ウィリアムズ・FW12

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィリアムズ・FW12
ウィリアムズ・FW12C
カテゴリー F1
コンストラクター ウィリアムズ
デザイナー パトリック・ヘッド(テクニカルディレクター)
エンリケ・スカラブローニ(チーフデザイナー)
先代せんだい ウィリアムズ・FW11B
後継こうけい ウィリアムズ・FW13
主要しゅようしょもと
シャシー カーボンファイバー ハニカム コンポジット モノコック
サスペンション(まえ ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド('88 Rd.15まで) / プルロッド('88 Rd.16以降いこう)
サスペンション( ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド('88 Rd.15まで) / プルロッド('88 Rd.16以降いこう)
エンジン 1988ねん: ミッドエンジン, たて, 3496cc, ジャッド CV, 90 V8, NA
1989ねん:ミッドエンジン, たて, 3493cc, ルノー RS1, 67 V10, NA
トランスミッション ウィリアムズせい 6そく MT
燃料ねんりょう 1988ねん: モービル
1989ねん: エルフ
タイヤ グッドイヤー
主要しゅよう成績せいせき
チーム キヤノン ウィリアムズ・チーム
ドライバー 5. イギリスの旗 ナイジェル・マンセル
5. イギリスの旗 マーティン・ブランドル
5. フランスの旗 ジャン=ルイ・シュレッサー
5. ベルギーの旗 ティエリー・ブーツェン
6. イタリアの旗 リカルド・パトレーゼ
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦しょせん 1988ねんブラジルグランプリ
出走しゅっそう優勝ゆうしょう表彰台ひょうしょうだいポールFラップ
281912
テンプレートを表示ひょうじ

ウィリアムズ・FW12 (Williams FW12) は、ウィリアムズ1988ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけん参戦さんせんよう開発かいはつしたフォーミュラ1カーアクティブサスペンション搭載とうさい前提ぜんていとして、パトリック・ヘッド設計せっけいした。1989ねんにはFW12C使用しようした。

概要がいよう[編集へんしゅう]

背景はいけい[編集へんしゅう]

カナダGPにてマンセルがドライブするFW12。改修かいしゅうまえのサイドポンツーンは上方かみがた排気はいきがた、サスペンションはプッシュロッド。

1987ねん9月にイタリアGP会場かいじょうにてホンダがウィリアムズへのエンジン供給きょうきゅう打切うちきりを発表はっぴょうした。契約けいやくを1ねんはやられてしまったウィリアムズは[1]予定よていしていたホンダせいターボエンジンの供給きょうきゅうけられなくなった。すでに1989ねんからFIAによるレギュレーション改定かいていによりターボエンジンが禁止きんしされることが決定けっていしていたため、チームは1ねん前倒まえだおしで1988ねんから自然しぜん吸気きゅうきエンジンの搭載とうさい決断けつだん。エンジンデベロップメントしゃジャッド)が供給きょうきゅう開始かいしするVがた8気筒きとう3,500cc自然しぜん吸気きゅうき (NA) エンジン「ジャッド・CV」を搭載とうさいすることになった。ジャッドのエンジンはもともとホンダせいF3000エンジンを原型げんけいにしたものであり、それまではホンダが鋳造ちゅうぞうしたシリンダーブロック使用しようしていたが、CVからは全面ぜんめんてきにジャッドがわ制作せいさくするようになった。ホンダは後年こうねんにウィリアムズがジャッドCVの供給きょうきゅうけるため必要ひつようとした費用ひよう肩代かたがわりしたことをみとめている[2]。ターボきゅうエンジンには前年ぜんねんよりさらにきびしい燃費ねんぴきゅうあつ制限せいげんもうけられたとはいえ、それでも同年どうねんのエンジン勢力せいりょくなか自然しぜん吸気きゅうき3.5Lエンジンは非力ひりきであり、とく強力きょうりょくなホンダ・ターボエンジンのちから享受きょうじゅしてきたウィリアムズは立場たちばおおきくわったなかでターボぜいたいするハンディを克服こくふくするマシンづくりをいられた。こうしたエンジンでのおおきな混乱こんらんなか、パトリック・ヘッドが'88シーズンのために設計せっけいしたのがFW12である[2]

