この記事 きじ は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "フランス・フラン" – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2023年 ねん 9月 がつ )
フランス・フラン (フランス語 ふらんすご : Franc français )は、かつてフランス共和 きょうわ 国 こく で流通 りゅうつう していた法定 ほうてい 通貨 つうか である。
フランス本土 ほんど のほか、ニューカレドニア ・フランス領 りょう ポリネシア ・ウォリス・フツナ を除 のぞ く海外 かいがい 領土 りょうど 、およびモナコ とアンドラ で通用 つうよう していた。米 あめりか ドル 、ドイツマルク 、日本円 にほんえん 、イギリスポンド に次 つ ぐ国際 こくさい 通貨 つうか のひとつであったが、ユーロ の導入 どうにゅう により、2002年 ねん までに通貨 つうか としての役割 やくわり を終 お えた。
通貨 つうか 記号 きごう は₣ またはFF, あるいは単 たん にFと表記 ひょうき する。ISO 4217 のコードはFRF. 補助 ほじょ 単位 たんい はサンチーム (centime) で、かつてはドゥシーム (decime) も使 つか われていた。
以降 いこう 、特 とく に断 ことわ りのないかぎりフランス・フランを単 たん にフラン と記 しる す。
最初 さいしょ のフラン金貨 きんか 、フランカ・シュヴァル
フランは1360年 ねん に当時 とうじ の国王 こくおう ジャン2世 せい が作 つく った金貨 きんか にその端 はし を発 はっ する。「フラン」の名 な は、ラテン語 らてんご の Johannes Dei Gratia Francorum Rex (神 かみ の恩寵 おんちょう によるフランクの王 おう ジャン)から取 と られ、その価値 かち は当時 とうじ の通貨 つうか であった「トゥールポンド」 (Livre tournois) と同一 どういつ (1フラン=1トゥールポンド=20ソル)と定 さだ められた。この最初 さいしょ のフランは「フランカ・シュヴァル」(Franc à cheval ) と呼 よ ばれる。
のちにシャルル5世 せい 、アンリ3世 せい 、アンリ4世 せい によって鋳造 ちゅうぞう されることになる。シャルル5世 せい によるものを「フランカ・ピエ」(Franc à pied ) と呼 よ ぶ。アンリ3世 せい 以降 いこう は銀貨 ぎんか となった。
1641年 ねん 、ルイ13世 せい はフランの発行 はっこう を止 と め、新 あら たに銀貨 ぎんか 「エキュ 」(Écu ) と金貨 きんか 「ルイ・ドール」(Louis d'Or) を作 つく るが、「フラン」の名称 めいしょう はトゥールポンドの別称 べっしょう としてそのまま使 つか われ続 つづ けた。当時 とうじ のフランスでは、国王 こくおう が定 さだ めたエキュの他 ほか に、トゥールポンド(リーヴル )やドゥニエ など、様々 さまざま な貨幣 かへい や貨幣 かへい 単位 たんい が混在 こんざい して流通 りゅうつう していた。
1795年 ねん にアッシニア として発行 はっこう された1,000フラン紙幣 しへい
1795年 ねん 、国民 こくみん 公会 こうかい によってフランは十進法 じっしんほう (1フラン=10ドゥシーム=100サンチーム)による法定 ほうてい 通貨 つうか として正式 せいしき に制定 せいてい された。この時 とき のフランは4.5 gの銀貨 ぎんか であり、4.505 gのリーヴル貨幣 かへい より若干 じゃっかん 小 ちい さかったが、1796年 ねん には1フラン=1.0125リーヴル(1リーヴル3ドゥニエ )になった。
1803年 ねん 、フランス革命 かくめい 暦 れき の月 つき の名 な にちなんだ金貨 きんか 「フラン・ジェルミナル(Franc germinal)」が発行 はっこう される。この貨幣 かへい は9/31 g (290.32 mg) の純金 じゅんきん であった。これ以降 いこう 、金貨 きんか と銀貨 ぎんか を基準 きじゅん にし、相互 そうご に交換 こうかん 可能 かのう な貨幣 かへい 制度 せいど (金銀 きんぎん 複本位 ふくほんい 制 せい )が確立 かくりつ する。この制度 せいど は、1864年 ねん に5フラン貨幣 かへい 以外 いがい のすべての銀貨 ぎんか において、銀 ぎん の含有 がんゆう 率 りつ が90%から83.5%に落 お とされるまで続 つづ いた。
