ミカ・サロ

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ミカ・サロ
ミカ・サロ (2011ねん
基本きほん情報じょうほう
フルネーム ミカ・ユハニ・サロ
略称りゃくしょう表記ひょうき SAL
国籍こくせき  フィンランド
出身しゅっしん どうヘルシンキ
生年月日せいねんがっぴ (1966-11-30) 1966ねん11月30にち(57さい
F1での経歴けいれき
活動かつどう時期じき 1994-2000,2002
所属しょぞくチーム '94 ロータス
'95-'97 ティレル
'98 アロウズ
'99 B・A・R
'99 フェラーリ
'00ザウバー
'02 トヨタ
出走しゅっそう回数かいすう 109
タイトル 0
優勝ゆうしょう回数かいすう 0
表彰台ひょうしょうだい(3以内いない)回数かいすう 2
通算つうさん獲得かくとくポイント 33
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
はつ勝利しょうり
最終さいしゅう勝利しょうり
最終さいしゅうせん 2002ねん日本にっぽんGP
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ミカ・ユハニ・サロMika Juhani Salo, 1966ねん11月30にち - )は、フィンランド出身しゅっしんもとレーシングドライバー

つま日本人にっぽんじんもとレースクイーンのノリコ・サロ(遠藤えんどう賀子かこ)、息子むすこはレーシングドライバーのマックス・サロ[1]

プロフィール[編集へんしゅう]

ジュニア時代じだい[編集へんしゅう]

ハッキネンとの関係かんけい[編集へんしゅう]

サロはカート時代じだいから2さい年下とししたおなじフィンランドじんおな名前なまえでもある、ミカ・ハッキネンとライバル関係かんけいにあり、「ふたりのミカ」として才能さいのう比較ひかくされた。出生しゅっしょうおなヴァンター(Vantaa)マルティンラークソであり、それぞれの生家せいか道路どうろを1ほんはさんだだけのちかさであった。現在げんざいかれらが少年しょうねん時代じだいごしたこの地域ちいきは“MIKA-MIKA-LAND”とばれ、ヘルシンキ近郊きんこうのちょっとした観光かんこうスポットになっている。

サロは1988ねんフォーミュラ・フォード1600ヨーロッパチャンピオンを獲得かくとく1989ねんアラン・ドッキング・レーシング英語えいごばんよりイギリスF3選手権せんしゅけん参戦さんせんする。1990ねんはハッキネンとふたりでイギリスF3を席巻せっけんし、サロは6しょうげシーズン前半ぜんはんのタイトルあらそいをリードしたが、9しょうしたハッキネンが中盤ちゅうばんせん以降いこう連勝れんしょうしチャンピオンとなった。マカオGPではハッキネンが優勝ゆうしょう目前もくぜんでクラッシュし、サロは優勝ゆうしょうしたミハエル・シューマッハ総合そうごう2獲得かくとくした。

当初とうしょ、ハッキネンは国際こくさいF3000選手権せんしゅけんにステップアップする予定よていであり、サロも結果けっかてきには日本にっぽんでF3000にステップアップしたため、予定よていどおりであったならたようなキャリアとなるはずだった。ところが、ハッキネンがDAMSF3000のマシンのテスト走行そうこう体験たいけん[2]したさい、そのマシンを酷評こくひょうしたため[3]、ハッキネンのマネージャー、ケケ・ロズベルグ計画けいかく変更へんこう名門めいもんではあったが存続そんぞく危機ききひんしていたチーム・ロータスのシートを確保かくほしてF1デビュー[4][5]決断けつだんしたのにたいし、サロにはハッキネンをマネージメントするロズベルグのようなF1へのつよいパイプを援軍えんぐんはいなかったこともあり、国際こくさいF3000選手権せんしゅけんへのステップアップもまらず、その両者りょうしゃのキャリアは明暗めいあんかれた。

F3時代じだいはげしいライバル関係かんけいから、イギリスではサロとハッキネンが不仲ふなかであるとほうじられることもすくなくなかったが、サロによると「ぼくらのあいだ問題もんだい発生はっせいしたことなんてない。そういういいかたをされるのはすべメディアのせいだ。元々もともとフィンランドで近所きんじょなんだけど、そのときから友達ともだちうわけではないんだ。ぼくらは年齢ねんれいも2つちがうし、性格せいかくまったちがう。共通きょうつう話題わだいいからはなしをしてるところ機会きかいすくないだけだ。かおわせれば普通ふつう挨拶あいさつするよ。」と二人ふたり関係かんけいせいかたっている[6]

全日本ぜんにほんF3 / 全日本ぜんにほんF3000[編集へんしゅう]

