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ルノー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Renault S.A.
種類しゅるい
公開こうかい会社かいしゃ (有限ゆうげん会社かいしゃ)
市場いちば情報じょうほう EuronextRNO
OTC Pink RNLSY
CAC 40 Component
業種ぎょうしゅ 自動車じどうしゃ
設立せつりつ 1899ねん2がつ25にち (125ねんまえ) (1899-02-25)
創業そうぎょうしゃ ルイ・ルノー
マルセル・ルノー
フェルナン・ルノー
本社ほんしゃ
事業じぎょう地域ちいき
世界の旗 世界せかい 128カ国かこく[1]
主要しゅよう人物じんぶつ
製品せいひん 乗用車じょうようしゃ, 電気でんき自動車じどうしゃ, 商用しょうようしゃ, 高級こうきゅうしゃ, 融資ゆうし
生産せいさん出力しゅつりょく
減少 2,825,414[4] (2020)
売上うりあげだか 減少 43.474 billion[5] (2020)
営業えいぎょう利益りえき
減少 −€1.999 billion[5] (2020)
利益りえき
減少 −€8.008 billion[5] (2020)
そう資産しさん 減少 €115.737 billion[5] (2020)
純資産じゅんしさん 減少 €25.338 billion[5] (2020)
所有しょゆうしゃ
従業じゅうぎょう員数いんずう
170,158にん (Q4 2020)[4]
子会社こがいしゃ
ウェブサイト www.renaultgroup.com ウィキデータを編集
2021ねんより使用しようのマーク

ルノー(Groupe Renault フランス語ふらんすご: [ɡʁup ʁəno]法律ほうりつじょう: Renault S.A.)は、フランス国籍こくせき自動車じどうしゃメーカーイル=ド=フランス地域ちいきけんオー=ド=セーヌけんブローニュ=ビヤンクール本社ほんしゃく。

様々さまざま自動車じどうしゃやバンを生産せいさんしており、過去かこにはトラックトラクター戦車せんしゃバス/コーチ、航空機こうくうきおよび航空機こうくうきエンジンオートレール車両しゃりょう製造せいぞうしていた。国際こくさい自動車じどうしゃ工業こうぎょう連合れんごうかいによる2016ねんのルノーは生産せいさん台数だいすう世界せかいだい9だった。2017ねんルノー・日産にっさん三菱みつびしアライアンス自動車じどうしゃ販売はんばい台数だいすうで、ドイツフォルクスワーゲン・グループについで世界せかいだい2となった[7]。 ただし、ルノーが保有ほゆうしていた日産自動車にっさんじどうしゃ株式かぶしきが15%にげられたため親会社おやがいしゃではなくなったが、提携ていけい継続けいぞくされている[8]

概要がいよう

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プレミアム・トラクター

1898ねんにフランスじん技術ぎじゅつしゃルイ・ルノーLouis Renault1877ねん - 1944ねん)とその兄弟きょうだいによって「ルノー・フレール(ルノー兄弟きょうだい)」しゃとして設立せつりつされた。ルノーはパリからタクシーの大量たいりょう生産せいさん受注じゅちゅうして大量たいりょう生産せいさん移行いこうする[9]現在げんざいはおもに中小ちゅうしょう乗用車じょうようしゃ商用しょうようしゃがける。過去かこには商用しょうようしゃせんもん子会社こがいしゃルノーV.I大型おおがたトラック軍用ぐんよう車両しゃりょう生産せいさんだい世界せかい大戦たいせんまえ航空機こうくうきボート生産せいさんしていた。

1945ねん国営こくえい。1970年代ねんだい以降いこうPSA・プジョーシトロエンならんでフランスのだい自動車じどうしゃ企業きぎょう一角いっかくめ、先進せんしんてきなデザインとすぐれた安全あんぜん性能せいのうこう品質ひんしつたか評価ひょうかけ、1998ねん以降いこう2004ねんまで連続れんぞくヨーロッパだい1販売はんばい台数だいすう維持いじした。現在げんざいでもフランス政府せいふ筆頭ひっとう株主かぶぬしである。

2011ねん現在げんざい韓国かんこくルノーサムスン自動車じどうしゃルーマニアダチアロシアアフトヴァース株式かぶしき保有ほゆうし、これらを傘下さんかおさめている。また日本にっぽん日産自動車にっさんじどうしゃとおたがいの株式かぶしき名目めいもくじょう対等たいとうの「ルノー・日産自動車にっさんじどうしゃ三菱自動車みつびしじどうしゃ[10][11]構成こうせいしているが、日産にっさんはフランスの国内こくないほう制限せいげんにより議決ぎけつけん行使こうしできなかったため、ルノーが事実じじつじょう傘下さんかおさめていた(2023ねん関係かんけい見直みなおしをおこない、日産にっさんへの出資しゅっし比率ひりつを44%から15%にげ、対等たいとう資本しほん関係かんけいとなった)。

これらの傘下さんかおさめたグループ企業きぎょうふくめると、2011ねん新車しんしゃ販売はんばい台数だいすう実績じっせきでは、日本にっぽんトヨタグループいて、アメリカGMドイツフォルクスワーゲングループいで世界せかいだい3規模きぼ会社かいしゃとなる。また商用しょうようしゃ製造せいぞうしゃ世界せかいてき再編さいへんでは、商用しょうようしゃせんもん子会社こがいしゃルノーV.Iボルボ売却ばいきゃくする一方いっぽう、ボルボのかぶを20%保有ほゆう影響えいきょうりょく保持ほじしている。

歴史れきし

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ヴォワチュレット

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ヴォワチュレットを運転うんてんするルイ・ルノー

フランスのパリ郊外こうがいわかいアマチュア技術ぎじゅつしゃであったルイ・ルノーは、1898ねんにド・ディオン・ブートン3りんしゃを4りんしき改造かいぞうするみの過程かていで、現在げんざいのプロペラシャフトしきフロントエンジン・リアドライブ方式ほうしき(FR)の原型げんけいである「ダイレクト・ドライブ・システム」を発明はつめいした。この斬新ざんしん機構きこうでルイ・ルノーは1899ねんにフランス特許とっきょ取得しゅとく、ほどなくフランスちゅう自動車じどうしゃ会社かいしゃ模倣もほうされることとなり、1914ねん特許とっきょれるまでのあいだ当時とうじ金額きんがくすうひゃくまんフランえる莫大ばくだい特許とっきょりょうがルノーにころがりんだ。

1899ねんにはこの機構きこう搭載とうさいした小型こがた自動車じどうしゃヴォワチュレット」(Voiturette )を市販しはんし、商業しょうぎょうてき成功せいこうおさめたことをけ、ルイはあにのマルセル、フェルナンとともに同年どうねん10がつに「ルノー・フレール」しゃ(ルノー兄弟きょうだいしゃ)を設立せつりつした。その事業じぎょう規模きぼ拡大かくだいわせ、1904ねんにはフランス国内こくないに120店舗てんぽ販売はんばい代理だいりてんもうかまえるなど、事業じぎょう基盤きばん強固きょうこなものにする。先進せんしん諸国しょこくのモータリゼーションの拡大かくだいにより、イギリスドイツ日本にっぽんなどしょ外国がいこくへの輸出ゆしゅつ開始かいししたほか、ロシア工場こうじょう建設けんせつするなど急激きゅうげきにその生産せいさん台数だいすうばした。

生産せいさん規模きぼ拡大かくだい

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FT-17けい戦車せんしゃ

1900年代ねんだい以降いこうは、小型車こがたしゃ中心ちゅうしんとする量産りょうさん政策せいさくによって生産せいさん規模きぼ拡大かくだいしたことから、さき創業そうぎょうされたプジョーなどをきフランスで最大さいだい自動車じどうしゃ製造せいぞう会社かいしゃとなった。だいいち世界せかい大戦たいせん前後ぜんごにはルノー FT-17 けい戦車せんしゃなどの戦車せんしゃ装甲車そうこうしゃトラックなどの軍用ぐんよう車両しゃりょうや、飛行機ひこうきおよび航空こうくうようエンジン、さらには小型こがたせん開発かいはつ生産せいさんおこなうなど、その事業じぎょう範囲はんい拡大かくだいした。また、このころから日本にっぽんオーストリア・ハンガリー帝国ていこくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくなどへ販売はんばい代理だいりてんつうじて本格ほんかくてき輸出ゆしゅつ開始かいししたほか、ロシア帝国ていこくでの生産せいさん開始かいしするなど、世界せかい各国かっこく積極せっきょくてき進出しんしゅつした。

なお1900年代ねんだいから1930年代ねんだい初頭しょとうまでのルノーは、エンジンの直後ちょくごラジエーター独特どくとく方式ほうしきをとっており、ぜん頭部とうぶ他社たしゃのような垂直すいちょくフロントグリルがない、わった形態けいたい特徴とくちょうであった。これはウォーターポンプによる冷却れいきゃくすい強制きょうせい循環じゅんかん機構きこう信頼しんらいてなかったルイ・ルノーが、温度おんど利用りようする古典こてんてきなサーモ・サイフォンしき対流たいりゅうしき)にながくこだわってラジエーター位置いち制約せいやくした結果けっかで、冷却れいきゃく機構きこう直接ちょくせつのトラブルはすくなかったが、客室きゃくしつないねつおおつたわり、また、冷却れいきゃくすいりょうおおようするなど、効率こうりつめんではけっして有利ゆうり手法しゅほうではなかった。1930年代ねんだい末期まっきいたるまで、ルノーしゃおおくはサーモ・サイフォンしき冷却れいきゃく機構きこう生産せいさんされつづけ、またどうべん機構きこうもほとんど一貫いっかんして効率こうりつわるサイドバルブしきのままだった。

