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マクラーレン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
マクラーレン・メルセデス
イギリスの旗 McLaren
エントリーめい マクラーレン・フォーミュラ1チーム
チーム国籍こくせき イギリスの旗 イギリス
チーム本拠地ほんきょち イングランドの旗 イングランド
サリーしゅうウォキング
チーム代表だいひょうしゃ ザク・ブラウンCEO
アンドレア・ステラ(チーム代表だいひょう
ブルース・マクラーレン創設そうせつしゃ
テクニカルディレクター ピーター・プロドロモウ(エアロ)
ロブ・マーシャル(デザイン)
2024ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけん
ドライバー 4. イギリスの旗 ランド・ノリス
81. オーストラリアの旗 オスカー・ピアストリ
テストドライバー 日本の旗 平川ひらかわあきら
メキシコの旗 パトリシオ・オワード
シャーシ MCL38
エンジン メルセデス M15 E Performance
タイヤ ピレリ
F1世界せかい選手権せんしゅけんにおけるチーム履歴りれき
参戦さんせん年度ねんど 1966-
出走しゅっそう回数かいすう 950 (946スタート)
コンストラクターズ
タイトル
8 (1974, 1984, 1985, 1988, 1989, 1990, 1991 ,1998)
ドライバーズ
タイトル
12 (1974, 1976, 1984, 1985, 1986, 1988, 1989, 1990, 1991, 1998, 1999, 2008)
優勝ゆうしょう回数かいすう 188
通算つうさん獲得かくとくポイント 6,813.5
表彰台ひょうしょうだい(3以内いない)回数かいすう 503
ポールポジション 162
ファステストラップ 169[注釈ちゅうしゃく 1]
F1デビューせん 1966ねんモナコGP
はつ勝利しょうり 1968ねんベルギーGP
2023ねん順位じゅんい 4 (302ポイント)
記録きろく2024ねんだい19せんアメリカGP終了しゅうりょう
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マクラーレン・レーシングMcLaren Racing Limited)は、1963ねんブルース・マクラーレンにより設立せつりつされたイギリスのレーシング・チーム。

概要がいよう

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創設そうせつしゃブルース・マクラーレン

1966ねんよりF1に参戦さんせんつづけている。1970ねんにブルース・マクラーレンの事故死じこしテディ・メイヤーがチーム運営うんえいぎ、1980ねんロン・デニスひきいる「プロジェクトフォー英語えいごばん」と合併がっぺいした。

2017ねんシーズン終了しゅうりょう時点じてんで、グランプリにおける優勝ゆうしょう回数かいすうドライバーズタイトル獲得かくとく回数かいすう、ともにフェラーリ歴代れきだい2コンストラクターズタイトル獲得かくとく回数かいすうではフェラーリとウィリアムズ歴代れきだい3記録きろくち、F1を代表だいひょうする名門めいもんチームの一角いっかくかぞえられている。

そののレースカテゴリーでは、カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am)において1967ねんから1971ねんにかけ5ねん連続れんぞくでタイトルを獲得かくとくした。インディ500ル・マン24あいだレースにおいても優勝ゆうしょう記録きろくしている。インディカー・シリーズ2017ねんのインディ500よりチームとのジョイント(共同きょうどうチーム)体制たいせいによりスポット参戦さんせん開始かいしし、2020ねんシーズンよりシュミット・ピーターソン・モータースポーツとのジョイントによるチーム「アロー・マクラーレンSP」としてフル参戦さんせん開始かいし2021ねんシーズンにはパトリシオ・オワードが2しょうげ、最終さいしゅうせんまでチャンピオンをあらそい、ランキング3となっている。2022ねんからは電気でんき自動車じどうしゃによるオフロードレースであるエクストリームEにも参戦さんせんしている。

2017ねん現在げんざい世界せかいさんだいレースである「モナコGPル・マン24あいだレースインディ500」のすべてをせいしたコンストラクター車体しゃたい製造せいぞうしゃ)としてもられている(にはメルセデスのみ)。

タイトルスポンサーはヤードレー1972ねん - 1974ねん[注釈ちゅうしゃく 2])→マールボロ(1974ねん - 1996ねん)→ウエスト1997ねん - 2005ねんシーズンなかば)→ボーダフォン2007ねん - 2013ねん)と変遷へんせんしているが、現在げんざいはタイトルスポンサーが不在ふざいのため[1]正式せいしきエントリーめいは「マクラーレンF1チーム(McLaren F1 Team)」[2]となっている。

歴史れきし

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1960年代ねんだい

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マクラーレン最初さいしょのF1マシンM2B (フォード)
M7Aをドライブするブルース(1969ねんドイツGP

1963ねんブルース・マクラーレンテディ・メイヤー、テイラー・アレクサンダーらにより、ブルース・マクラーレン・モーターレーシング設立せつりつ当初とうしょタスマンシリーズなどにクーパーはしらせていた[3]

1966ねん
モナコGPでF1デビュー。ブルースのみの1カーエントリーでM2B使用しよう。エンジンはフォード・DOHCコンペティションエンジン (Vがた8気筒きとう) とセレニッシマ・M166エンジン英語えいごばん (Vがた8気筒きとう) を併用へいよう[3]
1967ねん
このとしもブルースのみの1カーエントリー。新車しんしゃ開発かいはつおくれから、シーズン序盤じょばんBRM旧型きゅうがた2L V8エンジンを搭載とうさいしたM4BもとF2ようマシンのM4A)、シーズン中盤ちゅうばんイーグルのマシンをはしらせた。BRMの新型しんがたV12エンジンが搭載とうさいされた新車しんしゃM5A登場とうじょうしたのはシーズン後半こうはんカナダGPとなった[4]
マクラーレンはF1に参戦さんせんするかたわら、デニス・ハルムとのコンビでM1B(1966ねん)とM6A(1967ねん)をり、Can-Amにも参戦さんせんした。
1968ねん
このとしより2だいをエントリーし、Can-Amのデニス・ハルムをF1チームにもくわえる。開幕かいまくせん前年ぜんねんのM5Aを使用しようしたが、だい2せんスペインGPからフォード・コスワース・DFVエンジン搭載とうさいしたM7A使用しようする。ブランズ・ハッチ開催かいさいされた選手権せんしゅけん優勝ゆうしょうかざるとともに、だい4せんベルギーGPでF1はつ優勝ゆうしょうげた。ハルムもイタリアGPカナダGP連勝れんしょう(カナダGPではチームはつのワン・ツー・フィニッシュをかざった)し、コンストラクターズランキング2おおきく躍進やくしんした。シーズン終盤しゅうばんにはイーグルのダン・ガーニーがM7Aを使用しようした。また、このとしのCan-Amでハルムがチャンピオンを獲得かくとくしている。
1969ねん
ブルースは入賞にゅうしょう8かいでランキング3。ハルムは最終さいしゅうせんメキシコGP優勝ゆうしょうし、Can-AmではM8Bを年間ねんかん2となる。マシンはおも前年ぜんねんのM7Aを継続けいぞく使用しようしたが、F5000ようマシンM10Aを流用りゅうようしたM7Cや、よんりん駆動くどうM9A使用しようしている[5]

1970年代ねんだい

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マクラーレン・M8D
1970ねん
6月2にちグッドウッド・サーキットでCan-Amよう新車しんしゃM8Dをテストドライブしていたチームのボス、ブルース・マクラーレンがマシントラブルが原因げんいんきたクラッシュにより死亡しぼう[6]。この事件じけんはチームにとって巨大きょだい痛手いたでであったが、チーム運営うんえいはテディ・メイヤーによってがれ、つづき、Can-Am、F1、F2インディ500、F5000などへの参戦さんせん継続けいぞくし、いずれのカテゴリーにおいても目覚めざましい活躍かつやくせた。
このとし、F1では新車しんしゃM14A使用しよう。これとはべつに、スポーツカーレースよう開発かいはつされたアルファロメオV8エンジンをM7D(M7Aを改変かいへん)およびM14D(M14Aを改変かいへん)に搭載とうさいした。ドライバーは当初とうしょハルムとブルース・マクラーレンがつづつとめていたが、ブルースの死後しご旧友きゅうゆうだったガーニーがF1とCan-Amにスポット参戦さんせんしたのち、新人しんじんピーター・ゲシン起用きようされた。アルファロメオエンジン搭載とうさいしゃおもアンドレア・デ・アダミッチがドライブした[7]。Can-Amではハルムがチャンピオンにかえ活躍かつやくせた[8]
1971ねん
マクラーレン・コスワースM19A
ドライバーはハルムとゲシンが残留ざんりゅう。シーズンなかばにジャッキー・オリバーくわわったが、ゲシンはBRMへ移籍いせきした。新車しんしゃM19Aのデビューせんとなる開幕かいまくせんみなみアフリカGPで、ハルムは優勝ゆうしょう目前もくぜんまできながらマシントラブルで6[9]結局けっきょくこのとし表彰台ひょうしょうだいつことはできず、コンストラクターズランキング6わった。
1972ねん
ドライバーはハルムが残留ざんりゅうし、前年ぜんねんのCan-Amチャンピオンのピーター・レブソンが8ねんぶりにF1復帰ふっき。レブソンがアメリカのレース日程にっていとバッティングしたときブライアン・レッドマン代走だいそうつとめた。最終さいしゅうせんアメリカGPではジョディ・シェクターがスポット参戦さんせんでF1デビューをたした。マシンは前年ぜんねんのM19Aおよびその改良かいりょうばんのM19Cを使用しよう。このとしからヤードレー化粧けしょうひんがスポンサーとなり、カラーリングがオレンジからホワイトに変更へんこうされた。レブソンがカナダGPでチームはつのポールポジションを獲得かくとく。ハルムがみなみアフリカGP優勝ゆうしょう。チームとしては表彰台ひょうしょうだい圏内けんない11かい(ハルムが7かい、レブソンが4かい)を記録きろく。コンストラクターズランキング3浮上ふじょうした。
F1以外いがいではペンスキーチームのマーク・ダナヒューにより、コンストラクター(車体しゃたい製造せいぞうしゃ)としてインディ500はつ優勝ゆうしょうげた。そして同年どうねんまつには充分じゅうぶん成果せいかのこしたCan-Amから撤退てったいし、以後いごはF1とインディに集中しゅうちゅうすることをめた。
1973ねん
ドライバーはハルムとレブソンが残留ざんりゅう、シェクターもつづきスポット参戦さんせんドイツGPのみジャッキー・イクスもスポット参戦さんせんした。序盤じょばんはM19Cを使用しようしたが、だい3せんみなみアフリカGPからゴードン・コパック設計せっけいのくさびがたマシンM23登場とうじょうし、このGPでハルムが85せんにしてキャリアはつポールポジション獲得かくとく決勝けっしょうは5入賞にゅうしょう)。レブソンは2しょうイギリスGPカナダGP)をげた。シェクターは5せんノーポイントにわったが、みなみアフリカGPとフランスGPではトップをはしこうはしせた。コンストラクターズランキングは前年ぜんねんおなじ3となった。
1974ねん
マールボロカラーにられたM23でチャンピオンを獲得かくとくしたエマーソン・フィッティパルディ1974ねんイギリスGP
マールボロ契約けいやくし、以降いこう「マールボロカラー=マクラーレン」という関係かんけい長期ちょうきにわたってつづくこととなった。このとしは3だい体制たいせいき、残留ざんりゅうしたハルムとロータスから移籍いせきしたエマーソン・フィッティパルディがマールボロカラーで出走しゅっそうし、3だい前年ぜんねん同様どうようヤードレーカラーをまとい、マイク・ヘイルウッドがドライブした。ヘイルウッドがドイツGP負傷ふしょうしたのちは、デイビッド・ホッブスヨッヘン・マス代走だいそうつとめた。ちなみにこの2しゃとも以前いぜんはBRMをスポンサードしていた。フィッティパルディとクレイ・レガツォーニ(フェラーリ)とのタイトルあらそいは最終さいしゅうせんまでもつれんだが、フィッティパルディが2ねんぶり2度目どめのドライバーズタイトル(マクラーレンとしてははつ)を獲得かくとくするとともに、はつのコンストラクターズタイトルを獲得かくとくした。ハルムは開幕かいまくせんアルゼンチンGP勝利しょうりするが、このとしをもってF1を引退いんたいした。
一方いっぽう、インディ500においてもジョニー・ラザフォードによって2度目どめ優勝ゆうしょうたされ(マクラーレン「チーム」としてはインディ500はつ優勝ゆうしょう)、このふたつのカテゴリーをおなねんせいしたのは、1965ねんロータスぐ2れいとなる結果けっかのこした。
1975ねん
ドライバーはフィッティパルディが残留ざんりゅう前年ぜんねん終盤しゅうばんくわわったマスとの2だい体制たいせい。フィッティパルディはしぶとく入賞にゅうしょうかさねるも、フェラーリのニキ・ラウダのスピードにいていくことができず2しょうまりで2。チームメイトのマスはスペインGPはつ勝利しょうりげた。コンストラクターズランキングは3後退こうたい
1976ねん
ドライバーはマスが残留ざんりゅう、フィッティパルディにわりジェームス・ハント加入かにゅう。M23は4ねんとなったが依然いぜん戦闘せんとうりょくたかく、シーズン途中とちゅう投入とうにゅうしたM26オランダGPでマスが出走しゅっそうした1せんのみにとどまった。このとしもラウダが選手権せんしゅけんをリードしていったが、だい10せんドイツGPでラウダが瀕死ひんし重傷じゅうしょうってからはハントが勝利しょうりとポイントをかさねていき、チャンピオンあらそいは最終さいしゅうせんF1世界せかい選手権せんしゅけんイン・ジャパンまでもつれんだ。あめ混乱こんらんしたレースとなったなかでハントは3入賞にゅうしょうし、ポイントでラウダを逆転ぎゃくてんして王座おうざ獲得かくとくした。
インディ500においてまたもジョニー・ラザフォードにより、マクラーレンせいシャシーとして3度目どめ、マクラーレンチームとしては2度目どめとなる優勝ゆうしょうげた。
1977ねん
ハントとマスのコンビはわらず。ジル・ヴィルヌーヴイギリスGPで、ブルーノ・ジャコメリイタリアGPでそれぞれスポット参戦さんせんおよびF1デビューをたした。M23もすで時代遅じだいおくれになりつつあり、前年ぜんねん登場とうじょうしたM26をシーズンなかばから実戦じっせん投入とうにゅうした。ハントはM26で3しょう(イギリスGP、アメリカひがしGP日本にっぽんGP)したが、チャンピオンあらそいにはくわわれなかった。

アメリカにおいては、M23ベースに、DFVのターボばんDFXにかわそうしたM24を市販しはん。マクラーレン・ワークスのジョニー・ラザフォードを退しりぞけ~ペンスキーチームのトム・スニーバがチャンピオンを獲得かくとくした。

1978ねん
ハントは残留ざんりゅう、マスにわりパトリック・タンベイ加入かにゅう。ジャコメリもすうせん出走しゅっそうした。前年ぜんねん同様どうようM26を使用しようするが、このとしのF1を席巻せっけんしたロータス・79をはじめとしたグラウンド・エフェクト・カー台頭たいとうにより急速きゅうそく戦闘せんとうりょくとしていき、表彰台ひょうしょうだいフランスGPの1かいのみにわり、コンストラクターズランキングも8低迷ていめいした。
1979ねん
タンベイは残留ざんりゅう、ハントにわりジョン・ワトソン加入かにゅう。マクラーレンはつのグラウンド・エフェクト・カーとなるM28投入とうにゅうし、M28B、M28Cと改変かいへんしていくがいずれも失敗しっぱいわり、イギリスGPからM29投入とうにゅうしたが、低迷ていめいだっすることはできなかった。
このとしをもって、参戦さんせん意義いぎうすくなったとしてインディ500から撤退てったいした。

1980年代ねんだい

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1980ねん - 1984ねん

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1980ねん
ロン・デニス(1990ねん
ワトソンは残留ざんりゅう、タンベイにわり新人しんじんアラン・プロスト加入かにゅう前年ぜんねんがたのM29を改良かいりょうしたM29B、M29Cでシーズンをたたかい、後半こうはんにはきゅうチームとしては最終さいしゅうがたM30を1だい投入とうにゅうした。プロストは開幕かいまく2せん連続れんぞく入賞にゅうしょうたしたが、マシンの競争きょうそうりょく信頼しんらいせいけっしてたかくはなく、だい3せんみなみアフリカGPでは、はしして最初さいしょのコーナーでフロントサスペンションマウントが破損はそんするなど、トラブルが度々どど発生はっせいした。マシントラブルによるクラッシュでプロストがケガをうこともあった(プロストがケガで欠場けつじょうしたアメリカ西にしGPスティーブン・サウス代走だいそう[6]。シーズン終了しゅうりょう、それまでのマクラーレンと、マールボロうしたてもとロン・デニスF2チーム「プロジェクトフォー」が合併がっぺい長年ながねんつづくデニス主導しゅどうのチーム体制たいせい構築こうちくされた。プロストは複数ふくすうねん契約けいやくをチームとむすんでいたが、「合併がっぺいでできたしんチームは従来じゅうらいのチームとはべつのチーム」という論理ろんり契約けいやく破棄はきし、ルノー移籍いせきした。
1981ねん
ジョン・バーナード設計せっけいによりカーボンファイバーせいモノコック採用さいようしたはつのF1マシン、MP4/1出走しゅっそうさせた。このモノコックは、アメリカユタしゅうソルトレイクシティにあるハーキュリーズ実際じっさい製造せいぞうった[6]車両しゃりょうひろく「マクラーレン」とばれるが、この「MP4」は「Marlboro Project 4」の略称りゃくしょうである[6]現在げんざいでは「McLaren Project 4」の略称りゃくしょうともわれる)。プレス発表はっぴょうのマシンめい表記ひょうきは"Marlboro MP4/1"とされ、シーズン中盤ちゅうばんからはノーズに「Marlboro MP4」というロゴステッカーがられた。このMP4/1で戦闘せんとうりょくもどし、ワトソンがイギリスGPでチームに4ねんぶりの優勝ゆうしょうをもたらした。チームメイトのアンドレア・デ・チェザリス経験けいけん不足ふそくからクラッシュを度々たびたびこしたが、無傷むきず生還せいかんかえすことで皮肉ひにくにもカーボンファイバーモノコックの安全あんぜんせい証明しょうめいすることになった。
1982ねん
1979ねん途中とちゅうでF1を引退いんたいしていたもとブラバムニキ・ラウダ復帰ふっきさせることに成功せいこう前年ぜんねん登場とうじょうしたMP4/1を改良かいりょうしたMP4/1B使用しようし、ワトソンとともに4しょうをあげトップチームへの復帰ふっきたした。シーズン終了しゅうりょうテディ・メイヤーかぶりデニスがチームの実権じっけん掌握しょうあくする。
1983ねん
フラットボトム規制きせいともな改変かいへんされたMP4/1C使用しようしたが、もはやノンターボのDFVやDFYではターボエンジンには対抗たいこうできず、だい2せんアメリカ西にしGPでワトソンが優勝ゆうしょうした1しょう[注釈ちゅうしゃく 3]のみで、だい5せんモナコGPでは2だいとも予選よせんちとなってしまった。TAG協力きょうりょく[注釈ちゅうしゃく 4]ポルシェがターボエンジンを開発かいはつすることになり、だい12せんオランダGPからTAGのバッジネームけたポルシェ1.5リッターV6ターボエンジンを搭載とうさいしたMP4/1E投入とうにゅうされ、ラウダはどうマシンをドライブ。ワトソンもつぎせんイタリアGPからMP4/1Eをドライブした。のこりのレースは、結果けっかてきシーズンの準備じゅんびとなった。1987ねんまで使用しようされるこのエンジンは、マクラーレンからオーダーされるかたちで設計せっけい製作せいさくされたので外形がいけい寸法すんぽうなどもバーナードから厳密げんみつ指定していされ、車体しゃたいデザインの自由じゆうひろげるめんでもおおきく貢献こうけんした。
1984ねん
MP4/2をるニキ・ラウダ(アメリカGP,ダラス)
完全かんぜんしん設計せっけいMP4/2シャシーを投入とうにゅう。ラウダのチームメイトとしてプロストが4シーズンぶりに復帰ふっきドライバーズタイトルあらそいはこのにんによってひろげられ、ぜん16せんのうちラウダが5しょう、プロストが7しょうけい12しょうをあげた。最終さいしゅうてきにラウダがプロストを史上しじょう僅差きんさの0.5ポイントくだし、自身じしん7ねんぶり3度目どめのワールドチャンピオンにかがやいた。マクラーレンにとってドライバーズタイトルはジェームス・ハント以来いらい8ねんぶりで、コンストラクターズタイトルは10ねんぶり2度目どめであった。ちなみにマクラーレンはレースのたびに、ふたりのドライバーがマシンをこわすことなくピットにもどってくるので、シャシーにかけていた保険ほけん解約かいやくした[10]。なお、4シーズンにわたってタイヤ供給きょうきゅうけていたミシュランが、このシーズンでF1から撤退てったいした。

