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リンカーン・ダグラス論争 - Wikipedia コンテンツにスキップ

リンカーン・ダグラス論争ろんそう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニューヨーク市のクーパー・ユニオンで演説するリンカーン スティーブン・A・ダグラス
ニューヨークのクーパー・ユニオンで演説えんぜつするリンカーン
スティーブン・A・ダグラス

リンカーン・ダグラス論争ろんそう(リンカーン・ダグラスろんそう、えい: Lincoln–Douglas debates)は、1858ねんエイブラハム・リンカーンスティーブン・ダグラスとのあいだおこなわれた7かいにわたる討論とうろんかいおこなわれた論争ろんそうである。リンカーンはイリノイしゅう選出せんしゅつアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく上院じょういん議員ぎいん共和党きょうわとう候補こうほであり、ダグラスは現職げんしょく上院じょういん議員ぎいん民主党みんしゅとうから再選さいせんもとめて出馬しゅつばしていた。リンカーンとダグラスはイリノイしゅう議会ぎかいをそれぞれのとう支配しはいできることももとめていた。この論争ろんそうは、リンカーンが1860ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ当選とうせんしたあとに直面ちょくめんすることになる問題もんだいりにしていた。7かい討論とうろん議論ぎろんされたしゅ論点ろんてん奴隷どれい制度せいどだった。

リンカーンとダグラスはイリノイしゅう下院かいん議員ぎいん選挙せんきょ9のそれぞれでかく1かい討論とうろんおこなうことにめた。両者りょうしゃすでスプリングフィールドシカゴ演説えんぜつしていたので、二人ふたりとも登壇とうだんする機会きかいのこりの7選挙せんきょおこなうことになった。

討論とうろんかいは1858ねん8がつ21にちにオタワ、27にちにフリーポート、9月15にちにジョーンズボロ、18にちにチャールストン、10月7にちゲイルズバーグ、13にちクインシー、15にちオールトンというスケジュールで開催かいさいされた。

フリーポート、クインシーおよびオールトンでの討論とうろんかいとく近隣きんりんしゅうからも大勢おおぜい聴衆ちょうしゅうんだ。これは奴隷どれい制度せいど問題もんだいくにちゅう市民しみんにとって非常ひじょうおおきな重要じゅうようせいっていたからだった[1][2]。この討論とうろんかんする新聞しんぶん報道ほうどう過熱かねつしていた。シカゴの主要しゅようはそれぞれの討論とうろん全文ぜんぶん収録しゅうろくするために速記そっきしゃ派遣はけんし、その記事きじ全国ぜんこく新聞しんぶん多少たしょう党派とうはてき編集へんしゅうくわえて全文ぜんぶん転載てんさいした。ダグラスを支持しじする新聞しんぶんは、ダグラスの原稿げんこうから速記そっきしゃおかしたあやまりを除去じょきょし、文法ぶんぽうてきあやまりを訂正ていせいしたが、リンカーンの原稿げんこう転載てんさいしたままのラフな形態けいたいのままとしていた。同様どうよう共和党きょうわとうけい新聞しんぶんはリンカーンの原稿げんこう編集へんしゅうし、ダグラスの原稿げんこう当初とうしょ掲載けいさいされたままとした。

リンカーンはイリノイしゅう選出せんしゅつアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく上院じょういん議員ぎいん選挙せんきょ落選らくせんしたのち討論とうろんぜん原稿げんこう編集へんしゅうしてほんにして出版しゅっぱんさせた。元々もともと討論とうろんひろ報道ほうどうされたことと、出版しゅっぱんしたほんきがかったことは、1860ねんにシカゴで開催かいさいされた共和党きょうわとう全国ぜんこく大会たいかいでリンカーンが大統領だいとうりょう候補者こうほしゃ指名しめいされる要因よういんになった。

討論とうろんのやりかた最初さいしょ候補者こうほしゃが60分間ふんかんはなし、つづいてもう一方いっぽう候補者こうほしゃが90分間ふんかんはなす。最後さいご最初さいしょ候補者こうほしゃが30分間ふんかんさい答弁とうべんおこな方式ほうしきだった。最初さいしょはなもの毎回まいかい交替こうたいしてった。現職げんしょく上院じょういん議員ぎいんだったダグラスがけい4かいだいいち話者わしゃになった。

