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アロウズ・A19

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アロウズ・A19
カテゴリー F1
コンストラクター アロウズ
デザイナー ジョン・バーナード
先代せんだい アロウズ・A18
後継こうけい アロウズ・A20
主要しゅようしょもと
シャシー カーボンファイバー ハニカム コンポジット
サスペンション(まえ ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド
サスペンション( ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド
エンジン アロウズ 72 V10
トランスミッション アロウズせい 6そく たてセミAT
燃料ねんりょう エルフ
タイヤ ブリヂストン
主要しゅよう成績せいせき
チーム ダンカ・ゼプター・アロウズ
ドライバー 16. ペドロ・ディニス
17. ミカ・サロ
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦しょせん 1998ねんオーストラリアグランプリ
出走しゅっそう優勝ゆうしょうポールFラップ
16000
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アロウズ・A19 (Arrows A19) は、アロウズ1998ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけん参戦さんせんよう開発かいはつしたフォーミュラ1カーで、ジョン・バーナード設計せっけいした。

概要がいよう

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チーム2ねんとなるペドロ・ディニスと、ジョーダンへと移籍いせきしたデイモン・ヒルわってティレルから加入かにゅうしたミカ・サロがドライブした。

開発かいはつ経緯けいい

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トップチームをわたあるいてきたバーナードが、中堅ちゅうけんチームのアロウズで手掛てがけたマシン。アロウズはトム・ウォーキンショーもとつためのチームへの再生さいせいはじめたところであり、バーナードも「トムはアロウズで本気ほんきでワールド・タイトルを獲得かくとくするつもりでいるし、わたし精一杯せいいっぱい手助てだすけする。しかしアロウズは20ねん中堅ちゅうけんにいたためにけグセがについてしまっている。スタッフにはチームがつためのあたらしい基準きじゅんしめして、そのけグセをしてゆくのも任務にんむだとおもっている。」とつよ意欲いよくしめし、しん技術ぎじゅつであるオールカーボンファイバー (CFRP)せいギアボックスの設計せっけい注力ちゅうりょく。これをA19にむことでF1でのさらなる技術ぎじゅつ革新かくしん目指めざしていた[1]

A19の設計せっけい作業さぎょうはバーナードやマイク・コフラン在籍ざいせきするB3テクノロジーズでおこなわれた。元々もともと、この施設しせつ母国ぼこくイギリスでの仕事しごとこのかれが、フェラーリ在籍ざいせき開設かいせつしたデザインスタジオ (FDD)をもどし、改称かいしょうされたばかりだった。

バーナードはこれまでコークボトルラインをはじめとして、個性こせいてきなサイドポンツーンのアイデアを発表はっぴょうしてきたが、A19ではポンツーン後部こうぶ側面そくめんとしてラジエーターはいねつダクトを開口かいこうした。ほかには、カーボン(CFRP)せいのギアボックスケーシングが特徴とくちょうである。この部分ぶぶんはバーナードがとく注力ちゅうりょくした部分ぶぶんであり、「このあたらしいオールカーボンギアボックスは軽量けいりょう・コンパクトで剛性ごうせい従来じゅうらいよりたかい。わたしのやりかたたしかにリスクがあるが、わたし導入どうにゅうしたあたらしいものがいつかはスタンダードになってたという自負じふもある。このギアボックスの優位ゆういせいみとめられ、すべてのコンストラクターが導入どうにゅうするるとおもっている。」と自信じしんべていた[1]

エンジンはヤマハとの2ねん契約けいやく解消かいしょうし、トム・ウォーキンショーがハートエンジンを買収ばいしゅうし、「アロウズエンジン」に改称かいしょうして搭載とうさいした。アロウズは1977ねんBRM以来いらい自製じせいエンジンを搭載とうさいしたイギリスチームとなった。しかしながらハートの予算よさん主要しゅようコンストラクターにくらべると十分じゅうぶんではなく、くるま開発かいはつおもうようにすすまなかった。

マシンのカラーリングは前年ぜんねんA18あお×しろからくろ一色いっしょく様変さまがわりした。

1998ねんシーズン

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A19はシーズンをとおして信頼しんらいせいたかまらず、出走しゅっそうレースのほとんどがリタイアにわった。しかしながら、だい6せんモナコGPでサロが4、ディニスが6とダブル入賞にゅうしょうたす。エンジン出力しゅつりょくがそれほど重要じゅうようではないサーキットで競争きょうそうりょく発揮はっきし、シャシーの素性すじょうさを証明しょうめいした。そのもリタイアはおおく、以後いご入賞にゅうしょうはスタート直後ちょくごに12だいからむF1史上しじょう最大さいだい多重たじゅうクラッシュが発生はっせいしただい13せんベルギーGPでディニスがのこり5はいったのみであった。

結局けっきょくチームの獲得かくとくポイントは6となり、コンストラクターズランキング7でシーズンをえた。バーナードとアロウズとの関係かんけい短期間たんきかんわり、バーナードはプロスト・グランプリ技術ぎじゅつコンサルタントに就任しゅうにんした。

F1におけるぜん成績せいせき

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(key) (太字ふとじポールポジション

とし チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位じゅんい
1998ねん アロウズ アロウズ V10 B AUS
オーストラリアの旗
BRA
ブラジルの旗
ARG
アルゼンチンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
AUT
オーストリアの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
LUX
ルクセンブルクの旗
JPN
日本の旗
6 7
ペドロ・ディニス Ret Ret Ret Ret Ret 6 9 14 Ret Ret Ret 11 5 Ret Ret Ret
ミカ・サロ Ret Ret Ret 9 Ret 4 Ret 13 Ret Ret 14 Ret DNS Ret 14 Ret

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b '98ぜんデザイナーインタビュー ジョン・バーナード アロウズ・A19 F1グランプリ特集とくしゅう Vol.107 87ぺーじ 1998ねん5がつ16にち発行はっこう