マルヌのタクシー

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パリのつじ馬車ばしゃ会社かいしゃは、フランスにおける自動車じどうしゃ普及ふきゅうて1905ねんからいちはや自動車じどうしゃタクシー)へのシフトを開始かいしした。ルノーが1905ねん当時とうじ生産せいさんしていた最小さいしょうモデルの2気筒きとう1060ccしゃ「8CV」がタクシーよう車種しゃしゅ選定せんていされ、のべ1,500だいたっするオーダーがはいった。これにより、1900年代ねんだい後期こうきには小型こがたのルノー・タクシー多数たすうがパリ市街しがい往来おうらいするようになった。

だいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつしてからあいだもない1914ねん9がつ初旬しょじゅんドイツ陸軍りくぐんはフランス領内りょうない侵攻しんこうし、パリにほどちかマルヌがわまで到達とうたつした。ここでドイツぐんめようとするフランス陸軍りくぐんとのあいだで「マルヌ会戦かいせん」とばれる凄絶せいぜつ激戦げきせん展開てんかいされたが、防衛ぼうえいするフランスがわ当初とうしょ形勢けいせい不利ふりであった。鉄道てつどう輸送ゆそうだけでは前線ぜんせんへの兵士へいし増援ぞうえんりなかった。

パリ軍事ぐんじ総督そうとくとして首都しゅと防衛ぼうえいにあたっていたジョゼフ・ガリエニ将軍しょうぐんは、ここでかつてない奇策きさくした。パリ市内しないはしるタクシーを緊急きんきゅう大量たいりょうチャーターし、兵員へいいん輸送ゆそうてることにしたのである。動員どういんおうじ、600だいものルノー・タクシーがドライバーとともに集結しゅうけつした。9月7にち深夜しんや完全かんぜん武装ぶそうのフランスぐん兵士へいし5めいずつをせ、ヘッドライトをしたタクシーの車列しゃれつがパリ - マルヌあいだを2往復おうふくした。結果けっか一夜いちやにして6,000にん兵士へいしがフランスがわ前線ぜんせん増援ぞうえんされ、ドイツぐん猛攻もうこうめられた。

この「ルノーのタクシーのはたらきでパリがまもられた」という逸話いつわによって、そのパリをはしるルノーのタクシーは「マルヌのタクシー」(Taxi de la Marne )とばれることになった。自動車じどうしゃ軍事ぐんじてき重要じゅうようせいらしめたエピソードのひとつである。

りょう大戦たいせん狭間はざま

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40CV(1922ねん)。巨大きょだいな9.1Lエンジンのちからまかせ、大統領だいとうりょう公用こうようしゃから速度そくど記録きろく試験しけんしゃまで様々さまざま用途ようともちいられた。だい排気はいきりょうエンジンの冷却れいきゃくをサーモ・サイフォンしきラジエータでおこなうため、ラジエータ部分ぶぶん巨大きょだいである。
NN(1926ねん)。1922ねんから販売はんばいされた、ルノー・6CVフランス語ふらんすごばんシリーズの1つ。このシリーズは、プジョーのタイプ161「クアドリレット」フランス語ふらんすごばんなどとともに、大衆たいしゅうしゃ決定けっていばんとなった[12]

だいいち世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせんにはルノーをめぐる情勢じょうせいにも変化へんかしょうじる。戦闘せんとうよう車両しゃりょう武器ぶき生産せいさんという特需とくじゅがなくなったうえ、イギリスやドイツなどからの輸入ゆにゅうしゃ増加ぞうかによりフランス国内こくない販売はんばい競争きょうそう急激きゅうげき激化げきかした。また競合きょうごうメーカーのプジョーや後発こうはつメーカーのシトロエンなどが、生産せいさん車種しゃしゅらして量産りょうさん効果こうか追求ついきゅうする手法しゅほう急速きゅうそくげをかけてきたのにたいし、ルノーは世界せかい恐慌きょうこうしたきびしい経済けいざい事情じじょうにあっても、4気筒きとう小型こがた大衆たいしゅうしゃから巨大きょだいな8気筒きとう高級こうきゅうしゃいたるまでの多様たようなボディバリエーションをともな車種しゃしゅ少量しょうりょう生産せいさん継続けいぞくし、1930年代ねんだいにはその地位ちいをフランスだい3後退こうたいさせた。

さらに老年ろうねんたっしたルイ・ルノーは保守ほしゅてき設計せっけい思想しそうかたむくようになり、1920年代ねんだい末期まっきいたってもだいいち大戦たいせん直前ちょくぜんレベルから大差たいさのない、古典こてんしたレイアウトのてい効率こうりつなモデルがラインナップの多数たすうめた。機械きかいしきブレーキサーボだけははやくから導入どうにゅうしたが、当時とうじ導入どうにゅう急速きゅうそくすすんだ独立どくりつ懸架けんか油圧ゆあつブレーキも、ルノーへの導入どうにゅう競合きょうごう他社たしゃくらべておおきくおくれた。製品せいひん品質ひんしつこそすぐれていたものの、業界ぎょうかいをリードする製品せいひんつくるメーカーではなくなっていた。

それでも老舗しにせメーカーとしての信用しんようあつく、高級こうきゅうしゃ分野ぶんやでは当時とうじフランスに多数たすう存在そんざいした高級こうきゅうしゃ専門せんもんメーカーにもおとらぬステータスをほこった。6気筒きとう9.1Lの「40CV」(原型げんけいは1913ねん発表はっぴょうで7.5L、1919ねんがた排気はいきりょう拡大かくだい)とその後継こうけいしゃである8気筒きとう7.1L「レナステラ」(1928ねん)、8気筒きとう5.5L「ネルヴァステラ」(1934ねん)といった巨大きょだい高級こうきゅうモデルは、フランスの大統領だいとうりょう専用せんようしゃとして1910年代ねんだいから1930年代ねんだい一貫いっかんしてもちいられた。ラジエーターもようやく1930ねん前後ぜんこうからノーズ最先端さいせんたん配置はいちとなり(しかし相変あいかわらずポンプなしのサーモ・サイフォンしきであった)、ブレーキサーボの装備そうびおこなわれた。

ルノーにようやくモダンな設計せっけい手法しゅほうれられたのは1937ねん発表はっぴょうの1,000ccきゅう小型こがた大衆たいしゅうしゃ「ジュヴァキャトル」で、モノコック構造こうぞうとウィッシュボーンしき前輪ぜんりん独立どくりつ懸架けんか採用さいよう全体ぜんたいてきには1935ねん発表はっぴょうされたドイツのオペル・オリンピア亜流ありゅうともいうべきコンセプトではあったが、1939ねんまでに3まんだいちかくをげるヒットとなった。しかし、その先進せんしんせいのモデルに波及はきゅうする以前いぜんに、ルノーしゃ危機ききてき事態じたいむかえる。

だい世界せかい大戦たいせん

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ジュヴァキャトル(1937ねん - 1960ねん

1939ねん9月1にち勃発ぼっぱつしただい世界せかい大戦たいせんにおいて、戦争せんそうへの準備じゅんびがほとんどととのっていなかったフランスは緒戦しょせんから敗北はいぼく敗北はいぼくかさねた。1940ねん6がつにはドイツ国防こくぼうぐんがパリを占領せんりょうし、まもなくフランス全土ぜんどはドイツの占領せんりょうはいってしまう。この事態じたいけ、ルイ・ルノーは工場こうじょう従業じゅうぎょういんまもるために、やむなくドイツの占領せんりょうぐんとその傀儡かいらい政権せいけんヴィシー政権せいけん協力きょうりょくすることになった。しかしその結果けっか、ルイ・ルノーは1944ねん連合れんごうこくぐんによるフランス解放かいほうたいどく協力きょうりょくしゃとして逮捕たいほされ、同年どうねん10がつ失意しついのうちに獄中ごくちゅう病死びょうしした。一説いっせつにはたいどく協力きょうりょくしゃとしてにくまれ、獄中ごくちゅう虐待ぎゃくたい暴行ぼうこうけた結果けっかともつたわる。

なお、大戦たいせんちゅう1942ねんから1943ねんにかけて主力しゅりょく工場こうじょうのひとつであるビヤンクール工場こうじょうがアメリカ・イギリスりょうぐんばくげきけて深刻しんこく被害ひがいけたほか、戦争せんそうによるインフラストラクチャー破壊はかいにより、生産せいさん設備せつび販売はんばいもう壊滅かいめつてき打撃だげきけている。

国営こくえい

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だい世界せかい大戦たいせんちゅう創業そうぎょうしゃ生産せいさん設備せつび破壊はかいという苦難くなんおちいったルノーは、大戦たいせん終結しゅうけつ1945ねんに、大戦たいせんちゅう亡命ぼうめい政権せいけん自由じゆうフランス指導しどうしゃで、あらたにフランスの指導しどうしゃとなったシャルル・ド・ゴール将軍しょうぐん(のちの大統領だいとうりょう)の行政ぎょうせい命令めいれいにより国営こくえいのうえ、「ルノー公団こうだんRegie Nationale des Usines Renault )」に改組かいそされ、エンジニア出身しゅっしんのピエール・ルフォシュー総裁そうさい指揮しきのもとで戦禍せんかにより破壊はかいされた生産せいさん設備せつび販売はんばいもう復興ふっこうすすめると同時どうじに、戦前せんぜんからおこなわれていた新型しんがたしゃ開発かいはつ続行ぞっこうすることとなる。

