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1971ねんイタリアグランプリ

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イタリア 1971ねんイタリアグランプリ
レース詳細しょうさい
1971ねんF1世界せかい選手権せんしゅけんぜん11せんだい9せん
モンツァ・サーキット (1957-1971)
日程にってい 1971ねん9がつ5にち
正式せいしき名称めいしょう 42o Gran Premio d'Italia[1]
開催かいさい モンツァ・サーキット
イタリアの旗 イタリア モンツァ
コース 恒久こうきゅうてきレース施設しせつ
コースちょう 5.750 km (3.573 mi)
レース距離きょり 55しゅう 316.25 km (196.515 mi)
決勝けっしょう天候てんこう はれ(ドライ)[2]
ポールポジション
ドライバー マトラ
タイム 1:22.4
ファステストラップ
ドライバー フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マーチ-フォード
タイム 1:23.8 (9しゅう
決勝けっしょう順位じゅんい
優勝ゆうしょう BRM
2 マーチ-フォード
3 ティレル-フォード

1971ねんイタリアグランプリ (1971 Italian Grand Prix) は、1971ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけんだい9せんとして、1971ねん9月5にちモンツァ・サーキット開催かいさいされた[3]

優勝ゆうしょうしたピーター・ゲシンと2ロニー・ピーターソンとのはわずか0.01びょうで、F1史上しじょうもっと僅差きんさでフィニッシュしたレースである[ちゅう 1]上位じょうい5だいもわずか0.61びょうで、フランソワ・セベールが3マイク・ヘイルウッドが4ハウデン・ガンレイが5となった。

背景はいけい[編集へんしゅう]

コンストラクターズランキング首位しゅいティレルは2フェラーリに19てんけているが、フェラーリにるいずれかのドライバーが5以内いない入賞にゅうしょうできなければ、ティレルがはつコンストラクターズチャンピオン獲得かくとくする[ちゅう 2][4]

レースまえ[編集へんしゅう]

まえせんオーストリアGP翌週よくしゅう8がつ22にちオウルトン・パークおこなわれた選手権せんしゅけんレースのインターナショナル・ゴールドカップ英語えいごばんは、サーティースのオーナーけんドライバーであるジョン・サーティース優勝ゆうしょうした[5]

エントリー[編集へんしゅう]

フェラーリはこのとし312B2ファイアストンタイヤの相性あいしょうわるさに起因きいんするタイヤの振動しんどうおさえられず[6]、シーズン中盤ちゅうばん以降いこうティレルはおろか、マーチBRMにもおくれをるようになった[7]まえせんオーストリアGP惨敗ざんぱいきっしたのちエンツォ・フェラーリはこのままいちじるしい進歩しんぽのぞめないなら、モンツァはあえて出場しゅつじょう見合みあわせるようにと技術ぎじゅつスタッフに指示しじはじめたほどであった。開発かいはつ責任せきにんしゃマウロ・フォルギエリはシリンダーヘッドを若干じゃっかん改良かいりょうし、最高さいこう出力しゅつりょくとさずに効率こうりつよくトルクをそうとした。主催しゅさいしゃなにとかフェラーリを出場しゅつじょうさせようとエンツォを説得せっとくした。エースのジャッキー・イクス旧型きゅうがた312B出場しゅつじょうしたいという意思いしつらぬき、312Bをはしらせることになった。さらに、エンツォ個人こじん要請ようせいによってライバルのグッドイヤータイヤを試験しけんてき装着そうちゃくしたことで、ファイアストンのいかりをった。チームメイトのクレイ・レガツォーニ従来じゅうらいどおり312B2をはしらせる[8]

チーム・ロータスとイタリア当局とうきょくあいだには、前年ぜんねんのイタリアGP事故死じこししたヨッヘン・リントけんについていくつかの法的ほうてき問題もんだいのこされていたため「チーム・ロータス」としてはほんレースを欠場けつじょうし、コーリン・チャップマンもモンツァにはなかった。わってロータスのスポーツディレクターをつとめるピーター・ウォー所有しょゆうする「ワールドワイド・レーシング」によって参加さんかすることになった。マシンはよんりん駆動くどうでかつプラット・アンド・ホイットニーガスタービンエンジン搭載とうさいした56Bで、カラーリングも本来ほんらい使用しようする「ゴールドリーフ」のあかしろかねではなくかねくろられ、エマーソン・フィッティパルディのみ参加さんかした[4][5]。なお、フィッティパルディにとってフォード・コスワース・DFVエンジン搭載とうさいしないマシンではしった生涯しょうがい唯一ゆいいつのF1世界せかい選手権せんしゅけんレースとなった[9]

