ゴードン・マレー

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ゴードン・マレー

Gordon Murray
生誕せいたん Ian Gordon Murray
(1946-06-18) 1946ねん6月18にち(77さい
南アフリカの旗 みなみアフリカ連邦れんぽう
ダーバン
国籍こくせき 南アフリカ共和国の旗 みなみアフリカ共和きょうわこく
教育きょういく ダーバン・ユニバーシティ・オブ・テクノロジー英語えいごばん
業績ぎょうせき
勤務きんむさき ゴードン・マレー・デザイン CEO(2005 - 現在げんざい[1][2]
雇用こようしゃ ブラバム(1969 - 1986)
マクラーレン(1987 - 2004)
プロジェクト マクラーレン
マクラーレン・F1
設計せっけい ブラバム・BT52
マクラーレン・MP4/4 など多数たすう
受賞じゅしょうれき だいえい帝国ていこく勲章くんしょう (CBE)

イアン・ゴードン・マレーIan Gordon Murray CBE1946ねん6月18にち - )は、みなみアフリカダーバン出身しゅっしん自動車じどうしゃデザイナー、実業じつぎょうせいマーレーまたはマーレイとも表記ひょうきされる。身長しんちょう196cm[3]

レーシングカーデザイナーとしてはF1ブラバムマクラーレンで5だいのチャンピオンマシンをし、ロードカーデザイナーとしてはマクラーレン・F1などを発表はっぴょうしている。

2019ねんだいえい帝国ていこく勲章くんしょうのCBE(コマンダー)を受勲じゅくん[4]

プロフィール[編集へんしゅう]

初期しょき[編集へんしゅう]

故郷こきょうみなみアフリカでごした青年せいねん時代じだいは、製図せいずこうとしてはたらかたわら、大学だいがく定時ていじせいコースで工学こうがくまなんだ。オートバイレーサーのちちおなじく、マーレイもみずからレーシングカーを製作せいさくして、クラブレースやヒルクライムレースに参加さんかしていた。

1969ねん単身たんしんイギリスにわたり、レースエンジニアとしてのしょくさがしをはじめる。ロータスにははたらこうがなかったが、うんブラバム最初さいしょしょくた。

ブラバム時代じだい[編集へんしゅう]

ブラバム・BT52(2013ねん撮影さつえい

ブラバムにしんオーナー、バーニー・エクレストン就任しゅうにんし、開発かいはつ部門ぶもんからラルフ・ベラミー離脱りだつすると、マーレイがチーフデザイナーに昇格しょうかくした。1973ねんBT42はじまり、1985ねんにかけて、マレーのデザインしたブラバムせいシャシーはグランプリで22しょうげ、1975ねんと1981ねんにはコンストラクターズ・ランキング2獲得かくとく。さらに1981ねんと1983ねんにはネルソン・ピケをドライバーズ・チャンピオンのかせた。

マレーのマシンは三角形さんかっけい断面だんめんをもつピラミッドモノコック表面ひょうめん冷却れいきゃくBT46プロトタイプファン・カーとしてられるBT46Bなど、個性こせいてきなアイデアとレギュレーションの盲点もうてん意外いがいせいんでいた。1970年代ねんだいには、いちはやくウイングやブレーキディスクにカーボン素材そざい導入どうにゅうしたが、モノコックかんしては剛性ごうせい不安ふあんし、しばらくは従来じゅうらいのアルミハニカム素材そざいとの併用へいようめていた。

1981ねんには当時とうじくるまだか6cm規定きていをクリアするため、走行そうこうちゅうくるまだかげられるハイドロニューマチック・サスペンション搭載とうさいしたBT49開発かいはつ。1983ねんにはレースちゅうさい給油きゅうゆ作戦さくせん想定そうていし、燃料ねんりょうタンクを小型こがたしたBT52開発かいはつするなど、ライバルチームを発想はっそう優位ゆういた。

1983ねんにフラットボトム規制きせいはじまって以降いこう、マシン底部ていぶげることでグラウンド・エフェクト発生はっせいするデザインに反発はんぱつし、ぜんこうひくくして前後ぜんごウイングのダウンフォース発生はっせい効率こうりつ最大さいだいするロウ・ライン・コンセプトにこだわった。その顕著けんちょ作品さくひんが1986ねんBT55で、マシンのぜんこうひくくするためにBMWちょく4ターボエンジンを水平すいへい方向ほうこうに73かたむけて搭載とうさいした。そのフォルムはのマシンより異様いようひらたく、「スケートボード」「フラットフィッシュ(ヒラメ)」などの異名いみょうった。エンジンをかたむけるアイデア自体じたいは、1950年代ねんだいメルセデス・ベンツ・W196という成功せいこうれいがあったが、BT55ではトラブルを頻発ひんぱつ十分じゅうぶん成績せいせきげられなかった。