1991ねん活動かつどう日本にっぽんうつす。同年どうねん全日本ぜんにほんF3000選手権せんしゅけんだい2せんから参戦さんせん大雨おおあめとなっただい4せんMINEで6入賞にゅうしょうはつポイントをたが、日本にっぽん特有とくゆうのハイグリップタイヤと経験けいけんのサーキットで苦戦くせんおおくをめポイント獲得かくとくはその1せんのみのランキング22終了しゅうりょう

1992ねんアド・レーシング / チーム5ZIGENから全日本ぜんにほんF3000に継続けいぞく参戦さんせんし、だい3せんMINEで4獲得かくとく夏場なつばには全日本ぜんにほんF3選手権せんしゅけんにもダブルエントリーで参戦さんせん日本にっぽんのサーキットでの経験けいけんたかめた。前年ぜんねんより完走かんそうりつ向上こうじょうさせ、最終さいしゅうせん富士ふじでも5でポイントを獲得かくとくしランキングは15浮上ふじょうした。

1994ねんにそれまで使用しようしていた無限むげんエンジンからコスワースエンジンに変更へんこうすると、開幕かいまくせん鈴鹿すずかで3となり、ついに全日本ぜんにほんF3000でのはつ表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく日本にっぽんでは4シーズンをたたかい、最終さいしゅうねんとなった1994ねんにランキング最高さいこうとなるシリーズ7となった。

当時とうじサロとおなじく来日らいにち参戦さんせんし、のちにF1でもともたたかった仲間なかまにはジョニー・ハーバートエディ・アーバインハインツ・ハラルド・フレンツェンローランド・ラッツェンバーガージャック・ヴィルヌーヴ全日本ぜんにほんF3)らがおり、ジェフ・クロスノフトーマス・ダニエルソンマルコ・アピチェラともなかかった。サロはこの時期じきかえって、「日本にっぽんでの4年間ねんかん自分じぶんのキャリアにとって選択せんたくだった。タイヤ性能せいのうがF1よりもかったので、強大きょうだいなグリップによるコーナーでのよこGとハイスピードにえられる身体しんたい出来できた。日本にっぽんてなかったらぼくはヘルシンキでタクシー運転うんてんしゅでもやってたとおもう。」とかたっている[6]

F1[編集へんしゅう]

ロータス / ティレル / アロウズ[編集へんしゅう]

1995ねんイギリスGPにてティレル・023るサロ

1994ねんシーズンの終盤しゅうばんせんに、財政難ざいせいなんおちいったロータス・無限むげんホンダは、だい14せんヨーロッパGPまえジョニー・ハーバート契約けいやくリジェチームへ売却ばいきゃくして移籍いせきさせ、交換こうかんかたちエリック・ベルナール加入かにゅうさせた。ロータスとベルナールは1せんのみの契約けいやくで、よくせんだい15せん日本にっぽんGPでF1デビューをたしたのが、全日本ぜんにほんF3000で鈴鹿すずかくしていたサロであった。サロはこの鈴鹿すずかがF1マシンはつドライブとなった。

1995ねんはそのままロータスから参戦さんせんするする予定よていだったが、ロータスはシーズン終了しゅうりょう消滅しょうめつし、ロータスと合併がっぺいしたパシフィック・レーシングがサロとの契約けいやく主張しゅちょうし、裁判さいばん結果けっか契約けいやく無効むこう判断はんだんされ、開幕かいまくせん直前ちょくぜん母国ぼこくフィンランドの通信つうしん会社かいしゃノキアがメインスポンサーとなったティレル契約けいやく開幕かいまくせんブラジルでは3まで浮上ふじょうし、スピンで順位じゅんい結果けっか7となったが、それがければ表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくできるこうはしせた。現地げんちていたニキ・ラウダがサロについて「二流にりゅうのマシンにっていても一目いちもくでわかる才能さいのうだった。かれはかなりのポテンシャルだろう。こんグランプリ関係かんけいしゃ注目ちゅうもくすべきヤングドライバーはだれかといてごらんよ。100にんちゅう100にんがミカ・サロとこたえるだろう。」とべるなど、F1での3せんにしてたか評価ひょうか[7]。レギュラー初年度しょねんど同年どうねんに6以内いない入賞にゅうしょう3かい記録きろく1996ねん入賞にゅうしょう3かい記録きろくし、そのとしのチームメイト片山かたやま右京うきょうえる成績せいせきのこす。

しかし、1996ねん以降いこうティレルのチーム成績せいせき年々ねんねん下降かこうつづけ、1997ねんまでをレース中団ちゅうだんごすことになる。そして、1997ねんモナコGPではあめなかタイヤ交換こうかん作戦さくせん成功せいこうし5入賞にゅうしょう。このとし唯一ゆいいつかつティレルチームとして最後さいご入賞にゅうしょうとなった。

