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ミッレミリア

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大会たいかいロゴ
1948ねん大会たいかい優勝ゆうしょうしゃフェラーリ・166S)

ミッレミリアMille Miglia )は1927ねんから1957ねんあいだイタリアおこなわれた自動車じどうしゃレースである。現在げんざいでは同名どうめいクラシックカーレースとして毎年まいとし開催かいさいされている。

概要がいよう

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公道こうどうレース

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1927ねんから1957ねんあいだにイタリアでおこなわれた伝説でんせつてき公道こうどう自動車じどうしゃレースで、イタリア北部ほくぶ都市としブレシア出発しゅっぱつして南下なんかしフェラーラ、サンマリノローマへ。さらにローマから北上ほくじょうしてブレシアへもどるというルートで、イタリア全土ぜんどを1000マイル(イタリアmille miglia = ミッレ・ミリア)はしることからづけられた。

錚々たる参加さんかしゃ

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1932ねん大会たいかい(アルファロメオ8C 2300)

初期しょきにはアルファロメオランチアOMスタンゲリーニマセラティフィアットオスカブガッティルノーアストンマーティンベントレーMGメルセデス・ベンツアウトウニオン現在げんざいアウディ)など、ヨーロッパ諸国しょこくから錚々たる自動車じどうしゃメーカーがワークスやプライベートで参戦さんせんした。

開催かいさいいち中止ちゅうし

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そのたか人気にんきけて、だい世界せかい大戦たいせんまえにはベニート・ムッソリーニひきいるイタリアや、アドルフ・ヒトラーひきいるドイツこくなどの工業こうぎょうこくかつ独裁どくさいこくが、国威こくい発揚はつようのためにこれらのメーカーをくにげて支援しえんしたものの、だい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつにより1941ねん-1946ねんあいだ開催かいさい一時いちじてき中止ちゅうしされた。

開催かいさい再開さいかい中止ちゅうし

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終戦しゅうせんからわずか2ねん1947ねんには再開さいかいされ、ジャガーペガソフェラーリポルシェサーブ、チシタリアなどの戦後せんご勃興ぼっこうしてきた新興しんこうメーカーが多数たすう参戦さんせんしたほか、アメリカからも当時とうじモータースポーツ積極せっきょくてき参戦さんせんしていたリンカーン参戦さんせんするなど、戦前せんぜん上回うわまわがりをせた。

しかし、1957ねんスペインアルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵こうしゃくがドライブするフェラーリが観客かんきゃくだい事故じここし(デ・ポルターゴ侯爵こうしゃく自身じしん死亡しぼうした)ため、やむなくイタリア政府せいふ以降いこうのレースの開催かいさい中止ちゅうしめいじ、30年間ねんかんかがやかしい歴史れきしまくじた。

復活ふっかつ

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1977ねんに、当時とうじ参戦さんせんした実車じっしゃとその同型どうけいしゃのみが参加さんかできるタイムトライアル方式ほうしき[よう検証けんしょう]のクラシックカーレース「ミッレミリア・ストーリカ(Mille Miglia Storica)」として20ねんぶりに復活ふっかつした。

これ以降いこうジャッキー・イクスクレイ・レガッツォーニミカ・ハッキネンなどのもとF1ドライバーや、スターリング・モスなどの初代しょだいミッレミリアに参加さんかしたドライバーも多数たすう参戦さんせんする、格式かくしきたかいクラシックカーラリーとして毎年まいとし開催かいさいされることとなった。

現在げんざい

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2012ねん大会たいかい

現在げんざいは、イタリア国内こくないだけでなくイギリスドイツ日本にっぽんアメリカアルゼンチンオーストラリアなど、世界せかい各国かっこくから多数たすう参加さんかしゃあつめるだけでなく、フェラーリやメルセデス・ベンツが、開催かいさいだい規模きぼ関連かんれんイベント(トリビュート・イベント)やスポンサーをおこなうほか、ジャガーやBMWなどが博物館はくぶつかんなどが所有しょゆうする当時とうじ参加さんかしゃはしらせるなど、世界せかい開催かいさいされるクラシックカーラリーの最高峰さいこうほうとしてたか人気にんきほこる。

