マクラーレン
エントリー |
マクラーレン・フォーミュラ1チーム |
---|---|
チーム | イギリス |
チーム |
イングランド サリー |
チーム |
ザク・ブラウン(CEO) アンドレア・ステラ(チーム ブルース・マクラーレン( |
テクニカルディレクター |
ピーター・プロドロモウ(エアロ) ロブ・マーシャル(デザイン) |
2024 | |
ドライバー |
4. ランド・ノリス 81. オスカー・ピアストリ |
テストドライバー |
パトリシオ・オワード |
シャーシ | MCL38 |
エンジン | メルセデス M15 E Performance |
タイヤ | ピレリ |
F1 | |
1966- | |
950 (946スタート) | |
コンストラクターズ タイトル | 8 (1974, 1984, 1985, 1988, 1989, 1990, 1991 ,1998) |
ドライバーズ タイトル | 12 (1974, 1976, 1984, 1985, 1986, 1988, 1989, 1990, 1991, 1998, 1999, 2008) |
188 | |
6,813.5 | |
503 | |
ポールポジション | 162 |
ファステストラップ |
169[ |
F1デビュー |
1966 |
1968 | |
2023 |
4 |
( |
マクラーレン・レーシング(McLaren Racing Limited)は、1963
概要
[1966
2017
その
2017
タイトルスポンサーはヤードレー(1972
歴史
[1960年代
[1963
- 1966
年 - モナコGPでF1デビュー。ブルースのみの1カーエントリーでM2Bを
使用 。エンジンはフォード・DOHCコンペティションエンジン (V型 8気筒 ) とセレニッシマ・M166エンジン (V型 8気筒 ) を併用 [3]。
- 1967
年 - この
年 もブルースのみの1カーエントリー。新車 開発 の遅 れから、シーズン序盤 はBRMの旧型 2L V8エンジンを搭載 したM4B(元 はF2用 マシンのM4A)、シーズン中盤 はイーグルのマシンを走 らせた。BRMの新型 V12エンジンが搭載 された新車 M5Aが登場 したのはシーズン後半 のカナダGPとなった[4]。
- 1968
年 - この
年 より2台 をエントリーし、Can-Amのデニス・ハルムをF1チームにも加 える。開幕 戦 は前年 のM5Aを使用 したが、第 2戦 スペインGPからフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載 したM7Aを使用 する。ブランズ・ハッチで開催 された非 選手権 で優勝 を飾 るとともに、第 4戦 ベルギーGPでF1初 優勝 を遂 げた。ハルムもイタリアGPとカナダGPで連勝 (カナダGPではチーム初 のワン・ツー・フィニッシュを飾 った)し、コンストラクターズランキング2位 と大 きく躍進 した。シーズン終盤 にはイーグルのダン・ガーニーがM7Aを使用 した。また、この年 のCan-Amでハルムがチャンピオンを獲得 している。
- 1969
年 - ブルースは
入賞 8回 でランキング3位 。ハルムは最終 戦 メキシコGPで優勝 し、Can-AmではM8Bを駆 り年間 2位 となる。マシンは主 に前年 のM7Aを継続 使用 したが、F5000用 マシンM10Aを流用 したM7Cや、四 輪 駆動 のM9Aも使用 している[5]。
1970年代
[- 1970
年 - 6月2
日 、グッドウッド・サーキットでCan-Am用 の新車 M8Dをテストドライブしていたチームのボス、ブルース・マクラーレンがマシントラブルが原因 で起 きたクラッシュにより死亡 [6]。この事件 はチームにとって巨大 な痛手 であったが、チーム運営 はテディ・メイヤーによって引 き継 がれ、引 き続 き、Can-Am、F1、F2、インディ500、F5000などへの参戦 を継続 し、いずれのカテゴリーにおいても目覚 しい活躍 を見 せた。 - この
年 、F1では新車 M14Aを使用 。これとは別 に、スポーツカーレース用 に開発 されたアルファロメオV8エンジンをM7D(M7Aを改変 )およびM14D(M14Aを改変 )に搭載 した。ドライバーは当初 ハルムとブルース・マクラーレンが引 き続 き務 めていたが、ブルースの死後 は旧友 だったガーニーがF1とCan-Amにスポット参戦 したのち、新人 ピーター・ゲシンが起用 された。アルファロメオエンジン搭載 車 は主 にアンドレア・デ・アダミッチがドライブした[7]。Can-Amではハルムがチャンピオンに返 り咲 く活躍 を見 せた[8]。
- ドライバーはハルムとゲシンが
残留 。シーズン半 ばにジャッキー・オリバーが加 わったが、ゲシンはBRMへ移籍 した。新車 M19Aのデビュー戦 となる開幕 戦 南 アフリカGPで、ハルムは優勝 目前 まで行 きながらマシントラブルで6位 [9]。結局 この年 は表彰台 に立 つことはできず、コンストラクターズランキング6位 に終 わった。
- 1972
年 - ドライバーはハルムが
残留 し、前年 のCan-Amチャンピオンのピーター・レブソンが8年 ぶりにF1復帰 。レブソンがアメリカのレース日程 とバッティングした時 はブライアン・レッドマンが代走 を務 めた。最終 戦 アメリカGPではジョディ・シェクターがスポット参戦 でF1デビューを果 たした。マシンは前年 のM19Aおよびその改良 版 のM19Cを使用 。この年 からヤードレー化粧 品 がスポンサーとなり、カラーリングがオレンジからホワイトに変更 された。レブソンがカナダGPでチーム初 のポールポジションを獲得 。ハルムが南 アフリカGPで優勝 。チームとしては表彰台 圏内 11回 (ハルムが7回 、レブソンが4回 )を記録 。コンストラクターズランキング3位 に浮上 した。
- F1
以外 ではペンスキーチームのマーク・ダナヒューの手 により、コンストラクター(車体 製造 者 )としてインディ500初 優勝 を遂 げた。そして同年 末 には充分 な成果 を残 したCan-Amから撤退 し、以後 はF1とインディに集中 することを決 めた。
- 1973
年 - ドライバーはハルムとレブソンが
残留 、シェクターも引 き続 きスポット参戦 。ドイツGPのみジャッキー・イクスもスポット参戦 した。序盤 はM19Cを使用 したが、第 3戦 南 アフリカGPからゴードン・コパック設計 のくさび形 マシンM23が登場 し、このGPでハルムが85戦 目 にしてキャリア初 のポールポジションを獲得 (決勝 は5位 入賞 )。レブソンは2勝 (イギリスGPとカナダGP)を挙 げた。シェクターは5戦 ノーポイントに終 わったが、南 アフリカGPとフランスGPではトップを走 る好 走 を見 せた。コンストラクターズランキングは前年 と同 じ3位 となった。
- マールボロと
契約 し、以降 「マールボロカラー=マクラーレン」という関係 は長期 にわたって続 くこととなった。この年 は3台 体制 を敷 き、残留 したハルムとロータスから移籍 したエマーソン・フィッティパルディがマールボロカラーで出走 し、3台 目 は前年 同様 ヤードレーカラーを纏 い、マイク・ヘイルウッドがドライブした。ヘイルウッドがドイツGPで負傷 した後 は、デイビッド・ホッブスとヨッヘン・マスが代走 を務 めた。ちなみにこの2社 とも以前 はBRMをスポンサードしていた。フィッティパルディとクレイ・レガツォーニ(フェラーリ)とのタイトル争 いは最終 戦 までもつれ込 んだが、フィッティパルディが2年 ぶり2度目 のドライバーズタイトル(マクラーレンとしては初 )を獲得 するとともに、初 のコンストラクターズタイトルを獲得 した。ハルムは開幕 戦 アルゼンチンGPで勝利 するが、この年 をもってF1を引退 した。
一方 、インディ500においてもジョニー・ラザフォードによって2度目 の優勝 が果 たされ(マクラーレン「チーム」としてはインディ500初 優勝 )、このふたつのカテゴリーを同 じ年 に制 したのは、1965年 のロータスに次 ぐ2例 目 となる結果 を残 した。
- 1975
年 - ドライバーはフィッティパルディが
残留 、前年 終盤 に加 わったマスとの2台 体制 。フィッティパルディはしぶとく入賞 を重 ねるも、フェラーリのニキ・ラウダのスピードに付 いていくことができず2勝 止 まりで2位 。チームメイトのマスはスペインGPで初 勝利 を挙 げた。コンストラクターズランキングは3位 に後退 。
- 1976
年 - ドライバーはマスが
残留 、フィッティパルディに代 わりジェームス・ハントが加入 。M23は4年 目 となったが依然 戦闘 力 が高 く、シーズン途中 に投入 したM26はオランダGPでマスが出走 した1戦 のみにとどまった。この年 もラウダが選手権 をリードしていったが、第 10戦 ドイツGPでラウダが瀕死 の重傷 を負 ってからはハントが勝利 とポイントを重 ねていき、チャンピオン争 いは最終 戦 F1世界 選手権 イン・ジャパンまでもつれ込 んだ。雨 で混乱 したレースとなった中 でハントは3位 に入賞 し、ポイントでラウダを逆転 して王座 を獲得 した。
- インディ500においてまたもジョニー・ラザフォードにより、マクラーレン
製 シャシーとして3度目 、マクラーレンチームとしては2度目 となる優勝 を遂 げた。
- 1977
年 - ハントとマスのコンビは
変 わらず。ジル・ヴィルヌーヴがイギリスGPで、ブルーノ・ジャコメリがイタリアGPでそれぞれスポット参戦 及 びF1デビューを果 たした。M23も既 に時代遅 れになりつつあり、前年 登場 したM26をシーズン半 ばから実戦 投入 した。ハントはM26で3勝 (イギリスGP、アメリカ東 GP、日本 GP)したが、チャンピオン争 いには加 われなかった。
アメリカにおいては、M23ベースに、DFVのターボ
- 1978
年 - ハントは
残留 、マスに代 わりパトリック・タンベイが加入 。ジャコメリも数 戦 出走 した。前年 同様 M26を使用 するが、この年 のF1を席巻 したロータス・79をはじめとしたグラウンド・エフェクト・カーの台頭 により急速 に戦闘 力 を落 としていき、表彰台 はフランスGPの1回 のみに終 わり、コンストラクターズランキングも8位 と低迷 した。
- 1979
年 - タンベイは
残留 、ハントに代 わりジョン・ワトソンが加入 。マクラーレン初 のグラウンド・エフェクト・カーとなるM28を投入 し、M28B、M28Cと改変 していくがいずれも失敗 に終 わり、イギリスGPからM29を投入 したが、低迷 を脱 することはできなかった。
- この
年 をもって、参戦 意義 が薄 くなったとしてインディ500から撤退 した。
1980年代
[1980年 - 1984年
[- ワトソンは
残留 、タンベイに代 わり新人 アラン・プロストが加入 。前年 型 のM29を改良 したM29B、M29Cでシーズンを戦 い、後半 には旧 チームとしては最終 型 のM30を1台 投入 した。プロストは開幕 2戦 で連続 入賞 を果 たしたが、マシンの競争 力 、信頼 性 は決 して高 くはなく、第 3戦 南 アフリカGPでは、走 り出 して最初 のコーナーでフロントサスペンションマウントが破損 するなど、トラブルが度々 発生 した。マシントラブルによるクラッシュでプロストがケガを負 うこともあった(プロストがケガで欠場 したアメリカ西 GPはスティーブン・サウスが代走 )[6]。シーズン終了 後 、それまでのマクラーレンと、マールボロの後 ろ盾 を元 にロン・デニスのF2チーム「プロジェクトフォー」が合併 、長年 に続 くデニス主導 のチーム体制 が構築 された。プロストは複数 年 契約 をチームと結 んでいたが、「合併 でできた新 チームは従来 のチームとは別 のチーム」という論理 で契約 を破棄 し、ルノーへ移籍 した。
- 1981
年 - ジョン・バーナードの
設計 によりカーボンファイバー製 のモノコックを採用 した初 のF1マシン、MP4/1を出走 させた。このモノコックは、アメリカユタ州 のソルトレイクシティにあるハーキュリーズが実際 の製造 を請 け負 った[6]。車両 は広 く「マクラーレン」と呼 ばれるが、この「MP4」は「Marlboro Project 4」の略称 である[6](現在 では「McLaren Project 4」の略称 とも言 われる)。プレス発表 時 のマシン名 表記 は"Marlboro MP4/1"とされ、シーズン中盤 からはノーズに「Marlboro MP4」というロゴステッカーが貼 られた。このMP4/1で戦闘 力 を取 り戻 し、ワトソンがイギリスGPでチームに4年 ぶりの優勝 をもたらした。チームメイトのアンドレア・デ・チェザリスは経験 不足 からクラッシュを度々 起 こしたが、無傷 の生還 を繰 り返 すことで皮肉 にもカーボンファイバーモノコックの安全 性 を証明 することになった。
- 1982
年 - 1979
年 途中 でF1を引退 していた元 ブラバムのニキ・ラウダを復帰 させることに成功 。前年 に登場 したMP4/1を改良 したMP4/1Bを使用 し、ワトソンとともに4勝 をあげトップチームへの復帰 を果 たした。シーズン終了 後 、テディ・メイヤーの持 つ株 を買 い取 りデニスがチームの実権 を掌握 する。
- 1983
年 - フラットボトム
規制 に伴 い改変 されたMP4/1Cを使用 したが、もはやノンターボのDFVやDFYではターボエンジンには対抗 できず、第 2戦 アメリカ西 GPでワトソンが優勝 した1勝 [注釈 3]のみで、第 5戦 モナコGPでは2台 とも予選 落 ちとなってしまった。TAGの協力 を得 て[注釈 4]、ポルシェがターボエンジンを開発 することになり、第 12戦 オランダGPからTAGのバッジネームを付 けたポルシェ1.5リッターV6ターボエンジンを搭載 したMP4/1Eが投入 され、ラウダは同 マシンをドライブ。ワトソンも次 戦 イタリアGPからMP4/1Eをドライブした。残 りのレースは、結果 的 に来 シーズンの準備 となった。1987年 まで使用 されるこのエンジンは、マクラーレンからオーダーされるかたちで設計 ・製作 されたので外形 寸法 などもバーナードから厳密 に指定 され、車体 デザインの自由 度 を広 げる面 でも大 きく貢献 した。
完全 新 設計 のMP4/2シャシーを投入 。ラウダのチームメイトとしてプロストが4シーズンぶりに復帰 。ドライバーズタイトル争 いはこの二 人 によって繰 り広 げられ、全 16戦 のうちラウダが5勝 、プロストが7勝 の計 12勝 をあげた。最終 的 にラウダがプロストを史上 僅差 の0.5ポイント差 で下 し、自身 7年 ぶり3度目 のワールドチャンピオンに輝 いた。マクラーレンにとってドライバーズタイトルはジェームス・ハント以来 8年 ぶりで、コンストラクターズタイトルは10年 ぶり2度目 であった。ちなみにマクラーレンはレースのたびに、ふたりのドライバーがマシンを壊 すことなくピットに戻 ってくるので、シャシーにかけていた保険 を解約 した[10]。なお、4シーズンに渡 ってタイヤ供給 を受 けていたミシュランが、このシーズンでF1から撤退 した。
1985年 - 1989年
[- 1985
年 前年 に引 き続 きコンストラクターズチャンピオンを獲得 した。ドライバーズチャンピオンは、フェラーリのミケーレ・アルボレートとの争 いを制 したプロストが初 めて獲得 した。この年 、キャラミで行 われた南 アフリカグランプリにて投入 されたMP4/2Bの6号車 が、完全 にマクラーレンのファクトリーで自製 された初 のモノコックである[6]。ヨーロッパGPでは腕 を負傷 したラウダに代 わってワトソンが2年 ぶりに復帰 した[注釈 5]。この年 をもってラウダが2度目 の(そして最後 の)引退 を表明 した。
- 1986
年 - コンストラクターズタイトルはホンダエンジンを
搭載 したウィリアムズに奪 われたが、同 チームのナイジェル・マンセルとネルソン・ピケの確執 の間隙 を突 き、プロストが最終 戦 で7ポイント差 を逆転 して2年 連続 ドライバーズタイトルを獲得 した。引退 したラウダに代 わってケケ・ロズベルグがウィリアムズから移籍 したが未 勝利 に終 わり、同年 をもって引退 。
- 1987
年 - タイトルは
獲得 できなかったが、プロストが3勝 を上 げた。新 たなチームメイトのステファン・ヨハンソンは2位 2回 を含 む表彰台 5回 に終 わった。シーズン途中 のイタリアGPで翌年 の体制 発表 を行 い、ホンダエンジンの獲得 とアイルトン・セナのチーム加入 を公表 した[11]。前年 6月 にデニスとプロストが来日 してホンダ側 にエンジン供給 を要請 したが、既 にホンダはウィリアムズとロータスの2チームへのエンジン供給 を決 めた後 だったため実現 せず、2年 越 しとなる契約 締結 だった[12]。なおポルシェは、自社 製 のV12自然 吸気 エンジンをマクラーレンに提案 しているが、新 設計 のV12ではなく、この年 に使用 されたV6ターボエンジンからターボを取 り外 し、V6を2つつなぎ合 わせてV12とした設計 でもあったため、チーム側 は拒否 しポルシェとの契約 を打 ち切 っている。このポルシェのV12エンジンは1991年 にフットワークがFA11C及 びFA12に搭載 し参戦 した。
- プロストとセナのラインナップと
新 設計 のMP4/4シャシー、ホンダターボエンジンとの組 み合 わせは16戦中 15勝 [注釈 6]という圧倒的 な成績 を残 し、コンストラクターズとドライバーズの両 タイトルを獲得 した。唯 一 優勝 を逃 したイタリアGPはプロストがエンジントラブル、セナはトップを走 りながら、終盤 周回 遅 れのジャン=ルイ・シュレッサーと接触 してストップ(完走 扱 い)したというものであった。この年 はポールポジションも15回 獲得 し、獲得 したコンストラクターズポイントは199ポイントで、2位 のフェラーリに対 し134ポイントもの差 をつけた。
- ターボエンジンが