1985ねん - 1989ねん

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1985ねん、MP4/2Bではつのチャンピオンを獲得かくとくしたアラン・プロスト(ドイツGP)
1985ねん
前年ぜんねんつづきコンストラクターズチャンピオンを獲得かくとくした。ドライバーズチャンピオンは、フェラーリのミケーレ・アルボレートとのあらそいをせいしたプロストがはじめて獲得かくとくした。このとし、キャラミでおこなわれたみなみアフリカグランプリにて投入とうにゅうされたMP4/2Bの6号車ごうしゃが、完全かんぜんにマクラーレンのファクトリーで自製じせいされたはつのモノコックである[6]ヨーロッパGPではうで負傷ふしょうしたラウダにわってワトソンが2ねんぶりに復帰ふっきした[注釈ちゅうしゃく 5]。このとしをもってラウダが2度目どめの(そして最後さいごの)引退いんたい表明ひょうめいした。
1986ねん
コンストラクターズタイトルはホンダエンジンを搭載とうさいしたウィリアムズうばわれたが、どうチームのナイジェル・マンセルネルソン・ピケ確執かくしつ間隙かんげきき、プロストが最終さいしゅうせんで7ポイント逆転ぎゃくてんして2ねん連続れんぞくドライバーズタイトルを獲得かくとくした。引退いんたいしたラウダにわってケケ・ロズベルグがウィリアムズから移籍いせきしたが勝利しょうりわり、同年どうねんをもって引退いんたい
1987ねん
タイトルは獲得かくとくできなかったが、プロストが3しょうげた。あらたなチームメイトのステファン・ヨハンソンは22かいふく表彰台ひょうしょうだい5かいわった。シーズン途中とちゅうイタリアGP翌年よくねん体制たいせい発表はっぴょうおこない、ホンダエンジンの獲得かくとくアイルトン・セナのチーム加入かにゅう公表こうひょうした[11]前年ぜんねん6がつにデニスとプロストが来日らいにちしてホンダがわにエンジン供給きょうきゅう要請ようせいしたが、すでにホンダはウィリアムズとロータスの2チームへのエンジン供給きょうきゅうめたのちだったため実現じつげんせず、2ねんしとなる契約けいやく締結ていけつだった[12]。なおポルシェは、自社じしゃせいのV12自然しぜん吸気きゅうきエンジンをマクラーレンに提案ていあんしているが、しん設計せっけいのV12ではなく、このとし使用しようされたV6ターボエンジンからターボをはずし、V6を2つつなぎわせてV12とした設計せっけいでもあったため、チームがわ拒否きょひしポルシェとの契約けいやくっている。このポルシェのV12エンジンは1991ねんフットワークFA11CおよFA12搭載とうさい参戦さんせんした。
1988ねん
1988ねん、ホンダエンジンをて16戦中せんちゅう15しょうたしたMP4/4(カナダGPでのアイルトン・セナ)
プロストとセナのラインナップとしん設計せっけいMP4/4シャシー、ホンダターボエンジンとのわせは16戦中せんちゅう15しょう[注釈ちゅうしゃく 6]という圧倒的あっとうてき成績せいせきのこし、コンストラクターズとドライバーズのりょうタイトルを獲得かくとくした。ただいち優勝ゆうしょうのがしたイタリアGPはプロストがエンジントラブル、セナはトップをはしりながら、終盤しゅうばん周回しゅうかいおくれのジャン=ルイ・シュレッサー接触せっしょくしてストップ(完走かんそうあつかい)したというものであった。このとしポールポジションも15かい獲得かくとくし、獲得かくとくしたコンストラクターズポイントは199ポイントで、2のフェラーリにたいし134ポイントものをつけた。
1989ねん
MP4/5・ホンダ(1989ねん)
ターボエンジンが全面ぜんめん禁止きんしされたことにより、ホンダは自然しぜん吸気きゅうきV10エンジンを投入とうにゅう前年ぜんねん同様どうよう布陣ふじんでダブルタイトルを獲得かくとくするが、深刻しんこく問題もんだい発生はっせいした。前年ぜんねんだい13せんポルトガルGPでのレースちゅうにセナがチームメイトであるプロストにはばせをしたことから両者りょうしゃあいだ不協和音ふきょうわおんしょうはじめ、このとしサンマリノGPの「オープニングラップの1コーナーをせいしたもの優勝ゆうしょう権利けんりゆうし、それ以降いこう追越おいこしをしない」という紳士しんし協定きょうていめぐ出来事できごとやそのきたやりりによって、プロストとセナの亀裂きれつ決定的けっていてきなものとなった。これがシーズン途中とちゅうでプロストがチーム離脱りだつ決断けつだんさせる事実じじつじょうがねとなったが、それ以外いがいにも両者りょうしゃこした言動げんどう衝突しょうとつしあったことやプロストの言動げんどうめぐるチームとの関係かんけい悪化あっかすくなからず影響えいきょうした。その、プロストがタイトルに王手おうてをかけるなかむかえただい15せん日本にっぽんGPではシケインでおたがいにみちゆずらずに接触せっしょくし、両者りょうしゃのマシンはストップ。セナは復帰ふっきしトップでチェッカーをけたが、プロストによる抗議こうぎによりシケイン通過つうかのちしがけ変更へんこう)との裁定さいていくだされ、セナはレース失格しっかくとなった。これにより最終さいしゅうせんたずしてプロストの3度目どめのチャンピオンがまった。

1990年代ねんだい

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1990ねん - 1994ねん

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1990ねん
プロストがフェラーリ移籍いせきしたため、フェラーリからゲルハルト・ベルガーをセナのチームメイトにむかえシーズンをたたかった。だが、ハンドリング性能せいのう優位ゆういせいきずいたフェラーリにくるしめられ、タイトルあらそいは前年ぜんねん同様どうようだい15せん日本にっぽんGPまでまれ、ここでコンストラクターとドライバーのりょうタイトルを確定かくていさせた。しかし、日本にっぽんGPのレース内容ないようはセナとプロストの接触せっしょく事故じこによる共倒ともだおれ、フェラーリのダブルリタイアというかたちりょうタイトルあらそいの決着けっちゃくがつくという後味あとあじわるめんもあった[13]
1991ねん
MP4/6アイルトン・セナ(1991ねん)
ホンダが前年ぜんねんから開発かいはつしていたV12エンジンを導入どうにゅうし、そらりょくやシャシー開発かいはつおくれのテコ入てこいれとしてライバルのフェラーリから加入かにゅうしたアンリ・デュランによって一定いってい改善かいぜんはかられたマシンでシーズンをたたかった。その結果けっか、フェラーリの不振ふしんもありセナが当時とうじしん記録きろくとなる開幕かいまく4連勝れんしょう達成たっせい。しかし、ルノーV10エンジンを搭載とうさいし、そらりょく鬼才きさいしょうされたエイドリアン・ニューウェイがデザインしたFW14ようするウィリアムズは、その4連勝れんしょうあいだ、マシントラブルがつづいたものの、予選よせんでのフロントロー獲得かくとく決勝けっしょうでマクラーレンの脅威きょういになる存在そんざいかんせ、シーズン中盤ちゅうばんから戦闘せんとうりょくして猛追もうついげき開始かいし。こうした状況じょうきょういたって、マクラーレンはシーズン途中とちゅうアクティブサスペンションセミオートマチックトランスミッション開発かいはつ着手ちゃくしゅした。序盤じょばんせんひろげためられながらもウィリアムズ陣営じんえいのトラブルやミスにもたすけられるかたち結果けっかてきかたちとなり、だい15せん日本にっぽんGPでセナが2ねん連続れんぞくのドライバーズタイトルを獲得かくとく[14]。コンストラクターズタイトルも、最終さいしゅうせんオーストラリアGPまでもつれたものの4ねん連続れんぞく獲得かくとくした[15]
このとし、チームの無線むせんスクランブルがかかっていたはずであるが、ブラジルGPのチェッカーのセナのこえ地元じもとテレビ局てれびきょくによって傍受ぼうじゅされたことはチームサイドに衝撃しょうげきあたえ、翌年よくねんから使用しようする予定よていだったケンウッド無線むせんをこのとし日本にっぽんGPから前倒まえだおしして使用しようはじめることとなった。
後藤ごとうおさむホンダ退社たいしゃし、マクラーレンに移籍いせき同社どうしゃでロン・デニスにぐエグゼクティブ・エンジニアに就任しゅうにんする。
1992ねん
体制たいせいそのものは前年ぜんねんおな布陣ふじんで、序盤じょばんせん前年ぜんねん改良かいりょうがたMP4/6Bたたかったのち新型しんがたMP4/7A予定よていだったが、ウィリアムズがわ前年ぜんねんのFW14げんらいそらりょく性能せいのうとルノーV10エンジンのトータルバランスのさにくわえ、アクティブサスペンションなどのハイテク装備そうび搭載とうさいした改良かいりょうがたFW14Bまんもたして投入とうにゅう、その戦闘せんとうりょく完全かんぜん圧倒あっとうされる。だい3せんブラジルGPで、マクラーレンはつのハイテク搭載とうさいしゃとしてセミオートマチックトランスミッション、F1でははつとなる「ドライブ・バイ・ワイヤ」とばれるコンピューター制御せいぎょのアクセルシステムを導入どうにゅうしたMP4/7Aを予定よていより前倒まえだおしで投入とうにゅうするもまったたなかったばかりか、V8エンジンながらもひいでたそらりょくとハンドリング性能せいのうほこったベネトンいきおいからげられるレースもおおかった。すう年来ねんらいのエンジンパワーでそらりょく性能せいのう弱点じゃくてんおぎな手法しゅほう通用つうようしなくなったとしとなり、16戦中せんちゅう5しょう(セナ3しょう/ベルガー2しょう)をげるもりょうタイトルいずれものがした。このとしをもってホンダは10年間ねんかんわたっただい2F1活動かつどう終了しゅうりょう発表はっぴょう撤退てったい。またベルガーは古巣ふるすフェラーリへの移籍いせき発表はっぴょうした。ホンダの撤退てったいをデニスがらされてからやく10ヶ月かげつ猶予ゆうよがありながら、マクラーレンが翌年よくねん使つかうエンジンはまらぬままシーズンをえたことはF1パドック関係かんけいしゃおおくがおどろいたが、デニスはウィリアムズに勝利しょうりをもたらしたルノーV10エンジンの獲得かくとくだいいち希望きぼうとしており、ルノーとの契約けいやくリジェをチームごと買収ばいしゅうすることも画策かくさくしていた[16]。しかしルノーが基本きほん条件じょうけんとして要求ようきゅうしたエルフガソリンの使用しようを、長年ながねん大口おおぐちパートナーであるシェルつデニスはどうしてもむことが出来できず、ルノー獲得かくとく断念だんねんせざるをなかった[16]。デニスはジョーダンむことがまったハートV10の横取よこどりや、ランボルギーニV12の搭載とうさい模索もさくするが、1993ねん2がつになってもまだエンジン契約けいやく確定かくていできなかったことで、マシンの基本きほんパッケージをつくることが出来できおおきなマイナスとなった[16]
1993ねん
フォードHBエンジンを使用しようしたMP4/8力走りきそうするセナ(ドイツGP
エンジンは結局けっきょくカスタマー仕様しようフォード・コスワース・HBエンジン搭載とうさいすることとなった。ドライバーはCARTのチャンピオンであるマイケル・アンドレッティと、ロータスから移籍いせきしてきたミカ・ハッキネン加入かにゅう前年ぜんねん休養きゅうようしてまんもたしてウィリアムズから復帰ふっきしたプロストが圧倒的あっとうてき有利ゆうりとされるなか、セナは休養きゅうようするというはなしもあったが、結局けっきょく開幕かいまくまえ参戦さんせんすることがまった(ハッキネンはセナがもどった場合ばあい、テストドライバーとなる契約けいやくであった)。その、セナはだい8せんフランスGPまではレースごと参戦さんせん契約けいやくわしていた。フォードワークス仕様しようのエンジンを独占どくせん供給きょうきゅうされていたベネトンたいし、カスタマー仕様しようのHBエンジンでパフォーマンスもおとっていた[注釈ちゅうしゃく 7]。ロン・デニスの政治せいじりょくだい9せんからはベネトンとおなじワークス仕様しようのエンジン供給きょうきゅう契約けいやくむすんだ結果けっか、セナともだい9せん以降いこうぜんせん出場しゅつじょう契約けいやくむすんだ。
このとしMP4/8大幅おおはばそらりょくめん改良かいりょうほどこし、ハイテク装備そうびもウィリアムズほどではないがのチーム以上いじょう性能せいのうもの投入とうにゅう前年ぜんねんまでのホンダV12エンジンにくらべて軽量けいりょうなエンジンとなったことによってマシンの重量じゅうりょうバランスの改善かいぜんつながり、前年ぜんねんよりは戦闘せんとうりょく向上こうじょうした。だが、ルノーエンジンより50馬力ばりきから70馬力ばりきおとるとされるフォードエンジンのパワーそらりょく性能せいのうめんでも依然いぜんとしてウィリアムズとのおおきかった。結果けっかてきにセナ一人ひとり前年ぜんねんおな年間ねんかん5しょうげた。最終さいしゅうせんオーストラリアGPではこのとし唯一ゆいいつのポールポジションをセナが獲得かくとくし、ウィリアムズのぜんレースポールポジション獲得かくとく阻止そしした。コンストラクターズランキングもベネトンとのあらそいをせいしてウィリアムズにぐ2となった。
アンドレッティは開幕かいまくせんからリタイアがつづき、シーズン終盤しゅうばんだい13せんイタリアGPでの3表彰台ひょうしょうだい最後さいごにチームを離脱りだつしてアメリカ帰国きこく、これをけてテストドライバーをつとめていたハッキネンがのこりの3レースをはしことになった。ハッキネンは復帰ふっき初戦しょせんとなっただい14せんポルトガルGPでいきなりセナを予選よせん上回うわまわり、だい15せん日本にっぽんグランプリでも自身じしんはつの3表彰台ひょうしょうだいて、ウィリアムズへの移籍いせきまったセナ離脱りだつ翌年よくねん以降いこうのエースにのぼることとなった。
シーズンちゅうにはアメリカのビッグ3のひとつであるクライスラーしゃからの依頼いらいでクライスラーV12エンジン(ランボルギーニエンジンをこのテストよう改良かいりょうしたもの)をテストしたが、「あくまでも依頼いらいされたテスト走行そうこう」と位置いちづけであったことにくわえ、どう時期じきプジョーから多額たがく契約けいやくきんきの契約けいやくオファーがあったため、そちらを優先ゆうせんして契約けいやくむすんだ。
1994ねん
MP4/9をるハッキネン(イギリスGP 3入賞にゅうしょう
ハッキネンはエースとして残留ざんりゅうするが、セカンドドライバーがなかまらず[注釈ちゅうしゃく 8]結局けっきょく開幕かいまく直前ちょくぜんの2がつまつになってマーティン・ブランドルあらたにくわわった。MP4/8のデザインを踏襲とうしゅうしたMP4/9に、前年ぜんねんのフォード・コスワースからワークスのプジョーエンジンにえた。前半ぜんはんせんはエンジンの信頼しんらいせいひく頻発ひんぱつするエンジントラブルによってくるしめられ、だい5せんスペインGPではハッキネンがトップをはしっていたが、エンジンブローでリタイアした。だい7せんフランスGPでは、よりによってプジョーにとっては同国どうこくのライバルであるルノーの看板かんばんまえで2だいともエンジンブローをこし、イギリスGPではスタート直後ちょくごに、ブランドルがエンジンブローとなるなど散々さんざん結果けっかであった。これにごうやしたチームは複数ふくすうねん契約けいやくだったプジョーとの契約けいやくをわずか1ねん破棄はきすること決断けつだん翌年よくねんイルモア開発かいはつするメルセデスエンジンへと変更へんこうすることをシーズン終了しゅうりょうまえ発表はっぴょうし、2シーズン連続れんぞくのエンジンサプライヤーの交代こうたいとなった。後半こうはんせんからは信頼しんらいせいがり表彰台ひょうしょうだいにも8かいがったが、1980ねん以来いらい14ねんぶりの「勝利しょうり」にわる。

