エマニュエル・ピロ

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エマニュエル・ピロ
Emanuele Pirro
エマニュエル・ピロ (2012ねん
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき イタリアの旗 イタリア
生年月日せいねんがっぴ (1962-01-12) 1962ねん1がつ12にち(62さい
出身しゅっしん イタリアの旗 イタリア
どうローマ
基本きほん情報じょうほう
F1での経歴けいれき
活動かつどう時期じき 1989,1990-1991
所属しょぞくチーム '89 ベネトン
'90-'91 スクーデリア・イタリア
出走しゅっそう回数かいすう 40 (37スタート)
タイトル 0
優勝ゆうしょう回数かいすう 0
表彰台ひょうしょうだい(3以内いない)回数かいすう 0
通算つうさん獲得かくとくポイント 3
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦しょせん 1989ねんフランスGP
最終さいしゅうせん 1991ねんオーストラリアGP
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ル・マン24あいだでの経歴けいれき
とし1981,1998-2008,2010
チームマルティーニ・レーシング
GTC・コンペティション
アウディ・スポーツ・ヨースト
チャンピオン・レーシング
ドレイソン・レーシング
最高さいこう1 (2000,2001,2002,2006,2007)
クラス優勝ゆうしょう6 (2000,2001,2002,2003,2006,2007)

エマニュエル・ピロEmanuele Pirro, 1962ねん1がつ12にち - )は、イタリア出身しゅっしんレーシングドライバー。イタリアもっとちか表記ひょうきエマヌエーレ・ピッロ。5ル・マン24あいだレース優勝ゆうしょう経験けいけんつ。

プロフィール[編集へんしゅう]

キャリア初期しょき[編集へんしゅう]

11さいときレーシングカートでレースキャリアを開始かいし1977ねんにイタリア・カートレースでチャンピオンとなった。1980ねんイタリアFフィアット・アバルト転向てんこうし、初年度しょねんどでチャンピオンを獲得かくとくした。

1981ねんヨーロッパF3へステップアップ、F3初年度しょねんどに1しょう記録きろくしランキング6以後いご1983ねんまでの3年間ねんかん参戦さんせんけい6しょう・4PP・3FL記録きろく。2ねんの1982ねんのランキング2最高さいこうとなった。

F2 / F3000[編集へんしゅう]

1984ねん、ヨーロッパF2選手権せんしゅけんにステップアップし、オニクス・レーシングのマーチ・BMWをドライブ。だい10せんドニントン・パークでF2はつ表彰台ひょうしょうだいとなる2獲得かくとくするなどランキング6

1985ねん、F2からF3000レギュレーションに変更へんこうとなった国際こくさいF3000選手権せんしゅけんにオニクスから継続けいぞく参戦さんせんし、2しょうげランキング31986ねんどうシリーズでランキング3獲得かくとくし、F2/F3000クラスではトップクラスであることを証明しょうめいする。よく1987ねんのF1シート獲得かくとく希望きぼうし、2シーズンまえまでF1に参戦さんせんしていたRAM創設そうせつしゃでありマネージャーのジョン・マクドナルドとコンタクトをった。

世界せかいツーリングカー選手権せんしゅけんにも1986ねん・1987ねんBMW ETC M3のドライバーとして参戦さんせんしており、けい3しょうげた。

F1予備よびぐん[編集へんしゅう]

1987ねんぜん2ねん国際こくさいF3000での実績じっせきからF1参戦さんせん目指めざしており、前述ぜんじゅつのジョン・マクドナルドがあらたにマネージャーとして指揮しきするミドルブリッジ・レーシングのF1参戦さんせん計画けいかくのドライバーとしてピロと契約けいやく。ピロはこの交渉こうしょうときマクドナルドに「自分じぶんはツーリングカーでBMWと良好りょうこう関係かんけいきずいているから、自分じぶん契約けいやくしてくれればF1ようのターボエンジンをBMWが供給きょうきゅうしてくれる」とアピールしみのったものだった。マシンは1ねんがたちとなるベネトン・B186で、だい11せんイタリアグランプリからの4せん出場しゅつじょうすることがまり[1]コンコルド協定きょうていぜんチームの承認しょうにんサインもなされていたが、だい10せんオーストリアGPでスタート直後ちょくご多重たじゅうクラッシュが連続れんぞく発生はっせいし2スタートがやりなおしになったことを理由りゆうに、参戦さんせん承認しょうにんしていたFISAが土壇場どたんばで「スタート台数だいすうやすのは妥当だとうではない」とミドルブリッジ・ベネトンおよびピロのF1参戦さんせんみとめない方針ほうしん変更へんこうしてしまった[2]同年どうねんのピロはこのミドルブリッジF1計画けいかく注力ちゅうりょくしていたため、レース活動かつどう機会きかいうしなってしまった。

