オペル

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オペル
Opel Automobile GmbH
種類しゅるい 有限ゆうげん会社かいしゃ
本店ほんてん所在地しょざいち ドイツの旗 ドイツ
ヘッセンしゅうダルムシュタット行政ぎょうせい管区かんくグロース=ゲーラウぐんリュッセルスハイム
設立せつりつ 1862ねん
業種ぎょうしゅ 輸送ゆそうよう機器きき
事業じぎょう内容ないよう 自動車じどうしゃ製造せいぞう
主要しゅよう株主かぶぬし ゼネラルモーターズ (1929–2017)
グループPSA (2017–2021)
ステランティス (2021-)
関係かんけいする人物じんぶつ アダム・オペル(創業そうぎょうしゃ)
外部がいぶリンク opel.com
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オペルドイツ:Opel Automobile GmbH)は、ドイツ自動車じどうしゃメーカーであり、オランダステランティス N.V.子会社こがいしゃである。 会社かいしゃ設立せつりつ1862ねんであり、ヘッセンしゅうダルムシュタット行政ぎょうせい管区かんくグロース=ゲーラウぐんリュッセルスハイム本拠ほんきょとしている。

1929ねん以降いこうゼネラルモーターズ(GM)の100%子会社こがいしゃとなり、イギリスを拠点きょてんとするボクスホールとともにGMの欧州おうしゅうビジネスをになってきた。2017ねんグループPSA買収ばいしゅう2021ねん、グループPSAとフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)が合併がっぺいしステランティスが誕生たんじょう、その傘下さんかとなった。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1862ねん、アダム・オペルが創設そうせつ(1837ねん-1895ねん)。オペルはミシン自転車じてんしゃ製造せいぞうて、創業そうぎょうしゃ没後ぼつご、5にん息子むすこたちによって1899ねん自動車じどうしゃ製造せいぞう開始かいし。ルッツマンやフランスのダラックしゃライセンス生産せいさんして技術ぎじゅつ修得しゅうとくし、1902ねん独自どくじ開発かいはつしゃ完成かんせいした。一方いっぽうでモーターサイクルも製造せいぞうしたが、後年こうねん事業じぎょうNSU売却ばいきゃくしている。はやくからフルラインすすめ、だいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつ以前いぜん時点じてんで、「ドクトルヴァーゲン」とばれる小型車こがたしゃから、メルセデス比肩ひけんする高級こうきゅうしゃ高性能こうせいのうレーシングカーを製造せいぞうする有力ゆうりょくメーカーであった。

だいいち世界せかい大戦たいせんには、大量たいりょう生産せいさんがた大衆たいしゅうしゃ「ラウフプロッシュ」(通称つうしょうで『雨蛙あまがえる』のシトロエンから同社どうしゃ先行せんこうモデル「5CV」に設計せっけい酷似こくじしているとうったえられた)などの成功せいこうで、当時とうじのドイツ国内こくない最大手さいおおて自動車じどうしゃメーカーの地位ちいかくたるものにした。1920年代ねんだい後半こうはんには、ロケット動力どうりょく自動車じどうしゃによる速度そくど記録きろく達成たっせいこころみもおこなっている。

しかし、きょうでドイツへのアメリカ資本しほん流入りゅうにゅう激化げきかすると、1929ねんには欧州おうしゅう進出しんしゅつ攻勢こうせいつよめていたGM資本しほんれ、1931ねんにはGMの完全かんぜん子会社こがいしゃとなった。以後いご中級ちゅうきゅうしゃ以上いじょう製品せいひんにはアメリカてき設計せっけいやデザインの要素ようそ色濃いろこくなり、1930年代ねんだいのドイツにおいては比較的ひかくてきすすんだ技術ぎじゅつ導入どうにゅうするメーカーになった。だい世界せかい大戦たいせん初期しょきにGMはナチス圧力あつりょく権利けんり放棄ほうきし、軍需ぐんじゅけに中型ちゅうがたトラック「ブリッツ」などを製造せいぞうしていたが、1948ねんにはGMが経営けいえいけん回復かいふくした。

