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ランボルギーニ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アウトモービリ・ランボルギーニ
Automobili Lamborghini S.p.A.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち イタリアの旗 イタリア
サンターガタ・ボロニェーゼ
設立せつりつ 1963ねん5がつ7にち (61ねんまえ) (1963-05-07)
業種ぎょうしゅ 自動車じどうしゃ製造せいぞう.農業のうぎょう機械きかい製造せいぞう
事業じぎょう内容ないよう 自動車じどうしゃ製造せいぞう,販売はんばい
代表だいひょうしゃ ステファン・ヴィンケルマンCEO
売上うりあげだか 1790おくえん(2018ねん
主要しゅよう株主かぶぬし ドイツの旗 アウディ
主要しゅよう子会社こがいしゃ ドゥカティ
イタルデザイン・ジウジアーロ
関係かんけいする人物じんぶつ フェルッチオ・ランボルギーニ(創業そうぎょうしゃ
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アウトモービリ・ランボルギーニ(Automobili Lamborghini S.p.A. イタリア発音はつおん[autoˈmɔːbili lamborˈɡiːni])は、イタリア高級こうきゅうスポーツカーおよびSUVブランド、製造せいぞう会社かいしゃである。サンタアガタ・ボロニェーゼ本社ほんしゃく。フォルクスワーゲン・グループ子会社こがいしゃアウディつうじて所有しょゆうしている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

ランボルギーニのトラクター、プレミアム1050
フェルッチオ・ランボルギーニハラマ(1970ねん

創業そうぎょうしゃであるフェルッチオ・ランボルギーニは、だい世界せかい大戦たいせん、イタリアにトラック不足ふそくしていることに[1]ぐん放出ほうしゅつするトラックを民生みんせい改造かいぞう販売はんばいすることでとみた。大戦たいせんちゅうロドスとうにて兵器へいきメンテナンスたっていたかれ経験けいけんかされるかたちとなった。1947ねん当時とうじから自動車じどうしゃであったかれは、これを元手もとでちいさなチューニングショップをひらいた。

1948ねんかれ友人ゆうじんともミッレミリア参戦さんせんした。車両しゃりょうフィアット・トポリーノで、自作じさくOHVヘッドせられていた。しかし途中とちゅう友人ゆうじん運転うんてんあやまり、レストランにんでしまう。このさいかれ友人ゆうじんとも車外しゃがいされ、だいケガをった。のちかれレースかいから距離きょりくようになったのは、この経験けいけん一因いちいんであるとされている。

そのかれはトラックにつづいてトラクター自社じしゃ開発かいはつみ、1949ねんランボルギーニ・トラットリーチ SpA設立せつりつした。当初とうしょはただ同然どうぜんれたぐん放出ほうしゅつ車両しゃりょうモーリスエンジンをもちいた一般いっぱんてきなものであったが、のちみずか開発かいはつした排気はいきねつ軽油けいゆ気化きかするイン・パボリザトーレというシステムを使つかって高性能こうせいのうなトラクターをつくった。これは当時とうじ高価こうかであったガソリンをエンジンの始動しどう暖気だんき使つかうだけでみ、のち安価あんか軽油けいゆ充分じゅうぶんうごかせたため、だいヒットにつながった。また1960ねんにはランボルギーニ・ブルチアトーリ SpA設立せつりつし、ボイラーエアコン製造せいぞう販売はんばい手掛てがけ、これも成功せいこうおさめた。

きょまんざいきずいたかれエキゾチックカー収集しゅうしゅうするようになる。しかし、どのくるまあつすぎたり、スピードが十分じゅうぶんでなかったり、せますぎたりしたため、フェルッチオを満足まんぞくさせるものではなかった。のちにエキゾチックカーの生産せいさんしたフェルッチオは、「助手じょしゅせきすわるレディのメイクアップが(あせで)ちないような快適かいてきくるまつくりたい」とかたったという。やがてかれとみ象徴しょうちょうフェラーリのオーナーとなるが、当時とうじのフェラーリにはクラッチ決定的けっていてき欠陥けっかんがあった。所有しょゆうするフェラーリの度重たびかさなるクラッチ故障こしょうあたまいためたかれは、自社じしゃのトラクター工場こうじょうでフェラーリを修理しゅうりすることをおもいつく。いざクラッチを分解ぶんかいしてみると、使つかわれていたのはなんと自社じしゃのトラクターようパーツと同型どうけいボーグ&ベックせいのクラッチばんであり、しかもまった同一どういつのパーツにフェラーリはトラクターようじゅうばい値段ねだんけていた。フェラーリは当時とうじすぐにこわれたので、自分じぶんでフェラーリにけないようなスーパーカーをつくりたいとかんがえた。