全面 禁止 されたことにより、ホンダは自然 吸気 V10エンジンを投入 。前年 同様 の布陣 でダブルタイトルを獲得 するが、深刻 な問題 が発生 した。前年 の第 13戦 ポルトガルGPでのレース中 にセナがチームメイトであるプロストに幅 寄 せをしたことから両者 の間 に不協和音 が生 じ始 め、この年 のサンマリノGPの「オープニングラップの1コーナーを制 した者 が優勝 の権利 を有 し、それ以降 は追越 しをしない」という紳士 協定 を巡 る出来事 やその後 に起 きたやり取 りによって、プロストとセナの亀裂 は決定的 なものとなった。これがシーズン途中 でプロストがチーム離脱 を決断 させる事実 上 の引 き金 となったが、それ以外 にも両者 が起 こした言動 で衝突 しあったことやプロストの言動 を巡 るチームとの関係 悪化 も少 なからず影響 した。その後 、プロストがタイトルに王手 をかける中 で迎 えた第 15戦 日本 GPではシケインでお互 いに道 を譲 らずに接触 し、両者 のマシンはストップ。セナは復帰 しトップでチェッカーを受 けたが、プロストによる抗議 によりシケイン不 通過 (後 に押 しがけに変更 )との裁定 が下 され、セナはレース後 に失格 となった。これにより最終 戦 を待 たずしてプロストの3度目 のチャンピオンが決 まった。
1990年代
[1990年 - 1994年
[- 1990
年 - プロストがフェラーリへ
移籍 したため、フェラーリからゲルハルト・ベルガーをセナのチームメイトに迎 えシーズンを戦 った。だが、ハンドリング性能 で優位 性 を築 いたフェラーリに苦 しめられ、タイトル争 いは前年 同様 に第 15戦 日本 GPまで持 ち込 まれ、ここでコンストラクターとドライバーの両 タイトルを確定 させた。しかし、日本 GPのレース内容 はセナとプロストの接触 事故 による共倒 れ、フェラーリのダブルリタイアという形 で両 タイトル争 いの決着 がつくという後味 の悪 い面 もあった[13]。
- ホンダが
前年 から開発 していたV12エンジンを導入 し、空 力 やシャシー開発 の遅 れのテコ入 れとしてライバルのフェラーリから加入 したアンリ・デュランによって一定 の改善 が図 られたマシンでシーズンを戦 った。その結果 、フェラーリの不振 もありセナが当時 の新 記録 となる開幕 4連勝 を達成 。しかし、ルノーV10エンジンを搭載 し、空 力 の鬼才 と称 されたエイドリアン・ニューウェイがデザインしたFW14を擁 するウィリアムズは、その4連勝 の間 、マシントラブルが続 いたものの、予選 でのフロントロー獲得 や決勝 でマクラーレンの脅威 になる存在 感 を見 せ、シーズン中盤 から戦闘 力 を増 して猛追 撃 を開始 。こうした状況 に至 って、マクラーレンはシーズン途中 でアクティブサスペンションとセミオートマチックトランスミッションの開発 に着手 した。序盤 戦 に広 げた差 を詰 められながらもウィリアムズ陣営 のトラブルやミスにも助 けられる形 で結果 的 に逃 げ切 る形 となり、第 15戦 日本 GPでセナが2年 連続 のドライバーズタイトルを獲得 [14]。コンストラクターズタイトルも、最終 戦 オーストラリアGPまでもつれたものの4年 連続 で獲得 した[15]。 - この
年 、チームの無線 はスクランブルがかかっていたはずであるが、ブラジルGPのチェッカー後 のセナの声 が地元 テレビ局 によって傍受 されたことはチームサイドに衝撃 を与 え、翌年 から使用 する予定 だったケンウッドの無線 をこの年 の日本 GPから前倒 しして使用 し始 めることとなった。 後藤 治 がホンダを退社 し、マクラーレンに移籍 。同社 でロン・デニスに次 ぐエグゼクティブ・エンジニアに就任 する。
- 1992
年 体制 そのものは前年 と同 じ布陣 で、序盤 戦 を前年 の改良 型 MP4/6Bで戦 った後 に新型 MP4/7Aを出 す予定 だったが、ウィリアムズ側 も前年 のFW14元 来 の空 力 性能 とルノーV10エンジンのトータルバランスの良 さに加 え、アクティブサスペンションなどのハイテク装備 を搭載 した改良 型 FW14Bを満 を持 して投入 、その戦闘 力 に完全 に圧倒 される。第 3戦 ブラジルGPで、マクラーレン初 のハイテク搭載 車 としてセミオートマチックトランスミッション、F1では初 となる「ドライブ・バイ・ワイヤ」と呼 ばれるコンピューター制御 のアクセルシステムを導入 したMP4/7Aを予定 より前倒 しで投入 するも全 く歯 が立 たなかったばかりか、V8エンジンながらも秀 でた空 力 とハンドリング性能 を誇 ったベネトン勢 から突 き上 げられるレースも多 かった。数 年来 のエンジンパワーで空 力 性能 の弱点 を補 う手法 が通用 しなくなった年 となり、16戦中 5勝 (セナ3勝 /ベルガー2勝 )を挙 げるも両 タイトルいずれも逃 した。この年 をもってホンダは10年間 に渡 った第 2期 F1活動 の終了 を発表 し撤退 。またベルガーは古巣 フェラーリへの移籍 を発表 した。ホンダの撤退 をデニスが知 らされてから約 10ヶ月 の猶予 がありながら、マクラーレンが翌年 使 うエンジンは決 まらぬままシーズンを終 えたことはF1パドック関係 者 の多 くが驚 いたが、デニスはウィリアムズに勝利 をもたらしたルノーV10エンジンの獲得 を第 一 希望 としており、ルノーとの契約 を持 つリジェをチームごと買収 することも画策 していた[16]。しかしルノーが基本 条件 として要求 したエルフガソリンの使用 を、長年 の大口 パートナーであるシェルを持 つデニスはどうしても飲 むことが出来 ず、ルノー獲得 を断念 せざるを得 なかった[16]。デニスはジョーダンが積 むことが決 まったハートV10の横取 りや、ランボルギーニV12の搭載 も模索 するが、1993年 2月 になってもまだエンジン契約 を確定 できなかったことで、マシンの基本 パッケージを造 ることが出来 ず大 きなマイナスとなった[16]。
- エンジンは
結局 カスタマー仕様 のフォード・コスワース・HBエンジンを搭載 することとなった。ドライバーはCARTのチャンピオンであるマイケル・アンドレッティと、ロータスから移籍 してきたミカ・ハッキネンが加入 。前年 は休養 して満 を持 してウィリアムズから復帰 したプロストが圧倒的 有利 とされる中 、セナは休養 するという話 もあったが、結局 開幕 前 に参戦 することが決 まった(ハッキネンはセナが戻 った場合 、テストドライバーとなる契約 であった)。その後 、セナは第 8戦 のフランスGPまではレース毎 に参戦 契約 を交 わしていた。フォードワークス仕様 のエンジンを独占 供給 されていたベネトンに対 し、カスタマー仕様 のHBエンジンでパフォーマンスも劣 っていた[注釈 7]。ロン・デニスの政治 力 で第 9戦 からはベネトンと同 じワークス仕様 のエンジン供給 契約 を結 んだ結果 、セナとも第 9戦 以降 の全 戦 出場 の契約 を結 んだ。 - この
年 のMP4/8は大幅 な空 力 面 の改良 を施 し、ハイテク装備 もウィリアムズほどではないが他 のチーム以上 の性能 の物 を投入 。前年 までのホンダV12エンジンに比 べて軽量 なエンジンとなったことによってマシンの重量 バランスの改善 に繋 がり、前年 よりは戦闘 力 が向上 した。だが、ルノーエンジンより50馬力 から70馬力 も劣 るとされるフォードエンジンのパワー差 と空 力 性能 面 でも依然 としてウィリアムズとの差 は大 きかった。結果 的 にセナ一人 で前年 と同 じ年間 5勝 を挙 げた。最終 戦 のオーストラリアGPではこの年 唯一 のポールポジションをセナが獲得 し、ウィリアムズの全 レースポールポジション獲得 を阻止 した。コンストラクターズランキングもベネトンとの争 いを制 してウィリアムズに次 ぐ2位 となった。 - アンドレッティは
開幕 戦 からリタイアが続 き、シーズン終盤 の第 13戦 イタリアGPでの3位 表彰台 を最後 にチームを離脱 してアメリカへ帰国 、これを受 けてテストドライバーを務 めていたハッキネンが残 りの3レースを走 る事 になった。ハッキネンは復帰 初戦 となった第 14戦 ポルトガルGPでいきなりセナを予選 で上回 り、第 15戦 日本 グランプリでも自身 初 の3位 表彰台 を得 て、ウィリアムズへの移籍 が決 まったセナ離脱 後 の翌年 以降 のエースに伸 し上 ることとなった。 - シーズン
中 にはアメリカのビッグ3の一 つであるクライスラー社 からの依頼 でクライスラーV12エンジン(ランボルギーニエンジンをこのテスト用 に改良 したもの)をテストしたが、「あくまでも依頼 されたテスト走行 」と言 う位置 づけであったことに加 え、同 時期 にプジョーから多額 の契約 金 付 きの契約 オファーがあったため、そちらを優先 して契約 を結 んだ。
- ハッキネンはエースとして
残留 するが、セカンドドライバーが中 々決 まらず[注釈 8]、結局 開幕 直前 の2月 末 になってマーティン・ブランドルが新 たに加 わった。MP4/8のデザインを踏襲 したMP4/9に、前年 のフォード・コスワースからワークスのプジョーエンジンに乗 せ換 えた。前半 戦 はエンジンの信頼 性 が低 く頻発 するエンジントラブルによって苦 しめられ、第 5戦 スペインGPではハッキネンがトップを走 っていたが、エンジンブローでリタイアした。第 7戦 フランスGPでは、よりによってプジョーにとっては同国 のライバルであるルノーの看板 の前 で2台 ともエンジンブローを起 こし、イギリスGPではスタート直後 に、ブランドルがエンジンブローとなるなど散々 な結果 であった。これに業 を煮 やしたチームは複数 年 契約 だったプジョーとの契約 をわずか1年 で破棄 する事 を決断 、翌年 はイルモアが開発 するメルセデスエンジンへと変更 することをシーズン終了 前 に発表 し、2シーズン連続 のエンジンサプライヤーの交代 となった。後半 戦 からは信頼 性 も上 がり表彰台 にも8回 上 がったが、1980年 以来 14年 ぶりの「未 勝利 」に終 わる。
1995年 - 1999年
[- ハッキネンが
残留 し、そのチームメイトにデビッド・クルサードを迎 える予定 だったが、所属 チームのウィリアムズが提訴 し裁判 の結果 残留 が決定 。そのウィリアムズを追 われたナイジェル・マンセルと契約 を結 ぶが、コックピットが狭 いことを理由 にマンセルは開幕 から2戦 は参戦 せず、チームは代 わりにマーク・ブランデルをレース毎 の契約 で乗 せることとした。マンセルは第 3戦 サンマリノGPと第 4戦 スペインGPで走 ったが、予選 でミカ・ハッキネンより遅 く、決勝 でもそれぞれ10位 とリタイアに終 わったのを最後 にマンセルはチームを離脱 し事実 上 の引退 となった。元々 デニスとマンセルは「犬猿 の仲 」であったが、セナの死 やプロスト引退 でのF1人 気 の低下 を危惧 したメインスポンサーであるマールボロやFIA会長 (当時 )のバーニー・エクレストンらの意向 が働 くなどの政治 的 要因 での加入 であったとされ、シーズン開幕 以前 の段階 で多 くのF1関係 者 が早期 に破局 すると予想 していた。 - MP4/10はエアインテーク
上 にセンターウィングを搭載 し、当時 としてはユニークなデザインをしたマシンであった。メルセデスエンジンとのマッチングや空 力 が弱 く、戦闘 力 不足 はウィリアムズ、ベネトン、フェラーリと比 べると明 らかで、シーズン中 にMP4/10B、MP4/10Cとモディファイされた。またこのメルセデスへのエンジン変更 により、ガソリンもシェルからモービルに変更 した。 - ハッキネンが
虫垂炎 になり、第 15戦 パシフィックGPではテストドライバーのヤン・マグヌッセンを起用 した。マグヌッセンにとっては、マクラーレンでのレース出場 はこの1戦 のみであった。第 16戦 日本 グランプリでは復帰 したハッキネンが2位 入賞 した。しかしハッキネンは、最終 戦 オーストラリアGPの予選 中 、パンクが原因 でコンクリートウォールに激突 し、選手 生命 を左右 しかねない重傷 を負 った。ハッキネンを治療 に専念 させるため、アラン・プロストがアドバイザー兼 テストドライバーとして迎 え入 れられた。
- 1996
年 - 1
月 のテストを、ウィリアムズから移籍 してきたデビッド・クルサードとアドバイザーであるプロストで進 めていた。ミカ・ハッキネンも2月 に戻 ってきて3か月 ぶりにドライブし、いきなりフェラーリのミハエル・シューマッハを凌 ぐタイムを叩 き出 し、速 さを示 した[17]。ハッキネンが開幕 戦 から参戦 できる目処 もつき、ハッキネンとクルサードのドライバーズラインナップになった。このコンビは2001年 まで続 く。MP4/11は前半 戦 でハンドリングに悩 まされたが、後半 戦 からサーキットによりショートホイールベース仕様 のMP4/11Bを投入 した。信頼 性 の向上 で完走 と入賞 数 は増 えたものの、依然 として速 さに課題 を残 すシーズンとなった。 - このシーズンをもって23
年間 メインスポンサーだったマールボロが、フェラーリへスポンサードを1本 化 するに伴 ってマクラーレンとの契約 を終了 、慣 れ親 しまれた「赤 ・白 」のカラーリングも見納 めとなった。この訣別 により、同 シーズンで契約 を終了 するハッキネンがマールボロの後押 しでフェラーリへ、ウィリアムズのデイモン・ヒルが加入 するという移籍 話 も出 てきたが、結局 第 15戦 ポルトガルGPでマクラーレンはハッキネンの残留 を発表 した[18]。 - ウィリアムズのチーフデザイナーであったエイドリアン・ニューウェイが、ヒル
解雇 決定 に抗議 したことやチーム方針 を巡 って対立 したことから11月にウィリアムズから離脱 、マクラーレンとの契約 を締結 する。しかしウィリアムズは契約 が残 っていることを訴 えて法廷 闘争 に持 ち込 んだ。その影響 でニューウェイはいつからマクラーレンに加入 できるかは流動的 となった。
- 1997
年 - インペリアル・タバコのドイツ
向 けブランドであるウエストがタイトルスポンサーとなった。この年 のMP4-12より、車体 形式 番号 の表記 の区切 りが従来 のスラッシュ「/」からハイフン「-」に変更 されている。開幕 戦 オーストラリア・第 13戦 イタリアGPでクルサードが、最終 戦 ヨーロッパGPでハッキネンがF1で初 優勝 し、年間 で計 3勝 をあげた。その一方 でハッキネンがトップを走 っていた第 9戦 イギリスGP、第 14戦 オーストリアGP、そして4年 ぶりにポールポジション(ハッキネンが獲得 )に返 り咲 いている第 15戦 ルクセンブルクGPとメルセデスエンジンのトラブルによりリタイアをし、信頼 性 に課題 を残 すシーズンとなった。 技術 陣 では契約 上 の問題 をクリアしたニューウェイがテクニカル・ディレクターとして第 11戦 ハンガリーGPから加入 。その後 、マシン開発 に拍車 がかかり、翌年 への明 るい材料 となった。- シーズン
終了 後 にグッドイヤーが「1998年 をもってF1から撤退 する」と発表 したため、同年 まであった同社 とのタイヤ供給 契約 を破棄 し、1997年 12月のテストからブリヂストンタイヤへ変更 することになった。
- 1998
年 前年 の12月から、今 シーズン仕様 の各 パーツを載 せたMP4-12Bは、ブリヂストンタイヤへの習熟 も兼 ねて約 8,000kmを走 りこみ、ブレーキ・ステアリング・システムなどを搭載 したMP4-13への開発 に繋 げた。開幕 戦 オーストラリアGPでは1-2フィニッシュして「3位 以下 を周回 遅 れにする」圧倒的 な戦闘 力 を見 せる。しかし第 2戦 ブラジルGPのレーススチュワードはフェラーリからの抗議 を認 め、ブレーキ・ステアリング・システムを使用 禁止 とした(マクラーレン側 は開幕 前 にFIAの技術 部門 から事前 にレギュレーション違反 ではないと承認 を貰 っていた)。- ブリヂストンタイヤを
装着 するマクラーレン・メルセデスを駆 るハッキネンと、グッドイヤータイヤを装着 するフェラーリを駆 るミハエル・シューマッハの対決 が話題 を呼 び、最終 戦 日本 GPまで、もつれ込 む展開 となった。最終 的 にはハッキネンが8勝 、クルサードが1勝 をあげ、1991年 以来 のドライバーズタイトル&コンストラクターズタイトルを獲得 した。ブリヂストンにとっても初 ポール・初 優勝 ・初 ダブルタイトルと初物 づくしのシーズンとなった。
予選 ではハッキネンが全 16戦中 ポールポジションを11回 獲得 し、決勝 ではハッキネンが5勝 、クルサードが2勝 をあげたものの、MP4-14の信頼 性 不足 に悩 まされ、ピット作業 やチーム戦略 のミスが重 なり、苦戦 を強 いられた。また、フェラーリが第 8戦 イギリスGPまではミハエル・シューマッハ(このGPでのクラッシュでシューマッハは両足 骨折 の重傷 を負 い、タイトル争 いから脱落 )、第 9戦 オーストリアGPからエディー・アーバインと、優先 するドライバーを明確 に決定 していたことに対 し、マクラーレンではチャンピオンになったハッキネンとクルサードを第 14戦 ヨーロッパGPまで、平等 に扱 う戦略 を採 っていた。結果 的 にオーストリアGPと第 12戦 ベルギーGPで両者 接触 を招 き、特 にオーストリアGPではこれが響 いてアーバインに優勝 をさらわれることとなった。第 15戦 マレーシアGPで決勝 後 、フェラーリが競技 審査 委員 会 からディフレクターの寸法 違反 で一旦 失格 になり、ハッキネンのワールドチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンが決 まったかに見 えたが、5日 後 のパリで開 かれたFIAの国際 控訴 裁判所 でフェラーリの逆転 無罪 となる。そのため、タイトル争 いは最終 戦 日本 GPまでもつれ、アーバインに4ポイント差 であったハッキネンが逆転 優勝 し2年 連続 のワールドチャンピオンに輝 いたものの、クルサードはスプーン・コーナーの手前 でスピンしてフロントウィングとサスペンションを破損 してリタイア。コンストラクターズタイトルは確実 にポイントを稼 ぎ続 けたフェラーリに奪 われてしまった。