開発かいはつ[編集へんしゅう]

ウィリアムズがNAエンジンの非力ひりきさを補完ほかんするふだとして搭載とうさいしたのが、開発かいはつつづけてきたアクティブサスペンションであった。前年ぜんねんシーズン終盤しゅうばんせんにFW11Bのリヤサスにライドハイトコントロールを搭載とうさいし、イタリアGPネルソン・ピケ優勝ゆうしょうするなどこう結果けっかのこしていた。1987ねんから1988ねんにかけてのシーズンオフ、ジャン=ルイ・シュレッサーをテストドライバーとしてFW11BのモノコックにジャッドCVをせ、アクティブサス機構きこう搭載とうさいした暫定ざんていテストマシンFW11Cを製作せいさく可能かのうせいさぐ[3]、これをドライブしたナイジェル・マンセルリカルド・パトレーゼもアクティブサスにたいして評価ひょうかあたえた[4]ため、ヘッドはFW12をおもって従来じゅうらいのパッシブサスを考慮こうりょしない完全かんぜんアクティブサス専用せんようしゃとして設計せっけいすることにした[2]。しかしレースではアクティブサスペンションのトラブルが多発たはつ[4]だい8せんイギリスGP期間きかんちゅうにアクティブサスペンションは放棄ほうきされた。ただし、フロントサスは通常つうじょうのコイルスプリングをおさめるスペースがかったため、その対策たいさくあん出来できるまでのあいだはコイルスプリングしきダンパーではなくラバースプリング内臓ないぞうちょう小型こがたショックアブソーバーを応急おうきゅう採用さいようした[5][3]だい15せん日本にっぽんGPではしんシャシー(5号車ごうしゃ)が投入とうにゅうされた。この車両しゃりょうには通常つうじょうのコイルスプリングを採用さいようしたフロントサスがモノコックない垂直すいちょくけられ[6]同時どうじにサスペンション形式けいしきがプッシュロッドからプルロッドに変更へんこうされるというおおきな変更へんこうくわえられた[7]

ガソリンタンクは、NAエンジンとなったことによりFW11よりもかなりちいさくまとめられ、タンクじょう(ロールオーバー・バーのした)にはザイテックせいECUかれた。ドライバーの頭上ずじょうまもるロールオーバー・バーはべつからだしきで、モノコックに多数たすうのボルトめで強度きょうど確保かくほするかたち装着そうちゃく。これはFW11から継承けいしょうされた方式ほうしきだった。

FW12の外見がいけんじょうおおきな特徴とくちょう独特どくとくサイドポンツーンで、ラジエーターはいねつのため上面うわつらおおきくアウトレットのくちひらいていた。後部こうぶのコークボトル形状けいじょうよわめられ、サイドポンツーン上部じょうぶからディフューザーに空気くうきおく意図いとであった。サイド形状けいじょうほかにもいくつかの形状けいじょうためされたが、パトリック・ヘッドものちそらりょく性能せいのうではライバルにおくれをっていたと発言はつげんしている[2]初期しょきテスト直後ちょくごから慢性まんせいてきオーバーヒートなやまされた結果けっか、シーズン終盤しゅうばん側面そくめんはいねつこうのある通常つうじょうのタイプに変更へんこうされた。

フロントノーズは前年ぜんねんベネトンロリー・バーン先鞭せんべんをつけたほそいニードルノーズが設計せっけいれられたが、そのしぼみは同年どうねんおなじジャッドV8を搭載とうさいしたライバル、エイドリアン・ニューウェイマーチ・881などにくらべるとまだうまかった。その理由りゆうはヘッドがマンセルからの注文ちゅうもんもありドライバーの居住きょじゅうせいをまだかなり重視じゅうししており、コクピットタブのひろさを確保かくほしたためだった。フロントウィングつばさはしばん下部かぶげられており。ヴォルテックスジェネレータへとつながる発想はっそうまれた。