だい大戦たいせんも、トラックと小型こがた中級ちゅうきゅう乗用車じょうようしゃ生産せいさんでドイツ市場いちばでの一定いってい地位ちいたもつづけていたが、フォルクスワーゲン・タイプ1通称つうしょうビートル)に競合きょうごうする小型こがた大衆たいしゅうしゃながらく出現しゅつげんさせていなかった。しかし1962ねん新設しんせつボーフム工場こうじょう生産せいさん新型しんがたカデット(『士官しかん候補こうほせい』。戦前せんぜんにあった名称めいしょう復活ふっかつ)」を登場とうじょうさせ、ビートルとの販売はんばい競争きょうそう展開てんかいした。このカデットは、FRきょく常識じょうしきてき設計せっけいながら、手頃てごろ価格かかくひろ室内しつないとトランク、信頼しんらいせいたかさで人気にんきた。以後いご、オペルは小型車こがたしゃカデットから中型ちゅうがたしゃレコルト」とその上級じょうきゅう仕様しようコモドーレ」、大型おおがた高級こうきゅうしゃ「アドミラル」/「ディプロマート」までをようするフルラインメーカーとなった。

1970年代ねんだい親会社おやがいしゃGMは『ひとつのプラットフォームから、世界中せかいじゅう販売はんばい出来でき車種しゃしゅ設計せっけいする』「グローバルカー(世界せかい戦略せんりゃくしゃ構想こうそう」を展開てんかい、“Tカー”として構想こうそうされただい3世代せだいのカデット(通称つうしょう:カデットC)にはいすゞ・ジェミニや「シボレー・シェベット(アメリカブラジルでは仕様しようことなる)」などの派生はせい車種しゃしゅ登場とうじょうした。

1980年代ねんだい日本にっぽんのメディアに「日本にっぽんしゃ刺客しかく」とさわがれたアメリカせい小型車こがたしゃシボレー・キャバリエひとしのベース[ちゅう 1] くるまとなったのが、1983ねんに「グローバルカー構想こうそう」のだい2だん“Jカー”として登場とうじょうしたアスコナだい3世代せだい(アスコナC)であり、この日本にっぽんばんいすゞ・アスカである。イギリスでは、オペルしゃ一部いちぶが、おなじくGMの完全かんぜん子会社こがいしゃであるボクスホールブランド販売はんばいされている。

2009ねん親会社おやがいしゃであるGMは経営けいえい破綻はたんし、同年どうねん6がつ1にち連邦れんぽう倒産とうさんほうだい11しょう適用てきよう申請しんせいした。これに先立さきだってオペルの売却ばいきゃく検討けんとうされており、フィアットなどいくつかの候補こうほがったのち同年どうねん5がつ30にちにはカナダの自動車じどうしゃ部品ぶひん会社かいしゃ大手おおてマグナ・インターナショナルロシア貯蓄ちょちく銀行ぎんこうズベルバンク)などが参加さんかする企業きぎょう連合れんごう過半数かはんすうかぶ発行はっこう株式かぶしきの55%)が同年どうねんちゅう売却ばいきゃくされることが決定けっていした[1]。しかし、ロシアへの技術ぎじゅつ流出りゅうしゅつとく軍需ぐんじゅ産業さんぎょうへの転用てんよう)を憂慮ゆうりょしたGMは同年どうねん11がつ売却ばいきゃく決定けってい撤回てっかいし、自力じりき再建さいけん目指めざすことを発表はっぴょうした。これにたいし、ロシアのウラジーミル・プーチン首相しゅしょうは「相手あいて馬鹿ばかにした態度たいど」「こうしたやりかたをあらかじめ考慮こうりょしなければならない。これは教訓きょうくんだ」とGMを痛烈つうれつ批判ひはんした[2]

