フェリペ・マッサ

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フェリペ・マッサ

ブラジル政府せいふとの行事ぎょうじにて(2018ねん
基本きほん情報じょうほう
略称りゃくしょう表記ひょうき MAS
国籍こくせき ブラジルの旗 ブラジル
出身しゅっしん どうサンパウロ
生年月日せいねんがっぴ (1981-04-25) 1981ねん4がつ25にち(43さい
F1での経歴けいれき
活動かつどう時期じき 2002, 2004-2017
所属しょぞくチーム '02, '04-'05 ザウバー
'06-'13 フェラーリ
'14-'17 ウィリアムズ
くるまばん 19
出走しゅっそう回数かいすう 272 (269スタート)
タイトル 0
優勝ゆうしょう回数かいすう 11
表彰台ひょうしょうだい(3以内いない)回数かいすう 41
通算つうさん獲得かくとくポイント 1,167
ポールポジション 16
ファステストラップ 15
初戦しょせん 2002ねんオーストラリアGP
はつ勝利しょうり 2006ねんトルコGP
最終さいしゅう勝利しょうり 2008ねんブラジルGP
最終さいしゅうせん 2017ねんアブダビGP
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フェリペ・マッサFelipe Massa, 1981ねん4がつ25にち - )は、ブラジル出身しゅっしんレーシングドライバー

F1にてザウバーフェラーリウィリアムズ活躍かつやく通算つうさん11しょう記録きろくした。近年きんねんは、FIA委員いいんかい役員やくいんつとめている。

初期しょき経歴けいれき[編集へんしゅう]

祖父そふイタリアフォッジャけんチェリニョーラからの移民いみんで、イタリア移民いみんとしては比較的ひかくてき最近さいきん世代せだい家系かけいまれた。

8さいカートレーシングはじめ、国内外こくないがい選手権せんしゅけんで9年間ねんかん活動かつどうした。

1998ねんジュニアフォーミュラにステップアップし、フォーミュラ・シボレーのブラジル選手権せんしゅけん参戦さんせん初年度しょねんどにランキング5獲得かくとくし、翌年よくねんには10戦中せんちゅう3しょう選手権せんしゅけんタイトルを獲得かくとくした。

2000ねんにはヨーロッパへわたり、フォーミュラ・ルノーのイタリア選手権せんしゅけんとユーロカップに参戦さんせんし、りょう選手権せんしゅけんともにタイトルを獲得かくとくした。

2001ねんにはF3へステップアップする機会きかいたが、イタリアを中心ちゅうしん開催かいさいされているユーロF3000げんユーロ3000選手権せんしゅけん)への参戦さんせんえらび、参戦さんせん初年度しょねんどにもかかわらず8戦中せんちゅう6しょうげるという圧倒的あっとうてき成績せいせきでタイトルを獲得かくとくした。

この活躍かつやく注目ちゅうもくしたザウバーからF1テストの機会きかいあたえられ、テストの結果けっかザウバーとの契約けいやくり、翌年よくねんからF1参戦さんせんたす。

F1の経歴けいれき(2002ねん - 2017ねん[編集へんしゅう]

ザウバー時代じだい[編集へんしゅう]

2002ねん・2003ねん[編集へんしゅう]

ザウバー時代じだい

2002ねんマクラーレン移籍いせきしたキミ・ライコネン後任こうにんとして、20さい312にちというわかさでF1デビューをかざった。デビュー2せんマレーシアGPで6入賞にゅうしょうはつのポイントを獲得かくとくするも、このころにはミスもおおく、だい11せんフランスGPではピットレーン出口でぐち白線はくせんを2かいまたいだことでそれぞれドライブスルーペナルティの処分しょぶんあたえられた。また、だい15せんイタリアGPではジャガーペドロ・デ・ラ・ロサとの接触せっしょくよくせんの10グリッド降格こうかくペナルティをいいわたされたため、ペナルティの回避かいひ目的もくてきよくせんアメリカGPのシートをハインツ=ハラルド・フレンツェンゆずった。最終さいしゅうてき入賞にゅうしょうは3かい、ランキング13でシーズンをえる。

シーズン終盤しゅうばんには、ザウバーが2003ねんにチームメイトのニック・ハイドフェルド継続けいぞく代役だいやくとして出場しゅつじょうしたフレンツェンの2めい登用とうようすることを決定けっていし、マッサはシートをうしなった。それにともなフェラーリ移籍いせきし、2003ねんシーズンちゅうはテストドライバーをつとめた。

2004ねん[編集へんしゅう]

2004ねん、フェラーリからの推薦すいせんによりザウバーからF1復帰ふっきたす。このとしはチームメイトのジャンカルロ・フィジケラにレースペースでおくれをとることがおおかったが、だい14せんベルギーGPでは最高さいこうの4記録きろくだい16せん中国ちゅうごくGP最終さいしゅうせんブラジルGPでも、4ばんグリッドを獲得かくとくするなどの活躍かつやくせた。最終さいしゅうてきにシーズンで12ポイントをげたが、22ポイントを獲得かくとくしたフィジケラとくらべると見劣みおとりする結果けっかとなった。

2005ねん[編集へんしゅう]

2005ねんイギリスGP

2005ねん、チームメイトは1997ねんのワールドチャンピオンジャック・ヴィルヌーヴ。このとし安定あんていかんのあるはしりを披露ひろうし、おおくのレースでヴィルヌーヴを上回うわまわるパフォーマンスをせたものの、最終さいしゅうてき前年ぜんねんより獲得かくとくポイントをげた。

2006ねんけてフェラーリとレースドライバー契約けいやくむすび、ミハエル・シューマッハのチームメイトとなることがまる。

フェラーリ時代じだい[編集へんしゅう]

2006ねん[編集へんしゅう]

フェラーリに移籍いせき

2006ねんフェラーリ移籍いせき開幕かいまくせんバーレーンGPでは予選よせんで2獲得かくとくした。だい2せんマレーシアGPでは21番手ばんてスタートから5入賞にゅうしょう。14番手ばんてスタートから6獲得かくとくしたシューマッハを上回うわまわった。しかし序盤じょばん安定あんていせいけ、バーレーンではレースちゅうにスピン。オーストラリア、モナコでは予選よせんちゅうにクラッシュとチームメイトにくらべると見劣みおとりする場面ばめん多々たたあった。

だい5せんヨーロッパGPでは3でゴールし、はつ表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくした。だい14せんトルコGPにて参戦さんせん4ねんにしてはつポールポジション(PP)を獲得かくとく決勝けっしょうレースでも安定あんていしたはしりを披露ひろうし、はつ優勝ゆうしょうポールトゥウィンかざった。だい17せん日本にっぽんGPでは、2度目どめのPPを獲得かくとくしたものの、レースでは2わった。つづ最終さいしゅうせんブラジルGPでは、2せん連続れんぞくのPP獲得かくとくから、自身じしん2度目どめ優勝ゆうしょう母国ぼこくたし、チームメイトのシューマッハの引退いんたいレースにはなえた。また、この勝利しょうりは1993ねんアイルトン・セナ以来いらい、13ねんぶりのブラジルじんによる母国ぼこく優勝ゆうしょうでもあった。そのウィニングランではコースマーシャルからわたされたブラジル国旗こっきかかげてはし姿すがた披露ひろうした。

