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BRM・P160

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
BRM・P160
カテゴリー F1
コンストラクター ブリティッシュ・レーシング・モータース
デザイナー トニー・サウスゲート
先代せんだい P153
後継こうけい P180 / P201
主要しゅようしょもと[1][2][3][4][5]
シャシー アルミニウムせいモノコック
サスペンション(まえ ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング
サスペンション( ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング
トレッド まえ:1,473 mm (58.0 in)
:1,448 mm (57.0 in)
ホイールベース 2,464 mm (97.0 in)
エンジン BRM 2,998 cc (182.9 cu in) V12 自然しぜん吸気きゅうき, ミッドエンジン
トランスミッション BRM P161 5そく マニュアル
重量じゅうりょう 550 kg (1,210 lb)
燃料ねんりょう 1971ねん: シェル
1972ねん: BP
1973ねん: STP
1974ねん: モチュール
タイヤ ファイアストン
主要しゅよう成績せいせき
チーム ヤードレー・チーム BRM
マールボロ BRM
チーム・モチュール BRM
ドライバー メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス
スイスの旗 ジョー・シフェール
イギリスの旗 ピーター・ゲシン
ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ
フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ
スイスの旗 クレイ・レガツォーニ
オーストリアの旗 ニキ・ラウダ
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦しょせん 1971ねんみなみアフリカグランプリ
出走しゅっそう優勝ゆうしょうポールFラップ
50300
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BRM・P160 は、ブリティッシュ・レーシング・モータース1971ねん1972ねん1973ねんおよび1974ねんF1世界せかい選手権せんしゅけん投入とうにゅうしたフォーミュラ1カートニー・サウスゲート設計せっけいし、3.0リッターの自社じしゃせいV12エンジンを搭載とうさいした。

開発かいはつ

[編集へんしゅう]

P160はトニー・サウスゲートによって設計せっけいされたP153のしょう改良かいりょうがたであり、車体しゃたい燃料ねんりょうタンクのためふくらみまるみをびたひくいモノコック構造こうぞうであった。ラジエター配管はいかん位置いちはP153から変更へんこうされ、車体しゃたい下部かぶおさめられた。サスペンションは前後ぜんごとも改良かいりょうがた採用さいようされたが、V12エンジンは変化へんかかった。1971ねんシーズンのもっとはやくるまひとつであり、BRMにコンストラクターズランキング2をもたらした。ジョー・シフェールはオーストリア、ピーター・ゲシンはイタリアで優勝ゆうしょうした。シーズンはジョー・シフェールの悲劇ひげきてき事故じこまくじた。シフェールはBRMで死亡しぼうした唯一ゆいいつのレーサーとなった。

1972ねんシーズンにけて、いくつかの変更へんこうおこなわれた。モノコックははばせばめられ開口かいこう拡大かくだいされた。エンジン吸気きゅうきようのインダクションポッドも装着そうちゃくされ、リヤサスペンションも変更へんこうされトレッドが拡大かくだいした。これはP160Bとばれた。スポンサーはマールボロがき、前年ぜんねんまでのヤードレーカラーから変更へんこうされた。だい6せんフランスグランプリからはオイルクーラーの位置いち変更へんこうされたP160Cが投入とうにゅうされた。ジャン=ピエール・ベルトワーズはあめのモナコグランプリで勝利しょうりし、これはBRMの最後さいごのグランプリ優勝ゆうしょうとなった。

1973ねんふたた改良かいりょうおこなわれた。サウスゲートにわってあらたに加入かにゅうしたマイク・ピルビームはP160Dをくさびがたのノーズからスポーツカーノーズに変更へんこうした。P160Eはレース・オブ・チャンピオンズで投入とうにゅうされ、モノコック側面そくめんにクラッシャブルストラクチャーが装着そうちゃくされた。このためくるまじゅうは580kgに増加ぞうかした。ドライバーはジャン=ピエール・ベルトワーズにくわえてクレイ・レガツォーニとニキ・ラウダが起用きようされた。しかし、P160Eの欠点けってん非常ひじょう感受性かんじゅせいたかかったことで、いくつかの強力きょうりょくなパフォーマンスをしめしたにもかかわらず、リタイアが非常ひじょうおおかった。ラウダは混沌こんとんとしたカナダグランプリをリードしたもののリタイアにわった。BRMはこのとしランキング7わり、メインスポンサーのマールボロをうしなった。

P180が完全かんぜん失敗しっぱいわり、チームは1974ねんシーズンをふたたびP160Eでたたかった。カラーリングはメインスポンサーをうしなったためくろ一色いっしょくとなり、レース・オブ・チャンピオンズからはぎんみどり変更へんこうされた。P160は登場とうじょうから4ねんかぞえ、すでにライバルとたたかうには戦闘せんとう力不足ちからぶそくであった。1975ねんシーズンにP160はP201と完全かんぜんえられた。