この論争ろんそうまえに、リンカーンは、ダグラスが人種じんしゅ融合ゆうごうかんするおそれを唱道しょうどうし、数多かずおお人々ひとびと共和党きょうわとうからはなれさせることに成功せいこうしているとかたっていた[3]。ダグラスはとく民主党みんしゅとうたいして、リンカーンはアメリカ独立どくりつ宣言せんげん白人はくじん同様どうよう黒人こくじんにも適用てきようされるとっているので、奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんしゃであることを納得なっとくさせようとしていた。リンカーンは、「愛国あいこくしゃ自由じゆうあいするものしんむすびつける電線でんせん」を自明じめい真実しんじつんでいた。

リンカーンはその「かれたるいえ演説えんぜつ英語えいごばん」で、ダグラスは奴隷どれい制度せいど全国ぜんこくてきなものにする陰謀いんぼう加担かたんしているとろんじた。カンザスネブラスカでの奴隷どれい制度せいどきんじていたはずのミズーリ妥協だきょうカンザス・ネブラスカほうによってわらせたことは、その方向ほうこうすすだい1ステップであり、「ドレッド・スコットたいサンフォード事件じけん判決はんけつ北部ほくぶしゅう奴隷どれい制度せいどひろげるためのだい2ステップだとかたっていた。リンカーンは、ドレッド・スコット判決はんけつのようなものがかえされればイリノイしゅう奴隷どれいしゅうにしてしまうというおそれを表明ひょうめいした[4]

リンカーンもダグラスも反対はんたい意見いけんけた。リンカーンはもとホイッグとういんだったが、著名ちょめいなホイッグ党員とういんだったセオフィラス・ライル・ディッキー英語えいごばん判事はんじは、リンカーンがあまりに奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんしゃ近付ちかづぎているとって、ダグラスを支持しじした。民主党みんしゅとうジェームズ・ブキャナン大統領だいとうりょうは、ダグラスがカンザスじゅんしゅうルコンプトン憲法けんぽう英語えいごばん廃案はいあんにしたことでダグラスに反対はんたいし、ダグラスにひょうとうじさせないために競合きょうごうする全国ぜんこく民主党みんしゅとうげた[5]

論争ろんそうから100ねんの1958ねん発行はっこうされたリンカーン・ダグラス論争ろんそう記念きねんするアメリカ切手きって

論争ろんそうしゅテーマは奴隷どれい制度せいどであり、とくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくあたらしい領土りょうど奴隷どれい制度せいど拡大かくだいするかということだった。カンザスとネブラスカでの奴隷どれい制度せいどきんじていたミズーリ妥協だきょう撤廃てっぱいし、住民じゅうみん主権しゅけん原理げんりえたのは、ダグラスが主導しゅどうしたカンザス・ネブラスカほうだった。住民じゅうみん主権しゅけんとは領土りょうど住民じゅうみん奴隷どれい制度せいど容認ようにんするかどうかをめられるということを意味いみしていた。リンカーンは住民じゅうみん主権しゅけんでは奴隷どれい制度せいど全国ぜんこくてきなものにし、恒久こうきゅうさせると主張しゅちょうした[発言はつげん 1]

ダグラスは、ホイッグとう民主党みんしゅとう住民じゅうみん主権しゅけん信頼しんらいしており、1850ねん妥協だきょうはそのれいであると主張しゅちょうした[発言はつげん 2]。リンカーンは、全国ぜんこくてき方針ほうしん奴隷どれい制度せいど拡大かくだい制限せいげんすることであるとろんじ、(ジョーンズボロ[発言はつげん 3]およびクーパー・ユニオン演説えんぜつで)1787ねん北西ほくせい条例じょうれい現在げんざいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく中西部ちゅうせいぶ大半たいはん奴隷どれいせいきんじており、これが方針ほうしんいちれいだとかたった[発言はつげん 4]