1998ねんデイモン・ヒルわってアロウズ移籍いせき。しかし、チームに前年ぜんねん健闘けんとうしたような戦闘せんとうりょくかったうえ、マシンの信頼しんらいせい前年ぜんねんより悪化あっか完走かんそうすらままならない状況じょうきょうであった。モナコGPで4はいペドロ・ディニスとダブル入賞にゅうしょうたしたが、入賞にゅうしょうはそれだけであった。予選よせんおよびランキングではシーズンをとおしてチームメイトを上回うわまわり、よくシーズンもアロウズ残留ざんりゅう予定よていだったが、1999ねん開幕かいまくぜんテストに合流ごうりゅうした高木たかぎとらかいとのシート争奪そうだつせんやぶれ、開幕かいまくせん直前ちょくぜんにチームから放出ほうしゅつ。シートをうしな浪人ろうにん生活せいかつ状態じょうたいで1999シーズンは開幕かいまくむかえた。

フェラーリ[編集へんしゅう]

1999ねんイタリアGPにてフェラーリ・F399るサロ

1999ねん開幕かいまくせん直前ちょくぜんにシートをうしなったサロだったが、同年どうねんがF1キャリアのなかもっと注目ちゅうもくびるシーズンとなった。

まず、ブラジルGPでクラッシュして欠場けつじょう余儀よぎなくされたリカルド・ゾンタ代役だいやくとして3レースに出場しゅつじょう。デビューシーズンでまったくの不振ふしんわったBARのシーズン最高さいこう成績せいせき(7)を記録きろくする。

イギリスGPミハエル・シューマッハがマシントラブルによってクラッシュしあし骨折こっせつ負傷ふしょう欠場けつじょうまると、その代役だいやくとしてサロが指名しめいされ、フィンランドじんはつとなる名門めいもんスクーデリア・フェラーリのシートをることになった。その2せんとなるドイツGPではレース中盤ちゅうばんからF1キャリアはつのラップリーダーとなり首位しゅい走行そうこうつづけるも、タイトルあらそちゅうエディ・アーバインたすためのチームオーダーれ、優勝ゆうしょうゆずった。それでも、自身じしんはつとなる2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくし、アーバインから感謝かんしゃしるしとして優勝ゆうしょうトロフィーをおくられた。そのイタリアGPでも3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく。ポイントを獲得かくとくできたのはこの2せんのみではあったがシューマッハ不在ふざいのフェラーリにおいて完璧かんぺき代役だいやくつとめ、このとしフェラーリのコンストラクターズタイトル獲得かくとくへもおおきく貢献こうけんした。BARで3せん、フェラーリで6せん合計ごうけい9せんのみの出走しゅっそうであったが、サロのF1キャリアのなかもっと年間ねんかんポイントをかせいだシーズンはこの1999ねんであった。

このシーズンのすけとしてのはたらきが評価ひょうかされ、翌年よくねんからF1レギュラーシートをもどすことになった。また、たか信頼しんらいたフェラーリとのパイプは、F1以後いごのレースキャリアでもつづくことになる。

ザウバー / トヨタ[編集へんしゅう]

2000ねんはフェラーリからの推薦すいせんもあり、フェラーリのエンジン供給きょうきゅうけるザウバーのシートを獲得かくとく。このとし安定あんていしたはしりをせ、4かい入賞にゅうしょうして6ポイント・ランキング11となったが、上位じょういでのレースが困難こんなんであると判断はんだんすると1ねんでチームを離脱りだつする。

2001ねん翌年よくねんからF1参戦さんせんすることを発表はっぴょうしたトヨタ契約けいやくし、アラン・マクニッシュとともに1年間ねんかんテストを担当たんとうした。サロは日本にっぽん在住ざいじゅう経験けいけんがあり、日本人にっぽんじん女性じょせい結婚けっこんしていたことから日本語にほんごでのコミュニケーション能力のうりょく非常ひじょうたかかった(すくなくともヒアリングについてはまった問題もんだいないという証言しょうげん多数たすうめる)。このためF1に参入さんにゅうしたばかりであり、すくなくない日本人にっぽんじんスタッフがじっていたトヨタにとっては非常ひじょう有益ゆうえき存在そんざいであった。

2002ねんからまんもたしてF1復帰ふっきたし、開幕かいまくせんオーストラリアGPでいきなり6入賞にゅうしょうし、デビューせんでトヨタにはつポイントをもたらす活躍かつやくせた。また、だい3せんブラジルGPでも6入賞にゅうしょうたしたが、結局けっきょくこのシーズンの入賞にゅうしょうはこの2かいのみとなった。トヨタとは複数ふくすうねん契約けいやくであったとされるが、翌年よくねんけトヨタはドライバーランナップを一新いっしんし、B・A・Rからオリビエ・パニスむかえ、2002ねんにトヨタエンジンでCARTチャンピオンを獲得かくとくしたクリスチアーノ・ダ・マッタをF1へ転向てんこうさせることを決定けってい。サロはトヨタのシートをうしない、以後いごF1シートの獲得かくとくらなかった。しくもF1デビューと最終さいしゅうレースがとも日本にっぽんGP(1994ねん・2002ねん)となった。