1995ねん - 1999ねん

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1995ねん
MP4/10Bをるハッキネン(イギリスGP
ハッキネンが残留ざんりゅうし、そのチームメイトにデビッド・クルサードむかえる予定よていだったが、所属しょぞくチームのウィリアムズが提訴ていそ裁判さいばん結果けっか残留ざんりゅう決定けってい。そのウィリアムズをわれたナイジェル・マンセル契約けいやくむすぶが、コックピットがせまいことを理由りゆうにマンセルは開幕かいまくから2せん参戦さんせんせず、チームはわりにマーク・ブランデルをレースごと契約けいやくせることとした。マンセルはだい3せんサンマリノGPだい4せんスペインGPはしったが、予選よせんミカ・ハッキネンよりおそく、決勝けっしょうでもそれぞれ10とリタイアにわったのを最後さいごにマンセルはチームを離脱りだつ事実じじつじょう引退いんたいとなった。元々もともとデニスとマンセルは「犬猿けんえんなか」であったが、セナのやプロスト引退いんたいでのF1人ひとり低下ていか危惧きぐしたメインスポンサーであるマールボロやFIA会長かいちょう当時とうじ)のバーニー・エクレストンらの意向いこうはたらくなどの政治せいじてき要因よういんでの加入かにゅうであったとされ、シーズン開幕かいまく以前いぜん段階だんかいおおくのF1関係かんけいしゃ早期そうき破局はきょくすると予想よそうしていた。
MP4/10はエアインテークじょうにセンターウィングを搭載とうさいし、当時とうじとしてはユニークなデザインをしたマシンであった。メルセデスエンジンとのマッチングやそらりょくよわく、戦闘せんとうりょく不足ふそくはウィリアムズ、ベネトン、フェラーリとくらべるとあきらかで、シーズンちゅうMP4/10BMP4/10Cとモディファイされた。またこのメルセデスへのエンジン変更へんこうにより、ガソリンもシェルからモービル変更へんこうした。
ハッキネンが虫垂炎ちゅうすいえんになり、だい15せんパシフィックGPではテストドライバーのヤン・マグヌッセン起用きようした。マグヌッセンにとっては、マクラーレンでのレース出場しゅつじょうはこの1せんのみであった。だい16せん日本にっぽんグランプリでは復帰ふっきしたハッキネンが2入賞にゅうしょうした。しかしハッキネンは、最終さいしゅうせんオーストラリアGP予選よせんちゅう、パンクが原因げんいんでコンクリートウォールに激突げきとつし、選手せんしゅ生命せいめい左右さゆうしかねない重傷じゅうしょうった。ハッキネンを治療ちりょう専念せんねんさせるため、アラン・プロストがアドバイザーけんテストドライバーとしてむかれられた。
1996ねん
1がつのテストを、ウィリアムズから移籍いせきしてきたデビッド・クルサードとアドバイザーであるプロストですすめていた。ミカ・ハッキネンも2がつもどってきて3かげつぶりにドライブし、いきなりフェラーリのミハエル・シューマッハしのぐタイムをたたし、はやさをしめした[17]。ハッキネンが開幕かいまくせんから参戦さんせんできる目処めどもつき、ハッキネンとクルサードのドライバーズラインナップになった。このコンビは2001ねんまでつづく。MP4/11前半ぜんはんせんでハンドリングになやまされたが、後半こうはんせんからサーキットによりショートホイールベース仕様しようMP4/11B投入とうにゅうした。信頼しんらいせい向上こうじょう完走かんそう入賞にゅうしょうすうえたものの、依然いぜんとしてはやさに課題かだいのこすシーズンとなった。
このシーズンをもって23年間ねんかんメインスポンサーだったマールボロが、フェラーリへスポンサードを1ほんするにともなってマクラーレンとの契約けいやく終了しゅうりょうしたしまれた「あかしろ」のカラーリングも見納みおさめとなった。この訣別けつべつにより、どうシーズンで契約けいやく終了しゅうりょうするハッキネンがマールボロの後押あとおしでフェラーリへ、ウィリアムズのデイモン・ヒル加入かにゅうするという移籍いせきばなしてきたが、結局けっきょくだい15せんポルトガルGPでマクラーレンはハッキネンの残留ざんりゅう発表はっぴょうした[18]
ウィリアムズのチーフデザイナーであったエイドリアン・ニューウェイが、ヒル解雇かいこ決定けってい抗議こうぎしたことやチーム方針ほうしんめぐって対立たいりつしたことから11月にウィリアムズから離脱りだつ、マクラーレンとの契約けいやく締結ていけつする。しかしウィリアムズは契約けいやくのこっていることをうったえて法廷ほうてい闘争とうそうんだ。その影響えいきょうでニューウェイはいつからマクラーレンに加入かにゅうできるかは流動的りゅうどうてきとなった。
1997ねん
インペリアル・タバコドイツけブランドであるウエストがタイトルスポンサーとなった。このとしMP4-12より、車体しゃたい形式けいしき番号ばんごう表記ひょうき区切くぎりが従来じゅうらいのスラッシュ「/」からハイフン「-」に変更へんこうされている。開幕かいまくせんオーストラリア・だい13せんイタリアGPでクルサードが、最終さいしゅうせんヨーロッパGPでハッキネンがF1はつ優勝ゆうしょうし、年間ねんかんけい3しょうをあげた。その一方いっぽうでハッキネンがトップをはしっていただい9せんイギリスGPだい14せんオーストリアGP、そして4ねんぶりにポールポジション(ハッキネンが獲得かくとく)にかえいているだい15せんルクセンブルクGPとメルセデスエンジンのトラブルによりリタイアをし、信頼しんらいせい課題かだいのこすシーズンとなった。
技術ぎじゅつじんでは契約けいやくじょう問題もんだいをクリアしたニューウェイがテクニカル・ディレクターとしてだい11せんハンガリーGPから加入かにゅう。その、マシン開発かいはつ拍車はくしゃがかかり、翌年よくねんへのあかるい材料ざいりょうとなった。
シーズン終了しゅうりょうグッドイヤーが「1998ねんをもってF1から撤退てったいする」と発表はっぴょうしたため、同年どうねんまであった同社どうしゃとのタイヤ供給きょうきゅう契約けいやく破棄はきし、1997ねん12月のテストからブリヂストンタイヤへ変更へんこうすることになった。
1998ねん
前年ぜんねんの12月から、こんシーズン仕様しようかくパーツをせたMP4-12Bは、ブリヂストンタイヤへの習熟しゅうじゅくねてやく8,000kmをはしりこみ、ブレーキ・ステアリング・システムなどを搭載とうさいしたMP4-13への開発かいはつつなげた。開幕かいまくせんオーストラリアGPでは1-2フィニッシュして「3以下いか周回しゅうかいおくれにする」圧倒的あっとうてき戦闘せんとうりょくせる。しかしだい2せんブラジルGPのレーススチュワードはフェラーリからの抗議こうぎみとめ、ブレーキ・ステアリング・システムを使用しよう禁止きんしとした(マクラーレンがわ開幕かいまくまえFIA技術ぎじゅつ部門ぶもんから事前じぜんレギュレーション違反いはんではないと承認しょうにんもらっていた)。
ブリヂストンタイヤを装着そうちゃくするマクラーレン・メルセデスをるハッキネンと、グッドイヤータイヤを装着そうちゃくするフェラーリをミハエル・シューマッハ対決たいけつ話題わだいび、最終さいしゅうせん日本にっぽんGPまで、もつれ展開てんかいとなった。最終さいしゅうてきにはハッキネンが8しょう、クルサードが1しょうをあげ、1991ねん以来いらいドライバーズタイトル&コンストラクターズタイトル獲得かくとくした。ブリヂストンにとってもはつポール・はつ優勝ゆうしょうはつダブルタイトルと初物はつものづくしのシーズンとなった。
1999ねん
MP4-14をるハッキネン(カナダGP
予選よせんではハッキネンがぜん16戦中せんちゅうポールポジションを11かい獲得かくとくし、決勝けっしょうではハッキネンが5しょう、クルサードが2しょうをあげたものの、MP4-14信頼しんらいせい不足ふそくなやまされ、ピット作業さぎょうやチーム戦略せんりゃくのミスがかさなり、苦戦くせんいられた。また、フェラーリがだい8せんイギリスGPまではミハエル・シューマッハ(このGPでのクラッシュでシューマッハは両足りょうあし骨折こっせつ重傷じゅうしょうい、タイトルあらそいから脱落だつらく)、だい9せんオーストリアGPからエディー・アーバインと、優先ゆうせんするドライバーを明確めいかく決定けっていしていたことにたいし、マクラーレンではチャンピオンになったハッキネンとクルサードをだい14せんヨーロッパGPまで、平等びょうどうあつか戦略せんりゃくっていた。結果けっかてきにオーストリアGPとだい12せんベルギーGP両者りょうしゃ接触せっしょくまねき、とくにオーストリアGPではこれがひびいてアーバインに優勝ゆうしょうをさらわれることとなった。だい15せんマレーシアGP決勝けっしょう、フェラーリが競技きょうぎ審査しんさ委員いいんかいからディフレクターの寸法すんぽう違反いはん一旦いったん失格しっかくになり、ハッキネンのワールドチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンがまったかにえたが、5にちのパリでひらかれたFIAの国際こくさい控訴こうそ裁判所さいばんしょでフェラーリの逆転ぎゃくてん無罪むざいとなる。そのため、タイトルあらそいは最終さいしゅうせん日本にっぽんGPまでもつれ、アーバインに4ポイントであったハッキネンが逆転ぎゃくてん優勝ゆうしょうし2ねん連続れんぞくのワールドチャンピオンにかがやいたものの、クルサードはスプーン・コーナーの手前てまえでスピンしてフロントウィングとサスペンションを破損はそんしてリタイア。コンストラクターズタイトルは確実かくじつにポイントをかせつづけたフェラーリにうばわれてしまった。

2000年代ねんだい

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2000ねん - 2004ねん

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2000ねん
MP4-15をるハッキネン(アメリカGP
MP4-15使用しようしたこのシーズン、3連覇れんぱねらうハッキネンは開幕かいまくせんオーストラリアGPだい2せんブラジルGPでメカニカルトラブルをこうむり、ポイント獲得かくとく出遅でおくれた。また、オーストラリアGPでのスタートのはやさについてフェラーリから抗議こうぎて、だい4せんイギリスGPから電子でんし制御せいぎょけいしんルールが施行しこうされ、メルセデスエンジンの燃費ねんぴ悪化あっかつながり、柔軟じゅうなんなピットストップ作戦さくせんれなくなった[19]。そして、フェラーリはマクラーレンとはちがい、明確めいかくにミハエル・シューマッハをNo.1体制たいせいにしてたたかい、F1-2000はやさと信頼しんらいせい着実ちゃくじつぼしげ、ポイントをかさねていた。クルサードはメカニカルトラブル1かい失格しっかく1かい以外いがい完走かんそうする安定あんていしたはしりをしたため、中盤ちゅうばんせんはハッキネンよりポイントすう上回うわまわり、一時期いちじきシューマッハのライバルとられていた。ハッキネンはだい8せんカナダGP終了しゅうりょう時点じてんで、ポイントリーダーのシューマッハに最大さいだい24ポイントをつけられていたが、シューマッハがだい9せんフランスGPをメカニカルトラブル、だい10せんオーストリアGPだい11せんドイツGP接触せっしょく事故じこによるけい3せん連続れんぞくリタイアをしているあいだに、クルサードとともにシューマッハとのちぢめていた。だい12せんハンガリーGP開始かいし時点じてんでは1シューマッハ56ポイント、2クルサードとハッキネンが54ポイントで同点どうてん、4ルーベンス・バリチェロ46ポイントと、鎬をけずっている状況じょうきょうであった。ハンガリーGPとだい13せんベルギーGPでハッキネンが連勝れんしょうし、だい14せんイタリアGPでシューマッハが勝利しょうりし、ハッキネンが2、クルサードとバリチェロは接触せっしょくでリタイアし、タイトルあらそいはハッキネンとシューマッハの二人ふたりしぼられていた。しかしだい15せんアメリカGPでシューマッハが勝利しょうりし、ハッキネンのほうは痛恨つうこんのエンジントラブルでリタイアとなり、シューマッハはハッキネンに8ポイントをつけてポイントリーダーにかえいた。のこり2せんでこのひびき、ドライバーズタイトルコンストラクターズタイトルをフェラーリにうばられた。
増大ぞうだいするテストワークの負荷ふか分散ぶんさんするためとレギュラードライバーが欠場けつじょうしたときの対策たいさくのため、サードドライバーとしてオリビエ・パニス加入かにゅうは、MP4-15開発かいはつ貢献こうけん効果こうかをもたらした。1997ねんよりブリヂストンを使用しようし、またレギュラードライバー時代じだい豊富ほうふ経験けいけんもあるパニスは、チームに膨大ぼうだい情報じょうほうをもたらした。パニスはよく2001ねんのレギュラーシートをB・A・R確保かくほするという、当時とうじとしてはめずらしいキャリアをきずくことに成功せいこうした。当時とうじ、レギュラードライバーからテストドライバーになったドライバーが、再度さいどレギュラードライバーになることはめずらしいことであった。マクラーレンのテストドライバーは、よく2002ねんアレクサンダー・ヴルツ、2003ねんにはペドロ・デ・ラ・ロサ担当たんとうし、強力きょうりょく布陣ふじんくことに成功せいこうした。
2001ねん
カナダGP MP4-16をミカ・ハッキネン
しんレギュレーション施行しこうにより、フロントウィングの搭載とうさい位置いちが5センチメートル上昇じょうしょう・ロールフープの強化きょうかたいサイドインパクト強化きょうかエンジンシリンダーブロックベリリウム合金ごうきん使用しよう禁止きんし[注釈ちゅうしゃく 9]など、さくシーズンのMP4-15MP4-13MP4-14発展はってんがたであったのにたいして、MP4-16完全かんぜんしん設計せっけいされたマシンであった。
開幕かいまくせんオーストラリアGPではハッキネンがサスペンショントラブルにより、3ねん連続れんぞく開幕かいまくせんリタイアはじまった。デニスは作戦さくせんじょうハッキネンがてたレースとかたっているが[20]のちにハッキネンはこの事故じこ引退いんたいについてはじめてかんがえたと吐露とろしている[21]。ここからハッキネンはだい10せんフランスGPまでに、2せんに1かい割合わりあいでメカニカルトラブルをこうむり、チャンピオンシップあらそいから脱落だつらくした。結果けっかてきにハッキネンはだい15せんイタリアGP休養きゅうよう宣言せんげんおこなった。
クルサードはモナコGPでポールポジションを獲得かくとくしたが、ラウンチコントロールのトラブルでさい後尾こうびからのスタートとなった。中盤ちゅうばんせんまではこれ以外いがいにメカニカルトラブルもなく2しょうしてポイントをかさねたが、はやさでミハエル・シューマッハにをつけられた。だい11せんイギリスGPジョーダンヤルノ・トゥルーリとの接触せっしょく事故じこでリタイアしたことにより、クルサードはタイトルあらそいから脱落だつらくした。最終さいしゅうせん日本にっぽんGPではハッキネンに順位じゅんいゆずられ3入賞にゅうしょうし、フェラーリのバリチェロとあらそっていたドライバーズランキング2れた。10表彰台ひょうしょうだい自身じしん最高さいこうのドライバーズランキング2となったものの、チャンピオンのミハエル・シューマッハには、ほぼダブルスコアの大差たいさをつけられた。
ぜんシーズンでエアロダイナミクス担当たんとうアンリ・デュランと、コンポジット担当たんとうスティーブ・ニコルズがチームをり、テクニカル・ディレクターのエイドリアン・ニューウェイが、友人ゆうじんでもあるジャガーのチーム代表だいひょうけんCEOボビー・レイホールさそわれ、ジャガーと契約けいやくした。デニスはニューウェイを説得せっとくし、ジャガーへの移籍いせき翻意ほんいさせることに成功せいこうしたが、そのあいだにマシン開発かいはつ停滞ていたいしたこともフェラーリに独走どくそうされた要因よういんひとつとなった[21]
2002ねん
フェラーリにたいするにあたっておなじタイヤでたたかってはアドバンテージがすくないとの判断はんだんから[よう出典しゅってん]、このとしからタイヤメーカーをブリヂストンからフランスミシュラン変更へんこうしたが、苦戦くせんいられた。またハッキネンの後任こうにんとして後輩こうはいキミ・ライコネン抜擢ばってきしたが、前年ぜんねんからのチームないみだれが[よう出典しゅってん]くるま本格ほんかくてき熟成じゅくせい作業さぎょうはヨーロッパラウンドにはいってからになった。このとしモナコGPでクルサードがげた1しょうにとどまり、タイトルあらそいにくわわることができなかった。前年ぜんねん休養きゅうよう宣言せんげんしていたハッキネンは、だい12せんドイツGP正式せいしき引退いんたい発表はっぴょうした。
2003ねん
このとしからミシュランタイヤ専用せんようともえる「MP4-18」を投入とうにゅうするはずであったが、テストでの不具合ふぐあい頻発ひんぱつによりマシン開発かいはつおくれがしょうじて開幕かいまくせんわない事態じたいとなったため、前年ぜんねんがた改良かいりょうばんMP4-17D」を投入とうにゅうし、MP4-18の開発かいはつ完了かんりょうするまでのあいだをそれで決断けつだんをした。最大さいだいのライバルのフェラーリが新車しんしゃ開発かいはつトラブルでだい5せんまでそれを投入とうにゅうできなかったことやウィリアムズが出遅でおくれたことも手伝てつだい、開幕かいまくせんをクルサード、だい2せんをライコネンが勝利しょうりする展開てんかいとなった。一方いっぽうでマシンのほうは、MP4-18はFIAの義務付ぎむづけるクラッシュテストも通過つうかすることが出来できない状況じょうきょうつづいたため、そちらに見切みきりをつけておぞうりとなり、MP4-17Dの改良かいりょうすすめることとなった。だが、クルサードがしん予選よせん方式ほうしきスーパーポール方式ほうしき)に対応たいおうできず、下位かいのグリッドにしずみ、げるも表彰台ひょうしょうだいとおく、コンストラクターズあらそいではあしることとなる。一方いっぽう、ライコネンがわずか1しょうながらしぶとくポイントをかせぎ、最終さいしゅうせんまでシューマッハをめ、ドライバーズランキングではわずか2ポイントのランキング2成績せいせきおさめた。また、シーズン途中とちゅうではあったがデ・ラ・ロサを臨時りんじでテストしたのちにフルタイムテストドライバー契約けいやくむすび、ヴルツとの2めいによるテストチーム体制たいせいととのえている。
2004ねん
2004ねんアメリカGP(キミ・ライコネン)
前年ぜんねんおな体制たいせいで、昨年さくねんデビューするはずだったまぼろしのMP4-18の設計せっけい思想しそう反映はんえいし、しんルールにあわせて設計せっけいしたMP4-19投入とうにゅうするが、MP4-18がっていた弱点じゃくてんはMP4-19では改善かいぜん出来できておらず(純粋じゅんすい新車しんしゃわなかったため基本きほんてきにMP4-19はMP4-18とおなしゃであったとのちにエイドリアン・ニューウェイがかたっている)、だい11せんのイギリスGPでようやく本来ほんらい新車しんしゃが「MP4-19B」としてデビューした。これはマクラーレンのチーム関係かんけいしゃも、チームが2ねん連続れんぞく新車しんしゃ開発かいはつ失敗しっぱいした結果けっかである、とのちみとめている。このイギリスGPでライコネンがシーズンはつ表彰台ひょうしょうだいのぼりその表彰台ひょうしょうだいのぼるが、優勝ゆうしょうはベルギーGPの1しょうにとどまり、コンストラクターズランキングは3から5へと後退こうたいした。クルサードはこのとしいち表彰台ひょうしょうだいのぼることなく9年間ねんかん在籍ざいせきしたチームをり、翌年よくねんからジャガー買収ばいしゅうのうえで参戦さんせん開始かいしするレッドブル移籍いせきした。