1988ねんより、F1のマクラーレン・ホンダからテストドライバーの要請ようせいけ、以後いご3年間ねんかんマクラーレン現行げんこうマシンでホンダF1エンジンのテスト走行そうこう・マシン開発かいはつ従事じゅうじくわえて同年どうねんより全日本ぜんにほんF3000チーム・ルマンからレギュラー参戦さんせん、ランキング3獲得かくとくする。

1989ねん全日本ぜんにほんF3000と富士ふじGC継続けいぞく参戦さんせんしていたが、ピロはブラバムなどF1チームとも交渉こうしょうつづけており、ラルースのファクトリーでシートわせをますなど、最終さいしゅう段階だんかいまで進展しんてんした交渉こうしょうもあった[注釈ちゅうしゃく 1]

そんななかベネトンあし負傷ふしょう悪化あっかとチーム上層じょうそう権力けんりょくあらそいのてチームをわれたジョニー・ハーバート後任こうにんとしてF1だい7せんフランスGPでのF1デビューのオファーがとどき、日本にっぽんでの最後さいごのF3000レースとなった1989ねんだい4せん鈴鹿すずかでは、優勝ゆうしょうかざった。

ホンダF1エンジンのテストチームでのピロを後藤ごとうおさむは、「つねいている印象いんしょうで、雰囲気ふんいき中嶋なかじま選手せんしゅちかかんじですね。あらゆる状況じょうきょう均一きんいつした判断はんだん出来でき有能ゆうのうなドライバーです」とひょうしている。急遽きゅうきょF1デビューがまり、以後いご予定よていされていたテストに参加さんかできないと報告ほうこくするため、後藤ごとう電話でんわをかけあやまってたというピロに後藤ごとうは「F1デビューは素晴すばらしいことだからにしないで頑張がんばって」とエールをおくったという。マスコミ対応たいおう後藤ごとうは「ホンダとしては(86ねんにホンダF1エンジンテストを担当たんとうした)中嶋なかじま選手せんしゅとピロの二人ふたりをF1におくりだせたのですから、すごいことだとおもってますしよろこびもあります」とべた[3]

F1[編集へんしゅう]

F1参戦さんせんのピロ(写真しゃしん1989ねんベルギーGP

1989ねんシーズン、ベネトンはアレッサンドロ・ナニーニ新人しんじんハーバートのコンビでシーズン開幕かいまくむかえたが、前年ぜんねん国際こくさいF3000でったあしきずえぬハーバートの成績せいせき安定あんていせず、休養きゅうようさせるあん浮上ふじょう。その後任こうにんとしてミケーレ・アルボレート[4]ケケ・ロズベルグ[5]交渉こうしょうしたがわず、ホンダF1テストドライバーとして走行そうこう実績じっせきち、マクラーレンのマシンをよくるピロが抜擢ばってきされベネトンのレギュラーシートをた。

しかしナニーニにたいしタイムでおくれをり、予選よせんでは1しょう9はい決勝けっしょうでもナニーニがF1はつ優勝ゆうしょうふくめ4(ピロとんだのちかぎれば3表彰台ひょうしょうだいったのにたいし、ピロの入賞にゅうしょう豪雨ごううとなった最終さいしゅうせんオーストラリアGPでの5のみという成績せいせきわった。ドイツGPホッケンハイムリンクではストレートエンドでマシンコントロールをうしない、高速こうそくでスチロールせいクラッシュパッドにぶつかり、マシンから自力じりき脱出だっしゅつできずにレスキューされる様子ようすすべてTV中継ちゅうけいされ容態ようだい心配しんぱいされる一幕ひとまくもあった[6]結果けっかてきには6せんのみの参戦さんせんであるハーバートにたいしても、ポイント・最高さいこうともに下回したまわり、シーズンがわるまえにチームは来季らいきのナニーニ残留ざんりゅうネルソン・ピケ獲得かくとく発表はっぴょうしたため、ピロのベネトン離脱りだつまった。

