この項目 こうもく では、1992年 ねん に登場 とうじょう した3人 にん 乗 の りのスーパーカーについて説明 せつめい しています。フォーミュラ1のコンストラクターについては「マクラーレン 」をご覧 らん ください。
F1 (エフワン )は、イギリスのマクラーレン・カーズ(現 げん マクラーレン・オートモーティブ )が1992年 ねん から1998年 ねん にかけて製造 せいぞう ・販売 はんばい したスーパーカー である。
本稿 ほんこう では派生 はせい モデル、レーシングモデルについても記述 きじゅつ する。
マクラーレン・カーズは、当時 とうじ フォーミュラ1 で多 おお くの勝利 しょうり を収 おさ めたマクラーレン の技術 ぎじゅつ を反映 はんえい した高性能 こうせいのう な市販 しはん 車 しゃ を製作 せいさく するために1989年 ねん に設立 せつりつ された。市販 しはん 車 しゃ であるマクラーレン・F1は当初 とうしょ より世界 せかい 最高 さいこう のロードカーを目指 めざ して開発 かいはつ された[1] [2] 。
車両 しゃりょう 中央 ちゅうおう に運転 うんてん 席 せき が配置 はいち され、左右 さゆう に1席 せき ずつ助手 じょしゅ 席 せき を持 も つ特徴 とくちょう 的 てき なセンターシートのレイアウトを採用 さいよう している。乗降 じょうこう を容易 ようい にするために、斜 なな め上方 かみがた に開 ひら くバタフライドア (マクラーレンはディヘドラル・ドアと呼称 こしょう )も採用 さいよう されている。車両 しゃりょう のパフォーマンスを高 たか めるために多 おお くの部分 ぶぶん に軽量 けいりょう 化 か のための設計 せっけい がなされ、カーボンファイバー 製 せい のシャシー を採用 さいよう して製造 せいぞう された初 はつ の市販 しはん 車 しゃ となった[1] 。
生産 せいさん 台数 だいすう は全 すべ てのバリエーションを合計 ごうけい して106台 だい のみ。その内訳 うちわけ は、プロトタイプ が5台 だい 、通常 つうじょう モデルが64台 だい 、LMが6台 だい 、GTが3台 だい 、レーシングモデル のGTRが28台 だい である[3] [4] 。
1995年 ねん のル・マン24時 じ 間 あいだ レース では、レーシングモデルであるF1 GTRが総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を成 な し遂 と げている[5] 。
1998年 ねん にプロトタイプ車両 しゃりょう を使用 しよう して行 おこな われたテスト走行 そうこう では、最高 さいこう 速度 そくど 391km/h(242.956mph)を達成 たっせい 、2回 かい の走行 そうこう の最 さい 高速度 こうそくど を平均 へいきん した386km/h(240.1mph)が公式 こうしき な最高 さいこう 速度 そくど 記録 きろく として認定 にんてい されている[6] 。
新車 しんしゃ での販売 はんばい 価格 かかく は53万 まん ポンド(当時 とうじ 約 やく 1億 おく 1,800万 まん 円 えん )。1992年 ねん のプロトタイプの発表 はっぴょう と同時 どうじ に価格 かかく が公表 こうひょう され、非常 ひじょう に高額 こうがく な車 くるま として当時 とうじ 話題 わだい となった。現在 げんざい では車両 しゃりょう の希少 きしょう 性 せい からプレミア価格 かかく で取引 とりひき されており、2021年 ねん にアメリカ で行 おこな われたオークション では、ほぼ新車 しんしゃ 状態 じょうたい の車両 しゃりょう が出品 しゅっぴん され22億 おく 5,115万 まん 円 えん で落札 らくさつ された[7] [8] 。
F1の開発 かいはつ 構想 こうそう は1988年 ねん 9月 がつ 11日 にち に開始 かいし され、当時 とうじ フォーミュラ1世界 せかい 選手権 せんしゅけん で16戦 せん 15勝 しょう という驚異 きょうい 的 てき な成績 せいせき を収 おさ めていたマクラーレンのチームリーダーであるロン・デニス とデザイナーのゴードン・マレー などが、そのシーズンで唯一 ゆいいつ 勝利 しょうり を逃 のが したイタリアGP の帰 かえ りの空港 くうこう で雑談 ざつだん を交 か わすうちに車両 しゃりょう の発想 はっそう が生 う まれたという。ただし、その時点 じてん での計画 けいかく は「世界 せかい 最速 さいそく で最良 さいりょう の市販 しはん 車 しゃ 」という曖昧 あいまい なものであった[9] 。
1990年 ねん 1月 がつ 、イギリス のサリー州 しゅう ウォキング にあるマクラーレンの施設 しせつ で原型 げんけい となる計画 けいかく が始動 しどう した。マレーは設計 せっけい を進 すす め、同年 どうねん 3月 がつ には基本 きほん 要件 ようけん が決定 けってい した[9] 。設計 せっけい にあたっては従来 じゅうらい のスーパーカーの性能 せいのう や特性 とくせい を分析 ぶんせき した後 のち 、フォーミュラ1で得 え られた技術 ぎじゅつ や経験 けいけん を基 もと に、開発 かいはつ チームが軽量 けいりょう 化 か やダウンフォース の向上 こうじょう など、あらゆる視点 してん で車両 しゃりょう の見直 みなお しを図 はか った[1] 。マクラーレンの目標 もくひょう はコンパクトで軽量 けいりょう なオールラウンドに性能 せいのう を発揮 はっき できる、純粋 じゅんすい なドライバーズカーを作 つく ることだった。また、最先端 さいせんたん の技術 ぎじゅつ 、ディティール、品質 ひんしつ なども重要 じゅうよう 視 し された[2] 。会社 かいしゃ の設立 せつりつ やその準備 じゅんび 、車両 しゃりょう の開発 かいはつ のためにマレーが獲得 かくとく した予算 よさん は850万 まん ポンド で、決 けっ して潤沢 じゅんたく とはいえない額 がく であった[10] 。
エクステリア とインテリア を担当 たんとう したのはデザイナーのピーター・スティーブンス である。ピーターはマクラーレン以前 いぜん はロータス・エラン や同 どう エスプリ 、ジャガー・XJR-15 の設計 せっけい に関 かか わっており、その後 ご F1の計画 けいかく に参加 さんか した。ロータス・カーズ からも数 すう 名 めい が開発 かいはつ のために移籍 いせき している[10] [11] 。
特徴 とくちょう 的 てき なセンターシート形状 けいじょう
車両 しゃりょう 側面 そくめん に存在 そんざい するトランクルーム
運転 うんてん 席 せき が中央 ちゅうおう にあるセンターシートのレイアウトはフォーミュラ1で得 え た経験 けいけん を反映 はんえい したものとされ、ドライバーの視覚 しかく 的 てき ・動的 どうてき な情報 じょうほう を即座 そくざ に反映 はんえい できるよう意図 いと したものだった[2] 。マクラーレンによれば、マレーは1969年 ねん からこの1+2のシートレイアウトの研究 けんきゅう を続 つづ けてきたという[1] 。運転 うんてん 席 せき が中央 ちゅうおう にあるため、フロントガラスには左右 さゆう どちらにもバックミラー がついている[12] 。荷物 にもつ を入 い れるトランクルーム は、車体 しゃたい の両側 りょうがわ の助手 じょしゅ 席 せき とリアタイヤの中間 ちゅうかん のホイールベース内側 うちがわ に存在 そんざい している[13] 。良好 りょうこう なハンドリングと操縦 そうじゅう 性 せい を追求 ついきゅう し、エンジンやギアボックス、燃料 ねんりょう 、乗員 じょういん 、荷物 にもつ など、すべての重量 じゅうりょう 物 ぶつ を重心 じゅうしん 近 ちか くに集中 しゅうちゅう させ重心 じゅうしん 高 だか を低 ひく く抑 おさ えることで慣性 かんせい モーメント を抑制 よくせい する設計 せっけい となっている[2] 。
市販 しはん 車 しゃ では世界 せかい 初 はつ となるカーボンファイバー製 せい のシャシーを採用 さいよう している。車 くるま 重 じゅう は1 tを切 き ることを目標 もくひょう とし、エンジン出力 しゅつりょく は最低 さいてい でも550PS程度 ていど が求 もと められた。カーボン製 せい のブレーキディスク も開発 かいはつ していたが、公道 こうどう での速度 そくど 域 いき や雨天 うてん 時 じ の低温 ていおん 状態 じょうたい で十分 じゅうぶん に作動 さどう させることが困難 こんなん であったため、最終 さいしゅう 的 てき にスチール 製 せい が採用 さいよう された[14] [15] 。軽量 けいりょう 化 か のためパワーステアリング はなく、ブレーキにもサーボ機構 きこう やABS などは装備 そうび されていない[12] 。
ディヘドラルドアやトランクを開 ひら いた状態 じょうたい
センターシートは構造 こうぞう 的 てき に乗降 じょうこう が難 むずか しくなるため、ルーフ の大 だい 部分 ぶぶん が開 ひら く構造 こうぞう が必要 ひつよう であった。採用 さいよう されたディヘドラルドアはルーフだけでなく、足元 あしもと 部分 ぶぶん のスペースも確保 かくほ できるため乗降 じょうこう 性 せい の問題 もんだい は解決 かいけつ した。開発 かいはつ 時 じ には、同様 どうよう の機構 きこう を持 も つトヨタ・セラ のドアを使 つか い研究 けんきゅう を行 おこな った。また、ピーター・スティーブンスはポルシェ・962 の開発 かいはつ に関 かか わっていたこともあり、高速 こうそく 時 じ でも頑丈 がんじょう なドア構造 こうぞう を理解 りかい していた[10] 。
F1に搭載 とうさい されているBMW製 せい S70/2型 がた V12エンジン
当初 とうしょ 、マクラーレンはフォーミュラ1で提携 ていけい しエンジン供給 きょうきゅう を受 う けていたホンダ に対 たい し、V型 がた 10気筒 きとう またはV型 がた 12気筒 きとう エンジンの設計 せっけい ・開発 かいはつ と供給 きょうきゅう を望 のぞ んでいた。しかし、ホンダは将来 しょうらい のマーケティング の観点 かんてん から、V型 がた 12気筒 きとう をはじめとしたオーバースペック なエンジンの製造 せいぞう は不 ふ 適当 てきとう と判断 はんだん したためエンジンの供給 きょうきゅう を断 ことわ った。いすゞ自動車 ずじどうしゃ は3.5L V型 がた 12気筒 きとう エンジンを提案 ていあん したが、レースでの実績 じっせき が無 な いためマレーに断 ことわ られた。最終 さいしゅう 的 てき に、かつてブラバム でマレーと付 つ き合 あ いがあり、BMW に所属 しょぞく しているパウル・ロシェ がV型 がた 12気筒 きとう エンジンを手掛 てが けた[10] [16] 。
マレーはF1の乗 の り心地 ごこち とハンドリングの設計 せっけい 基準 きじゅん として、ホンダ・NSX の名 な を上 あ げている。NSXのサスペンションは乗 の り心地 ごこち の良 よ さと操縦 そうじゅう 性 せい を両立 りょうりつ させるため、ホイール の動 うご きに自由 じゆう 度 ど を持 も たせる縦 たて 型 がた のコンプライアンス・ピボットを採用 さいよう していた。マレーはこのサスペンションシステムから得 え たインスピレーションが、F1のサスペンションの開発 かいはつ に繋 つな がったと語 かた っている。また、F1もNSX同様 どうよう に、当初 とうしょ から日常 にちじょう 的 てき に使用 しよう されることを想定 そうてい し開発 かいはつ されていた。NSXの他 ほか にも、フェラーリ・F40 、ランボルギーニ・カウンタック 、BMW・M1 、ポルシェ・959 、ブガッティ・EB110 などがF1のベンチマークとして上 あ げられている[17] [18] 。
トランスミッションはシンクロメッシュ 機構 きこう を持 も つ6速 そく マニュアルトランスミッション (MT)で、フォーミュラ1やル・マン 、インディカー で勝利 しょうり を収 おさ めているカリフォルニア のトラクション・プロダクツ社 しゃ と共同 きょうどう 開発 かいはつ した。当初 とうしょ は軽量 けいりょう 化 か のためマグネシウム 製 せい のトランスミッションハウジングを装備 そうび していたが、オーバーヒート の問題 もんだい のため最終 さいしゅう 的 てき にアルミニウム 製 せい を使用 しよう した。ギア比 ひ のセッティングは、0-160 mph(257 km/h)の加速 かそく 用 よう としたクロスレシオ の1 - 5速 そく と、クルージングや高速 こうそく 走行 そうこう を考 かんが えたワイドレシオの6速 そく の組 く み合 あ わせとなっている[19] [20] 。
空 そら 力 りょく 性能 せいのう の面 めん では、車両 しゃりょう 後部 こうぶ に可変 かへん 式 しき のリアスポイラー が装備 そうび されている。このスポイラーは走行 そうこう 時 じ には収納 しゅうのう されているが、ブレーキング時 じ に展開 てんかい してエアブレーキ としても機能 きのう する他 ほか 、ブレーキを冷却 れいきゃく するためにエアインテーク 内 うち に空気 くうき を取 と り入 い れられる仕組 しく みになっている。F1はグラウンド・エフェクト を利用 りよう してダウンフォースを得 え る構造 こうぞう となっており、その効果 こうか を高 たか めるためにボディ下面 かめん を流 なが れる境界 きょうかい 層 そう の気流 きりゅう を強制 きょうせい 的 てき に排気 はいき する電動 でんどう ファンを備 そな える。マレーは自身 じしん の設計 せっけい したブラバム・BT46 で、既 すで にこの気流 きりゅう を強制 きょうせい 排気 はいき する「ファンカー 」と呼 よ ばれる機構 きこう を採用 さいよう していた。これらの空 そら 力 りょく の設計 せっけい には、マクラーレンのフォーミュラー1マシンが開発 かいはつ される風洞 ふうどう と同 おな じ施設 しせつ が使 つか われた[2] [7] 。
電子 でんし 制御 せいぎょ システムは、マクラーレンの関連 かんれん 会社 かいしゃ でフォーミュラ1の電気 でんき 系統 けいとう も担当 たんとう するTAGエレクトロニック・システムズ と共同 きょうどう で開発 かいはつ した。制御 せいぎょ システムはエンジンの使用 しよう 状 じょう 況 きょう をモニターし、温度 おんど 変化 へんか 、回転 かいてん 数 すう 、不十分 ふじゅうぶん な暖 だん 機 き 運転 うんてん 時 どき の高 こう 負荷 ふか などを記録 きろく し、メンテナンス時 じ に不具合 ふぐあい の特定 とくてい をすることができる。その他 た にも車内 しゃない にモデム を設置 せっち し、マクラーレンに情報 じょうほう を直接 ちょくせつ 送 おく ることで車 くるま の故障 こしょう 個所 かしょ を特定 とくてい し、サポートを受 う けることなどができる[2] 。
視認 しにん 性 せい を向上 こうじょう させるため、フロントやサイドのガラスには従来 じゅうらい の温風 おんぷう を吹 ふ き付 つ けるデフロスター ではなく、電気 でんき で加熱 かねつ するガラスを採用 さいよう することとした。この要求 ようきゅう に応 おう じるためサンゴバン 社 しゃ と協力 きょうりょく し専 せん 門 もん のチームが編成 へんせい された。開発 かいはつ されたラミネート 加工 かこう のガラスは素早 すばや い霜 しも 取 と りや除 じょ 氷 ごおり だけでなく、熱 ねつ の侵入 しんにゅう を20%、紫外線 しがいせん の侵入 しんにゅう を85%低減 ていげん することができた[2] 。
専用 せんよう の音響 おんきょう 機器 きき の開発 かいはつ を行 おこな うため、ケンウッド も当初 とうしょ から計画 けいかく に参加 さんか している。ケンウッドは当初 とうしょ 音響 おんきょう システムの重量 じゅうりょう を37.5lb(約 やく 17kg)と提案 ていあん したが、マレーはその半分 はんぶん の重量 じゅうりょう しか容認 ようにん できないとした。最終 さいしゅう 的 てき に開発 かいはつ されたシステムの重量 じゅうりょう は18.7lb(約 やく 8.5kg)であった。開発 かいはつ テストでは、最大 さいだい 1.5Gの負荷 ふか がかかっている状態 じょうたい でもシステムは正常 せいじょう に機能 きのう した[2] [14] 。
F1の搭載 とうさい 機器 きき をテストするためのプロトタイプ車両 しゃりょう として、イギリスのアルティマスポーツ (英語 えいご 版 ばん ) 社 しゃ のキットカー であるアルティマ・Mk3が2台 だい 購入 こうにゅう された。この2台 だい はシャシーナンバー12と13で、ノーブルモータースポーツ社 しゃ により供給 きょうきゅう された。アルティマMk3はF1の設計 せっけい 重量 じゅうりょう を下回 したまわ り、プロポーションが似 に ているために採用 さいよう されたものである。この2台 だい はテストのため車体 しゃたい に大幅 おおはば な改造 かいぞう が施 ほどこ された。シャシーナンバー12の車両 しゃりょう にはマクラーレンにより「アルバート」というニックネームを与 あた えられ、本来 ほんらい 搭載 とうさい するBMW製 せい V型 がた 12気筒 きとう エンジンの代 か わりに、同様 どうよう のトルクを有 ゆう するシボレー 製 せい V型 がた 8気筒 きとう エンジンを使 つか ってギアボックスのテストが行 おこな われた。この他 ほか にもセンターシートやカーボンブレーキのテストにも使用 しよう された。他方 たほう 、シャシーナンバー13の車両 しゃりょう には「エドワード」というニックネームが与 あた えられ、BMW製 せい V型 がた 12気筒 きとう エンジンのテストの他 ほか 、エキゾースト や冷却 れいきゃく システムのテストに使 つか われた。なお、後 のち にこの2台 だい は機密 きみつ 保持 ほじ のためマクラーレンによって破壊 はかい されている[21] 。この2台 だい の他 ほか にもエンジンテストのため、BMW・M5 ワゴンにV型 がた 12気筒 きとう エンジンを搭載 とうさい したプロトタイプも作 つく られた[22] 。
シャシーナンバーXP3。フォグランプやウインカーなどが量産 りょうさん 車 しゃ と異 こと なる。
F1の本格 ほんかく 的 てき な試作 しさく 車両 しゃりょう としては、シャシーナンバーXP1からXP5の5台 だい が製作 せいさく され様々 さまざま なテストを行 おこな った。そのうちXP1はナミビア での猛暑 もうしょ 環境 かんきょう のテスト中 ちゅう に事故 じこ で大破 たいは している。240㎞/hを超 こ えるスピードで走行 そうこう 中 ちゅう に、車 くるま が側溝 そっこう に衝突 しょうとつ したことが原因 げんいん であった。ドライバーは奇跡 きせき 的 てき に生還 せいかん したが、XP1は漏 も れ出 で たエンジンオイルがエキゾーストマニホールドに引火 いんか し、焼失 しょうしつ してしまった[23] 。
XP2は衝突 しょうとつ 試験 しけん 用 よう に製作 せいさく され、XP1同様 どうよう に大破 たいは し現存 げんそん していない。プロトタイプと量産 りょうさん 車 しゃ にはデザイン上 じょう の違 ちが いがいくつかあり、フロントのフォグランプ やウインカー 、リアのシングルタイプのテールライト などが異 こと なっていた。量産 りょうさん 車 しゃ のテールライトはランボルギーニ・ディアブロ と同一 どういつ の部品 ぶひん で、イタリア のコボ社 しゃ が製造 せいぞう を担当 たんとう した[24] [25] 。
マクラーレンによると、新車 しんしゃ を購入 こうにゅう した後 のち の通常 つうじょう のメンテナンス間隔 かんかく は9カ月 かげつ と18カ月 かげつ であり、ダンパー は10年 ねん 、燃料 ねんりょう タンク は5年 ねん の交換 こうかん 時期 じき が定 さだ められている。将来 しょうらい 的 てき に車両 しゃりょう を維持 いじ し続 つづ けるため、マクラーレンによりマグネシウムコーティングやブレーキパッドの材質 ざいしつ など、新 あら たな技術 ぎじゅつ を用 もち いたパーツの開発 かいはつ も継続 けいぞく して行 おこな われている。ボディカラーやインテリアの装飾 そうしょく 部品 ぶひん なども同様 どうよう に、オーナーの好 この みに応 おう じて新 あら たなものに更新 こうしん することが可能 かのう であるという[3] [26] 。
1992年 ねん 5月 がつ 28日 にち 、モナコGP においてマグネシウムシルバーで塗装 とそう されたF1が初 はつ 公開 こうかい された。その後 ご 、生産 せいさん 第 だい 1号車 ごうしゃ がオーナーの元 もと へ納車 のうしゃ されたのは1994年 ねん 12月のことで、製造 せいぞう は1998年 ねん まで続 つづ けられた[3] [27]
エンジンルームを開 ひら いた状態 じょうたい 。周 まわ りは金箔 きんぱく で覆 おお われている。
BMWのグループ会社 かいしゃ であるBMWモータースポーツ社 しゃ から供給 きょうきゅう された”S70/2型 がた ”と呼 よ ばれるエンジンで、6,064㏄バンク角 かく 60度 ど のV型 がた 12気筒 きとう DOHC48バルブ自然 しぜん 吸気 きゅうき 。最高 さいこう 出力 しゅつりょく は7,400rpmで約 やく 627馬力 ばりき 、最大 さいだい トルクは4,000rpmから7,000rpmの範囲 はんい で66.3kg・m以上 いじょう を発生 はっせい する。パワーウエイトレシオ は550PS/トン。ボア×ストローク は86mmx87mm、圧縮 あっしゅく 比 ひ 10.5:1。アルミニウム 合金 ごうきん 製 せい シリンダーブロック を備 そな え、バルブハウジング、カムカバー、オイルポンプ等 とう の部品 ぶひん は軽量 けいりょう なマグネシウム合金 ごうきん 製 せい 。エンジン重量 じゅうりょう は付属 ふぞく 機器 きき を含 ふく めて約 やく 260kg、エンジンの全長 ぜんちょう は約 やく 60cm。エキゾーストはインコネル 製 せい [2] [7] [13] 。
エンジンルームはコックピットや機器 きき の保護 ほご を目的 もくてき に、放熱 ほうねつ 性 せい の高 たか い22金 きん の金箔 きんぱく を使 つか った耐 たい 熱 ねつ フィルムで覆 おお われている。金 かね は入手 にゅうしゅ 可能 かのう な素材 そざい の中 なか で最 もっと も軽 かる く、最 もっと も効果 こうか 的 てき な断熱 だんねつ 材 ざい であるため採用 さいよう された。エンジンルームだけで16gの金 かね が使 つか われている[7] [16] 。
市販 しはん 車 しゃ としては世界 せかい 初 はつ となるカーボンファイバー製 せい シャシーを採用 さいよう している。このシャーシはリヤフェンダー などと一体 いったい 成型 せいけい されたセミモノコック 構造 こうぞう で、前方 ぜんぽう にはクラッシュボックス を含 ふく む構成 こうせい 部品 ぶひん が配置 はいち され、衝突 しょうとつ 時 じ の安全 あんぜん を確保 かくほ している[7] 。ほとんどの主要 しゅよう 構造 こうぞう は、2重 じゅう のアルミニウム製 せい ハニカム構造 こうぞう のパネルで強化 きょうか されている。これらの設計 せっけい ・開発 かいはつ はコンピュータープログラムを用 もち いて行 おこな われ、素材 そざい の厚 あつ さや繊維 せんい の方向 ほうこう を最適 さいてき 化 か させている。この結果 けっか シャシーは非常 ひじょう に高 たか いねじり剛性 ごうせい を有 ゆう している。モノコックは縦 たて 方向 ほうこう の2本 ほん のフロアビーム と横 よこ 方向 ほうこう のバルクヘッドを合 あ わせることで強度 きょうど を高 たか めている。運転 うんてん 席 せき の後部 こうぶ にはエンジンに空気 くうき を取 と り入 い れる為 ため のエアインテークがあり、Aピラー 、Bピラーと合 あ わせて頑丈 がんじょう な生存 せいぞん 空間 くうかん をもたらしている。エンジンはストレスメンバーとしても機能 きのう し、2本 ほん の構造 こうぞう 材 ざい を通 とお してバルクヘッドに取 と り付 つ けられている。エンジンマウントには振動 しんどう やノイズを吸収 きゅうしゅう するためのセミフレキシブルブッシュを採用 さいよう している。また、エギゾーストも事故 じこ 時 じ などに衝撃 しょうげき を吸収 きゅうしゅう する構造 こうぞう となっている。全 すべ てのカーボン構造 こうぞう はマクラーレンが所有 しょゆう する施設 しせつ で製作 せいさく された[2] 。
F1のサスペンションは前後 ぜんご ともダブルウィッシュボーン構造 こうぞう で、ホンダ・NSXを参考 さんこう に設計 せっけい された。フロント側 がわ のサスペンションを接続 せつぞく するサブフレームは、コンプライアンスブッシュ通 つう じてボディに取 と り付 つ けられ、縦 たて 方向 ほうこう に大幅 おおはば な柔軟 じゅうなん さを有 ゆう している。これは安定 あんてい 性 せい と操縦 そうじゅう 性 せい の両立 りょうりつ を意図 いと して設計 せっけい された。リアサスペンションはロアアームがギアボックスに取 と り付 つ けられ、そのギアボックスは弾性 だんせい を持 も たせボディに取 と り付 つ けられている。これにより、サスペンションにかかる負荷 ふか は剛性 ごうせい の高 たか い車体 しゃたい へ伝 つた わる構造 こうぞう となっている[13] 。
ダンパーはビルシュタイン によってF1用 よう に設計 せっけい 開発 かいはつ されたもので、レース用 よう の製品 せいひん が元 もと となっている。このダンパーはアルミニウム製 せい で放熱 ほうねつ 性 せい を30%向上 こうじょう させている[2] 。
装着 そうちゃく されているブレーキはイタリアのブレンボ と協力 きょうりょく して開発 かいはつ したもの。市販 しはん 車 しゃ としては初 はつ となるフォーミュラ1と同 おな じタイプの一体 いったい 鋳造 ちゅうぞう のアルミニウム製 せい 4ピストンキャリパー と、ベンチレーテッドディスクを組 く み合 あ わせている。ハンドブレーキ キャリパーもアルミニウム製 せい でブレンボによって開発 かいはつ された。車 くるま を高速 こうそく 域 いき から安全 あんぜん で効率 こうりつ 的 てき に減速 げんそく させるため、ブレーキの冷却 れいきゃく には新 しん システムが導入 どうにゅう された。このシステムはスピードセンサーとブレーキセンサーが電子 でんし 制御 せいぎょ され、十分 じゅうぶん な負荷 ふか がかかったブレーキング時 じ のみブレーキ冷却 れいきゃく 用 よう のエアインテークダクトが自動的 じどうてき に開 ひら く仕組 しく みとなっている。ダクトが閉 と じている間 あいだ は空気 くうき 抵抗 ていこう を減 へ らすことができる。ABSやブレーキサーボは重量 じゅうりょう 削減 さくげん のため装備 そうび されていない[2] 。
タイヤ にはグッドイヤー による専用 せんよう 設計 せっけい 品 ひん が使 つか われている。ハンドリングと操縦 そうじゅう 性 せい のため開発 かいはつ 初期 しょき の段階 だんかい からタイヤは重要 じゅうよう 視 し されていた。サイズはフロントが235/45ZR17、リアが315/40ZR17。トレッドパターン は非対称 ひたいしょう で回転 かいてん 方向 ほうこう が定 さだ められている。17インチというタイヤサイズは重量 じゅうりょう や接地 せっち 面 めん の形状 けいじょう を考慮 こうりょ して採用 さいよう された。車両 しゃりょう の軽量 けいりょう 化 か のためスペアタイヤは備 そな わっていないが、パンク 修理 しゅうり キットは付属 ふぞく している。ホイール はOZ 製 せい でタイヤと同 おな じく専用 せんよう に開発 かいはつ されたもの。マグネシウム合金 ごうきん で鋳造 ちゅうぞう されている[2] 。
インテリア
シートは前後 ぜんご に可動 かどう するが、ペダル とハンドル の位置 いち は固定 こてい されており、購入 こうにゅう 者 しゃ に合 あ わせて個別 こべつ に調節 ちょうせつ する必要 ひつよう がある。この調整 ちょうせい 作業 さぎょう は納車 のうしゃ 前 まえ にマクラーレンの工場 こうじょう で行 おこな われた[13] 。
メーターパネル中央 ちゅうおう には最大 さいだい 8,200rpmまで刻 きざ まれたタコメーター が配置 はいち され、レブリミットの7,500rpmで点滅 てんめつ しシフトアップを知 し らせるライトが組 く み込 こ まれている。右側 みぎがわ には240mph(約 やく 386km/h)スケールの速度 そくど 計 けい が配置 はいち されている。左側 ひだりがわ には燃料 ねんりょう 計 けい 、水温 すいおん 計 けい 、油 あぶら 温 ゆたか 計 けい が配置 はいち されている[7] [13] 。
運転 うんてん 席 せき と助手 じょしゅ 席 せき の間 あいだ の仕切 しき りにはCDプレイヤーと空調 くうちょう を操作 そうさ するためのスイッチ類 るい が配置 はいち されている[13] 。
F1には専 せん 用品 ようひん の鞄 かばん が複数 ふくすう 付属 ふぞく しており、サイズの違 ちが うスーツケース 、書類 しょるい ケースなどで構成 こうせい されている。この鞄 かばん はF1のトランクルームのサイズに合 あ わせて作 つく られており、スペースを最大限 さいだいげん に利用 りよう できるようになっている。また、シートやハンドル、付属 ふぞく の鞄 かばん などは購入 こうにゅう 者 しゃ の好 この みに応 おう じて色 いろ を変 か えることもできた[2] 。
付属 ふぞく 工具 こうぐ はフランスの ファコム (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) によってF1専用 せんよう に開発 かいはつ されたのものが付属 ふぞく している。軽量 けいりょう 化 か のためチタン 製 せい となっており、スチール製 せい の工具 こうぐ よりも50%軽量 けいりょう であった[1] [2] 。
音響 おんきょう システムはケンウッドが専用 せんよう に開発 かいはつ したもの。当時 とうじ 世界 せかい 最小 さいしょう の10連装 れんそう CDチェンジャーデッキ がフロント部分 ぶぶん に設置 せっち してある。車内 しゃない には5つのスピーカー が設置 せっち されている[2] 。
F1の購入 こうにゅう 者 しゃ には車内 しゃない に収 おさ まるように設計 せっけい されたゴルフクラブ のセットと、タグ・ホイヤー 製 せい のF1のロゴがついた腕時計 うでどけい が贈 おく られた。当時 とうじ タグ・ホイヤーはマクラーレンのフォーミュラ1のスポンサーであった[28] 。
0-30 mph (0–48 km/h): 1.8秒 びょう
0-60 mph (0–97 km/h): 3.2秒 びょう
0-100 mph (0–161 km/h): 6.3秒 びょう
0-15 0mph (0–241 km/h): 12.8秒 びょう
30-5 0mph (48–80 km/h): 0.9秒 びょう
30ー70 mph (48–113 km/h): 2.1秒 びょう
0-402 m (0.25マイル): 11.1秒 びょう (222 km/h)
0-1,000 m (0.62マイル): 19.6秒 びょう (285 km/h)
30-50 mph (48–80 km/h): 1.8秒 びょう (3速 そく 使用 しよう )
50ー70 mph (80–113 km/h): 2.8秒 びょう (5速 そく 使用 しよう )[29]
1993年 ねん にイタリアのナルド・サーキット で行 おこな われたテストでは、371.7 km/hの最 さい 高速度 こうそくど を達成 たっせい した。この時 とき に使 つか われた車両 しゃりょう はプロトタイプで、エンジンの出力 しゅつりょく は588馬力 ばりき であった。F1以前 いぜん の最 さい 高速度 こうそくど 記録 きろく はジャガー・XJ220 の持 も つ349.2 km/h(217 mph)だった[6] [30] 。
1998年 ねん にフォルクスワーゲン が保有 ほゆう するエーラ・レッシエン (ドイツ語 ご 版 ばん ) での走行 そうこう 試験 しけん では、アンディ・ウォレス の操縦 そうじゅう により386.4 km/h(240.1 mph)の最 さい 高速度 こうそくど 記録 きろく を達成 たっせい した。使用 しよう された車両 しゃりょう はプロトタイプのシャーシナンバーXP5で、車 くるま はエンジンのレブリミットを8,300rpmまで高 たか めた以外 いがい ノーマル状態 じょうたい だったという。最初 さいしょ の走行 そうこう では388 km/h (241.1 mph)を記録 きろく したが、ドライバーのウォレスはまだ車 くるま に余裕 よゆう があると考 かんが えていた。2回 かい 目 め の走行 そうこう でレブリミットが高 たか められた結果 けっか 、391 km/h(242.956 mph)の最 さい 高速度 こうそくど を記録 きろく した。テスト後 ご ウォレスは「391 km/h以上 いじょう は出 で ない」とも語 かた っている[注釈 ちゅうしゃく 1] 。最高 さいこう 速度 そくど 記録 きろく は、風 ふう の影響 えいきょう を考慮 こうりょ して反対 はんたい 方向 ほうこう を含 ふく む2回 かい の走行 そうこう を平均 へいきん して算出 さんしゅつ されるため、F1の公式 こうしき な最高 さいこう 速度 そくど は386.4 km/h(240.1 mph)となった[6] [30] [31] 。
量産 りょうさん 車両 しゃりょう が製造 せいぞう される以前 いぜん のプロトタイプ車両 しゃりょう として、シャーシナンバーXP1からXP5の5台 だい が作 つく られ、様々 さまざま なテストに用 もち いられた。シャーシナンバーのXPは"eX perimental P rototype"(試験 しけん 用 よう プロトタイプ)を意味 いみ する。そのうち最初 さいしょ に作 つく られたXP1はナミビアでのテスト中 ちゅう に事故 じこ で大破 たいは し現存 げんそん していない。XP2は衝突 しょうとつ 試験 しけん 用 よう に作 つく られ、実際 じっさい に試験 しけん に用 もち いられこちらも現存 げんそん していない[6] [25] 。現存 げんそん する最古 さいこ のF1であるXP3はゴードン・マレーに贈 おく られ、彼 かれ が長 なが らく所有 しょゆう していたが後年 こうねん 売却 ばいきゃく している[24] 。XP4はギアボックスの耐久 たいきゅう テストに使用 しよう され、後 のち にアメリカのコレクターに売却 ばいきゃく された[32] 。XP5は1998年 ねん に行 おこな われたテストで、量産 りょうさん 車 しゃ の最 さい 高速度 こうそくど 記録 きろく を更新 こうしん した、車 くるま はマクラーレンによって所有 しょゆう されている[33] 。
マクラーレン・F1
1993年 ねん から1998年 ねん の間 あいだ に合計 ごうけい で64台 だい が製造 せいぞう された。
新車 しんしゃ 価格 かかく は1億 おく 円 えん 以上 いじょう と高額 こうがく だが、現在 げんざい ではさらに高額 こうがく なプレミア価格 かかく で取引 とりひき されている。2021年 ねん 、アメリカで行 おこな われたグッディング&カンパニー (英語 えいご 版 ばん ) 主催 しゅさい のオークションにシャーシナンバー029の個体 こたい が出品 しゅっぴん され、2046万 まん 5,000ドル(22億 おく 5,115万 まん 円 えん )で落札 らくさつ された。この車両 しゃりょう は新車 しんしゃ 時 じ に日本 にっぽん にデリバリーされて以降 いこう 、走行 そうこう 距離 きょり 390kmというほぼ新車 しんしゃ 状態 じょうたい を保 たも っており、唯一 ゆいいつ ”クレイトンブラウン”と呼 よ ばれるカラーリングを纏 まつわ ったF1である[8] [34] [35] 。
ハイダウンフォースキットを装備 そうび した車両 しゃりょう
製造 せいぞう された車両 しゃりょう の中 なか には”ハイダウンフォースキット"[注釈 ちゅうしゃく 2] と呼 よ ばれるエアロパーツ を装備 そうび した車両 しゃりょう が8台 だい 存在 そんざい する。ハイダウンフォースキットはフロントスプリッターや大型 おおがた のリアウイング などのパーツで構成 こうせい され、後期 こうき 生産 せいさん 車 しゃ のメーカーオプションだった。また、後年 こうねん になってマクラーレンによりキットを取 と り付 つ けた車両 しゃりょう も存在 そんざい する。この内 うち 、シャーシナンバー018と073の2台 だい のみ下記 かき のLM仕様 しよう にアップグレードされている。その内容 ないよう は680馬力 ばりき まで強化 きょうか されたエンジンとハイダウンフォースキット両方 りょうほう の装備 そうび などである[4] [36] [37] 。
2019年 ねん 、アメリカで行 おこな われたサザビーズ のオークションにこの2台 だい のLM仕様 しよう 車 しゃ の内 うち シャシーナンバー018の個体 こたい が出品 しゅっぴん され、1,980万 まん ドル(約 やく 21億 おく 円 えん )で落札 らくさつ された。この個体 こたい は新車 しんしゃ で日本 にっぽん に納車 のうしゃ され、2000年 ねん から2001年 ねん の間 あいだ に別 べつ のオーナーの元 もと でLM仕様 しよう にアップグレードされていた[36] [38] 。
マクラーレン・F1 LM
1995年 ねん のル・マン24時 じ 間 あいだ レースでの優勝 ゆうしょう を記念 きねん して作 つく られたモデル。車 くるま 名 めい のLMはル・マン(L e M ans)を意味 いみ する。エンジンがチューニングされ約 やく 680馬力 ばりき まで出力 しゅつりょく が増 ま している他 ほか 、レースモデルであるGTR同様 どうよう のフロントスプリッターやリアウイングなどのエアロパーツを装備 そうび している。重量 じゅうりょう は2,341ポンド(約 やく 1,062kg)。音響 おんきょう システムや防音 ぼうおん 設備 せつび は取 と り除 のぞ かれ、車内 しゃない にはドライバーと乗客 じょうきゃく の会話 かいわ のためヘッドホンが備 そな えられている。サスペンションのブッシュはゴム製 せい からアルミ製 せい に変更 へんこう している[4] [39] 。
プロトタイプが1台 だい (シャーシナンバーXP1 LM)と、市販 しはん 用 よう の5台 だい (シャーシナンバーLM1からLM5)の合計 ごうけい 6台 だい が製造 せいぞう された。この6台 だい のうち4台 だい はパパイヤオレンジと呼 よ ばれるカラーに塗装 とそう され、残 のこ り2台 だい はル・マンで優勝 ゆうしょう したレーシングモデルに似 に たグレーのカラーリングが施 ほどこ されている[4] 。
プロトタイプはマクラーレン自身 じしん が所有 しょゆう し、市販 しはん 用 よう の5台 だい はアメリカと日本 にっぽん に1台 だい ずつ、そしてブルネイ のスルタン に3台 だい が納車 のうしゃ された[4] [39] 。
マクラーレン・F1 GT
F1 GT リアビュー
1997年 ねん に後述 こうじゅつ のF1 GTRのレース出場 しゅつじょう の公認 こうにん (ホモロゲーション )を得 え るために作 つく られたモデル。全長 ぜんちょう 4,928mm、全幅 ぜんはば 1,940mm、全高 ぜんこう 1,200mmで、通常 つうじょう モデルと比較 ひかく して全長 ぜんちょう は60cm以上 いじょう 長 なが く、全幅 ぜんぷく は10cm以上 いじょう 広 ひろ くなっている。一方 いっぽう でエンジンやトランスミッションは通常 つうじょう モデルと同 おな じものが使用 しよう されている。全長 ぜんちょう 、特 とく に車両 しゃりょう 後部 こうぶ が延長 えんちょう されているため、”ロングテール”とも呼 よ ばれる[40] 。
1997年 ねん のFIA GT選手権 せんしゅけん でGT1クラスのホモロゲーションを得 え るには、少 すく なくとも1台 だい の公道 こうどう 走行 そうこう 可能 かのう な車両 しゃりょう を製造 せいぞう ・販売 はんばい する必要 ひつよう があった。そこでマクラーレンは97年 ねん 型 がた のレーシングモデルの製造 せいぞう と並行 へいこう して、ホモロゲーション取得 しゅとく 用 よう の市販 しはん 車 しゃ であるF1 GTを製造 せいぞう した。F1 GTは既 すで に95年 ねん にホモロゲーションを取得 しゅとく していた通常 つうじょう モデルのバリエーション(variante option)として認証 にんしょう された[41] 。当初 とうしょ マクラーレンは、ホモロゲーション取得 しゅとく ため1台 だい のみ車両 しゃりょう を生産 せいさん する予定 よてい だったが、顧客 こきゃく の要望 ようぼう に応 こた えるために、さらに2台 だい のF1 GTが製造 せいぞう された[40] [42] 。
製造 せいぞう された3台 だい のF1 GTの内 うち 、シャシーナンバー56XPGTはプロトタイプでマクラーレンが所有 しょゆう している。2台 だい の市販 しはん モデルは、シャシーナンバー54F1GTはブルネイへ納車 のうしゃ された。シャシーナンバー58F1GTは日本 にっぽん のZAZミュージアム に納車 のうしゃ され、その後 ご マクラーレンによる整備 せいび を受 う け2015年 ねん のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード で展示 てんじ された[42] 。
マクラーレン・F1 GTR
1995年 ねん モデル
1997年 ねん モデル
ボディ エンジン位置 いち
ミッドシップ 駆動 くどう 方式 ほうしき
後 こう 輪 わ 駆動 くどう パワートレイン エンジン
6,064cc V型 がた 12気筒 きとう (1995年 ねん ) 5,999cc V型 がた 12気筒 きとう (1997年 ねん ) 最高 さいこう 出力 しゅつりょく
600ps 変速 へんそく 機 き
6速 そく MT(1995年 ねん ) 6速 そく シーケンシャル (1997年 ねん ) 前 まえ
ダブルウィッシュボーン 後 のち
ダブルウィッシュボーン 車両 しゃりょう 寸法 すんぽう 全長 ぜんちょう
4,367 mm(1995年 ねん ) 4,933 mm(1997年 ねん ) 全幅 ぜんぷく
1,900 mm(1995年 ねん ) 1,920 mm(1997年 ねん ) 全 ぜん 高 こう
1,090 mm(1995年 ねん ) 1,200 mm(1997年 ねん ) 車両 しゃりょう 重量 じゅうりょう
1,050 kg(1995年 ねん ) 915 kg(1997年 ねん ) テンプレートを表示 ひょうじ
1993年 ねん にグループC カーによるレースカテゴリが消滅 しょうめつ し、代 か わって高性能 こうせいのう な市販 しはん スポーツカー を使 つか ったGTカー 規定 きてい が導入 どうにゅう されると、一部 いちぶ のプライベーターからF1でGTレースに参戦 さんせん したいという要望 ようぼう が上 あ がった。1995年 ねん シーズンが近 ちか づくにつれてその声 こえ は増 ふ え、レーシングドライバーのレイ・ベルム 、レーシングドライバーであり銀行 ぎんこう 家 か のトーマス・ブシャー (ドイツ語 ご 版 ばん ) らがマクラーレンにアプローチした。ゴードン・マレーはF1を競技 きょうぎ 用 よう として設計 せっけい しておらず、信頼 しんらい 性 せい および性能 せいのう の点 てん から当初 とうしょ はレース参戦 さんせん に否定 ひてい 的 てき であったが、最終 さいしゅう 的 てき にプライベーターの要望 ようぼう に応 こた えることになり、マクラーレンは1995年 ねん 1月 がつ 、GT1 レギュレーションに適合 てきごう するレース仕様 しよう 車 しゃ であるF1 GTR を発表 はっぴょう した。マクラーレンの計画 けいかく では5台 だい を顧客 こきゃく に販売 はんばい すれば開発 かいはつ 費 ひ を取 と り戻 もど せると計算 けいさん された。元々 もともと F1はレーシングカーの技術 ぎじゅつ を使 つか った設計 せっけい 開発 かいはつ 、素材 そざい の使用 しよう をしているため、レーシングカーそのものへ転用 てんよう することは困難 こんなん ではなかったという[5] [43] [44] 。
インテリア
市販 しはん 車 しゃ との違 ちが いとしては、ロールケージ や消火 しょうか 器 き などの安全 あんぜん 装備 そうび のほか、フロントスプリッターや大型 おおがた のリアウイングなどのエアロパーツが装着 そうちゃく され、ノーズとサイドにはエアインテークが追加 ついか されている。市販 しはん 車 しゃ では採用 さいよう されていなかったカーボンブレーキも採用 さいよう された。サスペンションのゴム製 せい ブッシュはアルミ二 に ウム製 せい の頑丈 がんじょう な部品 ぶひん に変更 へんこう されている。エンジンも市販 しはん 車 しゃ と比較 ひかく してレース用 よう に改良 かいりょう されていたが、リストリクター によって出力 しゅつりょく は約 やく 600馬力 ばりき まで制限 せいげん されていた。軽量 けいりょう 化 か が施 ほどこ されたことで重量 じゅうりょう は約 やく 1,050kgまで抑 おさ えられ、パワーウエイトレシオは通常 つうじょう モデルより高 たか くなった。完成 かんせい した車両 しゃりょう はBPRグローバルGTシリーズ やル・マン24時 じ 間 あいだ レースに参戦 さんせん するためカスタマーに提供 ていきょう されたが、公道 こうどう での乗 の り心地 ごこち を重視 じゅうし した市販 しはん 車 しゃ が元 もと となっているため、レースではモノコックの剛性 ごうせい 不足 ふそく の問題 もんだい を抱 かか えていたという。1995年 ねん には9台 だい のF1 GTRが製作 せいさく された[3] [5] [44] [45] 。
1996年 ねん には改良 かいりょう 型 がた が登場 とうじょう した。フロントスプリッターやリアウイングはさらに大型 おおがた 化 か され、修理 しゅうり 時 じ に素早 すばや く取 と り外 はず しができるようボディワークも改良 かいりょう された。低 てい 重心 じゅうしん 化 か のためエンジンの搭載 とうさい 位置 いち が下 さ げられ、より軽量 けいりょう 化 か されたマグネシウム製 せい のギアボックスのハウジングが採用 さいよう された。1996年 ねん は9台 だい のF1 GTRが製造 せいぞう され、95年 ねん 型 がた のうち2台 だい が最新 さいしん の仕様 しよう に更新 こうしん された[45] [46] 。
95年 ねん 型 がた (上 うえ )と97年 ねん 型 がた (下 した )の比較 ひかく 、97年 ねん 型 がた は車両 しゃりょう 前部 ぜんぶ ・後部 こうぶ 共 ども にボディが延長 えんちょう されている。
しかし、1996年 ねん にポルシェ が911 GT1 を投入 とうにゅう すると苦戦 くせん を強 し いられるようになり、マクラーレンはF1 GTRの97年 ねん 型 がた において大幅 おおはば な空 そら 力 りょく 性能 せいのう のアップデートを実施 じっし した[42] 。
それまでのF1 GTRは前後 ぜんご のオーバーハングが短 みじか く、ダウンフォース不足 ふそく が露呈 ろてい していた。そこで97年 ねん 型 がた ではボディの前後 ぜんご を大 おお きく延長 えんちょう し、ダウンフォースを得 え ると共 とも に空気 くうき 抵抗 ていこう を減 へ らす設計 せっけい がなされた。フェンダーやリアウィングも大型 おおがた 化 か され、その外観 がいかん から「ロングテール 」と通称 つうしょう される。エンジンは長寿 ちょうじゅ 命 いのち 化 か と信頼 しんらい 性 せい の向上 こうじょう を目的 もくてき として、排気 はいき 量 りょう を6,064㏄から5,999ccにダウンしているが馬力 ばりき の低下 ていか は無 な い。エキゾーストはそれまで中央 ちゅうおう に4本 ほん 出 だ しであったが、左右 さゆう 各 かく 2本 ほん 出 だ しに変更 へんこう されている。トランスミッションは6速 そく MTからエクストラック 社 しゃ と共同 きょうどう 開発 かいはつ した6段 だん シーケンシャルミッションを搭載 とうさい している。ギアチェンジは車両 しゃりょう によって、シフトレバーを押 お してギアが上 あ がり引 び いてギアが下 さ がるものと、その逆 ぎゃく の押 お してギアが下 さ がり引 び いてギアが上 あ がる両 りょう パターンが存在 そんざい する。車 くるま 重 じゅう は915kgと大幅 おおはば に軽量 けいりょう 化 か されている。1997年 ねん 型 がた F1 GTRは合計 ごうけい で10台 だい が製造 せいぞう された[5] [42] [44] [45] [47] [48] 。
97年 ねん 型 がた のF1 GTRではボディワークが大幅 おおはば に変更 へんこう されたため、新 あら たにホモロゲーションを得 え る必要 ひつよう があった。それには最低 さいてい 1台 だい の市販 しはん 車 しゃ を製造 せいぞう する必要 ひつよう があったため、同 おな じロングテールのボディ形状 けいじょう を持 も つロードカーのF1 GT が製造 せいぞう された。97年 ねん 型 がた F1 GTRとF1 GTの製作 せいさく は同時 どうじ 並行 へいこう で行 おこな われた[42] 。
メルセデス・ベンツ は1997年 ねん にCLK-GTR でGT選手権 せんしゅけん へ参戦 さんせん するにあたり、プライベートチームから96年 ねん 型 がた のF1 GTRを譲 ゆず り受 う け、独自 どくじ のボディパネルを取 と り付 つ けてエアロパーツの開発 かいはつ を行 おこな っていた[42] 。
F1 GTRは競技 きょうぎ 用 よう 車両 しゃりょう であるが、後年 こうねん になって公道 こうどう 走行 そうこう が可能 かのう な仕様 しよう に作 つく り替 か えられた車両 しゃりょう も存在 そんざい している。その際 さい にはリストリクターの除去 じょきょ 、触媒 しょくばい や助手 じょしゅ 席 せき の追加 ついか などの改造 かいぞう が施 ほどこ された[45] [46] 。
F1 GTRは、スポーツカー世界 せかい 選手権 せんしゅけん に代 か わって設立 せつりつ されたBPRグローバルGTシリーズでレースデビューを果 は たした。そのBPRシリーズでは開幕 かいまく から6連勝 れんしょう を果 は たし、特 とく にニュルブルクリンク でのレース結果 けっか は1位 い から5位 い を独占 どくせん した。その後 ご の2レースではポルシェとフェラーリ に敗 やぶ れたものの最後 さいご の4つのレースで優勝 ゆうしょう し、F1 GTRを使 つか うドライバーとチームがチャンピオンシップ を獲得 かくとく した[45] 。
1995年 ねん のル・マンで優勝 ゆうしょう を成 な し遂 と げたF1 GTR 59号車 ごうしゃ
6月17日 にち から6月 がつ 18日 にち にかけて行 おこな われたル・マン24時 じ 間 あいだ レースには7台 だい のF1 GTRが参戦 さんせん した。その中 なか で総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を成 な し遂 と げたのはJ.J.レート /ヤニック・ダルマス /関谷 せきや 正徳 まさのり がドライブする国際 こくさい 開発 かいはつ レーシングチームの59号車 ごうしゃ であった。マクラーレンは当初 とうしょ 、上位 じょうい カテゴリであるプロトタイプカー に対 たい し優勝 ゆうしょう の可能 かのう 性 せい は低 ひく いと考 かんが えていたため、F1 GTRを使用 しよう するチームに多 おお くのサポートはされなかった。それでも本番 ほんばん 前 まえ にマニクール・サーキット でマシンの24時 じ 間 あいだ テストを行 おこな いアップグレードパーツの開発 かいはつ を行 おこな っている。この本番 ほんばん 前 ぜん テストに使用 しよう されたシャーシナンバー01Rの個体 こたい はマクラーレンが所有 しょゆう するプロトタイプであったが、日本 にっぽん の医療 いりょう 機関 きかん である上野 うえの クリニック がスポンサーとなることでル・マンで走 はし る予算 よさん が確保 かくほ され、急遽 きゅうきょ 国際 こくさい 開発 かいはつ レーシングチームとしてレースに出場 しゅつじょう することになった。車両 しゃりょう が完成 かんせい したのはレース本番 ほんばん の6週間 しゅうかん 前 まえ だったという。チームスタッフはマクラーレンの従業 じゅうぎょう 員 いん が中心 ちゅうしん となった。ル・マン本戦 ほんせん でF1 GTRは総合 そうごう 優勝 ゆうしょう を成 な し遂 と げただけでなく、総合 そうごう 3位 い 、4位 い 、5位 い 、13位 い にもランクインしていた[5] [49] [50] 。
1996年 ねん のBPRグローバルGTシリーズでは、新 あら たにポルシェが911 GT1を投入 とうにゅう した。F1 GTRは911 GT1に数 すう 戦 せん で敗 やぶ れたものの、前年 ぜんねん に引 ひ き続 つづ きドライバー、チーム共 ども にチャンピオンシップを獲得 かくとく した。ブリティッシュGTチャンピオンシップ (英語 えいご 版 ばん ) ではGT1クラスのドライバーズチャンピオンを獲得 かくとく している。一方 いっぽう でル・マン24時 じ 間 あいだ レースでは、ポルシェ・WSC95 と2台 だい の911 GT1に次 つ ぐ総合 そうごう 4位 い に留 とど まった[45] 。
JGTCに参戦 さんせん したチーム・ラーク・マクラーレンのF1 GTR
他方 たほう 、全日本 ぜんにほん GT選手権 せんしゅけん (JGTC)では郷 ごう 和道 かずみち によりフィリップモリス をスポンサーとして擁 よう するチーム・ラーク・マクラーレン(後 ご のチーム郷 きょう )が設立 せつりつ され、シャーシナンバー13Rと14Rの2台 だい のF1 GTRを持 も ち込 こ み参戦 さんせん した[注釈 ちゅうしゃく 3] 。ドライバーは60号車 ごうしゃ が服部 はっとり 尚貴 なおき 、ラルフ・シューマッハ 、61号車 ごうしゃ は95年 ねん のBPRシリーズのタイトルを獲得 かくとく したジョン・ニールセン とフォーミュラ1の経験 けいけん もあるデビッド・ブラバム 。2011年 ねん の郷 さと へのインタビューによると、ドライバー候補 こうほ としてマーティン・ブランドル 、マーク・ブランデル の名 な も挙 あ がっていた。車両 しゃりょう メンテナンスはチームルマン が担当 たんとう した。ブレーキはカーボン製 せい からスチール製 せい へ変更 へんこう したため、度々 たびたび ブレーキトラブルを引 ひ き起 お こした。レースでは他 た 車 しゃ と比較 ひかく して圧倒的 あっとうてき な性能 せいのう を発揮 はっき し、2台 だい で全 ぜん 戦 せん でポールポジション とファステストラップ を記録 きろく し、全 ぜん 6戦中 せんちゅう 4勝 しょう を挙 あ げチャンピオンシップを獲得 かくとく した。一方 いっぽう で第 だい 4戦 せん 富士 ふじ の前 まえ に車両 しゃりょう 規則 きそく が改定 かいてい され、これを不利 ふり と捉 とら えたチームはGTアソシエイション を脱会 だっかい していた。GTアソシエイションはレースの公平 こうへい 性 せい やエンターテイメント性 せい を重視 じゅうし していたため、マクラーレン1強 きょう となることを危惧 きぐ し、1997年 ねん からは更 さら なる馬力 ばりき 制限 せいげん やバラストのハンデが課 か せられる可能 かのう 性 せい があった。郷 さと はこれに反発 はんぱつ し、1996年 ねん のJGTCオールスターレース、そして1997年 ねん の参戦 さんせん を辞退 じたい した[51] [52] 。
1997年 ねん のル・マンにて
1997年 ねん 、前年 ぜんねん までのBPRグローバルGTシリーズがFIA GT選手権 せんしゅけん に移行 いこう し、マクラーレンはF1 GTR「ロングテール」を投入 とうにゅう した。しかし、メルセデス・ベンツが新 あら たに投入 とうにゅう したCLK-GTRにチャンピオンの座 ざ を奪 うば われ、F1 GTRはランキング2位 い と3位 い を獲得 かくとく するに留 とど まった。ル・マンでは前年 ぜんねん に引 ひ き続 つづ きポルシェ・WSC-95が総合 そうごう 優勝 ゆうしょう 、F1 GTRはポルシェ・911 GT1を抑 おさ えクラス優勝 ゆうしょう 、総合 そうごう では2位 い と3位 い を獲得 かくとく した[45] 。
1998年 ねん にはブリティッシュGTチャンピオンシップやイタリアのモンツァ 1000kmレースなどで度々 たびたび 優勝 ゆうしょう を収 おさ めている[45] 。
全日本 ぜんにほん GT選手権 せんしゅけん では1999年 ねん にF1 GTR ロングテールが参戦 さんせん し、性能 せいのう 調整 ちょうせい で思 おも うような結果 けっか は残 のこ せなかったが、2001年 ねん の最終 さいしゅう 戦 せん で1勝 しょう を挙 あ げている[53] 。また、2005年 ねん のSUPER GT では富士 ふじ スピードウェイ の2戦 せん にスポット参戦 さんせん しており、これがF1 GTRが国際 こくさい 的 てき なモータースポーツに参戦 さんせん した最後 さいご の事例 じれい だとされている[54] [55] 。
2013年 ねん 、マクラーレン・オートモーティブからマクラーレン・P1 が発表 はっぴょう された。マクラーレンのホームページでは、P1をF1の”正当 せいとう な後継 こうけい マシン”と記載 きさい している
[56] 。
また、2018年 ねん に発表 はっぴょう されたマクラーレン・スピードテール はセンターシートによる3シーターレイアウトを採用 さいよう しており、マクラーレンからはF1を想起 そうき させるレイアウトとアナウンスされている[57] 。
マクラーレン・オートモーティブとは別 べつ に、ゴードン・マレーによって設立 せつりつ されたゴードン・マレー・オートモーティブ(GMA)から2020年 ねん にT.50 が発表 はっぴょう された。センターシート形状 けいじょう 、車体 しゃたい 下 か の空気 くうき を吸 す いだすファンなどを採用 さいよう しており、マレーからはF1を主眼 しゅがん に置 お いて設計 せっけい ・開発 かいはつ されたことが語 かた られている[58] 。
^ 原文 げんぶん では”It will not go any more than 391”
^ 資料 しりょう によっては”ハイダウンフォースパッケージ”と呼称 こしょう される場合 ばあい もある
^ シャーシナンバー14Rは第 だい 5戦 せん の菅生 すがお でクラッシュしたため、BPRグローバルGTシリーズのチームであるGTCコンペティションからシャーシナンバー04RのF1 GTRを購入 こうにゅう し第 だい 6戦 せん に使用 しよう した。
チーム首脳 しゅのう ※ 主 おも なチームスタッフ※ 現在 げんざい のドライバーF1車両 しゃりょう
現在 げんざい のPUサプライヤー
メルセデス (1995 - 2014, 2021 - )
現在 げんざい のスポンサー主 おも な関係 かんけい 者 しゃ
創設 そうせつ 者 しゃ チーム首脳 しゅのう 主 おも なスタッフ
主 おも なF1ドライバー
1960年代 ねんだい 1970年代 ねんだい 1980年代 ねんだい 1990年代 ねんだい 2000年代 ねんだい 2010年代 ねんだい 2020年代 ねんだい
※年代 ねんだい と順序 じゅんじょ はマクラーレンで初 はつ 出走 しゅっそう した時期 じき に基 もと づく。 ※マクラーレンにおいて優勝 ゆうしょう したドライバーを中心 ちゅうしん に記載 きさい 。太字 ふとじ はマクラーレンにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得 かくとく 。斜体 しゃたい はマクラーレンにおいて優勝 ゆうしょう がないものの特筆 とくひつ されるドライバー。
Can-Am F2 F5000 USAC/CART GT※
※レース用 よう 車両 しゃりょう / サーキット走行 そうこう 専用 せんよう 車 しゃ 。
タイトルスポンサー エンジンサプライヤー