元々もともと優秀ゆうしゅうメカニックでもあったかれは、クラッチ修理しゅうり同時どうじにフェラーリに装着そうちゃくされていたウェーバーせいのダウンドラフトがたキャブレターをサイドドラフトがたものあらため、シリンダーヘッドをオリジナルのSOHCから当時とうじ市販しはんのフェラーリに採用さいようされていなかったDOHC改造かいぞうした。完成かんせいしたくるま公道こうどうでのテスト走行そうこうなか新型しんがたフェラーリを「カモ」にできるほどはやかったという。

既存きそんのエキゾチックカーにすくなからず不満ふまんいていたかれは、これがきっかけで自動車じどうしゃビジネスに決意けついをしたといわれる。前述ぜんじゅつのフェラーリのパーツにられるような高額こうがく価格かかく設定せっていれ、「この商売しょうばいもうかる」とんでもいた。フェルッチオはこのとき、有望ゆうぼうビジネスモデルとして高級こうきゅうしゃ業界ぎょうかいており、スポーツカーへの愛情あいじょうとその財力ざいりょく背景はいけいにアウトモービリの創設そうせつ決意けついした。

Lamborghini 350 GTV
Lamborghini 350 GTV リア

この1963ねんトリノショーに出品しゅっぴんされた350GTVは非常ひじょう独創どくそうせいにあふれたフランコ・スカリオーネのデザインによるボディラインをち、性能せいのうめん上質じょうしつなインテリアとう一定いってい評価ひょうかたが、居住きょじゅうせいやGTとしての使つか勝手がって酷評こくひょうける。 このひょうけてすぐにフェルッチオは根本こんぽんてき改修かいしゅう指示しじ翌年よくねんカロッツェリア・トゥーリングにより手直てなおしをけたボディをまつわった市販しはんしゃとしてのだいいちごう350GTをロールアウト。ここに市販しはんしゃメーカーとしてのアウトモービリ・ランボルギーニの歴史れきしまくげた。

ランボルギーニ・350GT

当初とうしょこそ、伝統でんとうのあるマセラティやフェラーリをいにされてはトラクターメーカーとしての出自しゅつじ揶揄やゆされたが、翌年よくねん後継こうけい400GTがロールアウトされるころになると独創どくそうてきなスタイルと快適かいてきせい高次こうじでの両立りょうりつがエグゼクティブのあいだ話題わだいとなり、350GTは130だい以上いじょう、400GTでは250だい以上いじょう当時とうじちょう高級こうきゅうGTとしては非常ひじょう良好りょうこうなセールスを記録きろくしている。こののち1966ねんランボルギーニ・ミウラ、1971ねんランボルギーニ・カウンタック(クンタッシ)と有名ゆうめいくるま次々つぎつぎおくし、世界せかいてきスーパースポーツのブランドとなった。