1990ねんBMSスクーデリア・イタリア移籍いせきアンドレア・デ・チェザリスとのイタリアンコンビとなった。ピロは開幕かいまく戦前せんぜん体調たいちょう悪化あっかさせるとウイルスせい肝炎かんえん診断しんだんされ、開幕かいまく2せん欠場けつじょう[7]だい3せんサンマリノGPから参戦さんせんするもBMS190完走かんそう出来できないマシンでリタイヤがおおく、14レースちゅう完走かんそうは3かい最高さいこう10という成績せいせきでノーポイントにわった。デ・チェザリスの最高さいこうも10でポイント獲得かくとくできなかった。チームは年間ねんかんのべ23のリタイアという不振ふしんとしとなった。

スクーデリア・イタリア時代じだいのピロ(写真しゃしん1991ねんアメリカGP

1991ねんはスクーデリア・イタリアに残留ざんりゅう。デ・チェザリスがった後任こうにんとしてJ.J.レートがチームメイトに加入かにゅう。このシーズンにけてチームはジャッドV10エンジンを獲得かくとくし、前年ぜんねんのDFRエンジンよりもパワーアップしたマシンであった。前年ぜんねん不振ふしんのためチームは開幕かいまく予備よび予選よせんくみ降格こうかくしていたが、レートがだい3せんサンマリノGPで3表彰台ひょうしょうだいち、ピロもだい4せんモナコGPで6入賞にゅうしょうダラーラせいBMS191前年ぜんねん発展はってんがたではなくまったあたらしく設計せっけいされたマシンであり、レートは予備よび予選よせんなど問題もんだいにしなかった。しかしピロはシーズン前半ぜんはんに3予備よび予選よせんちをきっしており、決勝けっしょうレースでの完走かんそうはピロのほうおおかったが、同年どうねんをもってチームはピロとの契約けいやく延長えんちょうせずにピエルルイジ・マルティニ契約けいやく。そのためシーズンオフにティレル交渉こうしょうするも契約けいやくいたらず[8]、F1シートをうしなうこととなった。

F1、ル・マンでの活躍かつやく[編集へんしゅう]

アウディ・R10 TDIるピロ
写真しゃしんは2006ねんラグナ・セカにて)

F1のシート確保かくほあやうくなっていた1991ねんあき日本にっぽんGP翌週よくしゅう開催かいさいされた全日本ぜんにほんF3000だい10せん富士ふじとSWC最終さいしゅうせんオートポリス同日どうじつ開催かいさいとなっていたため日本にっぽんのこり、ハヤシレーシングから全日本ぜんにほんF3000に参戦さんせんしていたジェフ・リースがSWC参戦さんせんのため欠場けつじょうする代役だいやくとして全日本ぜんにほんF3000へ復帰ふっき参戦さんせんした[9]

そのはスポーツカー・レースに転向てんこう。1994ねん・1995ねんにはイタリア・ツーリングカー選手権せんしゅけん、1996ねんはドイツのSTWカップでチャンピオンを獲得かくとくするなどの成績せいせきのこす。

とくル・マン24あいだレースにおいては1999ねんからアウディ参戦さんせん。2000ねん〜2002ねん、2006ねん・2007ねんと5わた優勝ゆうしょう経験けいけん成功せいこうおさめた。

FIAよりF1のレーススチュワードに任命にんめいされ、2010ねんアブダビグランプリ[10]2011ねんマレーシアグランプリ2013ねん韓国かんこくグランプリなどで任務にんむいている[11]

2023ねん4がつ古巣ふるすマクラーレン加入かにゅうし、どうチームのドライバー育成いくせいプログラムの責任せきにんしゃ就任しゅうにんした[12]。しかし1ねんの2024ねん4がつにはマクラーレンを離脱りだつしている[13]

レース戦績せんせき[編集へんしゅう]

ル・マン24あいだレース[編集へんしゅう]