レース戦績せんせき

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P160は1971ねんみなみアフリカグランプリペドロ・ロドリゲスのドライブでデビューしたが、オーバーヒートでリタイアとなった。チームのもう1人ひとりのドライバー、ジョー・シフェールみなみアフリカではP153をドライブしたが、だい2せん以降いこうはP160をドライブした[6]だい2せんのスペイングランプリではシフェールはギアボックストラブルでリタイアしたが、ロドリゲスは4入賞にゅうしょうした[7]。モナコグランプリではシフェールがオイルラインの破損はそんでリタイアし、ロドリゲスは9完走かんそうした[8]。オランダグランプリではシフェールが6、ロドリゲスは2となった[9]。フランスグランプリではシフェールが4はいり、ロドリゲスはイグニッショントラブルでリタイアとなった[10]。1971ねん7がつ11にちドイツノリスリンクおこなわれたインターセリエでロドリゲスは事故死じこしし、そのおこなわれたイギリスグランプリにBRMはシフェールのみをエントリーさせた。シフェールはこのレースを9完走かんそうした[11]。ドイツグランプリではイギリスじんドライバーのビック・エルフォード代役だいやくとして参戦さんせんし、11完走かんそうしたが、シフェールは6しゅうみぎフロントの下部かぶウィッシュボーンがはずれかけたためピットインしようとショートカットしたことで失格しっかくとなった[12]。オーストリアグランプリではハウデン・ガンレイがP153からP160にスイッチ、イギリスじんドライバーのピーター・ゲシンがチームに加入かにゅうした。シフェールはこのレースで優勝ゆうしょうし、ゲシンは10完走かんそう、ガンレイはイグニッショントラブルでリタイアとなった[13]。イタリアグランプリではゲシンが優勝ゆうしょう、ガンレイは5完走かんそうしたが、マーチのロニー・ピーターソン、ティレルのフランソワ・セベール、サーティースのマイク・ヘイルウッド僅差きんさでのゴールであった。シフェールは9完走かんそうした[14]。カナダグランプリでは地元じもとドライバーのジョージ・イートンがチームにくわわったが、レースはBRMにとって最悪さいあくとなった。ガンレイはクラッシュしたためスタートできず、シフェールは9、ゲシンは14、イートンは15だったが悪天候あくてんこうのためレースは64しゅう中止ちゅうしされた[15]最終さいしゅうせんアメリカグランプリではオーストリアじんドライバーのヘルムート・マルコくわわり、シフェールが2、ガンレイが4、ゲシンが9、マルコは13となった[16]。シフェールはそのブランズ・ハッチおこなわれたノンタイトルせんのワールドチャンピオンシップ・ビクトリーレースで事故死じこしした。15しゅう高速こうそくでホーソーンベントにちかづいたシフェールのP160は機械きかいトラブルでコントロールをうしない、コースを横切よこぎって土手どて衝突しょうとつした。P160は横転おうてんして炎上えんじょう、シフェールは脱出だっしゅつすることができなかった。

1972ねんシーズンはハウデン・ガンレイピーター・ゲシン残留ざんりゅうアレックス・ソーラー=ロイグあらたに加入かにゅうし、P160Bを使用しようした。シーズン中盤ちゅうばんにはP160Cが投入とうにゅうされた。開幕かいまくせんのアルゼンチングランプリではソーラー=ロイグがアクシデントでリタイア、ゲシンもオイルれでリタイアし、ガンレイが9完走かんそうした。ジャン=ピエール・ベルトワーズは1971ねん1がつのレースでイグナツィオ・ギュンティ死亡しぼうした事故じこ責任せきにんわれアルゼンチングランプリを欠場けつじょうしたが[17]だい2せんみなみアフリカグランプリから参戦さんせんした。みなみアフリカではベルトワーズがエンジントラブルでリタイア、ゲシンとガンレイはそれぞれトップから9しゅう、14しゅうおくれとなったため完走かんそうあつかいとなった[18]。スペイングランプリはBRMにとって不運ふうんとなり、全員ぜんいんがリタイアした。ソーラー=ロイグとレイネ・ウィセルはアクシデント、ベルトワーズはギアボックストラブル、ガンレイはエンジントラブルでリタイアした[19]。モナコではベルトワーズが勝利しょうりし、ゲシンはアクシデント、ウィセルはエンジントラブルでリタイアした[20]。ベルギーグランプリではガンレイが8完走かんそう、ベルトワーズはオーバーヒート、ゲシンは燃料ねんりょうポンプの故障こしょうでリタイアした[21]。フランスグランプリではベルトワーズが15完走かんそう、ウィセルはギアボックストラブルでリタイア、マルコはエマーソン・フィッティパルディロータスいた小石こいしがヘルメットバイザーをけて左目ひだりめたってがくらみ、リタイアとなった。マルコはこの負傷ふしょうでドライバーとしてのキャリアをえることとなった[22]。イギリスグランプリではベルトワーズが11完走かんそう、ゲシンはエンジントラブル、ジャッキー・オリバーはサスペンショントラブルでリタイアした[23]。ドイツグランプリではガンレイが4入賞にゅうしょう、ベルトワーズは9、ウィセルはエンジントラブルでリタイアした[24]。オーストリアグランプリではガンレイが6、ベルトワーズは8、ゲシンは13という結果けっかであった[25]。イタリアグランプリではゲシンが6、ガンレイが11、ウィセルが12となった[26]。カナダグランプリではガンレイが10、ゲシンはサスペンショントラブルでリタイアとなった[27]最終さいしゅうせんアメリカグランプリではエンジントラブルのためりょうともリタイアとなった[28]

