2021年 ねん より使用 しよう のマーク
ルノー (Groupe Renault フランス語 ふらんすご : [ɡʁup ʁəno] 、法律 ほうりつ 上 じょう : Renault S.A.)は、フランス の多 た 国籍 こくせき 自動車 じどうしゃ メーカー 。イル=ド=フランス地域 ちいき 圏 けん オー=ド=セーヌ県 けん ブローニュ=ビヤンクール に本社 ほんしゃ を置 お く。
様々 さまざま な自動車 じどうしゃ やバンを生産 せいさん しており、過去 かこ にはトラック 、トラクター 、戦車 せんしゃ 、バス /コーチ、航空機 こうくうき および航空機 こうくうき エンジン 、オートレール車両 しゃりょう を製造 せいぞう していた。国際 こくさい 自動車 じどうしゃ 工業 こうぎょう 連合 れんごう 会 かい による2016年 ねん のルノーは生産 せいさん 台数 だいすう で世界 せかい 第 だい 9位 い だった。2017年 ねん 、ルノー・日産 にっさん ・三菱 みつびし アライアンス の自動車 じどうしゃ の販売 はんばい 台数 だいすう で、ドイツ のフォルクスワーゲン・グループ についで世界 せかい 第 だい 2位 い となった[ 7] 。
ただし、ルノーが保有 ほゆう していた日産自動車 にっさんじどうしゃ の株式 かぶしき が15%に引 ひ き下 さ げられたため親会社 おやがいしゃ ではなくなったが、提携 ていけい は継続 けいぞく されている[ 8] 。
プレミアム・トラクター
1898年 ねん にフランス人 じん 技術 ぎじゅつ 者 しゃ のルイ・ルノー (Louis Renault 、1877年 ねん - 1944年 ねん )とその兄弟 きょうだい によって「ルノー・フレール(ルノー兄弟 きょうだい )」社 しゃ として設立 せつりつ された。ルノーはパリ市 し からタクシーの大量 たいりょう 生産 せいさん を受注 じゅちゅう して大量 たいりょう 生産 せいさん に移行 いこう する[ 9] 。現在 げんざい はおもに中小 ちゅうしょう の乗用車 じょうようしゃ や商用 しょうよう 車 しゃ を手 て がける。過去 かこ には商用 しょうよう 車 しゃ 専 せん 門 もん の子会社 こがいしゃ のルノーV.I で大型 おおがた トラック や軍用 ぐんよう 車両 しゃりょう の生産 せいさん 、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ は航空機 こうくうき やボート も生産 せいさん していた。
1945年 ねん に国営 こくえい 化 か 。1970年代 ねんだい 以降 いこう 、PSA・プジョーシトロエン と並 なら んでフランスの二 に 大 だい 自動車 じどうしゃ 企業 きぎょう の一角 いっかく を占 し め、先進 せんしん 的 てき なデザインと優 すぐ れた安全 あんぜん 性能 せいのう 、高 こう 品質 ひんしつ が高 たか い評価 ひょうか を受 う け、1998年 ねん 以降 いこう 2004年 ねん まで連続 れんぞく でヨーロッパ 第 だい 1位 い の販売 はんばい 台数 だいすう を維持 いじ した。現在 げんざい でもフランス政府 せいふ が筆頭 ひっとう 株主 かぶぬし である。
2011年 ねん 現在 げんざい 、韓国 かんこく のルノーサムスン自動車 じどうしゃ 、ルーマニア のダチア 、ロシア のアフトヴァース の株式 かぶしき を保有 ほゆう し、これらを傘下 さんか に収 おさ めている。また日本 にっぽん の日産自動車 にっさんじどうしゃ とお互 たが いの株式 かぶしき を持 も ち合 あ い名目 めいもく 上 じょう は対等 たいとう の「ルノー・日産自動車 にっさんじどうしゃ ・三菱自動車 みつびしじどうしゃ 」[ 10] [ 11] を構成 こうせい しているが、日産 にっさん はフランスの国内 こくない 法 ほう の制限 せいげん により議決 ぎけつ 権 けん を行使 こうし できなかったため、ルノーが事実 じじつ 上 じょう 傘下 さんか に収 おさ めていた(2023年 ねん に関係 かんけい 見直 みなお しを行 おこな い、日産 にっさん への出資 しゅっし 比率 ひりつ を44%から15%に引 ひ き下 さ げ、対等 たいとう な資本 しほん 関係 かんけい となった)。
これらの傘下 さんか に収 おさ めたグループ企業 きぎょう を含 ふく めると、2011年 ねん 度 ど の新車 しんしゃ 販売 はんばい 台数 だいすう の実績 じっせき では、日本 にっぽん のトヨタグループ を抜 ぬ いて、アメリカ のGM とドイツ のフォルクスワーゲングループ に次 つ いで世界 せかい 第 だい 3位 い の規模 きぼ の会社 かいしゃ となる。また商用 しょうよう 車 しゃ 製造 せいぞう 社 しゃ の世界 せかい 的 てき 再編 さいへん では、商用 しょうよう 車 しゃ 専 せん 門 もん の子会社 こがいしゃ のルノーV.I をボルボ に売却 ばいきゃく する一方 いっぽう 、ボルボの株 かぶ を20%保有 ほゆう し影響 えいきょう 力 りょく を保持 ほじ している。
ヴォワチュレットを運転 うんてん するルイ・ルノー
フランスのパリ郊外 こうがい に住 す む若 わか いアマチュア技術 ぎじゅつ 者 しゃ であったルイ・ルノーは、1898年 ねん にド・ディオン・ブートン3輪 りん 車 しゃ を4輪 りん 式 しき に改造 かいぞう する取 と り組 く みの過程 かてい で、現在 げんざい のプロペラシャフト式 しき フロントエンジン・リアドライブ方式 ほうしき (FR)の原型 げんけい である「ダイレクト・ドライブ・システム」を発明 はつめい した。この斬新 ざんしん な機構 きこう でルイ・ルノーは1899年 ねん にフランス特許 とっきょ を取得 しゅとく 、ほどなくフランス中 ちゅう の自動車 じどうしゃ 会社 かいしゃ に模倣 もほう されることとなり、1914年 ねん に特許 とっきょ が切 き れるまでの間 あいだ に当時 とうじ の金額 きんがく で数 すう 百 ひゃく 万 まん フラン を越 こ える莫大 ばくだい な特許 とっきょ 料 りょう がルノーに転 ころ がり込 こ んだ。
1899年 ねん にはこの機構 きこう を搭載 とうさい した小型 こがた 自動車 じどうしゃ 「ヴォワチュレット 」(Voiturette )を市販 しはん し、商業 しょうぎょう 的 てき 成功 せいこう を収 おさ めたことを受 う け、ルイは兄 あに のマルセル、フェルナンとともに同年 どうねん 10月 がつ に「ルノー・フレール」社 しゃ (ルノー兄弟 きょうだい 社 しゃ )を設立 せつりつ した。その後 ご は事業 じぎょう 規模 きぼ の拡大 かくだい に合 あ わせ、1904年 ねん にはフランス国内 こくない に120店舗 てんぽ の販売 はんばい 代理 だいり 店 てん 網 もう を構 かま えるなど、事業 じぎょう 基盤 きばん を強固 きょうこ なものにする。先進 せんしん 諸国 しょこく のモータリゼーションの拡大 かくだい により、イギリス やドイツ 、日本 にっぽん など諸 しょ 外国 がいこく への輸出 ゆしゅつ も開始 かいし したほか、ロシア に工場 こうじょう を建設 けんせつ するなど急激 きゅうげき にその生産 せいさん 台数 だいすう を伸 の ばした。
FT-17軽 けい 戦車 せんしゃ
1900年代 ねんだい 以降 いこう は、小型車 こがたしゃ を中心 ちゅうしん とする量産 りょうさん 政策 せいさく によって生産 せいさん 規模 きぼ が拡大 かくだい したことから、先 さき に創業 そうぎょう されたプジョー などを追 お い抜 ぬ きフランスで最大 さいだい の自動車 じどうしゃ 製造 せいぞう 会社 かいしゃ となった。第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前後 ぜんご にはルノー FT-17 軽 けい 戦車 せんしゃ などの戦車 せんしゃ や装甲車 そうこうしゃ 、トラック などの軍用 ぐんよう 車両 しゃりょう や、飛行機 ひこうき および航空 こうくう 用 よう エンジン、さらには小型 こがた 船 せん の開発 かいはつ ・生産 せいさん を行 おこな うなど、その事業 じぎょう 範囲 はんい を拡大 かくだい した。また、このころから日本 にっぽん やオーストリア・ハンガリー帝国 ていこく 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく などへ販売 はんばい 代理 だいり 店 てん を通 つう じて本格 ほんかく 的 てき な輸出 ゆしゅつ を開始 かいし したほか、ロシア帝国 ていこく での生産 せいさん を開始 かいし するなど、世界 せかい 各国 かっこく へ積極 せっきょく 的 てき に進出 しんしゅつ した。
なお1900年代 ねんだい から1930年代 ねんだい 初頭 しょとう までのルノーは、エンジンの直後 ちょくご にラジエーター を置 お く独特 どくとく の方式 ほうしき をとっており、前 ぜん 頭部 とうぶ に他社 たしゃ のような垂直 すいちょく のフロントグリル がない、変 か わった形態 けいたい が特徴 とくちょう であった。これはウォーターポンプ による冷却 れいきゃく 水 すい の強制 きょうせい 循環 じゅんかん 機構 きこう に信頼 しんらい を持 も てなかったルイ・ルノーが、温度 おんど 差 さ を利用 りよう する古典 こてん 的 てき なサーモ・サイフォン式 しき (対流 たいりゅう 式 しき )に長 なが くこだわってラジエーター位置 いち を制約 せいやく した結果 けっか で、冷却 れいきゃく 機構 きこう の直接 ちょくせつ のトラブルは少 すく なかったが、客室 きゃくしつ 内 ない に熱 ねつ が多 おお く伝 つた わり、また、冷却 れいきゃく 水 すい 量 りょう も多 おお く要 よう するなど、効率 こうりつ 面 めん では決 けっ して有利 ゆうり な手法 しゅほう ではなかった。1930年代 ねんだい 末期 まっき に至 いた るまで、ルノー車 しゃ の多 おお くはサーモ・サイフォン式 しき 冷却 れいきゃく 機構 きこう で生産 せいさん され続 つづ け、また動 どう 弁 べん 機構 きこう もほとんど一貫 いっかん して効率 こうりつ の悪 わる いサイドバルブ 式 しき のままだった。
