1973ねんオランダグランプリ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
オランダ 1973ねんオランダグランプリ
レース詳細しょうさい
1973ねんF1世界せかい選手権せんしゅけんぜん15せんだい10せん
ザントフォールト・サーキット (1972–1979)
ザントフォールト・サーキット (1972–1979)
日程にってい 1973ねん7がつ29にち
正式せいしき名称めいしょう XX Grand Prix Zandvoort
開催かいさい ザントフォールト・サーキット
オランダの旗 オランダ きたホラントしゅうザントフォールト英語えいごばん
コース Permanent racing facility
コースちょう 4.226 km (2.626[W 1] mi)
レース距離きょり 72しゅう 304.272 km (189.072 mi)
決勝けっしょう天候てんこう くもり(ドライ)[1]
ポールポジション
ドライバー
タイム 1:19.47
ファステストラップ
ドライバー スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン
タイム 1:20.31 (42[W 2]しゅう
決勝けっしょう順位じゅんい
優勝ゆうしょう
2
3

1973ねんオランダグランプリ (えい: 1973 Dutch Grand Prix) は、1973ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけんだい10せんとして、1973ねん7がつ29にちザントフォールト・サーキット開催かいさいされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ジャッキー・スチュワート優勝ゆうしょうし、この勝利しょうりはスチュワートにとって1973ねんシーズンにげた5しょうのうち4しょうであり、ジム・クラークつF1通算つうさん最多さいた勝利しょうり記録きろく(25しょう)を上回うわまわ通算つうさん26しょうであった。スチュワートの友人ゆうじんのちチャンピオンであるジェームス・ハントはつ表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくした。

ロジャー・ウィリアムソンがレースちゅう事故じこくなった。これは1973ねんシーズンに2けんのドライバー死亡しぼう事故じこのうちの最初さいしょのものであった。このレースで2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくしたフランソワ・セベールは、同年どうねんのアメリカGP予選よせんくなった。

背景はいけい[編集へんしゅう]

オランダGPはザントフォールト・サーキットの安全あんぜんせい問題もんだいにより前年ぜんねんのカレンダーからはずされたが、主催しゅさいしゃ多額たがく資金しきんとうじてコントロールタワーをえ、コースのさい舗装ほそう、ランオフエリアとクラッシュバリアの設置せっち、そして最終さいしゅうコーナーへの進入しんにゅう速度そくどとすためパノラマコーナーをSじょうにする改修かいしゅうおこな安全あんぜんせい向上こうじょうさせ、F1カレンダーに復帰ふっきした[W 3][W 4][W 5]

しかし、レースウィークをむかえる直前ちょくぜんまでピットエリアやグランドスタンドの工事こうじつづいていた[2]

エントリー[編集へんしゅう]

まえせんイギリスGP多重たじゅうクラッシュによりおおくのチームがマシンの修復しゅうふくわれ、とくサーティースは3だいすべてがダメージをけていた[W 3]ブラバムどうGPで両足りょうあし骨折こっせつ重症じゅうしょうったアンドレア・デ・アダミッチわってジョン・ワトソンをエントリーしたが、準備じゅんびわなかった[W 6]フェラーリ312B3のパフォーマンス不振ふしんとその改善かいぜん作業さぎょうのため、つぎせんドイツGPまでの2せん欠場けつじょうすることにした[W 3][3][ちゅう 1]ウィリアムズあたらしいペイドライバーとして地元じもと出身しゅっしんジィズ・ヴァン・レネップ起用きようした[W 3]

エントリーリスト[編集へんしゅう]

