうせいのう モデルの魁 さきがけ となった。オリジナルの2リットル版 ばん の他 ほか に2.3/2.6リットルの直 ちょく 6や2.5リットルのディーゼルを搭載 とうさい した車両 しゃりょう もあったが、ボディタイプは上級車 じょうきゅうしゃ であるミディアムクラス(後 ご のEクラス)と異 こと なり4ドアセダンのみだった。バブル経済 けいざい 時代 じだい の日本 にっぽん では、5ナンバーサイズに収 おさ まる小型 こがた サイズであり、街 まち 中 ちゅう でよく見 み かけることから「小 しょう ベンツ」と揶揄 やゆ された。しかしサスペンションを始 はじ め多 おお くの部品 ぶひん が上級車 じょうきゅうしゃ であるミディアムクラス(後 ご のEクラス)との共通 きょうつう であり、いわゆる「最善 さいぜん か無 む か(Das Beste oder nichts. )」の理念 りねん のもと造 つく られた最後 さいご のモデルの一 ひと つである。
1926年 ねん に「メルセデス・ベンツ」ブランドが生 う まれる以前 いぜん 、ダイムラー社 しゃ (Daimler AG)の前身 ぜんしん であるダイムラー・モトーレン社 しゃ (DMG)と、ベンツ社 しゃ は、1894年 ねん に開催 かいさい された史上 しじょう 最初 さいしょ のモータースポーツイベント(英語 えいご 版 ばん ) から、モータースポーツに関 かか わっている。
その歴史 れきし は長 なが いだけではなく、グランプリ レース(今日 きょう のフォーミュラ1 )、スポーツカーレース のほか、ラリー 、ツーリングカーレース など、様々 さまざま なモータースポーツ活動 かつどう において、メルセデス・ベンツブランドの名 な で数々 かずかず の勝利 しょうり を挙 あ げている。アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のインディアナポリス500 やフランスのル・マン24時 じ 間 あいだ レース における優勝 ゆうしょう もそうした勝利 しょうり の一 いち 例 れい である。
長 なが い歴史 れきし の中 なか でも、ヨーロッパ中 ちゅう のレースを席巻 せっけん した1930年代 ねんだい の活躍 かつやく は特 とく に知 し られ、当時 とうじ 、メルセデス・ベンツのレーシングカーは、まとったカラーリングから「シルバーアロー 」の名 な で呼 よ ばれ、これはメルセデス・ベンツのレーシングカーの伝統 でんとう 的 てき な呼称 こしょう となった。
世界 せかい 選手権 せんしゅけん における活動 かつどう [ 編集 へんしゅう ]
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の活動 かつどう では、現在 げんざい も参戦 さんせん しているF1(後述 こうじゅつ )のほか、過去 かこ に複数 ふくすう の世界 せかい 選手権 せんしゅけん に参戦 さんせん している。
その中 なか で、スポーツカー世界 せかい 選手権 せんしゅけん においてマニュファクチャラーズタイトル・チームタイトルを計 けい 3回 かい (1955年 ねん (英語 えいご 版 ばん ) 、1989年 ねん 、1990年 ねん )、フォーミュラE世界 せかい 選手権 せんしゅけん においては、チームズタイトルを計 けい 2回 かい (2020年 ねん -21年 ねん 、2021年 ねん -22年 ねん )、それぞれ獲得 かくとく している。(詳細 しょうさい は「ザウバー 」、「メルセデスEQ・フォーミュラEチーム 」を参照 さんしょう )
世界 せかい ラリー選手権 せんしゅけん (WRC)においても、通算 つうさん 2勝 しょう を収 おさ めている。
現在 げんざい の活動 かつどう [ 編集 へんしゅう ]
2023年 ねん 現在 げんざい は、フォーミュラ1(F1)に自社 じしゃ チーム(ワークスチーム )を参戦 さんせん させている。
F1においては、ドライバー部門 ぶもん では所属 しょぞく ドライバーがチャンピオンタイトルを2014年 ねん から2020年 ねん にかけて7連覇 れんぱ 、コンストラクター(製造 せいぞう 者 しゃ )部門 ぶもん ではメルセデスがチャンピオンタイトルを2014年 ねん から2021年 ねん にかけて8連覇 れんぱ を達成 たっせい した。これらはどちらもF1史上 しじょう で最多 さいた の連続 れんぞく 獲得 かくとく 記録 きろく にあたる。(詳細 しょうさい は「メルセデスAMG F1 」を参照 さんしょう )
その他 た 、メルセデスAMG を通 とお して、GT3 、GT4 車両 しゃりょう によるカスタマーレーシング事業 じぎょう を行 おこな っている。
各 かく 年代 ねんだい の市販 しはん 乗用車 じょうようしゃ [ 編集 へんしゅう ]
1920年代 ねんだい 以前 いぜん
1902年 ねん :メルセデス・ジンプレックス
1905年 ねん :メルセデス・ダブルフェートン
1930年代 ねんだい
1940年代 ねんだい
1950年代 ねんだい
1960年代 ねんだい
1965
年 ねん :
W100 ショーファードリヴンカー、600
1969
年 ねん :
W114/ W115 当時 とうじ の
欧州 おうしゅう を
代表 だいひょう する
中型 ちゅうがた 車 しゃ 。5
気筒 きとう ディーゼルエンジンの
採用 さいよう は
世界 せかい 初 はつ 。
1970年代 ねんだい
1976
年 ねん :
W123 当時 とうじ のベストセラー
車種 しゃしゅ 。
画像 がぞう はクーペ。