パリの辻 つじ 馬車 ばしゃ 会社 かいしゃ は、フランスにおける自動車 じどうしゃ の普及 ふきゅう を見 み て1905年 ねん からいち早 はや く自動車 じどうしゃ 化 か (タクシー )へのシフトを開始 かいし した。ルノーが1905年 ねん 当時 とうじ 生産 せいさん していた最小 さいしょう モデルの2気筒 きとう 1060cc車 しゃ 「8CV」がタクシー用 よう 車種 しゃしゅ に選定 せんてい され、のべ1,500台 だい に達 たっ するオーダーが入 はい った。これにより、1900年代 ねんだい 後期 こうき には小型 こがた のルノー・タクシー多数 たすう がパリ市街 しがい を往来 おうらい するようになった。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん が勃発 ぼっぱつ してから間 あいだ もない1914年 ねん 9月 がつ 初旬 しょじゅん 、ドイツ陸軍 りくぐん はフランス領内 りょうない に侵攻 しんこう し、パリにほど近 ちか いマルヌ川 がわ まで到達 とうたつ した。ここでドイツ軍 ぐん を止 と めようとするフランス陸軍 りくぐん との間 あいだ で「マルヌ会戦 かいせん 」と呼 よ ばれる凄絶 せいぜつ な激戦 げきせん が展開 てんかい されたが、防衛 ぼうえい するフランス側 がわ は当初 とうしょ 形勢 けいせい 不利 ふり であった。鉄道 てつどう 輸送 ゆそう だけでは前線 ぜんせん への兵士 へいし の増援 ぞうえん が足 た りなかった。
パリ軍事 ぐんじ 総督 そうとく として首都 しゅと 防衛 ぼうえい にあたっていたジョゼフ・ガリエニ 将軍 しょうぐん は、ここでかつてない奇策 きさく を打 う ち出 だ した。パリ市内 しない を走 はし るタクシーを緊急 きんきゅう に大量 たいりょう チャーターし、兵員 へいいん 輸送 ゆそう に充 あ てることにしたのである。動員 どういん に応 おう じ、600台 だい ものルノー・タクシーがドライバーとともに集結 しゅうけつ した。9月7日 にち 深夜 しんや 、完全 かんぜん 武装 ぶそう のフランス軍 ぐん 兵士 へいし 5名 めい ずつを載 の せ、ヘッドライトを消 け したタクシーの車列 しゃれつ がパリ - マルヌ間 あいだ を2往復 おうふく した。結果 けっか 、一夜 いちや にして6,000人 にん の兵士 へいし がフランス側 がわ 前線 ぜんせん に増援 ぞうえん され、ドイツ軍 ぐん の猛攻 もうこう は食 く い止 と められた。
この「ルノーのタクシーの働 はたら きでパリが守 まも られた」という逸話 いつわ によって、その後 ご パリを走 はし るルノーのタクシーは「マルヌのタクシー 」(Taxi de la Marne )と呼 よ ばれることになった。自動車 じどうしゃ の軍事 ぐんじ 的 てき 重要 じゅうよう 性 せい を世 よ に知 し らしめたエピソードのひとつである。
40CV(1922年 ねん )。巨大 きょだい な9.1Lエンジンの力 ちから に任 まか せ、大統領 だいとうりょう 公用 こうよう 車 しゃ から速度 そくど 記録 きろく 試験 しけん 車 しゃ まで様々 さまざま な用途 ようと に用 もち いられた。大 だい 排気 はいき 量 りょう エンジンの冷却 れいきゃく をサーモ・サイフォン式 しき ラジエータで行 おこな うため、ラジエータ部分 ぶぶん が巨大 きょだい である。
NN(1926年 ねん )。1922年 ねん から販売 はんばい された、ルノー・6CV (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) シリーズの1つ。このシリーズは、プジョーのタイプ161「クアドリレット」 (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) などと共 とも に、大衆 たいしゅう 車 しゃ の決定 けってい 版 ばん となった[ 12] 。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の終戦 しゅうせん 後 ご にはルノーをめぐる情勢 じょうせい にも変化 へんか が生 しょう じる。戦闘 せんとう 用 よう 車両 しゃりょう や武器 ぶき 生産 せいさん という特需 とくじゅ がなくなったうえ、イギリス やドイツなどからの輸入 ゆにゅう 車 しゃ の増加 ぞうか によりフランス国内 こくない の販売 はんばい 競争 きょうそう が急激 きゅうげき に激化 げきか した。また競合 きょうごう メーカーのプジョーや後発 こうはつ メーカーのシトロエンなどが、生産 せいさん 車種 しゃしゅ を減 へ らして量産 りょうさん 効果 こうか を追求 ついきゅう する手法 しゅほう で急速 きゅうそく に追 お い上 あ げをかけてきたのに対 たい し、ルノーは世界 せかい 恐慌 きょうこう 下 した の厳 きび しい経済 けいざい 事情 じじょう にあっても、4気筒 きとう 小型 こがた 大衆 たいしゅう 車 しゃ から巨大 きょだい な8気筒 きとう 高級 こうきゅう 車 しゃ に至 いた るまでの多様 たよう なボディバリエーションを伴 ともな う多 た 車種 しゃしゅ 少量 しょうりょう 生産 せいさん を継続 けいぞく し、1930年代 ねんだい にはその地位 ちい をフランス第 だい 3位 い に後退 こうたい させた。
さらに老年 ろうねん に達 たっ したルイ・ルノーは保守 ほしゅ 的 てき な設計 せっけい 思想 しそう に傾 かたむ くようになり、1920年代 ねんだい 末期 まっき に至 いた っても第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん 直前 ちょくぜん レベルから大差 たいさ のない、古典 こてん 化 か したレイアウトの低 てい 効率 こうりつ なモデルがラインナップの多数 たすう を占 し めた。機械 きかい 式 しき ブレーキサーボだけは早 はや くから導入 どうにゅう したが、当時 とうじ 導入 どうにゅう が急速 きゅうそく に進 すす んだ独立 どくりつ 懸架 けんか も油圧 ゆあつ ブレーキも、ルノーへの導入 どうにゅう は競合 きょうごう 他社 たしゃ に比 くら べて大 おお きく遅 おく れた。製品 せいひん の品質 ひんしつ こそ優 すぐ れていたものの、業界 ぎょうかい をリードする製品 せいひん を作 つく るメーカーではなくなっていた。
それでも老舗 しにせ メーカーとしての信用 しんよう は厚 あつ く、高級 こうきゅう 車 しゃ 分野 ぶんや では当時 とうじ フランスに多数 たすう 存在 そんざい した高級 こうきゅう 車 しゃ 専門 せんもん メーカーにも劣 おと らぬステータスを誇 ほこ った。6気筒 きとう 9.1Lの「40CV」(原型 げんけい は1913年 ねん 発表 はっぴょう で7.5L、1919年 ねん 型 がた で排気 はいき 量 りょう 拡大 かくだい )とその後継 こうけい 車 しゃ である8気筒 きとう 7.1L「レナステラ」(1928年 ねん )、8気筒 きとう 5.5L「ネルヴァステラ」(1934年 ねん )といった巨大 きょだい な高級 こうきゅう モデルは、フランスの大統領 だいとうりょう 専用 せんよう 車 しゃ として1910年代 ねんだい から1930年代 ねんだい に一貫 いっかん して用 もち いられた。ラジエーターもようやく1930年 ねん 前後 ぜんこう からノーズ最先端 さいせんたん 配置 はいち となり(しかし相変 あいか わらずポンプなしのサーモ・サイフォン式 しき であった)、ブレーキサーボの装備 そうび も行 おこな われた。
ルノーにようやくモダンな設計 せっけい 手法 しゅほう が取 と り入 い れられたのは1937年 ねん 発表 はっぴょう の1,000cc級 きゅう 小型 こがた 大衆 たいしゅう 車 しゃ 「ジュヴァキャトル」で、モノコック構造 こうぞう とウィッシュボーン式 しき の前輪 ぜんりん 独立 どくりつ 懸架 けんか を採用 さいよう 、全体 ぜんたい 的 てき には1935年 ねん に発表 はっぴょう されたドイツのオペル・オリンピア の亜流 ありゅう ともいうべきコンセプトではあったが、1939年 ねん までに3万 まん 台 だい 近 ちか くを売 う り上 あ げるヒットとなった。しかし、その先進 せんしん 性 せい が他 た のモデルに波及 はきゅう する以前 いぜん に、ルノー社 しゃ は危機 きき 的 てき 事態 じたい を迎 むか える。
ジュヴァキャトル(1937年 ねん - 1960年 ねん )
1939年 ねん 9月1日 にち に勃発 ぼっぱつ した第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん において、戦争 せんそう への準備 じゅんび がほとんど整 ととの っていなかったフランスは緒戦 しょせん から敗北 はいぼく に次 つ ぐ敗北 はいぼく を重 かさ ねた。1940年 ねん 6月 がつ にはドイツ国防 こくぼう 軍 ぐん がパリを占領 せんりょう し、まもなくフランス全土 ぜんど はドイツの占領 せんりょう 下 か に入 はい ってしまう。この事態 じたい を受 う け、ルイ・ルノーは工場 こうじょう と従業 じゅうぎょう 員 いん を守 まも るために、やむなくドイツの占領 せんりょう 軍 ぐん とその傀儡 かいらい 政権 せいけん ・ヴィシー政権 せいけん に協力 きょうりょく することになった。しかしその結果 けっか 、ルイ・ルノーは1944年 ねん の連合 れんごう 国 こく 軍 ぐん によるフランス解放 かいほう 後 ご に対 たい 独 どく 協力 きょうりょく 者 しゃ として逮捕 たいほ され、同年 どうねん 10月 がつ 、失意 しつい のうちに獄中 ごくちゅう で病死 びょうし した。一説 いっせつ には対 たい 独 どく 協力 きょうりょく 者 しゃ として憎 にく まれ、獄中 ごくちゅう で虐待 ぎゃくたい ・暴行 ぼうこう を受 う けた結果 けっか の死 し とも伝 つた わる。
なお、大戦 たいせん 中 ちゅう の1942年 ねん から1943年 ねん にかけて主力 しゅりょく 工場 こうじょう のひとつであるビヤンクール工場 こうじょう がアメリカ・イギリス両 りょう 軍 ぐん の爆 ばく 撃 げき を受 う けて深刻 しんこく な被害 ひがい を受 う けたほか、戦争 せんそう によるインフラストラクチャー の破壊 はかい により、生産 せいさん 設備 せつび や販売 はんばい 網 もう が壊滅 かいめつ 的 てき な打撃 だげき を受 う けている。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 ちゅう に創業 そうぎょう 者 しゃ の死 し と生産 せいさん 設備 せつび の破壊 はかい という苦難 くなん に陥 おちい ったルノーは、大戦 たいせん 終結 しゅうけつ 後 ご の1945年 ねん に、大戦 たいせん 中 ちゅう の亡命 ぼうめい 政権 せいけん ・自由 じゆう フランス の指導 しどう 者 しゃ で、新 あら たにフランスの指導 しどう 者 しゃ となったシャルル・ド・ゴール 将軍 しょうぐん (のちの大統領 だいとうりょう )の行政 ぎょうせい 命令 めいれい により国営 こくえい 化 か のうえ、「ルノー公団 こうだん (Regie Nationale des Usines Renault )」に改組 かいそ され、エンジニア出身 しゅっしん のピエール・ルフォシュー総裁 そうさい の指揮 しき のもとで戦禍 せんか により破壊 はかい された生産 せいさん 設備 せつび や販売 はんばい 網 もう の復興 ふっこう を進 すす めると同時 どうじ に、戦前 せんぜん から行 おこな われていた新型 しんがた 車 しゃ の開発 かいはつ を続行 ぞっこう することとなる。