1973ねんシーズンはP160Cが投入とうにゅうされ、シーズン中盤ちゅうばんにはP160DおよびP160Eが投入とうにゅうされた。ドライバーはベルトワーズが残留ざんりゅうし、クレイ・レガツォーニニキ・ラウダ加入かにゅうした。開幕かいまくせんアルゼンチングランプリではレガツォーニが7となったが、ベルトワーズはエンジントラブル、ラウダは油圧ゆあつトラブルでリタイアした[29]。ブラジルグランプリではレガツォーニが6、ラウダが8となったがベルトワーズは電気でんきけいのトラブルでリタイアした[30]みなみアフリカグランプリではベルトワーズがクラッチトラブル、ラウダはエンジントラブル、レガツォーニはクラッシュし3だいともリタイアとなった。レガツォーニのくるま炎上えんじょうし、マイク・ヘイルウッドはレガツォーニをけようと炎上えんじょうするくるま近寄ちかより、かれした。ヘイルウッドのドライビングスーツは引火いんかしたが、マーシャルがめた。ヘイルウッドの勇敢ゆうかん行為こういたいし、ジョージ・メダルが授与じゅよされた[31]。スペイングランプリではベルトワーズが5、レガツォーニは9、ラウダはタイヤのトラブルでリタイアとなった[32]。ベルギーグランプリではラウダが5、レガツォーニはアクシデントののち10はいり、ベルトワーズは14しゅうおくれで完走かんそうあつかいとなった[33]。モナコグランプリではベルトワーズがアクシデント、ラウダはギアボックストラブル、レガツォーニはブレーキトラブルで3だいともリタイアした[34]。スウェーデングランプリではレガツォーニが9、ラウダが13、ベルトワーズはエンジントラブルでリタイアした[35]。フランスグランプリではラウダが9、ベルトワーズが11、レガツォーニは12となった[36]。イギリスグランプリではレガツォーニが9、ラウダが12、ベルトワーズは1ラップのアクシデントにまれさいスタートできなかった[37]。オランダグランプリではベルトワーズが5、レガツォーニが8、ラウダは燃料ねんりょうポンプトラブルでリタイアした[38]。ドイツグランプリではベルトワーズがギアボックストラブル、レガツォーニがエンジントラブル、ラウダはサスペンショントラブルと3だいともリタイアした。ラウダはこのトラブルで手首てくび負傷ふしょうし、つぎせんのオーストリアグランプリを欠場けつじょうした[39]。オーストリアではベルトワーズが5、レガツォーニが6りょうともポイントを獲得かくとくした[40]。イタリアグランプリではベルトワーズが13、ラウダはアクシデント、レガツォーニはイグニッショントラブルでリタイアした[41]。カナダグランプリではレガツォーニにわってゲシンが出場しゅつじょうしたが、オイルポンプのトラブルでリタイアした。ラウダもトランスミッションのトラブルでリタイアし、ベルトワーズは4入賞にゅうしょうした[42]最終さいしゅうせんアメリカグランプリではレガツォーニが8、ベルトワーズは9、ラウダはオイルポンプのトラブルでリタイアした[43]

アンリ・ペスカロロがドライブするP160、1974ねんのレースオブチャンピオンズ

1974ねんシーズンはP160Eがシーズンの大半たいはん使用しようされ、そのP201えられた。ベルトワーズは残留ざんりゅうしたが、クレイ・レガツォーニニキ・ラウダともフェラーリ移籍いせきした。かれらにわってアンリ・ペスカロロフランソワ・ミゴール起用きようされた。

F1におけるぜん成績せいせき

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(key) (太字ふとじポールポジション斜体しゃたいファステストラップ