しん設計せっけいの6そくよこきトランスミッションはエンリケ・スカラブローニ設計せっけい[2]ディフューザーのアップスウィープのデザインに干渉かんしょうしないよう、前後ぜんごちょうみじかくできるよこきが考案こうあんされ、リヤアクスルの前方ぜんぽう設置せっちされた。これによりディフューザーの設計せっけい自由じゆうたかまるとったチームのデザイナーがコピーしはじめ、FW12以後いご1996ねんころまでF1でよこきトランスミッションが流行りゅうこうすることになった。ミッションケースのうえにはオイルリザーバータンクがあり、デフうえにはオイルクーラー配置はいちした。

ちょう高速こうそくコースであるホッケンハイムリンク開催かいさいだい9せんドイツGPでは、ロードラッグ仕様しようのエアロパッケージが投入とうにゅうされた。リアウイングは下段げだんフラップのみ、つばさはしばんぜんこうタイヤと同等どうとうおさえられた非常ひじょうちいさなもので[8]頭上ずじょうのインダクションポッドをなくし、エンジンカバーにメッシュ吸気きゅうきこうもうけていた。しかしこの仕様しよう予選よせん出走しゅっそうしただけで、以後いご使用しようされなかった。

FW12は、1号車ごうしゃから5号車ごうしゃまでの5だい実戦じっせん投入とうにゅうされた。

1988ねんシーズン[編集へんしゅう]

設計せっけいでのヘッドのねらいは「コンパクトで軽量けいりょうなマシン」でありこれは実現じつげんされていたが、シーズン序盤じょばんとくにアクティブサスとジャッドエンジンのオーバーヒートのじゅうあしった。設計せっけい当初とうしょからオーバーヒート対策たいさくまれており、ラジエーター表面積ひょうめんせき拡大かくだいされ、ターボ一式いっしきやそのるい必要ひつようくなったため自由じゆうしたサイドポンツーンの大半たいはんは、そのラジエーターと上方かみがたけられた放熱ほうねつようアウトレットに使つかわれた。しかしそれでもジャッドエンジンをやすにはまったかなかった。ジャッドとウィリアムズのコミュニケーション不足ふそくによりFW12の冷却れいきゃく容量ようりょうちいさすぎたことが原因げんいんであった[9]

ホンダ・ターボにわって搭載とうさいされたジャッドV8エンジンの戦闘せんとうりょく未知数みちすうだったなか開幕かいまくまえ合同ごうどうテストからマンセルはいラップタイムを記録きろくしていた。開幕かいまくせんブラジルまでに3だいのFW12を完成かんせいさせてリオ・デ・ジャネイロおくんだ。マンセルはマクラーレン・ホンダアイルトン・セナ予選よせん2獲得かくとく幸先さいさきのよいスタートをったが、結局けっきょくジャッドエンジン関連かんれんのトラブルが以後いご多発たはつし、決勝けっしょうレースにおける完走かんそうりつきわめてひくかった。FW12はひどいオーバーヒートと、アクティブサスの作動さどう不良ふりょう見舞みまわれつづける。オーバーヒートはジャッドV8ユーザー共通きょうつう発生はっせいしていたが、ウィリアムズのそれはマーチ・881リジェ発症はっしょうした症状しょうじょうよりひどく、以後いごのグランプリでは冷却れいきゃくけいにあらゆるくわえられオーバーヒート対策たいさくこうじられた。しかしアクティブサスの問題もんだい解決かいけつ時間じかんかりそうであった。パトレーゼはモナコGPで6完走かんそうしシーズンはつポイント獲得かくとく成功せいこうしたが、完走かんそうくマシントラブルによるリタイヤばかりだったマンセルはシーズンなかばにしてモチベーションをうしなうと、FW12を「バッドカーだ」とマスコミにはなすようになってしまい、チームから箝口令かんこうれいかれる始末しまつだった。

6がつだい6せんカナダGPにてチームは翌年よくねんからF1にエンジン供給きょうきゅう復帰ふっきするルノーのV10エンジン搭載とうさい決定けってい発表はっぴょうし、ジャッドエンジンは1ねんのみの使用しようとなること発表はっぴょうした。だい7せんフランスGPではアクティブサスが異常いじょう作動さどうした影響えいきょうでサスペンションアームが変形へんけいするという事態じたい発生はっせい。これがとどめとなりついにチーム首脳しゅのうはアクティブサスをあきらめる決断けつだんをした。しかしヘッドの方針ほうしんでFW12をアクティブサス専用せんよう設計せっけいにしたこと裏目うらめとなり、とくにフロントサスにかんしてはパッシブすることが困難こんなんきわめた。