ミウラ

トラクターのほかヘリコプターつくったが、認可にんかりず、結果けっかてきに、プロトタイプの2だいしか現存げんそんしていない。

ロゴ

イタリア・モデナにあるトニーノ・ランボルギーニ・ムゼオにフェルッチオがかかわったランボルギーニ製品せいひん展示てんじされている。

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

  • 1962ねん4がつ - 農業のうぎょう機械きかい(トラクター)製造せいぞう成功せいこうおさめていたフェルッチオ・ランボルギーニ設立せつりつ
  • 1963ねん10月26にち - トリノ・オートショーで1号車ごうしゃになる「350GTV」を発表はっぴょう
  • 1971ねん8がつ - ボリビアこったクーデターにより、親会社おやがいしゃであるランボルギーニ・トラットリーチ SpAとぜん政府せいふとのあいだむすばれていた、5000だいのトラクター購入こうにゅうかんする契約けいやく破棄はきされる。資金しきんなんおちいったランボルギーニ・グループはランボルギーニ・トラットリーチ SpAのぜんかぶフィアット移譲いじょう自動車じどうしゃ部門ぶもん株式かぶしき51%をスイスひと投資とうしのジョルジュ=アンリ・ロゼッティ(Georges-Henri Rossetti)に売却ばいきゃく
  • 1974ねん9月 - 石油せきゆショック影響えいきょうから、ロゼッティの友人ゆうじんであるレイネ・レイマーにのこり49%の株式かぶしき売却ばいきゃくし、創業そうぎょうしゃフェルッチオ・ランボルギーニのからはなれる。
  • 1978ねん4がつ - BMWから委託いたくされていたM1生産せいさんおくれから契約けいやく破棄はきされ倒産とうさんイタリア政府せいふ管理かんりかれる。
  • 1981ねん - フランス実業じつぎょうパトリック・ミムランが250まんドルで購入こうにゅう
  • 1987ねん - クライスラー傘下さんかとなる。
  • 1993ねん10月 - インドネシア新興しんこう財閥ざいばつであるSedtcoグループのメガテックに譲渡じょうと
  • 1999ねん - アウディ傘下さんかとなる。アウディ・グループの意向いこうでそれまでドイツのフィアットAGに在籍ざいせきしていたシュテファン・ヴィンケルマン英語えいごばんがCEOに就任しゅうにん。ガヤルドやムルシエラゴのデザインをルク・ドンカーヴォルケいまは、スペインの自動車じどうしゃメーカーセアト在籍ざいせきしている)ががけた。以降いこうは、アウディ・グループないのデザイン部門ぶもん主任しゅにんワルテル・デ・シルヴァつとめる。
  • 2001ねん - ランボルギーニミュージアムがオープン。
  • 2013ねん - ランボルギーニ創立そうりつ50周年しゅうねん記念きねんイベントとして、ミラノからローマ、そして本拠地ほんきょちへともどるパレード「グランデ・ジロ」を開催かいさいした。どうパレードのため、世界せかい各地かくちからミラノに350だいにもおよぶランボルギーニが集結しゅうけつしたという。
  • 2016ねん3月 - スクーデリア・フェラーリもとチーム代表だいひょうステファノ・ドメニカリがCEOに就任しゅうにん
  • 2020ねん12月 - ステファノ・ドメニカリにわり、ブガッティ・オトモビル代表だいひょうのステファン・ヴィンケルマンがCEOを兼任けんにん[2]
  • 2023ねん - ランボルギーニ創立そうりつ60周年しゅうねん

車種しゃしゅ一覧いちらん[編集へんしゅう]

エンブレムの闘牛とうぎゅうにちなんで、闘牛とうぎゅう関連かんれんしたくるまめいおおい。

ウラッコ
カウンタック LP500S
ディアブロ(前期ぜんきがた)
ガヤルド(前期ぜんきがた)

現行げんこう車種しゃしゅ(発売はつばいじゅん)[編集へんしゅう]

外観がいかん くるまめい 排気はいきりょう エンジン 駆動くどう方式ほうしき 座席ざせきすう 備考びこう
ウラカン 5.2L Vがた10気筒きとうDOHC RWD4WD 2
ウルス 4.0L Vがた8気筒きとうツインターボ 4WD 4・5
レヴエルト 6.5L Vがた12気筒きとうハイブリッド 4WD 2

現行げんこう車種しゃしゅベースの限定げんていモデル[編集へんしゅう]

ムルシエラゴ LP640

過去かこおも車種しゃしゅ[編集へんしゅう]

ウルス(前期ぜんきがた)
アヴェンタドールS

コンセプトカー[編集へんしゅう]

コンセプトバイク[編集へんしゅう]

  • デザイン90

歴代れきだいおも車種しゃしゅのスペック[編集へんしゅう]