マクラーレンはエースのデニス・ハルムUSACチャンピオンシップ[ちゅう 3]出場しゅつじょう優先ゆうせんしたため欠場けつじょうし、ジャッキー・オリバーのみ参加さんかする。まえせんオーストリアGPを欠場けつじょうしたマトラ吸気きゅうきダクトと潤滑じゅんかつシステムを改良かいりょうしたあらたなエンジンを投入とうにゅうしてもどってきた[4]。ただし、ジャン=ピエール・ベルトワーズは1がつおこなわれたブエノスアイレス1000kmレース英語えいごばん事故じこ責任せきにんCSI[ちゅう 4]われて出場しゅつじょう停止ていしちゅう[10]だったため、クリス・エイモンのみ参加さんかする[4]サーティースロードレース世界せかい選手権せんしゅけんもとチャンピオンであるマイク・ヘイルウッドを3だいのドライバーに起用きようした。ヘイルウッドは1965ねんモナコGP以来いらい6ねんぶりのF1復帰ふっきとなる。新人しんじんジャン=ピエール・ジャリエシェル支援しえんけ、ふるマーチ・701参加さんかする。シルビオ・モーザー前年ぜんねんはしらせたベラシ英語えいごばんを1ねんぶりに参加さんかさせる。このほかヘルベルト・ミューラーロータス・72カルロス・パーチェウィリアムズからマーチ・701フランソワ・マゼ英語えいごばんジョー・シフェールのチームからマーチ・701でそれぞれエントリーされていたが、参加さんかにはいたらなかった[4]

エントリーリスト[編集へんしゅう]

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 エルフ・チーム・ティレル 2 フランスの旗 フランソワ・セベール ティレル 002 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
30 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート 003
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 3 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 312B フェラーリ 001 3.0L F12 F
4 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ 312B2 フェラーリ 001/1 3.0L F12
イギリスの旗 ワールドワイド・レーシング 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス 56B プラット&ホイットニー STN76 tbn F
スイスの旗 ビリガー・シガー・チーム・ヘルベルト・ミューラー 6 スイスの旗 ヘルベルト・ミューラー 1 ロータス 72 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 ブルックボンド・オクソ・チーム・サーティース 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース TS9 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 アウト・モトール・ウント・シュポルト・チーム・サーティース 8 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン
イギリスの旗 チーム・サーティース 9 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド
イギリスの旗 モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 10 イギリスの旗 グラハム・ヒル ブラバム BT34 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
11 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン BT33
フランスの旗 エキップ・マトラ・スポール 12 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マトラ MS120B マトラ MS71 3.0L V12 G
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 14 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー マクラーレン M14A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 15 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ 1 マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
16 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ 711
イギリスの旗 ヤードレー・チーム・BRM 18 イギリスの旗 ピーター・ゲシン BRM P160 BRM P142 3.0L V12 F
19 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ
20 スイスの旗 ジョー・シフェール
21 オーストリアの旗 ヘルムート・マルコ P153
イギリスの旗 STP・マーチ・レーシングチーム 22 イタリアの旗 ナンニ・ギャリ マーチ 711 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
25 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン
23 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ アルファロメオ T33 3.0L V8
イギリスの旗 クラーク=モーダウント=ガスリー・レーシング 24 イギリスの旗 マイク・ボイトラー マーチ 711 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 シェル・アーノルド・チーム 26 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
スイスの旗 ジョリークラブ・スウィツァランド 27 スイスの旗 シルビオ・モーザー ベラシ F1 70 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
スイスの旗 エキュリー・ボニエ 28 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン M7C フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
スイスの旗 ジョー・シフェール・オートモビルズ 29 フランスの旗 フランソワ・マゼ 2 マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
ソース:[11]
追記ついき
  • ^1 - マシンが準備じゅんびできず欠場けつじょう[12]
  • ^2 - マゼはエントリーのみ[12]

予選よせん[編集へんしゅう]