マンセルはだい8せんイギリスGPはじまる木曜日もくようび翌年よくねんフェラーリ移籍いせき発表はっぴょう[10]。ウィリアムズはその直後ちょくごにマンセルのけたあなにベネトンで連続れんぞく表彰台ひょうしょうだい記録きろくしランキング4につけていたティエリー・ブーツェン獲得かくとく発表はっぴょうした。そのおなにウィリアムズのピットでは3だいのFW12のアクティブサスをはずしパッシブサスに改造かいぞうする最中さいちゅうであった。その作業さぎょう木曜もくよう午後ごご2からはじめられ、予選よせん1にちと2にちあいだよるてっしてつづけられ、およそ18あいだよう大手おおてじゅつとなった。ヘッドと部下ぶかのエンジニアたちはアクティブのアクチュエーターのわりに従来じゅうらいのダンパーをどうおさめるかかんがつづけ、予選よせんすではじまっていた土曜日どようび早朝そうちょうにぎりぎりでパッシブあいだわせた。

フロントサスはプッシュロッドが継続けいぞくされ、アクティブサスではアクチュエータかれていたスペースにダンパーをくしかなかったが、そのスペースの問題もんだいでコイルスプリングしきダンパーを使つかうことが出来できず、わりにラバースプリング内臓ないぞうちょう小型こがたショックアブソーバーを採用さいよう、モノコック内部ないぶのステアリング・ラックの周囲しゅういにショックアブソーバーとべつからだしきのガスしつ配置はいちした。フロントサスはこうして急造きゅうぞうされたものだが、リヤサスは開幕かいまくぜんテストで製作せいさくされたテスト車両しゃりょうFW11Cから流用りゅうようされた[11]。マンセルはサスをパッシブしただけでシルバーストンのラップタイムを1.5びょうちぢめ「たしかにマシンのパフォーマンスはがった」とコメントした。予選よせんではパッシブ改造かいぞうが1だいしかわなかったため、パトレーゼは予選よせんもとのサス仕様しようのままではしった。マンセルはあめ決勝けっしょうレースで2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくあめになったためオーバーヒートの症状しょうじょうなかったこともさいわいした結果けっかだったが、アクティブ・サスをはずしたとたんにこう結果けっかとなった。

アクティブサスをはずしたFW12はそこから調子ちょうしもどした。マンセルは8がつ後半こうはん水疱瘡みずぼうそう罹患りかんしたため2レースで欠場けつじょうし、ベルギーGPではマーティン・ブランドルイタリアGPではジャン=ルイ・シュレッサー代役だいやくとして出走しゅっそうした。1号車ごうしゃはイタリアGPで代役だいやく出走しゅっそうのシュレッサーが決勝けっしょうレースで使用しようしたのちだい13せんポルトガルGP復帰ふっきしたマンセルはそれまでTカーとなっていた2号車ごうしゃ実戦じっせん使用しようすることになった(1号車ごうしゃのモノコックが勤続きんぞく疲労ひろうとイタリアでのマクラーレンとの接触せっしょく事故じこにより剛性ごうせいちたと判断はんだんされたため)。マンセルはツイスティなヘレス・サーキットおこなわれただい14せんスペインGPでも2となったが、この2レース以外いがいはすべてリタイアという極端きょくたんとしとなった。パトレーゼも終盤しゅうばん3せん連続れんぞくでポイントを獲得かくとくするが、ウィリアムズとしては1978ねん以来いらい10ねんぶりのシーズン勝利しょうりとなってしまった。