4CVの成功せいこう

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4CV(1946ねん - 1961ねん

フランスは戦勝せんしょうこくとなったものの、連合れんごうぐん度重たびかさなる空襲くうしゅう各地かくち工場こうじょう施設しせつ破壊はかいされていただけでなく、工場こうじょう稼動かどうさせるためのインフラの整備せいび資材しざい調達ちょうたつにも事欠ことか状況じょうきょうであったが、従業じゅうぎょういん士気しきたかく、終戦しゅうせんわずか1ねんしかっていない1946ねんパリサロンで、フェルナン・ピカール技師ぎし[注釈ちゅうしゃく 1]戦時せんじちゅうから開発かいはつすすめていた小型車こがたしゃ4CV」を発表はっぴょうし、翌年よくねんから発売はつばいした。

4CVは廉価れんかかつ経済けいざいてきであったうえ、当時とうじとしてはすぐれた走行そうこう性能せいのうそなえていたことから、大衆たいしゅうユーザーの広範こうはん支持しじけた。戦後せんごのヨーロッパにおいてベストセラーとなったほか、アメリカでもおおくが販売はんばいされた。その結果けっか1961ねんまでのあいだに110まん5,547だい生産せいさんされ、フランスではじめて100まんだいえて生産せいさんされた車種しゃしゅになった。日本にっぽんでも日野自動車ひのじどうしゃ1953ねんから「日野ひのルノー」のでライセンス生産せいさんし、そのおおくがタクシーとして使用しようされたことから、一躍いちやく日本にっぽんちゅうにルノーのひろまった。

また、ミニマムな小型車こがたしゃでありながらル・マン24あいだレースやミッレミリアなどの国際こくさいレースでも活躍かつやくするなど、4CVはだい世界せかい大戦たいせんのルノー復興ふっこう立役者たてやくしゃとなった。

小型車こがたしゃ

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4(1961ねん - 1993ねん

だい世界せかい大戦たいせん復興ふっこうにおける「4CV」のだいヒット以後いご、ルノーはとく小型車こがたしゃ分野ぶんやにおいて実績じっせきげた。1955ねん2がつ死去しきょしたピエール・ルフォシュー総裁そうさいのちいだピエール・ドレフュス総裁そうさい指揮しきのもと、「4CV」の系譜けいふく「5CVドーフィン」や「8」などのリアエンジン小型車こがたしゃつづいて1960年代ねんだい以降いこうは「4」や「6」などの前輪ぜんりん駆動くどうFF方式ほうしき小型車こがたしゃ多数たすうおくした。とくに「4」のだいヒットは、当時とうじおこなったアメリカ進出しんしゅつ失敗しっぱいにより苦境くきょうおちいった経営けいえいたすけることになった。

ほかにも「カラベル」や「フロリド」などのスポーツタイプの車種しゃしゅにバリエーションをひろげたほか、1966ねんヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞じゅしょうした「16」や、「12」などの比較的ひかくてき収益しゅうえきせいたか中型ちゅうがたしゃもヒットさせ、これらの相次あいつぐヒットによりヨーロッパ有数ゆうすう自動車じどうしゃメーカーとしての地位ちい不動ふどうのものとした。

先進せんしん技術ぎじゅつ導入どうにゅう

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5(1972ねん - 1984ねん

フランスのおおくの自動車じどうしゃ会社かいしゃれいれず、ルノーもふるくから技術ぎじゅつてき、デザインてきなチャレンジにたいして積極せっきょくてきである。1962ねん発表はっぴょうされたリアエンジンの小型車こがたしゃ「8」には、大量たいりょう生産せいさんしゃとして世界せかいはつの4りんディスク・ブレーキを採用さいようするなど、当時とうじ最新さいしん技術ぎじゅつしげなく導入どうにゅうたか評価ひょうかけた。その1965ねん発売はつばいされた「16」は、世界せかいはつのハッチバックスタイルを中型ちゅうがたしゃとしてヨーロッパちゅうでヒットし、1979ねんまでのながきにわたり生産せいさんされた。

1972ねん発売はつばいされたFF駆動くどう方式ほうしきのハッチバック小型車こがたしゃである「5」とその後継こうけいの「シュペール5」(1985ねん発売はつばい)は、その先進せんしんてきなデザインとたか実用じつようせい経済けいざいせいひろれられて、ヨーロッパだけでなく世界中せかいじゅうだいベストセラーとなった。またこのモデルは量産りょうさん市販しはんしゃとしてはもっともはや時期じき樹脂じゅしせい前後ぜんごバンパーを採用さいようしている。

1982ねんにはフエゴ世界せかいはじめて赤外線せきがいせんリモコン操作そうさによる施錠せじょう装置そうち(キーレスエントリー)を採用さいようしている。これは、当時とうじのルノーしゃはドアようとイグニッションようの2種類しゅるいのキーを使用しようしなければならなかったため、その不便ふべん解消かいしょうする目的もくてき開発かいはつされたものである(どう時期じきに、同様どうよう目的もくてきでフォード/リンカーンの一部いちぶ車種しゃしゅにもキーレスエントリーが採用さいようされている。ただし、こちらは運転うんてんせきドアハンドル付近ふきんにあるキーパッドに暗証あんしょう番号ばんごう入力にゅうりょくする方式ほうしきである)。

「モノスペース・コンセプト」

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エスパス(初代しょだい、1984ねん - 1992ねん

また、1984ねん発売はつばいされた、ヨーロッパの自動車じどうしゃメーカーとしては最初さいしょ本格ほんかくてきミニバンエスパス」は、その未来みらいてき斬新ざんしんなデザインと実用じつようてき広々ひろびろとした室内しつないスペース、たか経済けいざいせいがフランスやイギリス、西にしドイツをはじめとするヨーロッパの消費しょうひしゃれられてだいヒットモデルとなった。

エスパスがヒットしたことでヨーロッパちゅうでミニバンブームをこし、ヨーロッパのおおくの自動車じどうしゃメーカーがそのコンセプト(ルノーでは「モノスパッセ・コンセプト」とんでいる)を模倣もほうすることとなった。なお、そのもルノーはエスパスの後継こうけいモデルをヒットさせているほか、セニックなどのミニバンのヒットさくしている。

アメリカン・モーターズ買収ばいしゅう

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21 "ネヴァダ"(1986ねん - 1994ねん

1979ねんには、スケールメリットとアメリカ市場いちばへの本格ほんかくてき進出しんしゅつねらい、1960年代ねんだい初頭しょとうから提携ていけい関係かんけいにあったアメリカだい4自動車じどうしゃ会社かいしゃアメリカン・モーターズ(AMC)を買収ばいしゅうし、「5」(アメリカ仕様しようは「ル・カー」の販売はんばいされ、フランス国内こくないでも一時期いちじき同名どうめい販売はんばいされた)や、1982ねんのヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞じゅしょうしゃでもある「9」(どう「アライアンス」)、「11」(どう「アンコール」)、「フエゴ」などの複数ふくすうのモデルをようし、1950年代ねんだい後半こうはん撤退てったいから10すうねん再度さいどきたアメリカ市場いちば本格ほんかくてき参入さんにゅうした。

アメリカン・モーターズの販売はんばいもう使つかってアメリカとカナダ全土ぜんど大々的だいだいてき発売はつばい開始かいししたものの、さき参入さんにゅうしていた日本にっぽんしゃやアメリカせい小型車こがたしゃとの競争きょうそう苦戦くせんしたうえに、ルノー本体ほんたい経営けいえい不振ふしんもあり、最終さいしゅうてき1987ねん当時とうじクライスラーにアメリカン・モーターズを売却ばいきゃくきたアメリカ市場いちばから撤退てったいした。なお、アメリカン・モーターズの売却ばいきゃくもクライスラーとの提携ていけいもとづき、1991ねんまでクライスラー(イーグル)ブランドで「21」などのルノーしゃ販売はんばい継続けいぞくされた。

民営みんえい

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サフラン(1992ねん - 1999ねん

1986ねん11月17にちには、アメリカ進出しんしゅつ失敗しっぱいなどによる財政ざいせい再建さいけんへの打開だかいさく一環いっかんとして、民営みんえいけた舵取かじとりをっていた当時とうじ会長かいちょうのジョルジュ・ベスが、パリの自宅じたく玄関げんかんまえ左翼さよくテロ集団しゅうだんアクション・ディレクト暗殺あんさつされるという悲劇ひげききた。

その、ベスののちいで会長かいちょう就任しゅうにんしたレイモン・レヴィとルイ・シュヴァイツァーの指揮しきのもと、スケールメリットをねらって1990ねん2がつスウェーデン大手おおて自動車じどうしゃメーカーであるボルボと業務ぎょうむ資本しほん提携ていけいすることを決定けっていし、これを機会きかいだい世界せかい大戦たいせん直後ちょくごから45年間ねんかんつづいた公団こうだん体制たいせいから株式会社かぶしきがいしゃ改組かいそされた。また、どう1993ねん9月にはボルボとの完全かんぜん合併がっぺいあん発表はっぴょうされたが、フランス政府せいふ干渉かんしょうにボルボがわ経営けいえいじん株主かぶぬし従業じゅうぎょういんなどが態度たいど硬化こうかしたことにより交渉こうしょう決裂けつれつし、同年どうねん12がつには合併がっぺい正式せいしき撤回てっかいされた。

ボルボとの合併がっぺいあん撤回てっかいされたものの、そのもフランス政府せいふ株式かぶしき売却ばいきゃくつづけ、会長かいちょう暗殺あんさつ労働ろうどう組合くみあい反対はんたいという困難こんなんって1996ねんには完全かんぜん民営みんえいたした。2016ねん現在げんざい、フランス政府せいふかぶ比率ひりつやく19%である。フランス政府せいふはその筆頭ひっとう株主かぶぬしでありつづけた。