2007ねん[編集へんしゅう]

2007ねんバーレーンGP優勝ゆうしょう

2007ねん引退いんたいしたシューマッハにわってキミ・ライコネンをチームメイトにむかえる。だい3せんバーレーンGPだい4せんスペインGP連勝れんしょうし、チャンピオンあらそいにくわわる。この2つのグランプリでは、2せん連続れんぞくハットトリック記録きろくしている[1]。しかし、そのだい6せんカナダGPでピットレーン出口でぐち赤信号あかしんごう見落みおとすミスをおか失格しっかく処分しょぶんになるひとしだい12せんトルコGPまで優勝ゆうしょうからとおざかり、チャンピオンあらそいから脱落だつらくしてライコネンのサポートにまわった。

このとしは6かいのPP、3かい優勝ゆうしょうふくむ10かい表彰台ひょうしょうだい、6かいファステストラップ(FL)を記録きろくし、中盤ちゅうばんまでタイトルあらそいにからひとしおおきな成長せいちょうせた。最終さいしゅうせんまえに2010ねんまつまでのフェラーリとの契約けいやく延長えんちょう発表はっぴょうしている。最終さいしゅうせんブラジルGPではPPからスタートし、50しゅうまでまもった首位しゅいのポジションをライコネンにわたし、2ねん連続れんぞく母国ぼこく優勝ゆうしょうあきらめるかたちでチームメイトのドライバーズタイトル獲得かくとく見事みごとにサポートした。

2008ねん[編集へんしゅう]

2008ねんカナダGP

2008ねん、このとしおおいに活躍かつやくすることとなるが、好調こうちょうなマシンとは裏腹うらはらいスタートがれなかった。開幕かいまくせんオーストラリアGPでは、オープニングラップだい1コーナーでスピンをきっし、最終さいしゅうてきにエンジントラブルでリタイア。だい2せんマレーシアGPではPPを獲得かくとくするものの、決勝けっしょうレースでは開幕かいまくせんつづいてスピンをきっし、2せん連続れんぞくのリタイアとなった。だい3せんバーレーンGPでシーズン最初さいしょ優勝ゆうしょうをあげると、その順調じゅんちょうにポイントを獲得かくとくしていく。

そして2006ねん、2007ねん連覇れんぱしているだい5せんトルコGPではポールトゥウィンで完勝かんしょうし、3ねん連続れんぞくポールトゥウィンを達成たっせいした。だい8せんフランスGPでは、首位しゅいライコネンがトラブルで失速しっそくしたレースをものにしシーズン3しょうげた。しかし、つづだい9せんイギリスGPでは、あめ苦戦くせんなんもスピンをきっしてしまい、リタイアは回避かいひしたものの13しずんだ。だい11せんハンガリーGPでは、予選よせん3番手ばんてから抜群ばつぐんのスタートで1コーナーまでに首位しゅい奪取だっしゅ。その徐々じょじょひろげ2番手ばんて走行そうこうちゅうルイス・ハミルトンがパンクで後退こうたいしてからは、20びょう以上いじょう大差たいさをつけて首位しゅい独走どくそうする。シーズン4しょう目前もくぜんにしたのこり3しゅう突然とつぜんエンジンブローによりマシンをりた(記録きろくじょうは17完走かんそう)。

だい12せんヨーロッパGPではPPを獲得かくとく決勝けっしょうでも見事みごとなスタートを首位しゅい堅持けんじすると、そのまま独走どくそう態勢たいせいはいりシーズン4しょうをあげた。FLも記録きろくしており、自身じしん100せんをハットトリックという完勝かんしょうげきかざった。どうレースをリタイアにわったライコネンをランキングでいて2浮上ふじょうした。また、2度目どめのピットアウトのさいエイドリアン・スーティル接触せっしょく寸前すんぜんになり、レース審議しんぎ罰金ばっきんのペナルティをされたが、順位じゅんい変更へんこうはなかった。マッサのいいぶんは「ラップリーダーの人間にんげん進路しんろゆずるもの」である。だい13せんベルギーGPでは2でレースをえたが、首位しゅいでチェッカーをけたハミルトンが「ショートカットによるアドバンテージを利用りようしてのし」によりペナルティをけ、マッサが優勝ゆうしょう繰上くりがみがり2連勝れんしょうでシーズン5しょうをあげた。

1ポイントでチャンピオンシップをのがす(2008ねんブラジルGP

だい15せんシンガポールGPではPPを獲得かくとく決勝けっしょうレースでも首位しゅい快走かいそうしていたが、セーフティカー導入どうにゅう直後ちょくごのピットストップで状況じょうきょうわる。フェラーリがロリポップわりにもちいていたシグナルが、ピットクルーのミスにより給油きゅうゆちゅうにグリーンにわり、それに反応はんのうしたマッサは給油きゅうゆホースをきちぎって発車はっしゃ。ピットレーンわきにマシンをめ、あわててクルーがりホースを事態じたいとなった。これにより一気いっきさい後尾こうび転落てんらくしたうえ、ピットアウトのさいふたたびスーティルに接触せっしょく寸前すんぜんになるほど強引ごういんしたことで、ドライブスルーペナルティをけた。そのはコースアウトやハーフスピンをきっするなど安定あんていかんき、13ノーポイントにわった。タイトルあらそいでは、首位しゅいハミルトンとのポイントを7にひろげられてしまった。

だが、だい16せん日本にっぽんGPでは7だい17せん中国ちゅうごくGPでは2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくし、ワールドチャンピオン獲得かくとく可能かのうせいのこして母国ぼこくでの最終さいしゅうせんブラジルGPいどんだ。PPを獲得かくとくし、そのままハットトリックで完全かんぜん優勝ゆうしょうどうシーズン最多さいたとなる6しょうをマークした。チャンピオンをあらそうハミルトンは終盤しゅうばんしたあめ影響えいきょうで6ちており、マッサがチェッカーをけた時点じてんではマッサがチャンピオンを獲得かくとくする条件じょうけんそろっていた。しかしつよまるあめなか、ドライタイヤで走行そうこうつづけていたティモ・グロック失速しっそくし、ハミルトンは最終さいしゅうラップの最終さいしゅうコーナーでこれをオーバーテイクし、5でゴールした。これによりマッサはわずか1ポイントでタイトルをのがした。

2009ねん[編集へんしゅう]

さらなる飛躍ひやく期待きたいされた2009ねんだったが、大幅おおはばなレギュレーション変更へんこうわせて開発かいはつされたF60昨年さくねんほどの競争きょうそうりょくはなく、開幕かいまくから4せんをノーポイントでえた。しかしそのの4せんでは連続れんぞくしてポイントを獲得かくとくし、だい9せんドイツGPではこの年初ねんしょの3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくするひとし健闘けんとうせた。