なお、F1参戦さんせん終了しゅうりょうしたのちにけたある手術しゅじゅつで、サロのはいこう濃度のうどのカーボンダストが検出けんしゅつされたと医師いしかしたことがきっかけで、F1かい使用しようするカーボンせいのブレーキディスクから発生はっせいするブレーキダストの問題もんだいはじめてげられることとなった[8]

F1以降いこう[編集へんしゅう]

2003ねんPKレーシングからCART4レースに参戦さんせんし、マイアミで3記録きろくした。ル・マン24あいだレースにはアウディから参戦さんせん

2004ねん以降いこうGTレース活躍かつやくうつし、FIA GT選手権せんしゅけんアメリカン・ル・マン・シリーズ (ALMS) に参戦さんせんする。ALMSではRisi Competizioneフェラーリ・F430GTり、2007ねんにはチームメイトのハイメ・メロともにALMS GT2クラスのドライバーズチャンピオンを獲得かくとくする。2008ねん2009ねんにはル・マンでもLMGT2クラスを連覇れんぱした。

2005ねん世界せかいラリー選手権せんしゅけん (WRC) フィンランドラリーでは、コースの試走しそうレッキおこなうドライバーとして走行そうこうした。ためし走行そうこう車両しゃりょうにもかかわらずかなりのハイペースで走行そうこうし、地元じもとファンからおおきな声援せいえんびている。フィンランドではもとレーシングドライバーがラリー走行そうこうをするのはまれなことではなく、過去かこにはケケ・ロズベルグやミカ・ハッキネンらもグラベルを走行そうこうしたことがある。

2010ねん以降いこうFIA GT1世界せかい選手権せんしゅけんV8スーパーカーにもスポット参戦さんせんしているほか、「フェラーリ・レーシング・デイズ鈴鹿すずか2012」のさい来日らいにちし、フェラーリ・チャレンジ・アジアパシフィック選手権せんしゅけんにゲストドライバーとして参戦さんせんするなど現役げんえき活動かつどうつづけている。また、地元じもとフィンランドのテレビ局てれびきょくMTV3解説かいせつしゃや、ゲストスチュワード[9]としてF1にかかわっている。

2018ねんはロシアのSMPレーシングのスポーティングディレクターをつとめ、FIA 世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん(WEC)に参戦さんせんするどうチームの運営うんえいにな一方いっぽうで、同年どうねんウィリアムズからF1に参戦さんせんしたセルゲイ・シロトキンのマネージメントも担当たんとうしている[10]

逸話いつわ[編集へんしゅう]