シーズンも終盤しゅうばんとなっただい15せん日本にっぽんGPには4号車ごうしゃと、あたらしく完成かんせいしたばかりの5号車ごうしゃがマンセルのTカーとして搬入はんにゅうされた。5号車ごうしゃからは製作せいさく当初とうしょからパッシブカーとして製作せいさくされており[2]、フロントサス構造こうぞうがプルロッドへと根本こんぽんからえられていた。この仕様しようFW12Bとして分類ぶんるいされ、よく'89ねん仕様しよう先行せんこう開発かいはつ一環いっかんでもあった。コイルスプリングしきダンパーユニットをドライバーのあしまえ、モノコックタブ両側りょうがわに2ほん垂直すいちょく配置はいちしてプルロッド方式ほうしき圧縮あっしゅくするレイアウトとなり、アッパーアームのモノコックへのけピポット位置いち従来じゅうらいものより前後ぜんご方向ほうこうはばひろげられ、ジオメトリーが見直みなおされた。ステアリングラックもダンパー後方こうほうにあったものがサスアームの最前さいぜんへと配置はいち変更へんこう特徴とくちょうてきだったサイドポンツーン上方かみがたのアウトレットも廃止はいしされ、側面そくめんにラジエーターアウトレットをもうけたオーソドックスなラジエーター配置はいちもどされた。予選よせん初日しょにちにこの仕様しようためしたマンセルが「ステアリングがおもく、軽快けいかいなハンドリングワークが出来できない」と印象いんしょうべたためどうGPではそれ以上いじょうためされなかったが[12]最終さいしゅうせんオーストラリアGPでは実戦じっせんでも使用しようされた。

最終さいしゅうせんまえにはFW12(ラジエーター配置はいちとサイドポッドが初期しょきがた仕様しよう)にルノーV10エンジンを搭載とうさいしたテストよう車両しゃりょう・FW12Rのテストがポール・リカール・サーキットにてパトレーゼとシュレッサーによりかさねられ、結果けっかてきに'89シーズン終盤しゅうばんまで実戦じっせん使用しようすることになるFW12Cのベースとなった[13]

FW12は最終さいしゅうてきに6のモノコックタブが制作せいさくされたが、6号車ごうしゃ実戦じっせんにはあらわれずにルノーV10エンジンを搭載とうさいしてそのままFW12Cとなった。FW12としてレースで使用しようしたものでも、フロントサスおよびバルクヘッドにだい改修かいしゅうけ、ルノーV10へとエンジンをえてFW12Cへとまれわったものが存在そんざいする(FW12-1は判明はんめい[2])。Cスペックへの改造かいぞうけたシャシーはフロントサスがすべてパッシブのプルロッドへとあらためられている。1989ねん開幕かいまくせんではブーツェンに6号車ごうしゃ、パトレーゼに7号車ごうしゃあたえられ、TカーにまれたのはCスペックに改修かいしゅうされた1号車ごうしゃだった。'89ねん9がつFW13投入とうにゅうまでにFW12Cは10号車ごうしゃまでがつくられ、初号しょごうからCスペックまでれんばんのシャシーナンバーがあたえられていた。

'88ねん使用しようしたエンジンは基本きほんジャッドへと返却へんきゃくされ、リビルドされたあとよく'89シーズンにロータスへとおくられる段取だんどりになっていたが、そく可動かどう可能かのうな1をウィリアムズへとのこし、ルノーエンジンの台数だいすうそろうまでアクティブサスのテストようとして使用しようされたほか、もう1-2展示てんじしゃ両用りょうようにウィリアムズにのこされた。

12月のヘレス合同ごうどうテストでまだジャッドV8をせていたFW12('88最終さいしゅうせん使つかったフロントサスがプルロッド仕様しよう)をはつドライブしたブーツェンは、「ぼくがベネトンでっていたDFRB188おなじV8エンジンであるジャッドCVを直接ちょくせつ比較ひかくできるので興味深きょうみぶかかった。回転かいてんすうはDFRのほうがジャッドよりもうえまでまわるようだけど、それ以外いがいてんではほとんどいようにかんじた。FW12のシャシーの出来できいよ。B188よりもちょっと神経質しんけいしつめんがあるけど、グリップりょくすぐれてるね。」と感想かんそうべた[14]

スペック[編集へんしゅう]

シャーシ[編集へんしゅう]

エンジン[編集へんしゅう]

  • エンジンめい ジャッドCV
  • 気筒きとうすう角度かくど Vがた8気筒きとう・90
  • 排気はいきりょう 3,496cc
  • 最高さいこう回転かいてんすう 12,000回転かいてん
  • 最大さいだい馬力ばりき 600馬力ばりき
  • スパークプラグ チャンピオン
  • 燃料ねんりょう潤滑油じゅんかつゆ モービル