性能せいのう
モデルめい 全長ぜんちょう 全幅ぜんぷく ぜんこう ホイールベース トレッド W/T 重量じゅうりょう 気筒きとうすう配置はいち 排気はいきりょう 最高さいこう出力しゅつりょく 最大さいだいトルク 乗車じょうしゃ定員ていいん 生産せいさん台数だいすう
350GT 4,500 mm 1,630 mm 1,220 mm 2,500 mm (まえ)mm/()mm 1,450 kg FRたてきV12 3,497 cc 270 馬力ばりき/,00 rpm 0 kgm/,000 rpm 2+1めい 131だいせつほか
ミウラSV 4,360 mm 1,780 mm 1,050 mm 2,504 mm (まえ)1412mm/()1514mm 1.71 1,245 kg MRよこきV12 3,900 cc 385 馬力ばりき/7,850 rpm 40.7 kgm/5,750 rpm 2めい
カウンタックLP400 4,140 mm 1,890 mm 1,070 mm 2,450 mm (まえ)1500mm/()1520mm 1.62 1,065 kg MRたてきV12 3,929 cc 375 馬力ばりき/8,000 rpm 36.8 kgm/5,500 rpm 2めい 150だい
シルエット 4,320 mm 1,880 mm 1,120 mm 2,450 mm (まえ)1448mm/()1467mm 1.68 1,240 kg MRよこきV8 2,996 cc 269 馬力ばりき/,000 rpm . kgm/,500 rpm 2めい だい
カウンタックアニバーサリー 4,200 mm 2,000 mm 1,070 mm 2,500 mm (まえ)1536mm/()1606mm 1.59 1,680 kg MRたてきV12 5,167 cc 455 馬力ばりき/7,000 rpm 51.0 kgm/5,200 rpm 2めい 657だい
ディアブロVT 4,460 mm 2,040 mm 1,105 mm 2,650 mm (まえ)1540mm/()1640mm 1.67 1,625 kg MRたてきV12 5,707 cc 492 馬力ばりき/7,000 rpm .0 kgm/,00 rpm 2めい だい
ムルシエラゴ6.2 4,580 mm 2,045 mm 1,135 mm 2,665 mm (まえ)1640mm/()1700mm 1.60 1,650 kg MRたてきV12 6,200 cc 588 馬力ばりき/7,500 rpm .0 kgm/,00 rpm 2めい だい
ガヤルド 4,300 mm 1,900 mm 1,165 mm 2,560 mm (まえ)1622mm/()1592mm 1.59 1,430 kg MRたてきV10 5,000 cc 500 馬力ばりき/7,500 rpm .0 kgm/4,500 rpm 2めい だい
アヴェンタドールLP700-4 4,780 mm 2,030 mm 1,136 mm 2,700 mm (まえ)1720mm/()1700mm 1.58 1,575 kg MRたてきV12 6,500 cc 700 馬力ばりき/8,250 rpm 70.3 kgm/5,500 rpm 2めい だい
ウラカンLP610-4 4,459 mm 1,924 mm 1,165 mm 2,620 mm (まえ)1670mm/()1620mm 1.59 1,422 kg MRたてきV10 5,200 cc 610 馬力ばりき/8,250 rpm 57.1 kgm/6,500 rpm 2めい だい
カウンタックLPI800-4 4,870 mm 2,099 mm 1,139 mm 2,700 mm (まえ)1784mm/()1709mm 1.55 1,595 kg MRたてきV12 6,498 cc 814 馬力ばりき/8,500 rpm 73.4 kgm/6,750 rpm 2めい 112だい
チーター 6,700

mm

2500

mm

1,960

mm

4,250 mm (まえ)2000mm/()195mm 1.67 1,200

tn

MRたて

W16

7000

cc

1600 馬力ばりき/8000

rpm

73.4 kgm/6,750 rpm

販売はんばい[編集へんしゅう]

2006ねんそう納車のうしゃ台数だいすうは2,087だい2007ねんでは2,580だい2015ねん年間ねんかん世界せかい販売はんばい台数だいすうが3,245だいだった。

日本にっぽんでの販売はんばい
  • 1968ねん~1972ねん - ミツワ自動車じどうしゃ東京とうきょう)が日本にっぽんへの輸入ゆにゅうけん所持しょじ
  • 1972ねん~1980ねん - シーサイドモーター輸入ゆにゅうけん所持しょじ
  • 1984ねん~1989ねん - ジャクス輸入ゆにゅうけん所持しょじ
  • 1991ねん~1997ねん - ガレーヂ伊太利屋いたりや輸入ゆにゅうけん所持しょじ
  • 1998ねん~2002ねん - ミツワ自動車じどうしゃ輸入ゆにゅうけん所持しょじ
  • 2002ねん~2021ねん - アウディ・ジャパンが輸入ゆにゅうけん所持しょじ
  • 2022ねん~ - フォルクスワーゲングループジャパン輸入ゆにゅうけん所持しょじ

