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マニクール・サーキット

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Circuit de Nevers Magny-Cours
所在地しょざいちフランス、マニクール
標準時ひょうじゅんじGMT +1 (DST: +2)
オープン1960ねん8がつ7にち
旧名きゅうめいサーキット ジャン・ベーラ (1960ねん–1970ねん)
おもなイベントF1, GP2, WSBK, WTCC, スーパーリーグ・フォーミュラ
Grand Prix Circuit
コースちょう4.411 km (2.741 mi)
コーナーすう17
レコードタイム1:15.377 (ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ, フェラーリ F2004, 2004)
National Circuit
コースちょう2.684 km (1.668 mi)
コーナーすう12
Club Circuit
コースちょう1.727 km (1.073 mi)
コーナーすう11

シルキュイ・ド・ヌヴェール・マニ=クールふつ: Circuit de Nevers Magny-Cours, マニクール・サーキット)は、フランス中部ちゅうぶヌヴェールからおよそ13kmみなみのマニクールむらにあるサーキット全長ぜんちょう4411m。

概要がいよう[編集へんしゅう]

F1フランスグランプリ1991ねんから2008ねんまでおこなわれていた。リジェ創始そうししゃギ・リジェ当地とうち出身しゅっしんで、隣接りんせつにリジェのファクトリーがあった。ミッテラン大統領だいとうりょう当時とうじ)がギ・リジェと旧知きゅうちなかであったため、グランプリが当地とうち誘致ゆうちされた経緯けいいには政治せいじりょくはたらいたのではないかとうわさされた。

コース路面ろめん非常ひじょうにフラットな舗装ほそうで、かつアスファルトが比較的ひかくてきくろっぽいことから、タイヤの磨耗まもうおおきい。タイヤ交換こうかん可能かのうF1レギュレーションしたでは、フューエル・エフェクト(燃料ねんりょうりょうがラップタイムにあたえる影響えいきょうのこと)を上回うわまわっていた。コースじょうでのオーバーテイクはむずかしく、ピット作業さぎょう以外いがいでは順位じゅんい変動へんどうすくないレース展開てんかいおおかった。

2003ねんには最終さいしゅうコーナー周辺しゅうへん改修かいしゅうされ、ピットでのロスタイムが縮小しゅくしょうされた。

サーキットは近代きんだいてき設備せつびととのっているものの、周囲しゅういには田園でんえん風景ふうけいひろがるのみである。アクセスのわるさや、宿泊しゅくはく施設しせつ不足ふそくなどの理由りゆうで、なんかフランスGP中止ちゅうし危機ききにさらされてきたが、代替だいたい誘致ゆうちにも難航なんこうしていることから中止ちゅうしにはいたっていなかった。しかし2008ねん10がつ15にちにフランス自動車じどうしゃ連盟れんめい (FFSA) が開催かいさい費用ひようたかすぎるという理由りゆうから2009年度ねんど開催かいさい中止ちゅうしした。

ミハエル・シューマッハはF1キャリアちゅうこのコースで8しょう一番いちばんっている。2002ねんにはF1史上しじょう最速さいそくの17戦中せんちゅう11せん消化しょうかりつ64.7%)でドライバーズ・チャンピオン獲得かくとく確定かくていさせた。2004ねんには4かいピットストップ作戦さくせんという奇策きさくフェルナンド・アロンソやぶ勝利しょうりしている。

自転車じてんしゃロードレースのパリ〜ニース2014ではだい3ステージのフィニッシュに採用さいようされた。このさい最終さいしゅうコーナーのクランク部分ぶぶん手前てまえからコースにはいり、ぎゃくはしするかたちでコースを1しゅうするレイアウトがとられた。ステージ終了しゅうりょう表彰ひょうしょうしきではサーキットの表彰台ひょうしょうだい活用かつようした。

コースレイアウト[編集へんしゅう]