4CV(1946年 ねん - 1961年 ねん )
フランスは戦勝 せんしょう 国 こく となったものの、連合 れんごう 軍 ぐん の度重 たびかさ なる空襲 くうしゅう を受 う け各地 かくち の工場 こうじょう 施設 しせつ が破壊 はかい されていただけでなく、工場 こうじょう を稼動 かどう させるためのインフラの整備 せいび や資材 しざい の調達 ちょうたつ にも事欠 ことか く状況 じょうきょう であったが、従業 じゅうぎょう 員 いん の士気 しき は高 たか く、終戦 しゅうせん 後 ご わずか1年 ねん しか経 た っていない1946年 ねん のパリサロン で、フェルナン・ピカール技師 ぎし [ 注釈 ちゅうしゃく 1] が戦時 せんじ 中 ちゅう から開発 かいはつ を進 すす めていた小型車 こがたしゃ 「4CV 」を発表 はっぴょう し、翌年 よくねん から発売 はつばい した。
4CVは廉価 れんか かつ経済 けいざい 的 てき であったうえ、当時 とうじ としては優 すぐ れた走行 そうこう 性能 せいのう を備 そな えていたことから、大衆 たいしゅう ユーザーの広範 こうはん な支持 しじ を受 う けた。戦後 せんご のヨーロッパにおいてベストセラーとなったほか、アメリカでも多 おお くが販売 はんばい された。その結果 けっか 、1961年 ねん までの間 あいだ に110万 まん 5,547台 だい が生産 せいさん され、フランスで初 はじ めて100万 まん 台 だい を超 こ えて生産 せいさん された車種 しゃしゅ になった。日本 にっぽん でも日野自動車 ひのじどうしゃ が1953年 ねん から「日野 ひの ルノー 」の名 な でライセンス生産 せいさん し、その多 おお くがタクシーとして使用 しよう されたことから、一躍 いちやく 日本 にっぽん 中 ちゅう にルノーの名 な が広 ひろ まった。
また、ミニマムな小型車 こがたしゃ でありながらル・マン24時 じ 間 あいだ レースやミッレミリア などの国際 こくさい レースでも活躍 かつやく するなど、4CVは第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご のルノー復興 ふっこう の立役者 たてやくしゃ となった。
4(1961年 ねん - 1993年 ねん )
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の復興 ふっこう 期 き における「4CV 」の大 だい ヒット以後 いご 、ルノーは特 とく に小型車 こがたしゃ の分野 ぶんや において実績 じっせき を上 あ げた。1955年 ねん 2月 がつ に死去 しきょ したピエール・ルフォシュー総裁 そうさい の後 のち を継 つ いだピエール・ドレフュス総裁 そうさい 指揮 しき のもと、「4CV」の系譜 けいふ を引 ひ く「5CVドーフィン」や「8」などのリアエンジン小型車 こがたしゃ に続 つづ いて1960年代 ねんだい 以降 いこう は「4 」や「6」などの前輪 ぜんりん 駆動 くどう (FF )方式 ほうしき の小型車 こがたしゃ を多数 たすう 送 おく り出 だ した。特 とく に「4」の大 だい ヒットは、当時 とうじ 行 おこな ったアメリカ進出 しんしゅつ の失敗 しっぱい により苦境 くきょう に陥 おちい った経営 けいえい を助 たす けることになった。
他 ほか にも「カラベル」や「フロリド」などのスポーツタイプの車種 しゃしゅ にバリエーションを広 ひろ げたほか、1966年 ねん のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー を受賞 じゅしょう した「16」や、「12」などの比較的 ひかくてき 収益 しゅうえき 性 せい の高 たか い中型 ちゅうがた 車 しゃ もヒットさせ、これらの相次 あいつ ぐヒットによりヨーロッパ有数 ゆうすう の自動車 じどうしゃ メーカーとしての地位 ちい を不動 ふどう のものとした。
5(1972年 ねん - 1984年 ねん )
フランスの多 おお くの自動車 じどうしゃ 会社 かいしゃ の例 れい に漏 も れず、ルノーも古 ふる くから技術 ぎじゅつ 的 てき 、デザイン的 てき なチャレンジに対 たい して積極 せっきょく 的 てき である。1962年 ねん に発表 はっぴょう されたリアエンジンの小型車 こがたしゃ 「8」には、大量 たいりょう 生産 せいさん 車 しゃ として世界 せかい 初 はつ の4輪 りん ディスク・ブレーキを採用 さいよう するなど、当時 とうじ の最新 さいしん 技術 ぎじゅつ を惜 お しげなく導入 どうにゅう し高 たか い評価 ひょうか を受 う けた。その後 ご 1965年 ねん に発売 はつばい された「16」は、世界 せかい 初 はつ のハッチバックスタイルを持 も つ中型 ちゅうがた 車 しゃ としてヨーロッパ中 ちゅう でヒットし、1979年 ねん までの長 なが きにわたり生産 せいさん された。
1972年 ねん に発売 はつばい されたFF駆動 くどう 方式 ほうしき のハッチバック小型車 こがたしゃ である「5 」とその後継 こうけい の「シュペール5」(1985年 ねん 発売 はつばい )は、その先進 せんしん 的 てき なデザインと高 たか い実用 じつよう 性 せい 、経済 けいざい 性 せい が広 ひろ く受 う け入 い れられて、ヨーロッパだけでなく世界中 せかいじゅう で大 だい ベストセラーとなった。またこのモデルは量産 りょうさん 市販 しはん 車 しゃ としてはもっとも早 はや い時期 じき に樹脂 じゅし 製 せい の前後 ぜんご バンパーを採用 さいよう している。
1982年 ねん にはフエゴ に世界 せかい で初 はじ めて赤外線 せきがいせん リモコン操作 そうさ による施錠 せじょう 装置 そうち (キーレスエントリー)を採用 さいよう している。これは、当時 とうじ のルノー車 しゃ はドア用 よう とイグニッション用 よう の2種類 しゅるい のキーを使用 しよう しなければならなかったため、その不便 ふべん を解消 かいしょう する目的 もくてき で開発 かいはつ されたものである(同 どう 時期 じき に、同様 どうよう の目的 もくてき でフォード/リンカーンの一部 いちぶ 車種 しゃしゅ にもキーレスエントリーが採用 さいよう されている。ただし、こちらは運転 うんてん 席 せき ドアハンドル付近 ふきん にあるキーパッドに暗証 あんしょう 番号 ばんごう を入力 にゅうりょく する方式 ほうしき である)。
エスパス(初代 しょだい 、1984年 ねん - 1992年 ねん )
また、1984年 ねん に発売 はつばい された、ヨーロッパの自動車 じどうしゃ メーカーとしては最初 さいしょ の本格 ほんかく 的 てき ミニバン 「エスパス 」は、その未来 みらい 的 てき で斬新 ざんしん なデザインと実用 じつよう 的 てき で広々 ひろびろ とした室内 しつない スペース、高 たか い経済 けいざい 性 せい がフランスやイギリス、西 にし ドイツ をはじめとするヨーロッパの消費 しょうひ 者 しゃ に受 う け入 い れられて大 だい ヒットモデルとなった。
エスパスがヒットしたことでヨーロッパ中 ちゅう でミニバンブームを巻 ま き起 お こし、ヨーロッパの多 おお くの自動車 じどうしゃ メーカーがそのコンセプト(ルノーでは「モノスパッセ ・コンセプト」と呼 よ んでいる)を模倣 もほう することとなった。なお、その後 ご もルノーはエスパスの後継 こうけい モデルをヒットさせているほか、セニックなどのミニバンのヒット作 さく を出 だ している。
21 "ネヴァダ"(1986年 ねん - 1994年 ねん )
1979年 ねん には、スケールメリットとアメリカ市場 いちば への本格 ほんかく 的 てき 進出 しんしゅつ を狙 ねら い、1960年代 ねんだい 初頭 しょとう から提携 ていけい 関係 かんけい にあったアメリカ第 だい 4位 い の自動車 じどうしゃ 会社 かいしゃ 、アメリカン・モーターズ (AMC)を買収 ばいしゅう し、「5」(アメリカ仕様 しよう は「ル・カー」の名 な で販売 はんばい され、フランス国内 こくない でも一時期 いちじき 同名 どうめい で販売 はんばい された)や、1982年 ねん のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞 じゅしょう 車 しゃ でもある「9」(同 どう 「アライアンス」)、「11」(同 どう 「アンコール」)、「フエゴ」などの複数 ふくすう のモデルを擁 よう し、1950年代 ねんだい 後半 こうはん の撤退 てったい から10数 すう 年 ねん を経 へ て再度 さいど 北 きた アメリカ市場 いちば に本格 ほんかく 的 てき に参入 さんにゅう した。
アメリカン・モーターズの販売 はんばい 網 もう を使 つか ってアメリカとカナダ 全土 ぜんど で大々的 だいだいてき に発売 はつばい を開始 かいし したものの、先 さき に参入 さんにゅう していた日本 にっぽん 車 しゃ やアメリカ製 せい 小型車 こがたしゃ との競争 きょうそう で苦戦 くせん したうえに、ルノー本体 ほんたい の経営 けいえい 不振 ふしん もあり、最終 さいしゅう 的 てき に1987年 ねん に当時 とうじ のクライスラー にアメリカン・モーターズを売却 ばいきゃく し北 きた アメリカ市場 いちば から撤退 てったい した。なお、アメリカン・モーターズの売却 ばいきゃく 後 ご もクライスラーとの提携 ていけい に基 もと づき、1991年 ねん までクライスラー(イーグル )ブランドで「21」などのルノー車 しゃ の販売 はんばい が継続 けいぞく された。
サフラン(1992年 ねん - 1999年 ねん )