高速こうそくサーキットのモンツァは12気筒きとうエンジンにぶんがあり、マトラクリス・エイモンポールポジション獲得かくとくし、フェラーリジャッキー・イクスが2番手ばんてフロントローBRMジョー・シフェールハウデン・ガンレイが2れつならんだ。V8エンジンぜいのトップはフランソワ・セベールティレル)の5番手ばんてで、以下いかロニー・ピーターソンマーチ)、ジャッキー・スチュワート(ティレル)、クレイ・レガツォーニ(フェラーリ)、ティム・シェンケンブラバム)、アンリ・ペスカロロウィリアムズ/マーチ)がトップ10にはいった[5]。23番手ばんてロルフ・シュトメレンはクラッシュでマシンがおおきく損傷そんしょうし、決勝けっしょうまでに修復しゅうふくするのは不可能ふかのうだったため、決勝けっしょう出走しゅっそうしなかった[4]

予選よせん結果けっか[編集へんしゅう]

順位じゅんい No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 12 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マトラ 1:22.40 - 1
2 3 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 1:22.82 +0.42 2
3 20 スイスの旗 ジョー・シフェール BRM 1:23.03 +0.63 3
4 19 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ BRM 1:23.15 +0.75 4
5 2 フランスの旗 フランソワ・セベール ティレル-フォード 1:23.41 +1.01 5
6 25 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 1:23.46 +1.06 6
7 30 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 1:23.49 +1.09 7
8 4 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 1:23.69 +1.29 8
9 11 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン ブラバム-フォード 1:23.73 +1.33 9
10 16 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マーチ-フォード 1:23.77 +1.37 10
11 18 イギリスの旗 ピーター・ゲシン BRM 1:23.88 +1.48 11
12 21 オーストリアの旗 ヘルムート・マルコ BRM 1:23.96 +1.56 12
13 14 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー マクラーレン-フォード 1:24.09 +1.69 13
14 10 イギリスの旗 グラハム・ヒル ブラバム-フォード 1:24.27 +1.87 14
15 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース-フォード 1:24.45 +2.05 15
16 24 イギリスの旗 マイク・ボイトラー マーチ-フォード 1:25.01 +2.61 16
17 9 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド サーティース-フォード 1:25.17 +2.77 17
18 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-プラット&ホイットニー 1:25.18 +2.78 18
19 22 イタリアの旗 ナンニ・ギャリ マーチ-フォード 1:25.19 +2.79 19
20 23 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ マーチ-アルファロメオ 1:25.78 +3.38 20
21 28 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン-フォード 1:26.14 +3.74 21
22 27 スイスの旗 シルビオ・モーザー ベラシ-フォード 1:26.54 +4.14 22
23 8 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン サーティース-フォード 1:27.92 +5.52 23
24 26 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ マーチ-フォード 1:28.19 +5.79 24
ソース:[13][14][15]

決勝けっしょう[編集へんしゅう]

5にんのドライバーが1びょう以内いないにフィニッシュラインをえ、チェッカーフラッグをけた。

レースはなつ太陽たいようあつさのしたおこなわれた[4]

全車ぜんしゃがスターティンググリッドに停止ていししていなかったが、スターターによりスタートフラッグがられた[4][ちゅう 5]クレイ・レガツォーニが4れつからして首位しゅいおどるが、序盤じょばんからレガツォーニ、ロニー・ピーターソンジャッキー・スチュワートフランソワ・セベールジョー・シフェールジャッキー・イクスハウデン・ガンレイピーター・ゲシンによるスリップストリーム合戦かっせんはじまり、まぐるしく順位じゅんいわる。16しゅうにスチュワートとイクスがエンジントラブルでリタイアし、2しゅうにはレガツォーニもエンジントラブルでリタイアする。かれらにわってマイク・ヘイルウッドクリス・エイモン先頭せんとう集団しゅうだんくわわった。シフェールはオーバーヒートくるしむなか首位しゅいったが、ギアボックスの異常いじょうにより先頭せんとう集団しゅうだんから脱落だつらくし、エイモンもバイザーをうしない、オーバーヒートになやまされて脱落だつらくした。先頭せんとう集団しゅうだんのこった5だいによるスリップストリーム合戦かっせん最後さいごまでひろげられ[5]首位しゅいが25かいわるだい混戦こんせんせいしたのは、最後さいご最後さいご首位しゅいったゲシンだった。ゲシンと2ピーターソンのは0.01びょうというF1史上しじょうもっと僅差きんさ[ちゅう 1]はつ勝利しょうりげ、ゲシンと0.09びょうの3セベール、おなじく0.18びょうの4ヘイルウッド、おなじく0.61びょうの5ガンレイまで一塊ひとかたまりとなってチェッカーフラッグをけた[16]。ゲシンにとってこれがF1世界せかい選手権せんしゅけんにおける唯一ゆいいつ優勝ゆうしょうであり[17]イングランド出身しゅっしんのドライバーが優勝ゆうしょうするのは1975ねんオランダGP英語えいごばんジェームス・ハントまで4年間ねんかんなかった[18][ちゅう 6]