  • 1990ねんのF3シーズン終了しゅうりょう以後いご予定よていされたプランは2つしかく、交渉こうしょう上手うまくいけば国際こくさいF3000選手権せんしゅけんへのスポット参戦さんせん、それがだめな場合ばあいは1991ねんもイギリスF3に継続けいぞく参戦さんせんするしかかった。11月のマカオ・富士ふじのF3シリーズでのサロのはしりを日本にっぽんのレース関係かんけいしゃから「日本にっぽんでレース活動かつどうをするはありますか?」とはじめて打診だしんけたときは、日本にっぽんにF3000選手権せんしゅけんがあることもらなかったためではなかった。しかし2度目どめ電話でんわで「ギャラはいくらで、どんなマシンで、との提案ていあんをしてくれたとき、すぐに日本にっぽんでのレース参戦さんせんめた。だってぼくはそれまでレース賞金しょうきんはもらっていたけど、チームからの契約けいやくきんはもらったことかったんだよ。それがプロとして報酬ほうしゅうれてレースが出来できるなんて、すぐ日本にっぽんきますってこたえたよ。」とべている[6]
  • F1デビューはロータスからとなったが、なにかと比較ひかく対象たいしょうとなっていたハッキネンとF1デビューのチームがともにロータスとなり、カーナンバー「11」であることも共通きょうつうする偶然ぐうぜんしょうじた。ロータス仕様しようのレーシングスーツの準備じゅんびわなかったためハーバートが先月せんげつまでロータスで着用ちゃくようしていたものをりての出走しゅっそうだった[11]
  • 日本にっぽん居住きょじゅう時代じだい東京とうきょう下北沢しもきたざわ生活せいかつ拠点きょてんとしており、Racing On誌上しじょう近所きんじょ散策さんさくする様子ようす日課にっかであるスポーツクラブかよいなども紹介しょうかいされた[12]。アーバイン、ラッツェンバーガー、ヴィルヌーヴ、トーマス・ダニエルソンとはレースのしゅうでもなかく、サロのそれほどひろくはない下北沢しもきたざわのマンションの部屋へやあそびにてはみなでそのゆか雑魚寝ざこねをしていくなど行動こうどうともにしていた[6]。このころレースクイーンをしていたのちつまとなる賀子かこ夫人ふじんともっている。
  • 多数たすうのレーシングカーをったなかでも、日本にっぽん時代じだいったF3000マシンは印象深いんしょうぶかいとべている。「F1マシンはF3にちかところがあって、個人こじんてきにはF3000のフィーリングがきだった。日本にっぽんのハイグリップタイヤも面白おもしろかったしね。でも成績せいせきもタイムもなかなかなかったから、いまでも不思議ふしぎおもことがある。F1はハイスピードのグリップは強烈きょうれつだから、高速こうそくいきになると意外いがいとドライビングは簡単かんたんなんだ。でも100km/h以下いかだとウイングの効果こうかくなるからまったくグリップしてくれない。F3000はそのてん高速こうそく低速ていそく安定あんていしていたよ」とF1マシンと全日本ぜんにほんF3000マシンのちがいを解説かいせつしている。
  • 1995ねん開幕かいまくせん、ティレルへの移籍いせき初戦しょせんにして3走行そうこうしながらスピンしてしまった原因げんいんは、ティレル加入かにゅう決定けっていがあまりにも直前ちょくぜんでの決定けっていになったため、自分じぶんよう専用せんようシート製作せいさく出来できておらず前任ぜんにんマーク・ブランデル仕様しようのシートそのままだったためポジションに不具合ふぐあいおおく「かた想像そうぞうぜっするいたみで、うで感覚かんかくくなってしまった」ためだった。このレースではレースウェアもブランデルがチームにいてったものをりて出走しゅっそうしていたため、「自分じぶんようものはパンツとヘルメットだけだった」とコメントしている。
  • ティレルでチームメイトとなった片山かたやま右京うきょうについて、「日本にっぽんった1991ねんのチャンピオンはかれだし、いドライバーなのは間違まちがいない。ぼくとはドライビングのスタイルが極端きょくたんちがっていたのでセッティングの共有きょうゆうまったくできなかった。右京うきょうこのみはオーバーステア気味ぎみのセットだけど、ぼくはオーバーステアが大嫌だいきらいなんだ。ブレーキングではかれほうがかなりふかくまでむし、ワイルドだね。マシン開発かいはつめんでは共通きょうつうてんがほとんどいので、はしったのち感想かんそうちがってしまう。マシンを開発かいはつするハーベイ・ポスルスウェイトにとっては問題もんだいだったかもしれない。」とかたっている[6]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

  • 家族かぞく夫人ふじんとのあいだに1なん1じょ長男ちょうなんのマックス・サロはレーシングドライバーのみちすすんでいる。2020ねんには日本にっぽんおこなわれる『ポルシェ スプリント チャレンジ ジャパン』シリーズへの参戦さんせん発表はっぴょうしたが[13]新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこう影響えいきょう入国にゅうこく困難こんなんとなったため、実際じっさいには開幕かいまくせん参戦さんせんしたのみにわった。2021ねんにはFIA-F4選手権せんしゅけん[14]、2023ねんにはスーパー耐久たいきゅう・ST-Zクラスに参戦さんせんする[15]など、以後いご日本にっぽんでレース活動かつどうおこなっている。

レース戦績せんせき[編集へんしゅう]

フォーミュラ[編集へんしゅう]

イギリス・フォーミュラ3選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位じゅんい ポイント
1989ねん アラン・ドッキング・レーシング アルファロメオ A THR
7
DON
C
SIL
5
BRH
Ret
SIL
10
BRH
5
THR
7
SIL
5
DON
10
SIL
6
SNE
Ret
OUL
12
SIL
11
BRH
7
DON
5
SIL
6
THR
Ret
14 10
1990ねん 無限むげん A DON
2
SIL
1
THR
2
BRH
4
SIL
1
BRH
1
THR
1
SIL
2
DON
5
SIL
1
SNE
7
OUL
2
SIL
2
BRH
Ret
DON
3
THR
1
SIL
Ret
2 64

全日本ぜんにほんフォーミュラ3選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位じゅんい ポイント
1992ねん チーム・5ZIGEN トヨタ SUZ TSU FSW SUZ SEN
Ret
TAI
7
MIN
5
SUG
7
SUZ SUZ 13 2

(key)

