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リチャード・ケートン・ウッドヴィル ()

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リチャード・ケートン・ウッドヴィル
Richard Caton Woodville Jr.
誕生たんじょう 1856ねん1がつ7にち
出生しゅっしょう ロンドン
死没しぼつねん 1927ねん8がつ17にち
死没しぼつ ロンドン
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リチャード・ケートン・ウッドヴィル(Richard Caton Woodville Jr. RI ROI、1856ねん1がつ7にち1927ねん8がつ17にち)はイギリス画家がか、イラストレーターである。戦争せんそうえがいた。父親ちちおや同名どうめいのアメリカ、ボルチモアまれの画家がかリチャード・ケートン・ウッドヴィル(1825ねん-1855ねん)である。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

ロンドンまれた。ボルチモアの名家めいか出身しゅっしん父親ちちおや才能さいのうある画家がかであったが、ウッドヴィルがまれるまえにモルヒネの過剰かじょう摂取せっしゅ死亡しぼうしていた。父親ちちおやおなじようにデュッセルドルフ美術びじゅつアカデミー入学にゅうがくした。戦争せんそう得意とくいとするヴィルヘルム・カンプハウゼンや、風俗ふうぞく得意とくいとするエドゥアルト・フォン・ゲープハルトまなんだ。その、ロシアやパリで修行しゅぎょうし、パリではジャン=レオン・ジェロームまなんだ。

絵入えい週刊しゅうかん新聞しんぶんイラストレイテド・ロンドン・ニュース」の特派とくはいん、イラストレータとしてはたらはじめ、そのレポートはたか評価ひょうかをえた。「コーンヒル・ マガジン」や「ストランド・マガジン」、「タトラー」といった雑誌ざっしにも記事きじいた。1877ねん戦争せんそうにイラストレイテド・ロンドン・ニュースの特派とくはいんとして派遣はけんされ、はじめて戦闘せんとう場面ばめんえがき、1882ねんにイギリスぐんがエジプトのウラービー革命かくめい介入かいにゅうした戦闘せんとうのレポートもおこない、おおくのスケッチをのこし、戦場せんじょう写真しゃしん友人ゆうじんのフランスの戦争せんそう画家がかアルフォンス・ド・ヌヴィルのために収集しゅうしゅうした。

1879ねんロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ展覧てんらんかい出展しゅってんした作品さくひん人気にんきになり、そのもロンドンのバーリントン・ハウスひらかれる展覧てんらんかいなん出展しゅってんし、21てん戦争せんそう出展しゅってんした。1883ねんにエジプトとの戦争せんそう題材だいざいにした作品さくひん出展しゅってんしたのちだいアフガン戦争せんそうやボーア戦争せんそうなど、どう時代じだい戦争せんそう題材だいざいにした作品さくひんナポレオン戦争せんそうなどの過去かこ戦争せんそう題材だいざいにした。だいいち世界せかい大戦たいせんはじまると、戦争せんそう場面ばめんえがいた作品さくひん3てんをロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧てんらんかい出展しゅってんした。

私生活しせいかつでは1877ねん結婚けっこん[1]、1884ねん双子ふたご息子むすこ俳優はいゆうになったAnthony Caton Woodvilleと画家がかになったWilliam Passenham Caton Woodvilleがまれたが、1892ねんつまから離婚りこん裁判さいばんこされた[2][3]生活せいかつくるしくなり、1905ねんには破産はさん宣告せんこくけた。[4][5]

1927ねん死体したい発見はっけんされ、死因しいん審問しんもん拳銃けんじゅうによる自殺じさつ判定はんていされた[6]

作品さくひん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  1. ^ London, England, Church of England Marriages and Banns, 1754–1921
  2. ^ England & Wales, Civil Divorce Records, 1858–1916
  3. ^ “Mr. R. Caton Woodville.”. The Times: p. 12. (1927ねん8がつ18にち) 
  4. ^ "No. 27752". The London Gazette (英語えいご). 10 January 1905. p. 266.
  5. ^ "No. 27930". The London Gazette (英語えいご). 10 July 1906. p. 4795.
  6. ^ "Mr. Caton Woodville's Death. Suicide Verdict at Inquest". News. The Times (英語えいご). No. 44666. London. 22 August 1927. col D, p. 7.

関連かんれん図書としょ[編集へんしゅう]

  • Compton, Roy (January 1897). "A Chat with Caton Woodville". Idler. X (VI): 758–775.
  • Harrington, Peter (1993). British Artists and War: The Face of Battle in Paintings and Prints, 1700–1914. London: Greenhill.
  • Mayhew, Athol (July–December 1884). "Battle Painters of the XIXth Century. 1. Richard Caton Woodville". Illustrated Naval and Military Magazine. I: 50–54.
  • T.H.L. (7 December 1895). "R. Caton Woodville". Illustrated London News: 1–3.
  • Warren, Arthur (July 1906). "R. Caton Woodville, Artist and War Correspondent". Captain. XV (88): 290–299.
  • Woodville, Richard Caton. Random Recollections (1914) London: Eveleigh Nash.