2005ねん - 2009ねん

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2005ねん
ライコネンのチームメイトにファン・パブロ・モントーヤむかえる。シーズン当初とうしょ信頼しんらいせい不足ふそくなどで出遅でおくれたが、ヨーロッパラウンド以降いこうは、ルノーフェルナンド・アロンソはげしいタイトルあらそいをひろげる。MP4-20ハンガリーGPから日本にっぽんGPまでの6連勝れんしょうふくむ、1989ねん以来いらいとなる2けた勝利しょうりの10しょうげる(ライコネン7しょう、モントーヤ3しょう)。しかし、ライコネンをおそった4のエンジントラブルをはじめ、信頼しんらいせいひくさはいかんともしかたく、結果けっかとしてはしくもチームもライコネンもランキング2わってしまった。
このとしは、前年ぜんねんコンストラクターズランキングを5えたため、金曜日きんようびのフリー走行そうこうでサードカーをはしらせる権利けんりて、デ・ラ・ロサとヴルツがグランプリにより交替こうたい担当たんとうした。レギュラードライバーのモントーヤがテニスちゅうかた負傷ふしょうするというアクシデントに見舞みまわれたわれたため、バーレーンGPサンマリノGPの2せんをそれぞれデ・ラ・ロサ、ヴルツが代役だいやくとして出場しゅつじょうし、バーレーンでデ・ラ・ロサは5入賞にゅうしょうげるとともにファステストラップを記録きろくし、サンマリノではレース繰上くりがみげではあるがヴルツが3入賞にゅうしょうした。
だい13せんハンガリーGP金曜日きんようび(7がつ29にち)をもって、1997ねん以来いらいのタイトルスポンサーであったウエストとの契約けいやく終了しゅうりょうした。これはヨーロッパにおけるタバコ広告こうこく規制きせい強化きょうかけてのものである。7月30にち以降いこうのカラーリングは、それまでタバコ広告こうこく禁止きんしこく開催かいさいされるGPでもちいた手法しゅほう同様どうように、従来じゅうらい「West」のロゴがあったサイドポンツーン、ノーズ、コクピットサイド、レーシングスーツ、ヘルメットにはドライバーの名前なまえをオリジナルデザインで表記ひょうきし、チームスタッフには「West」のロゴ表記ひょうきされたウエアとスーツが支給しきゅうされた。
テクニカルディレクターであったニューウェイもシーズン終了しゅうりょうにレッドブルへ移籍いせき
2006ねん
2005ねんDTMチャンピオン、ゲイリー・パフェットがテストドライバーにくわわることになり、それにともなって5年間ねんかんという長期ちょうきにわたってテストドライバーをつとめたヴルツがウィリアムズのテストドライバーとして移籍いせきした。
2005ねんのマシンMP4-20が圧倒的あっとうてきはやさをほこっていたこともあり、シーズン開幕かいまくまえはライコネン&マクラーレンはこのとしのチャンピオンの筆頭ひっとう候補こうほであった。しかし前年ぜんねんまでの3.0リッターV10から2.4リッターV8へのエンジンルール変更へんこうにメルセデスが対応たいおうしきれず、さらにこのとしのマシンMP4-21自体じたいもニューウェイがった影響えいきょうからか熟成じゅくせいすすまず、前年ぜんねんにタイトルをあらそったルノーとフェラーリの後塵こうじんはいすることとなった。ライコネンが3のポールポジションを獲得かくとくするなど時折ときおりはやさもせ、結果けっかとしてはコンストラクターズランキングこそ3確保かくほしたものの、1996ねん以来いらい10ねんぶりのシーズン勝利しょうりわってしまった。
モントーヤがF1に嫌気いやけがさしたため7がつ9にちよく2007ねんからはアメリカのNASCARシリーズへ移籍いせき(チームはチップ・ガナッシ・レーシング)することを発表はっぴょうアメリカGP最後さいごにF1からった。テストドライバーのペドロ・デ・ラ・ロサがフランスGPよりレギュラードライバーとして、シーズンののこりのレースに参戦さんせんした。
2007ねん
アロンソるMP4-22(だい2せんマレーシアGP
ライコネンがフェラーリへ移籍いせきわりにルノーから2005ねん、2006ねんのワールドチャンピオンのフェルナンド・アロンソ加入かにゅうし、チームメイトとして2006ねんGP2チャンピオンのルイス・ハミルトンがF1デビューをたすことになった。マクラーレンのドライバーが2めいとも同時どうじわるのははつのことである。またメインスポンサーがイギリスの携帯けいたい電話でんわ会社かいしゃボーダフォンになった。
開幕かいまくせんはライコネンにやぶれるが、アロンソ、ハミルトンどもMP4-22はやさを発揮はっきし2006ねん不振ふしんからの復活ふっかつをアピールした。つづだい2せんマレーシアGPでは見事みごとフェラーリをやぶり、2005ねんブラジルGP以来いらいの1-2フィニッシュを達成たっせいした。だい13せんイタリアGP終了しゅうりょうまでは、ドライバーズポイントで1と2、コンストラクターズポイントでも首位しゅいっており、とくにコンストラクターズについてはほぼ手中しゅちゅうおさめかけていた。
しかしシーズンがすすむにつれて、アロンソ、ハミルトンのチームメイトあいだ確執かくしつあらわれるようになり、ハンガリーGP予選よせん暫定ざんていポールポジションのアロンソがピットストップ時間じかんかせいだことで、ハミルトンが最後さいごのアタックが出来できなかったけんたいし、アロンソは5グリッド降格こうかく、チームにはハンガリーGPでのコンストラクターズポイントは加算かさんされないというペナルティをけた。
さら後述こうじゅつ産業さんぎょうスパイ事件じけん発覚はっかくによりコンストラクターズランキングから除外じょがいされたうえ、巨額きょがく罰金ばっきんせられた。のこされたドライバーズタイトルは、ハミルトンが首位しゅいのまま中国ちゅうごくGPむかえ、結果けっか次第しだいではハミルトンのチャンピオンが確定かくていするところだったがキャリアはつのリタイアをきっする。そして最終さいしゅうせんブラジルGPでランキング3にいたライコネンにりょうドライバーとも1てん逆転ぎゃくてんチャンピオン獲得かくとくゆるしてしまう。このレースではウィリアムズとBMWザウバー給油きゅうゆ装置そうちから、測定そくていした燃料ねんりょう温度おんどひくすぎる事実じじつにもかかわらず、りょうチームにペナルティをさないというスチュワードの裁定さいていたいしてマクラーレンはFIA国際こくさい控訴こうそ裁判所さいばんしょ控訴こうそした。[22]11月15にち測定そくていされた燃料ねんりょう温度おんどおよびだい気温きおんについてうたがいがあることから、りょうチームにペナルティをさないことを決定けっていしマクラーレンの控訴こうそ却下きゃっかした[23]入賞にゅうしょうしゃニコ・ロズベルグ(ウィリアムズ)、ニック・ハイドフェルド(BMWザウバー)、ロバート・クビサ(BMWザウバー)などが失格しっかくになるとライコネン(フェラーリ)でなくハミルトンがドライバーズチャンピオンになるとわかったうえでの控訴こうそだといわれていることから、このことにたいしてマクラーレンに在籍ざいせきしていたアラン・プロストやニキ・ラウダは、ロン・デニス代表だいひょうとマクラーレンを同年どうねんの“最大さいだいわるあがきおう”と批判ひはんした。しかし、マクラーレンCEOのマーティン・ウィットマーシュは「ドライバーズチャンピオンのためではなく、燃料ねんりょう規則きそく明確めいかくおよび規約きやく一貫いっかんせいのために我々われわれはこの控訴こうそ提出ていしゅつした[24]」とかたった。
2008ねん
2008ねんにチャンピオンを獲得かくとくしたルイス・ハミルトン同年どうねん開幕かいまくせんオーストラリアGPにて)
ドライバーは、ハミルトンが残留ざんりゅう、アロンソは2ねん契約けいやくの2ねんだったが契約けいやく解除かいじょとなり古巣ふるすのルノーへ復帰ふっきわりに前年ぜんねんルノーに所属しょぞくしていたヘイキ・コバライネン加入かにゅうした。テストドライバーは、つづきデ・ラ・ロサとパフェット。コバライネンは2008ねんシーズンちゅうに2009ねんもマクラーレンに残留ざんりゅうすることが発表はっぴょうされた。
新車しんしゃMP4-23)の発表はっぴょうかいは、はじめてドイツのシュトゥットガルトのメルセデス本社ほんしゃおこなわれた。
2008ねんシーズンは、ハミルトンとフェラーリのフェリペ・マッサとの熾烈しれつなチャンピオンあらそいがひろげられたが、最終さいしゅうせんブラジルGPでハミルトンが最終さいしゅうラップで劇的げきてきかたちのドライバーズタイトルを1ポイントにする(チームとしては1999ねん以来いらいのチャンピオン輩出はいしゅつ)。コンストラクターズランキングは2
11月に、フォース・インディアがマクラーレンとの技術ぎじゅつ提携ていけいむすんだことが発表はっぴょうされた(2009ねんシーズンより、エンジンるい供給きょうきゅうもフェラーリからメルセデスにスイッチすることが決定けっていしている)。
2009ねん
新車しんしゃMP4-24発表はっぴょうかいで、ロン・デニスがチーム代表だいひょうから退しりぞくことが発表はっぴょうされた。後任こうにんぜんCEOのウィットマーシュ[25]。しかし、デニスは今後こんごもチームにふかかかわっていくつもりであることを宣言せんげん、レースかいからの引退いんたい否定ひていした。
開幕かいまくせんオーストラリアGPでのセーフティカー先導せんどうちゅうにハミルトンがヤルノ・トゥルーリいたけんについて、「当時とうじ無線むせん記録きろくおよびメディアへの発言はつげん」と「スチュワードからの事情じじょう聴取ちょうしゅ」で、ぎゃくともえる説明せつめいおこなう。事情じじょう聴取ちょうしゅ時点じてんではぜん無線むせん記録きろく参照さんしょうできなかったため、一旦いったんはマクラーレン・ハミルトンがわ主張しゅちょうみとめられたが、のち無線むせん記録きろく証拠しょうことして検証けんしょうされスチュワードへの偽証ぎしょう・ミスリードが発覚はっかく。オーストラリアGPの結果けっかから抹消まっしょうされた。
このけんで、マクラーレンチームとしては事情じじょう聴取ちょうしゅ出席しゅっせきしたデイブ・ライアン翌週よくしゅう停職ていしょく処分しょぶん同時どうじ事情じじょう聴取ちょうしゅ出席しゅっせきしていたハミルトンは「スチュワードへの情報じょうほう提供ていきょうひかえるようにライアンからわれた」と説明せつめい、それ以上いじょう処分しょぶん・ペナルティはなかった。
その、4がつ29にちにパリでWMSCの臨時りんじ会議かいぎひらかれ、「ペナルティは3せんのグランプリ出場しゅつじょう停止ていしとする。ただし、今後こんご12かげつにおいて、このけんかんしてあらたな証拠しょうこ発見はっけんされた場合ばあい、もしくはチームによってさらなるインターナショナル・スポーティングコードの151cこう違反いはんおこなわれた場合ばあいのみに適応てきおうする。」との裁定さいていくだした[26]
4がつ16にちにマクラーレングループ全体ぜんたい再編さいへん発表はっぴょうされ、市販しはんしゃ部門ぶもんであるマクラーレン・オートモーティブがグループから離脱りだつし、さらにデニスが同社どうしゃ会長かいちょう就任しゅうにんしレース部門ぶもんから完全かんぜん引退いんたいすることがあきらかにされた[27]。レース部門ぶもんのCEOにはウィットマーシュがかえく。
開幕かいまくからしばらくはMP4-24競争きょうそうりょくがなく、表彰台ひょうしょうだいがれないレースがつづいたが、大幅おおはばなアップデートをおこなったドイツGPから競争きょうそうりょくもどし、ハンガリーGPシンガポールGPでハミルトンが優勝ゆうしょう最終さいしゅうてきにコンストラクターズランキングはフェラーリをおさえて3となった。
11月16にちダイムラーがプレスリリースを発表はっぴょうし、ブラウンGPの76.1%の株式かぶしき取得しゅとく、2010ねんよりメルセデスGPとして参戦さんせんすること発表はっぴょうした。それにともないメルセデスとマクラーレンのパートナーシップは解消かいしょうされるが、あらたに2015ねんまでのエンジン供給きょうきゅう契約けいやく発表はっぴょうされた。

2010年代ねんだい

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2010ねん - 2014ねん

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2010ねん
2010ねんカナダグランプリワンツーフィニッシュをかざり、ランデブー走行そうこうおこな
ドライバーはハミルトンが残留ざんりゅう、コバライネンにわって前年度ぜんねんどチャンピオンのジェンソン・バトン加入かにゅうした[28]
革新かくしんてきなシステムであるFダクト搭載とうさいしたMP4-25高速こうそくサーキットで戦闘せんとうりょく発揮はっきし、ライバルチームの注目ちゅうもくまととなった[29]。シーズン序盤じょばん予選よせん上位じょういにつけることに苦労くろうしていたが、むずかしいコンディションをみきったバトンが2しょうをあげる。そのレッドブル同士討どうしうちを尻目しりめトルコ、そしてカナダでハミルトンが2連勝れんしょうげポイントリーダーになり[30]中盤ちゅうばん以降いこうまでシーズンをリードした。しかし、シーズンもうひとつのトレンドであった、レッドブルRB6搭載とうさいするブロウンディフューザー開発かいはつくるしみ失速しっそく[31]最終さいしゅうてきにドライバーズランキングではハミルトンが4(3しょう)、バトンが5(2しょう)となり、コンストラクターズランキングは2となった。
2011ねん
2011ねんカナダグランプリだい逆転ぎゃくてん勝利しょうりおさめたバトン
ドライバーはつづきハミルトンとバトン。
開幕かいまくまえのテストでは走行そうこう距離きょりかせぐことができずレッドブルやフェラーリにたいして劣勢れっせいであるとの見方みかた存在そんざいした[32]。ハミルトンはだい3せん中国ちゅうごくGPでコースじょう首位しゅいのベッテルを逆転ぎゃくてんし、シーズンはつ優勝ゆうしょうかざった。バトンはだい7せんカナダGP[33]だい11せんハンガリーGP優勝ゆうしょう。ベッテルの戴冠たいかんレースとなっただい15せん日本にっぽんGPでバトンが3しょうをあげ、シーズン12かい表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくという成績せいせきでフェラーリのアロンソとレッドブルのマーク・ウェバーとのドライバーズランキング2あらそいをせいする結果けっかとなった。ハミルトンはけい3しょうふくめた表彰台ひょうしょうだい6かい記録きろくしたものの、そのドライビングを危険きけんとして非難ひなんする意見いけん[34]。コンストラクターズランキングはレッドブルにぐ2となった。
2012ねん
2012ねんドイツグランプリ.
ドライバーはつづきハミルトンとバトン。
開幕かいまくまえのテストから好調こうちょうつたえられていた[35]開幕かいまく直後ちょくごの2レースでは2せん連続れんぞくでフロントローを独占どくせん決勝けっしょう開幕かいまくせんオーストラリアGPにてバトンが優勝ゆうしょうし、ハミルトンも3となった[36]。ハミルトンもだい7せんカナダGPでシーズンはつ優勝ゆうしょうかざったが、だい4せんからだい10せんあいだ成績せいせき不振ふしんおちいった[37]。その大型おおがたアップデート投入とうにゅうしただい10せんドイツGPからふたたびペースをもどすと、夏休なつやすみをはさんでだい11せんハンガリーGPからだい13せんイタリアGPまでチームとして3連勝れんしょう達成たっせいした。だい19せんアメリカGPでハミルトンが、最終さいしゅうせんブラジルGPではバトンが勝利しょうりかざ最後さいごの2せん連勝れんしょうでシーズンをえた。
どうシーズンはチームとしてタイトル獲得かくとく視野しやはいっていたが、様々さまざま要因よういんかさなり、タイトル獲得かくとく可能かのうせいうしなうこととなった。マシン自体じたいはやさもデータによってはマクラーレン・MP4-27最速さいそくマシンという評価ひょうかもあり[38]実際じっさい予選よせん成績せいせき(ポールポジション8かい)や獲得かくとくした表彰台ひょうしょうだい回数かいすう(7しょうふくめたけい13かい)ではレッドブル(ポールポジション6かい表彰台ひょうしょうだい7しょうふくめたけい11かい)を上回うわまわっていた。だが、前半ぜんはんせんはピット作業さぎょうのミス[39]すくなくないポイントをうしない、中盤ちゅうばんせんはいると信頼しんらいせいトラブル[40]でもポイントをうしなった。りょうドライバーはこれでうしなったポイントの影響えいきょうもあるが、バトンのほうは今季こんきのピレリタイヤのあつかいにくるしみ、とく予選よせんではQ3進出しんしゅつ(10番手ばんて以内いない)にれないGPもあった。また、サマーブレイクまでの前半ぜんはんせんでノーポイントのレースがふくすうかいあったことがひびいて、サマーブレイクまえだい11せん段階だんかい事実じじつじょうタイトル候補こうほから脱落だつらく[41]。ハミルトンはタイヤの問題もんだいにはくるしまず、サマーブレイクもタイトル候補こうほつらねていたが、トップを快走かいそうしていただい14せんシンガポールGP[42]のリタイヤによって事実じじつじょうタイトルあらそいから脱落だつらくした。成績せいせきめんでは、だい14せんシンガポールGP以降いこうのフライアウェイせん以降いこう失速しっそくおおきくひびいて、最終さいしゅうてきにドライバーズランキングではハミルトンが4、バトンが5。コンストラクターズでは3となった。
2013ねん
セルジオ・ペレスがドライブするMP4-282013ねんマレーシアGP
ハミルトンがメルセデス移籍いせきし、わりにザウバーからセルジオ・ペレス加入かにゅう。またスポンサーめんでもボーダフォンが同年どうねんかぎりでのスポンサード終了しゅうりょう発表はっぴょうする一方いっぽう[43]メキシコひとであるペレスの支援しえん目的もくてきテルメックスなどメキシコけい企業きぎょうあらたにくわわるなど、チームラインナップにおおきく変化へんかられた。
また同年どうねん5がつには、2015ねんまで契約けいやくのこっていたメルセデスとのエンジン供給きょうきゅう契約けいやくを1ねん前倒まえだおしして2014ねんいちはい終了しゅうりょうし、2015ねんからはホンダエンジンの供給きょうきゅうけることを発表はっぴょうした。ホンダは2008ねん撤退てったい以来いらい7ねんぶりの復帰ふっきとなる。
このとしはバトンが最終さいしゅうせんブラジルGP記録きろくした4最高さいこうで、表彰台ひょうしょうだいがゼロとなる1980ねん以来いらい不振ふしんわった。コンストラクターズランキングではレッドブルが独走どくそうし、メルセデス、フェラーリ、ロータスが2あらそいをする一方いっぽうで、マクラーレンは大差たいさをつけられた5であった。ドライバーズランキングではバトンが9、ペレスが11。なお、完走かんそうあつかいをふくめ、りょうドライバーともぜんせん完走かんそうたした。
シーズン終盤しゅうばんの11月、ペレスがわずか1ねんでチームを離脱りだつ[44]後任こうにんとして育成いくせいドライバーのケビン・マグヌッセン起用きようすることが発表はっぴょうされた[45]。ウィットマーシュによると新人しんじんであるマグヌッセンの下積したづみとして下位かいチームのシートをさがしたものの、あるチームに契約けいやく破棄はきされ、ペレスを放出ほうしゅつしてマグヌッセンをチームに起用きようせざるをなかったとコメント[46]のちにマグヌッセンが2019ねん7がつのインタビューでロン・デニスが2014ねん復帰ふっきした関係かんけい当初とうしょ2014ねんにデビューする予定よていであったフォース・インディアとの契約けいやくがなくなってしまいマクラーレンからデビューすることになったという経緯けいいかしている(結果けっかてきにそのシートをペレスがにするかたちとなった[47])。
2014ねん
1がつ16にち、ロン・デニスがマクラーレン・グループのCEOに復帰ふっきし、F1チームをその権限けんげんくことを発表はっぴょう[48]。さらに2013ねんまでロータスのチーム代表だいひょうであったエリック・ブーリエがレーシングディレクターとしてチームに加入かにゅうすることが発表はっぴょうされた。正式せいしき加入かにゅうは2がつ3にち[49]当面とうめんチームは、チームCOOのジョナサン・ニールとブーリエが共同きょうどう代表だいひょうつとめる[50]一方いっぽうぜんチーム代表だいひょうのウィットマーシュについては、チームのWebサイトから名前なまえ事実じじつじょう更迭こうてつされたものの去就きょしゅう不明ふめいとなっていたが[51]同年どうねん8がつ正式せいしき離脱りだつ公表こうひょうされた[52]
ドライバーはバトンが残留ざんりゅう。パートナーはペレスにわりケビン・マグヌッセンが起用きようされた。またリザーブドライバーとしてストフェル・バンドーン起用きようされた[53]
このとし開幕かいまくせんオーストラリアGPこそマグヌッセンが2、バトンが32人ふたりのドライバーが2012ねんブラジルGP以来いらいとなる表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくするも、2せん以降いこうはバトンの4最高さいこう表彰台ひょうしょうだい圏内けんないはいることなくシーズンが終了しゅうりょうした。
7がつにはさい古参こさんのスポンサーであるヒューゴ・ボスがメルセデスの支援しえんえると発表はっぴょうされた。
シーズン終了しゅうりょう12月11にち、フェラーリからアロンソが8ねんぶりにマクラーレン復帰ふっき決定けっていした。なお、マグヌッセンはリザーブドライバーとして残留ざんりゅう