2012ねんグループPSA資本しほん提携ていけいおよ業務ぎょうむ提携ていけいむすび、しょう中型ちゅうがたしゃのプラットフォームを共有きょうゆうすることがまった[3]。2013ねんまつ資本しほん提携ていけい解消かいしょうされたものの、プラットフォーム共有きょうゆう続行ぞっこうされ、2017ねん5がつだいいちだんとしてクロスオーバーSUVクロスランド生産せいさん開始かいしされた。

これに前後ぜんごして2017ねん3がつ6にち、グループPSAがGMから同社どうしゃ姉妹しまいブランドのボクスホールや欧州おうしゅう展開てんかい金融きんゆう事業じぎょうふくめ、けい22おくユーロ(やく2,600おくえん)で買収ばいしゅうすると発表はっぴょうした。同年どうねん8がつ1にち買収ばいしゅう完了かんりょうした[4]買収ばいしゅうしん事業じぎょう計画けいかく「PACE!」を策定さくていし、電動でんどうとグローバルでの拡販かくはん推進すいしんでブランドの復活ふっかつをアピールする。

2021ねん1がつ、グループPSAはフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)と合併がっぺい、「ステランティス」が誕生たんじょう[5]。オペルおよびボクスホールもその傘下さんかとなった。

ロゴマーク[編集へんしゅう]

オペルの最初さいしょのロゴは、創業そうぎょうしゃアダム・オペルのイニシャルである「A」と「O」で構成こうせいされたもので、1862ねん考案こうあんされた[6]。1888ねんからは創業そうぎょうであるリュッセルスハイム(RÜSSELSHEIM)の文字もじはいるようになり、1904ねんまで断続だんぞくてきれられている[6]。1910ねんにはヘッセン大公たいこうエルンスト・ルートヴィヒえがいたスケッチをもとにした、月桂樹げっけいじゅえんられたかたちしたデザイン(通称つうしょう「オペル・アイ」)が採用さいようされ、1935ねんまで使用しようされた[7]。また、1930年代ねんだいからはツェッペリン飛行船ひこうせんまるかこんだデザインが採用さいようされ、1950年代ねんだいからはびれが追加ついかされるなどの変更へんこうくわえられながら1963ねんまで使用しようされた[7]。1963ねん以降いこう会社かいしゃの「結束けっそくつよさ、先進せんしんせい[8]あらわ稲妻いなづました「ブリッツ」(「稲妻いなづま」「雷光らいこう」の)マークがされ、現在げんざいいたっている[7][6]。なお、ブリッツマーク以前いぜんにも稲妻いなづまは1930年代ねんだいから散発さんぱつてきにロゴのモチーフとして使用しようされている[6]

海外かいがい展開てんかい[編集へんしゅう]

経営けいえい破綻はたんまえのGMはオペルを欧州おうしゅう地区ちく限定げんていブランドに位置いちづけており、2010ねん時点じてん欧州おうしゅう以外いがいでのオペルブランドしゃ販売はんばい中東ちゅうとう諸国しょこくみなみアフリカ共和きょうわこく、アジアの一部いちぶ中国ちゅうごく台湾たいわん香港ほんこんマカオシンガポール)のみとなっていた。

オペルの一部いちぶ車種しゃしゅオセアニアではホールデンアジアラテンアメリカなどではシボレーリバッジされて販売はんばいされてきたが、これらは2000年代ねんだい順次じゅんじGM大宇だいうくるまベースへ代替だいたいすすめられていった。

その一方いっぽうで、2000年代ねんだいにはサターンとの車種しゃしゅ統合とうごうすすめられた。サターンはベルギーアントウェルペン工場こうじょうからアストラ輸入ゆにゅうしてきたアメリカ地域ちいき販売はんばいおこない、ぎゃくにオペルはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくデラウェア工場こうじょうからサターン・スカイ欧州おうしゅう輸出ゆしゅつしてオペル・GTとして販売はんばいした。また、アンタラサターン・ヴュー兄弟きょうだいしゃとなった。しかし、経営けいえいたん寸前すんぜんだったGMはつなぎ融資ゆうし獲得かくとくのため2008ねん12月に経営けいえい再建さいけん計画けいかく発表はっぴょうし、サターンはリストラ対象たいしょうとされた[9]。これと前後ぜんごして今度こんどビュイックブランドへのリバッジがすすめられ、インシグニア中国ちゅうごく市場いちばに(のちきたアメリカ市場いちばにも)ビュイック・リーガルとして、またアストラが中国ちゅうごく市場いちばビュイック・エクセルXTとして、それぞれ導入どうにゅうされた。