日産自動車にっさんじどうしゃ傘下さんか

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1999ねん3月27にちに、当時とうじ深刻しんこく経営けいえい危機ききにあった日本にっぽんだい2自動車じどうしゃ会社かいしゃである日産自動車にっさんじどうしゃ傘下さんかおさめることが発表はっぴょうされた。その同社どうしゃ相互そうご資本しほん提携ていけいし、ルノーが日産自動車にっさんじどうしゃかぶを44.4%、日産自動車にっさんじどうしゃがルノーのかぶの15%を所有しょゆうするというかたちかぶい、ルノーが日産自動車にっさんじどうしゃ経営けいえいじんおくむなど、事実じじつじょう親会社おやがいしゃとなったルノー主導しゅどう経営けいえい再建さいけん着手ちゃくしゅした。

当時とうじ取締役とりしまりやく会長かいちょうけん最高さいこう経営けいえい責任せきにんしゃ(PDG)であるルイ・シュヴァイツァーによって日産自動車にっさんじどうしゃ最高さいこう経営けいえい責任せきにんしゃ(CEO)としておくまれたふく社長しゃちょうカルロス・ゴーンとそのチームが、同年どうねん10がつ発表はっぴょうされた「日産にっさんリバイバルプラン」計画けいかくのもと、東京とうきょう武蔵村山むさしむらやまにある村山むらやま工場こうじょう京都きょうと宇治うじ日産車体にっさんしゃたい京都きょうと工場こうじょう当時とうじげんオートワークス京都きょうと)などの余剰よじょう生産せいさん拠点きょてん閉鎖へいさ余剰よじょう資産しさん売却ばいきゃく余剰よじょう人員じんいん削減さくげん子会社こがいしゃ統廃合とうはいごう取引とりひきさき統合とうごうによるコスト削減さくげん車種しゃしゅラインナップの見直みなおしなどのリストラをおこなうと同時どうじに、しん車種しゃしゅ投入とうにゅう国内外こくないがい販売はんばいもうさい構築こうちく、インテリアおよびエクステリアデザインの刷新さっしんブランドイメージの一新いっしんなどの大幅おおはばテコ入てこいれを敢行かんこうした。

当初とうしょ両社りょうしゃ文化ぶんかてき土壌どじょうちがいやラインナップの重複じゅうふく日産自動車にっさんじどうしゃ負債ふさいおおきさなどを理由りゆうに、同業どうぎょう他社たしゃやアナリストをはじめとするおおくの専門せんもんがそのさき危惧きぐした。しかし、最終さいしゅうてきには提携ていけいまえ1998ねんにはやく2ちょうえんあった日産自動車にっさんじどうしゃ有利子ゆうりし負債ふさい2003ねん6がつ返済へんさいえ、再建さいけんげた。

両社りょうしゃあいだ言葉ことばどおりのアライアンス関係かんけい構築こうちくし、車台しゃだいやエンジン、トランスミッションなどの部品ぶひん共通きょうつう詳細しょうさいCMF参照さんしょう)、購買こうばい共同きょうどうなどをつうじてコストダウンをはかっているほか、メキシコなどいくつかのくにではルノーのくるま日産にっさんブランドで販売はんばいしたり(OEM供給きょうきゅう)、そのぎゃくおこなうなど、アライアンスの内容ないよう多岐たきにわたっている。2005ねん1がつにはルイ・シュヴァイツァーが「2010ねんまでに日産自動車にっさんじどうしゃとともに世界せかい市場いちばの10%のシェアを確保かくほし、年間ねんかん400まんだい生産せいさん達成たっせいする」という目標もくひょうかかげた。

その2005ねん5月に日産自動車にっさんじどうしゃ社長しゃちょうけん最高さいこう経営けいえい責任せきにんしゃ(CEO)つとめていたカルロス・ゴーンが、公団こうだん時代じだい1992ねんより13年間ねんかんちょうきにわた取締役とりしまりやく会長かいちょうけん最高さいこう経営けいえい責任せきにんしゃ(PDG)つとめたルイ・シュヴァイツァーにわり、ルノーの9代目だいめ社長しゃちょうけん最高さいこう経営けいえい責任せきにんしゃ(PDG)に就任しゅうにんし(日産にっさん社長しゃちょうけんCEOも兼務けんむ)、それをけシュヴァイツァーは取締役とりしまりやく会長かいちょう(PCA)就任しゅうにん(2010ねん6月23にち退任たいにん)した。

2000年代ねんだい以降いこう

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メガーヌ・ルノースポール(2002ねん - 2009ねん
メガーヌ(3代目だいめ、2008ねん - 2017ねん

その、デザイン担当たんとうふく社長しゃちょうパトリック・ルケモンPatrick le Quément、2011ねん現在げんざい引退いんたい)による斬新ざんしんなデザインや、品質ひんしつ安全あんぜんせい向上こうじょう市場いちば好評こうひょうはくしたことにより、小型車こがたしゃメガーヌクリオ日本にっぽん市場いちばでは「ルーテシア」の販売はんばいされている)、MPVカングーセニック、エスパスがだいヒットするなど、ふたたびフランスのトップブランドにかえいただけでなく、1998ねん以降いこう6ねん連続れんぞくでヨーロッパ市場いちばでトップの販売はんばい台数だいすうほこっていた。近年きんねんではアフリカメルコスール市場いちば中心ちゅうしんとしたみなみアメリカアジアなどでのげがびている。

2005ねん11月には、ヨーロッパでもっとも権威けんいのある自動車じどうしゃしょうである「2006ねんヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー」を発売はつばいされたばかりのクリオが受賞じゅしょうした。なお、ルノーにとってどうしょう受賞じゅしょうするのは2003ねんのメガーヌ以来いらい3ねんぶり6度目どめ、クリオとしては1991ねん以来いらい2度目どめで、どう車種しゃしゅが2どうしょう受賞じゅしょうするのは史上しじょうはつのことである。

2006ねん2がつ9にちには、関連かんれん会社かいしゃ日産自動車にっさんじどうしゃたいするリストラのような従業じゅうぎょういん解雇かいこおこなわずに、2009ねん販売はんばい台数だいすうを2005ねんやく250まんだいから80まんだいおおい330まんだいとし、2009ねん売上うりあげだかたいする営業えいぎょう利益りえきりつを6%にするという内容ないよう中期ちゅうき経営けいえい計画けいかく「ルノー・コミットメント2009」を発表はっぴょうした。この計画けいかくなかには、2009ねんまでにルノーはつSUVふくむ26車種しゃしゅ新型しんがたしゃ投入とうにゅうふくまれ、2007ねんないだけではつ本格ほんかくてきSUVであるコレオスやラグナ3、カングー2があらたに投入とうにゅうされた。

2008ねんには、2012ねんまでに複数ふくすうのルノーブランドの電気でんき自動車じどうしゃ(EV)を市場いちば投入とうにゅうすることも発表はっぴょうされたが、これに先立さきだ2011ねんには、複数ふくすう幹部かんぶ電気でんき自動車じどうしゃ関連かんれん機密きみつ情報じょうほう中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく企業きぎょうろうえいさせたとして解雇かいこされる騒動そうどうきた。

2013ねんには、それまでのパトリック・ルケモンにわって、マツダのデザイン本部ほんぶちょうから転籍てんせきしたローレンス・ヴァン・デン・アッカーはじめて指揮しきった、ルノーとしてはコレオスにクロスオーバーSUVであるキャプチャー登場とうじょうした。

2016ねん傘下さんか日産自動車にっさんじどうしゃ三菱自動車工業みつびしじどうしゃこうぎょう筆頭ひっとう株主かぶぬしとなったことをけ、当社とうしゃのカルロス・ゴーン取締役とりしまりやく会長かいちょうけんCEO(PDG)が同社どうしゃ会長かいちょう就任しゅうにんした。ルノー・日産にっさんアライアンスの一員いちいんとして三菱自動車みつびしじどうしゃとの今後こんご協業きょうぎょう拡大かくだい検討けんとうされている。

2020年代ねんだい

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2020ねん前半ぜんはん世界せかいてき2019新型しんがたコロナウイルス感染かんせん拡大かくだいにより顕著けんちょ景気けいき減退げんたい直面ちょくめん同年どうねん4がつ9にち、スナール会長かいちょうとデルボス暫定ざんていCEO、3ヶ月かげつあいだ報酬ほうしゅうを25%以上いじょう削減さくげんするとともに。4月に予定よていされていた株主かぶぬし総会そうかいを6がつ19にち延期えんきすることを発表はっぴょうした[13]結果けっかてきに2020ねん12がつ決算けっさんは、じゅん損益そんえきが80おく800まんユーロの赤字あかじとなった。赤字あかじは2ねん連続れんぞくがくは2000ねん以降いこうでは過去かこ最悪さいあく[14]

2020ねん東風こち汽車きしゃとの主力しゅりょく合弁ごうべん解消かいしょうし、同時どうじ東風こちルノーも解散かいさん

2021ねん中国ちゅうごく大手おおて浙江せっこう吉利よしとしひかえまた集団しゅうだん吉利よしとし)と中国ちゅうごく韓国かんこくでハイブリッドしゃ合弁ごうべん事業じぎょうすことで合意ごうい[15]よく2022ねん5がつには吉利よしとしにルノーコリア自動車じどうしゃ株式かぶしきやく13おく7600まんげんやく270おくえん)で売却ばいきゃくし、吉利よしとし同社どうしゃかぶの34.01%を取得しゅとくし、ルノーにいで2番目ばんめ株主かぶぬしとなった。

