ブリティッシュ・レーシング・モータース

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ブリティッシュ・レーシング・モータース
エントリーめい BRM Ltd (1951)
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション (1956 - 1970)
ヤードレー・チーム・BRM (1970 - 1971)
マールボロ・BRM (1972 - 1973)
チーム・モチュール・BRM (1974)
スタンレー・BRM (1975 - 1977)
ロータリー・ウォッチ・スタンレー・BRM (1977)
チーム国籍こくせき イギリスの旗 イギリス
チーム本拠地ほんきょち イギリスの旗 イギリス リンカンシャー ボーン
おもなチーム関係かんけいしゃ イギリスの旗 レイモンド・メイズ
イギリスの旗 ピーター・バーソン
イギリスの旗 アルフレッド・オーウェン
イギリスの旗 トニー・ラッド
イギリスの旗 トニー・サウスゲート
イギリスの旗 ルイス・スタンレー
イギリスの旗 マイク・ピルビーム
おもなドライバー イギリスの旗 マイク・ホーソーン
イギリスの旗 トニー・ブルックス
スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ
フランスの旗 モーリス・トランティニアン
イギリスの旗 グラハム・ヒル
アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー
アメリカ合衆国の旗 リッチー・ギンサー
イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート
メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス
イギリスの旗 ジョン・サーティース
スイスの旗 ジョー・シフェール
ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ
イギリスの旗 ピーター・ゲシン
フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ
オーストリアの旗 ニキ・ラウダ
スイスの旗 クレイ・レガツォーニ
フランスの旗 アンリ・ペスカロロ
フランスの旗 フランソワ・ミゴール
オーストラリアの旗 ラリー・パーキンス
F1世界せかい選手権せんしゅけんにおけるチーム履歴りれき
参戦さんせん年度ねんど 1951, 1956 - 1977
出走しゅっそう回数かいすう 197
コンストラクターズ
タイトル
1 (1962)
ドライバーズ
タイトル
1 (1962)
優勝ゆうしょう回数かいすう 17
通算つうさん獲得かくとくポイント 433
表彰台ひょうしょうだい(3以内いない)回数かいすう 61
ポールポジション 11
ファステストラップ 15
F1デビューせん 1951ねんイギリスGP
はつ勝利しょうり 1959ねんオランダGP
最後さいごのレース 1977ねんイタリアGP
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ブリティッシュ・レーシング・モータースBritish Racing Motors,BRM)は、かつてF1参戦さんせんしていたコンストラクター。1962ねんのコンストラクターズチャンピオン。チームめいおもオーウェン・レーシング・オーガニゼーションOwen Racing Organisation)として活動かつどうしていた。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

創設そうせつ[編集へんしゅう]

ブリティッシュ・レーシング・モータースはだい世界せかい大戦たいせん直後ちょくご1945ねんに、技術ぎじゅつしゃレイモンド・メイズピーター・バーソンにより創設そうせつされた。イタリアしゃやドイツしゃ席巻せっけんしていたグランプリレースにイギリスせいフォーミュラカー参戦さんせんし、英国えいこく自動車じどうしゃ工業こうぎょうかい威信いしんしめすという理念りねんかかげ、開発かいはつ資金しきん出資しゅっしつのった。

1950年代ねんだい[編集へんしゅう]

きゅうしきV16エンジンを搭載とうさいした処女しょじょさく15

航空こうくうようエンジンから発想はっそうスーパーチャージャーVがた16気筒きとうエンジンは開発かいはつ難航なんこうし、1950ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけん開幕かいまくわず、地元じもとイギリスGPでデモ走行そうこうおこなうにまった。翌年よくねんイギリスGPでデビュー(5入賞にゅうしょう)したが、選手権せんしゅけん翌年よくねんから2年間ねんかんF2規定きていおこなわれたため、このエンジンは国内こくないレース以外いがい使つかみちがなくなってしまった。チームは共同きょうどう出資しゅっししゃのひとりであるアルフレッド・オーウェンきょう買収ばいしゅうされ、あらたに直列ちょくれつ4気筒きとうエンジンを開発かいはつし、1956ねんからF1にさい挑戦ちょうせんした。

そのもBRMが足踏あしぶみしているあいだ後発こうはつヴァンウォールクーパー英国えいこくぜいとしてさきんじて成功せいこうおさめた。ようやく1959ねんだい3せんオランダGPヨアキム・ボニエはつ優勝ゆうしょうたしたが、ミッドシップマシンへの移行いこうふたた低迷ていめいした。

1960年代ねんだい[編集へんしゅう]