2010ねん8がつ、オペルが中国ちゅうごくやオーストラリアなど、欧州おうしゅう以外いがい地域ちいきへのブランド展開てんかい検討けんとうしていることがほうじられた[10]よく9がつにはチリへの輸出ゆしゅつが2011ねんから開始かいしされることが正式せいしき発表はっぴょうされた[11]つづいてイスラエルにも2011ねんはる進出しんしゅつたした[12]

一方いっぽう、オーストラリア市場いちばには2012ねん8がつ進出しんしゅつしたものの、価格かかく競争きょうそうへの追随ついずいやブランド認知にんち向上こうじょうのための投資とうし要求ようきゅうされるなど採算さいさんれないことから、わずか1ねん撤退てったい決定けっていした[13]

グループPSAが買収ばいしゅうしたのちしん事業じぎょう計画けいかく「PACE!」が策定さくていされ、2020ねんまでに欧州おうしゅう以外いがい市場いちばで10%以上いじょうげを達成たっせいするとともに、2022ねんまでに20かこく以上いじょう進出しんしゅつする目標もくひょうかかげた。この海外かいがい進出しんしゅつには、2006ねん撤退てったいした日本にっぽんふくまれている。

日本にっぽんでの販売はんばい[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせんまえ時期じきにおいては1927ねん大阪おおさか大正たいしょう工場こうじょうとともに設立せつりつされた「日本にっぽんゼネラル・モータース」が販売はんばいおこなった。しかしどう大戦たいせん勃発ぼっぱつともない1941ねん閉鎖へいさとなった。戦後せんごは1950年代ねんだいから東邦とうほうモーターズ日本にっぽんそう代理だいりてんとなり、輸入ゆにゅう販売はんばいおこなわれた。1960年代ねんだいには日本にっぽんしゃたいする商品しょうひんりょく低下ていか、さらに排気はいきガス規制きせいへの不適合ふてきごうから1976ねんまつをもって輸入ゆにゅう中断ちゅうだんされた。

その東邦とうほうモーターズは輸入ゆにゅうけん保持ほじしており、1983ねんマンタ輸入ゆにゅう販売はんばい再開さいかいした。つづいてアスコナ、レコルトセネターカデットコルサ(コルサのみ商標しょうひょうけん都合つごう日本にっぽんめいことなる)などを導入どうにゅうしたが、いずれも少数しょうすう限定げんていわく利用りようしての輸入ゆにゅうであり、この時期じき同社どうしゃ輸入ゆにゅう販売はんばいした車種しゃしゅ運輸省うんゆしょう型式けいしき認定にんていていたものはなかった。1989ねんからは当時とうじGMグループであったいすゞ自動車ずじどうしゃ輸入ゆにゅう販売はんばい開始かいししたが、あつか車種しゃしゅベクトラオメガ、セネターにかぎられていた。