2000年代
[2000年 - 2004年
[- MP4-15を
使用 したこのシーズン、3連覇 を狙 うハッキネンは開幕 戦 オーストラリアGPと第 2戦 ブラジルGPでメカニカルトラブルを被 り、ポイント獲得 に出遅 れた。また、オーストラリアGPでのスタートの速 さについてフェラーリから抗議 が出 て、第 4戦 イギリスGPから電子 制御 系 の新 ルールが施行 され、メルセデスエンジンの燃費 悪化 に繋 がり、柔軟 なピットストップ作戦 が取 れなくなった[19]。そして、フェラーリはマクラーレンとは違 い、明確 にミハエル・シューマッハをNo.1体制 にして戦 い、F1-2000の速 さと信頼 性 で着実 に勝 ち星 を上 げ、ポイントを積 み重 ねていた。クルサードはメカニカルトラブル1回 、失格 1回 以外 は完走 する安定 した走 りをしたため、中盤 戦 はハッキネンよりポイント数 を上回 り、一時期 シューマッハのライバルと見 られていた。ハッキネンは第 8戦 カナダGP終了 時点 で、ポイントリーダーのシューマッハに最大 24ポイント差 をつけられていたが、シューマッハが第 9戦 フランスGPをメカニカルトラブル、第 10戦 オーストリアGPと第 11戦 ドイツGPで接触 事故 による計 3戦 連続 リタイアをしている間 に、クルサードと共 にシューマッハとの差 を縮 めていた。第 12戦 ハンガリーGP開始 時点 では1位 シューマッハ56ポイント、2位 クルサードとハッキネンが54ポイントで同点 、4位 ルーベンス・バリチェロ46ポイントと、鎬を削 り合 っている状況 であった。ハンガリーGPと第 13戦 ベルギーGPでハッキネンが連勝 し、第 14戦 イタリアGPでシューマッハが勝利 し、ハッキネンが2位 、クルサードとバリチェロは接触 でリタイアし、タイトル争 いはハッキネンとシューマッハの二人 に絞 られていた。しかし第 15戦 アメリカGPでシューマッハが勝利 し、ハッキネンのほうは痛恨 のエンジントラブルでリタイアとなり、シューマッハはハッキネンに8ポイント差 をつけてポイントリーダーに返 り咲 いた。残 り2戦 でこの差 が響 き、ドライバーズタイトルとコンストラクターズタイトルをフェラーリに奪 い取 られた。 増大 するテストワークの負荷 を分散 するためとレギュラードライバーが欠場 したときの対策 のため、サードドライバーとしてオリビエ・パニスの加入 は、MP4-15の開発 に貢献 と効果 をもたらした。1997年 よりブリヂストンを使用 し、またレギュラードライバー時代 の豊富 な経験 もあるパニスは、チームに膨大 な情報 をもたらした。パニスは翌 2001年 のレギュラーシートをB・A・Rに確保 するという、当時 としては珍 しいキャリアを築 くことに成功 した。当時 、レギュラードライバーからテストドライバーになったドライバーが、再度 レギュラードライバーになることは珍 しいことであった。マクラーレンのテストドライバーは、翌 2002年 はアレクサンダー・ヴルツ、2003年 にはペドロ・デ・ラ・ロサが担当 し、強力 な布陣 を敷 くことに成功 した。
新 レギュレーション施行 により、フロントウィングの搭載 位置 が5センチメートル上昇 ・ロールフープの強化 ・耐 サイドインパクト強化 ・エンジンのシリンダーブロックにベリリウム合金 の使用 禁止 [注釈 9]など、昨 シーズンのMP4-15がMP4-13やMP4-14の発展 型 であったのに対 して、MP4-16は完全 に新 設計 されたマシンであった。開幕 戦 オーストラリアGPではハッキネンがサスペンショントラブルにより、3年 連続 の開幕 戦 リタイアで始 まった。デニスは作戦 上 ハッキネンが勝 てたレースと語 っているが[20]、後 にハッキネンはこの事故 で引退 について初 めて考 えたと吐露 している[21]。ここからハッキネンは第 10戦 フランスGPまでに、2戦 に1回 の割合 でメカニカルトラブルを被 り、チャンピオンシップ争 いから脱落 した。結果 的 にハッキネンは第 15戦 イタリアGPで休養 宣言 を行 った。- クルサードはモナコGPでポールポジションを
獲得 したが、ラウンチコントロールのトラブルで最 後尾 からのスタートとなった。中盤 戦 まではこれ以外 にメカニカルトラブルもなく2勝 してポイントを重 ねたが、速 さでミハエル・シューマッハに差 をつけられた。第 11戦 イギリスGPでジョーダンのヤルノ・トゥルーリとの接触 事故 でリタイアしたことにより、クルサードはタイトル争 いから脱落 した。最終 戦 日本 GPではハッキネンに順位 を譲 られ3位 入賞 し、フェラーリのバリチェロと争 っていたドライバーズランキング2位 を手 に入 れた。10度 の表彰台 を得 て自身 最高 のドライバーズランキング2位 となったものの、チャンピオンのミハエル・シューマッハには、ほぼダブルスコアの大差 をつけられた。 前 シーズンでエアロダイナミクス担当 のアンリ・デュランと、コンポジット担当 のスティーブ・ニコルズがチームを去 り、テクニカル・ディレクターのエイドリアン・ニューウェイが、友人 でもあるジャガーのチーム代表 兼 CEOのボビー・レイホールに誘 われ、ジャガーと契約 した。デニスはニューウェイを説得 し、ジャガーへの移籍 を翻意 させることに成功 したが、その間 にマシン開発 が停滞 したこともフェラーリに独走 された要因 の一 つとなった[21]。
- 2002
年 - フェラーリに
対 するにあたって同 じタイヤで戦 ってはアドバンテージが少 ないとの判断 から[要 出典 ]、この年 からタイヤメーカーをブリヂストンからフランスのミシュランへ変更 したが、苦戦 を強 いられた。またハッキネンの後任 として後輩 のキミ・ライコネンを抜擢 したが、前年 からのチーム内 の乱 れが尾 を引 き[要 出典 ]、車 の本格 的 な熟成 作業 はヨーロッパラウンドに入 ってからになった。この年 はモナコGPでクルサードが挙 げた1勝 にとどまり、タイトル争 いに加 わることができなかった。前年 に休養 宣言 していたハッキネンは、第 12戦 ドイツGPで正式 に引退 を発表 した。
- 2003
年 - この
年 からミシュランタイヤ専用 とも言 える「MP4-18」を投入 するはずであったが、テストでの不具合 の頻発 によりマシン開発 に遅 れが生 じて開幕 戦 に間 に合 わない事態 となったため、前年 型 の改良 版 「MP4-17D」を投入 し、MP4-18の開発 が完了 するまでの間 をそれで乗 り切 る決断 をした。最大 のライバルのフェラーリが新車 の開発 トラブルで第 5戦 までそれを投入 できなかったことやウィリアムズが出遅 れたことも手伝 い、開幕 戦 をクルサード、第 2戦 をライコネンが勝利 する展開 となった。一方 でマシンのほうは、MP4-18はFIAの義務付 けるクラッシュテストも通過 することが出来 ない状況 も続 いたため、そちらに見切 りをつけてお蔵 入 りとなり、MP4-17Dの改良 を進 めることとなった。だが、クルサードが新 予選 方式 (スーパーポール方式 )に対応 できず、下位 のグリッドに沈 み、追 い上 げるも表彰台 は遠 く、コンストラクターズ争 いでは足 を引 っ張 ることとなる。一方 、ライコネンがわずか1勝 ながらしぶとくポイントを稼 ぎ、最終 戦 までシューマッハを追 い詰 め、ドライバーズランキングではわずか2ポイント差 のランキング2位 の成績 を収 めた。また、シーズン途中 ではあったがデ・ラ・ロサを臨時 でテストした後 にフルタイムテストドライバー契約 を結 び、ヴルツとの2名 によるテストチーム体制 を整 えている。
前年 と同 じ体制 で、昨年 デビューするはずだった幻 のMP4-18の設計 思想 も反映 し、新 ルールにあわせて設計 したMP4-19を投入 するが、MP4-18が持 っていた弱点 はMP4-19では改善 出来 ておらず(純粋 な新車 が間 に合 わなかったため基本 的 にMP4-19はMP4-18と同 じ車 であったと後 にエイドリアン・ニューウェイが語 っている)、第 11戦 のイギリスGPでようやく本来 の新車 が「MP4-19B」としてデビューした。これはマクラーレンのチーム関係 者 も、チームが2年 連続 で新車 開発 に失敗 した結果 である、と後 に認 めている。このイギリスGPでライコネンがシーズン初 の表彰台 に登 りその後 も表彰台 に登 るが、優勝 はベルギーGPの1勝 にとどまり、コンストラクターズランキングは3位 から5位 へと後退 した。クルサードはこの年 、一 度 も表彰台 に登 ることなく9年間 在籍 したチームを去 り、翌年 からジャガーを買収 のうえで参戦 を開始 するレッドブルへ移籍 した。
2005年 - 2009年
[- 2005
年 - ライコネンのチームメイトにファン・パブロ・モントーヤを
迎 える。シーズン当初 は信頼 性 不足 などで出遅 れたが、ヨーロッパラウンド以降 は、ルノーのフェルナンド・アロンソと激 しいタイトル争 いを繰 り広 げる。MP4-20はハンガリーGPから日本 GPまでの6連勝 を含 む、1989年 以来 となる2桁 勝利 の10勝 を挙 げる(ライコネン7勝 、モントーヤ3勝 )。しかし、ライコネンを襲 った4度 のエンジントラブルをはじめ、信頼 性 の低 さはいかんともし難 く、結果 としては惜 しくもチームもライコネンもランキング2位 に終 わってしまった。 - この
年 は、前年 コンストラクターズランキングを5位 で終 えたため、金曜日 のフリー走行 でサードカーを走 らせる権利 を得 て、デ・ラ・ロサとヴルツがグランプリにより交替 で担当 した。レギュラードライバーのモントーヤがテニス中 に肩 を負傷 するというアクシデントに見舞 われたわれたため、バーレーンGP、サンマリノGPの2戦 をそれぞれデ・ラ・ロサ、ヴルツが代役 として出場 し、バーレーンでデ・ラ・ロサは5位 入賞 を遂 げるとともにファステストラップを記録 し、サンマリノではレース後 の繰上 げではあるがヴルツが3位 入賞 した。 第 13戦 のハンガリーGPの金曜日 (7月 29日 )をもって、1997年 以来 のタイトルスポンサーであったウエストとの契約 を終了 した。これはヨーロッパにおけるタバコ広告 規制 の強化 を受 けてのものである。7月30日 以降 のカラーリングは、それまでタバコ広告 禁止 国 で開催 されるGPで用 いた手法 と同様 に、従来 「West」のロゴがあったサイドポンツーン、ノーズ、コクピットサイド、レーシングスーツ、ヘルメットにはドライバーの名前 をオリジナルデザインで表記 し、チームスタッフには「West」のロゴ表記 が消 されたウエアとスーツが支給 された。- テクニカルディレクターであったニューウェイもシーズン
終了 後 にレッドブルへ移籍 。
- 2006
年 - 2005
年 のDTMチャンピオン、ゲイリー・パフェットがテストドライバーに加 わることになり、それに伴 って5年間 という長期 にわたってテストドライバーを務 めたヴルツがウィリアムズのテストドライバーとして移籍 した。 - 2005
年 のマシンMP4-20が圧倒的 な速 さを誇 っていたこともあり、シーズン開幕 前 はライコネン&マクラーレンはこの年 のチャンピオンの筆頭 候補 であった。しかし前年 までの3.0リッターV10から2.4リッターV8へのエンジンルール変更 にメルセデスが対応 しきれず、更 にこの年 のマシンMP4-21自体 もニューウェイが去 った影響 からか熟成 が進 まず、前年 にタイトルを争 ったルノーとフェラーリの後塵 を拝 することとなった。ライコネンが3度 のポールポジションを獲得 するなど時折 速 さも見 せ、結果 としてはコンストラクターズランキングこそ3位 を確保 したものの、1996年 以来 10年 ぶりのシーズン未 勝利 に終 わってしまった。 - モントーヤがF1に
嫌気 がさしたため7月 9日 、翌 2007年 からはアメリカのNASCARシリーズへ移籍 (チームはチップ・ガナッシ・レーシング)することを発表 。アメリカGPを最後 にF1から去 った。テストドライバーのペドロ・デ・ラ・ロサがフランスGPよりレギュラードライバーとして、シーズンの残 りのレースに参戦 した。
- ライコネンがフェラーリへ
移籍 。代 わりにルノーから2005年 、2006年 のワールドチャンピオンのフェルナンド・アロンソが加入 し、チームメイトとして2006年 のGP2チャンピオンのルイス・ハミルトンがF1デビューを果 たすことになった。マクラーレンのドライバーが2名 とも同時 に入 れ替 わるのは初 のことである。またメインスポンサーがイギリスの携帯 電話 会社 のボーダフォンになった。 開幕 戦 はライコネンに敗 れるが、アロンソ、ハミルトン共 にMP4-22の速 さを発揮 し2006年 の不振 からの復活 をアピールした。続 く第 2戦 マレーシアGPでは見事 フェラーリを破 り、2005年 ブラジルGP以来 の1-2フィニッシュを達成 した。第 13戦 のイタリアGP終了 時 までは、ドライバーズポイントで1位 と2位 、コンストラクターズポイントでも首位 に立 っており、特 にコンストラクターズについてはほぼ手中 に収 めかけていた。- しかしシーズンが
進 むにつれて、アロンソ、ハミルトンのチームメイト間 の確執 が現 れるようになり、ハンガリーGPの予選 で暫定 ポールポジションのアロンソがピットストップ時間 を稼 いだことで、ハミルトンが最後 のアタックが出来 なかった件 に対 し、アロンソは5グリッド降格 、チームにはハンガリーGPでのコンストラクターズポイントは加算 されないというペナルティを受 けた。 更 に後述 の産業 スパイ事件 発覚 によりコンストラクターズランキングから除外 されたうえ、巨額 の罰金 を科 せられた。残 されたドライバーズタイトルは、ハミルトンが首位 のまま中国 GPを迎 え、結果 次第 ではハミルトンのチャンピオンが確定 するところだったがキャリア初 のリタイアを喫 する。そして最終 戦 のブラジルGPでランキング3位 にいたライコネンに両 ドライバーとも1点 差 で逆転 チャンピオン獲得 を許 してしまう。このレースではウィリアムズとBMWザウバーの給油 装置 から、測定 した燃料 温度 が低 すぎる事実 にもかかわらず、両 チームにペナルティを科 さないというスチュワードの裁定 に対 してマクラーレンはFIA国際 控訴 裁判所 に控訴 した。[22]11月15日 、測定 された燃料 温度 および大 気温 について疑 いがあることから、両 チームにペナルティを科 さないことを決定 しマクラーレンの控訴 を却下 した[23]。入賞 者 のニコ・ロズベルグ(ウィリアムズ)、ニック・ハイドフェルド(BMWザウバー)、ロバート・クビサ(BMWザウバー)などが失格 になるとライコネン(フェラーリ)でなくハミルトンがドライバーズチャンピオンになるとわかったうえでの控訴 だといわれていることから、このことに対 してマクラーレンに在籍 していたアラン・プロストやニキ・ラウダは、ロン・デニス代表 とマクラーレンを同年 の“最大 の悪 あがき王 ”と批判 した。しかし、マクラーレンCEOのマーティン・ウィットマーシュは「ドライバーズチャンピオンのためではなく、燃料 規則 の明確 化 および規約 の一貫 性 のために我々 はこの控訴 を提出 した[24]」と語 った。
- ドライバーは、ハミルトンが
残留 、アロンソは2年 契約 の2年 目 だったが契約 解除 となり古巣 のルノーへ復帰 、代 わりに前年 ルノーに所属 していたヘイキ・コバライネンが加入 した。テストドライバーは、引 き続 きデ・ラ・ロサとパフェット。コバライネンは2008年 シーズン中 に2009年 もマクラーレンに残留 することが発表 された。 新車 (MP4-23)の発表 会 は、初 めてドイツのシュトゥットガルトのメルセデス本社 で行 われた。- 2008
年 シーズンは、ハミルトンとフェラーリのフェリペ・マッサとの熾烈 なチャンピオン争 いが繰 り広 げられたが、最終 戦 のブラジルGPでハミルトンが最終 ラップで劇的 な形 のドライバーズタイトルを1ポイント差 で手 にする(チームとしては1999年 以来 のチャンピオン輩出 )。コンストラクターズランキングは2位 。 - 11月に、フォース・インディアがマクラーレンとの
技術 提携 を結 んだことが発表 された(2009年 シーズンより、エンジン類 の供給 もフェラーリからメルセデスにスイッチすることが決定 している)。
- 2009
年 新車 のMP4-24の発表 会 で、ロン・デニスがチーム代表 から退 くことが発表 された。後任 は前 CEOのウィットマーシュ[25]。しかし、デニスは今後 もチームに深 く関 わっていくつもりであることを宣言 、レース界 からの引退 は否定 した。開幕 戦 オーストラリアGPでのセーフティカー先導 中 にハミルトンがヤルノ・トゥルーリを追 い抜 いた件 について、「当時 の無線 記録 及 びメディアへの発言 」と「スチュワードからの事情 聴取 」で、逆 とも言 える説明 を行 う。事情 聴取 時点 では全 無線 記録 が参照 できなかったため、一旦 はマクラーレン・ハミルトン側 の主張 が認 められたが、後 に無線 記録 が証拠 として検証 されスチュワードへの偽証 ・ミスリードが発覚 。オーストラリアGPの結果 から抹消 された。- この
件 で、マクラーレンチームとしては事情 聴取 に出席 したデイブ・ライアンを翌週 停職 処分 。同時 に事情 聴取 に出席 していたハミルトンは「スチュワードへの情報 提供 を控 えるようにライアンから言 われた」と説明 、それ以上 の処分 ・ペナルティはなかった。 - その