王政 おうせい 復古 ふっこ の時期 じき も、フランは変 か わらず通貨 つうか として使 つか われた。
フランスは1865年 ねん 成立 せいりつ のラテン通貨 つうか 同盟 どうめい (Latin Monetary Union, LMU) の創立 そうりつ メンバーとなり、LMUにおいてはフラン・ジェルミナルが基準 きじゅん の貨幣 かへい となった。1873年 ねん 、LMUは1フラン(金 きむ フラン )=金 かね 9/31 gとする完全 かんぜん 金本位 きんほんい 制 せい に移行 いこう している。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の勃発 ぼっぱつ によって、フランスはLMUの金本位 きんほんい 制 せい を捨 す てることになった。戦費 せんぴ 、インフレ や戦後 せんご 復興 ふっこう のための大量 たいりょう の紙幣 しへい 発行 はっこう によって、フランの価値 かち は大幅 おおはば に目減 めべ りし、その購買 こうばい 力 りょく は1915年 ねん から1920年 ねん にかけて70%に、1922年 ねん からは1926年 ねん にかけてはさらに43%にまで下落 げらく した。終戦 しゅうせん 後 ご 、フランスは1928年 ねん に金本位 きんほんい 制 せい に戻 もど るものの、1936年 ねん に再 ふたた び離脱 りだつ して以降 いこう はまたもフランの下落 げらく が続 つづ いた。1959年 ねん 時点 じてん でのフランの価値 かち は、1934年 ねん の数字 すうじ の1/40にも満 み たない有様 ありさま だった。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん でフランスがドイツ の占領 せんりょう 下 か にあった時期 じき は、フランはライヒスマルク の衛星 えいせい 通貨 つうか として扱 あつか われていた。「自由 じゆう 、平等 びょうどう 、博愛 はくあい 」(Liberté, Égalité, Fraternité ) の文字 もじ の入 はい った硬貨 こうか は、「労働 ろうどう 、家族 かぞく 、祖国 そこく 」(Travail, Famille, Patrie) と記 しる されヴィシー政権 せいけん の紋章 もんしょう が入 はい ったものと交換 こうかん された。解放 かいほう 後 ご 、アメリカ は「米国 べいこく 占領 せんりょう フラン」(US occupation franc) を使用 しよう しようとしたが、これはシャルル・ド・ゴール によって止 と められている。
第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 後 ご 、ブレトン・ウッズ協定 きょうてい のもとでフランは数 すう 回 かい 切 き り下 さ げをしている。1945年 ねん の段階 だんかい で480フラン=1ポンド (119.1フラン=1ドル )であったのが、1949年 ねん には980フラン=1ポンド(350フラン=1ドル)、1957年 ねん には1382.3フラン=1ポンド(493.7フラン=1ドル)まで下 さ げられた。
1960年 ねん 1月 がつ 、フランは1/100のデノミネーション を実施 じっし 。それまでの1フラン・2フラン硬貨 こうか はサンチームとして、100フランが「新 しん フラン」(nouveau franc) として使 つか われることになった。この頭文字 かしらもじ 「NF」は、その後 ご 一部 いちぶ の紙幣 しへい に使 つか われている。インフレはなおも続 つづ いていたが、他 た の国 くに に比 くら べて進行 しんこう のペースは緩 ゆる やかになった。その後 ご 、1968年 ねん にもう1回 かい 切 き り下 さ げが行 おこ なわれたのを最後 さいご に、ブレトン・ウッズ協定 きょうてい は変動 へんどう 相場 そうば 制 せい へ移行 いこう した。しかしながら、1999年 ねん 1月 がつ 1日 にち にユーロが導入 どうにゅう された時 とき のフランは、1960年 ねん と比 くら べて1/8未満 みまん の価値 かち にまで落 お ち込 こ んでいた。