1993ねん輸入ゆにゅうけんヤナセ移行いこうし、東邦とうほうモーターズといすゞによる輸入ゆにゅう販売はんばい終了しゅうりょうした。ヤナセは1992ねんまつをもってフォルクスワーゲンアウディ輸入ゆにゅう販売はんばいから撤退てったいしており、それにえてオペルの販売はんばいおこな格好かっこうであった。販売はんばいはベクトラ、オメガ、アストラから開始かいしされ、1994ねんにはカリブラ発売はつばいされた。1995ねんには、コンパクトカーヴィータ(現地げんちめい コルサ)」が発売はつばいされ、エアバッグABSなどを装備そうびしながらも、輸入ゆにゅうしゃとしてはてい価格かかくの150まんえんだいから販売はんばいされて人気にんきた。また同年どうねんには自動車じどうしゃメーカーとしてはじめて日本語にほんご公式こうしきウェブサイト[ちゅう 2]開設かいせつした。1996ねんにはオペルしゃ年間ねんかん登録とうろく台数だいすうは3まん8,339だいたっしていたが、日本にっぽんしゃなどとくらべて燃費ねんぴわるうえに、故障こしょうおお修理しゅうり費用ひよう割高わりだかであること、それによる中古ちゅうこしゃ市場いちばでの人気にんき低迷ていめいリセールバリューひくさがユーザーに敬遠けいえんされるなどして販売はんばい台数だいすう急減きゅうげん、1999ねんには登録とうろく台数だいすう2まんだい未満みまんとなった[14]

2000ねん輸入ゆにゅうけんは「日本にほんゼネラルモーターズ」に移管いかんされた。2001ねん、GMは日本にっぽんでの直営ちょくえいディーラーもう「GMオートワールド」を設立せつりつ、オペルの販売はんばいめぐってヤナセとのあいだ確執かくしつしょうじた。GMは、タイ現地げんち生産せいさんされているザフィーラ当時とうじ富士重工業ふじじゅうこうぎょう現在げんざいSUBARU)に供給きょうきゅう。タイせいザフィーラは「スバル・トラヴィック」の名称めいしょうで、ヤナセで販売はんばいされるザフィーラよりてい価格かかく販売はんばいされた。ヤナセはオペルから他社たしゃブランドに販売はんばいちからうつし、オペル取扱とりあつかいてん削減さくげんした。一方いっぽう日本にっぽんGMは販売はんばいもう確立かくりつ失敗しっぱいし、結果けっかてきにオペルの販売はんばい台数だいすう激減げきげんした。日本にっぽんGMはてい価格かかくモデルである「ヴィータ(現地げんちめい コルサ)」の輸入ゆにゅうりそれまでのてい価格かかく路線ろせん変更へんこうして値上ねあげしたが、おりからの輸入ゆにゅうしゃブームによりえた日本にっぽんのユーザーから「(メルセデス・ベンツBMWなど)ドイツしゃ比較ひかくして地味じみであり、信頼しんらいせい高級こうきゅうかんおとりプレミアムせいにもけるブランド」と認知にんちされてしまったことなどから、オペルの日本にっぽんでの販売はんばい激減げきげんした。

ブランド価値かち崩壊ほうかいし、もはや日本にっぽんでのオペルしゃ販売はんばい維持いじすることがむずかしくなり、くわえて親会社おやがいしゃであるGMの経営けいえい悪化あっか深刻しんこくしたことから、GMアジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)は2006ねん5がつ8にちに、在庫ざいこかぎりでオペルしゃすべての新車しんしゃ販売はんばい終了しゅうりょうすると発表はっぴょうした。アフターサービスはヤナセが担当たんとうする[ちゅう 3]。GMAPJは「オペルはGMの欧州おうしゅう地区ちく限定げんていブランドとしてのこっていく」と発表はっぴょうした。

GMによる撤退てったいから13ねんの2019ねん12月、グループPSAは日本にっぽん市場いちばでのオペルブランドさい展開てんかいを2021ねんなつをめどに開始かいしすると発表はっぴょうした[15]日本にっぽんでのビジネスはGroupe PSA Japan統括とうかつし、同社どうしゃ統括とうかつしているプジョーシトロエンかく販売はんばい会社かいしゃ活用かつようしながら、全国ぜんこく主要しゅよう都市としから専売せんばいディーラーもうをスタートさせて2023ねんまでに全国ぜんこく展開てんかいしていく計画けいかくとしていた。