1999ねんのアウディグループりにともない、2001ねん、アウディ・ジャパンの事業じぎょうとして「ランボルギーニ・ジャパン」(Automobili Lamborghini Japan東京とうきょう世田谷せたがや)が設立せつりつされた。実質じっしつてき輸入ゆにゅう業務ぎょうむはアウディ・ジャパンの親会社おやがいしゃである「フォルクスワーゲングループジャパン」(VGJ)がおこない、VGJの埠頭ふとう愛知あいちけん豊橋とよはし)から陸揚りくあげされ、VGJの整備せいび工場こうじょう整備せいび出荷しゅっかされている。

アウディグループ以前いぜん日本にっぽんでのビジネスはひがしばん中心ちゅうしんにした小規模しょうきぼディーラーが中心ちゅうしんになっていたが、ランボルギーニ・ジャパンの設立せつりつ以降いこう本格ほんかくてき正規せいきディーラーもう全国ぜんこくてき整備せいびし、サービス品質ひんしつ向上こうじょうぜん世界せかい統一とういつCIの導入どうにゅうなどにより日本にっぽんでのブランドさい構築こうちくすすめた。結果けっか、それまで2ケタだいだった販売はんばい台数だいすう右肩みぎかたがりで3ケタだいでの上昇じょうしょうつづけ、2020ねんには631だい統計とうけい資料しりょうJAIA日本にっぽん自動車じどうしゃ輸入ゆにゅう組合くみあい)を記録きろくした。2019ねんからはメーカー認定にんてい中古ちゅうこしゃ制度せいど発足ほっそく。2020ねんには六本木ろっぽんぎにショールーム「ランボルギーニ ザ・ラウンジ東京とうきょう」を開店かいてんした。2022ねん1がつ1にちけでアウディ・ジャパンがVGJに吸収きゅうしゅう合併がっぺいされたことで日本にっぽんでの輸入ゆにゅうもとはVGJとなったが、販売はんばい体制たいせいはそのまま継続けいぞくされる。

2007ねん3がつには、ランボルギーニ大阪おおさか経営けいえいする光岡みつおか自動車じどうしゃ顧客こきゃく情報じょうほうインターネットうえ公開こうかいされてしまう事件じけんきた。

日本にっぽんでの正規せいきディーラーもう(2023ねん現在げんざい
  • コーンズ東京とうきょう
  • ボロネーゼ/SKYグループ(東京とうきょう横浜よこはま
  • クインオート/ジーライオングループ名古屋なごや
  • 光岡みつおか自動車じどうしゃ大阪おおさか神戸こうべ
  • タジマモーターコーポレーション仙台せんだい広島ひろしま
  • アール・ピー・エム(福岡ふくおか[ちゅう 1]:ランボルギーニジャパン正規せいきディーラーおよび世界せかい共通きょうつうCI導入どうにゅうだい1ごうてん。)
  • 光洋こうよう自動車じどうしゃ/VTホールディングス札幌さっぽろ

ちなみに、ランボルギーニトラクターも日本にっぽん国内こくない販売はんばいされており、かつてフェラーリの輸入ゆにゅうもとであったコーンズの関連かんれん会社かいしゃである株式会社かぶしきがいしゃコーンズエージー販売はんばいおこなっている。

モータースポーツ[編集へんしゅう]

かつては創業そうぎょうしゃのフェルッチオが「レースにはない」ことを社是しゃぜとしていた。これは「当時とうじのフェラーリがレースを本業ほんぎょうとして市販しはんしゃはそのための資金しきんかせぎと位置いちづけ、ユーザーをないがしろにしていたことにたい反発はんぱつしたため」「フェルッチオの息子むすこ反対はんたいかたちでレースに夢中むちゅうになっており、刺激しげきしないため」「フェルッチオ自身じしんがレースちゅう事故じこによりだいケガをった経験けいけんによるもの」など様々さまざませつがあったが、会社かいしゃから正式せいしきなアナウンスはていない。

ダカール・ラリー[編集へんしゅう]

1988ねんLM002参戦さんせん本来ほんらいは1987ねんからワークス参戦さんせん予定よていであったが、スポンサーのトラブルにより見送みおくられた。わりにスイスのプライベーターが運用うんようし、総合そうごう10でのフィニッシュとなった。

F1[編集へんしゅう]

ランボルギーニ3512エンジン

クライスラー傘下さんかはいったのちの1989ねんラルースチームへのエンジン供給きょうきゅうかたちで、F1グランプリ参戦さんせん開始かいしした。

1990ねんに、メキシコで結成けっせいされたチーム「グラスF1」けにF1マシンをふくめて製作せいさくおこなっていた。エントリーがみとめられたものの、グラスF1設立せつりつ提言ていげんしたメキシコじん富豪ふごう資金しきんげしたこともあり、資金しきんそこをつき参戦さんせん困難こんなんとなった。これによる参戦さんせんキャンセルによる違約いやくきん支払しはらい回避かいひするために、ランボルギーニが実質じっしつてきなワークス・チーム、モデナさい編成へんせいして参戦さんせんした。しかし、マウロ・フォルギエリ設計せっけいしたマシンは時代遅じだいおくれもはなはだしいもので、目立めだった成績せいせきをあげることはなく、同年どうねん撤退てったいした。エンジンのレイアウトはV12で、独特どくとく高音こうおん排気はいきおんであり、それについてはおなじV12エンジンを搭載とうさいしたフェラーリへの評価ひょうか上回うわまわるものだった。

1993ねんにはエンジンをさい設計せっけい大幅おおはばにパワーアップ(親会社おやがいしゃクライスラー名義めいぎ)、翌年よくねんのエンジン供給きょうきゅう考慮こうりょして、コスワースHBエンジン非力ひりきさにくるしみ、ルノーエンジンに匹敵ひってきするパワーのあるエンジンをもとめていたマクラーレンがテストを実施じっししたものの[ちゅう 2]、マクラーレンはプジョーとの提携ていけいえらび、この結果けっかランボルギーニはF1をることとなった。テストでステアリングをにぎったのはミカ・ハッキネンで、同時どうじかれがランボルギーニエンジン搭載とうさいしゃ最後さいごのドライバーとなっている。

なお鈴木すずき久里くさと日本にっぽんグランプリ日本人にっぽんじんとしてはじめて3入賞にゅうしょうかざったローラ・LC90もランボルギーニせいユニットを搭載とうさいしていた。

供給きょうきゅうしたチーム

SUPER GT[編集へんしゅう]

JLOC(Japan Lamborghini Owner's Club)より、全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん初期しょきから参戦さんせんしている。当初とうしょ漫画まんが池沢いけざわさとしがドライバーをつとめた。参戦さんせんのマシンはカウンタックだったが、1995ねん2004ねんにディアブロ、2004ねんからはムルシエラゴ、2007ねんからガヤルド、2016ねんからウラカンにて参戦さんせんしている。これにランボルギーニも全面ぜんめんてき協力きょうりょくしており、このレースのためにディアブロ以降いこうのマシンをワンオフ作成さくせいしている。2005ねんからはGT300クラスにエントリーし2006ねんだい1せんにてはつ優勝ゆうしょうした。ランボルギーニがFIAの国際こくさい格式かくしきレースで優勝ゆうしょうしたのはこれがはじめてのことだった。

スクアドラ・コルセ[編集へんしゅう]

ランボルギーニのレース部門ぶもんである。各国かっこくのサーキットを転戦てんせんするワンメイクレース「ブランパン・スーパ-・トロフェオ」シリーズは、2009ねんにヨーロッパではじまり、2012ねんにはアジアで、翌年よくねんから北米ほくべいでも開催かいさいされている。

WEC/IMSA[編集へんしゅう]

2024ねんよりFIA 世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん(WEC)のハイパーカークラス、ならびにウェザーテック・スポーツカー選手権せんしゅけんのGTPクラスに参戦さんせんする予定よていで、そのためのくるまとしてLMDhマシンのランボルギーニ・SC63リジェ・オートモーティブとも開発かいはつしている。