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス 1 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス 72E フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
2 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 3 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス 1 フェラーリ 312B3 フェラーリ 001/11 3.0L F12 G
4 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ 1
イギリスの旗 エルフ・チーム・ティレル 5 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート ティレル 006 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
6 フランスの旗 フランソワ・セベール
イギリスの旗 ヤードレー・チーム・マクラーレン 7 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン M23 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
8 アメリカ合衆国の旗 ピーター・レブソン
イギリスの旗 モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 10 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム BT42 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
11 ブラジルの旗 ウィルソン・フィッティパルディ
イギリスの旗 チェラミカ・パニョッシン・チーム・MRD 29 イギリスの旗 ジョン・ワトソン 2 BT37
イギリスの旗 エンバシー・レーシング 12 イギリスの旗 グラハム・ヒル シャドウ DN1 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 STP・マーチ・レーシングチーム 14 イギリスの旗 ロジャー・ウィリアムソン マーチ 731 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 クラーク=モーダウント=ガスリー・レーシング 15 イギリスの旗 マイク・ボイトラー マーチ 731 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
アメリカ合衆国の旗 UOP・シャドウ・レーシングチーム 16 アメリカ合衆国の旗 ジョージ・フォルマー シャドウ DN1 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
17 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー
イギリスの旗 LEC・リフリジレーション・レーシング 18 イギリスの旗 デビッド・パーレイ マーチ 731 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 マールボロ・BRM 19 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ BRM P160E BRM P142 3.0L V12 F
20 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ
21 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ
イタリアの旗 マルティーニ・レーシング 22 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン テクノ PA123/6 テクノ シリーズP 3.0L F12 F
イギリスの旗 ブルックボンドオクソ・チーム・サーティース 23 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド サーティース TS14A フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
24 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ
イギリスの旗 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 25 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ イソ・マールボロ IR フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
26 オランダの旗 ジィズ・ヴァン・レネップ
イギリスの旗 ヘスケス・レーシング 27 イギリスの旗 ジェームス・ハント マーチ 731 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 チーム・エンサイン 28 リヒテンシュタインの旗 リッキー・フォン・オペル エンサイン N173 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
出典しゅってん: [W 7]

追記ついき
  • ^1 - フェラーリはマシン改修かいしゅうのため欠場けつじょう[W 3][3]
  • ^2 - ワトソンはマシンが準備じゅんびできず欠場けつじょう[W 6]

予選よせん[編集へんしゅう]

金曜日きんようび大雨おおあめ見舞みまわれ、はしらなかったチームもあった[2]

土曜日どようびエマーソン・フィッティパルディがバランスをうしなってクラッシュした。かれロータス・72Eひだりフロントホイールにガタがきたのが原因げんいんだった。一時いちじはマスコミに重症じゅうしょう再起さいき不能ふのうなどの誤報ごほうながれたが、さいわいにもみぎひざ打撲だぼくだけでんだことで決勝けっしょうにも出走しゅっそう可能かのうとの公式こうしき情報じょうほうされた。とはいえ、あまり期待きたいをかけられる状況じょうきょうではなくなった[2]

チームメイトのロニー・ピーターソン今季こんき6かいポールポジション獲得かくとくしたのがロータスにとってすくいであったが、ライバルチームのティレルいきおいジャッキー・スチュワートフランソワ・セベール)がフロントローならんだ[W 3][W 8][ちゅう 2]負傷ふしょうしたE.フィッティパルディは16番手ばんてしずんだ[W 3]

予選よせん結果けっか[編集へんしゅう]

順位じゅんい No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 2 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 1:19.47 - 1
2 5 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 1:19.97 +0.50 2
3 6 フランスの旗 フランソワ・セベール ティレル-フォード 1:20.12 +0.65 3
4 7 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:20.31 +0.84 4
5 10 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 1:20.59 +1.12 5
6 8 アメリカ合衆国の旗 ピーター・レブソン マクラーレン-フォード 1:20.60 +1.13 6
7 27 イギリスの旗 ジェームス・ハント マーチ-フォード 1:20.70 +1.23 7
8 24 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ サーティース-フォード 1:21.02 +1.55 8
9 20 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 1:21.14 +1.67 9
10 17 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー シャドウ-フォード 1:21.23 +1.76 10
11 21 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ BRM 1:21.43 +1.96 11
12 19 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ BRM 1:21.56 +2.09 12
13 11 ブラジルの旗 ウィルソン・フィッティパルディ ブラバム-フォード 1:21.82 +2.35 13
14 28 リヒテンシュタインの旗 リッキー・フォン・オペル エンサイン-フォード 1:22.01 +2.54 14
15 25 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ イソ・マールボロ-フォード 1:22.10 +2.63 15
16 1 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 1:22.24 1 +2.77 16
17 12 イギリスの旗 グラハム・ヒル シャドウ-フォード 1:22.50 +3.03 17
18 14 イギリスの旗 ロジャー・ウィリアムソン マーチ-フォード 1:22.72 +3.25 18
19 22 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン テクノ 1:22.73 +3.26 19
20 26 オランダの旗 ジィズ・ヴァン・レネップ イソ・マールボロ-フォード 1:22.95 +3.48 20
21 18 イギリスの旗 デビッド・パーレイ マーチ-フォード 1:23.09 +3.62 21
22 16 アメリカ合衆国の旗 ジョージ・フォルマー シャドウ-フォード 1:24.14 +3.67 22
23 15 イギリスの旗 マイク・ボイトラー マーチ-フォード 1:24.45 +3.98 23
24 23 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド サーティース-フォード 1:32.33 +11.86 24
出典しゅってん: [W 9][W 8]