後 、4月 29日 にパリでWMSCの臨時 会議 が開 かれ、「ペナルティは3戦 のグランプリ出場 停止 とする。ただし、今後 12か月 において、この件 に関 して新 たな証拠 が発見 された場合 、もしくはチームによってさらなるインターナショナル・スポーティングコードの151c項 違反 が行 われた場合 のみに適応 する。」との裁定 を下 した[26]。 - 4
月 16日 にマクラーレングループ全体 の再編 が発表 され、市販 車 部門 であるマクラーレン・オートモーティブがグループから離脱 し、さらにデニスが同社 の会長 に就任 しレース部門 から完全 に引退 することが明 らかにされた[27]。レース部門 のCEOにはウィットマーシュが返 り咲 く。 開幕 からしばらくはMP4-24に競争 力 がなく、表彰台 に上 がれないレースが続 いたが、大幅 なアップデートを行 ったドイツGPから競争 力 を取 り戻 し、ハンガリーGPとシンガポールGPでハミルトンが優勝 。最終 的 にコンストラクターズランキングはフェラーリを抑 えて3位 となった。- 11月16
日 にダイムラーがプレスリリースを発表 し、ブラウンGPの76.1%の株式 を取得 、2010年 よりメルセデスGPとして参戦 する事 を発表 した。それに伴 いメルセデスとマクラーレンのパートナーシップは解消 されるが、新 たに2015年 までのエンジン供給 契約 が発表 された。
2010年代
[2010年 - 2014年
[- ドライバーはハミルトンが
残留 、コバライネンに代 わって前年度 チャンピオンのジェンソン・バトンが加入 した[28]。 革新 的 なシステムであるFダクトを搭載 したMP4-25は高速 サーキットで戦闘 力 を発揮 し、ライバルチームの注目 の的 となった[29]。シーズン序盤 は予選 で上位 につけることに苦労 していたが、難 しいコンディションを読 みきったバトンが2勝 をあげる。その後 レッドブルの同士討 ちを尻目 にトルコ、そしてカナダでハミルトンが2連勝 を挙 げポイントリーダーになり[30]、中盤 以降 までシーズンをリードした。しかし、シーズンもうひとつのトレンドであった、レッドブルRB6が搭載 するブロウンディフューザーの開発 に苦 しみ失速 [31]。最終 的 にドライバーズランキングではハミルトンが4位 (3勝 )、バトンが5位 (2勝 )となり、コンストラクターズランキングは2位 となった。
- ドライバーは
引 き続 きハミルトンとバトン。 開幕 前 のテストでは走行 距離 を稼 ぐことができずレッドブルやフェラーリに対 して劣勢 であるとの見方 も存在 した[32]。ハミルトンは第 3戦 中国 GPでコース上 で首位 のベッテルを逆転 し、シーズン初 優勝 を飾 った。バトンは第 7戦 カナダGP[33]と第 11戦 ハンガリーGPで優勝 。ベッテルの戴冠 レースとなった第 15戦 日本 GPでバトンが3勝 目 をあげ、シーズン12回 の表彰台 獲得 という成績 でフェラーリのアロンソとレッドブルのマーク・ウェバーとのドライバーズランキング2位 争 いを制 する結果 となった。ハミルトンは計 3勝 も含 めた表彰台 6回 を記録 したものの、そのドライビングを危険 として非難 する意見 も出 た[34]。コンストラクターズランキングはレッドブルに次 ぐ2位 となった。
- ドライバーは
引 き続 きハミルトンとバトン。 開幕 前 のテストから好調 が伝 えられていた[35]。開幕 直後 の2レースでは2戦 連続 でフロントローを独占 。決勝 も開幕 戦 オーストラリアGPにてバトンが優勝 し、ハミルトンも3位 となった[36]。ハミルトンも第 7戦 カナダGPでシーズン初 優勝 を飾 ったが、第 4戦 から第 10戦 の間 は成績 不振 に陥 った[37]。その後 、大型 アップデート投入 した第 10戦 ドイツGPから再 びペースを取 り戻 すと、夏休 みを挟 んで第 11戦 ハンガリーGPから第 13戦 イタリアGPまでチームとして3連勝 を達成 した。第 19戦 アメリカGPでハミルトンが、最終 戦 ブラジルGPではバトンが勝利 を飾 り最後 の2戦 を連勝 でシーズンを終 えた。同 シーズンはチームとしてタイトル獲得 も視野 に入 っていたが、様々 な要因 が重 なり、タイトル獲得 の可能 性 を失 うこととなった。マシン自体 の速 さもデータによってはマクラーレン・MP4-27は最速 マシンという評価 もあり[38]、実際 、予選 成績 (ポールポジション8回 )や獲得 した表彰台 の回数 (7勝 も含 めた計 13回 )ではレッドブル(ポールポジション6回 、表彰台 7勝 も含 めた計 11回 )を上回 っていた。だが、前半 戦 はピット作業 のミス[39]で少 なくないポイントを失 い、中盤 戦 に入 ると信頼 性 トラブル[40]でもポイントを失 った。両 ドライバーはこれで失 ったポイントの影響 もあるが、バトンのほうは今季 のピレリタイヤの扱 いに苦 しみ、特 に予選 ではQ3進出 (10番手 以内 )に入 れないGPもあった。また、サマーブレイクまでの前半 戦 でノーポイントのレースが複 数 回 あったことが響 いて、サマーブレイク前 の第 11戦 の段階 で事実 上 タイトル候補 から脱落 [41]。ハミルトンはタイヤの問題 には苦 しまず、サマーブレイク後 もタイトル候補 に名 を連 ねていたが、トップを快走 していた第 14戦 シンガポールGP[42]のリタイヤによって事実 上 タイトル争 いから脱落 した。成績 面 では、第 14戦 シンガポールGP以降 のフライアウェイ戦 以降 の失速 が大 きく響 いて、最終 的 にドライバーズランキングではハミルトンが4位 、バトンが5位 。コンストラクターズでは3位 となった。- 2013
年
- ハミルトンがメルセデスへ
移籍 し、代 わりにザウバーからセルジオ・ペレスが加入 。またスポンサー面 でもボーダフォンが同年 限 りでのスポンサード終了 を発表 する一方 で[43]、メキシコ人 であるペレスの支援 目的 でテルメックスなどメキシコ系 企業 が新 たに加 わるなど、チームラインナップに大 きく変化 が見 られた。 - また
同年 5月 には、2015年 まで契約 が残 っていたメルセデスとのエンジン供給 契約 を1年 前倒 しして2014年 一 杯 で終了 し、2015年 からはホンダエンジンの供給 を受 けることを発表 した。ホンダは2008年 の撤退 以来 7年 ぶりの復帰 となる。 - この
年 はバトンが最終 戦 ブラジルGPで記録 した4位 が最高 で、表彰台 がゼロとなる1980年 以来 の不振 に終 わった。コンストラクターズランキングではレッドブルが独走 し、メルセデス、フェラーリ、ロータスが2位 争 いをする一方 で、マクラーレンは大差 をつけられた5位 であった。ドライバーズランキングではバトンが9位 、ペレスが11位 。なお、完走 扱 いを含 め、両 ドライバーとも全 戦 完走 を果 たした。 - シーズン
終盤 の11月、ペレスがわずか1年 でチームを離脱 [44]、後任 として育成 ドライバーのケビン・マグヌッセンを起用 することが発表 された[45]。ウィットマーシュによると新人 であるマグヌッセンの下積 みとして下位 チームのシートを探 したものの、あるチームに契約 を破棄 され、ペレスを放出 してマグヌッセンを自 チームに起用 せざるを得 なかったとコメント[46]。後 にマグヌッセンが2019年 7月 のインタビューでロン・デニスが2014年 に復帰 した関係 で当初 2014年 にデビューする予定 であったフォース・インディアとの契約 がなくなってしまいマクラーレンからデビューすることになったという経緯 を明 かしている(結果 的 にそのシートをペレスが手 にする形 となった[47])。
- 2014
年 - 1
月 16日 、ロン・デニスがマクラーレン・グループのCEOに復帰 し、F1チームをその権限 下 に置 くことを発表 [48]。さらに2013年 までロータスのチーム代表 であったエリック・ブーリエがレーシングディレクターとしてチームに加入 することが発表 された。正式 加入 は2月 3日 [49]。当面 チームは、チームCOOのジョナサン・ニールとブーリエが共同 で代表 を務 める[50]。一方 で前 チーム代表 のウィットマーシュについては、チームのWebサイトから名前 が消 え事実 上 更迭 されたものの去就 が不明 となっていたが[51]、同年 8月 に正式 に離脱 が公表 された[52]。 - ドライバーはバトンが
残留 。パートナーはペレスに代 わりケビン・マグヌッセンが起用 された。またリザーブドライバーとしてストフェル・バンドーンが起用 された[53]。 - この
年 は開幕 戦 オーストラリアGPこそマグヌッセンが2位 、バトンが3位 と2人 のドライバーが2012年 ブラジルGP以来 となる表彰台 を獲得 するも、2戦 目 以降 はバトンの4位 が最高 で表彰台 圏内 に入 ることなくシーズンが終了 した。 - 7
月 には最 古参 のスポンサーであるヒューゴ・ボスがメルセデスの支援 に切 り替 えると発表 された。 - シーズン
終了 後 の12月11日 、フェラーリからアロンソが8年 ぶりにマクラーレン復帰 が決定 した。なお、マグヌッセンはリザーブドライバーとして残留 。
2015年 - 2019年
[- ドライバーはバトンが
残留 。フェラーリからアロンソが2007年 以来 のチーム復帰 。前年 、レギュラードライバーだったマグヌッセンはリザーブドライバーとなった。また、パワーユニット(Power Unit, PU) は20年間 使用 し続 けたメルセデスから予定 通 りホンダへと変更 された。ホンダのF1復帰 は2008年 以来 、マクラーレンがホンダエンジンを搭載 するのは1992年 以来 となる。 - だが、2014
年 アブダビGP後 に行 われた2日間 の公式 テストでは、試験 走行 も兼 ねて2014年 型 のマシンを改造 してホンダPUを搭載 して参加 したが、トラブルが頻発 して2日間 合 わせて数 周 しか走 れず終 わった[54]。また、シーズン前 となる2月 に行 われた開幕 前 テスト12日間 のうち、ヘレス・サーキットでの4日間 のテストでは、V6ターボエンジンとERSシステムの調整 とトラブルに苦 しみ、テスト成績 では最下位 を記録 [55]。カタロニア・サーキットでの8日間 のテスト[注釈 10]ではへレスでのテストと比 べれば走行 距離 を延 ばすことに成功 したものの、テストでの成績 は下位 に沈 むこととなった[56]。そのため、テストの段階 で少 なくともチームは序盤 戦 は苦戦 するというコメント[57][58]を残 していたが、第三者 は今 シーズンは苦戦 するだろうという見方 [59][60]が大勢 を占 めていた。 迎 えた開幕 戦 では信頼 性 重視 でパワーを抑 えて出走 する事態 となり[61]、その影響 もあり、開幕 から3戦 連続 の2台 とも予選 Q1落 ち。決勝 も何 とか完走 しているという状況 であった。だが、そんな中 でもモナコGPでバトンがホンダエンジン勢 として初 入賞 [62]を決 めると、イギリスでアロンソが初 入賞 [63]を果 たし、ハンガリーでは悲願 のダブル入賞 [64]を決 めた。- ただ、カナダGPではアロンソがチームからの(パワー
不足 のため)燃料 をセーブせよという無線 の指示 に「こんなドライビングを強 いられるなんて、まるでアマチュアのようじゃないか。」と苛立 ち[65]を見 せ、日本 GPでもアロンソが無線 で「GP2エンジン!」とパワー不足 のエンジンの不満 を無線 を通 じて漏 らしたという言動 [66]から、少 なくともアロンソはフラストレーションが溜 まっていることが度々 示唆 されていた。また、バトンも擁護 するコメント[67]をしていたものの、悲観 的 なコメント[68]も多 かった。最終 的 にはコンストラクターズランキング9位 とチーム創立 以来 ワーストの結果 となってしまった。 - このような
結果 となった理由 としては、車体 設計 において空 力 的 メリットを得 るために車体 後部 をタイトに絞 り込 んだ「サイズゼロ」コンセプトを導入 した影響 と指摘 されることが多 い[69][70]。少 なくとも、これに合 わせて小型 化 が優先 された影響 でパワー不足 の原因 [69]や開発 による性能 向上 の際 に構造 に起因 する制限 が生 じた[70]と言 われている。また、この関係 で冷却 不足 といったエンジン側 のトラブルの頻発 の一因 [71]になったとも言 われる。 他 にも、シャシー関連 で言 えば、マクラーレンが仕上 げたシャシーも性能 不足 な兆候 があり、バトンがスペインGP後 のインタビューでハンドリングの悪 さ[72]を口 にしていた。また、日本 GPでアロンソはエンジンを批判 をしたが、この発言 前 に「本当 に恥 ずかしい」[66]とPUではなく、マシン全体 の不満 も発 しており、チームもハンガリーGP後 のコメントにて今季 のシャシーに課題 があることを一応 認 めていた[73]。実際 、シャシーのドラッグ(空気 抵抗 )が大 きいがゆえに最 高速 が伸 びないこと[74]や鈴鹿 サーキットのように車体 側 の性能 も問 われる場面 でシャシーの完成 度 が良 くないことが見 え隠 れする[75]など、マクラーレンのメディア戦略 も含 め、ホンダ側 ばかり批判 されている状況 であったが、シャシーの問題 も存在 していた。- また、エンジン
関連 では、ICE(内燃 機関 )の部分 の改良 は何 とか進 んだが[76]、サイズゼロの影響 でERS関連 の開発 に難航 し[77][78]、サマーブレイクの取材 にて開発 の見通 しが甘 かったことを認 めるコメント[79]を残 していた。ただし、この年 はトークンシステムにより条件 付 きで開発 された改良 型 エンジンの投入 自体 は可能 であった[80]。しかし、ヘレスでのテストの段階 でこの問題 点 が判明 したからといっても、ホモロゲーションの規定 の影響 とこの制度 上 、シーズン中 の一部 改良 程度 は認 められていたがエンジンの再 設計 は事実 上 禁止 されており、2016年 に行 われたターボの大型 化 など[81][82]の根本 的 な改良 などの対応 は事実 上 できない仕組 みとなっていたため、相対 的 に不利 になってしまった面 [83][84]もあった。 - この
失敗 は前例 として2014年 のフェラーリがあり、2014年 シーズン後 にエンジンのコンパクト化 によるパワー不足 の発生 [85]とパワー不足 を埋 め合 わせるほどの空 力 的 アドバンテージ[86]はなかったとコメントし、現 に2015年 のフェラーリはすべての設計 を一新 。PUのパワーと信頼 性 を重視 し、それに合 わせてシャシーを設計 するという方針 へ転換 している。そのため、後年 の記事 [83][84]で、マクラーレンとホンダ共 にマシン開発 の認識 の甘 さを指摘 する声 もある。 同年 限 りでリサーブドライバーを務 めていたマグヌッセンがチームを去 りルノーへ移籍 [87]。この年 をもってポルシェ時代 からチームのスポンサーを続 けていたタグ・ホイヤーがレッドブルにスポンサー先 を変更 した。一方 で翌年 からモエ・エ・シャンドンがスポンサーとなり、「CHANDON」のロゴを掲示 することになった。
- ドライバーはアロンソとバトンが
残留 。 前年 の開幕 前 のカタロニア・サーキットでのテスト内容 や前年 型 のマシンに比 べれば、信頼 性 や性能 は改善 [88][89]。ある程度 順調 にテストを行 いを終 えた[90]。開幕 戦 オーストラリアGPでアロンソがエステバン・グティエレスとの接触 で大 クラッシュを喫 し[91]、次 戦 バーレーンGP前 の検査 では回復 が不十分 と判断 されドクターストップがかかり[92]、リザーブドライバーのストフェル・バンドーンが代走 することになった[93]。同 GPがデビュー戦 となったバンドーンが10位 入賞 を果 たし[94]、チームに今 シーズン初 のポイントをもたらした。なお、アロンソは第 3戦 中国 GPで復帰 を果 たしている。第 4戦 ロシアGPでは2台 とも予選 Q2落 ちではあったが、アロンソが6位 、バトンが10位 となり今季 初 のダブル入賞 を果 たした[95]。第 5戦 スペインGPではアロンソがマクラーレン・ホンダ復活 後 初 のQ3進出 を果 たした[96](決勝 はバトン9位 入賞 のみ)。第 9戦 オーストリアGPでは、天候 がめまぐるしく変 わる中 で、バトンが予選 5位 を獲得 し前車 2台 のペナルティにより3番手 スタートとなった(決勝 は6位 入賞 )[97]。第 11戦 ハンガリーGPでは復活 後 初 となるアロンソとバトンが揃 ってQ3進出 を果 たした(決勝 はアロンソの7位 入賞 のみ)[98]。また、イタリアGPではポイントこそ獲得 できなかったものの、アロンソがファステストラップを記録 [99]した。また、イタリアGPの前後 にてバンドーンの起用 に伴 いバトンがリザーブドライバーへ降格 する形 の契約 となったことを発表 [100]。これにより、バトンは事実 上 引退 することとなった。最終 的 な成績 はコンストラクターズランキング6位 を獲得 。ドライバーズランキングはアロンソ10位 、バトン15位 となった。
一方 で前年 型 よりマシンの戦闘 力 は向上 したが、チーム運営 の混乱 やマシンも含 めた開発 部門 の課題 も生 じていた。運営 面 では2009年 を以 てレース部門 から離 れ、2012年 にはマクラーレングループから一 歩 身 を引 いた立場 にとなったロン・デニスだったが、2014年 にグループのトップへ復帰 。だが、復帰 後 の手腕 を不安 視 する声 [101][102]もあり、最終 的 には11月15日 に行 われた株主 総会 によって、マクラーレン・テクノロジー・グループの会長 兼 CEOを解任 が決定 [103]。後任 のCEOが決 まるまでの運営 は多数 株主 から成 る執行 委員 会 が暫定 的 に引 き継 ぐことが発表 された[103]。同月 21日 、ザク・ブラウンがエグゼクティブディレクターの職 に就 くことに同意 し、翌月 正式 に就任 すると発表 した[104]。なお翌年 デニスは手持 ちのチームの株式 を全 て売却 し、37年 に及 ぶマクラーレンとの関係 を完全 に解消 した[105]。- マシン