とし チーム コ・ドライバー 車両しゃりょう クラス 周回しゅうかいすう 総合そうごう
順位じゅんい
クラス
順位じゅんい
1981ねん イタリアの旗 マルティーニ・レーシング イタリアの旗 ベッペ・ガビアーニ ランチア・ベータ・モンテカルロ Gr.5 47 DNF DNF
1998ねん イギリスの旗 ガルフ・チーム・ダビドフ
イギリスの旗 GTC・コンペティション
ドイツの旗 Dr. トーマス・ブシャー
イタリアの旗 リナルド・カペッロ
マクラーレン・F1 GTR-BMW GT1 228 DNF DNF
1999ねん ドイツの旗 アウディ・スポーツ・チーム・ヨースト ドイツの旗 フランク・ビエラ
ベルギーの旗 ディディエ・ゼイス
アウディ・R8R LMP 360 3 2
2000ねん デンマークの旗 トム・クリステンセン
ドイツの旗 フランク・ビエラ
アウディ・R8 LMP900 368 1 1
2001ねん デンマークの旗 トム・クリステンセン
ドイツの旗 フランク・ビエラ
321 1 1
2002ねん デンマークの旗 トム・クリステンセン
ドイツの旗 フランク・ビエラ
375 1 1
2003ねん アメリカ合衆国の旗 チャンピオン・レーシング スウェーデンの旗 ステファン・ヨハンソン
フィンランドの旗 J.J.レート
372 3 1
2004ねん アメリカ合衆国の旗 ADTチャンピオン・レーシング フィンランドの旗 J.J.レート
ドイツの旗 マルコ・ヴェルナー
LMP1 368 3 3
2005ねん ドイツの旗 フランク・ビエラ
イギリスの旗 アラン・マクニッシュ
364 3 3
2006ねん ドイツの旗 アウディ・スポーツ・チーム・ヨースト ドイツの旗 フランク・ビエラ
ドイツの旗 マルコ・ヴェルナー
アウディ・R10 TDI 380 1 1
2007ねん ドイツの旗 フランク・ビエラ
ドイツの旗 マルコ・ヴェルナー
369 1 1
2008ねん ドイツの旗 アウディ・スポーツ・ノース・アメリカ ドイツの旗 フランク・ビエラ
ドイツの旗 マルコ・ヴェルナー
367 6 6
2010ねん イギリスの旗 ドレイソン・レーシング イギリスの旗 ポール・ドレイソン
イギリスの旗 ジョニー・コッカー
ローラ・B09/60-ジャッド 254 NC NC

ヨーロピアン・フォーミュラ3選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 Pos. Pts
1981ねん スクーデリア・トリノ・コルセ マルティニ・Mk34 トヨタ・2T-G VLL
Ret
NÜR
Ret
DON
14
ÖST
10
ZOL
11
MAG
Ret
LAC
11
ZAN
Ret
SIL
23
CET
3
MIS
5
KNU
6
JAR
4
IMO
Ret
MUG
1
6 19
1982ねん ユーロレーシング ユーロレーシング・101 アルファロメオ MUG
2
NÜR
4
DON
4
ZOL
5
MAG
5
ÖST
1
ZAN
Ret
SIL
1
MNZ
2
PER
2
LAC
DNS
KNU
2
NOG
6
JAR
Ret
KAS
1
2 61
1983ねん MCモータースポーツ ラルト・RT3 VLL
1
NÜR
C
ZOL
1
MAG
13
ÖST
3
LAC
Ret
SIL
Ret
MNZ
6
MIS
Ret
ZAN
3
KNU
3
NOG
2
JAR
2
IMO
4
DON
9
CET
2
3 52

ヨーロピアン・フォーミュラ2選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位じゅんい ポイント
1984ねん オニクス・レース・エンジニアリング マーチ・842 BMW SIL
6
HOC
4
THR
4
VLL
12
MUG
4
PAU
Ret
HOC
Ret
MIS
Ret
PER
6
DON
2
BRH
6
6 18

国際こくさいフォーミュラ3000[編集へんしゅう]

とし エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位じゅんい ポイント
1985ねん オニクス・レーシング マーチ・85B コスワース SIL
7
THR
1
EST
4
NÜR
C
VLL
1
PAU
2
SPA
Ret
DIJ
Ret
PER
2
ÖST
4
ZAN
5
DON
Ret
3 38
1986ねん マーチ・86B SIL
2
VLL
3
PAU
2
SPA
19
IMO
Ret
MUG
6
PER
13
ÖST
Ret
BIR
Ret
BUG
1
JAR
2
3 29
  • 太字ふとじポールポジションはすファステストラップ。(key)
  •  : ハーフポイント。レース周回しゅうかいすうが75%未満みまん中断ちゅうだん終了しゅうりょうしたため、得点とくてん半分はんぶんとなる。

全日本ぜんにほんフォーミュラ3000選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 DC ポイント
1988ねん Team LeMans SUZ
9
FUJ
5
MIN
2
SUZ
4
SUG
2
FUJ
4
SUZ
3
SUZ
4
3 25
1989ねん SUZ
5
FUJ
Ret
MIN
Ret
SUZ
1
SUG FUJ SUZ SUZ 6 11
1991ねん Team Hayashi SUZ AUT FUJ MIN SUZ SUG FUJ SUZ FUJ
C
SUZ FUJ NC 0

フォーミュラ1[編集へんしゅう]