追記ついき
  • ^1 - E.フィッティパルディがべつロータス・72E記録きろくしたタイム(1:20.61)は無効むこう[1]

決勝けっしょう[編集へんしゅう]

ほのおきたロジャー・ウィリアムソンマーチ・731炎上えんじょうしていたあいだもレースは続行ぞっこうされた。

くもぞらしたでレースはおこなわれる。前日ぜんじつ負傷ふしょうしたエマーソン・フィッティパルディまよったすえ出走しゅっそうめたが、マシンにさいかんじたいたみがあまりにもひどく、完走かんそうするのはむずかしい状態じょうたいだった。14番手ばんてスタートのリッキー・フォン・オペルはサスペンションの問題もんだいにより出走しゅっそう断念だんねんした[W 6]フォーメーションラップはじまってもロジャー・ウィリアムソンはピットでマシンの最終さいしゅうチェックにわれていたが、レース開始かいし直前ちょくぜん自分じぶんのグリッドにくことができた[2]

ポールシッターのロニー・ピーターソンこうスタートをり、ジャッキー・スチュワートカルロス・パーチェフランソワ・セベールジェームス・ハントデニス・ハルムカルロス・ロイテマンピーター・レブソンじゅんで1コーナーをける。5しゅうまでこの順位じゅんいのまま推移すいいする。E.フィッティパルディはひざいたみにより2しゅうでリタイアした。そして8しゅうにウィリアムソンがクラッシュし、炎上えんじょうつづけるマシンにめられたままくなるアクシデントがあったが、レースはそのまま続行ぞっこうされた(詳細しょうさいロジャー・ウィリアムソン#死亡しぼう事故じこおよ後述こうじゅつ#ロジャー・ウィリアムソンのふし参照さんしょう[2]

首位しゅいピーターソンをティレルいきおい状態じょうたいはレース終盤しゅうばんまでつづくが、のこり10しゅうにピーターソンのエンジンからけむりはじめて2そくれにくくなり、つぎしゅうにピットまえのストレートでティレルぜいにオーバーテイクされる。ピーターソンはティレルぜい懸命けんめいうも、のこり6しゅうでエンジントラブルによりリタイアした(11完走かんそうあつかい)[2]

スチュワートは通算つうさん26しょうげ、ジム・クラークっていたF1通算つうさん最多さいた勝利しょうりすう記録きろく(25しょう)を5ねんぶりにえた[4]。セベールはタイヤの空気くうきけていたが2となり、ティレルは1-2フィニッシュを達成たっせいした。ハントは3でフィニッシュし、わずか4せんはつ表彰台ひょうしょうだいった。レブソンが4ジャン=ピエール・ベルトワーズが5で、地元じもと出身しゅっしんジィズ・ヴァン・レネップが6入賞にゅうしょうし、自身じしんおよイソ・マールボロ(ウィリアムズ)はつポイントをもたらした[W 6]

ドライバーズチャンピオンあらそいは首位しゅいのスチュワートが2E.フィッティパルディとのを10てんひろげた。コンストラクターズチャンピオンあらそいはティレルが2てんロータスいて首位しゅいった[W 6]

ロジャー・ウィリアムソンの[編集へんしゅう]

ウィリアムソンのクラッシュ地点ちてん

8しゅうにウィリアムソンがトンネル・オースト (Tunnel Oost) のさきにあるみぎカーブ[ちゅう 3]走行そうこうちゅうあしまわりの故障こしょう(タイヤの不具合ふぐあい)により高速こうそくでガードレールにクラッシュし、マシンが裏返うらがえしになったままコースじょう滑走かっそうしてはげしいほのおつつまれた[5]

ウィリアムソンのクラッシュをたりにしたデビッド・パーレイはマシンをめ、みずからの危険きけんかえりみずにウィリアムソンを救出きゅうしゅつしようとしたが[2]事故じこ現場げんば付近ふきんにいたマーシャルもパニック状態じょうたいになってしまい[5]事故じこ発生はっせいから8ふんにようやく消火しょうかはん到着とうちゃくしてほのおされたが、すでにウィリアムソンはかえらぬひととなっていた[6]