開発 の方 は、テストにおいて研究 開発 を優先 した影響 で製造 計画 に遅 れが生 じたという理由 で、実戦 で使用 する予定 のパーツのテストができないままテストを終 えたこと[106]を始 め、セットアップの変更 などで好転 しない状況 [107][108]やマシンのダウンフォースの不安定 な症状 [109][110][111]といったシャシーの課題 が今 シーズンも残 っていた。また、レース運営 の課題 [112][113]もあった。 - 10
月 末 に翌年 から燃料 メーカーがモービルからBP/カストロールになると噂 [114]が報 じられていたが、シーズン終了 後 の12月にレッドブルがモービルと契約 を結 んだことを発表 [115]。それにより、チームはこの時点 で最 も大口 のスポンサーでもあった燃料 メーカーの支援 も失 うこととなった。
- 2017
年 - アロンソが
残留 し、バンドーンがレギュラーに昇格 。引退 したバトンはアンバサダーというかたちでチームに残留 。元 チャンピオンのミカ・ハッキネンがアンバサダーとしてチームに復帰 した。ロン・デニスの離脱 に伴 い、マシン名称 がMP4からMCLに変更 され「MCL32」となった。なお、燃料 メーカーがモービルに代 わり、BP/カストロールとなる。 - プレシーズンテストだが、PUの
設計 を見直 したことも影響 しマシントラブルが頻発 [116]。この状況 にはマクラーレン側 も苛立 ち[117]を隠 せなかった。開幕 戦 オーストラリアGPではアロンソがサスペンションのトラブルでリタイアするまで入賞 圏内 の10位 を走 っていたが、アロンソは「通常 のコースなら僕 たちはもっとも遅 いだろう」と酷評 している[118]。4月 12日 、アロンソはインディ500への参戦 を表明 し、日程 が重 なる第 6戦 モナコGPはバトンが代走 を務 めることになった[119]。その直後 の第 3戦 バーレーンGP以降 もホンダPUも含 めたマシントラブルに悩 まされ続 け、唯一 スペインGPでアロンソが予選 7番手 を獲得 する結果 を残 すも決勝 では接触 などで順位 を落 としてしまい12位 フィニッシュ。スペインGPまでの間 、ノーポイントだったうえ、同 GPでザウバーが入賞 したことでこの時点 で唯一 のノーポイントのチームとなってしまった。アロンソが欠場 したモナコGPは予選 でバンドーンとバトンが揃 ってQ3に進出 したが、決勝 は両者 リタイアで終 わり、2015年 のチームワーストを更新 する開幕 6戦 ノーポイントとなった。ここまで入賞 のチャンスはあったが、マシントラブルで逃 していた中 、第 8戦 アゼルバイジャンGPでアロンソが9位 に入 り、ようやくシーズン初 ポイントを獲得 した。
- だが、シーズンが
進 むにつれ、マクラーレン側 は擁護 するコメントより[120]、批判 や現状 に不満 を抱 えていることを示 すコメントが目立 つようになり[121]、アロンソからは度々 厳 しいコメントが出 された[122]。また、こういった動 きが出 る前 からマクラーレンもPU変更 に着手 する[123]。当初 はホンダとザウバーが仮 契約 を結 んだことを受 け[124]、これに合 わせてマクラーレンもホンダと手 を切 ると噂 されていたが、ザウバーはギアボックス供給 問題 などのマシン開発 に影響 が出 るリスクを許容 できなかったため[125]、ホンダとの契約 を破棄 。その後 、他 のPUの供給 を打診 するも、メルセデスとフェラーリはこれを拒否 。残 るはルノーのみだったが、すでにルノーは3チームに供給 しておりレギュレーションにより3チームを超 えて供給 することが制限 されているため、ルノーが4チームへの供給 に難色 を示 したこともあって供給 を受 けるには他 のチームがルノーとの契約 を破棄 する必要 があった。しかしトロ・ロッソがホンダPUを搭載 するとの噂 が流 れると、そのトロ・ロッソが現在 契約 しているルノーPUをマクラーレンが手 に入 れることができる可能 性 が出 てきた。しかしルノー側 はトロ・ロッソとの契約 終了 の代 わりにカルロス・サインツJr.の獲得 を要求 したこともあり[126]、状況 が複雑 化 。そして第 14戦 シンガポールグランプリのフリー走行 1回 目 の後 に、ホンダとの契約 を2017年 いっぱいで解消 することが発表 され、同時 に2018年 から3年間 、ルノーとのカスタマー契約 を締結 したことが発表 された(同時 にサインツのルノーへの「レンタル移籍 」、トロ・ロッソの2018年 からのホンダとのワークス契約 の締結 を発表 )。パワーユニット変更 を発表 したシンガポールGPと次 のマレーシアGPでバンドーンが7位 入賞 を果 たした。アロンソは終盤 3戦 で連続 入賞 を果 たし、辛 うじてバンドーンのポイントを上回 った。
- かつて
一 時代 を築 いた「マクラーレン・ホンダ」の再現 はならず、3年 で幕 を閉 じるという結果 に終 わった。シーズン終了 後 のブーリエの当時 のコメントによれば、プレシーズンテスト終了 の段階 で2016年 シーズンの結果 より後退 することが避 けられないと判断 し[127]、契約 打 ち切 りの方針 を決意 したと語 っている。ただし、後年 のホンダへのインタビューによれば[128]、もともとの契約 は3年 +2年 オプション付 きの契約 という内容 であったため、厳密 にいえば、オプション契約 の権利 を行使 せず所定 の契約 期間 で終了 したという定義 になるため、予定 を繰 り上 げて契約 破棄 されたわけではないとコメントしている。
- この
年 、不振 が目立 った理由 についていくつかあるが、ホンダ関連 では、PUが不調 に陥 った一因 としてオシレーション(共振 )があり、これについてマクラーレンはエンジン側 の問題 としていたが、ホンダ側 はテスト時 の不調 からでマクラーレン製 ギアボックスに問題 があるという説 を抱 いていた[129]。だが、その件 について検証 することがなかったため、明確 な原因 は特定 されなかったものの、ギアボックスが原因 のトラブルはシーズン中 にいくつか発生 していた[130][131]。 - マクラーレン
関連 では、そもそも、2015年 と2016年 もシャシーに問題 を抱 えており、この時期 はまだ問題 を認 めていたのだが、この年 はアロンソの発言 を筆頭 にシャシー側 に問題 ないという強気 の発言 が目立 った[122]。だが、ギアボックスを含 めたマクラーレン側 が担当 する箇所 の技術 的 な問題 も少 なからず発生 しており[注釈 11][132][131]、マクラーレン側 も万全 とは言 えず、その状況 をめぐって第三者 から苦言 を呈 された。バーニー・エクレストンは「いろんなことがうまくいかなかったのはホンダのせいではない。マクラーレンのせいだ」と指摘 。「毎日 毎日 、彼 らは協力 して働 くのではなく、あらゆることで戦 いをしかけていた。愚 かなことだ」とマクラーレン側 の態度 を批判 [133]。また、ホンダに対 しPUの設計 に条件 をつけたことで生 じた問題 を軽視 し、ホンダの財政 支援 やマクラーレンの要求 に応 えたPUのメリットを軽視 する姿勢 を批判 した記事 [134]。マシンのセットアップが「どれだけ速 くするか」ではなく「どれだけ乗 りやすくするか」という事 が優先 されたり、コーナリングセクターのためにストレートスピードを妥協 するセッティングになっていた事 を公 にしないなど[135]、この時期 のマクラーレン側 も多 くの問題 を抱 えていることを示唆 する兆候 はいくつか見 られたのだが、不振 の責任 をアロンソの政治 的 発言 [136][137]も利用 して、2015年 からのマクラーレン・ホンダ時代 の不振 はホンダ側 が原因 と思 わせる誘導 をしたメディア戦略 により、その指摘 は覆 い隠 された。
- そして、ブーリエがPU
変更 しただけで成績 が改善 するというコメント[138]のように一種 の楽観 論 が目立 った。ただ、ホンダも見通 しの甘 さがあったのも事実 [139][84]であったため、曲 がりなりにも根拠 のある楽観 論 がチーム内 に蔓延 する形 となった。だが、2020年 2月 にロス・ブラウンがホンダPUと決別 しなければチームは自 らの問題 点 を検証 しなかったという総括 のコメント[140]をしたように、チーム内 の問題 に向 き合 わず、全 ての問題 をホンダに押 し付 けたツケを2018年 に支払 うこととなった。
- アロンソが
参戦 するインディ500は、アンドレッティ・オートスポーツの協力 の下 「マクラーレン・ホンダ・アンドレッティ」のエントリー名 で戦 うことになった。形 は大 きく異 なるが、1979年 以来 38年 ぶりにインディ500でマクラーレンの名 が復活 することになった。アロンソは初 参戦 で予選 5番手 となり、決勝 でも27周 でラップリーダーとなったが、ここでもエンジントラブルが発生 しリタイアとなった。
- ドライバーはアロンソとバンドーンが
残留 。燃料 メーカーはペトロブラスとスポンサー契約 。開幕 前 のテストではシャシー関連 のトラブルが多 く、前年 ではホンダPUのせいだとしたオシレーションの問題 がルノー勢 の中 でマクラーレンにだけ発生 したうえ[141]、初歩 的 なトラブルもあり[142]、アロンソは記録 上 は速 さを見 せたものの、満足 な周回 をこなせなせずにテストを終 えた。そのため、この時点 でマクラーレンに対 し疑念 を抱 くコメント[141]もあった。
- テストでの
不振 から迎 えた開幕 戦 オーストラリアGPであったが、アロンソが5位 、バンドーンが9位 とダブル入賞 。第 5戦 まで連続 入賞 を果 たしホンダPU時代 には考 えられなかった好 走 をみせる。チームが本命 と称 する「Bスペック」を導入 した第 5戦 でアロンソがシーズン初 のQ3進出 を達成 した。そのため、前年 比 では成績 は大 きく向上 したものの、優勝 争 いには遠 く、同 じルノーPUを積 むレッドブルには大 きな差 をつけられていた。チームも前年 の豪語 から一転 して予防線 を張 るような発言 [143][144]が増 え、チームの公式 Twitterにも世界中 のファンから不振 に対 する批判 の声 が続出 [145]。ドライバーからもアロンソは2015年 日本 GPでPUを酷評 した無線 の場面 だけメディアに取 り上 げられたが、その前 のやり取 りでマシンの性能 の低 さを嘆 いていた[66]。2017年 はマクラーレン寄 りの発言 が目立 っていたが、同年 のアゼルバイジャンGP後 に上位 争 いの可能 性 がないことを嘆 く形 でチームへくぎを刺 したり[146]、マレーシアGP後 に2018年 はレッドブルと比較 されることになるというコメント[147]をするなど、別 の一 面 も見 せていた。そのため、フランスGP予選 の終了 後 にはアロンソがマシンのパフォーマンスに不満 を訴 えた[148]。バンドーンもスペインGPのリタイアをきっかけにチームの擁護 はしなくなり[149]、モナコGPではレース戦略 について批判 した他 、マシントラブルがバンドーンに集中 したことでマシンを酷評 する発言 が目立 っていた[150]。
- シーズン
中 、元 代表 のウィットマーシュはチーム内 に不協和音 が生 じているとする一部 報道 を認 めた上 で、「マクラーレンは取 り組 み方 を大 きく変 える必要 がある。主要 メンバー間 に政治 的 なしがらみが多 過 ぎる。私 は、彼 らの多 くはチームを去 るべきだと思 っている」とコメント[151]。前年 まで在籍 していたバトンも「非常 に良 いシーズンを送 っている」と前置 きした上 で「“F1でベストのシャシー”と豪語 したことで、期待 外 れの印象 を与 えている」と指摘 している[152]。
- 7
月 4日 、レーシングディレクターのブーリエが更迭 され、ジル・ド・フェランがスポーティングディレクターとしてチームを統括 することが発表 された[153]。8月14日 、アロンソは「2019年 シーズンはF1に参戦 しない」ことを表明 し、今季 限 りのマクラーレン離脱 が確定 。F1に復帰 する意志 はないと表明 [154]しながらも、後日 「F1引退 」という表現 は用 いずに将来 のF1復帰 の可能 性 に含 みを持 たせる言動 [155]が続 いており、シーズン中 は2019年 のF1世界 選手権 に参戦 しないことを明言 しただけにとどまり、チームもアンバサダー兼 リザーブドライバーとして残留 することとなった。 - 8
月 16日 、アロンソの後任 にカルロス・サインツの起用 が発表 。9月3日 にはストフェル・バンドーンの当季 限 りでの放出 と、その後任 としてランド・ノリスの起用 [156]が相次 いで発表 された。 - チームがサマーブレイクを
目安 に翌 シーズンのマシン開発 に軸 足 を移 したことで後半 戦 失速 したことも含 め、ランキング6位 はホンダPUを搭載 した過去 3シーズンの最高 成績 となる2016年 を完全 に上回 ることはできなかったが、前年 と比 べれば大 きく向上 し、PUの交換 先 となったランキング9位 のトロ・ロッソとの対決 という意味 では勝利 している。
- ドライバーは
発表 されていた通 り、カルロス・サインツとランド・ノリスのコンビとなる。アロンソはチームアンバサダーとして残留 し、2年間 のテストドライバー契約 を結 んだ[157]。開幕 後 の3月25日 にジェームス・キーがトロ・ロッソから移籍 し、テクニカルディレクターに就任 した[158]。2017年 までポルシェで世界 耐久 選手権 (WEC)のLMP1プログラムを率 いていたアンドレアス・ザイドルが5月1日 にマネージングディレクターに就任 した[159]。
- スポンサーはコカ・コーラが
前年 終盤 から継続 しているほか、バージボード上部 とフロント翼 端 板 にブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)が宣伝 プログラム「A Better Tomorrow」のロゴを掲載 。タバコ広告 が厳 しいオーストラリアはセブン-イレブンを掲載 ・これは置換 えに限 らない大口 スポンサーだったが、他 のレースでもスポットスポンサーに場所 を空 け渡 す場合 が多 い。
若手 ドライバーのコンビや前年 のマシンの完成 度 からあまり注目 されておらず、サインツからは厳 しい1年 となるというコメントをしていたが[160]、テストでは好調 な結果 を残 した[161]。開幕 戦 ではノリスがキャリア及 び今季 チーム初 の予選 Q3進出 を達成 。決勝 こそサインツのマシントラブルによるリタイアも含 め[162]、ノーポイントに終 わるが、第 2戦 ではチームとしては久々 となる2台 そろっての予選 Q3進出 を達成 [163]。同 決勝 ではノリスが6位 となり、今季 のチーム及 び自身 のキャリア初 入賞 を飾 った。また、第 4戦 では2018年 アゼルバイジャングランプリ以来 のダブル入賞 を達成 。また、サマーブレイク前 の第 12戦 の結果 により、前年 のポイント及 び入賞 数 を上回 った。更 に第 16戦 でのダブル入賞 により、コンストラクターズのポイントが2014年 以来 の100ポイント超 えも記録 した。特 に第 20戦 では、サインツがPUトラブルで予選 に出走 できず最 後尾 スタートとなり、決勝 は1ストップ戦略 で猛追 し4位 まで挽回 。そんななか、3位 のルイス・ハミルトンが接触 の責 を問 われたタイムペナルティにより降格 。その結果 、表彰 式 には間 に合 わなかったものの(この背景 はサインツがDRSの使用 が禁止 された区間 でそれを起動 させた規則 違反 の審議 が行 われたため、一旦 チェッカーフラッグを受 けた順番 で式典 が行 われたからである[164])、サインツが3位 に繰 り上 がり、自身 初 の表彰台 とチームとしては2014年 開幕 戦 以来 の表彰台 獲得 となった[165]
結果 だけ見 れば、2012年 のコンストラクターズ3位 を最後 にコンストラクターズ5位 以下 まで沈 みつづけていたなかでの、今季 のコンストラクターズ4位 や繰 り上 げという形 での1回 だけであるが表彰台 を獲得 したシーズンとなった。チームとしてみれば、今季 のマシン開発 にサマーブレイク後 から軸 足 を移 したことが功 を奏 したこともあるが、ザイドル曰 く、マシンが向上 した要因 は「昨 シーズン途中 に加 わったパット・フライとアンドレア・ステラによる設計 プロセスの改善 が大 きい」とコメントしたように[166]、2019年 に向 けマシン開発 の体制 見直 し[167]および開発 の方向 性 の明確 化 [168]など、マシンの開発 能力 が改善 した結果 としている。他 にも、ロン・デニス退陣 以降 、チームのリーダーシップが欠如 しており、ザイドルから見 ても、物事 が政治 的 になっており、マネジメント体制 に問題 があったとコメント[169]。ブラウンも2018年 12月にも類似 のコメントしていたが[170]、改 めてチームのマネジメント体制 に問題 があったとコメントしており[169]、両者 その点 が解決 できたことも大 きいとしている。ただし、今季 はタイヤ規格 の変更 [171]などの今年 行 われたレギュレーションの変更 [172]に苦戦 しているチームが多 かったため、これをうまく乗 り越 えた結果 でもあった。
- チームのアンバサダーとして
残 っていたアロンソだが、同年 4月 のバーレーンGP後 に行 われた合同 テストでMCL34のハンドルを握 る[175]など、WECのトヨタチームとの活動 を並行 しつつ、チーム活動 に参加 した。そして、アロンソのインディ500再 挑戦 に向 けてカーリン・モータースポーツと技術 提携 を結 ぶものの、マクラーレン独自 の体制 で参戦 [176]。しかし、プラクティスでのクラッシュなどでマシンが仕上 がらず予選 落 ちを喫 した[177][178]。最終 的 には2020年 1月 をもってアロンソとの契約 は更新 せず、予定 通 り契約 は終了 [179]した。