1962ねんドイツGPにてグラハム・ヒルP57をドライブする。

1961ねんから施行しこうされた1,500ccエンジン規定きていには、初期しょきコヴェントリー・クライマックスからエンジン供給きょうきゅうけたことでしのぎ、シーズン後半こうはんからはインジェクターきのVがた8気筒きとうエンジンを開発かいはつ技術ぎじゅつ部門ぶもんしん統括とうかつしゃトニー・ラッド手掛てがけたP57は、1962ねん突如とつじょ一線いっせんきゅうのマシンとなる。チームメカニック出身しゅっしんのドライバー、グラハム・ヒルが9戦中せんちゅう4しょうげ、ロータスジム・クラークりワールドチャンピオンとなり、コンストラクターズとの2かん達成たっせいした。

1965ねんまでの4年間ねんかんはロータス(クラーク)たいBRM(ヒル)のライバル対決たいけつがF1かい中心ちゅうしんとなり、ヒルはモナコGPを3連覇れんぱし「モナコ・マイスター」とたたえられた。また、ヒルとめいコンビをんだリッチー・ギンザーわり、1965ねん加入かにゅうしたジャッキー・スチュワートはやくも1しょうげ、驚異きょうい新人しんじんばれた。

1500ccエンジンの成功せいこうわり、チームは1966ねんから施行しこうされたしん規定きていように3,000ccのHがた16気筒きとうのP-75エンジン開発かいはつする。どうエンジンは水平すいへい対向たいこう8気筒きとうを2だんかさねし、2ほんクランクシャフトからアイドラーギアで出力しゅつりょくまとめてしたF1史上しじょうでもるいないレイアウトのエンジンだった。このエンジンは馬力ばりきこそあれ重量じゅうりょう超過ちょうかこわれやすく、おまけにアウトプットシャフトの位置いちたかさと下面かめん排気はいきかんまわしから重心じゅうしんたかくなってしまうというあきらかな失敗しっぱいさくだった。2年間ねんかん試行しこうおこなわれたが成績せいせき低迷ていめいし、開発かいはつ放棄ほうき。ヒルとスチュワートは移籍いせきしてしまった。供給きょうきゅうさきのロータスが下記かきとおいちしょうげたのはせめてものなぐさめであった。そのVがた12気筒きとうのP-142エンジンを開発かいはつしたが非力ひりきさはいなめず、ラッドもチームから離脱りだつした。

1970年代ねんだい[編集へんしゅう]

ヤードレーカラーのP153ドニントン・グランプリ・コレクション収蔵しゅうぞう

1970ねん、チームは化粧けしょうひん会社かいしゃヤードレーのスポンサードを体制たいせい強化きょうかしんデザイナー、トニー・サウスゲート手掛てがけたマシンで5ねんぶりの1しょうる。よく1971ねん新車しんしゃP160で3しょうげコンストラクターズ2浮上ふじょうしたが、スポーツカーレースでペドロ・ロドリゲスジョー・シフェール看板かんばんドライバー2にん相次あいついで事故死じこしするという悲劇ひげき見舞みまわれた。代役だいやくピーター・ゲシンイタリアGPせいしたが、このレースはゲシン以下いか5までが0.61びょうでゴールするF1史上しじょう最高さいこうだい接戦せっせんだった。

1972ねんにはタバコブランド、マールボロというだいスポンサーを獲得かくとくし、一気いっきに5だい体制たいせいでの参戦さんせんとなった(ドライバーはスポット参戦さんせんふくけい10めい)。大雨おおあめのモナコGPでジャン=ピエール・ベルトワーズ見事みごと勝利しょうりしたが、新車しんしゃP180つまずき、体制たいせいもややひろぎであった。1973ねんはベルトワーズにクレイ・レガツォーニニキ・ラウダの3だい体制たいせいのぞみ、ラウダはこうはしみとめられ、翌年よくねんフェラーリりをたすことになる。

1974ねん、スポンサーのマールボロがマクラーレン鞍替くらがえしたため、一転いってんして資金しきんなんおちいる(ちなみに、ぜんスポンサーのヤードレーもマクラーレンにうつっている)。オーナーであるオーウェンきょうにより、チームはいもうと婿むこのルイス・スタンレーきょうゆずられ、スタンレー・BRMStanley-BRM)へ再編さいへんされる。よく1975ねん以降いこう、1だい体制たいせい細々こまごま参戦さんせんつづけたが、1977ねんイタリアGP最後さいごにチームは消滅しょうめつした。

エンジン供給きょうきゅう[編集へんしゅう]