旧 きゅう フランは徐々 じょじょ に置 お き換 か えられ、利用 りよう ができなくなっていった。フランがユーロへ移行 いこう した時点 じてん では、古 ふる いフラン貨幣 かへい はいずれも無効 むこう となっていた。一方 いっぽう 、新 しん フランへの切 き り替 か え後 ご 、フランスの人々 ひとびと の間 あいだ では、大 おお きな金額 きんがく のことを「古 ふる いフラン」(anciens francs) と呼 よ びならわす習慣 しゅうかん が残 のこ った。例 たと えば宝 たから くじ の広告 こうこく では、旧 きゅう フランでの数字 すうじ と同 おな じとなるサンチームで当選 とうせん 金額 きんがく が表記 ひょうき されるということがしばしばあった。この習慣 しゅうかん は2002年 ねん にユーロが完全 かんぜん にフラン貨幣 かへい に取 と って代 か わるまで続 つづ いていた。また作家 さっか のピーター・メイル は、プロヴァンス 地方 ちほう では旧 きゅう フランの額 がく で金銭 きんせん を数 かぞ える人 ひと たちが1990年代 ねんだい まで残 のこ っていたと報告 ほうこく している。
1992年 ねん 締結 ていけつ のマーストリヒト条約 じょうやく により、フランスにおいて欧州 おうしゅう 連合 れんごう の単一 たんいつ 通貨 つうか ユーロの導入 どうにゅう およびフランの廃止 はいし が決定 けってい 。1999年 ねん 1月 がつ 1日 にち より、対 たい ユーロのレートが1ユーロ=6.55957フランと設定 せってい され、現金 げんきん 以外 いがい での取引 とりひき にユーロが導入 どうにゅう された。これに続 つづ き、2002年 ねん 1月 がつ 1日 にち からユーロの紙幣 しへい ・硬貨 こうか の流通 りゅうつう およびフランとの交換 こうかん が開始 かいし され、同年 どうねん 2月 がつ 17日 にち をもって、通貨 つうか としてのフランはその歴史 れきし に幕 まく を下 お ろした。
発行 はっこう された貨幣 かへい [ 編集 へんしゅう ]
穴 あな 開 びら きの5サンチーム硬貨 こうか 、1939年 ねん
最初 さいしょ のフラン硬貨 こうか は1サンチーム・5サンチーム・1ドゥシーム・2ドゥシーム(以上 いじょう 銅貨 どうか )、1/4フラン・1/2フラン・1フラン・2フラン・5フラン(以上 いじょう 銀貨 ぎんか )、20フラン・40フラン(以上 いじょう 金貨 きんか )が発行 はっこう されていた。ただし、1801年 ねん から1848年 ねん の期間 きかん 、銅貨 どうか は発行 はっこう されず、1/4フランが最小 さいしょう 価値 かち の硬貨 こうか であった。この時期 じき は、フラン以前 いぜん に流通 りゅうつう していた銅貨 どうか が、1スー=5サンチームとして通用 つうよう していた。
1848年 ねん には青銅 せいどう 貨が作 つく られはじめ、1853年 ねん からは1サンチーム・2サンチーム・5サンチーム・10サンチームの硬貨 こうか が発行 はっこう されるようになった。この時 とき 1/4フラン硬貨 こうか はなくなり、代 か わりに1849年 ねん から1868年 ねん までは20サンチーム銀貨 ぎんか が発行 はっこう されていた。さらに金貨 きんか にも変化 へんか があり、40フラン硬貨 こうか が消 き えて、5フラン・10フラン・50フラン・100フラン硬貨 こうか が導入 どうにゅう された。5フラン金貨 きんか は1869年 ねん 、5フラン銀貨 ぎんか は1878年 ねん を最後 さいご に発行 はっこう が終 お わった。1903年 ねん には25フランニッケル 貨が作 つく られるようになった。
第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん の際 さい には硬貨 こうか の鋳造 ちゅうぞう にも影響 えいきょう が及 およ んだ。金貨 きんか は発行 はっこう を停止 ていし し、5・10・25サンチームは穴 あな 開 びら きのニッケル貨、または白銅 はくどう 貨での発行 はっこう となった。1920年 ねん 、青 あお 銅貨 どうか ・銀貨 ぎんか の発行 はっこう が終了 しゅうりょう し、アルミ ・青銅 せいどう 合金 ごうきん の50サンチーム・1フラン・2フラン硬貨 こうか が登場 とうじょう した。1929年 ねん までは、これらの硬貨 こうか はフランス商工 しょうこう 会議 かいぎ 所 しょ が発行 はっこう しており、また同時 どうじ に各 かく 地方 ちほう の商工 しょうこう 会議 かいぎ 所 しょ でも独自 どくじ に発行 はっこう を行 おこ なっていた。1929年 ねん には、10フラン・20フラン硬貨 こうか において銀貨 ぎんか が復活 ふっかつ した。