ポロ・ストリコ[編集へんしゅう]

2015ねん4がつにサンタアガタ·ボロニェーゼのランボルギーニの社内しゃない部門ぶもんレストレーション・センターが“ランボルギーニ・ポロ・ストリコ(Polo Storico Lamborghini)” の名称めいしょう同社どうしゃ歴史れきしてきモデルにかんするレストアや鑑定かんていおこな部門ぶもんとしてリニューアルされた。1963ねんから2001ねんまでに生産せいさんされた350GT、400GT、イスレロ、エスパーダ、ミウラ、カウンタックからディアブロまで、すべてのランボルギーニの修復しゅうふく車両しゃりょう認定にんていしょ発行はっこう機関きかんふくむ、会社かいしゃ歴史れきしてきアーカイブの管理かんり車両しゃりょう復元ふくげんセンターをゆうし、歴史れきしてきなランボルギーニモデルの純正じゅんせいスペアパーツを提供ていきょうする。

レストア、作製さくせいされた車両しゃりょう一部いちぶ

  • 最初さいしょのプロジェクト ミウラ50周年しゅうねん2016で発表はっぴょう

1971ねんしきミウラSV、#4846 オリジナルのVerde Metallizata(メタリックグリーン)外装がいそう/タンしょくかわ内装ないそう。Miura SV1号車ごうしゃ

  • 2018ねん2がつ7にち~11にち パリ サロンレトロモービルで発表はっぴょう 

1967ねんしきミウラP400、#3264 ヴェルデスキャンダル(緑色みどりいろ外装がいそう

1976ねんしきカウンタックLP400、#1120204 オリジナルの黄色おうしょく外装がいそう/タバコしょくかわ内装ないそう

  • 2018ねん6がつ発表はっぴょう 

1968ねんしきミウラ(イオタ)SVR、#3781 (赤色あかいろ)/くろかわ内装ないそう

  • 2019ねん2がつ6にち~10にち パリ サロンレトロモービルで発表はっぴょう 

1967ねんしきミウラSV、#3673 ロッソコルサ(赤色あかいろ)、すそかねたい外装がいそう/くろかわ内装ないそう。オーナーはジャン・トッド

  • 2019ねん

1972ねんしきカウンタックLP400プロト、#1120001 Verde Medio(緑色みどりいろ外装がいそう/タンしょくかわ内装ないそう

  • 2020ねん2がつ5にち パリ サロンレトロモービルで発表はっぴょう 

1973ねんしきミウラ(イオタ)SVJ#4860 メタリックシルバー外装がいそう/くろかわ内装ないそう。Miura SVJ4号車ごうしゃ

  • 2021ねん10がつ1~3にち イタリアロンバルディアしゅうのホテル「ヴィラデステ」での「コンコルソデレガンツァ」(Concorso d'Eleganza Villa d'Este)で発表はっぴょう

2021ねんしき新規しんき復刻ふっこく作製さくせいカウンタックLP500プロト、C*120002PS、Giallo Fly Speciale(黄色おうしょく外装がいそう/くろかわ内装ないそう

アーキヴィオ・ストリコ・ランボルギーニ[編集へんしゅう]

ポロ・ストリコのアーカイブせん門部かとべしょ歴代れきだいモデルについて使用しようされたパーツやその技術ぎじゅついたるまで、すべてをデジタルでアーカイブし、これまでのランボルギーニ歴代れきだいモデルにかんする文書ぶんしょ設計せっけい、ボディ・カラー、レザー、画像がぞう、ランボルギーニがこれまでに作成さくせいした刊行かんこうぶつ[3]などがおさめられている。

アド・ペルソナム[編集へんしゅう]

2006ねん開始かいしされ、2013ねんから規模きぼ拡張かくちょう同社どうしゃのモデルを個別こべつにカスタマイズしたいという顧客こきゃく対応たいおうするスタジオである。 ランボルギーニ製造せいぞう施設しせつない設置せっちされたどうスタジオでは、新車しんしゃ購入こうにゅうにカラーリングやインテリアトリムなどをおもどおりに仕上しあげたいという顧客こきゃく要望ようぼうこたえるため、エキスパートスタッフが個別こべつ対応たいおうする。