2015ねん - 2019ねん

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2015ねん
2015ねんマレーシアGPでのアロンソ(No.14)とバトン(No.22)
ドライバーはバトンが残留ざんりゅう。フェラーリからアロンソが2007ねん以来いらいのチーム復帰ふっき前年ぜんねん、レギュラードライバーだったマグヌッセンはリザーブドライバーとなった。また、パワーユニット(Power Unit, PU) は20年間ねんかん使用しようつづけたメルセデスから予定よていどおりホンダへと変更へんこうされた。ホンダのF1復帰ふっきは2008ねん以来いらい、マクラーレンがホンダエンジンを搭載とうさいするのは1992ねん以来いらいとなる。
だが、2014ねんアブダビGPのちおこなわれた2日間にちかん公式こうしきテストでは、試験しけん走行そうこうねて2014ねんがたのマシンを改造かいぞうしてホンダPUを搭載とうさいして参加さんかしたが、トラブルが頻発ひんぱつして2日間にちかんわせてすうしゅうしかはしれずわった[54]。また、シーズンまえとなる2がつおこなわれた開幕かいまくぜんテスト12日間にちかんのうち、ヘレス・サーキットでの4日間にちかんのテストでは、V6ターボエンジンとERSシステム調整ちょうせいとトラブルにくるしみ、テスト成績せいせきでは最下位さいかい記録きろく[55]カタロニア・サーキットでの8日間にちかんのテスト[注釈ちゅうしゃく 10]ではへレスでのテストとくらべれば走行そうこう距離きょりばすことに成功せいこうしたものの、テストでの成績せいせき下位かいしずむこととなった[56]。そのため、テストの段階だんかいすくなくともチームは序盤じょばんせん苦戦くせんするというコメント[57][58]のこしていたが、第三者だいさんしゃこんシーズンは苦戦くせんするだろうという見方みかた[59][60]大勢おおぜいめていた。
むかえた開幕かいまくせんでは信頼しんらいせい重視じゅうしでパワーをおさえて出走しゅっそうする事態じたいとなり[61]、その影響えいきょうもあり、開幕かいまくから3せん連続れんぞくの2だいとも予選よせんQ1ち。決勝けっしょうなにとか完走かんそうしているという状況じょうきょうであった。だが、そんななかでもモナコGPでバトンがホンダエンジンぜいとしてはつ入賞にゅうしょう[62]めると、イギリスでアロンソがはつ入賞にゅうしょう[63]たし、ハンガリーでは悲願ひがんのダブル入賞にゅうしょう[64]めた。
ただ、カナダGPではアロンソがチームからの(パワー不足ふそくのため)燃料ねんりょうをセーブせよという無線むせん指示しじに「こんなドライビングをいられるなんて、まるでアマチュアのようじゃないか。」と苛立いらだ[65]せ、日本にっぽんGPでもアロンソが無線むせんで「GP2エンジン!」とパワー不足ふそくのエンジンの不満ふまん無線むせんつうじてらしたという言動げんどう[66]から、すくなくともアロンソはフラストレーションがまっていることが度々どど示唆しさされていた。また、バトンも擁護ようごするコメント[67]をしていたものの、悲観ひかんてきなコメント[68]おおかった。最終さいしゅうてきにはコンストラクターズランキング9とチーム創立そうりつ以来いらいワーストの結果けっかとなってしまった。
このような結果けっかとなった理由りゆうとしては、車体しゃたい設計せっけいにおいてそらりょくてきメリットをるために車体しゃたい後部こうぶをタイトにしぼんだ「サイズゼロ」コンセプトを導入どうにゅうした影響えいきょう指摘してきされることがおお[69][70]すくなくとも、これにわせて小型こがた優先ゆうせんされた影響えいきょうでパワー不足ふそく原因げんいん[69]開発かいはつによる性能せいのう向上こうじょうさい構造こうぞう起因きいんする制限せいげんしょうじた[70]われている。また、この関係かんけい冷却れいきゃく不足ふそくといったエンジンがわのトラブルの頻発ひんぱつ一因いちいん[71]になったともわれる。
ほかにも、シャシー関連かんれんえば、マクラーレンが仕上しあげたシャシーも性能せいのう不足ふそく兆候ちょうこうがあり、バトンがスペインGPのインタビューでハンドリングのわる[72]くちにしていた。また、日本にっぽんGPでアロンソはエンジンを批判ひはんをしたが、この発言はつげんまえに「本当ほんとうずかしい」[66]とPUではなく、マシン全体ぜんたい不満ふまんはっしており、チームもハンガリーGPのコメントにて今季こんきのシャシーに課題かだいがあることを一応いちおうみとめていた[73]実際じっさい、シャシーのドラッグ(空気くうき抵抗ていこう)がおおきいがゆえにさい高速こうそくびないこと[74]鈴鹿すずかサーキットのように車体しゃたいがわ性能せいのうわれる場面ばめんでシャシーの完成かんせいくないことがかくれする[75]など、マクラーレンのメディア戦略せんりゃくふくめ、ホンダがわばかり批判ひはんされている状況じょうきょうであったが、シャシーの問題もんだい存在そんざいしていた。
また、エンジン関連かんれんでは、ICE(内燃ないねん機関きかん)の部分ぶぶん改良かいりょうなにとかすすんだが[76]、サイズゼロの影響えいきょうでERS関連かんれん開発かいはつ難航なんこう[77][78]、サマーブレイクの取材しゅざいにて開発かいはつ見通みとおしがうまかったことをみとめるコメント[79]のこしていた。ただし、このとしはトークンシステムにより条件じょうけんきで開発かいはつされた改良かいりょうがたエンジンの投入とうにゅう自体じたい可能かのうであった[80]。しかし、ヘレスでのテストの段階だんかいでこの問題もんだいてん判明はんめいしたからといっても、ホモロゲーションの規定きてい影響えいきょうとこの制度せいどじょう、シーズンちゅう一部いちぶ改良かいりょう程度ていどみとめられていたがエンジンのさい設計せっけい事実じじつじょう禁止きんしされており、2016ねんおこなわれたターボの大型おおがたなど[81][82]根本こんぽんてき改良かいりょうなどの対応たいおう事実じじつじょうできない仕組しくみとなっていたため、相対そうたいてき不利ふりになってしまっためん[83][84]もあった。
この失敗しっぱい前例ぜんれいとして2014ねんのフェラーリがあり、2014ねんシーズンにエンジンのコンパクトによるパワー不足ふそく発生はっせい[85]とパワー不足ふそくわせるほどのそらりょくてきアドバンテージ[86]はなかったとコメントし、げん2015ねんのフェラーリはすべての設計せっけい一新いっしん。PUのパワーと信頼しんらいせい重視じゅうしし、それにわせてシャシーを設計せっけいするという方針ほうしん転換てんかんしている。そのため、後年こうねん記事きじ[83][84]で、マクラーレンとホンダどもにマシン開発かいはつ認識にんしきあまさを指摘してきするこえもある。
同年どうねんかぎりでリサーブドライバーをつとめていたマグヌッセンがチームをりルノーへ移籍いせき[87]。このとしをもってポルシェ時代じだいからチームのスポンサーをつづけていたタグ・ホイヤーがレッドブルにスポンサーさき変更へんこうした。一方いっぽう翌年よくねんからモエ・エ・シャンドンがスポンサーとなり、「CHANDON」のロゴを掲示けいじすることになった。
2016ねん
2016ねんマレーシアGP予選よせんいどむアロンソ
ドライバーはアロンソとバトンが残留ざんりゅう
前年ぜんねん開幕かいまくまえカタロニア・サーキットでのテスト内容ないよう前年ぜんねんがたのマシンにくらべれば、信頼しんらいせい性能せいのう改善かいぜん[88][89]。ある程度ていど順調じゅんちょうにテストをおこないをえた[90]
開幕かいまくせんオーストラリアGPでアロンソがエステバン・グティエレスとの接触せっしょくだいクラッシュをきっ[91]つぎせんバーレーンGPまえ検査けんさでは回復かいふく不十分ふじゅうぶん判断はんだんされドクターストップがかかり[92]、リザーブドライバーのストフェル・バンドーン代走だいそうすることになった[93]どうGPがデビューせんとなったバンドーンが10入賞にゅうしょうたし[94]、チームにこんシーズンはつのポイントをもたらした。なお、アロンソはだい3せん中国ちゅうごくGP復帰ふっきたしている。だい4せんロシアGPでは2だいとも予選よせんQ2ちではあったが、アロンソが6、バトンが10となり今季こんきはつのダブル入賞にゅうしょうたした[95]だい5せんスペインGPではアロンソがマクラーレン・ホンダ復活ふっかつはつのQ3進出しんしゅつたした[96](決勝けっしょうはバトン9入賞にゅうしょうのみ)。だい9せんオーストリアGPでは、天候てんこうがめまぐるしくわるなかで、バトンが予選よせん5獲得かくとく前車ぜんしゃ2だいのペナルティにより3番手ばんてスタートとなった(決勝けっしょうは6入賞にゅうしょう[97]だい11せんハンガリーGPでは復活ふっかつはつとなるアロンソとバトンがそろってQ3進出しんしゅつたした(決勝けっしょうはアロンソの7入賞にゅうしょうのみ)[98]。また、イタリアGPではポイントこそ獲得かくとくできなかったものの、アロンソがファステストラップを記録きろく[99]した。また、イタリアGPの前後ぜんごにてバンドーンの起用きようともないバトンがリザーブドライバーへ降格こうかくするかたち契約けいやくとなったことを発表はっぴょう[100]。これにより、バトンは事実じじつじょう引退いんたいすることとなった。最終さいしゅうてき成績せいせきはコンストラクターズランキング6獲得かくとく。ドライバーズランキングはアロンソ10、バトン15となった。
勇退ゆうたいしたロン・デニス(2016ねん
一方いっぽう前年ぜんねんがたよりマシンの戦闘せんとうりょく向上こうじょうしたが、チーム運営うんえい混乱こんらんやマシンもふくめた開発かいはつ部門ぶもん課題かだいしょうじていた。運営うんえいめんでは2009ねんもってレース部門ぶもんからはなれ、2012ねんにはマクラーレングループからいちいた立場たちばにとなったロン・デニスだったが、2014ねんにグループのトップへ復帰ふっき。だが、復帰ふっき手腕しゅわん不安ふあんするこえ[101][102]もあり、最終さいしゅうてきには11月15にちおこなわれた株主かぶぬし総会そうかいによって、マクラーレン・テクノロジー・グループの会長かいちょうけんCEOを解任かいにん決定けってい[103]後任こうにんのCEOがまるまでの運営うんえい多数たすう株主かぶぬしから執行しっこう委員いいんかい暫定ざんていてきぐことが発表はっぴょうされた[103]同月どうげつ21にちザク・ブラウンがエグゼクティブディレクターのしょくくことに同意どういし、翌月よくげつ正式せいしき就任しゅうにんすると発表はっぴょうした[104]。なお翌年よくねんデニスは手持てもちのチームの株式かぶしきすべ売却ばいきゃくし、37ねんおよぶマクラーレンとの関係かんけい完全かんぜん解消かいしょうした[105]
マシン開発かいはつほうは、テストにおいて研究けんきゅう開発かいはつ優先ゆうせんした影響えいきょう製造せいぞう計画けいかくおくれがしょうじたという理由りゆうで、実戦じっせん使用しようする予定よていのパーツのテストができないままテストをえたこと[106]はじめ、セットアップの変更へんこうなどで好転こうてんしない状況じょうきょう[107][108]やマシンのダウンフォースの不安定ふあんてい症状しょうじょう[109][110][111]といったシャシーの課題かだいこんシーズンものこっていた。また、レース運営うんえい課題かだい[112][113]もあった。
10がつまつ翌年よくねんから燃料ねんりょうメーカーがモービルからBP/カストロールになるとうわさ[114]ほうじられていたが、シーズン終了しゅうりょうの12月にレッドブルがモービルと契約けいやくむすんだことを発表はっぴょう[115]。それにより、チームはこの時点じてんもっと大口おおぐちのスポンサーでもあった燃料ねんりょうメーカーの支援しえんうしなうこととなった。
2017ねん
アロンソが残留ざんりゅうし、バンドーンがレギュラーに昇格しょうかく引退いんたいしたバトンはアンバサダーというかたちでチームに残留ざんりゅうもとチャンピオンのミカ・ハッキネンがアンバサダーとしてチームに復帰ふっきした。ロン・デニスの離脱りだつともない、マシン名称めいしょうがMP4からMCLに変更へんこうされ「MCL32」となった。なお、燃料ねんりょうメーカーがモービルにわり、BP/カストロールとなる。
プレシーズンテストだが、PUの設計せっけい見直みなおしたことも影響えいきょうしマシントラブルが頻発ひんぱつ[116]。この状況じょうきょうにはマクラーレンがわ苛立いらだ[117]かくせなかった。開幕かいまくせんオーストラリアGPではアロンソがサスペンションのトラブルでリタイアするまで入賞にゅうしょう圏内けんないの10はしっていたが、アロンソは「通常つうじょうのコースならぼくたちはもっともおそいだろう」と酷評こくひょうしている[118]4がつ12にち、アロンソはインディ500への参戦さんせん表明ひょうめいし、日程にっていかさなるだい6せんモナコGPはバトンが代走だいそうつとめることになった[119]。その直後ちょくごだい3せんバーレーンGP以降いこうもホンダPUもふくめたマシントラブルになやまされつづけ、唯一ゆいいつスペインGPでアロンソが予選よせん7番手ばんて獲得かくとくする結果けっかのこすも決勝けっしょうでは接触せっしょくなどで順位じゅんいとしてしまい12フィニッシュ。スペインGPまでのあいだ、ノーポイントだったうえ、どうGPでザウバーが入賞にゅうしょうしたことでこの時点じてん唯一ゆいいつのノーポイントのチームとなってしまった。アロンソが欠場けつじょうしたモナコGPは予選よせんでバンドーンとバトンがそろってQ3に進出しんしゅつしたが、決勝けっしょう両者りょうしゃリタイアでわり、2015ねんのチームワーストを更新こうしんする開幕かいまく6せんノーポイントとなった。ここまで入賞にゅうしょうのチャンスはあったが、マシントラブルでのがしていたなかだい8せんアゼルバイジャンGPでアロンソが9はいり、ようやくシーズンはつポイントを獲得かくとくした。
PUを一新いっしんした MCL32
だが、シーズンがすすむにつれ、マクラーレンがわ擁護ようごするコメントより[120]批判ひはん現状げんじょう不満ふまんかかえていることをしめすコメントが目立めだつようになり[121]、アロンソからは度々どどきびしいコメントがされた[122]。また、こういったうごきがまえからマクラーレンもPU変更へんこう着手ちゃくしゅする[123]当初とうしょはホンダとザウバーがかり契約けいやくむすんだことを[124]、これにわせてマクラーレンもホンダとるとうわさされていたが、ザウバーはギアボックス供給きょうきゅう問題もんだいなどのマシン開発かいはつ影響えいきょうるリスクを許容きょようできなかったため[125]、ホンダとの契約けいやく破棄はき。そののPUの供給きょうきゅう打診だしんするも、メルセデスとフェラーリはこれを拒否きょひのこるはルノーのみだったが、すでにルノーは3チームに供給きょうきゅうしておりレギュレーションにより3チームをえて供給きょうきゅうすることが制限せいげんされているため、ルノーが4チームへの供給きょうきゅう難色なんしょくしめしたこともあって供給きょうきゅうけるにはのチームがルノーとの契約けいやく破棄はきする必要ひつようがあった。しかしトロ・ロッソがホンダPUを搭載とうさいするとのうわさながれると、そのトロ・ロッソが現在げんざい契約けいやくしているルノーPUをマクラーレンがれることができる可能かのうせいてきた。しかしルノーがわはトロ・ロッソとの契約けいやく終了しゅうりょうわりにカルロス・サインツJr.獲得かくとく要求ようきゅうしたこともあり[126]状況じょうきょう複雑ふくざつ。そしてだい14せんシンガポールグランプリのフリー走行そうこう1かいのちに、ホンダとの契約けいやくを2017ねんいっぱいで解消かいしょうすることが発表はっぴょうされ、同時どうじに2018ねんから3年間ねんかん、ルノーとのカスタマー契約けいやく締結ていけつしたことが発表はっぴょうされた(同時どうじにサインツのルノーへの「レンタル移籍いせき」、トロ・ロッソの2018ねんからのホンダとのワークス契約けいやく締結ていけつ発表はっぴょう)。パワーユニット変更へんこう発表はっぴょうしたシンガポールGPとつぎマレーシアGPでバンドーンが7入賞にゅうしょうたした。アロンソは終盤しゅうばん3せん連続れんぞく入賞にゅうしょうたし、かろうじてバンドーンのポイントを上回うわまわった。
かつていち時代じだいきずいた「マクラーレン・ホンダ」の再現さいげんはならず、3ねんまくじるという結果けっかわった。シーズン終了しゅうりょうのブーリエの当時とうじのコメントによれば、プレシーズンテスト終了しゅうりょう段階だんかいで2016ねんシーズンの結果けっかより後退こうたいすることがけられないと判断はんだん[127]契約けいやくりの方針ほうしん決意けついしたとかたっている。ただし、後年こうねんのホンダへのインタビューによれば[128]、もともとの契約けいやくは3ねん+2ねんオプションきの契約けいやくという内容ないようであったため、厳密げんみつにいえば、オプション契約けいやく権利けんり行使こうしせず所定しょてい契約けいやく期間きかん終了しゅうりょうしたという定義ていぎになるため、予定よていげて契約けいやく破棄はきされたわけではないとコメントしている。
このとし不振ふしん目立めだった理由りゆうについていくつかあるが、ホンダ関連かんれんでは、PUが不調ふちょうおちいった一因いちいんとしてオシレーション(共振きょうしん)があり、これについてマクラーレンはエンジンがわ問題もんだいとしていたが、ホンダがわはテスト不調ふちょうからでマクラーレンせいギアボックスに問題もんだいがあるというせついていた[129]。だが、そのけんについて検証けんしょうすることがなかったため、明確めいかく原因げんいん特定とくていされなかったものの、ギアボックスが原因げんいんのトラブルはシーズンちゅうにいくつか発生はっせいしていた[130][131]
マクラーレン関連かんれんでは、そもそも、2015ねんと2016ねんもシャシーに問題もんだいかかえており、この時期じきはまだ問題もんだいみとめていたのだが、このとしはアロンソの発言はつげん筆頭ひっとうにシャシーがわ問題もんだいないという強気つよき発言はつげん目立めだった[122]。だが、ギアボックスをふくめたマクラーレンがわ担当たんとうする箇所かしょ技術ぎじゅつてき問題もんだいすくなからず発生はっせいしており[注釈ちゅうしゃく 11][132][131]、マクラーレンがわ万全ばんぜんとはえず、その状況じょうきょうをめぐって第三者だいさんしゃから苦言くげんていされた。バーニー・エクレストンは「いろんなことがうまくいかなかったのはホンダのせいではない。マクラーレンのせいだ」と指摘してき。「毎日まいにち毎日まいにちかれらは協力きょうりょくしてはたらくのではなく、あらゆることでたたかいをしかけていた。おろかなことだ」とマクラーレンがわ態度たいど批判ひはん[133]。また、ホンダにたいしPUの設計せっけい条件じょうけんをつけたことでしょうじた問題もんだい軽視けいしし、ホンダの財政ざいせい支援しえんやマクラーレンの要求ようきゅうこたえたPUのメリットを軽視けいしする姿勢しせい批判ひはんした記事きじ[134]。マシンのセットアップが「どれだけはやくするか」ではなく「どれだけりやすくするか」ということ優先ゆうせんされたり、コーナリングセクターのためにストレートスピードを妥協だきょうするセッティングになっていたことおおやけにしないなど[135]、この時期じきのマクラーレンがわおおくの問題もんだいかかえていることを示唆しさする兆候ちょうこうはいくつかられたのだが、不振ふしん責任せきにんをアロンソの政治せいじてき発言はつげん[136][137]利用りようして、2015ねんからのマクラーレン・ホンダ時代じだい不振ふしんはホンダがわ原因げんいんおもわせる誘導ゆうどうをしたメディア戦略せんりゃくにより、その指摘してきおおかくされた。
そして、ブーリエがPU変更へんこうしただけで成績せいせき改善かいぜんするというコメント[138]のように一種いっしゅ楽観らっかんろん目立めだった。ただ、ホンダも見通みとおしのあまさがあったのも事実じじつ[139][84]であったため、がりなりにも根拠こんきょのある楽観らっかんろんがチームない蔓延まんえんするかたちとなった。だが、2020ねん2がつにロス・ブラウンがホンダPUと決別けつべつしなければチームはみずからの問題もんだいてん検証けんしょうしなかったという総括そうかつのコメント[140]をしたように、チームない問題もんだいわず、すべての問題もんだいをホンダにけたツケを2018ねん支払しはらうこととなった。
アロンソが参戦さんせんするインディ500は、アンドレッティ・オートスポーツ協力きょうりょくした「マクラーレン・ホンダ・アンドレッティ」のエントリーめいたたかうことになった。かたちおおきくことなるが、1979ねん以来いらい38ねんぶりにインディ500でマクラーレンの復活ふっかつすることになった。アロンソははつ参戦さんせん予選よせん5番手ばんてとなり、決勝けっしょうでも27しゅうでラップリーダーとなったが、ここでもエンジントラブルが発生はっせいしリタイアとなった。
2018ねん
不振ふしんわったルノーエンジン搭載とうさいしゃ MCL33
ドライバーはアロンソとバンドーンが残留ざんりゅう燃料ねんりょうメーカーはペトロブラスとスポンサー契約けいやく開幕かいまくまえのテストではシャシー関連かんれんのトラブルがおおく、前年ぜんねんではホンダPUのせいだとしたオシレーションの問題もんだいがルノーぜいなかでマクラーレンにだけ発生はっせいしたうえ[141]初歩しょほてきなトラブルもあり[142]、アロンソは記録きろくじょうはやさをせたものの、満足まんぞく周回しゅうかいをこなせなせずにテストをえた。そのため、この時点じてんでマクラーレンにたい疑念ぎねんいだくコメント[141]もあった。
テストでの不振ふしんからむかえた開幕かいまくせんオーストラリアGPであったが、アロンソが5、バンドーンが9とダブル入賞にゅうしょうだい5せんまで連続れんぞく入賞にゅうしょうたしホンダPU時代じだいにはかんがえられなかったこうはしをみせる。チームが本命ほんめいしょうする「Bスペック」を導入どうにゅうしただい5せんでアロンソがシーズンはつのQ3進出しんしゅつ達成たっせいした。そのため、前年ぜんねんでは成績せいせきおおきく向上こうじょうしたものの、優勝ゆうしょうあらそいにはとおく、おなじルノーPUをむレッドブルにはおおきなをつけられていた。チームも前年ぜんねん豪語ごうごから一転いってんして予防線よぼうせんるような発言はつげん[143][144]え、チームの公式こうしきTwitterにも世界中せかいじゅうのファンから不振ふしんたいする批判ひはんこえ続出ぞくしゅつ[145]。ドライバーからもアロンソは2015ねん日本にっぽんGPでPUを酷評こくひょうした無線むせん場面ばめんだけメディアにげられたが、そのまえのやりりでマシンの性能せいのうひくさをなげいていた[66]。2017ねんはマクラーレンりの発言はつげん目立めだっていたが、同年どうねんのアゼルバイジャンGP上位じょういあらそいの可能かのうせいがないことをなげかたちでチームへくぎをしたり[146]、マレーシアGPに2018ねんはレッドブルと比較ひかくされることになるというコメント[147]をするなど、べついちめんせていた。そのため、フランスGP予選よせん終了しゅうりょうにはアロンソがマシンのパフォーマンスに不満ふまんうったえた[148]。バンドーンもスペインGPのリタイアをきっかけにチームの擁護ようごはしなくなり[149]、モナコGPではレース戦略せんりゃくについて批判ひはんしたほか、マシントラブルがバンドーンに集中しゅうちゅうしたことでマシンを酷評こくひょうする発言はつげん目立めだっていた[150]
更迭こうてつされたエリック・ブーリエ(ひだり) みぎはザク・ブラウン
シーズンちゅうもと代表だいひょうのウィットマーシュはチームない不協和音ふきょうわおんしょうじているとする一部いちぶ報道ほうどうみとめたうえで、「マクラーレンはかたおおきくえる必要ひつようがある。主要しゅようメンバーあいだ政治せいじてきなしがらみがおおぎる。わたしは、かれらのおおくはチームをるべきだとおもっている」とコメント[151]前年ぜんねんまで在籍ざいせきしていたバトンも「非常ひじょういシーズンをおくっている」と前置まえおきしたうえで「“F1でベストのシャシー”と豪語ごうごしたことで、期待きたいはずれの印象いんしょうあたえている」と指摘してきしている[152]
7がつ4にち、レーシングディレクターのブーリエが更迭こうてつされ、ジル・ド・フェランがスポーティングディレクターとしてチームを統括とうかつすることが発表はっぴょうされた[153]。8月14にち、アロンソは「2019ねんシーズンはF1に参戦さんせんしない」ことを表明ひょうめいし、今季こんきかぎりのマクラーレン離脱りだつ確定かくてい。F1に復帰ふっきする意志いしはないと表明ひょうめい[154]しながらも、後日ごじつ「F1引退いんたい」という表現ひょうげんもちいずに将来しょうらいのF1復帰ふっき可能かのうせいふくみをたせる言動げんどう[155]つづいており、シーズンちゅう2019ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけん参戦さんせんしないことを明言めいげんしただけにとどまり、チームもアンバサダーけんリザーブドライバーとして残留ざんりゅうすることとなった。
8がつ16にち、アロンソの後任こうにんカルロス・サインツ起用きよう発表はっぴょう。9月3にちにはストフェル・バンドーン当季とうきかぎりでの放出ほうしゅつと、その後任こうにんとしてランド・ノリス起用きよう[156]相次あいついで発表はっぴょうされた。
チームがサマーブレイクを目安めやすよくシーズンのマシン開発かいはつじくあしうつしたことで後半こうはんせん失速しっそくしたこともふくめ、ランキング6はホンダPUを搭載とうさいした過去かこ3シーズンの最高さいこう成績せいせきとなる2016ねん完全かんぜん上回うわまわることはできなかったが、前年ぜんねんくらべればおおきく向上こうじょうし、PUの交換こうかんさきとなったランキング9のトロ・ロッソとの対決たいけつという意味いみでは勝利しょうりしている。
2019ねん
昨年さくねんから向上こうじょうした MCL34
ドライバーは発表はっぴょうされていたとおり、カルロス・サインツランド・ノリスのコンビとなる。アロンソはチームアンバサダーとして残留ざんりゅうし、2年間ねんかんのテストドライバー契約けいやくむすんだ[157]開幕かいまく3月25にちジェームス・キートロ・ロッソから移籍いせきし、テクニカルディレクターに就任しゅうにんした[158]。2017ねんまでポルシェで世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん(WEC)のLMP1プログラムをひきいていたアンドレアス・ザイドル5月1にちにマネージングディレクターに就任しゅうにんした[159]
スポンサーはコカ・コーラ前年ぜんねん終盤しゅうばんから継続けいぞくしているほか、バージボード上部じょうぶとフロントつばさはしばんブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)が宣伝せんでんプログラム「A Better Tomorrow」のロゴを掲載けいさい。タバコ広告こうこくきびしいオーストラリアはセブン-イレブン掲載けいさい・これは置換おきかえにかぎらない大口おおぐちスポンサーだったが、のレースでもスポットスポンサーに場所ばしょわた場合ばあいおおい。
若手わかてドライバーのコンビや前年ぜんねんのマシンの完成かんせいからあまり注目ちゅうもくされておらず、サインツからはきびしい1ねんとなるというコメントをしていたが[160]、テストでは好調こうちょう結果けっかのこした[161]開幕かいまくせんではノリスがキャリアおよ今季こんきチームはつ予選よせんQ3進出しんしゅつ達成たっせい決勝けっしょうこそサインツのマシントラブルによるリタイアもふく[162]、ノーポイントにわるが、だい2せんではチームとしては久々ひさびさとなる2だいそろっての予選よせんQ3進出しんしゅつ達成たっせい[163]どう決勝けっしょうではノリスが6となり、今季こんきのチームおよ自身じしんのキャリアはつ入賞にゅうしょうかざった。また、だい4せんでは2018ねんアゼルバイジャングランプリ以来いらいのダブル入賞にゅうしょう達成たっせい。また、サマーブレイクまえだい12せん結果けっかにより、前年ぜんねんのポイントおよ入賞にゅうしょうすう上回うわまわった。さらだい16せんでのダブル入賞にゅうしょうにより、コンストラクターズのポイントが2014ねん以来いらいの100ポイントえも記録きろくした。
とくだい20せんでは、サインツがPUトラブルで予選よせん出走しゅっそうできずさい後尾こうびスタートとなり、決勝けっしょうは1ストップ戦略せんりゃく猛追もうついし4まで挽回ばんかい。そんななか、3ルイス・ハミルトン接触せっしょくせめわれたタイムペナルティにより降格こうかく。その結果けっか表彰ひょうしょうしきにはわなかったものの(この背景はいけいはサインツがDRSの使用しよう禁止きんしされた区間くかんでそれを起動きどうさせた規則きそく違反いはん審議しんぎおこなわれたため、一旦いったんチェッカーフラッグをけた順番じゅんばん式典しきてんおこなわれたからである[164])、サインツが3がり、自身じしんはつ表彰台ひょうしょうだいとチームとしては2014ねん開幕かいまくせん以来いらい表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくとなった[165]
結果けっかだければ、2012ねんのコンストラクターズ3最後さいごにコンストラクターズ5以下いかまでしずみつづけていたなかでの、今季こんきのコンストラクターズ4げというかたちでの1かいだけであるが表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくしたシーズンとなった。チームとしてみれば、今季こんきのマシン開発かいはつにサマーブレイクからじくあしうつしたことがこうそうしたこともあるが、ザイドルいわく、マシンが向上こうじょうした要因よういんは「さくシーズン途中とちゅうくわわったパット・フライアンドレア・ステラによる設計せっけいプロセスの改善かいぜんおおきい」とコメントしたように[166]、2019ねんけマシン開発かいはつ体制たいせい見直みなお[167]および開発かいはつ方向ほうこうせい明確めいかく[168]など、マシンの開発かいはつ能力のうりょく改善かいぜんした結果けっかとしている。ほかにも、ロン・デニス退陣たいじん以降いこう、チームのリーダーシップが欠如けつじょしており、ザイドルからても、物事ものごと政治せいじてきになっており、マネジメント体制たいせい問題もんだいがあったとコメント[169]。ブラウンも2018ねん12月にも類似るいじのコメントしていたが[170]あらためてチームのマネジメント体制たいせい問題もんだいがあったとコメントしており[169]両者りょうしゃそのてん解決かいけつできたこともおおきいとしている。ただし、今季こんきはタイヤ規格きかく変更へんこう[171]などの今年ことしおこなわれたレギュレーションの変更へんこう[172]苦戦くせんしているチームがおおかったため、これをうまくえた結果けっかでもあった。
シーズン終盤しゅうばん大口おおぐちのスポンサー・ペトロブラスとの契約けいやく解消かいしょう[173]。2021ねんよりふたたびメルセデスせいPUの供給きょうきゅうけること決定けっていした[174]
チームのアンバサダーとしてのこっていたアロンソだが、同年どうねん4がつバーレーンGPのちおこなわれた合同ごうどうテストでMCL34のハンドルをにぎ[175]など、WECのトヨタチームとの活動かつどう並行へいこうしつつ、チーム活動かつどう参加さんかした。そして、アロンソのインディ500さい挑戦ちょうせんけてカーリン・モータースポーツ技術ぎじゅつ提携ていけいむすぶものの、マクラーレン独自どくじ体制たいせい参戦さんせん[176]。しかし、プラクティスでのクラッシュなどでマシンが仕上しあがらず予選よせんちをきっした[177][178]最終さいしゅうてきには2020ねん1がつをもってアロンソとの契約けいやく更新こうしんせず、予定よていどお契約けいやく終了しゅうりょう[179]した。