続 つづ く第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん でも大 おお きな影響 えいきょう があり、亜鉛 あえん を材料 ざいりょう にした10サンチーム・20サンチーム硬貨 こうか やアルミの50サンチーム・1フラン・2フラン硬貨 こうか が作 つく られるようになった。戦後 せんご は急激 きゅうげき にインフレが進 すす み、1954年 ねん までにはサンチーム硬貨 こうか がほとんど出回 でまわ らなくなる一方 いっぽう で、100フランまでの高額 こうがく 面 めん 硬貨 こうか が見 み られるようになっていた。
1960年 ねん にそれまでの100フランを1フランとする新 しん フランへの切 き り替 か えがあり、ステンレス 製 せい の1サンチーム・5サンチーム、アルミ・青銅 せいどう の10サンチーム・20サンチーム・50サンチーム、ニッケルの1フランと銀 ぎん の5フラン硬貨 こうか が登場 とうじょう した。その後 ご 1964年 ねん に銀 ぎん の10フラン硬貨 こうか 、1966年 ねん にはアルミ・青銅 せいどう の5サンチームとニッケルの1/2フラン硬貨 こうか が現 あらわ れている。1970年 ねん にはそれまで銀 ぎん であった5フラン硬貨 こうか がニッケル張 は り白銅 はくどう のものと、続 つづ いて1974年 ねん には、やはり銀 ぎん の10フラン硬貨 こうか がニッケル・黄銅 こうどう のものと置 お き換 か えられた。また、1979年 ねん にニッケルの2フラン硬貨 こうか 、1988年 ねん にバイメタル の10フラン、1992年 ねん には同 おな じくバイメタルの20フラン硬貨 こうか が発行 はっこう されている。
この他 ほか 、ニッケルの10フラン硬貨 こうか が1986年 ねん に登場 とうじょう したものの、1/2フラン硬貨 こうか と間違 まちが えられることが多 おお く、デザインに対 たい する不評 ふひょう もあってすぐに姿 すがた を消 け した。銀 ぎん の50フラン硬貨 こうか は1974年 ねん から発行 はっこう されていたが、銀 ぎん の価格 かかく が高騰 こうとう したため1980年 ねん に発行 はっこう 停止 ていし となった。ただし、同 おな じく銀 ぎん の100フラン硬貨 こうか は少量 しょうりょう ながらユーロ導入 どうにゅう まで発行 はっこう が続 つづ いていた。
ユーロが導入 どうにゅう されるまで流通 りゅうつう していた硬貨 こうか は以下 いか の通 とお りである。
1サンチーム(≒0.152セント):ステンレス、ほとんど流通 りゅうつう せず
5サンチーム(≒0.762セント):アルミ・青銅 せいどう
10サンチーム(≒1.52セント):アルミ・青銅 せいどう
20サンチーム(≒3.05セント):アルミ・青銅 せいどう
1/2フラン(≒7.62セント):ニッケル
1フラン(≒15.24セント):ニッケル
2フラン(≒30.49セント):ニッケル
5フラン(≒76.22セント):ニッケル張 は り白銅 はくどう
10フラン(≒1.52ユーロ):バイメタル
20フラン(≒3.05ユーロ):バイメタル
100フラン(≒15.24ユーロ):銀 ぎん 、ほとんど流通 りゅうつう せず
これら硬貨 こうか とユーロとの両替 りょうがえ は、2005年 ねん 2月 がつ 17日 にち まで可能 かのう であった。
20フラン紙幣 しへい (表 ひょう )、1983年 ねん
20フラン紙幣 しへい (裏 うら )
最初 さいしょ に登場 とうじょう したフランの紙幣 しへい は、1795年 ねん にアッシニア として発行 はっこう された100フラン・10,000フランである。翌 よく 1796年 ねん には25フランから50フランのものが、さらに100フランのものも発行 はっこう された。
1800年 ねん 、この年 とし に設立 せつりつ されたフランス銀行 ぎんこう がフラン紙幣 しへい の発行 はっこう を開始 かいし する。この時 とき は500フラン・1,000フランの2種類 しゅるい であった。1840年代 ねんだい に100フラン・200フラン紙幣 しへい が追加 ついか され、1860年代 ねんだい から1870年代 ねんだい にかけて5フラン・20フラン・50フランが加 くわ わるが、200フランは発行 はっこう されなくなった。
その後 ご 、第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん 中 ちゅう に10フランと5,000フラン紙幣 しへい が登場 とうじょう する。戦後 せんご に5フラン硬貨 こうか が発行 はっこう されるようになるが、10フラン紙幣 しへい は回収 かいしゅう されずに残 のこ った。