Hがた16気筒きとうのBRM・P75エンジン

英国えいこくけいチームがコヴェントリー・クライマックスフォード・DFVなどの市販しはんレーシングエンジンを使用しようしていたのにたいし、BRMはしんレギュレーションに対応たいおうしたエンジンの開発かいはつわなかった1961ねんのぞけば、一貫いっかんしてシャシーとエンジンを自社じしゃ製作せいさくするフルコンストラクターとして参戦さんせんしていた。チームへのエンジン供給きょうきゅうおこなっており、1962ねんから1965ねんにかけては、1,500ccのP56エンジンをBRPギルビーなどのチームが搭載とうさいしたほか、ロータスやブラバムのシャシーとわせて、おおくのプライベーターが使用しようした。

1966ねん開発かいはつしたHがた16気筒きとうのP-75はロータスも使用しようしたが(タイプ43)、BRM同様どうよう低迷ていめい原因げんいんとなり、ジム・クラークがアメリカGPでこのエンジン唯一ゆいいつ勝利しょうりるにまった。このほか、Vがた12気筒きとうのP-142をマクラーレン、クーパーなどグランプリF1チームやスポーツカーレースのミラージュ使用しようした。

復活ふっかつ、SWCへの参戦さんせん[編集へんしゅう]

1992ねん、F1と同様どうようのエンジン規定きていとなったスポーツカー世界せかい選手権せんしゅけんをF1参入さんにゅう好機こうきかんがえ、BRMの名前なまえ復活ふっかつ完全かんぜんオリジナルマシンのP351は自社じしゃせい3.5リッターのVがた12気筒きとうエンジンを搭載とうさい。デザイナーはザクスピードのポール・ブラウン。

BRMはだい1せん欠場けつじょうだい2せんのシルバーストーン500kmから参戦さんせん。しかし予選よせん通過つうかするも、順位じゅんい最下位さいかい。このタイムは1つまえのゲプハルト・C91の1ふん50びょう045から10びょうおくれの2ふん00びょう182であり、ポールポジションプジョー・905からはやく36びょうおくれのタイムであった。また決勝けっしょうではスタートまえにオイルポンプのトラブルが発生はっせいし、スタートすら出来できなかった。だい3せんとなるル・マン24あいだ耐久たいきゅうレースでも20しゅうほどでリタイアとなっている。BRMはル・マンを最後さいごにSWCから撤退てったい。そのIMSA GTPのワトキンズグレンせん参戦さんせんするが、こちらもリタイアにわった。

のちにP351をベースとしたオープンプロトタイプのP301をル・マンとISRS(インターナショナル・スポーツカー・レーシング・シリーズ)に参戦さんせんさせたが、こちらも結果けっかのこしていない。

変遷へんせんひょう(コンストラクターとしての参戦さんせんのみ)[編集へんしゅう]