2020年代ねんだい

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2020ねん -

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2020ねん
ドライバーおよび体制たいせいめんでは変更へんこうはなし。しいていえば、前年ぜんねんにシーズンと並行へいこうしておこなわれたしん体制たいせいへの移行いこう完了かんりょうし、この体制たいせいむかえるはつのシーズンとなる。
前年ぜんねん進化しんかがた[180]という位置いちづけであるが、こまかな改良かいりょう[181][182]くわえており、プレシーズンテストでは好調こうちょうなコメント[183][184]のこしてテストをえた。
開幕かいまくせんとなる予定よていだったオーストラリアGPではチームスタッフが2019新型しんがたコロナウイルス(COVID-19)に感染かんせんしたことによりレースから撤退てったいした[185]。これをけ、どうGPは中止ちゅうしとなった[186]。そのコロナウイルスの世界せかいてき流行りゅうこう影響えいきょう深刻しんこくし、F1は休止きゅうし状態じょうたいとなった。そして、4カ月かげつおくれの開幕かいまくせんとなったオーストリアGPでは、決勝けっしょうはサバイバルレースとなり、2だいとも常時じょうじ入賞にゅうしょう圏内けんないをキープ。そんななか、終盤しゅうばん4走行そうこうしていたノリスだったが、2のハミルトンがレースちゅう接触せっしょくせめわれ、5びょうのタイムペナルティ加算かさん確定かくてい。それをけ、ノリスはペースアップし、最終さいしゅうラップでファステストラップを記録きろくした結果けっか、その5びょう圏内けんないはいることに成功せいこうし、げというかたちではあるが3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく[187]。チームとしては、ノリスのキャリアはつ表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくふくめたダブル入賞にゅうしょうでスタートをることとなった[188]。また、だい8せんイタリアGPではサインツが3番手ばんて獲得かくとく[189]決勝けっしょうではメルセデスぜい結果けっかてき失速しっそく。そして、赤旗あかはた中断ちゅうだんからのさいスタートは2走行そうこうし、自身じしんのキャリアはつ優勝ゆうしょうおよびチームとしても2012ねんブラジルGP以来いらい優勝ゆうしょう射程しゃていにとらえたが、首位しゅいピエール・ガスリーとのマッチレースにやぶれ2わった[190]。それでも、シーズンにふくすうかい表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくしたのは2012ねん以来いらい成績せいせきとなる。
シーズン全体ぜんたい成績せいせきだが、チームがわはパフォーマンスを安定あんていさせることに苦労くろうしているというコメントをしていたものの[191][192][193]、チームとして入賞にゅうしょうのがしたのはだい10せんロシアGPのみで、それ以外いがいのGPではすべてポイントを獲得かくとく[194]。また、ピット作業さぎょうミスによるタイムロス[195][196]、PUトラブル[197]接触せっしょく事故じこなどの不運ふうん[198][199]うしなったポイントもあるが、最終さいしゅうてき成績せいせきは2012ねん以来いらいとなるコンストラクターズ3獲得かくとくとなっている[194]
7がつ28にちにマクラーレンはガルフ・オイルとあらたなパートナーシップ契約けいやくむすんだことを発表はっぴょう[200]。それ以降いこうおこなわれたGPではマシンおよびウェアにてガルフのロゴを掲載けいさいして出走しゅっそうした。
2021ねん
ダニエル・リカルドがルノー(同年どうねんからはアルピーヌ)から加入かにゅう[201]。パワーユニットは2014ねんまで供給きょうきゅうけていたメルセデスに変更へんこうされた。
シーズンの成績せいせきだが、ノリスはだい2せんエミリア・ロマーニャGPで3となり、今季こんきはつ表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく[202]ほかにも前半ぜんはんせんたるだい5せんモナコGPだい9せんオーストリアGPでも3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく[203][204]。さらにだい9せん予選よせんフロントローの2番手ばんて獲得かくとく[205]だい15せんロシアGPではウェットとドライが混在こんざいするむずかしいコンディションのなか、予選よせんQ3終盤しゅうばん接戦せっせんすえ、キャリアはつのポールポジション(PP)を獲得かくとくした[206]。リカルドのほうはシーズン前半ぜんはんとなるだい11せんハンガリーGPまでのあいだはノリスとくらべれば苦戦くせんしている印象いんしょう目立めだったが[207][208]後半こうはんせんとなるだい12せんベルギーGPでの予選よせん4番手ばんて獲得かくとく[209]だい14せんイタリアGPでは予選よせん最終さいしゅうてきにフロントローの2番手ばんてスタートとなり、決勝けっしょうはスタートダッシュをめて首位しゅい浮上ふじょう。レースちゅうはセーフティカー導入どうにゅうや2以下いかさぶりにもどうじず、冷静れいせい後続こうぞくとのギャップをコントロールし、リカルドとしては今季こんきはつ表彰台ひょうしょうだい2018ねんモナコグランプリ以来いらい3ねんはんりとなる優勝ゆうしょうという結果けっかのこした[210]今季こんきのリカルドの優勝ゆうしょうとノリスのPP獲得かくとくという記録きろくは、チームとしても2012ねんブラジルグランプリ以来いらいとなる9ねんぶりの記録きろくとなったうえ、だい14せんをノリスが2はいったことにより、2010ねんカナダグランプリ以来いらいとなるチームのワンツーフィニッシュも記録きろくする結果けっかとなった。しかし、だい15せん以降いこうはサマーブレイクまえいきおいがなくなり、とくだい18せんからの3連戦れんせんでは4ポイントの獲得かくとくわるという結果けっかとなるなどきゅう失速しっそく[211]。このとしのコンストラクターズ3あらそいのライバルとなったフェラーリに後半こうはんせん逆転ぎゃくてんされるかたちとなり、コンストラクターズ4でシーズンをえた。
マシンのカラーリングは、パパイヤオレンジとブルーのわせは配色はいしょくふく変更へんこうされていないが、モナコGPでは戦略せんりゃくてきパートナーシップを締結ていけつしているガルフのロゴの配色はいしょく意識いしきしたカラーリングに[212]、アブダビGPではBATの電子でんしたばこ『Vuse』とのコラボレーションによるスペシャルカラーリングに変更へんこうして出走しゅっそうした[213]
2022ねん
ドライバーおよび体制たいせいめん変更へんこうなし。そのうち、ノリスにかんしては前年ぜんねんのモナコGPまえとなる5がつ19にち、チームからノリスと2022ねん以降いこう複数ふくすうねん契約けいやく締結ていけつしたことが発表はっぴょうされていたが[214]、シーズン開幕かいまくまえの2がつ9にち、ノリスとあらたに4年間ねんかん契約けいやく(2025ねんまつまでの契約けいやく)を締結ていけつしたことが発表はっぴょうされた[215]。スポンサーにはあらたにGoogleくわわり、同年どうねんより採用さいようされるBBSせいホイールのカバーがGoogle Chromeのアイコンと同様どうようのデザインとなった[216]
2023ねん
ドライバーはノリスが残留ざんりゅうする一方いっぽうでリカルドが放出ほうしゅつされ、後任こうにんにはアルピーヌ・アカデミー出身しゅっしんオスカー・ピアストリ起用きよう同年どうねんのマシン・MCL60は開幕かいまく時点じてんではグリッド後方こうほうしずみ、低迷ていめいからせない状態じょうたいであったことから、チームは3がつにデザインチームの大幅おおはば体制たいせい変更へんこう発表はっぴょう。テクニカルディレクターのジェームス・キー更迭こうてつ解雇かいこされ、今後こんごそらりょく担当たんとうピーター・プロドロモウ、デザイン担当たんとうニール・ホールデイくわえ、カーコンセプトおよびパフォーマンス担当たんとうとしてもとフェラーリのデイビッド・サンチェス実際じっさいのチーム加入かにゅうは2024ねんになる)を招聘しょうへいさんとう体制たいせい開発かいはつおこなうこととなった[217]。また4がつにはドライバー育成いくせいプログラムについても体制たいせい変更へんこうし、80年代ねんだいにマクラーレンでテストドライバー経験けいけんのあるエマニュエル・ピロ責任せきにんしゃ就任しゅうにんした[218]
MCL60についてもきゅうピッチでアップデートの開発かいはつすすめられ、だい10せんイギリスではそのアップデートパッケージが大当おおあたりし、ノリスが2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく。ピアストリも4はいり、久々ひさびさこうはしせた。
2024ねん
ドライバーはピアストリとノリスのコンビを継続けいぞく。リザーブドライバーはトヨタ・ガズー・レーシングからFIA 世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん参戦さんせんしている平川ひらかわあきら[219]とアロー・マクラーレンからインディカー・シリーズに参戦さんせんしているパトリシオ・オワード[220]起用きようされた。
4がつにはチーム体制たいせいのさらなる再編さいへん発表はっぴょう。1月にチームに加入かにゅうしたばかりのデイビッド・サンチェスがはやくもチームを離脱りだつした。原因げんいんは「当初とうしょ予定よていされていた業務ぎょうむ実際じっさい職務しょくむのミスマッチ」とされている[221]。また、ドライバー育成いくせい責任せきにんしゃのピロもチームをはなれた。