ブラバムには17年間ねんかん在籍ざいせきし、オーナーのエクレストンとの関係かんけい良好りょうこうだったが、マレーはロードゴーイングカーの設計せっけいをいつかはしたいというゆめをもっており[5]、これをかねてよりマレーに移籍いせきオファーをしていたマクラーレンのロン・デニスに「わたしはいつまでもF1のデザインをやるわけではない、やってもあとすうねんだ。そのあとはロードカーの設計せっけいをしたいとおもっている。」とはなしたところ、将来しょうらいてきには協力きょうりょくするという約束やくそくをデニスがもうたため、マレーは1987シーズンからのマクラーレン移籍いせきめた。これはマクラーレンからジョン・バーナードるタイミングと連動れんどうしてきた移籍いせきでもあった[5]

マクラーレン時代じだい[編集へんしゅう]

マクラーレン・MP4/4(1988ねん

1986ねんまつからマレーはマクラーレン・ファクトリーの一員いちいんとなった。最初さいしょ仕事しごとは、前任ぜんにんのジョン・バーナードによる土産みやげとなった1987ねんようのマシン、MP4/3改良かいりょうであった。1987ねん9がつよくシーズンからマクラーレンへのホンダ・エンジン供給きょうきゅう正式せいしき発表はっぴょうされると[6]、マレーは1988ねんよう新車しんしゃ構想こうそうをまとめはじめる。BT55でのアイデアをもとに、くるまだかひくくしたMP4/4設計せっけい開発かいはつスティーブ・ニコルズとともに開始かいしした。BT55に搭載とうさいされていたBMWせいちょく4ターボエンジンは重心じゅうしんげるため横倒よこだおしに搭載とうさいしたためマシンの重量じゅうりょうバランスが左右さゆう非対称ひたいしょうになるデメリットがあったが、ホンダRA168EはVがた6気筒きとうレイアウトのため基本きほんてきてい重心じゅうしんであり、左右さゆう対称たいしょう搭載とうさいすることができた。そのためマレーのアイデアを実現じつげんするためには好都合こうつごうであった。なお、マレーからのオーダーによりホンダはRA168Eのクラッチ枚数まいすうやしみちちいさくしている。クラッチが小径しょうけいになることで、エンジン搭載とうさい位置いちさらげることができるからである。

結果けっかてきにこのマシンは、アイルトン・セナアラン・プロストという当代とうだい随一ずいいちのラインナップと、ホンダ・エンジンのたか戦闘せんとうりょく相俟あいまって、グランプリぜん16せんのうち15せん勝利しょうりし、セナにはつのドライバーズ・チャンピオンをあたえ、マクラーレンにコンストラクターズ・チャンピオンをあたえた(このとし獲得かくとくした199ポイントは、2002ねんフェラーリやぶられるまでグランプリ史上しじょう最高さいこう得点とくてんであった)。

マレーは1990ねんMP4/5Bまでテクニカル・ディレクターとしてマクラーレンのF1マシン開発かいはつ指揮しきし、3ねん連続れんぞくコンストラクターズ・タイトル獲得かくとく土産みやげにして、レーシングカーデザインを卒業そつぎょうした。もともと、マクラーレンから移籍いせきのオファーをけたさいにマレーはロン・デニス代表だいひょうに『3ねんにはF1でのキャリアが20ねんになるので、それ以後いごはF1以外いがいあたらしいプロジェクトを用意よういしてほしい。でなければその時点じてんでマクラーレンをはなれるとおもう』という意向いこうつたえていたという[7]

ロードカーデザイナーへ[編集へんしゅう]

マレーの設計せっけいしたマクラーレンF1ロードカー

1991ねんから2004ねんまで、マレーはグループ会社かいしゃマクラーレン・カーズ在籍ざいせきした。おも仕事しごととしてはカーボンモノコック採用さいようした高性能こうせいのうロードカー「マクラーレン・F1」(1993ねん)や、メルセデス・ベンツとの共同きょうどうプロジェクトである「SLRマクラーレン」(2004ねん[8]設計せっけいである。かれはマクラーレン・F1のデザインについて、「F1マシンの設計せっけいよりもかんがえる部分ぶぶんおおくて、非常ひじょうにチャレンジし甲斐がいのあるプロジェクトだった」と述懐じゅっかいしている。マレーはレース活動かつどう想定そうていしていなかったが、マクラーレンF1・GTRははつ出場しゅつじょう1995ねんのル・マン24あいだレースで1・3・4・5という快挙かいきょ達成たっせいし、GTカーレースの興隆こうりゅう貢献こうけんした。

また、コーリン・チャップマン軽量けいりょう哲学てつがく彷彿ほうふつとさせるように、マレーはライトカー・カンパニーで「ロケット」を設計せっけいした。これは1リッターのバイクようエンジンを搭載とうさいしたオープンシートのちょう軽量けいりょう自動車じどうしゃで、1960年代ねんだいのグランプリカーに外観がいかんつ。

また、イギリスやアメリカの自動車じどうしゃ雑誌ざっし寄稿きこうするかたわら、キャパロT1プロジェクト(フォーミュラカーのコンセプトで設計せっけいされた公道こうどうけスーパーカー)にも関与かんよしている。