ランボルギーニ・デイ[編集へんしゅう]

2016ねんから開始かいしされたアウトモビリ・ランボルギーニ主催しゅさい全国ぜんこくのランボルギーニオーナーけのイベント。

  • 2016ねん9がつ16にち 新宿しんじゅく霞ヶ丘かすみがおかまち1丁目ちょうめ聖徳せいとく記念きねん絵画かいがかん」「フェルッチョ・ランボルギーニ生誕せいたん100周年しゅうねん」「ランボルギーニ・ミウラ50周年しゅうねん
  • 2017ねん10がつ20日はつか みなと芝公園しばこうえん3丁目ちょうめ東京とうきょうプリンスホテル」「最初さいしょのランボルギーニ400GTが輸入ゆにゅうされて50周年しゅうねん
  • 2018ねん11月21にち 神奈川かながわけん横浜よこはま鶴見つるみ末広すえひろまち1丁目ちょうめ 「横浜よこはまスーパーファクトリー」「Lamborghini Day Japan 2018」
  • 2019ねん11月22にち 大阪おおさか大阪おおさかみなと海岸かいがんどおり2丁目ちょうめ 「ジーライオンミュージアム」「Lamborghini Day Japan 2019」

関連かんれん人物じんぶつ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 本社ほんしゃ愛媛えひめけん宇和島うわじま。かつては東京とうきょう江戸川えどがわ正規せいきディーラー「ランボルギーニ江戸川えどがわ」を運営うんえいしていた。
  2. ^ ハッキネンのテスト走行そうこうちゅう、ルノーエンジンに対抗たいこうするためあまりにも無理矢理むりやりパワーをぎたエンジンは、ハッキネンいわく「だい爆発ばくはつ」とわれるほどのはげしいエンジンブローをこし大破たいはした。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ トニーノ・ランボルギーニ ちょ大矢おおやアキオ やく「「農民のうみんのトラクター」がない」『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』光人みつひとしゃ、2004ねん、46-47ぺーじ 
  2. ^ ランボルギーニ、F1しん代表だいひょう就任しゅうにんのドメニカリ後任こうにん発表はっぴょう。ヴィンケルマンがブガッティ社長しゃちょう兼任けんにん”. autosport web (2020ねん11月25にち). 2020ねん12月7にち閲覧えつらん
  3. ^ ランボルギーニ・ポロ・ストリコが始動しどう”. https://www.autocar.jp (2016ねん4がつ21にち). 2021ねん9がつ26にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]


ランボルギーニ S.p.A. ロードカータイムライン 1963-
タイプ 1960年代ねんだい 1970年代ねんだい 1980年代ねんだい 1990年代ねんだい 2000年代ねんだい 2010年代ねんだい 2020年代ねんだい
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MR(含ミッドシップ4) V12 ミウラ カウンタック ディアブロ ムルシエラゴ アヴェンタドール レヴエルト
イオタ レヴェントン ヴェネーノ チェンテナリオ エッセンツァ シアン カウンタック
V8/V10 シルエット ジャルパ ガヤルド ウラカン
2+2 ウラッコ
FR GT 350GT
2+2 400GT イスレロ ハラマ
エスパーダ
クロスカントリー4WD
SUV
LM002 ウルス
オーナー
親会社おやがいしゃ
フェルッチオ・ランボルギーニ ロセッティ、
レイマー
イタリア政府せいふ管理かんり ミムラン クライスラー メガテック Vパワー アウディ
試作しさくレーシングカー: ランボルギーニ・イオタ(1969)、ランボルギーニ・ハラマRS(1973)、ランボルギーニ・ウラッコ・ラリー(1973)
コンセプトカー: ランボルギーニ・エストーケ(2008)、ランボルギーニ・エゴイスタ(2013)、ランボルギーニ・アステリオン(2014)、ランボルギーニ・テルツォ ミッレニオ(2017)
人物じんぶつ: フェルッチオ・ランボルギーニジャンパオロ・ダラーラマルチェロ・ガンディーニパオロ・スタンツァーニ
公式こうしきWEBサイト: Automobili Lamborghini Holding Spa