だい10せんハンガリーGPでは、予選よせんちゅう前方ぜんぽう走行そうこうするルーベンス・バリチェロのマシンからサードダンパーのスプリングがはずれ、マッサのひだり前輪ぜんりんげられヘルメットを直撃ちょくげきし、その衝撃しょうげき意識いしきうしない、アクセルをゆるめることなく高速こうそくのままタイヤバリアに激突げきとつするクラッシュをきっした。診断しんだん結果けっかがく裂傷れっしょう頭蓋骨ずがいこつ損傷そんしょう脳震盪のうしんとうなどにより緊急きんきゅう手術しゅじゅつおこなわれた。翌日よくじつ決勝けっしょうレースは欠場けつじょうとなった。低速ていそくサーキットとわれるハンガロリンクであるが、アップヒルストレートからハンガロリンク最大さいだい高速こうそくコーナーである4コーナーのアプローチという、時速じそく280kmほどになる場所ばしょでスプリングがあたまたるという不運ふうん事故じこであった。この事故じこがきっかけでドライバーの頭部とうぶ保護ほごデバイスの開発かいはつ検討けんとうされるようになり、やがてそれは2018ねんに「Halo(ヘイロー)」としてレギュレーションで正式せいしき導入どうにゅうされることになる。

その順調じゅんちょう回復かいふくし、本人ほんにん母国ぼこくでのブラジルGP復帰ふっきしたいむねはなしていた。8がつまつおこなわれた精密せいみつ検査けんさでは認識にんしきりょく視力しりょくともに良好りょうこうではあったものの、骨折こっせつした頭蓋骨ずがいこつ形成けいせい手術しゅじゅつ必要ひつようがあること、そのトレーニングの必要ひつようがあることなどを考慮こうりょし、チームがわはシーズンちゅう復帰ふっきはさせないつもりであることを発表はっぴょうした。

代役だいやく当初とうしょはミハエル・シューマッハが復帰ふっきする予定よていであったが、バイクレースでの事故じこによるくびいたみにより断念だんねんだい11せんヨーロッパGPだい12せんベルギーGPではフェラーリのテストドライバーであるルカ・バドエルつとめた。しかしバドエルの成績せいせき不振ふしんによりだい13せんイタリアGP以降いこうジャンカルロ・フィジケラ急遽きゅうきょフォース・インディアから移籍いせきして代役だいやくつとめた。

その順調じゅんちょう回復かいふくし、10月にはフィオラノサーキットにおいて事故じこはつとなるF1ドライブを実施じっしし、F2007GP2仕様しようのスリックタイヤを装着そうちゃくして100kmを走破そうはした。負傷ふしょうしていた左目ひだりめ医師いし診断しんだん完全かんぜん回復かいふくしたとつたえられた。だい16せんブラジルGPでは、チェッカーフラッグやくつとめた。最終さいしゅうせんアブダビGPでの復帰ふっきうわさされていたが、チームがわ大事だいじをとってシーズンちゅう復帰ふっきをさせないことをあらためて発表はっぴょうした。

2010ねん[編集へんしゅう]

2010ねんカナダGPより

このとしからライコネンにわり、ルノーよりフェルナンド・アロンソをチームメイトにむかえる。 開幕かいまくせんバーレーンGPから復帰ふっきし、2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくだい3せんマレーシアGP終了しゅうりょうした時点じてん暫定ざんていのランキングトップにったものの、だい4せん以降いこう入賞にゅうしょうはしたもののなやみ、さらにだい8せんから3連続れんぞくノーポイントとなり、タイトルあらそいでおおきくおくれをった。

そんななかむかえただい11せんドイツGPでは予選よせんで3確保かくほすると、スタートでトップにちレース中盤ちゅうばんまでトップを走行そうこうする。久々ひさびさ優勝ゆうしょうえていたが、チームからマッサへ「Fernando is faster than you. Can you confirm this you understood that message?」(フェルナンドはきみよりはやい。このメッセージの意味いみ理解りかいできるか?)との無線むせんはいり、その直後ちょくごにマッサは露骨ろこつ減速げんそくして首位しゅいをチームメイトのアロンソにゆずり、結局けっきょくマッサは2でゴールした。レース終了しゅうりょう、この行為こういがチームオーダーにあたるとしてフェラーリに10まんドルの罰金ばっきんせられた。

以降いこうだい14せんイタリアGPの3表彰台ひょうしょうだい最後さいご精彩せいさいき、だい16せん日本にっぽんGPでは予選よせんQ2で脱落だつらくし、決勝けっしょうではスタートでフォース・インディアのヴィタントニオ・リウッツィ接触せっしょくして早々そうそう戦線せんせんはなれた。結局けっきょくタイトルあらそいをしていた3チームのなか最下位さいかいとなるランキング6でシーズンをえた。

2011ねん[編集へんしゅう]

2011ねんもフェラーリから参戦さんせん。シーズンはレッドブルのベッテルが圧倒的あっとうてき独走どくそうする展開てんかいとなり、フェラーリは競争きょうそうりょくりずマクラーレンにもおおきくはなされた。それでもチームメイトのアロンソは表彰台ひょうしょうだい常連じょうれん年間ねんかんランクの2あらそいにくわわったが、マッサは5~6てい位置いちとなり、前年ぜんねんおなじランキング6にはみとどまったが、いち表彰台ひょうしょうだいがらずシーズンをえた。ハミルトンとの接触せっしょくきわめておおく、だい17せんインドGPまでで6かいかぞえた[2]

2012ねん[編集へんしゅう]

2012ねんマレーシアGP

フェラーリでごす7ねん2012ねんシーズンは、開幕かいまくからくるしむこととなった。プレシーズンテストからフェラーリのマシンパフォーマンスは不十分ふじゅうぶんで、苦戦くせん予想よそうされたなかでの開幕かいまくであった。そのなかでもチームメイトのアロンソは入賞にゅうしょう圏内けんないみ、だい2せんマレーシアGP優勝ゆうしょうしてタイトルあらそいで先行せんこうするなど、苦戦くせんするなかはやさをみせる場面ばめんもあった。そのため開幕かいまくから3せんでノーポイント、5せん連続れんぞくでQ3進出しんしゅつのがしていたマッサの不振ふしん目立めだかたちとなり、シーズン途中とちゅうでのドライバー交代こうたいせつ幾度いくどとなくながれた。

だい6せんモナコGPでようやくはやさをせ、予選よせんQ2ではトップタイムを記録きろくした(決勝けっしょう6)。だい7せんカナダGPでも予選よせんでは6番手ばんて獲得かくとく復調ふくちょうきざしをせたが、決勝けっしょうでは序盤じょばん単独たんどくスピンし10わっている。だい8せんヨーロッパGPでは一転いってんしてはやさをせることができず、予選よせん13決勝けっしょう小林こばやしゆめえらとの接触せっしょくなどもあり16わった。だい9せんイギリスGPでは、予選よせん決勝けっしょうともはやさをせ、あめ予選よせんで5、ドライコンディションの決勝けっしょうでは4入賞にゅうしょうと、いずれもここまでのシーズンでの最高さいこう獲得かくとくした。つづだい10せんドイツGPではスタートの接触せっしょく影響えいきょうして12わるものの、だい11せんから連続れんぞく入賞にゅうしょうつづけ、だい15せん日本にっぽんGPでは決勝けっしょうで2となり、2ねんぶりの表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく表彰台ひょうしょうだいじょうおもわずなみだした。