とし エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1989ねん ベネトン B188 フォード・コスワース DFR 3.5 V8 BRA SMR MON MEX USA CAN FRA
9
GBR
11
23 2
B189 フォード HBA4 3.5 V8 GER
Ret
HUN
8
BEL
10
ITA
Ret
POR
Ret
ESP
Ret
JPN
Ret
AUS
5
1990ねん スクーデリア・イタリアダラーラ 190 フォード・コスワース DFR 3.5 V8 USA BRA SMR
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
MEX
Ret
FRA
Ret
GBR
11
GER
Ret
HUN
10
BEL
Ret
ITA
Ret
POR
15
ESP
Ret
JPN
Ret
AUS
Ret
NC 0
1991ねん 191 ジャッド GV 3.5 V10 USA
Ret
BRA
11
SMR
DNPQ
MON
6
CAN
9
MEX
DNPQ
FRA
DNPQ
GBR
10
GER
10
HUN
Ret
BEL
8
ITA
10
POR
Ret
ESP
15
JPN
Ret
AUS
7
18 1

きゅうドイツツーリングカー選手権せんしゅけんげんドイツツーリングカー選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム 車両しゃりょう 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 順位じゅんい ポイント
1989ねん BMW M チーム・シュニッツァー BMW・M3 Evo ZOL
1
ZOL
2
HOC
1
HOC
2
NÜR
1
NÜR
2
MFA
1
MFA
2
AVU
1
AVU
2
NÜR
1

DNS
NÜR
2

DNS
NOR
1
NOR
2
HOC
1
HOC
2
DIE
1
DIE
2
NÜR
1
NÜR
2
HOC
1
HOC
2
NC 0
1990ねん シュニッツァー・モータースポーツ BMW・M3 Sport Evo ZOL
1
ZOL
2
HOC
1
HOC
2
NÜR
1
NÜR
2
AVU
1
AVU
2
MFA
1
MFA
2
WUN
1
WUN
2
NÜR
1
NÜR
2
NOR
1
NOR
2
DIE
1
DIE
2
NÜR
1

1
NÜR
2

3
HOC
1

7
HOC
2

11
15 36
1992ねん BMW M チーム・ビガッツィ BMW・M3 Sport Evo ZOL
1

6
ZOL
2

3
NÜR
1

14
NÜR
2

3
WUN
1

Ret
WUN
2

16
AVU
1

23
AVU
2

3
HOC
1

10
HOC
2

Ret
NÜR
1

21
NÜR
2

10
NOR
1

6
NOR
2

8
BRN
1

3
BRN
2

Ret
DIE
1

Ret
DIE
2

Ret
ALE
1

6
ALE
2

10
NÜR
1

Ret
NÜR
2

8
HOC
1

9
HOC
2

5
12 85
2004ねん アウディ・スポーツ・チーム・ヨースト アウディ・A4 DTM 2004 HOC
7
EST
11
ADR
9
LAU
6
NOR
9
SHA1
Ret
NÜR
11
OSC
15
ZAN
7
BRN
5
HOC
Ret
11 11

イタリア・ツーリングカー選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム 車両しゃりょう クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位じゅんい ポイント
1992ねん CiBiエンメ・エンジニアリング BMW・M3 Sport Evolution S1 MNZ
1

4
MNZ
2

3
MAG
1

3
MAG
2

1
MUG
1
MUG
2
BIN
1
BIN
2
VAL
1

4
VAL
2

3
IMO
1
IMO
2
MIS
1

Ret
MIS
2

6
PER
1
PER
2
VAR
1
VAR
2
MNZ
1
MNZ
2
NC 0
1993ねん スクーデリア・ビガッツィ BMW・318i - MNZ
1
MNZ
2
VAL
1
VAL
2
MIS
1
MIS
2
MAG
1
MAG
2
BIN
1
BIN
2
IMO
1
IMO
2
VAR
1
VAR
2
MIS
1
MIS
2
PER
1

5
PER
2

4
MUG
1

4
MUG
2

Ret
13 28
1994ねん アウディ・スポーツ・イタリア アウディ・80 Quattro - MNZ
1

2
MNZ
2

2
VAL
1

10
VAL
2

1
MAG
1

1
MAG
2

1
BIN
1

1
BIN
2

1
MIS
1

4
MIS
2

4
VAL
1

2
VAL
2

1
MUG
1

4
MUG
2

2
PER
1

4
PER
2

4
VAR
1

2
VAR
2

2
MUG
1

10
MUG
2

2
1 269.5
1995ねん アウディ・A4 Quattro - MIS
1

2
MIS
2

1
BIN
1

1
BIN
2

1
MNZ
1

1
MNZ
2

2
IMO
1

1
IMO
2

1
MAG
1

1
MAG
2

2
MUG
1

3
MUG
2

5
MIS
1

1
MIS
2

1
PER
1

5
PER
2

4
VAR
1

2
VAR
2

1
VAL
1

1
VAL
2

2
1 317
1996ねん A.Z.K./ROC - MUG
1
MUG
2
MAG
1
MAG
2
MNZ
1
MNZ
2
BIN
1
BIN
2
MIS
1
MIS
2
IMO
1
IMO
2
PER
1
PER
2
PER
1
PER
2
VAR
1
VAR
2
VAL
1