1850ねん妥協だきょうではユタじゅんしゅうニューメキシコじゅんしゅうには奴隷どれい制度せいど採用さいようするかどうかをめさせたが、カリフォルニアしゅう自由じゆうしゅうとして加盟かめいさせ、テキサスしゅう境界きょうかい調整ちょうせいすることで奴隷どれいしゅうおおきさをらし、コロンビア特別とくべつでの奴隷どれい売買ばいばいわらせた(奴隷どれい制度せいどそのものはのこった)。そのわりに南部なんぶしゅうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう規定きていされているよりもきびしい逃亡とうぼう奴隷どれいほう成立せいりつさせた[6]。ダグラスは1850ねん妥協だきょうミズーリしゅうよりきた西にしにあるルイジアナ買収ばいしゅう取得しゅとくした領土りょうどでの奴隷どれいせいきんじたミズーリ妥協だきょうわったとったが、リンカーンはそれがうそだと主張しゅちょう[発言はつげん 5]住民じゅうみん主権しゅけんとドレッド・スコット判決はんけつ過去かこ方針ほうしんからの逸脱いつだつであり、奴隷どれい制度せいど全国ぜんこくてきなものにしてしまうと主張しゅちょうした[発言はつげん 6][発言はつげん 7]

ダグラスが、リンカーンのような「ブラック共和党きょうわとう[発言はつげん 8]」のメンバーが奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんしゃであると告発こくはつしたように、党派とうはてきなコメントがあった[発言はつげん 9]。ダグラスは証拠しょうことしてリンカーンの「かれたるいえ演説えんぜつ」をげた[発言はつげん 10]

ダグラスは、リンカーンがその演説えんぜつで「なか奴隷どれいで、なか自由じゆう状態じょうたいで、この国家こっかながつづくことはないでしょう」とべていたと、った。ダグラスはつぎのようにかたった(以下いか括弧かっこない議事ぎじろくにある会場かいじょうこえしめす)。

ことなるしゅう地方ちほうでのほう制度せいど統一とういつすることは不可能ふかのうであり、のぞましくもない。政府せいふつくられたときに統一とういつせいあたえられるならば、どこでも奴隷どれいせい統一とういつされるか、黒人こくじん市民しみんけん平等びょうどう統一とういつされるかどちらかはけられない。...

貴方あなた黒人こくじん市民しみんとしての権利けんり特典とくてんをあたえることに賛成さんせいなのか?、とたずねる。(ノー、ノー)貴方あなたは、我々われわれしゅう憲法けんぽうから奴隷どれい自由じゆう黒人こくじんしゅうがいたもっている条項じょうこう削除さくじょし、自由じゆう黒人こくじん流入りゅうにゅうゆるし(だめだ)、あなたのプレーリーを黒人こくじん開拓かいたくおおうことをのぞんでいるのか?貴方あなたはこのうつくしいしゅう自由じゆう黒人こくじん植民しょくみんえることをのぞんでいるのか?(ノー、ノー、ノー)ミズーリしゅう奴隷どれい制度せいど廃止はいしして、貴方あなたたち平等びょうどう市民しみんとなり、有権者ゆうけんしゃとなるために10まんにん解放かいほう奴隷どれいをイリノイしゅうおくめるとしたらどうだろうか?(ダメだ、ノー)貴方あなた黒人こくじん市民しみんけんのぞむならば、(そうだ、そうだ)彼等かれらしゅうないはいってきて白人はくじんとともに定着ていちゃくすることをのぞむならば、彼等かれら貴方あなたたち平等びょうどう投票とうひょうすることをのぞみ、役人やくにんになる資格しかくあたえ、陪審ばいしんいんつとめ、貴方あなた権利けんり裁定さいていすることをのぞむならば、黒人こくじん市民しみんけん賛成さんせいするリンカーンとブラック共和党きょうわとう支持しじすればよい。(ダメだ、ダメだ)わたし個人こじんとしては如何いかなる、あらゆる形態けいたいでも黒人こくじん市民しみんけん反対はんたいする。(そうだ、そうだ、拍手はくしゅ)この政府せいふ白人はくじん基本きほんとしてつくられているとわたしかんがえるのはまさに真実しんじつである。(いいぞ、いいぞ、いいぞ)この政府せいふ白人はくじんによってつくられ、白人はくじんとその子孫しそん恩恵おんけいのために未来永劫みらいえいごう黒人こくじんうえかれているとかんがえ、市民しみんけん白人はくじん、すなわちヨーロッパまれとその子孫しそん限定げんていすることに賛成さんせいする。市民しみんけん黒人こくじん、インディアンそのおとった人種じんしゅあたえるものではない。(いいぞ、いいぞ、かったぞ、ダグラスよ永久えいきゅうに、そうだ、そうだ、ノー、ノー)[7]