そのは、シーズン終盤しゅうばんの2せんでは予選よせんタイムでアロンソを上回うわまわり、決勝けっしょうでもアメリカGPではグリップが奇数きすうグリッドにアロンソを移動いどうするために、故障こしょうしていないギヤボックスの封印ふういんラベルをがしギヤボックス交換こうかんペナルティ5グリッドダウンをチームから要求ようきゅうれるという苦渋くじゅう決断けつだんをした。しかし、このペナルティをけながらも最終さいしゅうてきにはアロンソにぐ4入賞にゅうしょうたし、さらにブラジルGPでも3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく前半ぜんはんせん低調ていちょうなパフォーマンスだったが、ハンガリーGP以降いこうはすべてのレースで入賞にゅうしょうし、2013ねんからもフェラーリから参戦さんせんすることが正式せいしき発表はっぴょうされた。残留ざんりゅう決定けっていまえチームとも交渉こうしょうをしていたことをあきらかにしたが、マッサ自身じしんはフェラーリではしることをのぞんでいた。

2013ねん[編集へんしゅう]

フェラーリ在籍ざいせき最終さいしゅうねん

2013ねんもフェラーリから出走しゅっそう。シーズン序盤じょばん予選よせんでアロンソを上回うわまわるなど上々じょうじょうすべしをみせ、スペインGPでは予定よていがいのピットストップをおこなうことになったものの3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくした。しかし、シーズン中盤ちゅうばんかると、タイヤのトラブルやマシンの戦闘せんとうりょくひくさなどにより、結果けっかのこせず低調ていちょうなシーズンとなってしまった。このシーズンを最後さいご長年ながねんにわたって在籍ざいせきしていたフェラーリをはなれ、ウィリアムズF1移籍いせきすることになった。

ウィリアムズ時代じだい[編集へんしゅう]

2014ねん[編集へんしゅう]

ウィリアムズに移籍いせき

ウィリアムズから参戦さんせん。チームメイトはバルテリ・ボッタス前半ぜんはんしゃからのもらい事故じこ小林こばやしゆめえらセルジオ・ペレス、ライコネン、ケビン・マグヌッセンひとし)によるリタイヤやピットクルーの作業さぎょうミス(中国ちゅうごくGPとう)により苦戦くせんいられる。

それでもだい7せんカナダGPではシーズンをとおして圧倒的あっとうてきはやさをせていたメルセデスからシーズンはじめてリードラップをうばい、つぎせんだい8せんオーストリアGPにて、2008ねんブラジルGP以来いらいのPPを獲得かくとくする。決勝けっしょうはメルセデス2だい予選よせん2同僚どうりょうバルテリ・ボッタスにかれ4わったが、メルセデス以外いがいではこのシーズン唯一ゆいいつのポールシッターとなった。

前半ぜんはんせんは95ポイント獲得かくとくした僚友りょうゆうボッタスにたいしてマッサは40ポイントしか獲得かくとく出来できなかった。しかし後半こうはんせんはウィリアムズ移籍いせきはつ表彰台ひょうしょうだい古巣ふるすフェラーリの母国ぼこくイタリアGPで獲得かくとく(3)。そのアメリカGPではこうスタートをめ、ピットの作業さぎょうミスによりリカルドにパスされるまで表彰台ひょうしょうだい圏内けんないの3走行そうこう結果けっかは4)。自身じしん母国ぼこくブラジルGPはピットレーンのスピード違反いはんで2ねん連続れんぞくのペナルティ(2013ねんは4りんとも白線はくせんえたためドライブスルー、今回こんかいは5秒間びょうかんのストップ&ゴー)やウィリアムズとおな白色はくしょく基調きちょうとするマクラーレンのピットに間違まちがえてはいるなどのミスもあったが、2ねんぶりに3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく最終さいしゅうせんでも優勝ゆうしょうしてチャンピオンをめたハミルトンを猛追もうついする印象いんしょうてきなレースを披露ひろうし2獲得かくとく

年間ねんかん結果けっかでは飛躍ひやくげた僚友りょうゆうボッタスに表彰台ひょうしょうだい回数かいすうそう獲得かくとくポイントども後塵こうじんはいすることになったがシーズン後半こうはん得意とくいとするひだりまわりのコースを中心ちゅうしんはやさをせ、けい3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくしてフェラーリ時代じだい後半こうはん以来いらい不調ふちょうから復活ふっかつきざしをせた。また、前述ぜんじゅつだい8せんオーストリアGPでのPPは、メルセデスによる年間ねんかんぜんせんPPを阻止そしする記録きろくとなった。

2015ねん[編集へんしゅう]

2015ねんバルセロナ テストより

2015ねんもウィリアムズより参戦さんせん開幕かいまくせんオーストラリアGPではフェラーリにって、メルセデスの2人ふたり予選よせん3番手ばんて獲得かくとく決勝けっしょうではベッテルにオーバーカットをゆるしたが、4入賞にゅうしょうたした。そのもコンスタントにポイントをかせぎ、オーストリアGPイタリアGPの2レースではボッタスをしたがえ3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくだい9せんイギリスGPでは3番手ばんてスタートからメルセデス2だい首位しゅい浮上ふじょう一時いちじはボッタスとのウィリアムズ1-2体制たいせいきずいていたが中盤ちゅうばんしたあめ翻弄ほんろうされ4わった。最終さいしゅうてき表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくすうでは前年度ぜんねんど下回したまわる2かい、ランキングはボッタスにぐ6となった。

2016ねん[編集へんしゅう]

2016ねんもウィリアムズに残留ざんりゅう。しかし、マシンの戦闘せんとうりょく過去かこ2ねんくらべてもあまりたかくなく、メルセデスにいつくどころか中団ちゅうだんまれる展開てんかいつづき、ポイントを獲得かくとくするのがしらげいちはいというレースもおおられた。それでも開幕かいまくせんオーストラリアGPではボッタスがQ2敗退はいたいきっしたのにたいして、Q3進出しんしゅつたして決勝けっしょうも5入賞にゅうしょう中国ちゅうごくGPでもハミルトンをおさえきって6入賞にゅうしょうたすなど、昨年さくねん同様どうよう安定あんていかんせつけた。だい14せんイタリアGPまえに、2016ねんシーズンをもってF1から引退いんたいすることをあきらかにした[3]。しかし、メルセデスのニコ・ロズベルグはつ王者おうじゃかがやいた直後ちょくご電撃でんげき引退いんたいしたことにより状況じょうきょう一変いっぺんする。

2017ねん[編集へんしゅう]