全日本ぜんにほんF3000選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位じゅんい ポイント
1991ねん 株式会社かぶしきがいしゃアド・レーシング ローラ・T91/50 無限むげん SUZ AUT
14
FSW
DNQ
MIN
6
SUZ
DNQ
SUG
DNQ
FSW
18
SUZ
Ret
FSW
C
22 1
レイナード・91D SUZ
DNQ
FSW
Ret
1992ねん レイナード・92D SUZ
Ret
FSW
15
MIN
4
SUZ
Ret
AUT
10
SUG
Ret
FSW
18
FSW
17
SUZ
8
FSW
15
FSW
5
15 5
1993ねん ローラ・T93/50 SUZ
13
FSW
9
MIN
7
SUZ
Ret
AUT
C
SUG
6
FSW
C
FSW
DNS
SUZ
17
FSW
Ret
SUZ
Ret
17 1
1994ねん チーム・5ZIGEN with AD RACING TEAM コスワース SUZ
3
FSW
5
MIN
7
SUZ
11
7 6
ローラ・T94/50 ジャッド SUG
12
FSW
Ret
SUZ
8
FSW
Ret
FSW SUZ
10

F1世界せかい選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1994ねん ロータス 109 無限むげんホンダ・MF351 HC 3.5L V10 BRA PAC SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR JPN
10
AUS
Ret
NC
(32)
0
1995ねん ティレル 023 ヤマハ・OX10C 3.0L V10 BRA
7
ARG
Ret
SMR
Ret
ESP
10
MON
Ret
CAN
7
FRA
15
GBR
8
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
8
ITA
5
POR
13
EUR
10
PAC
12
JPN
6
AUS
5
15 5
1996ねん 024 ヤマハ・OX11A 3.0L V10 AUS
6
BRA
5
ARG
Ret
EUR
DSQ
SMR
Ret
MON
5
ESP
DSQ
CAN
Ret
FRA
10
GBR
7
GER
9
HUN
Ret
BEL
7
ITA
Ret
POR
11
JPN
Ret
13 5
1997ねん 025 フォード・ED5 3.0L V8 AUS
Ret
BRA
13
ARG
8
SMR
9
MON
5
ESP
Ret
CAN
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
HUN
13
BEL
11
ITA
Ret
AUT
Ret
LUX
10
JPN
Ret
EUR
12
17 2
1998ねん アロウズ A19 アロウズ・T2-F1 3.0L V10 AUS
Ret
BRA
Ret
ARG
Ret
SMR
9
ESP
Ret
MON
4
CAN
Ret
FRA
13
GBR
Ret
AUT
Ret
GER
14
HUN
Ret
BEL
DNS
ITA
Ret
LUX
14
JPN
Ret
13 3
1999ねん B・A・R 01 スーパーテック・FB01 3.0L V10 AUS BRA SMR
7
MON
Ret
ESP
8
CAN FRA GBR 10 10
フェラーリ F399 フェラーリ・Tipo048 3.0L V10 AUT
9
GER
2
HUN
12
BEL
7
ITA
3
EUR
Ret
MAL JPN
2000ねん ザウバー C19 ペトロナス・SPE04E 3.0L V10 AUS
DSQ
BRA
DNS
SMR
6
GBR
8
ESP
7
EUR
Ret
MON
5
CAN
Ret
GBR
10
AUT
6
GER
5
HUN
10
BEL
9
ITA
7
USA
Ret
JPN
10
MAL
8
11 6
2002ねん トヨタ TF102 トヨタ・RVX-02 3.0L V10 AUS
6
MAL
12
BRA
6
SMR
Ret
ESP
9
AUT
8
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
Ret
GBR
Ret
FRA
Ret
GER
9
HUN
15
BEL
7
ITA
11
USA
14
JPN
8
17 2

(key)

  •  : リタイアだが、90%以上いじょう距離きょり走行そうこうしたため規定きていにより完走かんそうあつかい。

CART[編集へんしゅう]

とし チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位じゅんい ポイント
2003ねん PK・レーシング ローラ・B02/00 コスワース STP MTY LBH BRH LAU MIL LS POR CLE TOR VAN ROA MDO
MTL DEN
14
MIA
3
MXC
5
SRF
11
FON
C
16 26

(key)

スポーツカー[編集へんしゅう]

FIA GT選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム 使用しよう車両しゃりょう クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位じゅんい ポイント
2004ねん GPC ジェッセ・スクアドラ・コルセ フェラーリ・575-GTCマラネロ GT MNZ VAL MAG HOC BRN DON SPA
2
9 27
AFコルセ マセラティ・MC12 GT1 IMO
2
OSC
1
DUB
Ret
ZHU
1
2006ねん フェラーリ・F430 GT2 GT2 SIL
3
BRN
6
OSC
2
SPA
1
CAS
5
DIJ
3
MUG
4
HUN
5
ADR
DSQ
DUB
3
3 61
2007ねん ヴィタフォン・レーシング マセラティ・MC12 GT1 GT1 ZHU SIL
1
BUC MNZ OSC 16 10
AFコルセ フェラーリ・F430 GT2 GT2 SPA
Ret
ADR NOG ZOL NC 0
2008ねん GT2 SIL MNZ ADR OSC SPA
3
BUC1 BUC2 BRN NOG ZOL SUN 18 13