とし チーム シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位じゅんい
1971ねん ヤードレー・チーム BRM P160 BRM 3.0 V12 F RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
NED
オランダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
36 2
ペドロ・ロドリゲス Ret 4 9 2 Ret
ジョー・シフェール Ret Ret 6 4 9 DSQ 1 9 9 2
ビック・エルフォード 11
ピーター・ゲシン 10 1 14 9
ハウデン・ガンレイ Ret 5 DNS 4
ジョージ・イートン 15
ヘルムート・マルコ 13
1972ねん マールボロ BRM P160B
P160C
BRM 3.0 V12 F ARG
アルゼンチンの旗
RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
14 7
ハウデン・ガンレイ 9 NC Ret 8 4 6 11 10 Ret
ピーター・ゲシン Ret NC Ret Ret Ret 13 6 Ret Ret
アレックス・ソーラー=ロイグ Ret Ret
ジャン=ピエール・ベルトワーズ Ret Ret 1 Ret 15 11 9 8
レイネ・ウィセル Ret Ret Ret Ret 12
ヘルムート・マルコ Ret
ジャッキー・オリバー Ret
1973ねん マールボロ BRM P160D
P160E
BRM 3.0 V12 F ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
BEL
ベルギーの旗
MON
モナコの旗
SWE
スウェーデンの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
NED
オランダの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
12 7
ジャン=ピエール・ベルトワーズ Ret Ret Ret 5 Ret Ret Ret 11 Ret 5 Ret 5 13 4 9
ニキ・ラウダ Ret 8 Ret Ret 5 Ret 13 9 12 Ret Ret DNS Ret Ret Ret
クレイ・レガツォーニ 7 6 Ret 9 10 Ret 9 12 7 8 Ret 6 Ret 8
ピーター・ゲシン Ret
1974ねん チーム・モチュール BRM P160E BRM 3.0 V12 F ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
BEL
ベルギーの旗
MON
モナコの旗
SWE
スウェーデンの旗
NED
オランダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
10 7
ジャン=ピエール・ベルトワーズ 5 10
アンリ・ペスカロロ 9 14 18 12 Ret Ret Ret
フランソワ・ミゴール Ret 16 15 Ret 16 Ret 14 NC DNQ

ノンタイトルせんにおけるぜん成績せいせき

[編集へんしゅう]

(key) (太字ふとじポールポジション斜体しゃたいファステストラップ

とし チーム シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8
1971ねん ヤードレー・チーム BRM P160 BRM 3.0 V12 F ARG ROC QUE SPR INT RIN OUL VIC
ペドロ・ロドリゲス 10 1 4 DNA
ジョー・シフェール 6 Ret 4
ピーター・ゲシン Ret 1
ハウデン・ガンレイ Ret
1972ねん マールボロ BRM P160B
P160C
BRM 3.0 V12 F ROC BRA INT OUL REP VIC
ピーター・ゲシン 4 Ret 6 Ret Ret 5
ジャン=ピエール・ベルトワーズ 6 DNS 2
ハウデン・ガンレイ 7 DNA 5
ヘルムート・マルコ 4
ヴァーン・シュパン 4
1973ねん マールボロ BRM P160D
P160E
BRM 3.0 V12 F ROC INT
ジャン=ピエール・ベルトワーズ 6
ニキ・ラウダ Ret 5
ヴァーン・シュパン Ret 9
クレイ・レガツォーニ 3
1974ねん チーム・モチュール BRM P160E BRM 3.0 V12 F PRE ROC INT
アンリ・ペスカロロ 7 7 4
ジャン=ピエール・ベルトワーズ 8
フランソワ・ミゴール 5

参照さんしょう

[編集へんしゅう]
  1. ^ BRM P160”. Stats F1. 2016ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  2. ^ BRM P160B”. Stats F1. 2016ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  3. ^ BRM P160C”. Stats F1. 2016ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  4. ^ BRM P160D”. Stats F1. 2016ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  5. ^ BRM P160E”. Stats F1. 2016ねん1がつ9にち閲覧えつらん
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  7. ^ Grand Prix results, Spanish GP 1971”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
  8. ^ Grand Prix results, Monaco GP 1971”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
  9. ^ Grand Prix results, Dutch GP 1971”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
  10. ^ Grand Prix results, French GP 1971”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
  11. ^ Grand Prix results, British GP 1971”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
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  13. ^ Grand Prix results, Austrian GP 1971”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
  14. ^ Grand Prix results, Italian GP 1971”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
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  37. ^ Grand Prix results, British GP 1973”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
  38. ^ Grand Prix results, Dutch GP 1973”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
  39. ^ Grand Prix results, German GP 1973”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
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  43. ^ Grand Prix results, United States GP 1973”. grandprix.com. 2016ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん