マクラーレン・MP4-20

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マクラーレン MP4-20
2005年カナダGPでのMP4-20 ペドロ・デ・ラ・ロサがドライブ
カテゴリー F1
コンストラクター マクラーレン
デザイナー エイドリアン・ニューウェイ
先代せんだい マクラーレン・MP4-19B
後継こうけい マクラーレン・MP4-21
主要しゅようしょもと
エンジン メルセデスFO110R
主要しゅよう成績せいせき
チーム ウエスト マクラーレン メルセデス
ドライバー フィンランドの旗 キミ・ライコネン
コロンビアの旗ファン・パブロ・モントーヤ
オーストリアの旗アレクサンダー・ヴルツ
スペインの旗ペドロ・デ・ラ・ロサ
出走しゅっそう時期じき 2005ねん
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
通算つうさん獲得かくとくポイント 182
初戦しょせん 2005ねんオーストラリアGP
はつ勝利しょうり 2005ねんスペインGP
最終さいしゅうせん 2005ねん中国ちゅうごくGP
出走しゅっそう優勝ゆうしょう表彰台ひょうしょうだいポールFラップ
181019612
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マクラーレンMP4-20 (McLaren MP4-20) はマクラーレン2005ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけん投入とうにゅうしたフォーミュラ1カーテクニカル・ディレクターエイドリアン・ニューウェイ、デザイナーはマイク・コフラン2005ねん開幕かいまくせんから最終さいしゅうせんまで実戦じっせん投入とうにゅうされた。

開発かいはつ[編集へんしゅう]

フロントサスペンション[編集へんしゅう]

2005ねんしんレギュレーションにより、フロントウイングの最低さいてい地上ちじょうだか上昇じょうしょうやリヤウイングの前進ぜんしんなどの規定きてい変更へんこうされた。とくにフロントウィングの上昇じょうしょうによる下方かほう気流きりゅうへの影響えいきょうおおきく、フロントサスペンションのロアアームをささえるキールがこの気流きりゅうみだすとして問題もんだいされた。

このてんへの対策たいさくとして、フロントサスペンションの配置はいちMP4-17以降いこうもちいられていたツインキールしきから、キールを除去じょきょし、モノコック下端かたんにロアアームを直接ちょくせつ装着そうちゃくした「ゼロキール」方式ほうしき(キールレス方式ほうしきとも)に変更へんこうされた。これにより、マシン下部かぶ気流きりゅう改善かいぜんすることに成功せいこうしている。サスペンションアームが車輪しゃりんかってがっていく配置はいちとなっていることが目立めだつ。ゼロキール方式ほうしき翌年よくねん以降いこうおおくのチームが採用さいようし、現在げんざいのF1においてはトレンドとなっているが、この方式ほうしきはじめて採用さいようしたのがこのMP4-20である。

ホーンウィング[編集へんしゅう]

インダクションポッドサイドにはかくチームともミッドウィングを装着そうちゃくしていたが、MP4-20はチームのミッドウィングよりもひく位置いちにツノのようなかたちをした通称つうしょう「ホーンウイング」を装着そうちゃくした。チームのミッドウィングが文字通もじどお小型こがたのウィングであり、それ自体じたいでダウンフォースを発生はっせいさせることをねらっている一方いっぽう、ホーンウィングは飛行機ひこうきつばさのような断面だんめん形状けいじょうであり、揚力ようりょく発生はっせいさせるものであった。これによって、マシン後方こうほう下部かぶへの整流せいりゅううながし、リアウィングによるダウンフォース発生はっせいりょう増加ぞうかさせる役割やくわりっていた。このホーンウィングは翌年よくねんMP4-21翌々年よくよくねんMP4-22にもがれた[1]

その特徴とくちょう[編集へんしゅう]

サイドポンツーンないはいねつパーツとして2001ねんMP4-16まで採用さいようされていたチムニーが復活ふっかつした。ちなみにチムニーをF1かいんだのはマクラーレンで2000ねんMP4-15である。フロントノーズもMP4-19Bよりもふとめである。

カラーリング[編集へんしゅう]

通常つうじょうのカラーリングはくろ基調きちょうとし、サイドポンツーンには「ウエスト[2]」のロゴをえがいていた。カナダイギリスフランスといったタバコ広告こうこく禁止きんしこくではウエストの字体じたいせた、ドライバーのファーストネームをえがいたマークにしていた。だい13せんハンガリーGP以降いこうはウエストがスポンサーから撤退てったい[3]したため、ドライバーネームとジョニー・ウォーカーのロゴ(だい14せんトルコGPをのぞく)をえがいた。

シーズン[編集へんしゅう]

2005ねんアメリカGPキミ・ライコネンがドライブするMP4-20
2005ねんサンマリノGPでのピット作業さぎょう

ウィリアムズからファン・パブロ・モントーヤ移籍いせきキミ・ライコネンとのコンビはシーズンまえには「2005ねんF1最強さいきょうのコンビ」ともしょうされていた。しかし、開幕かいまくから3せんはフロントの荷重かじゅう不足ふそくによってタイヤがあたたまりにくく、予選よせん上位じょういねらえないという問題もんだいかかえており、結果けっかのこせずにわる。 モントーヤがだい3せんバーレーンGPのまえにテニスでかたかぶとこつ骨折こっせつし(オートバイであそんでいて負傷ふしょうとのせつもあり)、だい3,4せん欠場けつじょうわりにだい3せんペドロ・デ・ラ・ロサが、だい4せんアレクサンダー・ヴルツ出走しゅっそうした。長身ちょうしんのヴルツにはモノコックが窮屈きゅうくつだったため改修かいしゅうおこなこととなった。ヴルツがドライブできるようになったことで開発かいはつ一気いっきすすみ、フロントにバラストを増設ぞうせつし、前述ぜんじゅつ問題もんだいてん解消かいしょうすることに成功せいこう。これによってヨーロッパラウンド以降いこう本来ほんらいはやさを発揮はっきできるようになった。

だい4せんサンマリノGPからそのはやさの片鱗へんりんられたものの、ライコネンはトップ独走どくそうちゅうにわずか9しゅうでリタイア。だい5せんスペインGPから本格ほんかくてきはじめ、ライコネンが独走どくそう優勝ゆうしょうした。その勝利しょうりかさねていき、最終さいしゅうてきにライコネンはルノーフェルナンド・アロンソならぶ7しょうをあげた。しかし、メルセデス・ベンツエンジンは信頼しんらいせいなんがあり、決勝けっしょうまえのエンジンブローによる3の10グリッド降格こうかくや、決勝けっしょうでの2のエンジンブロー、メカニカルトラブルによるリタイヤがあった。3せんのこした段階だんかいでアロンソのチャンピオンが決定けっていしてしまい、コンストラクターズランキングもルノーにぐ2わった。

くるまはやさは本物ほんもので、シーズンちゅう12かいのファステストラップをしており、だい15せん日本にっぽんGPではライコネンが17番手ばんてスタートだったのにもかかわらず、ファイナルラップでジャンカルロ・フィジケラをオーバーテイクし優勝ゆうしょうしている。

スペック[編集へんしゅう]

シャーシ[編集へんしゅう]

エンジン[編集へんしゅう]

記録きろく[編集へんしゅう]

とし No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 ポイント ランキング
AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
BHR
バーレーンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
EUR
欧州連合の旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
TUR
トルコの旗
ITA
イタリアの旗
BEL
ベルギーの旗
BRA
ブラジルの旗
JPN
日本の旗
CHN
中華人民共和国の旗
2005 9 フィンランドの旗ライコネン 8 9 3 Ret 1 1 11 1 DNS 2 3 Ret 1 1 4 1 2 1 2 182 2nd
10 コロンビアの旗モントーヤ 6 4 INJ INJ 7 5 7 DSQ DNS Ret 1 2 Ret 3 1 14 1 Ret Ret
スペインの旗デ・ラ・ロサ 5
オーストリアの旗ヴルツ 3

シーズン終了しゅうりょう[編集へんしゅう]

シーズンオフのテストでは、全体ぜんたいのカラーリングを通常つうじょうくろ基調きちょうとしたものからオレンジに変更へんこうされた。スポンサーロゴはグレーでえがかれた。これは創始そうししゃであるブルース・マクラーレン出身しゅっしんであるニュージーランドのナショナルカラーである。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ MP4-22はシーズンなかばでホーンウィングを装着そうちゃくしなくなった。
  2. ^ インペリアル・タバコグループ傘下さんかレームツマしゃのドイツけタバコブランド。
  3. ^ タバコ広告こうこく全面ぜんめん禁止きんし協定きょうていによる撤退てったい。ただし、年末ねんまつまで資金しきんはチームにもたらされていた。