記録きろく(1988ねん)[編集へんしゅう]

とし No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント ランキング
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
MEX
メキシコの旗
CAN
カナダの旗
DET
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
1988 5 イギリスの旗 マンセル Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 2 Ret Ret Ret 2 Ret Ret 20 7
イギリスの旗 ブランドル 7
フランスの旗 シュレッサー 11
6 イタリアの旗 パトレーゼ Ret 13 6 Ret Ret Ret Ret 8 Ret 6 Ret 7 Ret 5 6 4

FW12C[編集へんしゅう]

FW12C(ドニントン・グランプリコレクション所蔵しょぞう

前年ぜんねんのジャッドエンジンを使用しようしていたチームは、1989ねんよりエンジンサプライヤーとして復帰ふっきしたルノーとジョイントし、Vがた10気筒きとう3500cc自然しぜん吸気きゅうきエンジンを搭載とうさいした。レギュレーションの大幅おおはば変更へんこうにより自然しぜん吸気きゅうき一本いっぽんされたこのとし、V10レイアウトを選択せんたくしたのはマクラーレン搭載とうさいするホンダエンジンとルノーエンジンのみだった。FW12Cのベースは前年ぜんねんだい15せん日本にっぽんGPにTカーとしてまれた新造しんぞうしゃFW12-5(Bスペック)で、フロントサスのダンパー/スプリングはモノコックない垂直すいちょくおさめられていた[15]後継こうけいのルノーV10専用せんよう設計せっけいであるFW13登場とうじょうするまでのつなぎとして、'89ねん開幕かいまくせんからFW12Cが投入とうにゅうされた。ヘッドによるとFW13は当初とうしょ2がつ完成かんせい目論もくろんでいたが、ルノーエンジンを搭載とうさいした暫定ざんてい仕様しようのFW12R(のFW12C)にったドライバーの評価ひょうかたかかったこともあり完成かんせいいそがれなかった。ブーツェンによると「計画けいかくでは'89ねん最初さいしょの2せんくらいまでFW12R(C)をはしらせて、そのあいだにヘッドがFW13の最終さいしゅうてき設計せっけい作業さぎょうをすることになっていたが、ウィリアムズ・チームのやりかたつねきわめて堅実けんじつなんだ。確実かくじつ旧型きゅうがたしゃ上回うわまわるものでなければ投入とうにゅうしないということ徹底てっていされた。リスクをるようなまねはしなかった[14]」とべている。

結局けっきょく、9月のだい12せんイタリアGPまでFW12Cが使用しようされた。だい13せんでFW13が登場とうじょうしたのちだい14せんスペインGPまでスペアカーとして使つかわれた。だい14せんではリカルド・パトレーゼ走行そうこうちゅうにフロントノーズが脱落だつらくしてしまうなど初期しょき特有とくゆうのマイナートラブルがおおたFW13の実戦じっせん使用しようきらい、FW12Cで出走しゅっそうしている。

1989ねんシーズン[編集へんしゅう]

ルノーエンジンとのマッチングもく、エンジンの信頼しんらいせい戦闘せんとうりょくどもたかまっておりシーズン序盤じょばんせんから堅実けんじつ成績せいせきおさめた。開幕かいまくせんブラジルGPではパトレーゼが「ピットでのタイヤ交換こうかん失敗しっぱいければ優勝ゆうしょうだってあったんだ。」とくやしさをあらわにするなど、優勝ゆうしょう現実げんじつてき目標もくひょうであった。だい6せんカナダGPではワンツーフィニッシュをたし、ブーツェンがF1参戦さんせん95せんはつ優勝ゆうしょう達成たっせいした。パトレーゼは4せん連続れんぞく表彰台ひょうしょうだいち、だい10せんハンガリーGPではポールポジションからリタイアするまでトップを快走かいそうした。

スペック[編集へんしゅう]

シャーシ[編集へんしゅう]

エンジン[編集へんしゅう]