しかし2021ねんコロナ自動車じどうしゃよう半導体はんどうたい不足ふそく理由りゆう日本にっぽんでのさい展開てんかい開始かいしは2022ねん上半期かみはんき予定よてい延期えんきとなった[16]。その2022ねん3がつ1にち、Groupe PSA JapanとFCAジャパンが合併がっぺいしてStellantisジャパンとしてスタート[17]したが、いまだに世界せかい情勢じょうせい不安定ふあんていさが変化へんかしていないことから、日本にっぽんでのさい展開てんかい当面とうめんあいだ凍結とうけつすることとした[18]

2023ねん8がつ現在げんざいは、オペルジャパンのHPががっているのみであり事業じぎょうについてのアナウンスは発表はっぴょうされていない。

登録とうろく台数だいすう[編集へんしゅう]

1983ねんから2007ねん日本にっぽんにおけるオペル新車しんしゃ登録とうろく台数だいすう推移すいい以下いかとおりである。

  • 1983ねん - 24だい
  • 1984ねん - 70だい
  • 1985ねん - 111だい
  • 1986ねん - 157だい
  • 1987ねん - 292だい
  • 1988ねん - 449だい
  • 1989ねん - 2,643だい
  • 1990ねん - 4,021だい
  • 1991ねん - 2,725だい
  • 1992ねん - 1,371だい
  • 1993ねん - 17,042だい
  • 1994ねん - 19,145だい
  • 1995ねん - 32,493だい
  • 1996ねん - 38,339だい
  • 1997ねん - 34,397だい
  • 1998ねん - 24,223だい
  • 1999ねん - 19,433だい
  • 2000ねん - 15,318だい
  • 2001ねん - 12,626だい
  • 2002ねん - 7,846だい
  • 2003ねん - 3,890だい
  • 2004ねん - 1,694だい
  • 2005ねん - 1,800だい
  • 2006ねん - 803だい
  • 2007ねん - 14だい[19]

車種しゃしゅ一覧いちらん[編集へんしゅう]

現行げんこう[編集へんしゅう]

※は過去かこ日本にっぽん導入どうにゅうされたことのある車種しゃしゅ

日本にっぽん導入どうにゅう予定よてい[編集へんしゅう]

乗用車じょうようしゃ[編集へんしゅう]

グランドランドX
コルサ
コンボ ライフ

商用しょうようしゃ[編集へんしゅう]

過去かこ[編集へんしゅう]