2020年代
[2020年 -
[- 2020
年 - ドライバーおよび
体制 面 では変更 はなし。しいていえば、前年 にシーズンと並行 して行 われた新 体制 への移行 が完了 し、この体制 で迎 える初 のシーズンとなる。
開幕 戦 となる予定 だったオーストラリアGPではチームスタッフが2019新型 コロナウイルス(COVID-19)に感染 したことによりレースから撤退 した[185]。これを受 け、同 GPは中止 となった[186]。その後 コロナウイルスの世界 的 流行 の影響 が深刻 化 し、F1は休止 状態 となった。そして、4カ月 遅 れの開幕 戦 となったオーストリアGPでは、決勝 はサバイバルレースとなり、2台 とも常時 入賞 圏内 をキープ。そんななか、終盤 4位 を走行 していたノリスだったが、2位 のハミルトンがレース中 の接触 の責 を問 われ、5秒 のタイムペナルティ加算 が確定 。それを受 け、ノリスはペースアップし、最終 ラップでファステストラップを記録 した結果 、その5秒 圏内 に入 ることに成功 し、繰 り上 げという形 ではあるが3位 表彰台 を獲得 [187]。チームとしては、ノリスのキャリア初 の表彰台 獲得 を含 めたダブル入賞 でスタートを切 ることとなった[188]。また、第 8戦 イタリアGPではサインツが3番手 を獲得 [189]。決勝 ではメルセデス勢 が結果 的 に失速 。そして、赤旗 中断 からの再 スタート後 は2位 を走行 し、自身 のキャリア初 優勝 およびチームとしても2012年 ブラジルGP以来 の優勝 も射程 にとらえたが、首位 のピエール・ガスリーとのマッチレースに敗 れ2位 に終 わった[190]。それでも、シーズンに複 数 回 表彰台 を獲得 したのは2012年 以来 の成績 となる。
- シーズン
全体 の成績 だが、チーム側 はパフォーマンスを安定 させることに苦労 しているというコメントをしていたものの[191][192][193]、チームとして入賞 を逃 したのは第 10戦 ロシアGPのみで、それ以外 のGPではすべてポイントを獲得 [194]。また、ピット作業 ミスによるタイムロス[195][196]、PUトラブル[197]や接触 事故 などの不運 [198][199]で失 ったポイントもあるが、最終 的 な成績 は2012年 以来 となるコンストラクターズ3位 獲得 となっている[194]。
- 7
月 28日 にマクラーレンはガルフ・オイルと新 たなパートナーシップ契約 を結 んだことを発表 [200]。それ以降 に行 われたGPではマシンおよびウェアにてガルフのロゴを掲載 して出走 した。
- シーズンの
成績 だが、ノリスは第 2戦 エミリア・ロマーニャGPで3位 となり、今季 初 の表彰台 を獲得 [202]。他 にも前半 戦 に当 たる第 5戦 モナコGPと第 9戦 オーストリアGPでも3位 表彰台 を獲得 [203][204]。さらに第 9戦 の予選 でフロントローの2番手 を獲得 し[205]、第 15戦 ロシアGPではウェットとドライが混在 する難 しいコンディションのなか、予選 Q3終盤 の接戦 の末 、キャリア初 のポールポジション(PP)を獲得 した[206]。リカルドの方 はシーズン前半 となる第 11戦 ハンガリーGPまでの間 はノリスと比 べれば苦戦 している印象 が目立 ったが[207][208]、後半 戦 となる第 12戦 ベルギーGPでの予選 4番手 の獲得 [209]。第 14戦 イタリアGPでは予選 は最終 的 にフロントローの2番手 スタートとなり、決勝 はスタートダッシュを決 めて首位 へ浮上 。レース中 はセーフティカー導入 や2位 以下 の揺 さぶりにも動 じず、冷静 に後続 とのギャップをコントロールし、リカルドとしては今季 初 の表彰台 を2018年 モナコグランプリ以来 3年 半 振 りとなる優勝 という結果 を残 した[210]。今季 のリカルドの優勝 とノリスのPP獲得 という記録 は、チームとしても2012年 ブラジルグランプリ以来 となる9年 ぶりの記録 となったうえ、第 14戦 をノリスが2位 に入 ったことにより、2010年 カナダグランプリ以来 となるチームのワンツーフィニッシュも記録 する結果 となった。しかし、第 15戦 以降 はサマーブレイク前 の勢 いがなくなり、特 に第 18戦 からの3連戦 では4ポイントの獲得 で終 わるという結果 となるなど急 失速 [211]。この年 のコンストラクターズ3位 争 いのライバルとなったフェラーリに後半 戦 で逆転 される形 となり、コンストラクターズ4位 でシーズンを終 えた。
- マシンのカラーリングは、パパイヤオレンジとブルーの
組 み合 わせは配色 も含 め変更 されていないが、モナコGPでは戦略 的 パートナーシップを締結 しているガルフのロゴの配色 を意識 したカラーリングに[212]、アブダビGPではBATの電子 たばこ『Vuse』とのコラボレーションによるスペシャルカラーリングに変更 して出走 した[213]。
- 2022
年 - ドライバーおよび
体制 面 に変更 なし。そのうち、ノリスに関 しては前年 のモナコGP前 となる5月 19日 、チームからノリスと2022年 以降 の複数 年 契約 を締結 したことが発表 されていたが[214]、シーズン開幕 前 の2月 9日 、ノリスと新 たに4年間 の契約 (2025年 末 までの契約 )を締結 したことが発表 された[215]。スポンサーには新 たにGoogleが加 わり、同年 より採用 されるBBS製 ホイールのカバーがGoogle Chromeのアイコンと同様 のデザインとなった[216]。
- 2023
年 - ドライバーはノリスが
残留 する一方 でリカルドが放出 され、後任 にはアルピーヌ・アカデミー出身 のオスカー・ピアストリを起用 。同年 のマシン・MCL60は開幕 時点 ではグリッド後方 に沈 み、低迷 から抜 け出 せない状態 であったことから、チームは3月 にデザインチームの大幅 な体制 変更 を発表 。テクニカルディレクターのジェームス・キーが更迭 ・解雇 され、今後 は空 力 担当 のピーター・プロドロモウ、デザイン担当 のニール・ホールデイに加 え、カーコンセプトおよびパフォーマンス担当 として元 フェラーリのデイビッド・サンチェス(実際 のチーム加入 は2024年 になる)を招聘 し三 頭 体制 で開発 を行 うこととなった[217]。また4月 にはドライバー育成 プログラムについても体制 を変更 し、80年代 にマクラーレンでテストドライバー経験 のあるエマニュエル・ピロが責任 者 に就任 した[218]。 - MCL60についても
急 ピッチでアップデートの開発 が進 められ、第 10戦 イギリスではそのアップデートパッケージが大当 たりし、ノリスが2位 表彰台 を獲得 。ピアストリも4位 に入 り、久々 の好 走 を見 せた。
- 2024
年 - ドライバーはピアストリとノリスのコンビを
継続 。リザーブドライバーはトヨタ・ガズー・レーシングからFIA世界 耐久 選手権 に参戦 している平川 亮 [219]とアロー・マクラーレンからインディカー・シリーズに参戦 しているパトリシオ・オワード[220]が起用 された。 - 4
月 にはチーム体制 のさらなる再編 を発表 。1月にチームに加入 したばかりのデイビッド・サンチェスが早 くもチームを離脱 した。原因 は「当初 予定 されていた業務 と実際 の職務 のミスマッチ」とされている[221]。また、ドライバー育成 責任 者 のピロもチームを離 れた。
マクラーレンの産業 スパイ疑惑
[2007
フェラーリはイタリアとイギリスに
- 7
月 12日 - FIAはフェラーリの機密 情報 が何者 かに持 ち出 され、マクラーレン側 に極秘 に提供 されたとする事実 を告発 した。マクラーレン側 は疑惑 の関与 を否定 した。 - 7
月 26日 -世界 モータースポーツ評議 会 (WMSC) に公聴 会 が開 かれた後 、評議 が行 われ、国際 競技 コードの第 151c条 に違反 しているが機密 情報 が使用 された証拠 がないため、証拠 不十分 としてマクラーレンに対 するペナルティは課 されないことが決 まった[222]。 - 9月5
日 - FIAは166ページに及 ぶ疑惑 に関 する新 たな証拠 を提出 、WMSCが関係 者 を招集 し公聴 会 の開催 を決定 する。 - 9月13
日 - WMSCが公聴 会 を開 き、その後 再 審理 を行 われた結果 、以下 の処分 がFIAから発表 された[223]。- 2007
年 のコンストラクターズポイント剥奪 、今 シーズンの残 りのレースもポイントを獲得 できない。 - ポイント
剥奪 によって失 われる収支 を含 め、1億 ドル(約 114億 円 )相当 の罰金 を課 す。 - チームのドライバーに
対 しては証拠 提出 の見返 りとしてペナルティを科 さない(フェルナンド・アロンソとルイス・ハミルトンの二人 のドライバーズポイントはそのまま保持 。残 りのレースで獲得 したポイントも通常 通 り加算 される)。 - WMSCは、2008
年 のマクラーレンの車体 に関 する技術 レポートを受 け取 り、2007年 12月の会議 の中 でチームの2008年 シーズンに関 する制裁 措置 を行 うかを決定 する(マクラーレンは次 シーズンの車体 にフェラーリが使用 している技術 を一切 使用 していないことを証明 しなければならない)。最悪 の場合 、1シーズン出場 停止 になる可能 性 もある。
- 2007
- 10月24
日 - マクラーレンが受 け取 るはずだった賞金 やテレビ分配 金 が1億 ドルから差 し引 かれ、罰金 額 が「5000万 ドル(約 75億 円 )以上 」に減額 された[224]。 - 12月7
日 - WMSCは、FIA技術 部門 にマクラーレンの2008年 マシンにフェラーリの機密 情報 が組 み込 まれていないかどうかを調査 させ、詳細 な報告 書 を提出 させた。これにより、マクラーレンの新 マシンの合法 性 に関 する裁定 が下 される予定 であったが、WMSCは2008年 2月 14日 に開催 されるWMSCの臨時 総会 において、マクラーレンやフェラーリをはじめ、他 のチームにも、報告 書 に対 する意見 を発表 するチャンスを与 えるべきであると判断 した。 - 12月13
日 - マクラーレンCEO・マーティン・ウィットマーシュはマクラーレンの2008年 マシン(MP4-23)にフェラーリの機密 情報 が含 まれる予定 だったことを認 め、それを謝罪 し、2008年 マシンの一部 開発 凍結 の話 し合 いをする内容 の書簡 をWMSCとマックス・モズレー宛 てに送 った。[225] - 12月18
日 - WMSCはFIA会長 マックス・モズレーの提案 をうけ2008年 2月 14日 に予定 されていた公聴 会 を中止 することで同意 した。
カラーリング
[イギリス
1972
その
1997
2015
2016
例外
[マールボロとの
-
1968
年 のM7A初期 のニュージーランドナショナルカラー -
1998
年 のMP4-13A シーズン開始 前 のプロトタイプマシンで暫定 カラーとしてニュージーランドナショナルカラーを復活 させている -
M23 1973
年 -1978年 のマシンで初期 のマールボロカラー -
1981
年 のMP4 MP4ナンバーの最初 のマシン マールボロカラーの基本 的 なデザインが完成 している。 -
MP4/6 1991
年 のマクラーレン・ホンダ -
MP4-12 1997
年 のマシンでマクラーレンにとって最初 のシルバー・アロー -
2005
年 のMP4-20 タバコ規制 が厳 しくなってきたため従来 WESTが入 る位置 がドライバーの名前 になっている -
2006
年 のMP4-21 F1カーとしては珍 しいメッキ仕様 のカラーリングをまとっている。翌年 からのタバコスポンサーの完全 規制 によってWESTが抜 けた -
2015
年 のMP4-30 ホンダとのコンビ復活 に伴 い、グラファイトグレーを基調 とした新 カラーリングに変更 -
2017
年 のMCL32 ロン・デニスの退陣 により、カラーリングをオレンジに一新 -
2018
年 のMCL33 ニュージーランドナショナルカラーが復活
マクラーレンでドライバーズ・チャンピオンを獲得 したドライバー
[- エマーソン・フィッティパルディ(1974
年 ) - ジェームス・ハント(1976
年 ) - ニキ・ラウダ(1984
年 ) - アラン・プロスト(1985
年 、1986年 、1989年 ) - アイルトン・セナ(1988
年 、1990年 、1991年 ) - ミカ・ハッキネン(1998
年 、1999年 ) - ルイス・ハミルトン(2008
年 )
-
エマーソン・フィッティパルディ
-
ジェームス・ハント
-
ニキ・ラウダ
-
アラン・プロスト
-
アイルトン・セナ
-
ミカ・ハッキネン
-
ルイス・ハミルトン
新人 ドライバーの起用
[フェラーリのように、
変遷 表
[F1
[エントリー |
タイヤ | エンジン | ドライバー | ランキング | ポイント | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1966 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M2B | F | フォード406 (3.0L V8) セレニッシマM166 (3.0L V8) |
シェル? | ブルース・マクラーレン | 9 12 |
2 1 |
0 0 |
1967 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M4B M5A |
G | BRM P56 (2.0L V8) BRM P142 (3.0L V12) |
シェル | ブルース・マクラーレン | 8 |
3 | 0 |
1968 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング *Joakim Bonnier Racing Team (M5A) *Anglo American Racers (M7A) |
M5A M7A |
G | BRM P142 (3.0L V12) フォードDFV (3.0L V8) |
シェル ガルフ |
デニス・ハルム ブルース・マクラーレン |
2 10 |
48 3 |
3 0 |
1969 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング *Team Lawson (M7A) *Antique Automobiles / Colin Crabbe Racing (M7B) |
M7A M7B M7C M9A |
G | フォードDFV | ガルフ | デニス・ハルム ブルース・マクラーレン デレック・ベル |
5 |
38(40) | 1 |
1970 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング *Team Surtees (M7C) *Ecurie Bonnier (M7C) |
M7C M14A M7D M14D |
G | フォードDFV (3.0L V8) アルファロメオTipo33/3 (3.0L V8) |
ガルフ | デニス・ハルム ブルース・マクラーレン ピーター・ゲシン ダン・ガーニー アンドレア・デ・アダミッチ ナンニ・ギャリ |
5 NC(アルファロメオ) |
35 0 |
0 0 |
1971 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング *Ecurie Bonnier (M7C) *Penske-White Racing (M19A) |
M14A M19A |
G | フォードDFV | ガルフ | デニス・ハルム ピーター・ゲシン ジャッキー・オリバー |
6 |
10 | 0 |
1972 |
ヤードレー・チーム・マクラーレン | M19A M19C |
G | フォードDFV | ガルフ | デニス・ハルム ピーター・レブソン ブライアン・レッドマン ジョディー・シェクター |
3 |
47(49) | 1 |
1973 |
ヤードレー・チーム・マクラーレン | M19A M19C M23 |
G | フォードDFV | ガルフ | デニス・ハルム ピーター・レブソン ジョディー・シェクター ジャッキー・イクス |
3 |
58 | 3 |
1974 |
マールボロ・チーム・テキサコ ヤードレー・チーム・マクラーレン * Scribante Lucky Strike Racing (M23) |
M23 | G | フォードDFV | テキサコ | エマーソン・フィッティパルディ デニス・ハルム マイク・ヘイルウッド ヨッヘン・マス デイビッド・ホッブス |
1 |
73(75) | 4 |
1975 |
マールボロ・チーム・テキサコ *Lucky Strike Racing (M23) |
M23 | G | フォードDFV | テキサコ | エマーソン・フィッティパルディ ヨッヘン・マス |
3 |
53 | 3 |
1976 |
マールボロ・チーム・マクラーレン | M23 M26 |
G | フォードDFV | テキサコ | ジェームス・ハント ヨッヘン・マス |
2 |
74(75) | 6 |
1977 |
マールボロ・チーム・マクラーレン *Chesterfield Racing (M23) *Iberia Airlines (M23) |
M23 M26 |
G | フォードDFV | テキサコ | ジェームス・ハント ヨッヘン・マス ジル・ヴィルヌーヴ ブルーノ・ジャコメリ |
3 |
60 | 3 |
1978 |