1986年 ねん 11月17日 にち には、アメリカ進出 しんしゅつ 失敗 しっぱい などによる財政 ざいせい 再建 さいけん への打開 だかい 策 さく の一環 いっかん として、民営 みんえい 化 か に向 む けた舵取 かじと りを取 と っていた当時 とうじ の会長 かいちょう のジョルジュ・ベスが、パリの自宅 じたく の玄関 げんかん 前 まえ で左翼 さよく テロ 集団 しゅうだん のアクション・ディレクト に暗殺 あんさつ されるという悲劇 ひげき が起 お きた。
その後 ご 、ベスの後 のち を継 つ いで会長 かいちょう に就任 しゅうにん したレイモン・レヴィとルイ・シュヴァイツァーの指揮 しき のもと、スケールメリットを狙 ねら って1990年 ねん 2月 がつ にスウェーデン の大手 おおて 自動車 じどうしゃ メーカーであるボルボと業務 ぎょうむ ・資本 しほん 提携 ていけい することを決定 けってい し、これを機会 きかい に第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 直後 ちょくご から45年間 ねんかん 続 つづ いた公団 こうだん 体制 たいせい から株式会社 かぶしきがいしゃ に改組 かいそ された。また、同 どう 1993年 ねん 9月にはボルボとの完全 かんぜん 合併 がっぺい 案 あん が発表 はっぴょう されたが、フランス政府 せいふ の干渉 かんしょう にボルボ側 がわ の経営 けいえい 陣 じん や株主 かぶぬし 、従業 じゅうぎょう 員 いん などが態度 たいど を硬化 こうか したことにより交渉 こうしょう が決裂 けつれつ し、同年 どうねん 12月 がつ には合併 がっぺい が正式 せいしき に撤回 てっかい された。
ボルボとの合併 がっぺい 案 あん は撤回 てっかい されたものの、その後 ご もフランス政府 せいふ は株式 かぶしき を売却 ばいきゃく し続 つづ け、会長 かいちょう の暗殺 あんさつ や労働 ろうどう 組合 くみあい の反対 はんたい という困難 こんなん を乗 の り切 き って1996年 ねん には完全 かんぜん 民営 みんえい 化 か を果 は たした。2016年 ねん 現在 げんざい 、フランス政府 せいふ の持 も ち株 かぶ 比率 ひりつ は約 やく 19%である。フランス政府 せいふ はその後 ご も筆頭 ひっとう 株主 かぶぬし であり続 つづ けた。
1999年 ねん 3月27日 にち に、当時 とうじ 深刻 しんこく な経営 けいえい 危機 きき 下 か にあった日本 にっぽん 第 だい 2位 い の自動車 じどうしゃ 会社 かいしゃ である日産自動車 にっさんじどうしゃ を傘下 さんか に収 おさ めることが発表 はっぴょう された。その後 ご 、同社 どうしゃ と相互 そうご に資本 しほん 提携 ていけい し、ルノーが日産自動車 にっさんじどうしゃ の株 かぶ を44.4%、日産自動車 にっさんじどうしゃ がルノーの株 かぶ の15%を所有 しょゆう するという形 かたち で株 かぶ を持 も ち合 あ い、ルノーが日産自動車 にっさんじどうしゃ に経営 けいえい 陣 じん を送 おく り込 こ むなど、事実 じじつ 上 じょう の親会社 おやがいしゃ となったルノー主導 しゅどう で経営 けいえい 再建 さいけん に着手 ちゃくしゅ した。
当時 とうじ の取締役 とりしまりやく 会長 かいちょう 兼 けん 最高 さいこう 経営 けいえい 責任 せきにん 者 しゃ (PDG) であるルイ・シュヴァイツァーによって日産自動車 にっさんじどうしゃ の最高 さいこう 経営 けいえい 責任 せきにん 者 しゃ (CEO) として送 おく り込 こ まれた副 ふく 社長 しゃちょう のカルロス・ゴーン とそのチームが、同年 どうねん 10月 がつ に発表 はっぴょう された「日産 にっさん リバイバルプラン」計画 けいかく のもと、東京 とうきょう 都 と 武蔵村山 むさしむらやま 市 し にある村山 むらやま 工場 こうじょう や京都 きょうと 府 ふ 宇治 うじ 市 し の日産車体 にっさんしゃたい 京都 きょうと 工場 こうじょう (当時 とうじ 。現 げん ・オートワークス京都 きょうと )などの余剰 よじょう な生産 せいさん 拠点 きょてん の閉鎖 へいさ や余剰 よじょう 資産 しさん の売却 ばいきゃく 、余剰 よじょう 人員 じんいん の削減 さくげん 、子会社 こがいしゃ の統廃合 とうはいごう や取引 とりひき 先 さき の統合 とうごう によるコスト削減 さくげん や車種 しゃしゅ ラインナップの見直 みなお しなどのリストラを行 おこな うと同時 どうじ に、新 しん 車種 しゃしゅ の投入 とうにゅう や国内外 こくないがい の販売 はんばい 網 もう の再 さい 構築 こうちく 、インテリアおよびエクステリアデザインの刷新 さっしん やブランド イメージの一新 いっしん などの大幅 おおはば なテコ入 てこい れを敢行 かんこう した。
当初 とうしょ は両社 りょうしゃ の文化 ぶんか 的 てき 土壌 どじょう の違 ちが いやラインナップの重複 じゅうふく 、日産自動車 にっさんじどうしゃ の負債 ふさい の大 おお きさなどを理由 りゆう に、同業 どうぎょう 他社 たしゃ やアナリストをはじめとする多 おお くの専門 せんもん 家 か がその行 ゆ く先 さき を危惧 きぐ した。しかし、最終 さいしゅう 的 てき には提携 ていけい 前 まえ の1998年 ねん には約 やく 2兆 ちょう 円 えん あった日産自動車 にっさんじどうしゃ の有利子 ゆうりし 負債 ふさい を2003年 ねん 6月 がつ に返済 へんさい し終 お え、再建 さいけん を成 な し遂 と げた。
両社 りょうしゃ の間 あいだ で言葉 ことば 通 どお りのアライアンス関係 かんけい を構築 こうちく し、車台 しゃだい やエンジン、トランスミッションなどの部品 ぶひん の共通 きょうつう 化 か (詳細 しょうさい はCMF を参照 さんしょう )、購買 こうばい の共同 きょうどう 化 か などを通 つう じてコストダウンを図 はか っているほか、メキシコ などいくつかの国 くに ではルノーの車 くるま を日産 にっさん ブランドで販売 はんばい したり(OEM供給 きょうきゅう )、その逆 ぎゃく を行 おこな うなど、アライアンスの内容 ないよう は多岐 たき にわたっている。2005年 ねん 1月 がつ にはルイ・シュヴァイツァーが「2010年 ねん までに日産自動車 にっさんじどうしゃ とともに世界 せかい 市場 いちば の10%のシェアを確保 かくほ し、年間 ねんかん 400万 まん 台 だい の生産 せいさん を達成 たっせい する」という目標 もくひょう を掲 かか げた。
その後 ご 、2005年 ねん 5月に日産自動車 にっさんじどうしゃ の社長 しゃちょう 兼 けん 最高 さいこう 経営 けいえい 責任 せきにん 者 しゃ (CEO) を務 つと めていたカルロス・ゴーンが、公団 こうだん 時代 じだい の1992年 ねん より13年間 ねんかん の長 ちょう きに渡 わた り取締役 とりしまりやく 会長 かいちょう 兼 けん 最高 さいこう 経営 けいえい 責任 せきにん 者 しゃ (PDG) を務 つと めたルイ・シュヴァイツァーに代 か わり、ルノーの9代目 だいめ の社長 しゃちょう 兼 けん 最高 さいこう 経営 けいえい 責任 せきにん 者 しゃ (PDG)に就任 しゅうにん し(日産 にっさん の社長 しゃちょう 兼 けん CEOも兼務 けんむ )、それを受 う けシュヴァイツァーは取締役 とりしまりやく 会長 かいちょう (PCA) に就任 しゅうにん (2010年 ねん 6月23日 にち に退任 たいにん )した。
メガーヌ・ルノースポール(2002年 ねん - 2009年 ねん )
メガーヌ(3代目 だいめ 、2008年 ねん - 2017年 ねん )
その後 ご 、デザイン担当 たんとう 副 ふく 社長 しゃちょう のパトリック・ルケモン (Patrick le Quément 、2011年 ねん 現在 げんざい は引退 いんたい )による斬新 ざんしん なデザインや、品質 ひんしつ と安全 あんぜん 性 せい の向上 こうじょう が市場 いちば で好評 こうひょう を博 はく したことにより、小型車 こがたしゃ メガーヌ やクリオ (日本 にっぽん 市場 いちば では「ルーテシア 」の名 な で販売 はんばい されている)、MPV のカングー やセニック 、エスパスが大 だい ヒットするなど、再 ふたた びフランスのトップブランドに返 かえ り咲 ざ いただけでなく、1998年 ねん 以降 いこう 6年 ねん 連続 れんぞく でヨーロッパ市場 いちば でトップの販売 はんばい 台数 だいすう を誇 ほこ っていた。近年 きんねん ではアフリカ やメルコスール 市場 いちば を中心 ちゅうしん とした南 みなみ アメリカ 、アジア などでの売 う り上 あ げが伸 の びている。
2005年 ねん 11月には、ヨーロッパでもっとも権威 けんい のある自動車 じどうしゃ 賞 しょう である「2006年 ねん ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー 」を発売 はつばい されたばかりのクリオが受賞 じゅしょう した。なお、ルノーにとって同 どう 賞 しょう を受賞 じゅしょう するのは2003年 ねん のメガーヌ以来 いらい 3年 ねん ぶり6度目 どめ 、クリオとしては1991年 ねん 以来 いらい 2度目 どめ で、同 どう 車種 しゃしゅ が2度 ど 同 どう 賞 しょう を受賞 じゅしょう するのは史上 しじょう 初 はつ のことである。
2006年 ねん 2月 がつ 9日 にち には、関連 かんれん 会社 かいしゃ の日産自動車 にっさんじどうしゃ に対 たい するリストラのような従業 じゅうぎょう 員 いん の解雇 かいこ を行 おこな わずに、2009年 ねん の販売 はんばい 台数 だいすう を2005年 ねん の約 やく 250万 まん 台 だい から80万 まん 台 だい 多 おお い330万 まん 台 だい とし、2009年 ねん の売上 うりあげ 高 だか に対 たい する営業 えいぎょう 利益 りえき 率 りつ を6%にするという内容 ないよう の中期 ちゅうき 経営 けいえい 計画 けいかく 「ルノー・コミットメント2009」を発表 はっぴょう した。この計画 けいかく の中 なか には、2009年 ねん までにルノー初 はつ のSUV を含 ふく む26車種 しゃしゅ の新型 しんがた 車 しゃ の投入 とうにゅう が含 ふく まれ、2007年 ねん 内 ない だけで初 はつ の本格 ほんかく 的 てき SUVであるコレオスやラグナ3、カングー2が新 あら たに投入 とうにゅう された。