リンカーンは、学校がっこう教会きょうかい地下ちかしつまわって講義こうぎおこな奴隷どれい制度せいど廃止はいしろん演説えんぜつすべてのれい指導しどうしたがい、アメリカ独立どくりつ宣言せんげんからすべてのもの平等びょうどうまれついているとり、かみ独立どくりつ宣言せんげん黒人こくじんあたえた平等びょうどうをどのようにうばうことができるかをうている。...さて、イリノイしゅうがこれまでしてきたように奴隷どれい制度せいど廃止はいし禁止きんしする権利けんりがあることを支持しじし、同様どうようにケンタッキーしゅうはイリノイしゅう廃止はいしした奴隷どれい制度せいど継続けいぞく保護ほごする権利けんりがあることも支持しじする。ニューヨークしゅうはバージニアしゅう継続けいぞくしなければならない奴隷どれい制度せいど廃止はいしする権利けんりがあることもみとめる。連邦れんぽうぞくするそれぞれ、かつすべてのしゅう主権しゅけんっており、奴隷どれい制度せいど問題もんだいについて、さらにすべてのくにない制度せいどについてのぞむところにしたが権利けんりがある。...何故なぜ我々われわれは、我々われわれ制度せいど当所とうしょからっている自治じち政府せいふという偉大いだい原則げんそく固執こしつできないのか。リンカーンやそのとうによってかれたあたらしい教義きょうぎは、それが成功せいこうすれば連邦れんぽう解体かいたいすることになるとわたしおもう。彼等かれら北部ほくぶぜんしゅう南部なんぶ対抗たいこうする一体いったいのものにしようとしており、あるしゅうあるいはしゅうかべたるようにしけるために、自由じゆうしゅう奴隷どれいしゅうあいだ党派とうはてき戦争せんそうこそうとしている。[7]

ダグラスはまた、「ドレッド・スコット判決はんけつ」が「黒人こくじんから市民しみん権利けんり特典とくてんうばう」ので、リンカーンがその判決はんけつ反対はんたいしていることを非難ひなんした。そこでリンカーンは「ドレッド・スコット判決はんけつ」のようなものがれば、奴隷どれいせい自由じゆうしゅうにまで拡大かくだいさせてしまうことになると回答かいとうした[発言はつげん 11]。ダグラスは、北部ほくぶ民主党みんしゅとう人気にんきがあるイリノイしゅうのようなところから黒人こくじん排除はいじょする州法しゅうほう撤廃てっぱいしようとリンカーンがのぞんでいると非難ひなんした。リンカーンは完全かんぜん社会しゃかいてき平等びょうどうせいには賛成さんせいしていなかった。しかし、ダグラスは黒人こくじん基本きほんてき人間にんげんせい無視むししており、奴隷どれい自由じゆうたいする平等びょうどう権利けんりいともった。リンカーンはつぎようかたった。

かれ黒人こくじん)はおおくのてんわたしおなじではないことについてダグラス判事はんじ同意どういする。たしかにはだいろおなじでなく、おそらく道徳どうとく知性ちせい素質そしつでもおなじではない。しかし、自分じぶんかせいだパンをだれ許可きょかくても、べる権利けんりにおいて、かれわたし同等どうとうであり、ダグラス判事はんじ同等どうとうであり、あらゆる生活せいかつじん同等どうとうである。[8]

リンカーンさらにつぎようにもかたった

これは(奴隷どれい制度せいどたいする)関心かんしん宣言せんげんしたが、わたし奴隷どれいせいひろげようというかくれた情熱じょうねつかんがえるとき、これをにくむしかない。奴隷どれい制度せいど自体じたい巨大きょだい公正こうせいがあるのでわたしはそれをにくむ。我々われわれ共和きょうわせい世界せかい影響えいきょうあたえるはんたる地位ちいうばうのでわたしはそれをにくむ。それは自由じゆう制度せいどてきをしてまことしやかに我々われわれ偽善ぎぜんしゃあざけるものだが、自由じゆうしん友人ゆうじんたち我々われわれ誠実せいじつさをうたがわしめ、我々われわれなかしん善良ぜんりょうおおくのひとをして基本きほんてき市民しみん自由じゆう原則げんそくとの公然こうぜんたる戦争せんそうかわせることになるので、独立どくりつ宣言せんげん批判ひはんさせ、自己じこ利益りえき以外いがいただしい行動こうどう原理げんりいと主張しゅちょうせしめることになる。[8]