マクラーレンの産業さんぎょうスパイ疑惑ぎわく

[編集へんしゅう]

2007ねん7がつ、フェラーリのもとチーフメカニックであるナイジェル・ステップニーがチームから技術ぎじゅつかんする秘密ひみつ情報じょうほうし、マクラーレンのマシンデザイン部門ぶもん統括とうかつするマイク・コフラン提供ていきょうしたとされる疑惑ぎわくである。

フェラーリはイタリアとイギリスに告発こくはつし、両国りょうこく当局とうきょく捜査そうさすすめていた。そのなか家宅かたく捜索そうさくはいったマクラーレン関係かんけいしゃ自宅じたくから、780ページぶんおよぶフェラーリの機密きみつ情報じょうほう記録きろくされたディスク発見はっけんされたことなどで徐々じょじょ表面ひょうめん、FIAも独自どくじ調査ちょうさ開始かいしした。

  • 7がつ12にち - FIAはフェラーリの機密きみつ情報じょうほう何者なにものかにされ、マクラーレンがわ極秘ごくひ提供ていきょうされたとする事実じじつ告発こくはつした。マクラーレンがわ疑惑ぎわく関与かんよ否定ひていした。
  • 7がつ26にち - 世界せかいモータースポーツ評議ひょうぎかい (WMSC) に公聴こうちょうかいひらかれたのち評議ひょうぎおこなわれ、国際こくさい競技きょうぎコードのだい151cじょう違反いはんしているが機密きみつ情報じょうほう使用しようされた証拠しょうこがないため、証拠しょうこ不十分ふじゅうぶんとしてマクラーレンにたいするペナルティはされないことがまった[222]
  • 9月5にち - FIAは166ページにおよ疑惑ぎわくかんするあらたな証拠しょうこ提出ていしゅつ、WMSCが関係かんけいしゃ招集しょうしゅう公聴こうちょうかい開催かいさい決定けっていする。
  • 9月13にち - WMSCが公聴こうちょうかいひらき、そのさい審理しんりおこなわれた結果けっか以下いか処分しょぶんがFIAから発表はっぴょうされた[223]
    • 2007ねんのコンストラクターズポイント剥奪はくだつこんシーズンののこりのレースもポイントを獲得かくとくできない。
    • ポイント剥奪はくだつによってうしなわれる収支しゅうしふくめ、1おくドル(やく114おくえん相当そうとう罰金ばっきんす。
    • チームのドライバーにたいしては証拠しょうこ提出ていしゅつ見返みかえりとしてペナルティをさない(フェルナンド・アロンソルイス・ハミルトン二人ふたりのドライバーズポイントはそのまま保持ほじのこりのレースで獲得かくとくしたポイントも通常つうじょうどお加算かさんされる)。
    • WMSCは、2008ねんのマクラーレンの車体しゃたいかんする技術ぎじゅつレポートをり、2007ねん12月の会議かいぎなかでチームの2008ねんシーズンにかんする制裁せいさい措置そちおこなうかを決定けっていする(マクラーレンはシーズンの車体しゃたいにフェラーリが使用しようしている技術ぎじゅつ一切いっさい使用しようしていないことを証明しょうめいしなければならない)。最悪さいあく場合ばあい、1シーズン出場しゅつじょう停止ていしになる可能かのうせいもある。
  • 10月24にち - マクラーレンがるはずだった賞金しょうきんやテレビ分配ぶんぱいきんが1おくドルからかれ、罰金ばっきんがくが「5000まんドル(やく75おくえん以上いじょう」に減額げんがくされた[224]
  • 12月7にち - WMSCは、FIA技術ぎじゅつ部門ぶもんにマクラーレンの2008ねんマシンにフェラーリの機密きみつ情報じょうほうまれていないかどうかを調査ちょうささせ、詳細しょうさい報告ほうこくしょ提出ていしゅつさせた。これにより、マクラーレンのしんマシンの合法ごうほうせいかんする裁定さいていくだされる予定よていであったが、WMSCは2008ねん2がつ14にち開催かいさいされるWMSCの臨時りんじ総会そうかいにおいて、マクラーレンやフェラーリをはじめ、のチームにも、報告ほうこくしょたいする意見いけん発表はっぴょうするチャンスをあたえるべきであると判断はんだんした。
  • 12月13にち - マクラーレンCEO・マーティン・ウィットマーシュはマクラーレンの2008ねんマシン(MP4-23)にフェラーリの機密きみつ情報じょうほうふくまれる予定よていだったことをみとめ、それを謝罪しゃざいし、2008ねんマシンの一部いちぶ開発かいはつ凍結とうけつはないをする内容ないよう書簡しょかんをWMSCとマックス・モズレーてにおくった。[225]
  • 12月18にち - WMSCはFIA会長かいちょうマックス・モズレーの提案ていあんをうけ2008ねん2がつ14にち予定よていされていた公聴こうちょうかい中止ちゅうしすることで同意どういした。

カラーリング

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イギリス国籍こくせきのチームではあるが、チーム設立せつりつ当初とうしょ1968ねんから1971ねんまで、車体しゃたいはマクラーレンのコーポレートカラーであるパパイヤオレンジにられていた。

1972ねんからはヤードレイ化粧けしょうひんがスポンサーにき、ボディーサイドにチームカラーのオレンジをのこしたしろ/オレンジにられた。

そのマールボロとのパートナーシップにより、1974ねんからはマールボロのパッケージとおなあかしろられたカラーリングがながらくもちいられた[注釈ちゅうしゃく 2]。このカラーリングのあか部分ぶぶんは、1974ねんと1975ねんにはパッケージとおなじようなあかられたが、1976ねん以降いこうはテレビや写真しゃしんうつりを考慮こうりょして蛍光けいこうレッドに変更へんこうされた。

1997ねんにカラーリングが変更へんこうされ、ぎんくろ基調きちょうあかをアクセントにもちいるカラーリングが使用しようされるようになった。これは、マールボロとの契約けいやく終了しゅうりょうともないマクラーレンが独自どくじのカラーリングをほどこすことが可能かのうとなったことによりめられたものである。銀色ぎんいろは「シルバー・アロー」メルセデスへの配慮はいりょ、とかんがえられているが、カラーリング全体ぜんたいについては当初とうしょのタイトルスポンサーであるウェストをふく特定とくていのスポンサーの意向いこうによるものではない、と、ロン・デニスはべている。デニスはことのほかこのカラーリングをっており、今後こんごチームやマールボロカラー当時とうじのマクラーレンのような)いろいろ境界きょうかいせん区切くぎったようなカラーリングは自分じぶんのチームの車体しゃたいにはもちいたくない、と発言はつげんしている。その発言はつげんどおり、2006ねんにカラーリングを若干じゃっかん変更へんこうしたのちも、かくいろさかいはグラデーションをもちいたものとなっていた。このカラーリングをほどこすためには、通常つうじょうの3ばい手間てまとコストがかかるとわれている。カラーリング塗装とそうかくGPごとにおこなわれていた。

2015ねん、エンジンサプライヤーがメルセデスからホンダへ変更へんこうされたことにともない、だい5せんスペインGPからグラファイトグレーを基調きちょうとしたしんカラーリング[226]変更へんこうされた。

2016ねん11月にロン・デニスが退陣たいじんしたことにともない、よく2017ねんからオレンジを基調きちょうとしたカラーリングが復活ふっかつした[227]。2018ねんMCL33では1968ねんから1971ねんおなじパパイヤオレンジが採用さいようされた[228]

例外れいがい

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上記じょうきしたように、基本きほんてきにカラーリングはオレンジしょく時代じだいあかしろ時代じだい銀色ぎんいろ時代じだいなどにけることが可能かのうであるが、はん世紀せいき歴史れきしなかでは例外れいがいもあり、1978ねん終盤しゅうばん北米ほくべいラウンド2せんと1979ねんにロングビーチで開催かいさいされたアメリカ西にしGPではマールボロとおなじくフィリップ・モリス傘下さんかビール会社かいしゃレーベンブロイ(Löwenbräu)の水色みずいろしろのカラーリングにしているほか、1986ねんのポルトガルGPではマールボロのしん製品せいひんマールボロ・ライトをPRするため、ロズベルグしゃのカラーリングは本来ほんらいあか部分ぶぶん黄色きいろ変更へんこうされた。

マールボロとの契約けいやく終了しゅうりょうともないカラーリングを変更へんこうした1996ねんまつから1997ねんはじめにかけてのシーズンオフと翌年よくねんのシーズンオフ、ウェストとの契約けいやく終了しゅうりょうともないカラーリングに変更へんこうくわえた2005ねんまつから2006ねんのシーズンオフにかけ、テストにおいて往年おうねんのオレンジしょくのカラーリングを暫定ざんていのカラーリングとしてもちいていた。

マクラーレンでドライバーズ・チャンピオンを獲得かくとくしたドライバー

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新人しんじんドライバーの起用きよう

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フェラーリのように、新人しんじんドライバーを起用きようすることはめったにかったが、2007ねんにハミルトン、2014ねんにマグヌッセン、2016ねんにバンドーン(翌年よくねんにフル参戦さんせん)、2019ねんにノリス、2023ねんにピアストリと、近年きんねんではルーキードライバーを起用きようすることがえてきている。2000年代ねんだい以前いぜんには1995ねんケビンのちち・ヤンを1せんだけの代役だいやくとして起用きようしたこともある。

変遷へんせんひょう

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とし エントリーめい 車体しゃたい型番かたばん タイヤ エンジン 燃料ねんりょう・オイル ドライバー ランキング ポイント 優勝ゆうしょうすう
1966ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M2B F フォード406
(3.0L V8)
セレニッシマM166
(3.0L V8)
シェル? ブルース・マクラーレン 9(フォード)
12(セレニッシマ)
2
1
0
0
1967ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M4B
M5A
G BRM P56
(2.0L V8)
BRM P142
(3.0L V12)
シェル ブルース・マクラーレン 8 3 0
1968ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング
*Joakim Bonnier Racing Team (M5A)
*Anglo American Racers (M7A)
M5A
M7A
G BRM P142
(3.0L V12)
フォードDFV
(3.0L V8)
シェル
ガルフ
デニス・ハルム
ブルース・マクラーレン
2(フォード)
10(BRM)
48
3
3
0
1969ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング
*Team Lawson (M7A)
*Antique Automobiles / Colin Crabbe Racing (M7B)
M7A
M7B
M7C
M9A
G

D

フォードDFV ガルフ デニス・ハルム
ブルース・マクラーレン
デレック・ベル
5 38(40) 1
1970ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング
*Team Surtees (M7C)
*Ecurie Bonnier (M7C)
M7C
M14A
M7D
M14D
G

F

フォードDFV
(3.0L V8)
アルファロメオTipo33/3
(3.0L V8)
ガルフ デニス・ハルム
ブルース・マクラーレン
ピーター・ゲシン
ダン・ガーニー
アンドレア・デ・アダミッチ
ナンニ・ギャリ
5(フォード)
NC(アルファロメオ)
35
0
0
0
1971ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング
*Ecurie Bonnier (M7C)
*Penske-White Racing (M19A)
M14A
M19A
G フォードDFV ガルフ デニス・ハルム
ピーター・ゲシン
ジャッキー・オリバー
6 10 0
1972ねん ヤードレー・チーム・マクラーレン M19A
M19C
G フォードDFV ガルフ デニス・ハルム
ピーター・レブソン
ブライアン・レッドマン
ジョディー・シェクター
3 47(49) 1
1973ねん ヤードレー・チーム・マクラーレン M19A
M19C
M23
G フォードDFV ガルフ デニス・ハルム
ピーター・レブソン
ジョディー・シェクター
ジャッキー・イクス
3 58 3
1974ねん マールボロ・チーム・テキサコ
ヤードレー・チーム・マクラーレン
* Scribante Lucky Strike Racing (M23)
M23 G フォードDFV テキサコ エマーソン・フィッティパルディ
デニス・ハルム
マイク・ヘイルウッド
ヨッヘン・マス
デイビッド・ホッブス
1 73(75) 4
1975ねん マールボロ・チーム・テキサコ
*Lucky Strike Racing (M23)
M23 G フォードDFV テキサコ エマーソン・フィッティパルディ
ヨッヘン・マス
3 53 3
1976ねん マールボロ・チーム・マクラーレン M23
M26
G フォードDFV テキサコ ジェームス・ハント
ヨッヘン・マス
2 74(75) 6
1977ねん マールボロ・チーム・マクラーレン
*Chesterfield Racing (M23)
*Iberia Airlines (M23)
M23
M26
G フォードDFV テキサコ ジェームス・ハント
ヨッヘン・マス
ジル・ヴィルヌーヴ
ブルーノ・ジャコメリ
3 60 3
1978ねん マールボロ・チーム・マクラーレン
*Liggett Group/BS Fabrications (M23, M26)
*Centro Asegurador F1 (M23)
*Melchester Racing (M23)
M26 G フォードDFV テキサコ ジェームス・ハント
パトリック・タンベイ
ブルーノ・ジャコメリ
8 15 0
1979ねん マールボロ・チーム・マクラーレン
*Lowenbrau Team McLaren (M23)
M26
M28
M28B
M28C