F1ドライバー最終さいしゅうねん2017ねん 日本にっぽんGP

ボッタスがロズベルグの後任こうにんとしてメルセデス移籍いせきしたことにより引退いんたい撤回てっかい、2017ねんもウィリアムズでドライブすることになった[4]あらたなチームメイトはランス・ストロール背景はいけいにはチームメイトがルーキーであることから経験けいけん豊富ほうふなドライバーをもとめていたこと、ウィリアムズのメインスポンサーをつとめるマルティーニが参戦さんせんするドライバーのどちらかに25さい以上いじょうのドライバーをもとめていたことがある。

ハンガリーGPのフリー走行そうこう体調たいちょう不良ふりょううったえ、予選よせん以降いこう欠場けつじょうした(代役だいやくはリザーブドライバーのポール・ディ・レスタ[5]

マシンの性能せいのうがあまりたかくなかったこともあって表彰台ひょうしょうだいにはとどかなかったが、出走しゅっそうした19戦中せんちゅう13せん入賞にゅうしょうするなど1ねんつうじてベテランらしい安定あんていしたはしりをせた。母国ぼこくブラジルGPまえにした11月4にち、2017ねん最後さいごにF1から引退いんたいすることを発表はっぴょうした[6]。 マッサの引退いんたいにより、1970ねんエマーソン・フィッティパルディからつづいていたブラジルじんドライバーが2018ねん以降いこう不在ふざいとなった。2020ねんにエマーソンのまごであるピエトロ代役だいやく参戦さんせんはあるものの、ブラジルじんのレギュラードライバーは2024ねん現在げんざい誕生たんじょうしていない。

フォーミュラEの経歴けいれき(2018ねん - 2020ねん[編集へんしゅう]

フォーミュラEに参戦さんせん(2019ねん

2017ねん2がつ3にち、スペインにてフォーミュラE参戦さんせんするジャガー所属しょぞくチームであるウィリアムズの関連かんれん会社かいしゃウィリアムズ・アドバンスド・エンジニアリングが共同きょうどう運営うんえいしたテストで、ジャガーのフォーミュラEマシンI-type 1を運転うんてんした[7][8]。ジャガーのチーム声明せいめいによると、このテストはフォーミュラEの運営うんえい団体だんたいから依頼いらいされておこなわれたものだという[9]

同年どうねんのF1バルセロナ合同ごうどうテストの初日しょにち、マッサは契約けいやくまではいたっていないもののジャガーとの交渉こうしょうすすめていたことをみとめている[10]。また、ジャガー以外いがい複数ふくすうのチームともはなしをしていたこともかしており、F1引退いんたい選択肢せんたくしとしてフォーミュラEをげている[11]

2018ねん5がつ、「ヴェンチュリー・フォーミュラEチーム」と3ねん契約けいやく発表はっぴょうし、2018-19ねんシーズンより正式せいしき参戦さんせん開始かいし[12]。しかし成績せいせきるわず、2019ねん-20ねんシーズンをもって降板こうばんした[13]

フォーミュラレース離脱りだつ以降いこう(2021ねん - )[編集へんしゅう]

カーレーサーは継続けいぞくしつつ、2022ねんにFIAドライバーズ委員いいんかい会長かいちょう就任しゅうにんした[14]

エピソード[編集へんしゅう]