マクラーレンをはなれたあとは、2007ねん設立せつりつした自身じしんのデザインスタジオ「ゴードン・マレー・デザイン[1][2]」をひきいて、大都市だいとしけの小型こがたコミューターカーなどの設計せっけい、デザインなどをおこなっている。2011ねんにはとう開発かいはつした電気でんき自動車じどうしゃ「TEEWAVE AR1」の開発かいはつ関与かんよした[9]

2011ねん、ロードカー部門ぶもん顧問こもんとしてグループ・ロータス加入かにゅうすることを発表はっぴょうした[10]。ただしロータス専属せんぞくというわけではなく、他社たしゃ仕事しごと並行へいこうしてがけている。

2013ねんにはヤマハ発動機やまははつどうき提携ていけいし、東京とうきょうモーターショー小型こがたコンセプトカー「MOTIV」を展示てんじ[11]。2015ねん東京とうきょうモーターショーでは2さくのスポーツカー「SPORTS RIDE CONCEPT」を発表はっぴょうした[12]この2だいはマレーが提唱ていしょうする鋼管こうかんスペースフレームとふくあい素材そざいパネルをわせた軽量けいりょうこう剛性ごうせい車体しゃたい技術ぎじゅつ「iStream」にもとづいて製作せいさくされた。

2015ねんには経営けいえい再建さいけんちゅうえいTVR契約けいやくし、同社どうしゃが2017ねん発表はっぴょう予定よてい新型しんがたしゃのデザインをがけていることがあきらかになった[13]。これは結局けっきょく同社どうしゃ新型しんがたグリフィスとして結実けつじつし、2019ねんより販売はんばいされている。

2017ねん10がつ、マレーは少量しょうりょう生産せいさんのロードカーブランド「ゴードン・マレー・オートモーティブ (GMA) 」を設立せつりつ[14]。2019ねんにブラバム・BT46Bとマクラーレン・F1の遺伝子いでんしぐフラッグシップモデル「T.50」の生産せいさん発表はっぴょうした[15](2022ねん発売はつばい予定よてい)。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b "ゴードン・マレー・アプライド・テクノロジーズ Ltd" - Company details”. Directorstats.co.uk (2017ねん). 2017ねん12月11にち閲覧えつらん
  2. ^ a b "ゴードン・マレー・デザイン"地図ちず - Wharfside Broadford Park, Guildford GU4 8EP(きゅうGTO)”. google maps. 2022ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  3. ^ ゴードン・マーレー、天才てんさいデザイナーとばれるまでの軌跡きせき しん本社ほんしゃ訪問ほうもん「ミンバグ 実際じっさいにドライブしてみると?」AUTOCAR JAPAN 2017ねん11月11にち
  4. ^ 【TOPIC】ゴードン・マレー、英国えいこく女王じょおうからCBEの称号しょうごう授与じゅよ”. Genroq Web (2018ねん12月31にち)。
  5. ^ a b R'onインタビュー 天才てんさい失速しっそく ゴードン・マーレイ Racing On 71ぺーじ 1986ねん12月1にち発行はっこう
  6. ^ ホンダ来季らいきはウィリアムズと訣別けつべつ発表はっぴょう「マクラーレンは将来しょうらい思考しこうのあるチーム」桜井さくらいそう監督かんとく記者きしゃ質問しつもんこたえる グランプリ・エクスプレス '87イタリアGPごう 31ぺーじ 山海さんかいどう 1987ねん9がつ25にち発行はっこう
  7. ^ 『GP Car Story Vol.01 マクラーレンMP4/4・ホンダ』、イデア、サンエイムック、2012ねん、21ぺーじ
  8. ^ メルセデス・ベンツSLRマクラーレン スーパーカーを夢見ゆめみたグランドツアラー 後編こうへん - AUTOCAR(2019ねん9がつ12にち)。
  9. ^ とうレの自動車じどうしゃけグリーンイノベーション戦略せんりゃく体現たいげんする次世代じせだいがたEVコンセプトカー「“TEEWAVE” AR1」が完成かんせい - とうレ・2011ねん9がつ9にち
  10. ^ ゴードン・マレーがグループ・ロータス加入かにゅう ESPN F1 2011ねん8がつ31にち(2011ねん9がつ3にち閲覧えつらん
  11. ^ ヤマハはつ自動車じどうしゃ事業じぎょう参入さんにゅう 2にん試作しさくしゃ「MOTIV」を披露ひろう - MSN産経さんけいニュース・2013ねん11月20にち
  12. ^ Sports Ride Concept - ヤマハ発動機やまははつどうき
  13. ^ えいTVR、マーレイ設計せっけいのマシンでル・マン復帰ふっき - オートスポーツ・2015ねん6がつ4にち
  14. ^ ゴードン・マレー、自動車じどうしゃメーカーげ…だいいち号車ごうしゃは マクラーレン F1 の再来さいらい - レスポンス(2019ねん10がつ23にち
  15. ^ ゴードン・マレーの新型しんがたスーパーカー『T.50』、直径ちょっけい400mmの「ファン」装着そうちゃく…デザイン発表はっぴょう - レスポンス(2019ねん12月12にち)。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • カーグラフィック - 2006ねんより、巻頭かんとうコラムを担当たんとうしていた(現在げんざい休止きゅうし)。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]