レコルトC 1966
カデット
アスコナ
アダム
カスケーダ

だい世界せかい大戦たいせんのち発表はっぴょうされた車種しゃしゅ列記れっきする。 ※は日本にっぽん導入どうにゅうされたことのある車種しゃしゅ

1950年代ねんだい
  • オリンピアレコルト/1200 当時とうじ代表だいひょうてき小型車こがたしゃ。1200はカデット復活ふっかつまでの大衆たいしゅうしゃ市場いちば対策たいさくモデルだった。また、史上しじょうはじめてステーションワゴンがセダンのほかに用意よういされた。日本にっぽんにも多数たすう輸入ゆにゅうされ、信頼しんらいせい耐久たいきゅうせいたかく、2ドアながらタクシー業界ぎょうかい人気にんきた。 ※
1960年代ねんだい
  • カデット 1962ねん戦後せんごがた発表はっぴょう主力しゅりょく車種しゃしゅゼネラルモーターズ (GM) の「グローバルカー(世界せかい戦略せんりゃくしゃ構想こうそう」にもとづき、このくるまをベースにした姉妹しまいしゃ世界せかい各地かくち生産せいさんされ、1974ねんにはいすゞ・ジェミニ開発かいはつされた。1984ねんFFし、1991ねんアストラに代替だいたいされる。 ※
  • レコルト 当時とうじ代表だいひょう的中てきちゅうきゅう車種しゃしゅ。レコルトCは、日本にっぽんのテレビドラマ「ザ・ガードマン」のガードマンたちのパトロールカーとして登場とうじょうしている。1986ねんオメガに代替だいたいされる。 ※
  • コモドーレ レコルトの上級じょうきゅう高性能こうせいのう仕様しよう。レコルトとともにオメガに代替だいたい。 ※
  • カピテーン 1960年代ねんだいまでのオペルの代表だいひょう車種しゃしゅ1969ねん上級車じょうきゅうしゃアドミラルとうとも更新こうしんされたが、その生産せいさん終了しゅうりょう。 ※
  • アドミラル/ディプロマート 1960年代ねんだい後半こうはん本国ほんごくGMの中型ちゅうがたプラットフォームを利用りようして登場とうじょうした最上級さいじょうきゅうモデル。ディプロマートには5.4リッターV8も搭載とうさいされた。 ※
  • オリンピア 1967ねん発表はっぴょう豪華ごうかばんカデット。1970ねんアスコナに代替だいたいされる。 ※
  • GT(1100/1900) 当時とうじの「オペル=保守ほしゅてき」イメージを打破だはしたスポーティモデル。たいべい輸出ゆしゅつもされた。 ※
1970年代ねんだい
  • アスコナ 1970ねん発表はっぴょう。レコルトにわって中級ちゅうきゅうレンジのオペル代表だいひょうとなった。1988ねんベクトラに代替だいたいされる。 ※
  • マンタ アスコナとプラットフォーム共用きょうようした2ドアクーペ。1975ねん発表はっぴょうの2代目だいめはアスコナとおなじくWRCようのホモロゲーション(認定にんてい)モデルも製造せいぞうされた。 ※
  • セネター 1977ねん発表はっぴょう。ディプロマートとうわる最上級さいじょうきゅう車種しゃしゅ1986ねん、オメガとともしん世代せだい更新こうしんされたが、1994ねん生産せいさん終了しゅうりょう。 ※
  • モンツァ 1978ねん発表はっぴょう。セネターのクーペばん。1987ねん生産せいさん終了しゅうりょう
1980年代ねんだい
1990年代ねんだい
2000年代ねんだい
2010年代ねんだい

モータースポーツ[編集へんしゅう]

カデットのラリーカー
DTMのカリブラV6 4×4
ダカール・ラリーのモッカ
TCRのアストラ

自動車じどうしゃ事業じぎょう参入さんにゅうの2ねん、1901ねん創始そうししゃアダム・オペルの息子むすこである、ハインリッヒ・フォン・オペルがケーニヒスシュトゥール開催かいさいされたヒルクライム勝利しょうりしたのが、オペルのモータースポーツのもっとふる歴史れきしである。オペルはつのワークスドライバーとなったのは、もと自転車じてんしゃ競技きょうぎ選手せんしゅのカール・ヨルンスで1893ねんから1926ねんあいだに、様々さまざまなレースで合計ごうけい288かいのレースに勝利しょうりしたとされる[23]

戦後せんごラリー中心ちゅうしん活動かつどう。1966~1982ねんあいだに、ERC(ヨーロッパラリー選手権せんしゅけん)で4総合そうごうチャンピオンを獲得かくとくした。WRC世界せかいラリー選手権せんしゅけん)においては、グループ4仕様しようのアスコナ400が1982ねんヴァルター・ロールでドライバーズチャンピオンを獲得かくとくしている。グループB時代じだいにはマンタを投入とうにゅうしたが、こちらは目立めだった戦果せんかのこせなかった。

1990年代ねんだい以降いこうはサーキットにも参戦さんせん。1993ねんから施行しこうされたしんツーリングカー規定きていクラス1/クラス2両方りょうほう参入さんにゅう。クラス1で開催かいさいされたDTM(きゅうドイツツーリングカー選手権せんしゅけん)/ITC(国際こくさいツーリングカー選手権せんしゅけん)では、ウィリアムズF1共同きょうどう開発かいはつした4WDのシャシーに、コスワースのエンジン、チーム・ヨーストのチーム運用うんようというまんはし体制たいせいにより、1996ねんメルセデスやぶってチャンピオンとなった。しかしコスト高騰こうとうえられず、同年どうねんかぎりで撤退てったいした。クラス2ではベクトラが各国かっこく参戦さんせん英国えいこくのみボクスホールブランド)し、全日本ぜんにほんツーリングカー選手権せんしゅけんでもHKSもちいていた。