ハルムはレース終了しゅうりょう記者きしゃ会見かいけん消火しょうかおよ救助きゅうじょ体制たいせい不備ふびについてころした表情ひょうじょう非難ひなんし、レースをめなかったことにもれた[7]優勝ゆうしょうしたスチュワートもオフィシャルがレースをめる合図あいずさなかったことを指摘してきした[7]ほんGPが最初さいしょのF1現地げんち取材しゅざいであったモータースポーツジャーナリスト今宮いまみやじゅん[W 10]も「どこで火災かさい事故じこ発生はっせいしても、30びょう以内いない現場げんばけつけられる設備せつびととのえる」という国際こくさいスポーツ委員いいんかい(CSI)[ちゅう 4]さだめたいちこうたしていなかったことを指摘してきしている[7]

パーレイはのちにイギリス政府せいふからこの勇敢ゆうかん行為こういたいしてジョージ・メダル英語えいごばん授与じゅよされた[5]

レース結果けっか[編集へんしゅう]

順位じゅんい No. ドライバー コンストラクター 周回しゅうかいすう タイム/リタイア原因げんいん グリッド ポイント
1 5 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 72 1:39:12.45 2 9
2 6 フランスの旗 フランソワ・セベール ティレル-フォード 72 +15.83 3 6
3 27 イギリスの旗 ジェームス・ハント マーチ-フォード 72 +1:03.01 7 4
4 8 アメリカ合衆国の旗 ピーター・レブソン マクラーレン-フォード 72 +1:09.13 6 3
5 20 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 72 +1:13.37 9 2
6 26 オランダの旗 ジィズ・ヴァン・レネップ イソ・マールボロ-フォード 70 +2 Laps 20 1
7 24 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ サーティース-フォード 69 +3 Laps 8
8 19 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ BRM 68 +4 Laps 12
9 25 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ イソ・マールボロ-フォード 68 +4 Laps 15
10 16 アメリカ合衆国の旗 ジョージ・フォルマー シャドウ-フォード 67 +5 Laps 22
11 2 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 66 エンジン 1
NC 12 イギリスの旗 グラハム・ヒル シャドウ-フォード 56 規定きてい周回しゅうかいすう不足ふそく 17
Ret 21 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ BRM 52 燃料ねんりょうポンプ 11
Ret 23 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド サーティース-フォード 52 電気でんき系統けいとう 24
Ret 7 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 31 エンジン 4
Ret 11 ブラジルの旗 ウィルソン・フィッティパルディ ブラバム-フォード 27 アクシデント 13
Ret 22 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン テクノ 22 燃料ねんりょうシステム 19
Ret 10 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 9 タイヤ 5
Ret 18 イギリスの旗 デビッド・パーレイ マーチ-フォード 8 ウィリアムソン救助きゅうじょのため撤退てったい[1] 21
Ret 14 イギリスの旗 ロジャー・ウィリアムソン マーチ-フォード 7 事故死じこし 18
Ret 1 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 2 体調たいちょう不良ふりょう 16
Ret 15 イギリスの旗 マイク・ボイトラー マーチ-フォード 2 電気でんき系統けいとう 23
Ret 17 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー シャドウ-フォード 1 アクシデント 10
DNS 28 リヒテンシュタインの旗 リッキー・フォン・オペル エンサイン-フォード 0 サスペンション[1] 14
出典しゅってん: [W 11]
優勝ゆうしょうしゃジャッキー・スチュワート平均へいきん速度そくど[W 12]
184.022 km/h (114.346 mph)
ファステストラップ[W 13]
ラップリーダー[W 14]
太字ふとじ最多さいたラップリーダー
達成たっせいされたおも記録きろく[W 6]

だい10せん終了しゅうりょう時点じてんのランキング[編集へんしゅう]

  • ちゅう: トップ5のみ表示ひょうじ前半ぜんはん8せんのうちベスト7せんおよ後半こうはん7せんのうちベスト6せんがカウントされる。ポイントは有効ゆうこうポイント、括弧かっこないそう獲得かくとくポイント。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ このころ親会社おやがいしゃフィアットがスクーデリア・フェラーリの活動かつどう介入かいにゅうするようになり、F1部門ぶもんからはずされていたマウロ・フォルギエリをF1の開発かいはつ責任せきにんしゃ復帰ふっきさせ、312B3の改良かいりょうおこなうことにした。
  2. ^ ほんGPのスターティンググリッドは3-2-3。
  3. ^ このとし改修かいしゅうされたばかりの場所ばしょであり、しくも3ねんまえ1970ねんピアス・カレッジ事故死じこしした場所ばしょはなさきであった。
  4. ^ 1973ねん当時とうじ世界せかいのモータースポーツを統括とうかつしていた国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい(FIA)の下部かぶ組織そしき国際こくさい自動車じどうしゃスポーツ連盟れんめい英語えいごばん(FISA)で1993ねん解散かいさんわって世界せかいモータースポーツ評議ひょうぎかい(WMSC)が統括とうかつ業務ぎょうむいだ。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