2008年 ねん には、2012年 ねん までに複数 ふくすう のルノーブランドの電気 でんき 自動車 じどうしゃ (EV)を市場 いちば 投入 とうにゅう することも発表 はっぴょう されたが、これに先立 さきだ つ2011年 ねん には、複数 ふくすう の幹部 かんぶ が電気 でんき 自動車 じどうしゃ 関連 かんれん の機密 きみつ 情報 じょうほう を中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の企業 きぎょう に漏 ろう えいさせたとして解雇 かいこ される騒動 そうどう が起 お きた。
2013年 ねん には、それまでのパトリック・ルケモンに代 か わって、マツダ のデザイン本部 ほんぶ 長 ちょう から転籍 てんせき したローレンス・ヴァン・デン・アッカー が初 はじ めて指揮 しき を執 と った、ルノーとしてはコレオスに次 つ ぐクロスオーバーSUV であるキャプチャー が登場 とうじょう した。
2016年 ねん 、傘下 さんか の日産自動車 にっさんじどうしゃ が三菱自動車工業 みつびしじどうしゃこうぎょう の筆頭 ひっとう 株主 かぶぬし となったことを受 う け、当社 とうしゃ のカルロス・ゴーン取締役 とりしまりやく 会長 かいちょう 兼 けん CEO(PDG)が同社 どうしゃ の会長 かいちょう に就任 しゅうにん した。ルノー・日産 にっさん アライアンスの一員 いちいん として三菱自動車 みつびしじどうしゃ との今後 こんご の協業 きょうぎょう 拡大 かくだい が検討 けんとう されている。
2020年 ねん 前半 ぜんはん 、世界 せかい 的 てき な2019新型 しんがた コロナウイルス の感染 かんせん 拡大 かくだい により顕著 けんちょ な景気 けいき 減退 げんたい に直面 ちょくめん 。同年 どうねん 4月 がつ 9日 にち 、スナール会長 かいちょう とデルボス暫定 ざんてい CEO、3ヶ月 かげつ 間 あいだ の報酬 ほうしゅう を25%以上 いじょう 削減 さくげん するとともに。4月に予定 よてい されていた株主 かぶぬし 総会 そうかい を6月 がつ 19日 にち に延期 えんき することを発表 はっぴょう した[ 13] 。結果 けっか 的 てき に2020年 ねん 12月 がつ 期 き 決算 けっさん は、純 じゅん 損益 そんえき が80億 おく 800万 まん ユーロの赤字 あかじ となった。赤字 あかじ は2年 ねん 連続 れんぞく で額 がく は2000年 ねん 以降 いこう では過去 かこ 最悪 さいあく [ 14] 。
2020年 ねん 、東風 こち 汽車 きしゃ との主力 しゅりょく 合弁 ごうべん を解消 かいしょう し、同時 どうじ に東風 こち ルノーも解散 かいさん 。
2021年 ねん 、中国 ちゅうごく 大手 おおて の浙江 せっこう 吉利 よしとし 控 ひかえ 股 また 集団 しゅうだん (吉利 よしとし )と中国 ちゅうごく 、韓国 かんこく でハイブリッド車 しゃ の合弁 ごうべん 事業 じぎょう に乗 の り出 だ すことで合意 ごうい [ 15] 。翌 よく 2022年 ねん 5月 がつ には吉利 よしとし にルノーコリア自動車 じどうしゃ の株式 かぶしき を約 やく 13億 おく 7600万 まん 元 げん (約 やく 270億 おく 円 えん )で売却 ばいきゃく し、吉利 よしとし は同社 どうしゃ 株 かぶ の34.01%を取得 しゅとく し、ルノーに次 つ いで2番目 ばんめ の株主 かぶぬし となった。
2022年 ねん 5月 がつ 、ロシアによるウクライナ侵攻 しんこう を受 う けて、ルノーはアフトヴァースの株式 かぶしき 約 やく 68%をロシアの国営 こくえい 企業 きぎょう である中央 ちゅうおう 自動車 じどうしゃ エンジン科学 かがく 研究所 けんきゅうじょ に、ルノーのロシア事業 じぎょう を担当 たんとう している現地 げんち 法人 ほうじん 「ルノー・ロシア」の株式 かぶしき の全 すべ てをモスクワ市 し に1ルーブルでそれぞれ売却 ばいきゃく し、ロシアから撤退 てったい することを明 あき らかにした[ 16] 。なお、アフトヴァースの売却 ばいきゃく 契約 けいやく には6年 ねん 以内 いない に同社 どうしゃ の株式 かぶしき を買 か い戻 もど す権利 けんり を盛 も り込 こ んでおり、今後 こんご の情勢 じょうせい 次第 しだい で将来 しょうらい のロシア国内 こくない での事業 じぎょう 再開 さいかい もあり得 え るとしている[ 17] 。
2022年 ねん 11月8日 にち 、今後 こんご 、電気 でんき 自動車 じどうしゃ の開発 かいはつ を担当 たんとう するアンペア と内燃 ないねん 機関 きかん とハイブリッド車 しゃ を担当 たんとう するホース (吉利 よしとし と合弁 ごうべん )に分社 ぶんしゃ すると発表 はっぴょう 、また同日 どうじつ Googleと自動車 じどうしゃ 向 む けソフトウェアサービスで提携 ていけい を拡大 かくだい すると発表 はっぴょう [ 18] 。
2023年 ねん 2月 がつ 6日 にち 、ルノーが保有 ほゆう する日産 にっさん 株 かぶ を15%まで下 さ げ、日産 にっさん が持 も つルノー株 かぶ の15%に揃 そろ える資本 しほん 関係 かんけい の見直 みなお しで合意 ごうい したと発表 はっぴょう した。
ルイらルノー兄弟 きょうだい
本社 ほんしゃ
設立 せつりつ
設立 せつりつ 者 しゃ
経営 けいえい 陣 じん
従業 じゅうぎょう 員数 いんずう
300,217人 にん (傘下 さんか のルノーサムスン自動車 じどうしゃ 、ダチア、日産自動車 にっさんじどうしゃ を含 ふく む)
生産 せいさん 台数 だいすう
852万 まん 台 だい - 2015年 ねん 度 ど 世界 せかい 第 だい 4位 い (子会社 こがいしゃ のルノーサムスン自動車 じどうしゃ 、ダチア、日産 にっさん 、インフィニティブランドを含 ふく む。日産 にっさん ・インフィニティを除 のぞ くと280万 まん 1,592台 だい 。世界 せかい 第 だい 13位 い )
純 じゅん 利益 りえき
9億 おく 7,000万 まん ユーロ(2021年 ねん 期 き 決算 けっさん )
氏名 しめい
在任 ざいにん 期間 きかん
初代 しょだい
ルイ・シュバイツァー
1992年 ねん 月 がつ - 年 とし 月 がつ
2代 だい
カルロス・ゴーン
年 とし 月 がつ - 2019年 ねん 1月 がつ
3代 だい
ジャン=ドミニク・スナール
2019年 ねん 1月 がつ -
氏名 しめい
在任 ざいにん 期間 きかん
初代 しょだい
ルイ・シュバイツァー
1992年 ねん 月 がつ - 2005年 ねん 月 がつ
2代 だい
カルロス・ゴーン
2005年 ねん 月 がつ - 2019年 ねん 1月 がつ
3代 だい
ティエリー・ボロレ
2019年 ねん 1月 がつ - 2019年 ねん 10月 がつ
暫定 ざんてい
クロチルド・デルボス
暫定 ざんてい
ルカ・デメオ
2020年 ねん 7月 がつ
総合 そうごう 研究所 けんきゅうじょ (Technocentre Renault )はパリの南西 なんせい 郊外 こうがい のベルサイユ のそばのギュイヤンクール にあり、150ヘクタールの敷地 しきち に、42万 まん 5,000平方 へいほう メートルの建物 たてもの がある。1998年 ねん に開設 かいせつ され、2010年 ねん 現在 げんざい 1,100人 にん が働 はたら いている[ 19] 。
ルーマニアから輸出 ゆしゅつ されるダチア・ロガン
2017年 ねん 現在 げんざい 、ルノー本体 ほんたい としては本国 ほんごく フランスのほかにスペイン 、スロベニア 、トルコ (オヤック・ルノー )、ブラジル 、アルゼンチン 、コロンビア 、モロッコ 、インド など世界 せかい 各国 かっこく に生産 せいさん 拠点 きょてん を持 も つほか、ロシア やポルトガル 、マレーシア 、ウルグアイ 、チリ 、イラン で組 く み立 た て(ノックダウン)生産 せいさん を行 おこな っている。さらに中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく では東風 こち 汽車 きしゃ との合弁 ごうべん 会社 かいしゃ である東風 こち ルノーを立 た ち上 あ げ、現地 げんち 生産 せいさん していた(2020年 ねん に解消 かいしょう )。
また日産自動車 にっさんじどうしゃ や韓国 かんこく のルノーコリア (旧 きゅう :ルノーサムスン自動車 じどうしゃ )、ルーマニアのダチア などの傘下 さんか 企業 きぎょう が各国 かっこく に生産 せいさん 拠点 きょてん を持 も っており、生産 せいさん と販売 はんばい を行 おこな っている。特 とく にルノーコリアにおいてはコレオス (韓国 かんこく 国内 こくない においてはルノーサムスン・QM5 /ルノーコリア・QM6 )とラティテュード (同 どう ルノーサムスン・SM5 )、アルカナ (同 どう ルノーコリア・XM3 )を全量 ぜんりょう 生産 せいさん ・輸出 ゆしゅつ している(していた)。
アジア太平洋 たいへいよう 地域 ちいき においては、シンガポール に本部 ほんぶ を置 お く(2006年 ねん までは日本 にっぽん の東京 とうきょう 都 と に本部 ほんぶ が置 お かれていた)アジア太平洋 たいへいよう 地域 ちいき 統括 とうかつ 本部 ほんぶ の指揮 しき 下 か で日本 にっぽん 、中華民国 ちゅうかみんこく 、中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 、香港 ほんこん 、シンガポール、マレーシア、インドネシア 、ブルネイ 、オーストラリア 、ニュージーランド と、フランス領 りょう および海外 かいがい 県 けん のタヒチ とニューカレドニア の合計 ごうけい 12の国 くに と地域 ちいき で販売 はんばい しているほか、マレーシアではタンチョンとの提携 ていけい を行 おこな いカングーのノックダウン生産 せいさん を行 おこな い、近隣 きんりん 諸国 しょこく への輸出 ゆしゅつ も行 おこな っている。
なお、オーストラリアでは1995年 ねん にフランスがムルロア環礁 かんしょう で行 おこな った核 かく 実験 じっけん の影響 えいきょう でルノー車 しゃ が売 う れなくなり、翌 よく 1996年 ねん から輸入 ゆにゅう ・販売 はんばい を中止 ちゅうし 。その後 ご 、傘下 さんか においた日産自動車 にっさんじどうしゃ の支援 しえん を得 え て2001年 ねん に輸入 ゆにゅう ・販売 はんばい を再開 さいかい した。
日野 ひの ・ルノー4CV