リンカーンは自身じしんどのようにして奴隷どれい解放かいほうすべきかかっていなかったとっていた。黒人こくじん植民しょくみん建国けんこく可能かのうせいしんじていたが、それは実行じっこう不可能ふかのうだとみとめてもいた。植民しょくみん建国けんこくいとすれば、解放かいほうされた奴隷どれいが「下層かそうみん」としてあつかわれるのは間違まちがいだろうが、社会しゃかいてき政治せいじてき平等びょうどうたいしてはおおきな反対はんたいがあり、「一般いっぱんてき感情かんじょう」は根拠こんきょのあるにしろいにしろ、こともなく無視むしはできない[8]

リンカーンは、ダグラスの奴隷どれい制度せいどたいする大衆たいしゅう関心かんしんは、大衆たいしゅう感情かんじょう奴隷どれい制度せいどれる方向ほうこうかわせるので、制度せいど拡大かくだいつながるとかたった。リンカーンはつぎようかたった。

大衆たいしゅう感情かんじょうすべてである。大衆たいしゅう合意ごういがあれば、なに失敗しっぱいはしない。合意ごういければ、なに成功せいこうはしない。ゆえ大衆たいしゅう感情かんじょうかためるものほうさだめたり、決意けつい表明ひょうめいしたりするよりもふかすすむことになる。そのものほう決意けつい執行しっこう可能かのうにも不可能ふかのうにもできる。[8]

リンカーンは、ダグラスが「奴隷どれい制度せいど却下きゃっかされようと採用さいようされようとかまわないでいる」とかたり、ヘンリー・クレイ言葉ことばりれば、「我々われわれ道徳どうとくてきひかりし」、自由じゆうたいするあいやそうとしているとかたった。

フリーポートでの討論とうろんかいでは、リンカーンがダグラスに2つの選択肢せんたくしからえらぶようにいた。そのどちらもダグラスの人気にんききずけ、かつ再選さいせんされる機会きかい障害しょうがいとなるものだった。リンカーンはダグラスに人民じんみん主権しゅけん最高さいこう裁判所さいばんしょの「ドレッド・スコット判決はんけつ」のかんがかたわせるようもとめた。ダグラスは、連邦れんぽう政府せいふ奴隷どれい制度せいど排除はいじょする権限けんげんがないと最高さいこう裁判所さいばんしょったとしても、単純たんじゅん奴隷どれいほう奴隷どれいせいまもるために必要ひつよう法律ほうりつ成立せいりつこばむだけで、じゅんしゅう住民じゅうみん奴隷どれい制度せいど排除はいじょできるとこたえた[発言はつげん 12]。ダグラスはこの「フリーポート原理げんり英語えいごばん」によって南部なんぶじん疎遠そえんになり、1860ねん大統領だいとうりょうになるチャンスをそこなった。その結果けっか南部なんぶ政治せいじはカンザスのようなじゅんしゅう奴隷どれいほう要求ようきゅうすることで、民主党みんしゅとう北部ほくぶ南部なんぶ会派かいはあいだくさびむことになった[9]。1858ねんには多数たすうとうだった民主党みんしゅとう分裂ぶんれつさせて、1860ねん大統領だいとうりょう選挙せんきょではまだあたらしい共和党きょうわとう候補者こうほしゃリンカーンの当選とうせん南部なんぶじんたすけたことになった。

ダグラスが人民じんみん主権しゅけんというかんがかたくにちゅう支持しじようとしたこころみは失敗しっぱいした。住民じゅうみん多数たすうのぞむところに奴隷どれい制度せいどみとめることで、ダグラスは無節操むせっそうだとかんがえたリンカーンひきいる共和党きょうわとうからの支持しじうしなった。奴隷どれいせい擁護ようごのルコンプトン憲法けんぽう廃案はいあんにすること、さらに過半数かはんすうはん奴隷どれい制度せいどであるカンザスで奴隷どれい制度せいどめさせたフリーポート原理げんり提唱ていしょうすることで、南部なんぶ支持しじうしなった。

チャールストンの討論とうろんかいまえに、民主党みんしゅとう白人はくじん男性だんせい黒人こくじん女性じょせいさらに混血こんけつ子供こどもえがき、「黒人こくじん平等びょうどう」と文字もじれたはたかかげた[10]。この討論とうろんかいで、リンカーンはさらにまえにもして自分じぶん奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんしゃという非難ひなんすことをすすめ、つぎようかたった。