5
VAL
2

4
15 18

ドイツ・スーパーツーリング選手権せんしゅけん[編集へんしゅう]

とし チーム 車両しゃりょう 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位じゅんい ポイント
1994ねん レーシング・オーガニゼーション・コース アウディ・80 Quattro Competition AVU
2
WUN
3
ZOL
3
ZAN
2
ÖST
4
SAL
Ret
SPA
5
NÜR
2
3 87
1995ねん アウディ・A4 Quattro ZOL
1
ZOL
2
SPA
1
SPA
2
ÖST
1
ÖST
2
HOC
1
HOC
2
NÜR
1
NÜR
2
SAL
1
SAL
2
AVU
1

10
AVU
2

7
NÜR
1

1
NÜR
2

1
16 105
1996ねん A.Z.K./ROC ZOL
1

1
ZOL
2

1
ASS
1

3
ASS
2

2
HOC
1

1
HOC
2

1
SAC
1

3
SAC
2

1
WUN
1

2
WUN
2

1
ZWE
1

2
ZWE
2

3
SAL
1

8
SAL
2

10
AVU
1

4
AVU
2

1
NÜR
1

1
NÜR
2

1
1 678
1997ねん HOC
1

11
HOC
2

9
ZOL
1

4
ZOL
2

10
NÜR
1

20
NÜR
2

7
SAC
1

6
SAC
2

Ret
NOR
1

5
NOR
2

3
WUN
1

Ret
WUN
2

Ret
ZWE
1

4
ZWE
2

1
SAL
1

13
SAL
2

7
REG
1

19
REG
2

11
NÜR
1

13
NÜR
2

10
6 357
1998ねん アプト・スポーツライン・チーム・アウディ アウディ・A4 HOC
1

16
HOC
2

7
NÜR
1

Ret
NÜR
2

13
SAC
1

17
SAC
2

Ret
NOR
1

19
NOR
2

19
REG
1

13
REG
2

8
WUN
1

Ret
WUN
2

Ret
ZWE
1

14
ZWE
2

Ret
SAL
1

7
SAL
2

2
OSC
1

7
OSC
2

Ret
NÜR
1

10
NÜR
2

12
16 205

アメリカン・ル・マン・シリーズ[編集へんしゅう]

とし チーム クラス シャシー エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ランク ポイント
1999ねん アウディ・スポーツ・チーム・ヨースト LMP アウディ・R8R アウディ 3.6 L Turbo V8 M SEB
ovr:5
cls:5
ATL MOS SON POR PET MON LSV 52 20
2000ねん アウディ・スポーツ・ノース・アメリカ アウディ・R8 SEB
ovr:1
cls:1
NÜR
ovr:3
cls:3
SON
ovr:2
cls:2
MOS
ovr:Ret
cls:Ret
TEX
ovr:1
cls:1
ROS
ovr:4
cls:4
PET
ovr:2
cls:2
MON
ovr:2
cls:2
LSV
ovr:1
cls:1
ADE
ovr:15
cls:5
3 232
アウディ・R8R CHA
ovr:6
cls:6
SIL
ovr:5
cls:5
2001ねん LMP900 アウディ・R8 TEX
ovr:2
cls:2
SEB
ovr:2
cls:2
DON
ovr:2
cls:2
JAR
ovr:2
cls:2
SON
ovr:2
cls:2
POR
ovr:2
cls:2
MOS
ovr:1
cls:1
MID
ovr:4
cls:4
MON
ovr:1
cls:1
PET
ovr:1
cls:1
1 202
2002ねん SEB
ovr:5
cls:5
SON
ovr:14
cls:8
MID
ovr:1
cls:1
AME
ovr:2
cls:2
WAS
ovr:3
cls:3
TRO
ovr:2
cls:2
MOS
ovr:Ret
cls:Ret
MON
ovr:1
cls:1
MIA
ovr:1
cls:1
PET
ovr:6
cls:6
4 206
2003ねん ADTチャンピオン・レーシング SEB
ovr:2
cls:2
ATL SON TRO MOS AME MON MIA PET 18 2
2004ねん LMP1 SEB
ovr:2
cls:2
MID LIM SON POR MOS AME PET MON 13 22
2005ねん SEB
ovr:2
cls:2
ATL
ovr:3
cls:3
MID
ovr:2
cls:2
LIM
ovr:2
cls:2
SON
ovr:1
cls:1
POR
ovr:1
cls:1
AME
ovr:1
cls:1
MOS
ovr:3
cls:3
PET
ovr:1
cls:1
MON
ovr:2
cls:2
1 182
2006ねん アウディ・スポーツ・ノース・アメリカ アウディ・R10 TDI アウディ 5.5L Turbo V12 (Diesel) SEB TEX MID LIM UTA
ovr:1
cls:1
POR
ovr:2
cls:2
AME
ovr:1
cls:1
MOS
ovr:4
cls:4
PET
ovr:7
cls:5
MON
ovr:2
cls:2
5 80
2007ねん SEB
ovr:1
cls:1
STP
ovr:2
cls:2
LNB
ovr:9
cls:2
TEX
ovr:12
cls:2
UTA
ovr:6
cls:2
LIM
ovr:23
cls:4
MID
ovr:3
cls:1
AME
ovr:3
cls:2
MOS
ovr:4
cls:2
DET
ovr:2
cls:1
PET MON 4 175
2008ねん SEB STP
ovr:Ret
cls:Ret
LNB
ovr:2
cls:2
UTA
ovr:Ret
cls:Ret
LIM
ovr:21
cls:3
MID
ovr:2
cls:2
AME
ovr:2
cls:2
MOS
ovr:2
cls:2
DET
ovr:DSQ
cls:DSQ
PET
ovr:1
cls:1
MON
ovr:2
cls:2
3 156
2010ねん ドレイソン・レーシング ローラ・B09/60 ジャッド GV5.5 S2 5.5 L V10 SEB
ovr:12
cls:4
LNB MON
ovr:Ret
cls:Ret
UTA
ovr:2
cls:2
LIM MID AME MOS PET 12 46

マカオグランプリ・ギア[編集へんしゅう]

とし チーム 車両しゃりょう クラス 順位じゅんい
1989ねん ドイツの旗 チーム・シュニッツァー BMW M3 Sport Evolution Group A Division 2 DNF
1990ねん 2
1991ねん ドイツの旗 ワトソンズ・チーム・シュニッツァー DTM 1
1992ねん ドイツの旗 モービル1・チーム・シュニッツァー 1
1993ねん ドイツの旗 ワトソンズ・チーム・シュニッツァー BMW・E318i FIA Class 2 1

エピソード[編集へんしゅう]

  • F1デビュー日本にっぽんGPでのさい来日らいにちには「日本にっぽんには2ねんんでいたからね。特別とくべつ感情かんじょうがあるよ。」とコメントしている[14]
  • 好物こうぶつの1つに寿司すしがあった。
  • なかいドライバーはパオロ・バリッラ
  • 1991ねんのサンマリノGP予備よび予選よせんにおいて、トラブルがたチームメイトのJ.J.レートにTカーをしたところ、レートは予備よび予選よせん通過つうかし、自分じぶん終了しゅうりょう直前ちょくぜんに5ち(4までが予備よび予選よせん通過つうか通過つうかとなった。貧乏びんぼうくじをひいたピロは、いきどおりからか決勝けっしょうたず帰宅きたく決勝けっしょうにおけるレートの3表彰台ひょうしょうだい現場げんば見届みとどけることはなかった(レートはだいよろこびでピロのかたはたき、ピロは苦笑くしょうしていた)。
  • つづだい4せんモナコGP予選よせんでは、クレーンでの移動いどうさいかべにヒットさせるというマーシャルの不手際ふてぎわにより、レートのマシンが破損はそん。このさいピロはまえせんことなり、レートにTカーをすことを拒否きょひしたという。
  • 1990ねん開幕かいまく入院にゅういんした原因げんいんは、のカテゴリーに出場しゅつじょうしてたからともわれていた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ピロは6月29にちおこなわれたシルバーストン合同ごうどうテストでラルース・ローラ・LC89最終さいしゅうオーディションをました。 グランプリ・エクスプレス 1989フランスGPごう 29ぺーじ 1989ねん7がつ29にち発行はっこう