1992ねんから2002ねんまでのレイアウト
ピットから最終さいしゅうコーナー方向ほうこう眺望ちょうぼう

みじかいホームストレートから、スピードをたもちながら1・2コーナーへ。みぎまわりの高速こうそくロングコーナーエストリル (Estoril) を通過つうかして、ゆるやかにみぎにカーブしたながいバックストレートにかう。ストレートエンドのアデレード (Adelaide) ヘアピンでは、ギアを1そくまでとしてハードブレーキングをおこなう。ここがコースちゅう最大さいだいのパッシングポイントとなる。ただし、エストリルでは乱気流らんきりゅう影響えいきょうまえはしくるま接近せっきんしにくいため、バックストレートでのオーバーテイクは簡単かんたんではない。

ヘアピンをがると、反対はんたい方向ほうこうにまたストレートがつづく。ニュルブルクリンク (Nürburgring) シケインを高速こうそくでかすめるように通過つうかし、減速げんそくしてひだりコーナーの180まわむ。

コースはふたたぎゃく方向ほうこうかい、高速こうそくシケインのイモラ (Imola) へ。ここは入口いりくちくだり、出口でぐちのぼりの勾配こうばいいている。みぎまわりのシャトー・ドー (Chateaux D'Eau) は改修かいしゅうまえよりもとがった形状けいじょう変更へんこうされた。

最終さいしゅうセクションのリセ (Lysée) も改修かいしゅうまえみぎひだりみぎおおきくかえ低速ていそくシケインだったが、パッシングポイントとなるようアプローチ部分ぶぶん延長えんちょうし、鋭角えいかくみぎターンに変更へんこうされた。リセをがると加速かそくし、ちいさなクランク縁石えんせきまたぎながら通過つうかしてホームストレートにもどる。

マニクールのピットレーンは非常ひじょうはばせまく、レースちゅう各車かくしゃ同時どうじにピットインすると、あわや接触せっしょくというシーンがみられた。

マニ・クールでの過去かこのF1グランプリの結果けっか[編集へんしゅう]

とし 決勝けっしょう ラウンド グランプリ 勝者しょうしゃ 所属しょぞくチーム
1991 7がつ7にち 7 フランス ナイジェル・マンセル ウィリアムズ
1992 7がつ5にち 8 フランス ナイジェル・マンセル ウィリアムズ
1993 7がつ4にち 8 フランス アラン・プロスト ウィリアムズ
1994 7がつ3にち 7 フランス ミハエル・シューマッハ ベネトン
1995 7がつ2にち 7 フランス ミハエル・シューマッハ ベネトン
1996 6月30にち 9 フランス デイモン・ヒル ウィリアムズ
1997 6月29にち 8 フランス ミハエル・シューマッハ フェラーリ
1998 6月28にち 8 フランス ミハエル・シューマッハ フェラーリ
1999 6月27にち 7 フランス ハインツ=ハラルド・フレンツェン ジョーダン
2000 7がつ2にち 9 フランス デビッド・クルサード マクラーレン
2001 7がつ1にち 10 フランス ミハエル・シューマッハ フェラーリ
2002 7がつ21にち 11 フランス ミハエル・シューマッハ フェラーリ
2003 7がつ6にち 10 フランス ラルフ・シューマッハ ウィリアムズ
2004 7がつ4にち 10 フランス ミハエル・シューマッハ フェラーリ
2005 7がつ3にち 10 フランス フェルナンド・アロンソ ルノー
2006 7がつ16にち 11 フランス ミハエル・シューマッハ フェラーリ
2007 7がつ1にち 8 フランス キミ・ライコネン フェラーリ
2008 6月22にち 8 フランス フェリペ・マッサ フェラーリ

座標ざひょう: 北緯ほくい4651ふん49.84びょう 東経とうけい309ふん46.00びょう / 北緯ほくい46.8638444 東経とうけい3.1627778 / 46.8638444; 3.1627778

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]