わたししろ人種じんしゅ黒人こくじんしゅ社会しゃかいてき政治せいじてき平等びょうどう如何いかなるかたちでももたらすことに賛成さんせいはしていないし、これまでもそうではなかった。わたし黒人こくじん有権者ゆうけんしゃにすることも陪審ばいしんいんにすることにも賛成さんせいしていないし、彼等かれら役職やくしょくしゃになる資格しかくあたえることとか、白人はくじん結婚けっこんするとかいうことにも賛成さんせいしておらず、これまでもそうだった。さらにはしろ人種じんしゅ黒人こくじんしゅあいだには身体しんたいてきちがいがあり、2つの人種じんしゅ社会しゃかいてき政治せいじてき平等びょうどうという条件じょうけんともらすことを永久えいきゅうきんじることになるとかんがえている。彼等かれらがそのような生活せいかつをできないかぎり、彼等かれら上等じょうとう下等かとう地位ちいがあるべき状態じょうたいまり、ひと同様どうようわたし上等じょうとう地位ちいしろ人種じんしゅてられていることに賛成さんせいする。この機会きかいに、白人はくじん上等じょうとう地位ちいにあるゆえに、黒人こくじんはあらゆることを否定ひていされるべきだというせつ理解りかいできない。わたし黒人こくじん女性じょせい奴隷どれいであることをのぞまないといって、かならつまにしなければならないというせつ理解りかいできない。わたし理解りかい彼女かのじょ一人ひとりにさせておくことができるということだ。[11]

奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんしゃになりつつあることを否定ひていするのが有効ゆうこう政治せいじである一方いっぽうアフリカけいアメリカじん奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんしゃフレデリック・ダグラスは、リンカーンが有色ゆうしょく人種じんしゅたいする一般いっぱんてき偏見へんけんから完全かんぜん自由じゆうであること」という言葉ことば注目ちゅうもくした[12]。リンカーンが奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんしゃになりつつあることを否定ひていしたにもかかわらず、スティーブン・ダグラスは、リンカーンが「奴隷どれい制度せいど廃止はいし原理げんり」をかたるときにフレデリック・ダグラスにくみしていると非難ひなんした。スティーブン・ダグラスは、「黒人こくじんの」フレデリック・ダグラスが「黒人こくじん平等びょうどう黒人こくじん市民しみんけん友人ゆうじんすべてはエイブラハム・リンカーン1にんまわりにあつまる」とげているとった。スティーブン・ダグラスはまた、リンカーンが人種じんしゅてき平等びょうどうかたるときに一貫いっかんせいさも非難ひなん[発言はつげん 13]、リンカーンが以前いぜんはなした「すべてのひと平等びょうどうつくられている」という宣言せんげん黒人こくじんにも白人はくじんにもあてはまるという言葉ことばいにした。

リンカーンは奴隷どれい制度せいど拡大かくだい連邦れんぽう危険きけんさらしているとかたり、1820ねんのミズーリにおいて奴隷どれい制度せいどしょうじた議論ぎろんが、メキシコからうばった領土りょうどおよんで1850ねん妥協だきょうとなり、また再度さいどながすカンザス奴隷どれい制度せいどかんする議論ぎろんになったとべた[発言はつげん 14]。リンカーンは、奴隷どれい制度せいど究極きゅうきょくてき廃絶はいぜつみちに」ったときに危機ききて、とおぎるとかたった。

ゲイルズバーグでは[13]、ダグラスが以下いかのようなリンカーンの発言はつげんげて、再度さいどリンカーンは奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんしゃであることを証明しょうめいしようとした。

原則げんそくとしてすべてのひと平等びょうどうであると宣言せんげんしているむかしのアメリカ独立どくりつ宣言せんげんげそれに例外れいがいつくるとすれば、それがどこでまるのかをりたい。あるひと黒人こくじん意図いとしていないとうならば、ひとはそれ以外いがいひと意図いとしていないと何故なぜわないのだろうか?あの宣言せんげん真実しんじつでないのなら、それがしるされているこの法律ほうりつしょにしてやぶろうではないか。
このひと、あのひとについて、このごまかしすべてをろうではないか。この人種じんしゅ、あの人種じんしゅ、さらにべつ人種じんしゅおとっており、それゆえおとった立場たちばかれなければならない。我々われわれかれているこの標準ひょうじゅんてようではないか。これらすべてをって、このにいるひとつの民族みんぞく統一とういつし、再度さいどすべてのひとまれながらに平等びょうどうであると宣言せんげんする地点ちてんりっとうではないか。