マールボロ・チーム・マクラーレン *Liggett Group/BS Fabrications (M23, M26) *Centro Asegurador F1 (M23) *Melchester Racing (M23) |
M26 | G | フォードDFV | テキサコ | ジェームス・ハント パトリック・タンベイ ブルーノ・ジャコメリ |
8 |
15 | 0 |
1979 |
マールボロ・チーム・マクラーレン *Lowenbrau Team McLaren (M23) |
M26 M28 M28B M28C M29 |
G | フォードDFV | カストロール | ジョン・ワトソン パトリック・タンベイ |
7 |
15 | 0 |
1980 |
マールボロ・チーム・マクラーレン | M29B M29C M30 |
G | フォードDFV | カストロール | ジョン・ワトソン アラン・プロスト スティーブン・サウス |
9 |
11 | 0 |
エントリー |
タイヤ | エンジン | ドライバー | ランキング | ポイント | ||||
1981 |
マールボロ・マクラーレン・インターナショナル | M29C M29F MP4/1 |
M | フォードDFV | ユニパート | ジョン・ワトソン アンドレア・デ・チェザリス |
6 |
28 | 1 |
1982 |
マールボロ・マクラーレン・インターナショナル | MP4/1B | M | フォードDFV | ユニパート | ニキ・ラウダ ジョン・ワトソン |
2 |
69 | 4 |
1983 |
マールボロ・マクラーレン・インターナショナル | MP4/1C MP4/1E |
M | フォードDFY (3.0L V8) TAG TTE PO1 (1.5L V6ターボ) |
ユニパート | ニキ・ラウダ ジョン・ワトソン |
5 NC(TAG) |
34 0 |
1 0 |
1984 |
マールボロ・マクラーレン・インターナショナル | MP4/2 | M | TAG TTE PO1 | シェル | ニキ・ラウダ アラン・プロスト |
1 |
143.5 | 12 |
1985 |
マールボロ・マクラーレン・インターナショナル | MP4/2B | G | TAG TTE PO1 | シェル | ニキ・ラウダ アラン・プロスト ジョン・ワトソン |
1 |
90 | 6 |
1986 |
マールボロ・マクラーレン・インターナショナル | MP4/2C | G | TAG TTE PO1 | シェル | アラン・プロスト ケケ・ロズベルグ |
2 |
96 | 4 |
1987 |
マールボロ・マクラーレン・インターナショナル | MP4/3 | G | TAG TTE PO1 | シェル | アラン・プロスト ステファン・ヨハンソン |
2 |
76 | 3 |
1988 |
ホンダ・マールボロ・マクラーレン | MP4/4 | G | ホンダRA168E (1.5L V6ターボ) |
シェル | アラン・プロスト アイルトン・セナ |
1 |
199 | 15 |
1989 |
ホンダ・マールボロ・マクラーレン | MP4/5 | G | ホンダRA109E (3.5L V10) |
シェル | アイルトン・セナ アラン・プロスト |
1 |
141 | 10 |
1990 |
ホンダ・マールボロ・マクラーレン | MP4/5B | G | ホンダRA100E | シェル | アイルトン・セナ ゲルハルト・ベルガー |
1 |
121 | 6 |
1991 |
ホンダ・マールボロ・マクラーレン | MP4/6 | G | ホンダRA121E (3.5L V12) |
シェル | アイルトン・セナ ゲルハルト・ベルガー |
1 |
139 | 8 |
1992 |
ホンダ・マールボロ・マクラーレン | MP4/6B MP4/7A |
G | ホンダRA122E,RA122E/B | シェル | アイルトン・セナ ゲルハルト・ベルガー |
2 |
99 | 5 |
1993 |
マールボロ・マクラーレン・フォード | MP4/8 | G | フォードHB5,7,8 (3.5L V8) |
シェル | アイルトン・セナ マイケル・アンドレッティ ミカ・ハッキネン |
2 |
84 | 5 |
1994 |
マールボロ・マクラーレン・プジョー | MP4/9 | G | プジョーA6 (3.5L V10) |
シェル | ミカ・ハッキネン マーティン・ブランドル フィリップ・アリオー |
4 |
42 | 0 |
1995 |
マールボロ・マクラーレン・メルセデス | MP4/10 MP4/10B MP4/10C |
G | メルセデスFO110 (3.0L V10) |
モービル | ミカ・ハッキネン マーク・ブランデル ナイジェル・マンセル ヤン・マグヌッセン |
4 |
30 | 0 |
1996 |
マールボロ・マクラーレン・メルセデス | MP4/11 | G | メルセデスFO110 | モービル | ミカ・ハッキネン デビッド・クルサード |
4 |
49 | 0 |
1997 |
ウェスト・マクラーレン・メルセデス | MP4-12 | G | メルセデスFO110E, メルセデスFO110F |
モービル | ミカ・ハッキネン デビッド・クルサード |
4 |
63 | 3 |
1998 |
ウェスト・マクラーレン・メルセデス | MP4-13 | B | メルセデスFO110G | モービル | ミカ・ハッキネン デビッド・クルサード |
1 |
156 | 9 |
1999 |
ウェスト・マクラーレン・メルセデス | MP4-14 | B | メルセデスFO110H | モービル | ミカ・ハッキネン デビッド・クルサード |
2 |
124 | 7 |
2000 |
ウェスト・マクラーレン・メルセデス | MP4-15 | B | メルセデスFO110J | モービル | ミカ・ハッキネン デビッド・クルサード |
2 |
152 | 7 |
エントリー |
タイヤ | エンジン | ドライバー | ランキング | ポイント | ||||
2001 |
ウェスト・マクラーレン・メルセデス | MP4-16 | B | メルセデスFO110K | モービル | ミカ・ハッキネン デビッド・クルサード |
2 |
102 | 4 |
2002 |
ウェスト・マクラーレン・メルセデス | MP4-17 | M | メルセデスFO110L | モービル | デビッド・クルサード キミ・ライコネン |
3 |
65 | 1 |
2003 |
ウェスト・マクラーレン・メルセデス | MP4-17D | M | メルセデスFO110M | モービル | デビッド・クルサード キミ・ライコネン |
3 |
142 | 2 |
2004 |
ウェスト・マクラーレン・メルセデス | MP4-19 MP4-19B |
M | メルセデスFO110Q | モービル | デビッド・クルサード キミ・ライコネン |
5 |
69 | 1 |
2005 |
ウェスト・マクラーレン・メルセデス チーム・マクラーレン・メルセデス |
MP4-20 | M | メルセデスFO110R | モービル | キミ・ライコネン ファン・パブロ・モントーヤ ペドロ・デ・ラ・ロサ アレクサンダー・ヴルツ |
2 |
182 | 10 |
2006 |
チーム・マクラーレン・メルセデス | MP4-21 | M | メルセデスFO108S (2.4L V8) |
モービル | キミ・ライコネン ファン・パブロ・モントーヤ ペドロ・デ・ラ・ロサ |
3 |
110 | 0 |
2007 |
ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス | MP4-22 | B | メルセデスFO108T | モービル | フェルナンド・アロンソ ルイス・ハミルトン |
EX | 0(203) | 8 |
2008 |
ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス | MP4-23 | B | メルセデスFO108V | モービル | ルイス・ハミルトン ヘイキ・コバライネン |
2 |
151 | 6 |
2009 |
ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス | MP4-24 | B | メルセデスFO108W | モービル | ルイス・ハミルトン ヘイキ・コバライネン |
3 |
71 | 2 |
2010 |
ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス | MP4-25 | B | メルセデスFO108X | モービル | ジェンソン・バトン ルイス・ハミルトン |
2 |
454 | 5 |
2011 |
ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス | MP4-26 | P | メルセデスFO108Y | モービル | ルイス・ハミルトン ジェンソン・バトン |
2 |
497 | 6 |
2012 |
ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス | MP4-27 | P | メルセデスFO108Z | モービル | ジェンソン・バトン ルイス・ハミルトン |
3 |
378 | 7 |
2013 |
ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス | MP4-28 | P | メルセデスFO108F | モービル | ジェンソン・バトン セルジオ・ペレス |
5 |
122 | 0 |
2014 |
マクラーレン・メルセデス | MP4-29 | P | メルセデスPU106A Hybrid (1.6L V6ターボ) |
モービル | ジェンソン・バトン ケビン・マグヌッセン |
5 |
181 | 0 |
2015 |
マクラーレン・ホンダ | MP4-30 | P | ホンダRA615H (1.6L V6ターボ) |
モービル | フェルナンド・アロンソ ジェンソン・バトン ケビン・マグヌッセン |
9 |
27 | 0 |
2016 |
マクラーレン・ホンダ・フォーミュラ1・チーム | MP4-31 | P | ホンダRA616H | モービル | フェルナンド・アロンソ ジェンソン・バトン ストフェル・バンドーン |
6 |
76 | 0 |
2017 |
マクラーレン・ホンダ・フォーミュラ1・チーム | MCL32 | P | ホンダRA617H | BP/カストロール | フェルナンド・アロンソ ストフェル・バンドーン ジェンソン・バトン |
9 |
30 | 0 |
2018 |
マクラーレンF1チーム | MCL33 | P | ルノーR.E.18 (1.6L V6ターボ) |
BP/カストロール | フェルナンド・アロンソ ストフェル・バンドーン |
6 |
62 | 0 |
2019 |
マクラーレンF1チーム | MCL34 | P | ルノーE-Tech 19 | BP/カストロール | カルロス・サインツ ランド・ノリス |
4 |
145 | 0 |
2020 |
マクラーレンF1チーム | MCL35 | P | ルノーE-Tech 20 | BP/カストロール | カルロス・サインツ ランド・ノリス |
3 |
202 | 0 |
2021 |
マクラーレンF1チーム | MCL35M | P | メルセデスAMG M12 E Performance | ペトロナス | ダニエル・リカルド ランド・ノリス |
4 |
275 | 1 |
2022 |
マクラーレンF1チーム | MCL36 | P | メルセデスAMG M13 E Performance | ペトロナス | ダニエル・リカルド ランド・ノリス |
5 |
159 | 0 |
2023 |
マクラーレンF1チーム | MCL60 | P | メルセデスAMG M14 E Performance | ペトロナス | オスカー・ピアストリ ランド・ノリス |
4 |
302 | 0 |
2024 |
マクラーレンF1チーム | MCL38 | P | メルセデスAMG M15 E Performance | ペトロナス | オスカー・ピアストリ ランド・ノリス |
1 |
516* | 5 |
エントリー |
タイヤ | エンジン | ドライバー | ランキング | ポイント |
*
*
*
Can-Am
[エントリー |
タイヤ | エンジン | ドライバー | |||
---|---|---|---|---|---|---|
1966 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M1A,M1B.M1C | G | シボレー | STP | ブルース・マクラーレン デニス・ハルム |
1967 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M6A | G | シボレー | STP | ブルース・マクラーレン デニス・ハルム |
1968 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M8A | G | シボレー | STP | ブルース・マクラーレン デニス・ハルム |
1969 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M8B | G | シボレー | STP | ブルース・マクラーレン デニス・ハルム |
1970 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M8C,M8D | G | シボレー | STP | ブルース・マクラーレン デニス・ハルム ピーター・レブソン |
1971 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M8C,M8F | G | シボレー | STP | デニス・ハルム ピーター・レブソン |
1972 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M20 | G | シボレー | ガルフ | デニス・ハルム ピーター・レブソン |
インディカー
[エントリー |
タイヤ | エンジン | ドライバー | ||
---|---|---|---|---|---|
1970 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M15 | G | オッフェンハウザー | *ピーター・レブソン *カール・ウイリアムズ *ブルース・マクラーレン *デニス・ハルム *クリス・エイモン |
1971 |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | M16A | G | オッフェンハウザー | *ピーター・レブソン *デニス・ハルム *ゴードン・ジョンコック |
1972 |
チーム・マクラーレン | M16A、M16B | G | オッフェンハウザー | ゴードン・ジョンコック *ピーター・レブソン |
1973 |
チーム・マクラーレン | M16C | G | オッフェンハウザー | ジョニー・ラザフォード *ピーター・レブソン |
1974 |
チーム・マクラーレン | M16C/D | G | オッフェンハウザー | ジョニー・ラザフォード *デビッド・ホッブス |
1975 |
チーム・マクラーレン | M16E | G | オッフェンハウザー | ジョニー・ラザフォード |
1976 |
チーム・マクラーレン | M16E | G | オッフェンハウザー | ジョニー・ラザフォード |
1977 |
チーム・マクラーレン | M24 | G | コスワース | ジョニー・ラザフォード |
1978 |
チーム・マクラーレン | M24B | G | コスワース | ジョニー・ラザフォード |
1979 |
チーム・マクラーレン | M24B | G | コスワース | ジョニー・ラザフォード |
2017 |
マクラーレン・ホンダ・アンドレッティ | ダラーラDW12 | F | ホンダ | *フェルナンド・アロンソ |
2019 |
マクラーレン・レーシング[ |
ダラーラDW12 | F | シボレー | *フェルナンド・アロンソ |
2020 |
アロー・マクラーレンSP | ダラーラDW12 | F | シボレー | パトリシオ・オワード オリバー・アスキュー *フェルナンド・アロンソ *エリオ・カストロネベス |
2021 |
アロー・マクラーレンSP | ダラーラDW12 | F | シボレー | パトリシオ・オワード フェリックス・ローゼンクヴィスト *ファン・パブロ・モントーヤ *オリバー・アスキュー *ケビン・マグヌッセン |
2022 |
アロー・マクラーレンSP | ダラーラDW12 | F | シボレー | パトリシオ・オワード フェリックス・ローゼンクヴィスト *ファン・パブロ・モントーヤ |
2023 |
アロー・マクラーレン | ダラーラDW12 | F | シボレー | パトリシオ・オワード フェリックス・ローゼンクヴィスト アレクサンダー・ロッシ *トニー・カナーン |
2024 |
アロー・マクラーレン | ダラーラDW12 | F | シボレー | パトリシオ・オワード *カラム・アイロット *テオ・プルシェール アレクサンダー・ロッシ *カイル・ラーソン |
- チームとしての
参戦 に限 る。マクラーレン製 シャシーを購入 して参戦 したチームは除 く - *
印 のついたドライバーはスポット参戦 など
資本
[- F1
以外 の活動 は別 会社 が行 っており、持 ち株 会社 マクラーレン・グループを構成 している。 - 2000
年 1月 、当時 メルセデス・ベンツの親会社 であったダイムラー・クライスラーが、グループの所有 権 を40%取得 。事実 上 、マクラーレン・グループはダイムラー・クライスラーグループの一員 となっている。残 りの60%をロン・デニスとサウジアラビア人 の大 富豪 であるマンスール・オジェが所有 してきたが、ダイムラー・クライスラーがこの残 りの60%の株式 を取得 し、メルセデス・ベンツが単独 でのF1参戦 を目指 しているのではという噂 が根強 かった。 - 2007