日 にち 露 ろ 戦争 せんそう 後 ご の1910年 ねん (明治 めいじ 43年 ねん )に、東京 とうきょう に本社 ほんしゃ を置 お く商社 しょうしゃ ・水嶋 みずしま 商会 しょうかい を販売 はんばい 代理 だいり 店 てん として正式 せいしき に日本 にっぽん 市場 いちば に参入 さんにゅう した。また1930年代 ねんだい には中外 ちゅうがい ルノーという会社 かいしゃ が輸入 ゆにゅう 業務 ぎょうむ を行 おこな っていた時期 じき があった。その後 ご 、1953年 ねん (昭和 しょうわ 28年 ねん )から1963年 ねん (昭和 しょうわ 38年 ねん )まで、日野自動車 ひのじどうしゃ が「4CV 」(日野 ひの ルノー)をライセンス生産 せいさん し、多数 たすう がタクシーとして使用 しよう されたことから「亀 かめ の子 こ ルノー」と呼 よ ばれて大衆 たいしゅう にも親 した しまれ、ルノーの名 な は日本 にっぽん 全国 ぜんこく に広 ひろ まった。
その後 ご 、1977年 ねん (昭和 しょうわ 52年 ねん )に東京 とうきょう 日産 にっさん グループのキャピタル企業 きぎょう が輸入 ゆにゅう 権 けん を獲得 かくとく し、ルノー・5 などを輸入 ゆにゅう した。1983年 ねん (昭和 しょうわ 58年 ねん )にはミニ などを輸入 ゆにゅう していた「日 にち 英 えい 自動車 じどうしゃ 」も加 くわ わり、輸入 ゆにゅう 権 けん は2社 しゃ 体制 たいせい となった。1986年 ねん (昭和 しょうわ 61年 ねん )には当時 とうじ フィアット 車 くるま を輸入 ゆにゅう していた「ジヤクス・カーセールス (JAX)」 が輸入 ゆにゅう 権 けん を獲得 かくとく したが、1991年 ねん (平成 へいせい 3年 ねん )にドイツのフォルクスワーゲン がヤナセ の販売 はんばい 撤退 てったい で穴 あな があいた東京 とうきょう 地区 ちく のディーラー網 もう を獲得 かくとく するためにJAXを買収 ばいしゅう したため、ルノーの輸入 ゆにゅう は宙 ちゅう に浮 う くこととなる。
1993年 ねん (平成 へいせい 5年 ねん )には、独立 どくりつ 系 けい インポーター最大手 さいおおて (当時 とうじ )のヤナセが子会社 こがいしゃ 「フランス・モーターズ 」を設立 せつりつ したが、競合 きょうごう 車種 しゃしゅ の多 おお いオペル との兼 か ね合 あ いでディーラー網 もう を別々 べつべつ に作 つく らなければならず、またトゥインゴ などの利幅 りはば の少 すく ない低 てい 価格 かかく 車 しゃ に人気 にんき が集中 しゅうちゅう したことから、結果 けっか 的 てき に、親会社 おやがいしゃ であるヤナセの経営 けいえい を圧迫 あっぱく する原因 げんいん にもなってしまった。このようにインポーターが次々 つぎつぎ と変 か わった結果 けっか 、既存 きそん のオーナーに対 たい して満足 まんぞく なアフターサービス を行 おこな うことができなくなったばかりか、新規 しんき 顧客 こきゃく 獲得 かくとく のための継続 けいぞく 的 てき なマーケティング 活動 かつどう もできない状態 じょうたい に陥 おちい ってしまった。
2000年 ねん (平成 へいせい 12年 ねん )には、日本 にっぽん での販売 はんばい を加速 かそく すべく初 はつ のルノーの100%子会社 こがいしゃ である「ルノー・ジャポン 」が設立 せつりつ され、ルノーのアジア太平洋 たいへいよう 統括 とうかつ 本部 ほんぶ のもとで日本 にっぽん 国内 こくない での輸入 ゆにゅう 販売 はんばい 業務 ぎょうむ が強化 きょうか された。
その後 ご 、ルノー本社 ほんしゃ のリストラが行 おこな われたことを受 う けて、同社 どうしゃ は2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )に日産自動車 にっさんじどうしゃ の子会社 こがいしゃ である「日産 にっさん トレーディング」に業務 ぎょうむ 移管 いかん され、同社 どうしゃ の一 いち 部門 ぶもん とされた。なお、その後 ご も「ルノー・ジャポン」のブランドは継続 けいぞく して使用 しよう された。
その後 ご 、ルノー車 しゃ の販売 はんばい 実績 じっせき が上向 うわむ きになり始 はじ めてきたことからルノー・ジャポンを再 さい 分離 ぶんり させることとなり、2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )4月 がつ 2日 にち より日産自動車 にっさんじどうしゃ の完全 かんぜん 子会社 こがいしゃ として「ルノー・ジャポン株式会社 かぶしきがいしゃ (RENAULT JAPON CO.,LTD.)」が再 さい スタートすることとなった。
生産 せいさん 車種 しゃしゅ (販売 はんばい 終了 しゅうりょう 車種 しゃしゅ 含 ふく む)[ 編集 へんしゅう ]
(バス・トラックなどの大型 おおがた 商用 しょうよう 車 しゃ を生産 せいさん しているルノートラック の車種 しゃしゅ は除 のぞ く)
ロガン
ダスター
トゥインゴ
キャプチャー
カングー2
メガーヌ
フルエンス
カジャー
アルピーヌA110
トラフィック
アラスカン
クウィッド
シティコミューターであるトゥイジーを除 のぞ いた、ルノーの最小 さいしょう 車種 しゃしゅ 。日本 にっぽん 国内 こくない へ正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていない。
ロガン
子会社 こがいしゃ のダチアの車種 しゃしゅ だが、ロシア 、ブラジル などいくつかの国 くに ではルノーのブランドで販売 はんばい されている。 ボディタイプは4ドアセダン、ステーションワゴン(ロガンMCV)、バン、ピックアップ。日本 にっぽん 国内 こくない へ正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていない。
サンデロ
こちらもダチアの車種 しゃしゅ だが、ロシア、ブラジルなどいくつかの国 くに ではルノーのブランドで販売 はんばい されている。 ボディタイプは5ドアハッチバック。日本 にっぽん 国内 こくない へ正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていない。
ドッカー
こちらもダチアの車種 しゃしゅ だが、ウクライナ 、アルゼンチン などいくつか国 こく ではルノーのブランドで販売 はんばい されている。 ボディタイプは4・5ドアミニバン 、バン、ピックアップ。日本 にっぽん 国内 こくない へ正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていない。
ロッジー
こちらもダチアの車種 しゃしゅ だが、ロシア、ブラジル、インド などいくつかの国 くに ではルノーのブランドで販売 はんばい されている。 ボディタイプは5ドアMPV 。日本 にっぽん 国内 こくない へ正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていない。
ダスター
こちらもダチアの車種 しゃしゅ だが、ロシア、ブラジル、インドなどいくつかの国 くに ではルノーのブランドで販売 はんばい されている。 ボディタイプは5ドアクロスオーバーSUV 。日本 にっぽん 国内 こくない へ正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていない。
ルノー ダスターオロチ
こちらはダチアが製造 せいぞう しているが、ルノーのブランドで販売 はんばい されている。 ボディタイプは4ドアピックアップ(ダスターオロチ)。日本 にっぽん 国内 こくない へ正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていない。
トゥインゴ
3代目 だいめ となる現行 げんこう は、メルセデス・ベンツ とのアライアンスにより、3代目 だいめ スマート・フォーツー /フォーフォー と基本 きほん メカニズムを共有 きょうゆう するリアエンジン 車 くるま へと変更 へんこう 。 ボディタイプは5ドアハッチバック。日本 にっぽん への導入 どうにゅう は2016年 ねん (平成 へいせい 28年 ねん )7月 がつ から。
クリオ
シュペール5の後継 こうけい 。従来 じゅうらい モデルについては日産 にっさん ・プラティーナ の名 な で販売 はんばい されている国 くに もある。ボディタイプは5ドアハッチバックとステーションワゴン(エステート)。
キャプチャー
カングー 2
「カングー」の後継 こうけい モデル。商用 しょうよう バージョン のカングー・エクスプレス(Kangoo Express )にはロングWB の「マキシ」とショートWBの「コンパクト」もあり、コンパクトの乗用 じょうよう 派生 はせい 車種 しゃしゅ として「BE POP(ビボップ)」もある。カングーにはOEM として日産 にっさん ・キュビスター(KUBISTAR )が存在 そんざい した(NV200 はキュビスターの後継 こうけい 車種 しゃしゅ )。 2に関 かん しては日本 にっぽん 国内 こくない へは標準 ひょうじゅん 仕様 しよう とビボップが正規 せいき 輸入 ゆにゅう され、コンパクトも並行輸入 へいこうゆにゅう 車 しゃ として入 はい っていた。2以降 いこう の兄弟 きょうだい 車 しゃ としてメルセデス・ベンツ・シタン が存在 そんざい する。
メガーヌ
「19」の後継 こうけい 。初代 しょだい は「19」のシャーシを使 つか っていた。 ホディタイプは、3ドアと5ドアハッチバック、4ドアセダン、ステーションワゴン、グラスルーフ、カブリオレ (本国 ほんごく での呼称 こしょう はクーペカブリオレ)、ルノー・スポール バージョンもある。
フルエンス
メガーヌセダン後継 こうけい 。傘下 さんか であるルノーサムスン (現 げん ・ルノーコリア)のSM3 と共通 きょうつう のボディとメカニズムを有 ゆう する4ドアセダンである。生産 せいさん は基本 きほん 的 てき にトルコ のオヤック・ルノー が担当 たんとう 。日本 にっぽん 国内 こくない へ正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていない。
タリスマン
ルノーにおける最 さい 高級 こうきゅう 車種 しゃしゅ であり、事実 じじつ 上 じょう のフラッグシップモデル であった。韓国 かんこく 市場 いちば のみで販売 はんばい されるルノーコリア・SM6 は兄弟 きょうだい 車 しゃ 。ただし、中国 ちゅうごく 仕様 しよう は他国 たこく 仕様 しよう とは異 こと なり、2代目 だいめ ルノーサムスン・SM7 がベース。生産 せいさん もルノーサムスン釜山 ぷさん 工場 こうじょう で行 おこな われた。 ともに日本 にっぽん 国内 こくない へは正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていない。