  • フォーミュラ・シボレーに参戦さんせんしていた1999ねんベネトンチームに料理りょうりとどけることを条件じょうけんに、マネージャーにブラジルGPのパドックパスをもらった。そのときマッサが「またF1でうかもね。」とこえをかけたベネトンのシェフ「フェリーチェ・グエリーニ」は、マッサが所属しょぞくした2008ねん当時とうじフェラーリで料理りょうり担当たんとうしていた[15]
  • もとフェラーリ監督かんとくでFIA会長かいちょうジャン・トッド息子むすこである、ニコラス・トッド個人こじんマネージャーであるえんか、2002ねんにデビューしたザウバーから2013ねんのフェラーリ離脱りだつまでの12年間ねんかんすべてフェラーリエンジンでの出走しゅっそうだった。
  • V8エンジン元年がんねんの2006ねんにフェラーリに加入かにゅう、V8エンジン最終さいしゅうねんとなった2013ねんにフェラーリを離脱りだつしており、V8エンジン時代じだいのフェラーリをぜんスペック、ドライブしている。ぎゃくにV8エンジン以外いがいのエンジンを搭載とうさいしたフェラーリのマシンではレースに参戦さんせんしていない。
  • 長年ながねんわたってフェラーリに在籍ざいせきしたミハエル・シューマッハのフェラーリ時代じだい最後さいごのチームメイトである。チームメイトをつとめたのは2006ねんの1ねんのみであったが、シューマッハを自身じしん教師きょうし指導しどうしゃとしてていてかれからききだせることはすべてききだそうとしていたという[16]。マッサは2016ねんイタリアGPで1度目どめのF1引退いんたい表明ひょうめいしたが、そこでの表明ひょうめいめたのは「ちょうど10ねんまえおなじイタリアGPのでシューマッハが1度目どめ現役げんえき引退いんたい表明ひょうめいしただから」とかたっている。また2013ねんにシューマッハがスキー事故じこ後遺症こういしょう療養りょうよう生活せいかつとなったなか、ジャン・トッドとルカ・バドエルとマッサの3めいコリーナ・シューマッハ夫人ふじんによってかれへの面会めんかいゆるされている数少かずすくない人物じんぶつである[17]おなじくフェラーリでシューマッハのチームメイトを長年ながねんつとめたバリチェロは面会めんかいゆるされていない[18]
  • サンパウロ出身しゅっしんでありながら、少年しょうねん時代じだいのヒーローはリオデジャネイロ出身しゅっしんネルソン・ピケだった。もともとはおなじサンパウロ出身しゅっしんであるアイルトン・セナ敬愛けいあいしていたが、サインをねだったさいことわられたことが原因げんいんでセナへのあこがれがめたという[19]。しかしあこがれたピケの息子むすこネルソン・ピケJrとは(事実じじつじょう、ピケJrも被害ひがいしゃだったとはいえ)クラッシュゲートがマッサのタイトルあらそいに悪影響あくえいきょうあたえたことで以後いごくちかないほどに険悪けんあくになった。
  • またクラッシュゲートが発生はっせいしたシンガポールも、「ぼくにとってとてもかなしいことがあった場所ばしょなのであまりきたくない」と[20]
  • 2006ねん最終さいしゅうせんブラジルGPでは、ブラジル国旗こっき仕立したてたレーシングウェアで参戦さんせんした。このレースで優勝ゆうしょうしたマッサはウィニングランではコースマーシャルからブラジル国旗こっきってはしったが、当時とうじF1の規則きそくでは、トラブルなどのむをないものをのぞいてウィニングランちゅうくるまめることは禁止きんしされていたため、レース審議しんぎ対象たいしょうとなったが不問ふもんされた。
  • とくひだりまわりのサーキットはやさ・つよさをせており、はつのPPを獲得かくとくした2006ねんトルコGP以降いこうひだりまわりのレースでは7連続れんぞくPPを獲得かくとく(06,07,08ねんトルコ、06,07,08ねんブラジル、08ねんシンガポール)しており、ライコネンに首位しゅいゆずった2007ねんブラジルGPとピットクルーのミスにより給油きゅうゆホースをきちぎって発車はっしゃした2008ねんシンガポールGPをのぞく5せんすべてをポールトゥウィンでかざっている。
  • あめ苦手にがてである。
  • 2007ねん11月29にちブラジル・サンパウロにてラファエラ・バッシと結婚けっこん
  • 2008ねん12月22にちユニセフ募金ぼきんのためのオークション自身じしん中心ちゅうしんとなって開催かいさいした。同僚どうりょうのブラジルじんスポーツ選手せんしゅやメディア関係かんけいしゃなどから提供ていきょうされたヘルメット、レーシングスーツ、レースシューズ、腕時計うでどけい、サッカージャージ、マッサの運転うんてん同乗どうじょうできる権利けんり、など25てん出品しゅっぴんされ、総額そうがく16まん4,000ドルで落札らくさつされた[21]
  • 2005ねんから2014ねんにかけて、F1のシーズンオフにブラジルでチャリティカート大会たいかい“Desafio Internacional das Estrelas”(en)を主催しゅさいしていた。このイベントは、ミハエル・シューマッハなど著名ちょめいなドライバーが数多かずおお参戦さんせんすることでられていた。シーズンオフには、のブラジルじんドライバーと同様どうよう毎年まいとしサンパウロで開催かいさいされている耐久たいきゅうカートレースのグランジャビアナ500マイルレースにも参戦さんせんした。
  • 2008ねん最終さいしゅうせんブラジルGP以来いらい勝利しょうりがないため、フェラーリドライバーとしての連続れんぞく勝利しょうりレースすう2013ねん開幕かいまくせんオーストラリアGPで68せんとなり、歴代れきだいワースト1となってしまった(それまでの記録きろくは1991ねんから1995ねんジャン・アレジによる67せん[22])。フェラーリでの最後さいごのレースである2013ねん最終さいしゅうせんまでその記録きろくび、最終さいしゅうてきに86せんまで更新こうしんされた。この記録きろくはマッサの後任こうにんでフェラーリりしたライコネンが更新こうしんし、2014ねん開幕かいまくせんから2018ねんアメリカGP優勝ゆうしょうするまでの96せん勝利しょうり最長さいちょうとなった。
  • 2014ねんシーズン終盤しゅうばん、メルセデス陣営じんえい2人ふたりによるタイトルあらそいのなか最終さいしゅうせんアブダビGP直前ちょくぜん、ロズベルグが自身じしんのワールドチャンピオン獲得かくとくのために「マッサが2はいって援護えんごしてほしい」[23]とのコメントをしたさい、マッサは「ぼくがチャンピオンシップにてるチャンスがあったときだれたすけてくれなかった。実際じっさいは、あるドイツじん(ティモ・グロック)のせいでフイになってしまった」と発言はつげん2008ねんブラジルGPさいのことを現在げんざいっていることがあきらかになった[24]。ただしグロック本人ほんにんには「うらみをったことは1もない」とかたり、2022ねんにはストックカー・ブラジルのダブルスレースでタッグをんでいる[25]
  • 2016ねんイタリアグランプリ同年どうねんかぎりでF1引退いんたい表明ひょうめいしたのち母国ぼこくグランプリとなった2016ねんブラジルグランプリでは、ウィリアムズのメインスポンサーのマルティーニがスポンサーロゴの部分ぶぶんを「MASSA」に変更へんこうし、またリアウィングには「Obrigado」(ポルトガルで"ありがとう"を意味いみする)の文字もじれた。またレーシングスーツ、ヘルメットもブラジル国旗こっきをあしらったものとした[26]決勝けっしょうでは46しゅうにターン14であめあしをすくわれクラッシュしリタイアとなった。マシンをりたマッサは、スタンドからだい歓声かんせい拍手はくしゅけてなみだながしピットにもどさいにはブラジル国旗こっきかかげてファンへの感謝かんしゃあらわした。ピットではつま息子むすこ、さらにメルセデス、2013ねんまで在籍ざいせきしたフェラーリのチームクルーが総出そうでで、ピットにもどってくるマッサをむかえた。またマッサのリタイアになみだながすコースマーシャルの姿すがたうつされていた。なお、翌年よくねん1がつにボッタスがメルセデスへ移籍いせきしたため引退いんたい撤回てっかい2017ねんブラジルグランプリまえ度目どめ引退いんたい発表はっぴょう。レースではフェラーリ時代じだいのチームメイトであるアロンソとのはげしいあらそいをひろげながらも順位じゅんいまもり7はいった。レース正規せいき表彰ひょうしょうしき終了しゅうりょうしたのち表彰台ひょうしょうだいでマッサの引退いんたいセレモニーがひらかれた[27]
  • 2017ねん12月、国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい(FIA)傘下さんか世界せかいカート選手権せんしゅけん管轄かんかつする国際こくさいカート委員いいんかい(CIK)の委員いいんちょう就任しゅうにん世界せかいてきレーシングカートさかい統括とうかつする立場たちばとなった[28]。2022ねん2がつにはCIKの委員いいんちょう退任たいにんする一方いっぽうで、トム・クリステンセンのちいでFIAドライバーズ委員いいんかい委員いいんちょうとなった[29]

レース戦績せんせき[編集へんしゅう]

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

とし シリーズ チーム レース 勝利しょうり PP FL 表彰台ひょうしょうだい ポイント 順位じゅんい
1998 フォーミュラ・シボレー・ブラジル ? ? ? ? ? ? ? 5
1999 チーム・マスターカード 10 3 ? ? ? ? 1
2000 フォーミュラ・ルノー2000 ユーロカップ クラム・コンペティション 9 3 ? ? 4 140 1
フォーミュラ・ルノー2000 イタリア 8 4 4 3 5 147 1
2001 ユーロ・フォーミュラ3000 ドラコ・ジュニア・チーム 8 6 6 5 6 60 1
ヨーロピアン・スーパーツーリングカー選手権せんしゅけん チーム・ノルドアウト 4 0 0 0 0 71 23
シチリア24あいだレース ? 1 0 0 0 1 N/A 2
2002 フォーミュラ1 レッドブル・ザウバー・ペトロナス 16 0 0 0 0 4 13
2003 スクーデリア・フェラーリ・マールボロ テストドライバー
2004 レッドブル・ザウバー・ペトロナス 18 0 0 0 0 12 12
2005 ザウバー・ペトロナス 19 0 0 0 0 11 13
2006 スクーデリア・フェラーリ・マールボロ 18 2 3 2 7 80 3
2007 17 3 6 6 10 94 4
2008 18 6 6 3 10 97 2
2009 10 0 0 1 1 22 11
2010 19 0 0 0 5 144 6
2011 スクーデリア・フェラーリ 19 0 0 2 0 118 6
2012 20 0 0 0 2 122 7
2013 19 0 0 0 1 112 8
2014 ウィリアムズ・マルティーニ・レーシング 19 0 1 1 3 134 7
2015 19 0 0 0 2 121 6
2016 21 0 0 0 0 53 11
2017 20 0 0 0 0 43 11
2018 ストックカー・ブラジル シメジ・レーシング 2 0 0 0 0 0 NC
2018-19 フォーミュラE ヴェンチュリー・フォーミュラEチーム 13 0 0 0 1 36 15
2019-20 ロキット・ヴェンチュリー・レーシング 11 0 0 0 0 3 22*
2021 ストックカー・ブラジル ルブラックス・ポディウム 24 0 0 0 0 88 24
2022 3 0 0 0 0 9 25*
  •  : ゲストドライバーとしての出走しゅっそうであるため、ポイントは加算かさんされない。
  • * : こんシーズンの順位じゅんい。(現時点げんじてん