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ E.ピロが新生しんせいチームでオーストリアGPから参戦さんせんGPX 1987イギリスGPごう 29ぺーじ 山海さんかいどう 1987ねん8がつ5にち発行はっこう
  2. ^ 無念むねん!!ミドルブリッジF1出走しゅっそうかなわず GPX 1987ねんイタリアGPごう 30ぺーじ 山海さんかいどう 1987ねん9がつ25にち発行はっこう
  3. ^ ホンダ日記にっき「ピッロはよろこんでおくりだしてあげました」グランプリ・エクスプレス 1989フランスGPごう 30ぺーじ 1989ねん7がつ29にち発行はっこう
  4. ^ ミケーレ・アルボレートの告白こくはく Racing On No.058 1989ねん たけしゅう書房しょぼう
  5. ^ '82チャンプ・ロズベルグ プジョーでレース復帰ふっき! グランプリエクスプレス '90西にしドイツGPごう 30ぺーじ 1990ねん8がつ18にち発行はっこう
  6. ^ Doctors help Emanuele Pirro out of his Benetton-Ford after a crash Grand Prix Photo.com
  7. ^ カフィとピッロが欠場けつじょう:ピッロはウイルスせい肝炎かんえんのために復帰ふっきまでしばらく時間じかんがかかる模様もよう。 GPX 1990ねんアメリカGPごう 30ぺーじ 山海さんかいどう 1990ねん3がつ31にち発行はっこう
  8. ^ デ・チェザリスすべみでティレル決定けってい、ザナルディらはじかれる グランプリ・エクスプレス プレシーズンごう NEWSTOPICS 38・39ぺーじ 1992ねん3がつ7にち発行はっこう
  9. ^ ピッロとアダムズが代役だいやくでF3000に Racing On No.110 40ぺーじ たけしゅう書房しょぼう 1991ねん12月15にち発行はっこう
  10. ^ “Pirro to be F1 steward in Abu Dhabi”. Yalla F1.com. (2010ねん11月10にち). http://www.yallaf1.com/2010/11/10/pirro-to-be-f1-steward-in-abu-dhabi/ 2011ねん5がつ11にち閲覧えつらん 
  11. ^ “Pirro to steward in Malaysia this weekend”. Yalla F1.com. (2011ねん4がつ6にち). http://www.yallaf1.com/2011/04/06/pirro-to-steward-in-malaysia-this-weekend/ 2011ねん5がつ11にち閲覧えつらん 
  12. ^ マクラーレン、ドライバー育成いくせい体制たいせい一新いっしん。ル・マンで活躍かつやくしたもとF1ドライバーのエマニュエル・ピロが責任せきにんしゃ - motorsport.com 2023ねん4がつ22にち
  13. ^ もとF1ドライバーでル・マン勝者しょうしゃのエマニュエル・ピロ、指揮しきったマクラーレンの若手わかて育成いくせいプログラムをはなれる - オートスポーツ・2024ねん4がつ4にち
  14. ^ スクーデリア・イタリアSpA 21.エマニュエル・ピロ 1991F1日本にっぽんグランプリ公式こうしきプログラム 61ぺーじ 鈴鹿すずかサーキットランド 1991ねん10がつ発行はっこう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

タイトル
先代せんだい
ピエルルイジ・マルティニ
ヤニック・ダルマス
ヨアヒム・ヴィンケルホック
ル・マン24あいだ優勝ゆうしょうしゃ
2000 with:
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
次代じだい
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
エマニュエル・ピロ
先代せんだい
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
エマニュエル・ピロ
ル・マン24あいだ優勝ゆうしょうしゃ
2001 with:
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
次代じだい
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
エマニュエル・ピロ
先代せんだい
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
エマニュエル・ピロ
ル・マン24あいだ優勝ゆうしょうしゃ
2002 with:
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
次代じだい
トム・クリステンセン
リナルド・カペッロ
ガイ・スミス
先代せんだい
J.J.レート
マルコ・ヴェルナー
トム・クリステンセン
ル・マン24あいだ優勝ゆうしょうしゃ
2006 with:
フランク・ビエラ
マルコ・ヴェルナー
次代じだい
フランク・ビエラ
マルコ・ヴェルナー
エマニュエル・ピロ
先代せんだい
フランク・ビエラ
マルコ・ヴェルナー
エマニュエル・ピロ
ル・マン24あいだ優勝ゆうしょうしゃ
2007 with:
フランク・ビエラ
マルコ・ヴェルナー
次代じだい
リナルド・カペッロ
アラン・マクニッシュ
トム・クリステンセン