アメリカン・ル・マン・シリーズ[編集へんしゅう]

とし チーム 使用しよう車両しゃりょう クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位じゅんい ポイント
2003ねん アウディスポーツ・UK アウディ・R8 LMP900 SEB
4
ATL SNM TRO MOS ROA LGA MIA PET 28 12
2005ねん マセラティ・コルセ マセラティ・MC12 GT1 GT1 SEB ATL MDO LIM SNM POR
4
ROA MOS PET LGA NC 0
2006ねん リシ・コンペティツィオーネ フェラーリ・F430 GT2 GT2 SEB HOU
3
MDO
6
LIM UTA
1
POR
1
ROA MOS PET LGA
1
9 82
2007ねん GT2 SEB
1
STP
1
LBH
1
HOU
1
UTA
Ret
LIM
9
MDO
2
ROA
1
MOS
1
DET
1
PET
6
LGA
1
1 202
2008ねん GT2 SEB
Ret
STP
10
LBH
9
UTA
Ret
LIM
3
MDO
5
ROA
5
MOS
1
DET
3
PET
1
LGA
2
7 121
2009ねん GT2 SEB
1
STP LBH UTA LIM MDO ROA MOS PET
1
LGA 13 60
2010ねん GT SEB LBH LGA UTA LIM
4
MDO ROA
7
MOS PET
7
21 28

FIA GT1世界せかい選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム 使用しよう車両しゃりょう 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位じゅんい ポイント
2010ねん マッドクロック・レーシング シボレー・コルベット C6.R ABU
QR

Ret
ABU
CR

15
SIL
QR
SIL
CR
BRN
QR

19
BRN
CR

12
PRI
QR
PRI
CR
SPA
QR
SPA
CR
NÜR
QR

15
NÜR
CR

23
ALG
QR
ALG
CR
NAV
QR
NAV
CR
INT
QR
INT
CR
SAN
QR
SAN
CR
52 0

(key)

ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ[編集へんしゅう]

とし チーム 使用しよう車両しゃりょう クラス 1 2 3 4 5 順位じゅんい ポイント
2013ねん SMPレーシング フェラーリ・458イタリア GT3 GTC SIL IMO SPL HUN CAS
5
13 10
2014ねん GTC SIL
IMO
10
SPL
9
CAS
11
EST
11
28 4

ル・マン24あいだレース[編集へんしゅう]

ル・マン24あいだレース 結果けっか
とし チーム コ・ドライバー 使用しよう車両しゃりょう クラス 周回しゅうかい 順位じゅんい クラス
順位じゅんい
2003ねん イギリスの旗 アウディスポーツ・UK
イギリスの旗 アリーナ・モータースポーツ
ドイツの旗 フランク・ビエラ
イギリスの旗 ペリー・マッカーシー
アウディ・R8 LMP900 28 DNF DNF
2007ねん アメリカ合衆国の旗 リシ・コンペティツィオーネ イギリスの旗 ジョニー・モウレム
ブラジルの旗 ハイメ・メロ
フェラーリ・F430 GT2 GT2 223 DNF DNF
2008ねん ブラジルの旗 ハイメ・メロ
イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
GT2 326 19 1
2009ねん ブラジルの旗 ハイメ・メロ
ドイツの旗 ピエール・カッファー
GT2 329 18 1
2010ねん イタリアの旗 AFコルセ アルゼンチンの旗 ルイス・ペレス・コンパンク
アルゼンチンの旗 マティアス・ルッソ
GT2 0 DNS DNS
2014ねん ロシアの旗 SMPレーシング ロシアの旗 セルゲイ・ズロービン
ロシアの旗 アントン・ラディギン
オレカ・03R-日産にっさん LMP2 303 37 12

セブリング12あいだレース[編集へんしゅう]

セブリング12あいだレース 結果けっか
とし チーム コ・ドライバー 使用しよう車両しゃりょう クラス 周回しゅうかい 順位じゅんい クラス
順位じゅんい
2003ねん イギリスの旗 アウディスポーツ・UK イギリスの旗 ジョニー・ケイン
イギリスの旗 ペリー・マッカーシー
アウディ・R8 LMP900 351 6 6
2007ねん アメリカ合衆国の旗 リシ・コンペティツィオーネ ブラジルの旗 ハイメ・メロ
イギリスの旗 ジョニー・モウレム
フェラーリ・F430 GT2 GT2 330 12 1
2008ねん ブラジルの旗 ハイメ・メロ
イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
GT2 137 DNF DNF
2009ねん ブラジルの旗 ハイメ・メロ
ドイツの旗 ピエール・カッファー
GT2 332 8 1
2011ねん ブラジルの旗 ハイメ・メロ
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
フェラーリ・458イタリア GT2 GT 266 DNF DNF

スパ・フランコルシャン24あいだレース[編集へんしゅう]