ユーロ・フォーミュラ3000[編集へんしゅう]

とし エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 DC ポイント
2001ねん ドラコ・ジュニア・チーム VLL
1
PER
1
MNZ
1
DON
8
ZOL
Ret
IMO
1
NÜR
1
VAL
1
1 60

ヨーロピアン・スーパーツーリングカー選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2001ねん チーム・ノルドアウト アルファロメオ・156 MNZ
1
MNZ
2
BRN
1
BRN
2
MAG
1
MAG
2
SIL
1
SIL
2
ZOL
1
ZOL
2
HUN
1
HUN
2
A1R
1
A1R
2
NÜR
1
NÜR
2
JAR
1

14
JAR
2

6
EST
1

5
EST
2

Ret
23 71

F1[編集へんしゅう]

とし エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 WDC ポイント
2002ねん ザウバー C21 ペトロナス 02A 3.0 V10 AUS
Ret
MAL
6
BRA
Ret
SMR
8
ESP
5
AUT
Ret
MON
Ret
CAN
9
EUR
6
GBR
9
FRA
Ret
GER
7
HUN
7
BEL
Ret
ITA
Ret
USA JPN
Ret
13 4
2004ねん C23 ペトロナス 04A 3.0 V10 AUS
Ret
MAL
8
BHR
12
SMR
10
ESP
9
MON
5
EUR
9
CAN
Ret
USA
Ret
FRA
13
GBR
9
GER
13
HUN
Ret
BEL
4
ITA
12
CHN
8
JPN
9
BRA
8
12 12
2005ねん C24 ペトロナス 05A 3.0 V10 AUS
10
MAL
10
BHR
7
SMR
10
ESP
11
MON
9
EUR
14
CAN
4
USA
DNS
FRA
Ret
GBR
10
GER
8
HUN
14
TUR
Ret
ITA
9
BEL
10
BRA
11
JPN
10
CHN
6
13 11
2006ねん フェラーリ 248F1 フェラーリ 056 2.4 V8 BHR
9
MAL
5
AUS
Ret
SMR
4
EUR
3
ESP
4
MON
9
GBR
5
CAN
6
USA
2
FRA
3
GER
2
HUN
7
TUR
1
ITA
9
CHN
Ret
JPN
2
BRA
1
3 80
2007ねん F2007 AUS
6
MAL
5
BHR
1
ESP
1
MON
3
CAN
DSQ
USA
3
FRA
2
GBR
5
EUR
2
HUN
13
TUR
1
ITA
Ret
BEL
2
JPN
6
CHN
3
BRA
2
4 94
2008ねん F2008 AUS
Ret
MAL
Ret
BHR
1
ESP
2
TUR
1
MON
3
CAN
5
FRA
1
GBR
13
GER
3
HUN
17
EUR
1
BEL
1
ITA
6
SIN
13
JPN
7
CHN
2
BRA
1
2 97
2009ねん F60 AUS
Ret
MAL
9
CHN
Ret
BHR
14
ESP
6
MON
4
TUR
6
GBR
4
GER
3
HUN
DNS
EUR
BEL
ITA
SIN
JPN
BRA
ABU
11 22
2010ねん F10 BHR
2
AUS
3
MAL
7
CHN
9
ESP
6
MON
4
TUR
7
CAN
15
EUR
11
GBR
15
GER
2
HUN
4
BEL
4
ITA
3
SIN
8
JPN
Ret
KOR
3
BRA
15
ABU
10
6 144
2011ねん 150°Italia AUS
7
MAL
5
CHN
6
TUR
11
ESP
Ret
MON
Ret
CAN
6
EUR
5
GBR
5
GER
5
HUN
6
BEL
8
ITA
6
SIN
9
JPN
7
KOR
6
IND
Ret
ABU
5
BRA
5
6 118
2012ねん F2012 AUS
Ret
MAL
15
CHN
13
BHR
9
ESP
15
MON
6
CAN
10
EUR
16
GBR
4
GER
12
HUN
9
BEL
5
ITA
4
SIN
8
JPN
2
KOR
4
IND
6
ABU
7
USA
4
BRA
3
7 107
2013ねん F138 AUS
4
MAL
5
CHN
6
BHR
15
ESP
3
MON
Ret
CAN
8
GBR
6
GER
Ret
HUN
8
BEL
7
ITA
4
SIN
6
KOR
9
JPN
10
IND
4
ABU
8
USA
12
BRA
7
8 112
2014ねん ウィリアムズ FW36 メルセデス PU106A Hybrid 1.6 V6 t AUS
Ret
MAL
7
BHR
7
CHN
15
ESP
13
MON
7
CAN
12
AUT
4
GBR
Ret
GER
Ret
HUN
5
BEL
13
ITA
3
SIN
5
JPN
7
RUS
11
USA
4
BRA
3
ABU
2
7 134
2015ねん FW37 メルセデス PU106B Hybrid 1.6 V6 t AUS
4
MAL
6
CHN
5
BHR
10
ESP
6
MON
15
CAN
6
AUT
3
GBR
4
HUN
12
BEL
6
ITA
3
SIN
Ret
JPN
17
RUS
4
USA
Ret
MEX
6
BRA
DSQ
ABU
8
6 121
2016ねん FW38 メルセデス PU106C Hybrid 1.6 V6 t AUS
5
BHR
8
CHN
6
RUS
5
ESP
8
MON
10
CAN
Ret
EUR
10
AUT
20
GBR
11
HUN
18
GER
Ret
BEL
10
ITA
9
SIN
12
MAL
13
JPN
9
USA
7
MEX
9
BRA
Ret
ABU
9
11 53
2017ねん FW40 メルセデス M08 EQ Power+ 1.6 V6 t AUS
6
CHN
14
BHR
6
RUS
9
ESP
13
MON
9
CAN
Ret
AZE
Ret
AUT
9
GBR
10
HUN
WD
BEL
8
ITA
8
SIN
11
MAL
9
JPN
10
USA
9
MEX
11
BRA
7
ABU
10
11 43

フォーミュラE[編集へんしゅう]