優勝ゆうしょうしたゲシンの平均へいきん速度そくどは242.616 km/h (150.755 mph)でF1史上しじょう最速さいそく記録きろく更新こうしん[4]2003ねんイタリアGP優勝ゆうしょうしたミハエル・シューマッハが247.585 km/h (153.842 mph)を記録きろくするまで32年間ねんかんやぶられなかった[19]。なお、よく1972ねんからシケインが2ヶ所かしょもうけられたため[20]、シケインがないモンツァでおこなわれた最後さいごのF1世界せかい選手権せんしゅけんレースとなった[21]

セベールが3入賞にゅうしょうしたことにより、ティレルはF1フル参戦さんせん初年度しょねんど[ちゅう 7]にしてはつコンストラクターズチャンピオンめた[4]

レース結果けっか[編集へんしゅう]

順位じゅんい No. ドライバー コンストラクター 周回しゅうかいすう タイム/リタイア原因げんいん グリッド ポイント
1 18 イギリスの旗 ピーター・ゲシン BRM 55 1:18:12.60 11 9
2 25 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 55 +0.01 6 6
3 2 フランスの旗 フランソワ・セベール ティレル-フォード 55 +0.09 5 4
4 9 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド サーティース-フォード 55 +0.18 17 3
5 19 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ BRM 55 +0.61 4 2
6 12 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マトラ 55 +32.36 1 1
7 14 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー マクラーレン-フォード 55 +1:24.83 13
8 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-プラット&ホイットニー 54 +1 Lap 18
9 20 スイスの旗 ジョー・シフェール BRM 53 +2 Laps 3
10 28 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン-フォード 51 +4 Laps 21
Ret 10 イギリスの旗 グラハム・ヒル ブラバム-フォード 47 ギアボックス 14
NC 26 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ マーチ-フォード 47 規定きてい周回しゅうかいすう不足ふそく 24
Ret 24 イギリスの旗 マイク・ボイトラー マーチ-フォード 41 エンジン 16
Ret 16 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マーチ-フォード 40 サスペンション 10
Ret 23 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ マーチ-アルファロメオ 33 エンジン 20
Ret 4 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 17 エンジン 8
Ret 3 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 15 エンジン 2
Ret 30 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 15 エンジン 7
Ret 22 イタリアの旗 ナンニ・ギャリ マーチ-フォード 11 電気でんき系統けいとう 19
Ret 11 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン ブラバム-フォード 5 サスペンション 9
Ret 27 スイスの旗 シルビオ・モーザー ベラシ-フォード 5 サスペンション 22
Ret 21 オーストリアの旗 ヘルムート・マルコ BRM 3 エンジン 12
Ret 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース-フォード 3 エンジン 15
DNS 8 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン サーティース-フォード 0 予選よせんでアクシデント 23
ソース:[22]
優勝ゆうしょうしゃピーター・ゲシン平均へいきん速度そくど[12]
242.616 km/h (150.755 mph)
ファステストラップ[23]
ラップリーダー[24]
太字ふとじ最多さいたラップリーダー
達成たっせいされたおも記録きろく[4]

だい9せん終了しゅうりょう時点じてんのランキング[編集へんしゅう]