2022ねん5がつロシアによるウクライナ侵攻しんこうけて、ルノーはアフトヴァースの株式かぶしきやく68%をロシアの国営こくえい企業きぎょうである中央ちゅうおう自動車じどうしゃエンジン科学かがく研究所けんきゅうじょに、ルノーのロシア事業じぎょう担当たんとうしている現地げんち法人ほうじん「ルノー・ロシア」の株式かぶしきすべてをモスクワに1ルーブルでそれぞれ売却ばいきゃくし、ロシアから撤退てったいすることをあきらかにした[16]。なお、アフトヴァースの売却ばいきゃく契約けいやくには6ねん以内いない同社どうしゃ株式かぶしきもど権利けんりんでおり、今後こんご情勢じょうせい次第しだい将来しょうらいのロシア国内こくないでの事業じぎょう再開さいかいもありるとしている[17]

2022ねん11月8にち今後こんご電気でんき自動車じどうしゃ開発かいはつ担当たんとうするアンペア内燃ないねん機関きかんとハイブリッドしゃ担当たんとうするホース (吉利よしとし合弁ごうべん)に分社ぶんしゃすると発表はっぴょう、また同日どうじつGoogleと自動車じどうしゃけソフトウェアサービスで提携ていけい拡大かくだいすると発表はっぴょう[18]

2023ねん2がつ6にち、ルノーが保有ほゆうする日産にっさんかぶを15%までげ、日産にっさんつルノーかぶの15%にそろえる資本しほん関係かんけい見直みなおしで合意ごういしたと発表はっぴょうした。

会社かいしゃ概要がいよう

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ルイらルノー兄弟きょうだい
本社ほんしゃ
  • フランス、ブローニュ=ビヤンクール
設立せつりつ
  • 1898ねん
設立せつりつしゃ
経営けいえいじん
従業じゅうぎょう員数いんずう
  • 300,217にん傘下さんかのルノーサムスン自動車じどうしゃ、ダチア、日産自動車にっさんじどうしゃふくむ)
生産せいさん台数だいすう
  • 852まんだい- 2015ねん世界せかいだい4子会社こがいしゃのルノーサムスン自動車じどうしゃ、ダチア、日産にっさん、インフィニティブランドをふくむ。日産にっさん・インフィニティをのぞくと280まん1,592だい世界せかいだい13
じゅん利益りえき
  • 9おく7,000まんユーロ(2021ねん決算けっさん)

歴代れきだい会長かいちょう

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氏名しめい 在任ざいにん期間きかん
初代しょだい ルイ・シュバイツァー 1992ねん がつ - とし がつ
2だい カルロス・ゴーン とし がつ - 2019ねん1がつ
3だい ジャン=ドミニク・スナール 2019ねん1がつ -

歴代れきだいCEO

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氏名しめい 在任ざいにん期間きかん
初代しょだい ルイ・シュバイツァー 1992ねん がつ - 2005ねん がつ
2だい カルロス・ゴーン 2005ねん がつ - 2019ねん1がつ
3だい ティエリー・ボロレ 2019ねん1がつ - 2019ねん10がつ
暫定ざんてい クロチルド・デルボス
暫定ざんてい ルカ・デメオ 2020ねん7がつ

開発かいはつ生産せいさん販売はんばい

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研究けんきゅう開発かいはつ

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総合そうごう研究所けんきゅうじょTechnocentre Renault)はパリの南西なんせい郊外こうがいベルサイユのそばのギュイヤンクールにあり、150ヘクタールの敷地しきちに、42まん5,000平方へいほうメートルの建物たてものがある。1998ねん開設かいせつされ、2010ねん現在げんざい1,100にんはたらいている[19]

生産せいさん拠点きょてん

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ルーマニアから輸出ゆしゅつされるダチア・ロガン

2017ねん現在げんざい、ルノー本体ほんたいとしては本国ほんごくフランスのほかにスペインスロベニアトルコオヤック・ルノー)、ブラジルアルゼンチンコロンビアモロッコインドなど世界せかい各国かっこく生産せいさん拠点きょてんつほか、ロシアポルトガルマレーシアウルグアイチリイランて(ノックダウン)生産せいさんおこなっている。さらに中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくでは東風こち汽車きしゃとの合弁ごうべん会社かいしゃである東風こちルノーをげ、現地げんち生産せいさんしていた(2020ねん解消かいしょう)。

また日産自動車にっさんじどうしゃ韓国かんこくルノーコリアきゅう:ルノーサムスン自動車じどうしゃ)、ルーマニアのダチアなどの傘下さんか企業きぎょう各国かっこく生産せいさん拠点きょてんっており、生産せいさん販売はんばいおこなっている。とくにルノーコリアにおいてはコレオス韓国かんこく国内こくないにおいてはルノーサムスン・QM5/ルノーコリア・QM6)とラティテュードどうルノーサムスン・SM5)、アルカナどうルノーコリア・XM3)を全量ぜんりょう生産せいさん輸出ゆしゅつしている(していた)。

アジア太平洋たいへいよう地域ちいき

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アジア太平洋たいへいよう地域ちいきにおいては、シンガポール本部ほんぶく(2006ねんまでは日本にっぽん東京とうきょう本部ほんぶかれていた)アジア太平洋たいへいよう地域ちいき統括とうかつ本部ほんぶ指揮しき日本にっぽん中華民国ちゅうかみんこく中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく香港ほんこん、シンガポール、マレーシア、インドネシアブルネイオーストラリアニュージーランドと、フランスりょうおよび海外かいがいけんタヒチニューカレドニア合計ごうけい12のくに地域ちいき販売はんばいしているほか、マレーシアではタンチョンとの提携ていけいおこないカングーのノックダウン生産せいさんおこない、近隣きんりん諸国しょこくへの輸出ゆしゅつおこなっている。

なお、オーストラリアでは1995ねんにフランスがムルロア環礁かんしょうおこなったかく実験じっけん影響えいきょうでルノーしゃれなくなり、よく1996ねんから輸入ゆにゅう販売はんばい中止ちゅうし。その傘下さんかにおいた日産自動車にっさんじどうしゃ支援しえんて2001ねん輸入ゆにゅう販売はんばい再開さいかいした。

日本にっぽんでの販売はんばい

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日本にっぽん市場いちば参入さんにゅう

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日野ひの・ルノー4CV

にち戦争せんそう1910ねん明治めいじ43ねん)に、東京とうきょう本社ほんしゃ商社しょうしゃ水嶋みずしま商会しょうかい販売はんばい代理だいりてんとして正式せいしき日本にっぽん市場いちば参入さんにゅうした。また1930年代ねんだいには中外ちゅうがいルノーという会社かいしゃ輸入ゆにゅう業務ぎょうむおこなっていた時期じきがあった。その1953ねん昭和しょうわ28ねん)から1963ねん昭和しょうわ38ねん)まで、日野自動車ひのじどうしゃが「4CV」(日野ひのルノー)をライセンス生産せいさんし、多数たすうがタクシーとして使用しようされたことから「かめルノー」とばれて大衆たいしゅうにもしたしまれ、ルノーの日本にっぽん全国ぜんこくひろまった。

相次あいつぐインポーター変更へんこう

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その1977ねん昭和しょうわ52ねん)に東京とうきょう日産にっさんグループのキャピタル企業きぎょう輸入ゆにゅうけん獲得かくとくし、ルノー・5などを輸入ゆにゅうした。1983ねん昭和しょうわ58ねん)にはミニなどを輸入ゆにゅうしていた「にちえい自動車じどうしゃ」もくわわり、輸入ゆにゅうけんは2しゃ体制たいせいとなった。1986ねん昭和しょうわ61ねん)には当時とうじフィアットくるま輸入ゆにゅうしていた「ジヤクス・カーセールス(JAX)」 が輸入ゆにゅうけん獲得かくとくしたが、1991ねん平成へいせい3ねん)にドイツのフォルクスワーゲンヤナセ販売はんばい撤退てったいあながあいた東京とうきょう地区ちくのディーラーもう獲得かくとくするためにJAXを買収ばいしゅうしたため、ルノーの輸入ゆにゅうちゅうくこととなる。

1993ねん平成へいせい5ねん)には、独立どくりつけいインポーター最大手さいおおて当時とうじ)のヤナセが子会社こがいしゃフランス・モーターズ」を設立せつりつしたが、競合きょうごう車種しゃしゅおおオペルとのいでディーラーもう別々べつべつつくらなければならず、またトゥインゴなどの利幅りはばすくないてい価格かかくしゃ人気にんき集中しゅうちゅうしたことから、結果けっかてきに、親会社おやがいしゃであるヤナセの経営けいえい圧迫あっぱくする原因げんいんにもなってしまった。このようにインポーターが次々つぎつぎわった結果けっか既存きそんのオーナーにたいして満足まんぞくアフターサービスおこなうことができなくなったばかりか、新規しんき顧客こきゃく獲得かくとくのための継続けいぞくてきマーケティング活動かつどうもできない状態じょうたいおちいってしまった。

ルノー・ジャポン

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2000ねん平成へいせい12ねん)には、日本にっぽんでの販売はんばい加速かそくすべくはつのルノーの100%子会社こがいしゃである「ルノー・ジャポン」が設立せつりつされ、ルノーのアジア太平洋たいへいよう統括とうかつ本部ほんぶのもとで日本にっぽん国内こくないでの輸入ゆにゅう販売はんばい業務ぎょうむ強化きょうかされた。

その、ルノー本社ほんしゃのリストラがおこなわれたことをけて、同社どうしゃ2007ねん平成へいせい19ねん)に日産自動車にっさんじどうしゃ子会社こがいしゃである「日産にっさんトレーディング」に業務ぎょうむ移管いかんされ、同社どうしゃいち部門ぶもんとされた。なお、そのも「ルノー・ジャポン」のブランドは継続けいぞくして使用しようされた。

