エリオ・デ・アンジェリス
エリオ・デ・アンジェリス | |
---|---|
デ・アンジェリス (1982 | |
イタリア | |
ローマ | |
1958 | |
1986 | |
F1での | |
1979-1986 | |
'79 シャドウ '80-'85 ロータス '86 ブラバム | |
109 (108スタート) | |
タイトル | 0 |
2 | |
9 | |
122 | |
ポールポジション | 3 |
ファステストラップ | 0 |
1979 | |
1982 | |
1985 | |
1986 |
エリオ・デ・アンジェリス(Elio de Angelis、1958
人物 紹介 [編集 ]
経歴 [編集 ]
1977
F1[編集 ]
シャドウ時代 [編集 ]
- 1979
年
20
ロータス時代 [編集 ]
- 1980
年
ロータスに
- 1981
年
- 1982
年
- 1983
年
- 1984
年
この
- 1985
年
この
ブラバム時代 [編集 ]
- 1986
年
1986
これらの
エピソード[編集 ]
- ピアノ
演奏 が得意 だったことでも知 られ、その腕前 は上級 者 だったという。1982年 のFISA・FOCA紛争 の最中 、それに対 するべくドライバー達 が集 まった際 、雰囲気 が悪 くい争 う皆 を諫めるように皆 の前 で演奏 を披露 したこともある。
喫煙 や飲酒 を普通 にしていた。あるパーティの席上 でタバコを吸 いながら酒 を飲 むデ・アンジェリスを見 たF1界 の知人 がその事 を指摘 したが、「君 、人生 にはこんな楽 しいことだってあるんだよ」と笑 って反論 したという。
新人 だった頃 、好 結果 が出始 めるとイタリア人 ドライバーだった事 もあり、「将来 的 にはフェラーリに行 くのではないか」と言 われていた。事実 エンツォ・フェラーリはデ・アンジェリスを気 にかけており、エンツォの計 らいにより1978年 オフにフィオラノでフェラーリ・312T3をテストドライブする機会 も与 えられた。しかしこの時 にエンツォの勘気 [5]を蒙 ってしまい、フェラーリ入 りが立 ち消 えてしまった。後 にデ・アンジェリスは、この時 の事 をかなり後悔 したという。
- ロータス
時代 後期 は、チームマネージャーのピーター・ウォーによるマネージメントの細 かな失敗 からチームメイトのマンセルと微妙 な関係 になった。そんな状況 下 でも1985年 、ウィリアムズに移籍 したマンセルがフランスGPの予選 中 にクラッシュし病院 へ搬送 されたとき、そのマンセルの安否 を気遣 い病院 へ最初 に電話 をかけてきたF1関係 者 はデ・アンジェリスだった。この経緯 もあり1986年 5月 の事故 の後 マンセルは「彼 は友人 だった」と元 チームメイトのエリオに対 し哀悼 の言葉 を述 べた。
- マンセルは「エリオは
本物 の紳士 だった。最初 は色々 問題 があったが後 には友人 になった」と述懐 している。また、セナは後年 にマクラーレンでゲルハルト・ベルガーと組 んだ際 、「チームメイトとこんなに良好 な関係 を築 けたのはエリオ以来 」と語 っている。
- アラン・プロストとはお
互 いにカートレースに参戦 していた1974年 以来 の友人 だった。デ・アンジェリスが落命 したポール・リカールテストも参加 していたプロストは、「エリオは誠実 な人 だった。彼 の死 は、見 ていなければ受 け入 れられたのかもしれない。でも僕 はあの日 、直後 に現場 へ駆 け付 けた1人 だった。もう少 し早 くコクピットから出 してあげることが出来 たら、助 かったかもしれなかったと今 でも思 ってしまう。そういう疑問 が沸 き上 がってくるとつらいよ。」とショックを受 けた心境 を吐露 している[6]。
妹 のファビアーナは自身 の死後 、レーサーのロス・チーバーと結婚 したが、後 に離婚 している。
- ジャン・アレジは
少年 時代 からデ・アンジェリスを尊敬 しており、ヘルメットのカラーデザインはデ・アンジェリスのものをベースにし、サイドの赤黒 ラインを継承 して愛用 し続 けた。そしてアレジの息子 ジュリアーノがレース活動 をスタートさせると、やはり赤 黒 の二色 ラインは引 き継 がれた[7]。
レース成績 [編集 ]
イタリア・フォーミュラ3選手権 [編集 ]
チーム | シャシ | エンジン | PP | FL | ポイント | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1977 |
トリベラート・レーシング・チーム | シェブロン | トヨタ 2T-G | 3 | 4 | 2 | 3 | 1 |
48 |
ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権 [編集 ]
チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | Pos. | Pts | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1977 |
トリベラート | シェブロン B38 | トヨタ 2T-G | LEC 10 |
NÜR 16 |
ZAN 9 |
ZOL 15 |
ÖST 4 |
IMO 4 |
PER DNQ |
MNZ 1 |
CET Ret |
KNU | KAS | DON | JAR | VLL 4 |
7 |
18 |
ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権 [編集 ]
エントラント | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | ポイント | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1977 |
スクーデリア・エベレスト | ラルト RT1 | フェラーリ Dino | SIL | THR | HOC | NÜR | VLL | PAU | MUG | ROU | NOG | PER | MIS 8 |
EST Ret |
NC | 0 | |
シェブロン B40 | DON 10 | |||||||||||||||||
1978 |
シェブロン B42 | THR Ret |
HOC Ret |