1980年代 ねんだい
1982
年 ねん :
W201 メルセデス・ベンツ
初 はつ の
Dセグメント 車 くるま 。
画像 がぞう は190D
1986
年 ねん :
W124 ヒットしたW123の
後継 こうけい 。
画像 がぞう はE500
1990年代 ねんだい
2000年代 ねんだい
2001年 ねん :R230' 5代目 だいめ SLクラス。画像 がぞう はSL500
2001
年 ねん :
W203 2
代目 だいめ Cクラス。
楕円 だえん 形 がた のヘッドライトを
持 も つ
2003年 ねん :W209 画像 がぞう はCLK55 AMG
2003
年 ねん :
W211 Eクラスの
ステーションワゴン 。
画像 がぞう はE240
2004
年 ねん :
C190 マクラーレン との
共同 きょうどう 開発 かいはつ による
スーパーカー 、
SLRマクラーレン
2004年 ねん :W169 2代目 だいめ Aクラス。画像 がぞう はA200
2005年 ねん :R171 画像 がぞう はSLK55 AMG
2006
年 ねん :
W221 画像 がぞう はS65 AMG
2006年 ねん :W251 新設 しんせつ されたRクラス
2006年 ねん :W245 新設 しんせつ されたBクラス。画像 がぞう はB170
2007
年 ねん :
W204 3
代目 だいめ Cクラス。
画像 がぞう はC200
2008
年 ねん :
X204 新設 しんせつ されたGLKクラス。
後継 こうけい 車 しゃ はGLC。
画像 がぞう はGLK320
2008年 ねん :R230 画像 がぞう はSL65 AMG
2008
年 ねん :
C197 AMGにより
開発 かいはつ されたスーパーカー、
SLS AMG
2009年 ねん : W212 4代目 だいめ Eクラス。画像 がぞう はE250 CDI
2010年代 ねんだい
2011
年 ねん :
R231 6
代目 だいめ SLクラス。
画像 がぞう はSL500
2012年 ねん : W176 3代目 だいめ Aクラス。画像 がぞう はA250
2013年 ねん : C117 新設 しんせつ されたCLAクーペ。画像 がぞう はCLA180
2013
年 ねん :
W222 6
代目 だいめ Sクラス。
画像 がぞう はS63 AMG
2013年 ねん : X156 新設 しんせつ されたGLAクラス。画像 がぞう はGLA200 CDI
2014年 ねん : W205 4代目 だいめ Cクラス。画像 がぞう はC200
2014
年 ねん :
C190 AMG GT 。AMGにより
開発 かいはつ されたスポーツカー。
2015年 ねん : X253 新設 しんせつ されたGLCクラス。画像 がぞう はGLC220d
2018年 ねん : C257 3代目 だいめ CLSクラス。画像 がぞう はCLS220d
2018年 ねん : W463 2代目 だいめ Gクラス。型式 けいしき は先代 せんだい を踏襲 とうしゅう 。
2018
年 ねん :
N293 EQC 。メルセデス・ベンツ
初 はつ の
量産 りょうさん 電気 でんき 自動車 じどうしゃ 。
^ ドイツ語 ご 発音 はつおん : [mɛɐ'tseːdɛs bɛnts] メアツェーデス・ベンツ
^ メルセデス(Mercedes )は、スペイン語 ご の女性 じょせい 名 めい 。「神 かみ の恵 めぐ み 、慈悲 じひ 」を意味 いみ する。
^ 座 ざ 面 めん は体 からだ が沈 しず み込 こ まぬように硬 かた く、振動 しんどう や衝撃 しょうげき はばねのストロークで吸収 きゅうしゅう する。一方 いっぽう で路面 ろめん がスムーズでない場合 ばあい は、コイルスプリングの特性 とくせい で絶 た えず座 ざ 面 めん が上下 じょうげ に揺 ゆ すられて、路面 ろめん からの大 だい 入力 にゅうりょく に対 たい して移動 いどう 量 りょう が大 おお きく、車両 しゃりょう の揺 ゆ れと位相 いそう がずれるため、ヒップポイントと、ペダル やステアリング・ホイール との距離 きょり や視点 してん が一定 いってい を保持 ほじ し難 がた い。ルーズクッションの様 よう な包 つつ まれ感 かん で身体 しんたい をサポートする旧来 きゅうらい のフランス車 しゃ のシートと、対極 たいきょく の思想 しそう として比較 ひかく されることもある。
^ メルセデス・ベンツやフォルクスワーゲンなどが1990年代 ねんだい 以降 いこう に自社 じしゃ の日本 にっぽん 法人 ほうじん を設立 せつりつ し自動車 じどうしゃ 輸入 ゆにゅう 事 ごと 業務 ぎょうむ をそちらに移管 いかん したことから、現在 げんざい は自動車 じどうしゃ 輸入 ゆにゅう 事業 じぎょう からヤナセは完全 かんぜん 撤退 てったい し、自動車 じどうしゃ 輸入 ゆにゅう 事業 じぎょう 者 しゃ としてではなく、マルチブランドメガディーラーとして事業 じぎょう をしている。ピステンプーリー(特殊 とくしゅ キャタピラ車両 しゃりょう )などの輸入 ゆにゅう 事業 じぎょう やファッション商品 しょうひん 事業 じぎょう は継続 けいぞく している。
ヤナセの経営 けいえい 多角 たかく 化 か については、1990年代 ねんだい 初頭 しょとう のバブル景気 けいき 崩壊 ほうかい とともにほとんどの部門 ぶもん から撤退 てったい した。創業 そうぎょう 以来 いらい 梁瀬 やなせ 一族 いちぞく による経営 けいえい が続 つづ いたが現在 げんざい は伊藤忠商事 いとうちゅうしょうじ 傘下 さんか となっている。