  • ちゅう: トップ5のみ表示ひょうじ前半ぜんはん6せんのうちベスト5せんおよ後半こうはん5せんのうちベスト4せんがカウントされる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 当時とうじはまだ1/100びょう単位たんいまでしかタイム計測けいそくおこなわれていなかったため、現在げんざいの1/1000びょう単位たんいによる計測けいそくもっと僅差きんさ2002ねんアメリカGPの0.011びょう優勝ゆうしょうルーベンス・バリチェロ、2ミハエル・シューマッハ)のほうがF1史上しじょうもっと僅差きんさである可能かのうせいがある。 (2018ねんアゼルバイジャンGP終了しゅうりょう時点じてん) All-Time F1 Records”. Formula One Art & Genius. 2020ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  2. ^ 当時とうじF1世界せかい選手権せんしゅけんポイントシステムは、上位じょうい6だいに9-6-4-3-2-1てんあたえられていた。コンストラクターズポイントはさい上位じょうい入賞にゅうしょうしゃのみが対象たいしょうとなる。
  3. ^ 現在げんざいインディカー・シリーズ前身ぜんしんにあたる。
  4. ^ 1978ねん国際こくさい自動車じどうしゃスポーツ連盟れんめい(FISA)に改編かいへんされ、1993ねん国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい(FIA)へ吸収きゅうしゅうされた。
  5. ^ 当時とうじはスターターが国旗こっきるのがスタートの合図あいずだった。
  6. ^ イングランド出身しゅっしん以外いがいのドライバーをのぞく。れいとしてスチュワートはスコットランド出身しゅっしんのため除外じょがい
  7. ^ ティレルチームとしてのはつ参戦さんせん前年ぜんねん1970ねん)であったが、マーチシャシー使用しようした。自製じせいマシンによる参戦さんせん開始かいし同年どうねんだい11せんカナダGPで、終盤しゅうばん3せんのみであった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Motor Racing Programme Covers: 1971”. The Programme Covers Project. 2017ねん11月13にち閲覧えつらん
  2. ^ (はやし信次しんじ 1993, p. 116)
  3. ^ 1971 Italian Grand Prix Entry list. http://www.racingsportscars.com/covers/_Monza-1971-09-05e.jpg. 
  4. ^ a b c d e f g h i j k Italy 1971”. STATS F1. 2020ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c d Italian GP, 1971”. grandprix.com. 2020ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  6. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 263)
  7. ^ (はやし信次しんじ 1993, p. 17)
  8. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 265-266)
  9. ^ 戦績せんせき:E.フィッティパルディ”. F1 DataWeb. 2020ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  10. ^ Britain 1971”. STATS F1. 2020ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  11. ^ Italy 1971 - Race entrants”. STATS F1. 2020ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  12. ^ a b c Italy 1971 - Result”. STATS F1. 2020ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  13. ^ Pritchard, Anthony (1972). The Motor Racing Year No3. ISBN 0393085023 
  14. ^ Italy 1971 - Qualifications”. STATS F1. 2020ねん3がつ18にち閲覧えつらん
  15. ^ Italy 1971 - Starting grid”. STATS F1. 2020ねん3がつ18にち閲覧えつらん
  16. ^ (はやし信次しんじ 1993, p. 22)
  17. ^ 戦績せんせき:P.ゲシン”. F1 DataWeb. 2020ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  18. ^ United Kingdom - Wins”. STATS F1. 2020ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  19. ^ Fastest races and laps ever”. Autosport (2003ねん9がつ14にち). 2016ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  20. ^ Monza”. Racingcircuits.info. 2020ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  21. ^ Monza”. STATS F1. 2020ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  22. ^ 1971 Italian Grand Prix”. formula1.com. 2014ねん8がつ2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2015ねん12月22にち閲覧えつらん
  23. ^ Italy 1971 - Best laps”. STATS F1. 2020ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  24. ^ Italy 1971 - Laps led”. STATS F1. 2020ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  25. ^ 戦績せんせき:J.P.ジャリエ”. F1 DataWeb. 2020ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  26. ^ 戦績せんせき:S.モーザー”. F1 DataWeb. 2020ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  27. ^ 戦績せんせき:ベラシ”. F1 DataWeb. 2020ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  28. ^ 戦績せんせき:プラット&ホィットニー”. F1 DataWeb. 2020ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  29. ^ a b Italy 1971 - Championship”. STATS F1. 2019ねん3がつ18にち閲覧えつらん

参照さんしょう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

まえせん
1971ねんオーストリアグランプリ
FIA F1世界せかい選手権せんしゅけん
1971ねんシーズン
つぎせん
1971ねんカナダグランプリ
前回ぜんかい開催かいさい
1970ねんイタリアグランプリ
イタリアの旗 イタリアグランプリ 次回じかい開催かいさい
1972ねんイタリアグランプリ