その、ルノーしゃ販売はんばい実績じっせき上向うわむきになりはじめてきたことからルノー・ジャポンをさい分離ぶんりさせることとなり、2012ねん平成へいせい24ねん4がつ2にちより日産自動車にっさんじどうしゃ完全かんぜん子会社こがいしゃとして「ルノー・ジャポン株式会社かぶしきがいしゃ(RENAULT JAPON CO.,LTD.)」がさいスタートすることとなった。

車種しゃしゅ一覧いちらん

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生産せいさん車種しゃしゅ販売はんばい終了しゅうりょう車種しゃしゅふくむ)

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(バス・トラックなどの大型おおがた商用しょうようしゃ生産せいさんしているルノートラック車種しゃしゅのぞく)

ロガン
ダスター
トゥインゴ
キャプチャー
カングー2
メガーヌ
フルエンス
カジャー
アルピーヌA110
トラフィック
アラスカン
  • クウィッド
    • シティコミューターであるトゥイジーをのぞいた、ルノーの最小さいしょう車種しゃしゅ
      日本にっぽん国内こくない正規せいき輸入ゆにゅうはされていない。
  • ロガン
    • 子会社こがいしゃのダチアの車種しゃしゅだが、ロシアブラジルなどいくつかのくにではルノーのブランドで販売はんばいされている。
      ボディタイプは4ドアセダン、ステーションワゴン(ロガンMCV)、バン、ピックアップ。
      日本にっぽん国内こくない正規せいき輸入ゆにゅうはされていない。
  • サンデロ
    • こちらもダチアの車種しゃしゅだが、ロシア、ブラジルなどいくつかのくにではルノーのブランドで販売はんばいされている。
      ボディタイプは5ドアハッチバック。
      日本にっぽん国内こくない正規せいき輸入ゆにゅうはされていない。
  • ドッカー
    • こちらもダチアの車種しゃしゅだが、ウクライナアルゼンチンなどいくつかこくではルノーのブランドで販売はんばいされている。
      ボディタイプは4・5ドアミニバン、バン、ピックアップ。
      日本にっぽん国内こくない正規せいき輸入ゆにゅうはされていない。
  • ロッジー
    • こちらもダチアの車種しゃしゅだが、ロシア、ブラジル、インドなどいくつかのくにではルノーのブランドで販売はんばいされている。
      ボディタイプは5ドアMPV
      日本にっぽん国内こくない正規せいき輸入ゆにゅうはされていない。
  • ダスター
    • こちらもダチアの車種しゃしゅだが、ロシア、ブラジル、インドなどいくつかのくにではルノーのブランドで販売はんばいされている。
      ボディタイプは5ドアクロスオーバーSUV
      日本にっぽん国内こくない正規せいき輸入ゆにゅうはされていない。
  • ルノー ダスターオロチ
    • こちらはダチアが製造せいぞうしているが、ルノーのブランドで販売はんばいされている。
      ボディタイプは4ドアピックアップ(ダスターオロチ)。
      日本にっぽん国内こくない正規せいき輸入ゆにゅうはされていない。
  • トゥインゴ
  • クリオ
    • シュペール5の後継こうけい従来じゅうらいモデルについては日産にっさん・プラティーナ販売はんばいされているくにもある。ボディタイプは5ドアハッチバックとステーションワゴン(エステート)。
  • キャプチャー
  • カングー2
    • 「カングー」の後継こうけいモデル。商用しょうようバージョンのカングー・エクスプレス(Kangoo Express )にはロングWBの「マキシ」とショートWBの「コンパクト」もあり、コンパクトの乗用じょうよう派生はせい車種しゃしゅとして「BE POP(ビボップ)」もある。カングーにはOEMとして日産にっさん・キュビスター(KUBISTAR )が存在そんざいした(NV200はキュビスターの後継こうけい車種しゃしゅ)。
      2にかんしては日本にっぽん国内こくないへは標準ひょうじゅん仕様しようとビボップが正規せいき輸入ゆにゅうされ、コンパクトも並行輸入へいこうゆにゅうしゃとしてはいっていた。2以降いこう兄弟きょうだいしゃとしてメルセデス・ベンツ・シタン存在そんざいする。
  • メガーヌ
    • 「19」の後継こうけい初代しょだいは「19」のシャーシを使つかっていた。
      ホディタイプは、3ドアと5ドアハッチバック、4ドアセダン、ステーションワゴン、グラスルーフ、カブリオレ本国ほんごくでの呼称こしょうはクーペカブリオレ)、ルノー・スポールバージョンもある。
  • フルエンス
    • メガーヌセダン後継こうけい傘下さんかであるルノーサムスンげん・ルノーコリア)のSM3共通きょうつうのボディとメカニズムをゆうする4ドアセダンである。生産せいさん基本きほんてきトルコオヤック・ルノー担当たんとう
      日本にっぽん国内こくない正規せいき輸入ゆにゅうはされていない。
  • タリスマン
    • ルノーにおけるさい高級こうきゅう車種しゃしゅであり、事実じじつじょうフラッグシップモデルであった。韓国かんこく市場いちばのみで販売はんばいされるルノーコリア・SM6兄弟きょうだいしゃ。ただし、中国ちゅうごく仕様しよう他国たこく仕様しようとはことなり、2代目だいめルノーサムスン・SM7がベース。生産せいさんもルノーサムスン釜山ぷさん工場こうじょうおこなわれた。
      ともに日本にっぽん国内こくないへは正規せいき輸入ゆにゅうはされていない。
  • セニック
    • メガーヌをベースにしたMPV欧州おうしゅうではタクシーとしてもポピュラー。
      ロングバージョンで3れつシートのグラン・セニック(Grand Scénic)もある。
      日本にっぽん国内こくないへはグラン・セニックのみが正規せいき輸入ゆにゅうされていた。
    • 先代せんだいモデルでは「RX4」というオフローダーふうの4WDモデルの設定せっていもあった。
  • エスパス
    • 5代目だいめではそれまでの典型てんけいてきなミニバンスタイルから一転いってんクロスオーバーSUVふうのデザインとなっている。
      日本にっぽん国内こくない正規せいき輸入ゆにゅうはされていない。
  • アルカナ
  • カジャー(カジャール)
    • キャプチャーコレオスあいだめるクロスオーバーSUVで、日産にっさん・キャシュカイ共通きょうつうのプラットフォームアーキテクチャ(CMF)・メカニズムをゆうする。
      日本にっぽんでは2018ねん平成へいせい30ねん)4がつ12にちより発売はつばい。これに先立さきだって2017ねん平成へいせい29ねん)8がつに100だい限定げんていで「カジャー Bose」が先行せんこう発売はつばいされた。
  • オーストラル
    • 上述じょうじゅつのカジャーの後継こうけい車種しゃしゅ。3代目だいめ日産にっさんキャシュカイの兄弟きょうだいしゃ
  • コレオス
    • 傘下さんか日産自動車にっさんじどうしゃとルノーサムスン自動車じどうしゃとのジョイントベンチャーにより開発かいはつされたルノーはつ本格ほんかくSUV である。2代目だいめとなる現行げんこうルノーコリア・QM6 とほとんどのパーツを共有きょうゆうし、生産せいさんもQM6とともにルノーサムスンの釜山ぷさん工場こうじょうおこなわれる。
  • アルピーヌA110
    • 1995ねん平成へいせい7ねん以来いらい復活ふっかつとなるアルピーヌブランドのスポーツカー
      日本にっぽんでは2018ねん平成へいせい30ねんない発売はつばいされる予定よてい。これに先立さきだって同年どうねん6がつに50だい限定げんていで「プルミエール・エディション」が先行せんこう発売はつばいされた。
  • トラフィック
    • 現行げんこうモデルは、ルノー、欧州おうしゅうGM日産にっさんによるジョイントプロダクト。乗用じょうよう商用しょうようバージョンのほか、レジャービークルしょくつよい「ジェネレーション」がある。
      日本にっぽん正規せいき輸入ゆにゅうはされていないが、乗用じょうよう商用しょうようとも、少数しょうすう並行へいこう輸入ゆにゅうされている。
      オペル/ボクスホールヴィヴァーロ日産にっさん・プリマスター(PRIMASTAR)、三菱みつびし・エクスプレス と共通きょうつう
  • マスター
    • ルノー最大さいだいFWDくるま(FFベースの4WDもある)。マスコットなど、積載せきさいりょうがこれ以上いじょうのモデルはRWDとなる。
      日産にっさん・インタースターオペル/ボクスホールモヴァノ共通きょうつう
      かつては日本にっぽん国内こくないへも正規せいき輸入ゆにゅうされていたが現在げんざい正規せいき輸入ゆにゅうされていない(ただし、少数しょうすう並行へいこう輸入ゆにゅうされている。)。
  • ゾエ
    • ルノーはつEV専用せんようしゃ。5シーターのコンパクトカーである。
  • トゥイジー
    • EVシティコミューター。トヨタ車体とよたしゃたいコムス性格せいかく類似るいじするが、搭載とうさいするバッテリーや国内こくないにおける車両しゃりょう区分くぶんなど相違そういてんもある。
  • アラスカン
    • 日産にっさん・ナバラ(D23けい)の姉妹しまいしゃとなるピックアップトラック。2016ねん南米なんべいにて発売はつばいされたのを皮切かわきりに、グローバルな展開てんかい予定よていされている。

発売はつばい予定よてい車種しゃしゅ

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過去かこ車種しゃしゅ

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KJ(6CVシリーズ)
AG 9CV
8(ゴルディーニ仕様しよう
スパイダー
アルピーヌA310/A110/A108