NÜR 10 |
PAU | MUG 14 |
VLL 10 |
ROU Ret |
14 |
4 | ||||||||
ハート | DON Ret |
NOG 12 |
PER Ret |
MIS 3 |
HOC DNS |
F1での年度 別 成績 [編集 ]
No. | ランキング | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1979 |
シャドウ | 18 | 15 |
3 | 4 |
0 |
12 |
1980 |
ロータス | 12 | 7 |
13 | 2 |
1 |
4 |
1981 |
11 | 8 |
14 | 4 |
0 |
6 | |
1982 |
11 | 9 |
23 | 1 |
1 |
7 | |
1983 |
11 | 17 |
2 | 5 |
0 |
1 | |
1984 |
11 | 3 |
34 | 2 |
4 |
1 | |
1985 |
11 | 5 |
33 | 1 |
3 |
1 | |
1986 |
ブラバム | 8 | 25 |
0 | 8 |
0 |
14 |
シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1979 |
シャドウ | DN9 | ARG 7 |
BRA 12 |
RSA Ret |
USW 7 |
ESP Ret |
BEL Ret |
MON DNQ |
FRA 16 |
GBR 12 |
GER 11 |
AUT Ret |
NED Ret |
ITA Ret |
CAN Ret |
USA 4 |
15 |
3 | |
1980 |
ロータス | 81 | ARG Ret |
BRA 2 |
RSA Ret |
USW Ret |
BEL 10 |
MON 9 |
FRA Ret |
GBR Ret |
GER 16 |
AUT 6 |
NED Ret |
ITA 4 |
CAN 10 |
USA 4 |
7 |
13 | ||
1981 |
USW Ret |
BRA 5 |
ARG 6 |
SMR WD |
BEL 5 |
8 |
14 | |||||||||||||
87 | MON Ret |
ESP 5 |
FRA 6 |
GBR DSQ |
GER 7 |
AUT 7 |
NED 5 |
ITA 4 |
CAN 6 |
CPL Ret |
||||||||||
1982 |
87B | RSA 8 |
9 |
23 | ||||||||||||||||
91 | BRA Ret |
USW 5 |
SMR | BEL 4 |
MON 5 |
DET Ret |
CAN 4 |
NED Ret |
GBR 4 |
FRA Ret |
GER Ret |
AUT 1 |
SUI 6 |
ITA Ret |
CPL Ret | |||||
1983 |
BRA DSQ |
17 |
2 | |||||||||||||||||
93T | USW Ret |
FRA Ret |
SMR Ret |
MON Ret |
BEL 9 |
DET Ret |
CAN Ret |
|||||||||||||
94T | GBR Ret |
GER Ret |
AUT Ret |
NED Ret |
ITA 5 |
EUR Ret |
RSA Ret |
|||||||||||||
1984 |
95T | BRA 3 |
RSA 7 |
BEL 5 |
SMR 3 |
FRA 5 |
MON 5‡ |
CAN 4 |
DET 2 |
DAL 3 |
GBR 4 |
GER Ret |
AUT Ret |
NED 4 |
ITA Ret |
EUR Ret |
POR 5 |
3 |
34 | |
1985 |
97T | BRA 3 |
POR 4 |
SMR 1 |
MON 3 |
CAN 5 |
DET 5 |
FRA 5 |
GBR NC |
GER Ret |
AUT 5 |
NED 5 |
ITA 6 |
BEL Ret |
EUR 5 |
RSA Ret |
AUS DSQ |
5 |
33 | |
1986 |
ブラバム | BT55 | BRA 8 |
ESP Ret |
SMR Ret |
MON Ret |
BEL | CAN | DET | FRA | GBR | GER | HUN | AUT | ITA | POR | MEX | AUS | NC (25 |
0 |
BMW・M1・プロカー・チャンピオンシップ[編集 ]
チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | ポイント | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1979 |
BMW・イタリア | ZOL 1 |
MCO | DIJ | SIL Ret |
HOC Ret |
ÖST | ZAN Ret |
MNZ | 13 |
20 |
関連 項目 [編集 ]
脚注 [編集 ]
- ^ インディ500のみ
出走 のドライバーを除 く。 - ^
後 の検死 によると、この時 に負 った傷 は片方 の鎖骨 骨折 のみだったとされている。 - ^
一説 には、不慣 れなコースマーシャルが防火 服 を着用 していなかった上 に、気 が動転 していた為 に必要 以上 に消火 剤 をマシンに浴 びせてしまい、その勢 いで火災 の煙 がコックピットに流 れて充満 し酸 欠 状態 となった為 と言 われている。書籍 によっては、マーシャルが駆 けつける際 に消火 器 を忘 れたとも記述 がある。「セナを殺 した男 たち」(ジョー・ホンダ、ベストセラーズ、1994年 )pp.150 - ^ デ・アンジェリス、ポールリカールに
死 す、マシンテスト中 にクラッシュ F1界 最後 のジェントルマンの冥福 を祈 る Racing On No.003 31頁 1986年 7月 1日 発行 - ^ エンツォがチャンスを
与 える意味 で受 けさせたテスト走行 の機会 だったにもかかわらず、デ・アンジェリスが多額 のサラリーを要求 した為 と言 われている。 - ^ アラン・プロストの10
年 プロフェッサーズトーク グランプリ・エクスプレス '90アメリカGP号 11頁 1990年 3月 31日 発行 - ^ SF
初 優勝 ジュリアーノ・アレジが語 るジャパニーズ・ドリーム読売新聞 2021年 12月12日