とし エントリーめい 車体しゃたい型番かたばん タイヤ エンジン 燃料ねんりょう・オイル ドライバー ランキング 優勝ゆうしょうすう
1951ねん BRM Ltd 15 D BRM P15(1.5L V16s) - レグ・パーネル
ピーター・ウォーカー
ケン・リチャードソン
ハンス・スタック
-* 0
1956ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション P25 D BRM P25(2.5L L4) - マイク・ホーソーン
トニー・ブルックス
ロン・フロックハート
-* 0
1957ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション P25 D BRM P25(2.5L L4) - ロン・フロックハート
ロイ・サルヴァドーリ
ハーバート・マッケイ=フレーザー
ジャック・フェアーマン
レス・レストン
-* 0
1958ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション P25 D BRM P25(2.5L L4) - ジャン・ベーラ
ハリー・シェル
ロン・フロックハート
モーリス・トランティニアン
マステン・グレゴリー
ヨアキム・ボニエ
4(18pts) 0
1959ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ(P25)
P25 D BRM P25(2.5L L4) - ハリー・シェル
ヨアキム・ボニエ
ロン・フロックハート
3(18pts) 1
1960ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション P25
P48
D BRM P25(2.5L L4) - ヨアキム・ボニエ
グラハム・ヒル
ダン・ガーニー
3(18pts) 0
1961ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション P48/57 D クライマックスFPF(1.5L L4) - トニー・ブルックス
グラハム・ヒル
5(7pts) 0
1962ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
ブルース・ジョンストン(P48/57)
P57 D BRM P56(1.5L V8) - グラハム・ヒル
リッチー・ギンサー
1(42pts) 4
1963ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
スクーデリア・セントロ・スッド(P57)
P57
P61
D BRM P56(1.5L V8)
BRM P60(1.5L V8)
- グラハム・ヒル
リッチー・ギンサー
2(36pts) 2
1964ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
モーリス・トランティニアン(P57)
スクーデリア・セントロ・スッド(P57)
P261
P67
D BRM P60(1.5L V8) シェル グラハム・ヒル
リッチー・ギンサー
リチャード・アトウッド
2(42pts) 2
1965ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
スクーデリア・セントロ・スッド(P57)
P261 D BRM P60(1.5L V8) シェル グラハム・ヒル
ジャッキー・スチュワート
2(45pts) 3
1966ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
チーム・シャマコ・コレクト(P261)
バーナード・ホワイト・レーシング(P261)
P261
P83
D BRM P60(2.1L V8)
BRM P75(3.0L H16)
シェル グラハム・ヒル
ジャッキー・スチュワート
4(22pts) 1
1967ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
レグ・パーネル・レーシング(P261,P83)
バーナード・ホワイト・レーシング(P261)
P261
P83
P115
G BRM P60(2.1L V8)
BRM P75(3.0L H16)
シェル ジャッキー・スチュワート
マイク・スペンス
6(17pts) 0
1968ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
レグ・パーネル・レーシング(P126)
バーナード・ホワイト・レーシング(P261)
P115
P126
P133
P138
G BRM P75(3.0L H16)
BRM P142(3.0L V12)
シェル ペドロ・ロドリゲス
リチャード・アトウッド
マイク・スペンス
ボビー・アンサー
5(28pts) 0
1969ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
レグ・パーネル・レーシング(P126)
P133
P138
P139
D BRM P142(3.0L V12) シェル ジョン・サーティース
ジャッキー・オリバー
ビル・ブラック
ジョージ・イートン
6(7pts) 0
1970ねん オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
ヤードレー・チーム・BRM
P139
P153
D BRM P142(3.0L V12) シェル ペドロ・ロドリゲス
ジャッキー・オリバー
ジョージ・イートン
ピーター・ウェストベリー
7(23pts) 1
1971ねん ヤードレー・チーム・BRM P153
P160
D BRM P142(3.0L V12) シェル ペドロ・ロドリゲス
ジョー・シフェール
ハウデン・ガンレイ
ヘルムート・マルコ
ピーター・ゲシン
ビック・エルフォード
ジョージ・イートン
ジョン・キャノン
2(36pts) 2
1972ねん マールボロ・BRM P153
P160B,P160C
P180
F BRM P142(3.0L V12) BP ハウデン・ガンレイ
レイネ・ウィセル
ピーター・ゲシン
ヘルムート・マルコ
ジャン=ピエール・ベルトワーズ
アレックス・ソーラー=ロイグ
ジャッキー・オリバー
ビル・ブラック
ブライアン・レッドマン
7(14pts) 1
1973ねん マールボロ・BRM P160C,P160D,P160E F BRM P142(3.0L V12) STP ジャン=ピエール・ベルトワーズ
クレイ・レガツォーニ
ニキ・ラウダ
ピーター・ゲシン
7(12pts) 0
1974ねん チーム・モチュール・BRM P160E
P201
F BRM P142(3.0L V12)
BRM P200(3.0L V12)
モチュール ジャン=ピエール・ベルトワーズ
アンリ・ペスカロロ
フランソワ・ミゴール
クリス・エイモン
7(10pts) 0
1975ねん スタンレー・BRM P201 G BRM P200(3.0L V12) ダッカムス マイク・ワイルズ
ボブ・エバンス
NC(0pt) 0
1976ねん スタンレー・BRM P201B G BRM P200(3.0L V12) ダッカムス イアン・アシュレイ NC(0pt) 0
1977ねん スタンレー・BRM
ロータリー・ウォッチ・スタンレー・BRM
P201B
P207
G BRM P200(3.0L V12)
BRM P202(3.0L V12)
ダッカムス ラリー・パーキンス
コニー・アンダーソン
テディ・ピレット
ガイ・エドワーズ
NC(0pt) 0
とし エントリーめい 車体しゃたい型番かたばん タイヤ エンジン 燃料ねんりょう・オイル ドライバー ランキング 優勝ゆうしょうすう
  • 太字ふとじはドライバーズタイトル獲得かくとくしゃ
  • 斜体しゃたいになっているドライバーはスポット参戦さんせんなど
  • 斜体しゃたいになっているチームはプライベーター(括弧かっこない使用しようした車体しゃたい型番かたばん記載きさい
  • *コンストラクタータイトルは1958ねんから設定せっていされた。このためコンストラクターとしてのポイントやランキングは存在そんざいしない。

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