書籍しょせき
  1. ^ a b c d (はやし信次しんじ 1993, p. 124)
  2. ^ a b c d e f g Jane Mase『AUTO SPORT No.127 「オランダ・グランプリ」』、三栄書房さんえいしょぼう、1973ねん10がつ1にち、19-21ぺーじ 
  3. ^ a b (アラン・ヘンリー 1989, p. 274-275)
  4. ^ (はやし信次しんじ 1993, p. 55)
  5. ^ a b c (はやし信次しんじ 1993, p. 62)
  6. ^ Jane Mase『AUTO SPORT No.127 「ロジャーよ永遠えいえんに」』、三栄書房さんえいしょぼう、1973ねん10がつ1にち、22ぺーじ 
  7. ^ a b c 今宮いまみやじゅんAUTO SPORT No.127 「R.ウイリアムソンのおもう」』、三栄書房さんえいしょぼう、1973ねん10がつ1にち、21ぺーじ 
ウェブサイト
  1. ^ 1973 Dutch Grand Prix | Motorsport Database” (英語えいご). Motor Sport Magazine. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ 1973 Dutch Grand Prix - FASTEST LAPS” (英語えいご). formula1.com. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g Dutch GP, 1973” (英語えいご). grandprix.com. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  4. ^ Zandvoort map, history and latest races - Motorsport Database” (英語えいご). Motor Sport Magazine. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  5. ^ Zandvoort” (英語えいご). racingcircuits.info. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d e f Netherlands 1973” (フランス語ふらんすご). STATS F1. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  7. ^ Netherlands 1973 - Race entrants”. STATS F1. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  8. ^ a b Netherlands 1973 - Starting grid”. STATS F1. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  9. ^ Netherlands 1973 - Qualifications”. STATS F1. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  10. ^ Profile”. F1-WORLD by Jun Imamiya 今宮いまみやじゅん. 2023ねん11月28にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  11. ^ 1973 Dutch Grand Prix”. formula1.com. 2014ねん9がつ7にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2015ねん12月22にち閲覧えつらん
  12. ^ Netherlands 1973 - Result”. STATS F1. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  13. ^ Netherlands 1973 - Best laps”. STATS F1. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  14. ^ Netherlands 1973 - Laps led”. STATS F1. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  15. ^ 戦績せんせき:J.ハント”. F1 DataWeb. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  16. ^ 戦績せんせき:G.ファン・レネップ”. F1 DataWeb. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  17. ^ 戦績せんせき:イソ・マールボロ”. F1 DataWeb. 2024ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  18. ^ a b Netherlands 1973 - Championship • STATS F1”. www.statsf1.com. 2019ねん3がつ15にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参照さんしょう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Wikipedia英語えいごばん - en:1973 Dutch Grand Prix(2024ねん2がつ12にち 8:55:55(UTC))
  • はやし信次しんじ『F1ぜん 1971-1975 [名手めいしゅスチュワートの退場たいじょう/若手わかて精鋭せいえいたちのしん時代じだい]』ニュにゅズ出版ずしゅっぱんげん三栄さんえい)、1993ねんISBN 4-938495-05-8 
  • アラン・ヘンリー ちょ早川はやかわあさひゃくごう/島江しまえ政弘まさひろ やく『チーム・フェラーリのすべて』CBS・ソニー出版しゅっぱん、1989ねんISBN 4-7897-0491-2 
  • AUTO SPORT No.127 1973ねん10がつ1にちごう三栄書房さんえいしょぼう

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

まえせん
1973ねんイギリスグランプリ
FIA F1世界せかい選手権せんしゅけん
1973ねんシーズン
つぎせん
1973ねんドイツグランプリ
前回ぜんかい開催かいさい
1971ねんオランダグランプリ
オランダの旗 オランダグランプリ 次回じかい開催かいさい
1974ねんオランダグランプリ