第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 下 か の占領 せんりょう から解放 かいほう された1944年 ねん 、連合 れんごう 国 こく によって2フランから1,000フランの紙幣 しへい が発行 はっこう された。終戦 しゅうせん 後 ご には10,000フラン紙幣 しへい も登場 とうじょう したが、5フラン・10フラン・20フラン紙幣 しへい は硬貨 こうか に取 と って代 か わられ、1950年代 ねんだい には50フラン・100フランも同様 どうよう になった。
1960年 ねん の新 しん フラン登場 とうじょう の際 さい は、それまで発行 はっこう されていた500フラン・1,000フラン・5,000フラン・10,000フランの旧 きゅう 紙幣 しへい に、新 あたら しい額面 がくめん である5フラン・10フラン・50フラン・100フランの数字 すうじ を上 うえ から印刷 いんさつ したものが間 ま に合 あ わせに作 つく られ、後 のち にデザインは同 おな じままで新 あたら しい額面 がくめん が最初 さいしょ から入 はい った紙幣 しへい に切 き り替 か えられていった。この時 とき に500フラン紙幣 しへい が新 あら たに登場 とうじょう しているが、5フラン紙幣 しへい と10フラン紙幣 しへい は、それぞれ1970年 ねん と1979年 ねん に発行 はっこう を終了 しゅうりょう した。
ユーロが導入 どうにゅう されるまで流通 りゅうつう していた紙幣 しへい は以下 いか の通 とお りである。
これらの紙幣 しへい は、2012年 ねん 2月 がつ 17日 にち まで、フランス銀行 ぎんこう などでユーロと両替 りょうがえ が可能 かのう であった。
関係 かんけい の深 ふか いフラン通貨 つうか [ 編集 へんしゅう ]
モネガスク・フラン硬貨 こうか 。レーニエ3世 せい の肖像 しょうぞう が入 はい っている
モナコではユーロ導入 どうにゅう までフランを法定 ほうてい 通貨 つうか としていたが、モネガスク・フラン (ISO 4217: MCF) と呼 よ ばれる独自 どくじ 通貨 つうか がフランと並 なら んで流通 りゅうつう しており、1:1の固定 こてい 為替 かわせ レート でフランにペッグされていた。ユーロ導入 どうにゅう 時 じ に発行 はっこう されていたのは硬貨 こうか のみであったが、かつて1920年 ねん ・1921年 ねん には紙幣 しへい が発行 はっこう されたことがある。なお、フラン硬貨 こうか と同様 どうよう に、ユーロに両替 りょうがえ 可能 かのう な期間 きかん はすでに終了 しゅうりょう している。
アンドラは独自 どくじ の通貨 つうか を持 も たず、ユーロ導入 どうにゅう まではフランとスペイン・ペセタ が国内 こくない で通用 つうよう していたが、外国 がいこく 為替 かわせ 市場 いちば の上 うえ ではアンドラ・フラン (フランス語 ふらんすご :franc andorran, 英語 えいご :Andorran franc, 通貨 つうか コード(非公式 ひこうしき ): ADF)という単位 たんい が存在 そんざい していた。モネガスク・フランと同 おな じく対 たい フランで1:1のペッグ制 せい であり、ユーロとの両替 りょうがえ レートもフランと同一 どういつ であった。当時 とうじ のアンドラには憲法 けんぽう がなかった関係 かんけい でフランスと公式 こうしき には通貨 つうか 同盟 どうめい を結 むす んでいなかったため、モナコと違 ちが い独自 どくじ にフラン貨幣 かへい を発行 はっこう したことはない。
フランスの海外 かいがい 領土 りょうど のうち、ニューカレドニア、フランス領 りょう ポリネシア、ウォリス・フツナの3地域 ちいき では1945年 ねん よりCFPフラン が使用 しよう されている。
記号 きごう の符号 ふごう 位置 いち [ 編集 へんしゅう ]
現行 げんこう 廃止 はいし 私製 しせい 関連 かんれん
カテゴリ
この表 ひょう には一部 いちぶ の環境 かんきょう で表示 ひょうじ できない文字 もじ (各種 かくしゅ 通貨 つうか 記号 きごう )があります(Help:特殊 とくしゅ 文字 もじ ) 現行 げんこう 廃止 はいし 不 ふ 特定 とくてい
カテゴリ