M29
G フォードDFV カストロール ジョン・ワトソン
パトリック・タンベイ
7 15 0
1980ねん マールボロ・チーム・マクラーレン M29B
M29C
M30
G フォードDFV カストロール ジョン・ワトソン
アラン・プロスト
スティーブン・サウス
9 11 0
とし エントリーめい 車体しゃたい型番かたばん タイヤ エンジン 燃料ねんりょう・オイル ドライバー ランキング ポイント 優勝ゆうしょうすう
1981ねん マールボロ・マクラーレン・インターナショナル M29C
M29F
MP4/1
M フォードDFV ユニパート ジョン・ワトソン
アンドレア・デ・チェザリス
6 28 1
1982ねん マールボロ・マクラーレン・インターナショナル MP4/1B M フォードDFV ユニパート ニキ・ラウダ
ジョン・ワトソン
2 69 4
1983ねん マールボロ・マクラーレン・インターナショナル MP4/1C
MP4/1E
M フォードDFY
(3.0L V8)
TAG TTE PO1
(1.5L V6ターボ)
ユニパート ニキ・ラウダ
ジョン・ワトソン
5(フォード)
NC(TAG)
34
0
1
0
1984ねん マールボロ・マクラーレン・インターナショナル MP4/2 M TAG TTE PO1 シェル ニキ・ラウダ
アラン・プロスト
1 143.5 12
1985ねん マールボロ・マクラーレン・インターナショナル MP4/2B G TAG TTE PO1 シェル ニキ・ラウダ
アラン・プロスト
ジョン・ワトソン
1 90 6
1986ねん マールボロ・マクラーレン・インターナショナル MP4/2C G TAG TTE PO1 シェル アラン・プロスト
ケケ・ロズベルグ
2 96 4
1987ねん マールボロ・マクラーレン・インターナショナル MP4/3 G TAG TTE PO1 シェル アラン・プロスト
ステファン・ヨハンソン
2 76 3
1988ねん ホンダ・マールボロ・マクラーレン MP4/4 G ホンダRA168E
(1.5L V6ターボ)
シェル アラン・プロスト
アイルトン・セナ
1 199 15
1989ねん ホンダ・マールボロ・マクラーレン MP4/5 G ホンダRA109E
(3.5L V10)
シェル アイルトン・セナ
アラン・プロスト
1 141 10
1990ねん ホンダ・マールボロ・マクラーレン MP4/5B G ホンダRA100E シェル アイルトン・セナ
ゲルハルト・ベルガー
1 121 6
1991ねん ホンダ・マールボロ・マクラーレン MP4/6 G ホンダRA121E
(3.5L V12)
シェル アイルトン・セナ
ゲルハルト・ベルガー
1 139 8
1992ねん ホンダ・マールボロ・マクラーレン MP4/6B
MP4/7A
G ホンダRA122E,RA122E/B シェル アイルトン・セナ
ゲルハルト・ベルガー
2 99 5
1993ねん マールボロ・マクラーレン・フォード MP4/8 G フォードHB5,7,8
(3.5L V8)
シェル アイルトン・セナ
マイケル・アンドレッティ
ミカ・ハッキネン
2 84 5
1994ねん マールボロ・マクラーレン・プジョー MP4/9 G プジョーA6
(3.5L V10)
シェル ミカ・ハッキネン
マーティン・ブランドル
フィリップ・アリオー
4 42 0
1995ねん マールボロ・マクラーレン・メルセデス MP4/10
MP4/10B
MP4/10C
G メルセデスFO110
(3.0L V10)
モービル ミカ・ハッキネン
マーク・ブランデル
ナイジェル・マンセル
ヤン・マグヌッセン
4 30 0
1996ねん マールボロ・マクラーレン・メルセデス MP4/11 G メルセデスFO110 モービル ミカ・ハッキネン
デビッド・クルサード
4 49 0
1997ねん ウェスト・マクラーレン・メルセデス MP4-12 G メルセデスFO110E,
メルセデスFO110F
モービル ミカ・ハッキネン
デビッド・クルサード
4 63 3
1998ねん ウェスト・マクラーレン・メルセデス MP4-13 B メルセデスFO110G モービル ミカ・ハッキネン
デビッド・クルサード
1 156 9
1999ねん ウェスト・マクラーレン・メルセデス MP4-14 B メルセデスFO110H モービル ミカ・ハッキネン
デビッド・クルサード
2 124 7
2000ねん ウェスト・マクラーレン・メルセデス MP4-15 B メルセデスFO110J モービル ミカ・ハッキネン
デビッド・クルサード
2 152 7
とし エントリーめい 車体しゃたい型番かたばん タイヤ エンジン 燃料ねんりょう・オイル ドライバー ランキング ポイント 優勝ゆうしょうすう
2001ねん ウェスト・マクラーレン・メルセデス MP4-16 B メルセデスFO110K モービル ミカ・ハッキネン
デビッド・クルサード
2 102 4
2002ねん ウェスト・マクラーレン・メルセデス MP4-17 M メルセデスFO110L モービル デビッド・クルサード
キミ・ライコネン
3 65 1
2003ねん ウェスト・マクラーレン・メルセデス MP4-17D M メルセデスFO110M モービル デビッド・クルサード
キミ・ライコネン
3 142 2
2004ねん ウェスト・マクラーレン・メルセデス MP4-19
MP4-19B
M メルセデスFO110Q モービル デビッド・クルサード
キミ・ライコネン
5 69 1
2005ねん ウェスト・マクラーレン・メルセデス
チーム・マクラーレン・メルセデス
MP4-20 M メルセデスFO110R モービル キミ・ライコネン
ファン・パブロ・モントーヤ
ペドロ・デ・ラ・ロサ
アレクサンダー・ヴルツ
2 182 10
2006ねん チーム・マクラーレン・メルセデス MP4-21 M メルセデスFO108S
(2.4L V8)
モービル キミ・ライコネン
ファン・パブロ・モントーヤ
ペドロ・デ・ラ・ロサ
3 110 0
2007ねん ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス MP4-22 B メルセデスFO108T モービル フェルナンド・アロンソ
ルイス・ハミルトン
EX 0(203) 8
2008ねん ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス MP4-23 B メルセデスFO108V モービル ルイス・ハミルトン
ヘイキ・コバライネン
2 151 6
2009ねん ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス MP4-24 B メルセデスFO108W モービル ルイス・ハミルトン
ヘイキ・コバライネン
3 71 2
2010ねん ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス MP4-25 B メルセデスFO108X モービル ジェンソン・バトン
ルイス・ハミルトン
2 454 5
2011ねん ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス MP4-26 P メルセデスFO108Y モービル ルイス・ハミルトン
ジェンソン・バトン
2 497 6
2012ねん ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス MP4-27 P メルセデスFO108Z モービル ジェンソン・バトン
ルイス・ハミルトン
3 378 7
2013ねん ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス MP4-28 P メルセデスFO108F モービル ジェンソン・バトン
セルジオ・ペレス
5 122 0
2014ねん マクラーレン・メルセデス MP4-29 P メルセデスPU106A Hybrid
(1.6L V6ターボ)
モービル ジェンソン・バトン
ケビン・マグヌッセン
5 181 0
2015ねん マクラーレン・ホンダ MP4-30 P ホンダRA615H
(1.6L V6ターボ)
モービル フェルナンド・アロンソ
ジェンソン・バトン
ケビン・マグヌッセン
9 27 0
2016ねん マクラーレン・ホンダ・フォーミュラ1・チーム MP4-31 P ホンダRA616H モービル フェルナンド・アロンソ
ジェンソン・バトン
ストフェル・バンドーン
6 76 0
2017ねん マクラーレン・ホンダ・フォーミュラ1・チーム MCL32 P ホンダRA617H BP/カストロール フェルナンド・アロンソ
ストフェル・バンドーン
ジェンソン・バトン
9 30 0
2018ねん マクラーレンF1チーム MCL33 P ルノーR.E.18
(1.6L V6ターボ)
BP/カストロール フェルナンド・アロンソ
ストフェル・バンドーン
6 62 0
2019ねん マクラーレンF1チーム MCL34 P ルノーE-Tech 19 BP/カストロール カルロス・サインツ
ランド・ノリス
4 145 0
2020ねん マクラーレンF1チーム MCL35 P ルノーE-Tech 20 BP/カストロール カルロス・サインツ
ランド・ノリス
3 202 0
2021ねん マクラーレンF1チーム MCL35M P メルセデスAMG M12 E Performance ペトロナス ダニエル・リカルド
ランド・ノリス
4 275 1
2022ねん マクラーレンF1チーム MCL36 P メルセデスAMG M13 E Performance ペトロナス ダニエル・リカルド
ランド・ノリス
5 159 0
2023ねん マクラーレンF1チーム MCL60 P メルセデスAMG M14 E Performance ペトロナス オスカー・ピアストリ
ランド・ノリス
4 302 0
2024ねん マクラーレンF1チーム MCL38 P メルセデスAMG M15 E Performance ペトロナス オスカー・ピアストリ
ランド・ノリス
1* 516* 5
とし エントリーめい 車体しゃたい型番かたばん タイヤ エンジン 燃料ねんりょう・オイル ドライバー ランキング ポイント 優勝ゆうしょうすう

*太字ふとじはドライバーズタイトル獲得かくとくしゃ
*斜体しゃたいになっているドライバーはスポット参戦さんせんなど
*えだがついているチームに車体しゃたい供給きょうきゅう括弧かっこない供給きょうきゅうした車体しゃたい型番かたばん記載きさい

とし エントリーめい 車体しゃたい型番かたばん タイヤ エンジン 燃料ねんりょう・オイル ドライバー
1966ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M1A,M1B.M1C G シボレー STP ブルース・マクラーレン
デニス・ハルム
1967ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M6A G シボレー STP ブルース・マクラーレン
デニス・ハルム
1968ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M8A G シボレー STP ブルース・マクラーレン
デニス・ハルム
1969ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M8B G シボレー STP ブルース・マクラーレン
デニス・ハルム
1970ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M8C,M8D G シボレー STP ブルース・マクラーレン
デニス・ハルム
ピーター・レブソン
1971ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M8C,M8F G シボレー STP デニス・ハルム
ピーター・レブソン
1972ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M20 G シボレー ガルフ デニス・ハルム
ピーター・レブソン

インディカー

[編集へんしゅう]
とし エントリーめい 車体しゃたい型番かたばん タイヤ エンジン ドライバー
1970ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M15 G オッフェンハウザー *ピーター・レブソン
*カール・ウイリアムズ
*ブルース・マクラーレン
*デニス・ハルム
*クリス・エイモン
1971ねん ブルース・マクラーレン・モーターレーシング M16A G オッフェンハウザー *ピーター・レブソン
*デニス・ハルム
*ゴードン・ジョンコック
1972ねん チーム・マクラーレン M16A、M16B G オッフェンハウザー ゴードン・ジョンコック
*ピーター・レブソン
1973ねん チーム・マクラーレン M16C G オッフェンハウザー ジョニー・ラザフォード
*ピーター・レブソン
1974ねん チーム・マクラーレン M16C/D G オッフェンハウザー ジョニー・ラザフォード
*デビッド・ホッブス
1975ねん チーム・マクラーレン M16E G オッフェンハウザー ジョニー・ラザフォード
1976ねん チーム・マクラーレン M16E G オッフェンハウザー ジョニー・ラザフォード
1977ねん チーム・マクラーレン M24 G コスワース ジョニー・ラザフォード
1978ねん チーム・マクラーレン M24B G コスワース ジョニー・ラザフォード
1979ねん チーム・マクラーレン M24B G コスワース ジョニー・ラザフォード
2017ねん マクラーレン・ホンダアンドレッティ ダラーラDW12 F ホンダ *フェルナンド・アロンソ
2019ねん マクラーレン・レーシング[注釈ちゅうしゃく 12] ダラーラDW12 F シボレー *フェルナンド・アロンソ
2020ねん アロー・マクラーレンSP ダラーラDW12 F シボレー パトリシオ・オワード
オリバー・アスキュー
*フェルナンド・アロンソ
*エリオ・カストロネベス
2021ねん アロー・マクラーレンSP ダラーラDW12 F シボレー パトリシオ・オワード
フェリックス・ローゼンクヴィスト
*ファン・パブロ・モントーヤ
*オリバー・アスキュー
*ケビン・マグヌッセン
2022ねん アロー・マクラーレンSP ダラーラDW12 F シボレー パトリシオ・オワード
フェリックス・ローゼンクヴィスト
*ファン・パブロ・モントーヤ
2023ねん アロー・マクラーレン ダラーラDW12 F シボレー パトリシオ・オワード
フェリックス・ローゼンクヴィスト
アレクサンダー・ロッシ
*トニー・カナーン
2024ねん アロー・マクラーレン ダラーラDW12 F シボレー パトリシオ・オワード
*カラム・アイロット
*テオ・プルシェール
アレクサンダー・ロッシ
*カイル・ラーソン
  • チームとしての参戦さんせんかぎる。マクラーレンせいシャシーを購入こうにゅうして参戦さんせんしたチームはのぞ
  • *しるしのついたドライバーはスポット参戦さんせんなど

資本しほん

[編集へんしゅう]
  • F1以外いがい活動かつどうべつ会社かいしゃおこなっており、かぶ会社かいしゃマクラーレン・グループ英語えいごばん構成こうせいしている。
  • 2000ねん1がつ当時とうじメルセデス・ベンツの親会社おやがいしゃであったダイムラー・クライスラーが、グループの所有しょゆうけんを40%取得しゅとく事実じじつじょう、マクラーレン・グループはダイムラー・クライスラーグループの一員いちいんとなっている。のこりの60%をロン・デニスとサウジアラビアひとだい富豪ふごうであるマンスール・オジェ所有しょゆうしてきたが、ダイムラー・クライスラーがこののこりの60%の株式かぶしき取得しゅとくし、メルセデス・ベンツが単独たんどくでのF1参戦さんせん目指めざしているのではといううわさ根強ねづよかった。
  • 2007ねん1がつにバーレーン王国おうこく所有しょゆうバーレーン・マムタラカト・ホールディング・カンパニーがロン・デニスとマンスール・オジェの保有ほゆうする株式かぶしきのそれぞれの半数はんすう取得しゅとくした。この結果けっか、ダイムラー・クライスラーが40%・バーレーン・マムタラカト・ホールディング・カンパニーが30%・ロン・デニスとマンスール・オジェが15%ずつと保有ほゆう比率ひりつ変化へんかしている。
  • 2009ねん11月にメルセデス・ベンツとマクラーレンのパートナーシップ解消かいしょう発表はっぴょうされたことにともない、メルセデス保有ほゆうぶんの40%の株式かぶしきについては2011ねんまでにマクラーレンがわもどすことが発表はっぴょうされている。なおもど価格かかくや、もどしたのち株式かぶしきあつかいについては公表こうひょうされていない。なおマクラーレンがわもどしの結果けっか、2010ねん3がつ現在げんざいでメルセデスがわ持株もちかぶ比率ひりつやく11%にまで低下ていかしている[229]
  • 2016ねん11月にロン・デニスの退陣たいじんまった時点じてん株式かぶしき保有ほゆう比率ひりつは、デニスとオジェが25%、マムタラカトが50%となっていた[230]が、デニスはよく2017ねん6がつぜん株式かぶしき売却ばいきゃくした[231]
  • 2020ねん6がつ時点じてん株式かぶしき保有ほゆう比率ひりつはマムタラカト56%、マンスール・オジェ14%、マイケル・ラティフィ英語えいごばん同年どうねんからウィリアムズF1せいドライバーをつとめるニコラス・ラティフィちち)10%で、のこる20%が少数しょうすう株主かぶぬしとなっている[232]
  • 2024ねん3がつ、マムタラカトがマクラーレン・グループの株式かぶしき100%を取得しゅとくしたことがあきらかになった[233][234]

マクラーレン・グループ

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おも会社かいしゃのみ)

1987ねん設立せつりつ。マーケティング、メディア対応たいおうなどを担当たんとう

過去かこのグループ会社かいしゃ

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  • マクラーレン・コンポジット (McLaren Composites)
1993ねん設立せつりつ自動車じどうしゃなどにもちいる、高機能こうきのう素材そざい開発かいはつ生産せいさん担当たんとうマクラーレン・F1メルセデス・ベンツ・SLRマクラーレンなどを担当たんとうした。2004ねんにマクラーレン・エレクトロニック・システムズと合併がっぺいした。
モータースポーツ電子でんし制御せいぎょシステムの開発かいはつ製造せいぞう旧称きゅうしょうTAGエレクトロニクスTAGエレクトロニック・システムズ
2008ねんよりマイクロソフト共同きょうどうで、F1に参戦さんせんする全車ぜんしゃ搭載とうさい義務付ぎむづけられるECU供給きょうきゅうおこなっているほか、2012ねんからはNASCARスプリントカップシリーズインディカー・シリーズにもECUの供給きょうきゅうおこなっている。
のち社名しゃめいマクラーレン・アプライドあらためたが、2021ねん投資とうしファンドに売却ばいきゃくされた。

移動いどうたいテレメトリーシステム

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マクラーレンは1980年代ねんだいからデータ分析ぶんせきによる効率こうりつ徹底てっていしており、レーシングカーやドライバーにけたセンサーからリモートでデータを転送てんそうし、リアルタイムで分析ぶんせきする移動いどうたいテレメトリーシステムを採用さいようしている。[235][236] テレメトリーシステムには1997ねんから技術ぎじゅつ提携ていけい関係かんけいにあるドイツのソフトウェア大手おおてSAP高速こうそくデータ処理しょりプラットフォーム「SAP HANA」を使用しようして、タイヤ交換こうかん部品ぶひん交換こうかん必要ひつようなタイミングを計算けいさんし、マシンを最適さいてき状態じょうたいたもつようにしている。[235][236]

このシステムからられた情報じょうほうによって勝敗しょうはいの90%がレース終了しゅうりょうまえ予測よそくできるようになった。[237]

車両しゃりょうギャラリー

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  • 葉巻はまきがた(1966ねん - 1973ねん
  • フラットノーズがた#1(1973ねん - 1978ねん
  • グラウンドエフェクトがた#1(1979ねん - 1982ねん
  • フラットノーズがた#2(1983ねん - 1994ねん
  • ハイノーズがた(1995ねん - 2013ねん
  • パワーユニットがた(2014ねん - )
  • グラウンドエフェクトがた#2(2022ねん - )

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1970ねんみなみアフリカGPジョン・サーティース自身じしんのチーム(サーティース)で記録きろくした1かいのぞく。
  2. ^ a b 1974ねんからマールボロがタイトルスポンサーとなるが、1974ねんは3だい体制たいせいのうちヤードレイしゃも1だいのみ参戦さんせんした
  3. ^ 予選よせんではワトソン22、ラウダ23後方こうほうしずんだが、決勝けっしょうではついはしおいはしりでワトソンが優勝ゆうしょう、ラウダが2となり、ワン・ツー・フィニッシュを達成たっせいした
  4. ^ TAGは1980ねんからウィリアムズをスポンサードしていたが、ロン・デニスはマンスール・オジェにチーム株式かぶしき保有ほゆうちかけ、TAGとマクラーレンによるしん組織そしき「TAG Turbo Engines」が設立せつりつされた。以後いご現在げんざいまでマンスール・オジェは株式かぶしき保有ほゆうつづけている。
  5. ^ 前年ぜんねんのドライバーズチャンピオン以外いがいでカーナンバー1を使用しようした最後さいごのケースとなった
  6. ^ チームとしての年間ねんかん最多さいたしょう記録きろくは2014ねんメルセデスが16しょうするまで、エンジンサプライヤーとしての年間ねんかん最多さいたしょう記録きろくは1995ねんルノーが16しょうするまでやぶられなかった。
  7. ^ 1992ねんまつにおいてはウィリアムズとどうスペックのルノーV10エンジン獲得かくとくのためにリジェ完全かんぜん買収ばいしゅうハートV10エンジンを獲得かくとくする計画けいかくもあったが、いずれも計画けいかく破談はだんとなっている(93年版ねんばん「F-1だい百科ひゃっか」(ケイブンシャ))。
  8. ^ 当初とうしょジョニー・ハーバートにオファーをかけたが、ロータスのピーターコリンズ長期ちょうき契約けいやく解除かいじょみとめず破談はだんほかにもデレック・ワーウィックミケーレ・アルボレートひとし候補こうほがり、あらたにエンジン供給きょうきゅうさきとなったプジョーはフィリップ・アリオー起用きよう希望きぼうしていた。
  9. ^ メルセデスエンジンのシリンダーブロックは、軽量けいりょうベリリウム合金ごうきん使用しようしていたが、フェラーリが「ベリリウム合金ごうきん人体じんたい有害ゆうがいである」という抗議こうぎをして、使用しよう禁止きんしとなった。
  10. ^ 連日れんじつでの8日間にちかんではなく、連日れんじつ4日間にちかんのテストを休憩きゅうけいもはさんで2かいおこなわれた。
  11. ^ 開幕かいまくせんのリタイアはサスペンショントラブルであり、ホンダではなくマクラーレンが担当たんとうするパーツが原因げんいんのリタイアである。
  12. ^ カーリンとジョイント参戦さんせん

出典しゅってん

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関連かんれん項目こうもく

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フロントノーズに「ジャンプ」のロゴをった、1991ねんのMP4/6

外部がいぶリンク

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