ラリー活動かつどう継続けいぞくしており、1993ねんからはりん駆動くどうF2規定きていおこなわれた、WRCの下位かいクラスであるFIA 2.0LカップにGMヨーロッパとして参戦さんせんし、初年度しょねんどにタイトルを獲得かくとくのち施行しこうされたF2キットカースーパー1600でもラリーカーを製造せいぞうつづけた。

2000ねんしん規定きていまれわったDTMにも2000~2005ねんまで参戦さんせんしたが、メルセデスとアウディたいしてまった競争きょうそうりょくしめせないまま撤退てったいしている。一方いっぽうでこれをんだ2003ねんニュルブルクリンク24あいだレースでは、現在げんざいまで唯一ゆいいつとなる総合そうごう優勝ゆうしょうたした。

現在げんざいはコルサのRally4きゅうR2)規定きてい車両しゃりょう、および電気でんき自動車じどうしゃ仕様しようのラリーカー、アストラのTCR規定きていツーリングカーの供給きょうきゅうおこなっている[24]

ダカール・ラリーには「オペル・ダカール・チーム」のプロトタイプ車両しゃりょうが00年代ねんだいなかばから参戦さんせんつづけているが、これはハンガリーのプライベーターで、オペルのワークスチームとはことなる。

ニュルブルクリンク24あいだレースに参戦さんせんする1981ねんしきのマンタ400は、ルーフに装着そうちゃくされた「しっぽ(Fox Tail)」もあいまって、アイドルとしてファンや関係かんけいしゃからあいされており、現在げんざい特認とくにん車両しゃりょうとして参戦さんせんつづけられている。

関連かんれんする人物じんぶつ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 最初さいしょ発売はつばいされたのはアメリカばんであるが、元々もともとはオペルで開発かいはつはじめられた。しかし、実際じっさいにはごく初期しょき段階だんかいのぞいてほとんどの設計せっけいをオペル、GM(アメリカ)、いすゞの3しゃ個別こべつ同時どうじ進行しんこうしたため、あしまわりやそとばん一部いちぶのぞいて部品ぶひん共通きょうつうせいはほとんどない。
  2. ^ URLはwww.opel.co.jp。GMによる日本にっぽん市場いちばからの撤退てったい当該とうがいサイトは閉鎖へいさされた。
  3. ^ としごとにアフターパーツの供給きょうきゅうすう減少げんしょうしてきているので、車種しゃしゅによってはサービス自体じたいりになる場合ばあいもある。
  4. ^ 日本にっぽんでもかつて、タイ生産せいさんぶんが「スバル・トラヴィック」の導入どうにゅうされたことがある。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ オペル売却ばいきゃく:ドイツ政府せいふ雇用こよう維持いじ優先ゆうせん”. 毎日まいにち.jp. 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ (2009ねん5がつ31にち). 2009ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  2. ^ ロシア首相しゅしょう、GMに「ばかにした、米国べいこくじん独特どくとく態度たいど”. 産経新聞さんけいしんぶん (2009ねん11月6にち). 2009ねん11月6にち閲覧えつらん
  3. ^ GM と PSA、オペルと プジョー シトロエンの車台しゃだい共用きょうよう発表はっぴょう
  4. ^ PSAグループ、オペル買収ばいしゅう完了かんりょう欧州おうしゅうだい2自動車じどうしゃメーカーに”. レスポンス(Response.jp) (2017ねん8がつ2にち). 2020ねん1がつ12にち閲覧えつらん
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  21. ^ 近日きんじつ発売はつばい予定よていのモデル オペル公式こうしきサイト”. 2021ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  22. ^ 近日きんじつ発売はつばい予定よていのモデル オペル公式こうしきサイト”. 2021ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  23. ^ ERFOLGEUNDTRADITION
  24. ^ オペル・コルサe EVラリーカーとして一般いっぱん販売はんばいへ 量産りょうさんメーカーはつ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]