年 1月 にバーレーン王国 所有 のバーレーン・マムタラカト・ホールディング・カンパニーがロン・デニスとマンスール・オジェの保有 する株式 のそれぞれの半数 を取得 した。この結果 、ダイムラー・クライスラーが40%・バーレーン・マムタラカト・ホールディング・カンパニーが30%・ロン・デニスとマンスール・オジェが15%ずつと保有 比率 が変化 している。 - 2009
年 11月にメルセデス・ベンツとマクラーレンのパートナーシップ解消 が発表 されたことに伴 い、メルセデス保有 分 の40%の株式 については2011年 までにマクラーレン側 が買 い戻 すことが発表 されている。なお買 い戻 し価格 や、買 い戻 した後 の株式 の扱 いについては公表 されていない。なおマクラーレン側 の買 い戻 しの結果 、2010年 3月 現在 でメルセデス側 の持株 比率 は約 11%にまで低下 している[229]。 - 2016
年 11月にロン・デニスの退陣 が決 まった時点 の株式 保有 比率 は、デニスとオジェが25%、マムタラカトが50%となっていた[230]が、デニスは翌 2017年 6月 に全 株式 を売却 した[231]。 - 2020
年 6月 時点 の株式 保有 比率 はマムタラカト56%、マンスール・オジェ14%、マイケル・ラティフィ(同年 からウィリアムズF1の正 ドライバーを務 めるニコラス・ラティフィの父 )10%で、残 る20%が少数 株主 となっている[232]。 - 2024
年 3月 、マムタラカトがマクラーレン・グループの株式 100%を取得 したことが明 らかになった[233][234]。
マクラーレン・グループ
[(
- マクラーレン・オートモーティブ(McLaren Automotive)
- マクラーレン・マーケティング (McLaren Marketing)
- 1987
年 に設立 。マーケティング、メディア対応 などを担当 。
過去 のグループ会社
[- マクラーレン・コンポジット (McLaren Composites)
- 1993
年 に設立 。自動車 などに用 いる、高機能 素材 の開発 ・生産 を担当 。マクラーレン・F1やメルセデス・ベンツ・SLRマクラーレンなどを担当 した。2004年 にマクラーレン・エレクトロニック・システムズと合併 した。
- マクラーレン・エレクトロニック・システムズ (McLaren Electronic Systems)
- モータースポーツ
向 け電子 制御 システムの開発 、製造 。旧称 はTAGエレクトロニクス、TAGエレクトロニック・システムズ。 - 2008
年 よりマイクロソフトと共同 で、F1に参戦 する全車 に搭載 が義務付 けられるECUの供給 を行 っているほか、2012年 からはNASCAR・スプリントカップシリーズやインディカー・シリーズにもECUの供給 を行 っている。 後 に社名 をマクラーレン・アプライドに改 めたが、2021年 に投資 ファンドに売却 された。
移動 体 テレメトリーシステム
[マクラーレンは1980
このシステムから
車両 ギャラリー
[葉巻 型 (1966年 - 1973年 )
- フラットノーズ
型 #1(1973年 - 1978年 )
- グラウンドエフェクト
型 #1(1979年 - 1982年 )
- フラットノーズ
型 #2(1983年 - 1994年 )
-
MP4/1C フォード
-
MP4/2B TAGポルシェ
-
MP4/2C TAGポルシェ
-
MP4/3 TAGポルシェ
-
MP4/5 ホンダ
-
MP4/5B ホンダ
-
MP4/6 ホンダ
-
MP4/7A ホンダ
-
MP4/8 フォード
- ハイノーズ
型 (1995年 - 2013年 )
-
MP4/11 メルセデス
-
MP4-12 メルセデス
-
MP4-13 メルセデス
-
MP4-14 メルセデス
-
MP4-15 メルセデス
-
MP4-16 メルセデス
-
MP4-17 メルセデス
-
MP4-17D メルセデス
-
MP4-19 メルセデス
-
MP4-20 メルセデス
-
MP4-21 メルセデス
-
MP4-22 メルセデス
-
MP4-23 メルセデス
-
MP4-24 メルセデス
-
MP4-25 メルセデス
-
MP4-26 メルセデス
-
MP4-27 メルセデス
-
MP4-28 メルセデス
- パワーユニット
型 (2014年 - )
- グラウンドエフェクト
型 #2(2022年 - )
脚注
[注釈
[- ^ 1970
年 南 アフリカGPにジョン・サーティースが自身 のチーム(サーティース)で記録 した1回 を除 く。 - ^ a b 1974
年 からマールボロがタイトルスポンサーとなるが、1974年 は3台 体制 のうちヤードレイ車 も1台 のみ参戦 した - ^
予選 ではワトソン22位 、ラウダ23位 と後方 に沈 んだが、決勝 では追 走 に次 ぐ追 走 でワトソンが優勝 、ラウダが2位 となり、ワン・ツー・フィニッシュを達成 した - ^ TAGは1980
年 からウィリアムズをスポンサードしていたが、ロン・デニスはマンスール・オジェにチーム株式 の保有 を持 ちかけ、TAGとマクラーレンによる新 組織 「TAG Turbo Engines」が設立 された。以後 、現在 までマンスール・オジェは株式 を保有 し続 けている。 - ^
前年 のドライバーズチャンピオン以外 でカーナンバー1を使用 した最後 のケースとなった - ^ チームとしての
年間 最多 勝 記録 は2014年 にメルセデスが16勝 するまで、エンジンサプライヤーとしての年間 最多 勝 記録 は1995年 にルノーが16勝 するまで破 られなかった。 - ^ 1992
年 末 においてはウィリアムズと同 スペックのルノーV10エンジン獲得 のためにリジェの完全 買収 やハートV10エンジンを獲得 する計画 もあったが、いずれも計画 破談 となっている(93年版 「F-1大 百科 」(ケイブンシャ))。 - ^
当初 はジョニー・ハーバートにオファーをかけたが、ロータスのピーターコリンズが長期 契約 の解除 を認 めず破談 、他 にもデレック・ワーウィックやミケーレ・アルボレート等 も候補 に上 がり、新 たにエンジン供給 先 となったプジョーはフィリップ・アリオーの起用 を希望 していた。 - ^ メルセデスエンジンのシリンダーブロックは、
軽量 なベリリウム合金 を使用 していたが、フェラーリが「ベリリウム合金 は人体 に有害 である」という抗議 をして、使用 禁止 となった。 - ^
連日 での8日間 ではなく、連日 4日間 のテストを休憩 日 もはさんで2回 行 われた。 - ^
開幕 戦 のリタイアはサスペンショントラブルであり、ホンダではなくマクラーレンが担当 するパーツが原因 のリタイアである。 - ^ カーリンとジョイント
参戦
出典
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年 もタイトルスポンサーを獲得 できず”. F1-Gate.com (2017年 12月20日 ). 2017年 12月 20日 閲覧 。 - ^ “トロ・ロッソ、2018
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全 史 1966-1970」(ニュ ーズ出版 ) P.102 - ^ 「F1
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行動 を要求 するラウダ”. espnf1.com. (2011年 6月 13日 ) 2018年 11月17日 閲覧 。 - ^ “タイトルへ
絶好調 のマクラーレン”. espnf1.com. (2012年 2月 28日 ) 2018年 11月17日 閲覧 。 - ^ “バトンが
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契約 破棄 したチームがあるとウィットマーシュ”. TopNews. (2013年 11月26日 ) 2013年 12月1日 閲覧 。 - ^ マグヌッセン、2014
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就任 ”. F1-gate.com. (2014年 1月 29日 ) 2014年 2月 1日 閲覧 。 - ^
事実 上 のチーム代表 だとブーリエ - ESPN F1・2014年 2月 21日 - ^ マーティン・ウィットマーシュ、マクラーレンでの
将来 はいまだ不明 - F1-gate.com・2014年 3月 6日 - ^ ウィットマーシュが
正式 にマクラーレンを離脱 - オートスポーツ・2014年 8月 27日 - ^ Vandoorne gets McLaren reserve role - F1 Fanatic・2014
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悔 しさを爆発 「GP2エンジンだ!本当 に恥 ずかしい」www.topnews.jp(2015年 9月 27日 )2021年 5月 27日 閲覧 。 - ^ 【マクラーレン・ホンダ】「2
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大 クラッシュを語 る「生 きていることに感謝 。母 に早 く無事 を知 らせたかった」www.as-web.jp(2016年 3月 20日 )2021年 5月 27日 閲覧 。 - ^ 【マクラーレン・ホンダ】
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急 な電話 であたふた。日本 からのフライト中 に勉強 した」www.as-web.jp(2016年 4月 2日 )2021年 5月 27日 閲覧 。 - ^
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罰金 は5000万 ドル程度 に".carview.(2007年 10月 26日 )2013年 1月 18日 閲覧 。 - ^ The full letter from McLaren to the FIA- (autosport.com 2007
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株式 を買 い戻 し - as-web.jp・2010年 3月 19日 - ^ “マクラーレンは
当面 「執行 委員 会 」が運営 ”. ESPN F1. (2016年 11月16日 ) 2016年 11月17日 閲覧 。 - ^ “マクラーレン、ロン・デニスの
離脱 でグループを再編 ”. F1-Gate.com (2017年 7月 1日 ). 2017年 12月16日 閲覧 。 - ^ “マクラーレン、
資金 調達 のため株式 を最大 30%売却 ?新型 コロナで財政 面 に打撃 ”. motorsport.com (2020年 6月 18日 ). 2020年 6月 19日 閲覧 。 - ^ “バーレーンの
政府 系 ファンド『マムタラカト』がマクラーレン・グループの株式 資本 を完全 取得 ”. autosport web. 2024年 3月 25日 閲覧 。 - ^ “マクラーレン、バーレーンの
政府 系 ファンドが全 株式 を取得 ”. レスポンス. 2024年 3月 25日 閲覧 。 - ^ a b マクラーレンもより
速 く! HANAが加速 するのはデータベースだけじゃない - SAPPHIRE NOW 2012 2日 目 基調 講演 - ^ a b マクラーレン・ホンダのレーサー、ジェンソン・バトンがSAPジャパンに
登場 – F1レースに起 きたデジタル変革 とは – - ^ マクラーレンとメルセデスAMGが
実践 !超 膨大 センサーデータのリアルタイム解析 による予見 分析
関連 項目
[- メルセデス・ベンツ・SLRマクラーレン
- ディレクシブ
- モータースポーツ
- F1
世界 チャンピオンの一覧 - F1コンストラクターの
一覧 - トゥーンド - フレームストア
制作 のマクラーレンを題材 にした2012年 のアニメーション作品 。 - JVCケンウッド - 1991
年 日本 GPから2019年 まで無線 機材 を供給 していた。 - ヒューゴ・ボス - 1980
年代 より2014年 までチームユニフォームを供給 していた。 - ヤマザキマザック -
工作 機械 の納入 で1999年 よりオフィシャルサプライヤー契約 を結 んでいる。。 集英社 - 1990年 から1991年 までのスポンサー。週刊 少年 ジャンプのロゴをノーズの先端 に貼 り付 けていた。古墳 GALのコフィー - コフィーのママが元 マクラーレンホンダのピットクルーとして世界 を回 っていた設定 になっている高級 オーディオ - かつてTag Mclaren Audioというブランドでオーディオ機器 を販売 していた。- マールボロ・プロジェクト・フォー→マクラーレン・プロジェクト・フォー (MP4)
Marlboro Project Four→McLaren Project Four
外部 リンク
[公式 ウェブサイト- McLaren (@McLarenF1) - X(
旧 Twitter)
レッドブル | メルセデス | フェラーリ | マクラーレン | アストンマーティン | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | マックス・フェルスタッペン | 63 | ジョージ・ラッセル | 16 | シャルル・ルクレール | 81 | オスカー・ピアストリ | 18 | ランス・ストロール |
11 | セルジオ・ペレス | 44 | ルイス・ハミルトン | 55 | カルロス・サインツ | 4 | ランド・ノリス | 14 | フェルナンド・アロンソ |
アルピーヌ | ウィリアムズ | RB | キック・ザウバー | ハース | |||||
31 | エステバン・オコン | 23 | アレクサンダー・アルボン | 22 | |
77 | バルテリ・ボッタス | 20 | ケビン・マグヌッセン |
10 | ピエール・ガスリー | 43 | フランコ・コラピント | 30 | リアム・ローソン | 24 | |
27 | ニコ・ヒュルケンベルグ |
その |
2 | ローガン・サージェント ( |
3 | ダニエル・リカルド ( |
38 50 |
オリバー・ベアマン ( | |||
(ラインナップは2024 |
アンドレッティ・フォーミュラE | エンヴィジョン・レーシング | ジャガー・TCS・レーシング | タグ・ホイヤー・ポルシェ | DS・ペンスキー | マセラティ・MSG・レーシング | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
27 | ジェイク・デニス | 16 | セバスチャン・ブエミ | 9 | ミッチ・エバンス | TBA | パスカル・ウェーレイン | 25 | ジャン=エリック・ベルニュ | 2 | ストフェル・バンドーン |
51 | ニコ・ミュラー | 4 | ロビン・フラインス | 37 | ニック・キャシディ | 13 | アントニオ・フェリックス・ダ・コスタ | 7 | マクシミリアン・ギュンター | 5 | ジェイク・ヒューズ |
ニッサン | ネオム・マクラーレン | キロ・レース・Co | マヒンドラ・レーシング | ローラ・ヤマハ・アプト | |||||||
22 | ノーマン・ナト | 8 | サム・バード | TBA | TBA | 21 | ニック・デ・フリース | 11 | ルーカス・ディ・グラッシ | ||
23 | オリバー・ローランド | TBA | テイラー・バーナード | TBA | TBA | 48 | エドアルド・モルタラ | TBA | ゼイン・マロニー |
アンドレッティ・オートスポーツ | チップ・ガナッシ・レーシング | チーム・ペンスキー | エド・カーペンター・レーシング | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
26 | コルトン・ハータ | 28 | マーカス・エリクソン | 4 | キフィン・シンプソン | 9 | スコット・ディクソン | 11 | マーカス・アームストロング | 2 | ジョセフ・ニューガーデン | 12 | ウィル・パワー | 20 | クリスチャン・ラスムッセン エド・カーペンター |
27 | カイル・カークウッド | 8 | リヌス・ルンドクヴィスト | 10 | アレックス・パロウ | 3 | スコット・マクラフリン | 21 | リヌス・ヴィーケイ | ||||||
デイル・コイン・レーシング | A.J.フォイト・エンタープライズ | レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング | アロー・マクラーレン | メイヤー・シャンク・レーシング | |||||||||||
18 | ジャック・ハーベイ | 14 | サンティノ・フェルッチ | 15 | グラハム・レイホール | 45 | クリスチャン・ルンガー | 5 | パトリシオ・オワード | 7 | アレクサンダー・ロッシ | 60 | フェリックス・ローゼンクヴィスト | ||
51 | キャサリン・レッグ | 41 | スティング・レイ・ロブ | 30 | ピエトロ・フィッティパルディ | 6 | ノーラン・シーゲル | 66 | デイビッド・マルカス | ||||||
ユンコス・ホリンジャー・レーシング | |||||||||||||||
77 | ロマン・グロージャン | ||||||||||||||
78 | コナー・デイリー | ||||||||||||||
その | |||||||||||||||
ライアン・ハンター=レイ(ドレイヤー&レインボールド) マルコ・アンドレッティ(アンドレッティ) |