セニック
メガーヌをベースにしたMPV 。欧州 おうしゅう ではタクシーとしてもポピュラー。 ロングバージョンで3列 れつ シートのグラン・セニック(Grand Scénic )もある。日本 にっぽん 国内 こくない へはグラン・セニックのみが正規 せいき 輸入 ゆにゅう されていた。
先代 せんだい モデルでは「RX4」というオフローダー 風 ふう の4WDモデルの設定 せってい もあった。
エスパス
5代目 だいめ ではそれまでの典型 てんけい 的 てき なミニバンスタイルから一転 いってん 、クロスオーバーSUV 風 ふう のデザインとなっている。日本 にっぽん 国内 こくない へ正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていない。
アルカナ
カジャー(カジャール)
キャプチャー とコレオス の間 あいだ を埋 う めるクロスオーバーSUV で、日産 にっさん ・キャシュカイ と共通 きょうつう のプラットフォームアーキテクチャ(CMF )・メカニズムを有 ゆう する。日本 にっぽん では2018年 ねん (平成 へいせい 30年 ねん )4月 がつ 12日 にち より発売 はつばい 。これに先立 さきだ って2017年 ねん (平成 へいせい 29年 ねん )8月 がつ に100台 だい 限定 げんてい で「カジャー Bose」が先行 せんこう 発売 はつばい された。
オーストラル
上述 じょうじゅつ のカジャーの後継 こうけい 車種 しゃしゅ 。3代目 だいめ 日産 にっさん キャシュカイの兄弟 きょうだい 車 しゃ 。
コレオス
傘下 さんか の日産自動車 にっさんじどうしゃ とルノーサムスン自動車 じどうしゃ とのジョイントベンチャーにより開発 かいはつ されたルノー初 はつ の本格 ほんかく SUV である。2代目 だいめ となる現行 げんこう はルノーコリア・QM6 とほとんどのパーツを共有 きょうゆう し、生産 せいさん もQM6とともにルノーサムスンの釜山 ぷさん 工場 こうじょう で行 おこな われる。
アルピーヌA110
1995年 ねん (平成 へいせい 7年 ねん )以来 いらい の復活 ふっかつ となるアルピーヌ ブランドのスポーツカー 。日本 にっぽん では2018年 ねん (平成 へいせい 30年 ねん )内 ない に発売 はつばい される予定 よてい 。これに先立 さきだ って同年 どうねん 6月 がつ に50台 だい 限定 げんてい で「プルミエール・エディション」が先行 せんこう 発売 はつばい された。
トラフィック
現行 げんこう モデルは、ルノー、欧州 おうしゅう GM 、日産 にっさん によるジョイントプロダクト。乗用 じょうよう 、商用 しょうよう バージョンのほか、レジャービークル色 しょく の強 つよ い「ジェネレーション」がある。日本 にっぽん へ正規 せいき 輸入 ゆにゅう はされていないが、乗用 じょうよう 、商用 しょうよう とも、少数 しょうすう が並行 へいこう 輸入 ゆにゅう されている。オペル /ボクスホール ・ヴィヴァーロ 、日産 にっさん ・プリマスター (PRIMASTAR)、三菱 みつびし ・エクスプレス と共通 きょうつう 。
マスター
ルノー最大 さいだい のFWD 車 くるま (FFベースの4WDもある)。マスコット など、積載 せきさい 量 りょう がこれ以上 いじょう のモデルはRWD となる。日産 にっさん ・インタースター 、オペル /ボクスホール ・モヴァノ と共通 きょうつう 。 かつては日本 にっぽん 国内 こくない へも正規 せいき 輸入 ゆにゅう されていたが現在 げんざい は正規 せいき 輸入 ゆにゅう されていない(ただし、少数 しょうすう が並行 へいこう 輸入 ゆにゅう されている。)。
ゾエ
ルノー初 はつ のEV 専用 せんよう 車 しゃ 。5シーターのコンパクトカーである。
トゥイジー
EVシティコミューター。トヨタ車体 とよたしゃたい のコムス と性格 せいかく が類似 るいじ するが、搭載 とうさい するバッテリーや国内 こくない における車両 しゃりょう 区分 くぶん など相違 そうい 点 てん もある。
アラスカン
日産 にっさん ・ナバラ (D23系 けい )の姉妹 しまい 車 しゃ となるピックアップトラック。2016年 ねん に南米 なんべい にて発売 はつばい されたのを皮切 かわき りに、グローバルな展開 てんかい が予定 よてい されている。
KJ(6CVシリーズ)
AG 9CV
8(ゴルディーニ仕様 しよう )
スパイダー
アルピーヌA310/A110/A108
ルノーと日産 にっさん の共通 きょうつう のプラットフォーム[ 編集 へんしゅう ]
1999年 ねん に傘下 さんか におさめた日産自動車 にっさんじどうしゃ の間 あいだ に構築 こうちく されたアライアンス関係 かんけい に基 もと づき、近年 きんねん 発売 はつばい された両社 りょうしゃ の小 しょう ・中型 ちゅうがた 車 しゃ の多 おお くが共同 きょうどう で開発 かいはつ した車台 しゃだい やエンジニアリングアーキテクチャを積極 せっきょく 的 てき に導入 どうにゅう している。これらの車種 しゃしゅ の多 おお くは、車台 しゃだい だけでなくエンジンやトランスミッションなどの主要 しゅよう 部品 ぶひん も共用 きょうよう している。
1902年 ねん パリ-ウィーンレースでのマルセル・ルノー車 しゃ を描 えが いたイラスト。35HPのルノー14CVは、最大 さいだい 125km/hの俊足 しゅんそく と、操縦 そうじゅう 性 せい が重要 じゅうよう な山道 さんどう での軽快 けいかい さを武器 ぶき に激戦 げきせん を制 せい した。
1903年 ねん のパリ-マドリッドレースにおけるルノー30CV(マルセル・ルノー搭乗 とうじょう 車 しゃ )。当時 とうじ のカメラシャッターでは高速 こうそく で疾走 しっそう する車両 しゃりょう 撮影 さつえい に制約 せいやく があり、タイヤ回 まわ りなどの画像 がぞう が歪 いが んでいる。
F・スジズの90CVルノー(1906年 ねん フランスGP)
ルノーは創業 そうぎょう 当初 とうしょ から技術 ぎじゅつ 向上 こうじょう を目的 もくてき に、モータースポーツへの参加 さんか を積極 せっきょく 的 てき に行 い った。
モータースポーツ史 し の黎明 れいめい 期 き 、1890年代 ねんだい 末期 まっき から1900年代 ねんだい 初頭 しょとう のヨーロッパで多 おお く開催 かいさい された公道 こうどう レースでは、開発 かいはつ 者 しゃ のルイ・ルノー自身 じしん と兄 あに マルセル・ルノーが、自 みずか ら運転 うんてん する競技 きょうぎ 用 よう 車 しゃ で多 おお くの勝利 しょうり を勝 か ち取 と り、名声 めいせい を獲得 かくとく している。
1899年 ねん から1901年 ねん にかけては、ド・ディオン・ブートン製 せい の単 たん 気筒 きとう エンジンを搭載 とうさい したヴォワチュレット車 しゃ でさまざまな長距離 ちょうきょり レースに参戦 さんせん した。当初 とうしょ 3.5HPから最終 さいしゅう 的 てき にも8HPに過 す ぎない非力 ひりき ながら、軽 かる さとタフネスさを活 い かし、多 おお くのレースで完走 かんそう して軽量 けいりょう 車 しゃ クラスで上位 じょうい を独占 どくせん した。1,000キロを超 こ える長距離 ちょうきょり レースでも4気筒 きとう ・7L〜10Lの怪物 かいぶつ 的 てき なクラスに属 ぞく するハイパワーなパナール やモールなどに伍 ご して活躍 かつやく 、クラス優勝 ゆうしょう ・上位 じょうい 入賞 にゅうしょう を達成 たっせい している。これらのレースではルイも大 おお いに健闘 けんとう したが、兄 あに マルセルがそれ以上 いじょう の成績 せいせき を収 おさ めた。
ルノー車 しゃ はさらに強豪 きょうごう がひしめく上級 じょうきゅう クラスにも進出 しんしゅつ した。特筆 とくひつ すべきは1902年 ねん 6月 がつ に開催 かいさい された1,700キロのパリ-ウィーン レースでの活躍 かつやく である。後半 こうはん オーストリア の山道 さんどう を行 い く過酷 かこく な山岳 さんがく コースで激戦 げきせん が展開 てんかい されたが、4気筒 きとう 3.7L中型 ちゅうがた 車 しゃ の14CVルノーに搭乗 とうじょう したマルセル・ルノーは、7番手 ばんて だったザルツブルク からの最終 さいしゅう 区間 くかん で、先頭 せんとう にいたアンリ・ファルマン 搭乗 とうじょう の13.7Lパナールを含 ふく む強力 きょうりょく な大 だい 排気 はいき 量 りょう 車 しゃ 6台 だい すべてに競 せ り勝 か ってトップでウィーンに到着 とうちゃく 、総合 そうごう 優勝 ゆうしょう した(ルイも同型 どうけい 車 しゃ で参戦 さんせん し、途中 とちゅう で他 た 車 しゃ とクラッシュして61位 い まで後退 こうたい しながらも、壊 こわ れかけた車 くるま を操 あやつ り20位 い まで回復 かいふく して完走 かんそう した)。
また史上 しじょう 初 はつ のグランプリレースである1906年 ねん フランスグランプリ にもルノーは13L・105HPの「90CV」レーサー3台 だい を参戦 さんせん させており、うち「3A」車 しゃ に搭乗 とうじょう したフェレンク・スジズ(Ferenc Szisz、1877 - 1944)が、ルマンの周回 しゅうかい コース(2日間 にちかん で累計 るいけい 1,248キロ)を12時 じ 間 あいだ 46分 ふん 台 だい 、平均 へいきん 101km/hで走破 そうは 、同 どう 時期 じき の強豪 きょうごう フィアット を下 くだ して優勝 ゆうしょう した。このフランスGPではマシーン自体 じたい の高性能 こうせいのう ・高 こう 出力 しゅつりょく に加 くわ え、後 こう 輪 わ に当時 とうじ 最 さい 新鋭 しんえい のミシュラン 式 しき 脱着 だっちゃく ホイールを採用 さいよう したことでタイヤ交換 こうかん 時間 じかん の大幅 おおはば 短縮 たんしゅく に成功 せいこう 、以後 いご の脱着 だっちゃく ホイール普及 ふきゅう の端緒 たんしょ となった。