さらにクラシックカーラリーの人気にんきたか日本にっぽんやアメリカでは、復活ふっかつばんミッレミリアの主催しゅさいしゃから正式せいしき承認しょうにんけた姉妹しまいばん開催かいさいしている。

また、公式こうしきスポンサーのひとつである宝石ほうせきしょうショパール参加さんかしゃ寄贈きぞうする同名どうめい腕時計うでどけいは、コレクターズアイテムとして時計とけいマニアのみならず自動車じどうしゃマニアにも人気にんきである。

かくとし勝利しょうりしゃ

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とし ドライバー 車両しゃりょう
1927ねん イタリア王国の旗 フェルディナンド・ミノーラ英語えいごばん
イタリア王国の旗ジュゼッペ・モランディイタリアばん
OM 665 S
1928ねん イタリア王国の旗 ジュゼッペ・カンパーリ英語えいごばん
イタリア王国の旗 ジュリオ・ランポーニ英語えいごばん
アルファロメオ・6C 1500 Super Sport Spider Zagato英語えいごばん
1929ねん
1930ねん イタリア王国の旗 タツィオ・ヌヴォラーリ
イタリア王国の旗 バティスタ・グィドッティ
1931ねん ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ
ドイツの旗 ヴィルヘルム・セバスチャン
メルセデス・ベンツ・SSKL
1932ねん イタリア王国の旗 バコーニン・ボルザッキーニ英語えいごばん
イタリア王国の旗 アマデオ・ビニャーミイタリアばん
アルファロメオ・8C 2300
1933ねん イタリア王国の旗 タツィオ・ヌヴォラーリ
イタリア王国の旗 デーチモ・カンパニョーニ
アルファロメオ・8C 2300 Spider Zagato
1934ねん イタリア王国の旗 アキッレ・バルツィ
イタリア王国の旗 アマデオ・ビニャーミ
アルファロメオ・8C 2600 Monza Spider Brianza
1935ねん イタリア王国の旗 カルロ・マリア・ピンタクーダ英語えいごばん
イタリア王国の旗 アレッサンドロ・デッラ・ストゥーファ
アルファロメオ・ティーポB
1936ねん イタリア王国の旗 アントニオ・ブリビオ英語えいごばん
イタリア王国の旗 カルロ・オンガーロ
アルファロメオ・8C 2900 A
1937ねん イタリア王国の旗 カルロ・マリア・ピンタクーダ
イタリア王国の旗 パリーデ・マンベッリ
1938ねん イタリア王国の旗 クレメンテ・ビオンデッティ英語えいごばん
イタリア王国の旗 アルド・ステーファニ
アルファロメオ・8C 2900 B Spider MM Touring
1939ねん 中止ちゅうし
1940ねん ナチス・ドイツの旗 フシュケ・フォン・ハンシュタイン
ナチス・ドイツの旗 ワルター・バウマー
BMW・328 ベルリネッタ・ツーリング英語えいごばん
1941ねん
-
1946ねん
だい世界せかい大戦たいせんのため休止きゅうし
1947ねん イタリアの旗 クレメンテ・ビオンデッティ
イタリアの旗 ジュゼッペ・ナボーネ
アルファロメオ・8C 2900 B Berlinetta Touring
1948ねん フェラーリ・166 S Coupé Allemano
1949ねん イタリアの旗 クレメンテ・ビオンデッティ
イタリアの旗 エットレ・サラーニ
フェラーリ・166 MM Barchetta Touring
1950ねん イタリアの旗 ジャンニーニ・マルゾット英語えいごばん
イタリアの旗 マルコ・クロサーラ
フェラーリ・195 S Berlinetta Touring英語えいごばん
1951ねん イタリアの旗 ルイージ・ヴィロレージ英語えいごばん
イタリアの旗 パスカル・カッサーニ
フェラーリ・340アメリカ Berlinetta Vignaleイタリアばん
1952ねん イタリアの旗 ジョバンニ・ブラッコ英語えいごばん
イタリアの旗 アルフォンソ・ロルフォ
フェラーリ・250 S Berlinetta Vignale英語えいごばん
1953ねん イタリアの旗 ジャンニーニ・マルゾット
イタリアの旗 マルコ・クロサーラ
フェラーリ・340 MM Spyder Vignale
1954ねん イタリアの旗 アルベルト・アスカリ ランチアD24 スパイダー英語えいごばん
1955ねん イギリスの旗 スターリング・モス
イギリスの旗 デニス・ジェンキンソン英語えいごばん
メルセデス・ベンツ・300SLR
1956ねん イタリアの旗 エウジェニオ・カステロッティ フェラーリ・290 MM Spyder Scaglietti
1957ねん イタリアの旗 ピエロ・タルッフィ フェラーリ・315 S英語えいごばん