アルピーヌ

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ルノーと日産にっさん共通きょうつうのプラットフォーム

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1999ねん傘下さんかにおさめた日産自動車にっさんじどうしゃあいだ構築こうちくされたアライアンス関係かんけいもとづき、近年きんねん発売はつばいされた両社りょうしゃしょう中型ちゅうがたしゃおおくが共同きょうどう開発かいはつした車台しゃだいやエンジニアリングアーキテクチャを積極せっきょくてき導入どうにゅうしている。これらの車種しゃしゅおおくは、車台しゃだいだけでなくエンジンやトランスミッションなどの主要しゅよう部品ぶひん共用きょうようしている。

アライアンス・Bプラットフォーム使用しようしゃ

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アライアンス・Cプラットフォーム使用しようしゃ

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アライアンス・Dプラットフォーム使用しようしゃ

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CMF採用さいようしゃ

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モータースポーツ

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1902ねんパリ-ウィーンレースでのマルセル・ルノーしゃえがいたイラスト。35HPのルノー14CVは、最大さいだい125km/hの俊足しゅんそくと、操縦そうじゅうせい重要じゅうよう山道さんどうでの軽快けいかいさを武器ぶき激戦げきせんせいした。
1903ねんのパリ-マドリッドレースにおけるルノー30CV(マルセル・ルノー搭乗とうじょうしゃ)。当時とうじのカメラシャッターでは高速こうそく疾走しっそうする車両しゃりょう撮影さつえい制約せいやくがあり、タイヤまわりなどの画像がぞういがんでいる。
F・スジズの90CVルノー(1906ねんフランスGP)

ルノーは創業そうぎょう当初とうしょから技術ぎじゅつ向上こうじょう目的もくてきに、モータースポーツへの参加さんか積極せっきょくてきった。

モータースポーツ黎明れいめい、1890年代ねんだい末期まっきから1900年代ねんだい初頭しょとうのヨーロッパでおお開催かいさいされた公道こうどうレースでは、開発かいはつしゃのルイ・ルノー自身じしんあにマルセル・ルノーが、みずか運転うんてんする競技きょうぎようしゃおおくの勝利しょうりり、名声めいせい獲得かくとくしている。

1899ねんから1901ねんにかけては、ド・ディオン・ブートンせいたん気筒きとうエンジンを搭載とうさいしたヴォワチュレットしゃでさまざまな長距離ちょうきょりレースに参戦さんせんした。当初とうしょ3.5HPから最終さいしゅうてきにも8HPにぎない非力ひりきながら、かるさとタフネスさをかし、おおくのレースで完走かんそうして軽量けいりょうしゃクラスで上位じょうい独占どくせんした。1,000キロをえる長距離ちょうきょりレースでも4気筒きとう・7L〜10Lの怪物かいぶつてきなクラスにぞくするハイパワーなパナールやモールなどにして活躍かつやく、クラス優勝ゆうしょう上位じょうい入賞にゅうしょう達成たっせいしている。これらのレースではルイもおおいに健闘けんとうしたが、あにマルセルがそれ以上いじょう成績せいせきおさめた。

ルノーしゃはさらに強豪きょうごうがひしめく上級じょうきゅうクラスにも進出しんしゅつした。特筆とくひつすべきは1902ねん6がつ開催かいさいされた1,700キロのパリ-ウィーンレースでの活躍かつやくである。後半こうはんオーストリア山道さんどう過酷かこく山岳さんがくコースで激戦げきせん展開てんかいされたが、4気筒きとう3.7L中型ちゅうがたしゃの14CVルノーに搭乗とうじょうしたマルセル・ルノーは、7番手ばんてだったザルツブルクからの最終さいしゅう区間くかんで、先頭せんとうにいたアンリ・ファルマン搭乗とうじょうの13.7Lパナールをふく強力きょうりょくだい排気はいきりょうしゃ6だいすべてにってトップでウィーンに到着とうちゃく総合そうごう優勝ゆうしょうした(ルイも同型どうけいしゃ参戦さんせんし、途中とちゅうしゃとクラッシュして61まで後退こうたいしながらも、こわれかけたくるまあやつり20まで回復かいふくして完走かんそうした)。

また史上しじょうはつのグランプリレースである1906ねんフランスグランプリにもルノーは13L・105HPの「90CV」レーサー3だい参戦さんせんさせており、うち「3A」しゃ搭乗とうじょうしたフェレンク・スジズ(Ferenc Szisz、1877 - 1944)が、ルマンの周回しゅうかいコース(2日間にちかん累計るいけい1,248キロ)を12あいだ46ふんだい平均へいきん101km/hで走破そうはどう時期じき強豪きょうごうフィアットくだして優勝ゆうしょうした。このフランスGPではマシーン自体じたい高性能こうせいのうこう出力しゅつりょくくわえ、こう当時とうじさい新鋭しんえいミシュランしき脱着だっちゃくホイールを採用さいようしたことでタイヤ交換こうかん時間じかん大幅おおはば短縮たんしゅく成功せいこう以後いご脱着だっちゃくホイール普及ふきゅう端緒たんしょとなった。

しかし、それらの勝利しょうり一方いっぽうで、当時とうじのヨーロッパにおける最高峰さいこうほう公道こうどうレースのひとつとなった1903ねん5月24にちスタートの「パリ-マドリッドレース」では、参加さんかしたマルセル・ルノーが操縦そうじゅうミスで事故死じこしするという悲劇ひげきこっている(このレースの実態じったいは、路上ろじょうまで観客かんきゃくあふれる舗装ほそう公道こうどう重量じゅうりょうレーサーぐんによる130km/hちょう接戦せっせん展開てんかいされるという危険きけんきわまりないもので、ほかにもドライバーや観客かんきゃく多数たすう死傷ししょうしゃしょうじ、5月24にち複数ふくすう事故じこ累計るいけい死者ししゃ8にんかぞえるゆうの「のレース」となった。事態じたい危惧きぐしたフランス政府せいふ途中とちゅうのボルドーでレースを中止ちゅうしさせ、以後いご自動車じどうしゃ競技きょうぎはクローズドサーキットを中心ちゅうしん実施じっしされるようになる)。ルイ・ルノーもこのレースに参加さんか、ボルドーでの中止ちゅうし時点じてんでフェルナン・ガブリエルにぐ2につけていたが(パリからの公道こうどう552キロをガブリエルのモールZが5あいだ13ふんだい、ルイの30CVルノーは5あいだ29ふんだいと、ともに100km/hちょう驚異きょういてきペースで走破そうはしていた)、マルセルのふか落胆らくたんしたルイは、これを最後さいごみずからレースに参戦さんせんすることをめた。

1909ねん最後さいごにモータースポーツへの参戦さんせんひかえられるようになり、だい世界せかい大戦たいせんまえまで、市販しはんモデルをベースにした速度そくど記録きろく連続れんぞく走行そうこう記録きろくなどのレコード達成たっせい挑戦ちょうせん散発さんぱつてきおこなわれるにとどまった。

だい世界せかい大戦たいせんには国有こくゆう企業きぎょうとなりながらも、1940年代ねんだい末期まっきからアルピーヌゴルディーニなどのチューナーをつうじ、ル・マン24あいだレースラリーなどに積極せっきょくてき参戦さんせんした。1973ねんに、それまでルノーのじゅんワークスチームてき存在そんざいであったアルピーヌを買収ばいしゅうしてモータースポーツ関連かんれん子会社こがいしゃルノー・スポール設立せつりつ以来いらいF1ル・マン24あいだレースなどの耐久たいきゅうレース、ラリーなどさまざまなカテゴリーで活躍かつやくひろげ、1978ねんにはル・マン24あいだレース、2005ねんと2006ねんには2ねん連続れんぞくでF1のコンストラクターズとドライバーズのりょうタイトルを獲得かくとくするなどしている。

自社じしゃチームによりレースに参戦さんせんするだけではなく、ワンメイクレース開催かいさいフォーミュラ・ルノーなど若手わかてレーシングドライバー育成いくせいプログラムの充実じゅうじつなどをつうじてモータースポーツの振興しんこうにもちかられている。

なおルノー・スポールは、2021ねん5がつ1にちをもって「アルピーヌ」ブランドと統合とうごうされ、ルノーにおけるモータースポーツ部門ぶもんは「アルピーヌ」ブランドに一本いっぽんされることになり「ルノー・スポール」の名称めいしょう消滅しょうめつした[20]

フォーミュラ1

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RS01(1977ねん
ルノーF1チームのピット(2005ねん

革新かくしんてき技術ぎじゅつ積極せっきょくてき導入どうにゅう

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1977ねんにはFIAフォーミュラ1世界せかい選手権せんしゅけんに、史上しじょうはつの1.5ℓV6ターボチャージャーエンジンを搭載とうさいした車体しゃたいでフルコンストラクター(車体しゃたいもエンジンも自社じしゃ製作せいさくするチーム)として参入さんにゅうした。

当初とうしょ苦戦くせんするものの、まもなくたか戦闘せんとうりょく発揮はっき数々かずかず勝利しょうりげた。1980年代ねんだい中盤ちゅうばんまでルノーチームとして参戦さんせんしたあと、1989ねんから1997ねんまでエンジンサプライヤーとして、2002ねん以降いこうふたたびフルコンストラクターのルノーチームとして参戦さんせんし、さらに複数ふくすうのチームにもエンジンを供給きょうきゅうしている。

これら3いずれも強豪きょうごう一角いっかくつらねたが、参戦さんせんのたびにターボエンジン、ニューマチックバルブてい重心じゅうしん広角こうかくエンジンといった革新かくしんせいのある技術ぎじゅつコンセプトを投入とうにゅうしており、たんなる強豪きょうごうにとどまらない影響えいきょうおよぼしている存在そんざいでもある。