しかし、それらの勝利 しょうり の一方 いっぽう で、当時 とうじ のヨーロッパにおける最高峰 さいこうほう の公道 こうどう レースのひとつとなった1903年 ねん 5月24日 にち スタートの「パリ-マドリッド レース」では、参加 さんか したマルセル・ルノーが操縦 そうじゅう ミスで事故死 じこし するという悲劇 ひげき も起 お こっている(このレースの実態 じったい は、路上 ろじょう まで観客 かんきゃく の溢 あふ れる未 み 舗装 ほそう の公道 こうどう で重量 じゅうりょう レーサー群 ぐん による130km/h超 ちょう の接戦 せっせん が展開 てんかい されるという危険 きけん 極 きわ まりないもので、他 ほか にもドライバーや観客 かんきゃく に多数 たすう の死傷 ししょう 者 しゃ が生 しょう じ、5月24日 にち の複数 ふくすう の事故 じこ で累計 るいけい 死者 ししゃ 8人 にん を数 かぞ える未 み 曽 そ 有 ゆう の「死 し のレース」となった。事態 じたい を危惧 きぐ したフランス政府 せいふ は途中 とちゅう のボルドーでレースを中止 ちゅうし させ、以後 いご 、自動車 じどうしゃ 競技 きょうぎ はクローズドサーキットを中心 ちゅうしん に実施 じっし されるようになる)。ルイ・ルノーもこのレースに参加 さんか 、ボルドーでの中止 ちゅうし 時点 じてん でフェルナン・ガブリエルに次 つ ぐ2位 い につけていたが(パリからの公道 こうどう 552キロをガブリエルのモールZが5時 じ 間 あいだ 13分 ふん 台 だい 、ルイの30CVルノーは5時 じ 間 あいだ 29分 ふん 台 だい と、ともに100km/h超 ちょう の驚異 きょうい 的 てき ペースで走破 そうは していた)、マルセルの死 し に深 ふか く落胆 らくたん したルイは、これを最後 さいご に自 みずか らレースに参戦 さんせん することを止 と めた。
1909年 ねん を最後 さいご にモータースポーツへの参戦 さんせん は控 ひか えられるようになり、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ まで、市販 しはん モデルをベースにした速度 そくど 記録 きろく ・連続 れんぞく 走行 そうこう 記録 きろく などのレコード達成 たっせい 挑戦 ちょうせん が散発 さんぱつ 的 てき に行 おこな われるにとどまった。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご には国有 こくゆう 企業 きぎょう となりながらも、1940年代 ねんだい 末期 まっき からアルピーヌ やゴルディーニ などのチューナーを通 つう じ、ル・マン24時 じ 間 あいだ レース やラリー などに積極 せっきょく 的 てき に参戦 さんせん した。1973年 ねん に、それまでルノーの準 じゅん ワークスチーム的 てき 存在 そんざい であったアルピーヌを買収 ばいしゅう してモータースポーツ関連 かんれん 子会社 こがいしゃ のルノー・スポール を設立 せつりつ 。以来 いらい 、F1 、ル・マン24時 じ 間 あいだ レース などの耐久 たいきゅう レース、ラリー などさまざまなカテゴリーで活躍 かつやく を繰 く り広 ひろ げ、1978年 ねん にはル・マン24時 じ 間 あいだ レース 、2005年 ねん と2006年 ねん には2年 ねん 連続 れんぞく でF1のコンストラクターズとドライバーズの両 りょう タイトルを獲得 かくとく するなどしている。
自社 じしゃ チームによりレースに参戦 さんせん するだけではなく、ワンメイクレース の開催 かいさい やフォーミュラ・ルノー など若手 わかて レーシングドライバー の育成 いくせい プログラムの充実 じゅうじつ などを通 つう じてモータースポーツの振興 しんこう にも力 ちから を入 い れている。
なおルノー・スポール は、2021年 ねん 5月 がつ 1日 にち をもって「アルピーヌ 」ブランドと統合 とうごう され、ルノーにおけるモータースポーツ部門 ぶもん は「アルピーヌ」ブランドに一本 いっぽん 化 か されることになり「ルノー・スポール」の名称 めいしょう は消滅 しょうめつ した[ 20] 。
RS01(1977年 ねん )
ルノーF1チームのピット(2005年 ねん )
革新 かくしん 的 てき 技術 ぎじゅつ の積極 せっきょく 的 てき 導入 どうにゅう [ 編集 へんしゅう ]
1977年 ねん にはFIA フォーミュラ1世界 せかい 選手権 せんしゅけん に、史上 しじょう 初 はつ の1.5ℓV6ターボチャージャー エンジンを搭載 とうさい した車体 しゃたい でフルコンストラクター(車体 しゃたい もエンジンも自社 じしゃ で製作 せいさく するチーム)として参入 さんにゅう した。
当初 とうしょ は苦戦 くせん するものの、まもなく高 たか い戦闘 せんとう 力 りょく を発揮 はっき し数々 かずかず の勝利 しょうり を挙 あ げた。1980年代 ねんだい 中盤 ちゅうばん までルノーチームとして参戦 さんせん したあと、1989年 ねん から1997年 ねん までエンジンサプライヤーとして、2002年 ねん 以降 いこう は再 ふたた びフルコンストラクターのルノーチームとして参戦 さんせん し、さらに複数 ふくすう のチームにもエンジンを供給 きょうきゅう している。
これら3期 き いずれも強豪 きょうごう の一角 いっかく に名 な を連 つら ねたが、参戦 さんせん のたびにターボエンジン、ニューマチックバルブ 、低 てい 重心 じゅうしん 広角 こうかく エンジンといった革新 かくしん 性 せい のある技術 ぎじゅつ コンセプトを投入 とうにゅう しており、単 たん なる強豪 きょうごう にとどまらない影響 えいきょう を及 およ ぼしている存在 そんざい でもある。
長 なが らく低迷 ていめい していたベネトン チームを買収 ばいしゅう して誕生 たんじょう したルノーチームだが、この再建 さいけん をも果 は たし、特 とく に2005年 ねん 以降 いこう はチャンピオンタイトルを争 あらそ い、フェラーリ やマクラーレン といったライバルを凌駕 りょうが し、2005年 ねん と2006年 ねん の2年 ねん 連続 れんぞく でコンストラクター(製造 せいぞう 者 しゃ )部門 ぶもん とドライバー部門 ぶもん (フェルナンド・アロンソ )の両 りょう タイトルを獲得 かくとく した。
ラリーで大衆 たいしゅう 車 しゃ ベースとして投入 とうにゅう される1960年代 ねんだい よりドーフィン、4、以降 いこう の世界 せかい ラリー選手権 せんしゅけん 時代 じだい に入 はい るまでは8、12、17をゴルディーニ仕様 しよう として投入 とうにゅう 、1972年 ねん 、Gr.4マシンであるアルピーヌ・A110の投入 とうにゅう 、ジャン=クロード・アンドリュー の活躍 かつやく により、ライバルのポルシェ はフェードアウト気味 ぎみ であったがフィアット 、ランチア 、フォード 、BMC を凌駕 りょうが 。1973年 ねん WRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得 かくとく する。以降 いこう 、選手権 せんしゅけん が再開 さいかい され、ランチア・ストラトス が席巻 せっけん するようになってからはA310の熟成 じゅくせい に時間 じかん を費 つい やし、下 した のグループで走 はし らせていた5をアルピーヌ仕様 しよう へ進化 しんか させ、80年代 ねんだい のグループB時代 じだい に入 はい り5ターボマキシへと進化 しんか していくとFF車 しゃ 使 つか いでもあるジャン・ラニョッティ 、ブルーノ・サビー らの活躍 かつやく により激 はげ しいトップ〜中堅 ちゅうけん 争 あらそ いを繰 く り広 ひろ げる[ 21] 。それが過 す ぎ90年代 ねんだい に入 はい るまでにはルノー・クリオ を投入 とうにゅう する。
1970年代 ねんだい 後半 こうはん のERAヨーロッパラリークロス選手権 せんしゅけん にもA110は投入 とうにゅう され、ヴィック・クォイトフが駆 か り、並居 なみい るポルシェ・911と中堅 ちゅうけん 争 あらそ いを繰 く り広 ひろ げている[ 22] 。
4CV
フランスの自動車 じどうしゃ 会社 かいしゃ の例 れい に漏 も れず古 ふる くから広告 こうこく に力 ちから を入 い れていることで知 し られており、グローバル担当 たんとう 広告 こうこく 代理 だいり 店 てん であるパブリシス との長年 ながねん の関係 かんけい のもと、1972年 ねん の5(サンク)のデビュー時 じ の広告 こうこく キャンペーンなど、広告 こうこく 史 し に残 のこ る有名 ゆうめい な広告 こうこく をいくつも世 よ に送 おく り出 だ している。
マスタード イエローと呼 よ ばれる濃 こ い黄色 おうしょく をコーポレートカラーにしており、ロゴマークの背景 はいけい 色 しょく となっているほか、モータースポーツに参戦 さんせん する際 さい などはこの色 いろ を基調 きちょう に白 しろ もしくは黒 くろ を組 く み合 あ わせるのが基本 きほん である。
2006年 ねん ころにドイツ の広告 こうこく 代理 だいり 店 てん により制作 せいさく され、ドイツをはじめとする複数 ふくすう の国 くに で放映 ほうえい されたテレビCM(日本 にっぽん においてもルノー・ジャポンのウェブサイト上 じょう で公開 こうかい された)には、ルノー車 しゃ の安全 あんぜん 性 せい をアピール するために以下 いか に示 しめ すような奇抜 きばつ な内容 ないよう のものがあった。
車 くるま を食 た べ物 もの (おもな自動車 じどうしゃ 生産 せいさん 国 こく になぞらえたもの)に置 お き換 か えて衝突 しょうとつ テストを行 おこな った。ソーセージ (ドイツ車 しゃ )・巻 ま き寿司 ずし (日本 にっぽん 車 しゃ )・クネッケブレード (乾 かん パン の一種 いっしゅ 、スウェーデン車 しゃ )が次々 つぎつぎ と「大破 たいは 」していく中 なか 、フランスパン (ルノー車 しゃ )だけは先端 せんたん が一瞬 いっしゅん ひしゃげつつもほぼ無傷 むきず で終 お わり、ラストにもこのフランスパンが登場 とうじょう していた。
砂漠 さばく の中 なか 、シルバーに塗 ぬ られたさまざまなルノー車 しゃ が隊列 たいれつ を組 く み、かつてのいすゞ・ジェミニ のCM(「街 まち の遊撃手 ゆうげきしゅ 」シリーズ)のように踊 おど るようなアクロバット 走行 そうこう をするが、ドアミラーの接触 せっしょく ・破損 はそん に始 はじ まり、接触 せっしょく や横転 おうてん などを経 へ て最後 さいご は2台 だい がジャンプしながら激 はげ しく正面 しょうめん 衝突 しょうとつ してしまう。しかし、それら満身 まんしん 創痍 そうい のルノー車 しゃ 群 ぐん は、ラストに勢揃 せいぞろ いし全車 ぜんしゃ が徐行 じょこう ながらも動 うご いていた[ 23] 。
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