  • エンジンめい ルノーRS1
  • 気筒きとうすう角度かくど Vがた10気筒きとう・67
  • 排気はいきりょう 3,493cc
  • 最大さいだい馬力ばりき 650馬力ばりき
  • スパークプラグ チャンピオン
  • 燃料ねんりょう潤滑油じゅんかつゆ エルフ

記録きろく(1989ねん)[編集へんしゅう]

とし No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント ランキング
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
MEX
メキシコの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
1989 5 ベルギーの旗 ブーツェン Ret 4 10 Ret 6 1 Ret 10 Ret 3 4 3 77 2
6 イタリアの旗 パトレーゼ Ret Ret 15 2 2 2 3 Ret 4 Ret Ret 4 5

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ホンダ来季らいきはウィリアムズと訣別けつべつ発表はっぴょう「マクラーレンは将来しょうらい思考しこうのあるチーム」桜井さくらいそう監督かんとく記者きしゃ質問しつもんこたえる GPX 1987ねんイタリア 31ぺーじ 山海さんかいどう
  2. ^ a b c d e f g 1000ぶんの1びょうのヒーロー列伝れつでん 車体しゃたい番号ばんごうかためいマシンの一生いっしょう FILE.48 WILLIAMS FW12-1 F1グランプリ特集とくしゅう vol.57 127-131ぺーじ 1994ねん3がつ16にち発行はっこう
  3. ^ a b 北村きたむら信康のぶやす へん「19ねん真実しんじつ/ジャン-ルイ・シュレッサー」『日本にっぽんめいレース100せん 044 '89 WSPC鈴鹿すずか三栄書房さんえいしょぼう、2008ねんISBN 978-4-7796-0366-2 
  4. ^ a b アラン・ヘンリー へん『AUTOCOURSE F1グランプリ年鑑ねんかん 1988-1989』バベル・インターナショナル・わけ、CBSソニー出版しゅっぱん、1989ねん、p.28ぺーじISBN 4-7897-0422-X 
  5. ^ 『AUTOCOURSE F1グランプリ年鑑ねんかん 1988-1989』、p.112ぺーじ 
  6. ^ NEW DETAIL by G.PIOLA WILLIAMS FW12 F1GPX '88日本にっぽんGPごう 43ぺーじ 1988ねん11月18にち発行はっこう
  7. ^ 『AUTOCOURSE F1グランプリ年鑑ねんかん 1988-1989』、p.170ぺーじ 
  8. ^ The Williams Mechanics experment with a radical rear wing. Motorsport Images 1988ねん7がつ24にち
  9. ^ 大串おおぐししんF1解体かいたい新書しんしょ リタイア原因げんいん解明かいめい・シャシーがわのいいぶんとエンジンがわのいいぶん F1グランプリ特集とくしゅう vol.57 87ぺーじ 1994ねん3がつ16にち発行はっこう
  10. ^ マンセル地元じもと衝撃しょうげき発表はっぴょう フェラーリ移籍いせき決定けってい F1グランプリ・エクスプレス 28p 1988ねん7がつ30にち発行はっこう
  11. ^ New Datail by Giorgio Piola WILLIAMS FW12 ついにパトリック・ヘッドがアクティブ・サスを通常つうじょうのサスに変更へんこう グランプリ・エクスプレス イギリスGPごう p.27 1988ねん7がつ30にち発行はっこう
  12. ^ New Datail by Giorgio Piola WILLIAMS FW12 フロントサスをプルロッドに変更へんこう グランプリ・エクスプレス 日本にっぽんGPごう p.43 1988ねん11月18にち発行はっこう
  13. ^ サヨナラJUDD こんにちはルノー グランプリ・エクスプレス オーストラリアGPごう p.28 1988ねん12月3にち発行はっこう
  14. ^ a b '89注目ちゅうもくドライバーインタビュー③ティエリー・ブーツェン グランプリ・エクスプレス NA回帰かいき元年がんねんごう p.8 1989ねん2がつ8にち発行はっこう
  15. ^ アラン・ヘンリー へん『F1グランプリ年鑑ねんかん 1989-1990』バベル・インターナショナル・わけ、CBSソニー出版しゅっぱん、1990ねん、pp.27-28ぺーじISBN 4-7897-0502-1