とし チーム シャシー パワートレイン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位じゅんい ポイント
2018-19ねん ヴェンチュリー・フォーミュラEチーム スパーク・SRT05e ヴェンチュリー・VFE05 ADR
17+
MRK
18+
SCL
Ret
MEX
8
HKG
5
SYX
10
RME
Ret
PAR
9+
MCO
3
BER
15+
BRN
8
NYC
16
NYC
15
15 36
2019-20ねん ロキット・ヴェンチュリー・レーシング メルセデス・ベンツEQ Silver Arrow 01 DIR
12
DIR
17
SCL
9
MEX
Ret
MRK
17
BER
Ret
BER
NC
BER
19
BER
10
BER
13
BER
16
22 3
  • 太字ふとじポールポジションはすファステストラップ。(key)
  • + : ファンブースト。
  •  : リタイアだが、90%以上いじょう距離きょり走行そうこうしたため規定きていにより完走かんそうあつかい。
  • * : こんシーズンの順位じゅんい。(現時点げんじてん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 2せん連続れんぞくハットトリックはアスカリの4せん連続れんぞくいでマンセルハッキネン、シューマッハにならび、歴代れきだい2タイの記録きろく
  2. ^ “「2人ふたりにはチームないのプレッシャーもある」とボス”. オートスポーツweb. (2011ねん10がつ31にち). https://www.as-web.jp/past/%e3%80%8c2%e4%ba%ba%e3%81%ab%e3%81%af%e3%83%81%e3%83%bc%e3%83%a0%e5%86%85%e3%81%ae%e3%83%97%e3%83%ac%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%82%82%e3%81%82%e3%82%8b%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%83%9c%e3%82%b9 2011ねん11月1にち閲覧えつらん 
  3. ^ マッサ、今季こんきかぎりでのF1引退いんたい発表はっぴょう「シューマッハーとおな場所ばしょえらんだ」”. AUTO SPORT web (2016ねん9がつ2にち). 2016ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  4. ^ 正式せいしき発表はっぴょう】メルセデスがボッタスと契約けいやく。マッサは引退いんたいりやめ、ウイリアムズに復帰ふっき”. AUTO SPORT web (2017ねん1がつ17にち). 2017ねん1がつ17にち閲覧えつらん
  5. ^ ウィリアムズ、体調たいちょう不良ふりょうのマッサにえてポール・ディ・レスタを起用きよう”. F1-Gate.com (2017ねん7がつ29にち). 2017ねん7がつ29にち閲覧えつらん
  6. ^ マッサ、2017ねんまつでのF1引退いんたい発表はっぴょう。ウイリアムズのドライバー選考せんこう大詰おおづめに”. AUTOSPORTweb (2017ねん11月5にち). 2017ねん11月8にち閲覧えつらん
  7. ^ Jaguar Formula E test 'completely different' - Williams F1's Massa”.AUTOSPORT.(2017ねん2がつ3にち)2017ねん2がつ5にち閲覧えつらん
  8. ^ Felipe Massa: Testing a Formula E car a great experience”.ESPN.(2017ねん2がつ4にち)2017ねん2がつ5にち閲覧えつらん
  9. ^ Williams Formula 1 driver Felipe Massa to test Jaguar Formula E car”.AUTOSPORT.(2017ねん1がつ27にち)2017ねん2がつ5にち閲覧えつらん
  10. ^ "Massa says he had Jaguar Formula E talks".Motorsport.com.(2017ねん2がつ28にち)2017ねん6がつ8にち閲覧えつらん
  11. ^ Williams driver Felipe Massa will move to Formula E after F1”.Autosport.com.(2017ねん9がつ1にち)2017ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  12. ^ フェリペ・マッサ、フォーミュラE参戦さんせん決定けってい!ヴェンチュリと3ねん契約けいやく” (2018ねん5がつ16にち). 2018ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  13. ^ マッサ、1ねん前倒まえだおしでヴェンチュリから離脱りだつ。チームはシーズン最終さいしゅうせん直後ちょくご契約けいやく終了しゅうりょう発表はっぴょう”. motorsport.com (2020ねん8がつ14にち). 2022ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  14. ^ マクラーレンF1のスポーティングディレクターなどをつとめたサム・マイケル、FIA安全あんぜん委員いいんかい委員いいんちょう就任しゅうにん”. autosport web (2022ねん2がつ8にち). 2022ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  15. ^ Autosport.com 2008ねん10がつ28にち
  16. ^ マッサ、F1ルーキー、ストロールの指導しどうで、シューマッハーとの関係かんけいおも auto-sport.web 2017ねん5がつ11にち
  17. ^ フェリペ・マッサ「ミハエル・シューマッハのことははなせない」 TopNews 2020ねん5がつ25にちどう6がつ1にち閲覧えつらん
  18. ^ ミハエル・シューマッハ、意思いし疎通そつう問題もんだい友人ゆうじんとしての関係かんけいせいわってしまった」 Formula1-deta.com 2019ねん7がつ19にち
  19. ^ revistaepoca.globo.com 2008ねん6がつ27にち
  20. ^ 今季こんきまつでF1キャリアをえるマッサ「フェラーリ離脱りだつさいにも引退いんたいかんがえた」 auto-sport.web 2016ねん9がつ11にち
  21. ^ F1-Live.com 2008ねん12月24にち
  22. ^ “フェリペ・マッサ、フェラーリドライバーの連続れんぞく勝利しょうり記録きろく更新こうしん. F1-Gate.com. (2013ねん3がつ21にち). http://f1-gate.com/massa/f1_18687.html 2013ねん3がつ21にち閲覧えつらん 
  23. ^ “マッサのはたらきに期待きたいするロズベルグ”. ESPN F1. (2014ねん11月10にち). http://ja.espnf1.com/mercedes/motorsport/story/183499.html 2015ねん1がつ26にち閲覧えつらん 
  24. ^ “ロズベルグのサポートはしないとマッサ”. ESPN F1. (2014ねん11月11にち). http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/183605.html 2015ねん1がつ26にち閲覧えつらん 
  25. ^ まぼろしのF1王座おうざから14ねん…フェリペ・マッサがティモ・グロックとチーム結成けっせいはくダブルスレースに参戦さんせん. formula1-data.com. (2022ねん2がつ8にち). https://formula1-data.com/article/felipe-massa-teams-up-with-timo-glock-to-race-doubles-race-in-stock-car-brazil 2022ねん2がつ25にち閲覧えつらん 
  26. ^ “フェリペ・マッサ、最後さいご母国ぼこくレースで特別とくべつデザインのレーシングスーツ”. ESPN F1. (2016ねん11月14にち). http://f1-gate.com/massa/f1_33831.html 2016ねん11月14にち閲覧えつらん 
  27. ^ “フェリペ・マッサ、感動かんどう母国ぼこくラストレース 「16年間ねんかん応援おうえんありがとう」”. F1-Gate.com. (2017ねん11月13にち). https://f1-gate.com/massa/f1_39688.html 2017ねん11月14にち閲覧えつらん 
  28. ^ フェリペ・マッサ、FIAカート世界せかい選手権せんしゅけんのトップに就任しゅうにん - Formula1-Data.com 2017ねん12月11にち
  29. ^ マクラーレンF1のスポーティングディレクターなどをつとめたサム・マイケル、FIA安全あんぜん委員いいんかい委員いいんちょう就任しゅうにん - オートスポーツ・2022ねん2がつ8にち

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]