スパ24あいだレース 結果けっか
とし チーム コ・ドライバー 使用しよう車両しゃりょう クラス 周回しゅうかい 順位じゅんい クラス
順位じゅんい
2004ねん イタリアの旗 GPC ジェッセ・スクアドラ・コルセ ベルギーの旗 ヴィンセント・フォッセ
イタリアの旗 ファビオ・バビーニ
オーストリアの旗 フィリップ・ピーター
フェラーリ・575-GTCマラネロ GT 557 2 2
2006ねん イタリアの旗 AFコルセ ポルトガルの旗 ルイ・アグアス
ドイツの旗 ティモ・シャイダー
フェラーリ・F430 GT2 GT2 560 6 1
2007ねん ドイツの旗 ディルク・ミューラー
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
GT2 365 30 10
2008ねん イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
ブラジルの旗 ハイメ・メロ
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
GT2 550 7 3
2013ねん ロシアの旗 SMPレーシング ロシアの旗 キリル・ラディギン
ロシアの旗 ヴィクトル・シャイタル
イタリアの旗 マウリツィオ・メディアーニ
フェラーリ・458イタリア GT3 Pro-Am 556 6 2

全日本ぜんにほんツーリングカー選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム 使用しよう車両しゃりょう クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位じゅんい ポイント
1993ねん チーム・5ZIGEN トヨタ・カローラレビン JTC-3 MIN
8
AUT
5
SUG
6
SUZ
Ret
TAI
Ret
TSU
1
TOK
Ret
SEN
Ret
FSW
4
14 47

(key)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ミカ・サロの息子むすこ、「YOUはなにしに日本にっぽんへ?」に出演しゅつえんするようです! - みんなでF1・2021ねん10がつ25にち
  2. ^ ミカ・ハッキネン いつもプレッシャーのなかで Racing On 1991ねん11月15にちごう 79ぺーじ ニュにゅズ出版ずしゅっぱん
  3. ^ ZOOM UP DRIVER ミカ・ハッキネン F1かい巨人きょじん目指めざして F1速報そくほう 1991ねんだい15せん日本にっぽんGPごう 31ぺーじ たけしゅう書房しょぼう
  4. ^ ハッキネンがロータスり、ケケ・ロズベルグが強力きょうりょく推薦すいせん オートスポーツ No.573 1991ねん2がつ1にちごう 三栄書房さんえいしょぼう
  5. ^ 活動かつどう中止ちゅうし危機ききおちいっていたチームロータス、どたんばになってケケ・ロズベルグの強力きょうりょくテコ入てこいれによりミカ・ハッキネンとオルスト・シュベルがチームに加入かにゅう。まずはチームのF1参戦さんせん確保かくほ F1速報そくほう 1991開幕かいまく直前ちょくぜんごう 38ぺーじ 1991ねん3がつ11にち発行はっこう しゅう書房しょぼう
  6. ^ a b c d e 「もうひとりのミカ」インタビュー ミカ・サロ Racing On No.193 90-93ぺーじ 1995ねん6がつ9にち発行はっこう
  7. ^ ミカ・サロ '95シーズン最大さいだい有望ゆうぼうかぶ F1グランプリ特集とくしゅう 24-25ぺーじ 1995ねん6がつ16にち発行はっこう
  8. ^ ドライバーにブレーキダストが直撃ちょくげき?ベッテル、今季こんきマシンの問題もんだいてん指摘してき Motorsport.com 2022ねん7がつ12にち
  9. ^ "バーレーンGPのスチュワードはサロ". GpUpdate.(2013ねん4がつ17にち)2013ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  10. ^ ウィリアムズのドライバーたちは“ハングリー”だとミカ・サロ - TopNews・2018ねん1がつ17にち
  11. ^ サロ「ジョニーからりたウェアのあしみじかくてこまった(笑)」AS+F 1994ねん日本にっぽんGPごう 三栄書房さんえいしょぼう 1994ねん11月
  12. ^ オフはスカッシュでリフレッシュ ミカ・サロ Racing On たけしゅう書房しょぼう 1991ねん
  13. ^ https://jp.motorsport.com/porsche/news/PSCJ-Max-Salo-Field-Manegment-motorsport-announcement/4773442/ ミカ・サロの長男ちょうなん、マックス・サロが日本にっぽんでポルシェをる! PSCJへの参戦さんせん発表はっぴょう] - motorsport.com 2020ねん3がつ26にち
  14. ^ ATEAM Buzz Racing、2021ねんもFIA-F4はじめおおくの若手わかてドライバーをバックアップ - オートスポーツ・2021ねん4がつ30にち
  15. ^ 佐々木ささきたかしふとしひきいるBUZZ KOTA RACINGがマクラーレンでスーパー耐久たいきゅうST-Zクラス挑戦ちょうせん - オートスポーツ・2023ねん2がつ21にち

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]