2ねん連続れんぞくチャンピオン

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ながらく低迷ていめいしていたベネトンチームを買収ばいしゅうして誕生たんじょうしたルノーチームだが、この再建さいけんをもたし、とくに2005ねん以降いこうはチャンピオンタイトルをあらそい、フェラーリマクラーレンといったライバルを凌駕りょうがし、2005ねん2006ねんの2ねん連続れんぞくでコンストラクター(製造せいぞうしゃ部門ぶもんとドライバー部門ぶもんフェルナンド・アロンソ)のりょうタイトルを獲得かくとくした。

ラリー競技きょうぎ

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ラリーで大衆たいしゅうしゃベースとして投入とうにゅうされる1960年代ねんだいよりドーフィン、4、以降いこう世界せかいラリー選手権せんしゅけん時代じだいはいるまでは8、12、17をゴルディーニ仕様しようとして投入とうにゅう1972ねん、Gr.4マシンであるアルピーヌ・A110の投入とうにゅうジャン=クロード・アンドリュー活躍かつやくにより、ライバルのポルシェはフェードアウト気味ぎみであったがフィアットランチアフォードBMC凌駕りょうが1973ねんWRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得かくとくする。以降いこう選手権せんしゅけん再開さいかいされ、ランチア・ストラトス席巻せっけんするようになってからはA310の熟成じゅくせい時間じかんついやし、したのグループではしらせていた5をアルピーヌ仕様しよう進化しんかさせ、80年代ねんだいのグループB時代じだいはいり5ターボマキシへと進化しんかしていくとFFしゃ使つかいでもあるジャン・ラニョッティブルーノ・サビーらの活躍かつやくによりはげしいトップ〜中堅ちゅうけんあらそいをひろげる[21]。それがぎ90年代ねんだいはいるまでにはルノー・クリオ投入とうにゅうする。

1970年代ねんだい後半こうはんのERAヨーロッパラリークロス選手権せんしゅけんにもA110は投入とうにゅうされ、ヴィック・クォイトフがり、並居なみいるポルシェ・911と中堅ちゅうけんあらそいをひろげている[22]

広告こうこく・ブランド

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4CV

フランスの自動車じどうしゃ会社かいしゃれいれずふるくから広告こうこくちかられていることでられており、グローバル担当たんとう広告こうこく代理だいりてんであるパブリシスとの長年ながねん関係かんけいのもと、1972ねんの5(サンク)のデビュー広告こうこくキャンペーンなど、広告こうこくのこ有名ゆうめい広告こうこくをいくつもおくしている。

コーポレートカラー

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マスタードイエローとばれる黄色おうしょくをコーポレートカラーにしており、ロゴマークの背景はいけいしょくとなっているほか、モータースポーツに参戦さんせんするさいなどはこのいろ基調きちょうしろもしくはくろわせるのが基本きほんである。

テレビCMにかんするエピソード

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2006ねんころにドイツ広告こうこく代理だいりてんにより制作せいさくされ、ドイツをはじめとする複数ふくすうくに放映ほうえいされたテレビCM(日本にっぽんにおいてもルノー・ジャポンのウェブサイトじょう公開こうかいされた)には、ルノーしゃ安全あんぜんせいをアピールするために以下いかしめすような奇抜きばつ内容ないようのものがあった。

  • くるまもの(おもな自動車じどうしゃ生産せいさんこくになぞらえたもの)にえて衝突しょうとつテストをおこなった。ソーセージ(ドイツしゃ)・寿司ずし日本にっぽんしゃ)・クネッケブレードかんパン一種いっしゅ、スウェーデンしゃ)が次々つぎつぎと「大破たいは」していくなかフランスパン(ルノーしゃ)だけは先端せんたん一瞬いっしゅんひしゃげつつもほぼ無傷むきずわり、ラストにもこのフランスパンが登場とうじょうしていた。
  • 砂漠さばくなか、シルバーにられたさまざまなルノーしゃ隊列たいれつみ、かつてのいすゞ・ジェミニのCM(「まち遊撃手ゆうげきしゅ」シリーズ)のようにおどるようなアクロバット走行そうこうをするが、ドアミラーの接触せっしょく破損はそんはじまり、接触せっしょく横転おうてんなどを最後さいごは2だいがジャンプしながらはげしく正面しょうめん衝突しょうとつしてしまう。しかし、それら満身まんしん創痍そういのルノーしゃぐんは、ラストに勢揃せいぞろいし全車ぜんしゃ徐行じょこうながらもうごいていた[23]

子会社こがいしゃ提携ていけいさきなど

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子会社こがいしゃ系列けいれつ会社かいしゃ

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提携ていけいさき・その

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ フェルディナント・ポルシェ設計せっけいという俗説ぞくせつあやま[よう出典しゅってん]

出典しゅってん

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  1. ^ Our plants, labs, design and engineering center - Renault Group”. www.renaultgroup.com. 2021ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ “Renault chairman: Could seek 4-5 billion euros worth of bank loans”. Reuters. (10 April 2020). https://www.reuters.com/article/us-health-coronavirus-renault-idUSKCN21S0K7 
  3. ^ “French carmaker Renault names Luca de Meo as new CEO”. Reuters. (28 January 2020). https://www.reuters.com/article/us-renault-ceo-appointment-idUSKBN1ZR2BA 
  4. ^ a b Facts and figures 2020”. Renault. pp. 6, 7. 15 May 2021閲覧えつらん
  5. ^ a b c d e 2020 consolidated financial statements”. Renault. pp. 3, 5–6. 15 May 2021閲覧えつらん
  6. ^ Stockholder Structure”. Groupe Renault. 27 July 2019閲覧えつらん
  7. ^ 2017ねん世界せかい新車しんしゃ販売はんばい…VW2ねん連続れんぞく首位しゅい日産にっさん三菱みつびしルノー3しゃ連合れんごう2浮上ふじょう、トヨタ6ねんぶり3新聞しんぶんウォッチ]”. レスポンス. 2018ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  8. ^ ルノーと日産にっさん、15%の株式かぶしき相互そうご保有ほゆうなどあらたなアライアンス契約けいやく最終さいしゅう契約けいやく締結ていけつ完了かんりょう”. Car Watch. 2023ねん7がつ26にち閲覧えつらん
  9. ^ ルノー・ジャパン「ルノーの歴史れきし
  10. ^ アライアンス 2022: 年間ねんかん100おくユーロのシナジー創出そうしゅつ目指めざ年間ねんかん販売はんばい台数だいすう1,400まんだい売上うりあげだか合計ごうけい2,400おくドルを見込みこ』(プレスリリース)日産自動車にっさんじどうしゃ株式会社かぶしきがいしゃ、2017ねん9がつ15にちhttps://newsroom.nissan-global.com/releases/release-0353cff056039ba7d850d30c2000dc30-170915-01-j2020ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん 
  11. ^ ルノー・日産自動車にっさんじどうしゃ三菱自動車みつびしじどうしゃ、「Microsoft Azure」をベースとした「アライアンス インテリジェント クラウド」を』(プレスリリース)三菱自動車工業みつびしじどうしゃこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ、2019ねん3がつ20日はつかhttps://www.mitsubishi-motors.com/jp/newsrelease/2019/detailj320.html2020ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん 
  12. ^ 『20世紀せいきぜん記録きろく クロニック』小松こまつ左京さきょう堺屋さかいや太一たいち立花たちばなたかし企画きかく委員いいん講談社こうだんしゃ、1987ねん9がつ21にち、p308。
  13. ^ ふつルノー、コロナ危機きき配当はいとう見送みおく役員やくいん報酬ほうしゅう25%カット”. 時事通信じじつうしん. (2020ねん4がつ10日とおか). オリジナルの2020ねん4がつ13にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200413134805/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020041001128&g=int 2020ねん5がつ14にち閲覧えつらん 
  14. ^ ふつルノー、20ねん赤字あかじ1ちょうえん コロナひび過去かこ最悪さいあく”. 時事通信じじつうしん (2021ねん2がつ19にち). 2021ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  15. ^ 吉利よしとしとルノーが合弁ごうべん合意ごうい ちゅうかんでハイブリッドしゃ. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (2021ねん8がつ9にち). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM090LF0Z00C21A8000000/ 2023ねん9がつ7にち閲覧えつらん 
  16. ^ トヨタもマツダもロシア撤退てったい設備せつびいていきますから…」の裏側うらがわ”. Motor-Fan[モーターファン]. 2022ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  17. ^ ルノー、本国ほんごく市場いちばのロシアから全面ぜんめん撤退てったいかぶ売却ばいきゃく契約けいやくには6ねん以内いないもど権利けんり”. 読売新聞よみうりしんぶん (2022ねん5がつ16にち). 2022ねん5がつ19にち閲覧えつらん
  18. ^ ふつルノーとべいグーグル、自動車じどうしゃソフトで提携ていけい拡大かくだい」『Reuters』2022ねん11月8にち2022ねん11月9にち閲覧えつらん
  19. ^ Guyancourt, Renault Design (Groupe Renault)
  20. ^ ルノー「ルノー・スポール」が「アルピーヌ」にブランドめい変更へんこう”. carview! (2021ねん5がつ12にち). 2021ねん5がつ12にち閲覧えつらん
  21. ^ 三栄書房さんえいしょぼう「ラリー&クラシックス Vol.4」より抜粋ばっすい参考さんこう
  22. ^ 動画どうがポータルとうにアップされている当時とうじ放映ほうえいVTRより確認かくにん[出典しゅってん無効むこう]
  23. ^ https://www.youtube.com/watch?v=YEjmnRmm5po

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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