イタリア以外いがいでの開催かいさい

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日本にっぽん

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初回しょかい

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イタリアでミッレミリアを観戦かんせんしたフジテレビジョン事業じぎょう部長ぶちょう増田ますだ晴男はるお主導しゅどうし、1992ねんにレースごと日本にっぽんまねいて日本にっぽんばんミッレミリアとして「La Festa Mille Miglia」を開催かいさいした。イタリアの本家ほんけミッレミリアに出場しゅつじょうした50だいのクラシックカーをヨーロッパとアメリカから空輸くうゆし、日本にっぽんからの参加さんかの10だいわせた60だいおこなわれた。なおしゅう1かい6ぶん関連かんれん番組ばんぐみも、同局どうきょく関西かんさいテレビ放送ほうそうされた。

空間くうかんプロデューサーの川添かわぞえぞうろうのプロデュースをおこない、明治めいじ神宮じんぐう外苑がいえん聖徳せいとく記念きねん絵画かいがかんまえ一定いってい期間きかん有料ゆうりょう参加さんかしゃ展示てんじしたのちスターリング・モスジャン・アレジさかい正章まさあきなどの参加さんかしゃにより、鈴鹿すずかサーキットまでの往復おうふく区間くかん国内こくない一般いっぱんどう高速こうそく道路どうろ本家ほんけ同様どうよう1000マイルにわたはしらせ、富士ふじスピードウェイ鈴鹿すずかサーキットでのタイムトライアルもおこなうという、バブル景気けいき雰囲気ふんいきかもしていた大々的だいだいてきなものであった。

しかし、バブル景気けいき崩壊ほうかい平成へいせい不況ふきょうしたということもあり、当初とうしょ協賛きょうさん予定よていしていたスポンサーけんケータリング(キリンホールディングス)がりたほか、同局どうきょく予想よそうしたほどスポンサーからの協賛きょうさんあつまらないなどの事情じじょうや、空輸くうゆのための輸送ゆそうと、それを上回うわまわ膨大ぼうだい保険ほけんりょうがかかるなどの問題もんだいがあり、これ以降いこうおな体制たいせい開催かいさいされることはなかった。なお優勝ゆうしょうしゃアバルト・750GTザガートであった。

1997ねん - 2010ねん

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2008ねん大会たいかい in 米沢よねざわフィアット・500 ザガート・パノラミカ)

そのすう年間ねんかん空白くうはく期間きかんのち初回しょかい日本にっぽんばんのプロデューサーで、フジテレビジョンから独立どくりつしヴェテランカークラブ東京とうきょう事務じむ局長きょくちょうとなった増田ますだが、1997ねんより、日本にっぽん唯一ゆいいつ国際こくさいクラシックカー連盟れんめいから公認こうにんけた本格ほんかくてきなクラシックカーレースとして「La Festa Mille Miglia」を毎年まいとしあき開催かいさいすることになった。

初回しょかいちが基本きほんてき日本にっぽん国内こくないからの出場しゅつじょうしゃ中心ちゅうしんとするものの、本家ほんけ同様どうよう当時とうじ参戦さんせんした実車じっしゃとその同型どうけいしゃのみが参加さんかできるタイムトライアル方式ほうしきのクラシックカーレースとし、さかい正章まさあき近藤こんどう真彦まさひこ東儀とうき秀樹ひでき保坂ほさか尚輝なおきパンツェッタ・ジローラモ西田にしだひかる水野みずの誠一せいいち木内きうちみどり夫妻ふさいなどの著名ちょめいじん毎回まいかい参戦さんせんするなど本国ほんごく同様どうようたか人気にんきはくした。

ぜん日程にってい3はく4にちで10がつ初旬しょじゅん中旬ちゅうじゅん開催かいさい。ルートは東京とうきょう原宿はらじゅく明治めいじ神宮じんぐうをスタート地点ちてんとして北上ほくじょうし、福島ふくしまけんうら磐梯ばんだいで2はくしながら南東なんとうきた周遊しゅうゆうして南下なんか栃木とちぎけん茂木もぎまちツインリンクもてぎで1はくし、スタート地点ちてんである東京とうきょう原宿はらじゅく明治めいじ神宮じんぐうをゴール地点ちてんとしていた。2010ねん開催かいさいレースでは、ショパールではなくルイ・エラール輸入ゆにゅうもとDKSHジャパン)がオフィシャルタイムピースを発表はっぴょうしていた。

2011ねん - 2012ねん

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2011ねん発生はっせいした東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい影響えいきょうで、このとしから開催かいさい被災ひさいである東北とうほく地方ちほうから関東甲信越かんとうこうしんえつ変更へんこうとなり、原宿はらじゅく明治めいじ神宮じんぐう出発しゅっぱつ長野ながのけん軽井沢かるいざわまちで2はく神奈川かながわけん箱根はこねまち経由けいゆして明治めいじ神宮じんぐうもどるルートとなった(2014ねんからは新潟にいがたけん湯沢ゆざわまち行程こうてい追加ついかされた)。本国ほんごく組織そしき変更へんこうもあり名称めいしょうも「ミッレミリア」のかんむりろして「ラ・フェスタ・アウトゥンノ(La Festa Autunno)」となっている[1]一方いっぽうで、2013ねんには「La Festa Estate」の名称めいしょう小規模しょうきぼながら東北とうほく地方ちほうでの開催かいさいおこなうことも発表はっぴょう[2]されている。

現在げんざい

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2013ねん大会たいかい in 軽井沢かるいざわまちアストンマーティン インターナショナル・ルマン

2013ねん以降いこう本国ほんごくとの契約けいやくむすびなおされたことから、ふたたび「La Festa Mille Miglia」として開催かいさいしている。なお、体制たいせい開催かいさい内容ないようなどはそれ以前いぜんおおきくわりはないが、特別とくべつわくとして日本にっぽんしゃ参加さんかわくもうけられた。また、このとしより名誉めいよ総裁そうさいとしてあきら子女しじょおう殿下でんか就任しゅうにんされたほか、開会かいかいしきどう殿下でんかちゅうにちイタリア大使たいしまねかれる。2018ねんには、うら磐梯ばんだいルートが8ねんぶりに復活ふっかつした[3][4]

毎回まいかい100だいちか参加さんか台数だいすうあつめ、近年きんねん日本にっぽん国内こくないのみならず海外かいがいからの参加さんかしゃおおい。また、これまでと同様どうようさかい正章まさあき近藤こんどう真彦まさひこ横山よこやまけん清水しみず国明くにあきなどのクラシックカーマニアの著名ちょめいじん参加さんかしゃおおい。また、はるには兄弟きょうだいイベントの「La Festa Primavera」も開催かいさいされている。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

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1991ねんより「Amici Americani della Mille Miglia」の名称めいしょうで、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく舞台ぶたいに、本家ほんけ同様どうよう当時とうじ参戦さんせんした実車じっしゃとその同型どうけいしゃのみが参加さんかできるタイムトライアル方式ほうしきのクラシックカーレースとして開催かいさいされ、現在げんざいは「California Mille/Amici Americani della Mille Miglia」の名称めいしょう開催かいさいされている[5]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ La Festa Autunno 2011 企画きかく趣旨しゅし
  2. ^ La Festa Estate 2013 企画きかく趣旨しゅし
  3. ^ 企画きかく主旨しゅし”. La Festa Mille Miglia 2018 組織そしき委員いいんかい. 2019ねん3がつ18にち閲覧えつらん
  4. ^ 「ラ・フェスタ・ミッレミリア」19にち開幕かいまく うら磐梯ばんだいルート復活ふっかつ」『福島ふくしまみんともニュース』福島民友新聞ふくしまみんゆうしんぶんしゃ、2018ねん10がつ18にち2019ねん3がつ18にち閲覧えつらん
  5. ^ California Mille/Amici Americani della Mille Miglia

関連かんれん事項じこう

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外部がいぶリンク

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日本にっぽんのミッレミリア