オールトンでは、リンカーンが平等びょうどうかんするその声明せいめいについて説明せつめいしようとした。独立どくりつ宣言せんげん著者ちょしゃつぎのようにっているとかたった。

あらゆるひとふくめることを意図いとしたが、あらゆるめんすべてのひと平等びょうどうであると宣言せんげんする意図いとかった。彼等かれらは、あらゆるひとはだいろからだおおきさ、知的ちてき程度ていど道徳どうとくかん発達はったつあるいは社会しゃかいてき許容きょようにおいて平等びょうどうであるとおうとはしていなかった。彼等かれらは、すべてのひと平等びょうどうまれついているとかんがえることについて、それなりの明確めいかくさで定義ていぎした。すなわち、生命せいめい自由じゆうおよび幸福こうふく追求ついきゅうなど特定とくてい不可分ふかぶん権利けんりである。彼等かれらすべてのものやさしい自由じゆう社会しゃかい最大さいだい標準ひょうじゅん設定せっていしようとした。つね注意ちゅういはらわれ、つね努力どりょくし、完全かんぜんにはられないとしても、つね近付ちかづいていくことで、あらゆる場所ばしょのあらゆるはだいろのあらゆる人々ひとびと幸福こうふくきる価値かちを、つねひろげその影響えいきょうりょくふかめ、おぎなっている標準ひょうじゅんである。[14]

リンカーンは、南部なんぶ政治せいじジョン・カルフーンやイリノイしゅうのジョン・プティットがアメリカ独立どくりつ宣言せんげんを「自明じめいうそ」だとったことにたいし、独立どくりつ宣言せんげん支持しじする姿勢しせいきわだたせた。リンカーンは、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく最高裁判所さいこうさいばんしょ長官ちょうかんロジャー・トーニー(そのドレッド・スコット判決はんけつで)とスティーブン・ダグラスがトーマス・ジェファーソンの自明じめい真実しんじつ反対はんたいし、黒人こくじんから人間にんげんせいり、大衆たいしゅう心理しんりには彼等かれら資産しさんぎないというふうにおもわせようとしているとかたった。リンカーンは奴隷どれい制度せいどあくとしてあつかわれるべきであるとかんがえ、その成長せいちょうおさえるべきだとかんがえた。リンカーンはつぎのようにかたった。

それがしん問題もんだいだ。ダグラス判事はんじのお粗末そまつしたわたし自身じしん沈黙ちんもくすることになるとき、このくに継続けいぞくすることになる問題もんだいだ。世界中せかいじゅうで、正義せいぎあく、この2つの原則げんそくあいだ永遠えいえん闘争とうそうである。そもそものはじまりから直面ちょくめんしてきた2つの原則げんそくである。そして永久えいきゅうたたかいをつづけることになる。1つは人類じんるい共通きょうつう権利けんりであり、もう1つは国王こくおう天与てんよ権利けんりである。[14]

リンカーンは、討論とうろんなかで、ダグラスがマロニエ("horse chestnut")を栗毛くりげうま("chestnut horse")といなし、イカのイカスミのなかかくれようとしているとたとえるなど数多かずおお様々さまざま表現ひょうげん使つかった。ダグラスのフリーポート原理げんりなにもできない主権しゅけんであり、「じににしたばとかげでてつくった医療いりょうようのスープのようにうすい」とった[15]

クインシーにある討論とうろん記念きねん

選挙せんきょかんする10月にあったおどろくべきできごとは、もとホイッグ党員とういんジョン・J・クリッテンデン民主党みんしゅとうのダグラス支持しじ表明ひょうめいしたことだった。もとのホイッグ党員とういん投票とうひょう態度たいど固定こていしていないそうなかでも最大さいだい集団しゅうだん形成けいせいしており、クリッテンデンがやはりもとホイッグ党員とういんであるリンカーンではなく、ダグラスの支持しじ表明ひょうめいしたことは、リンカーンがつチャンスをらした[16]

11月の選挙せんきょでは民主党みんしゅとうなにとかイリノイしゅう議会ぎかいでの多数たすうとうになったが、得票とくひょうりつは50%をわずかに下回したまわった。しゅう議会ぎかいはダグラスを再選さいせんした。(当時とうじ合衆国がっしゅうこく上院じょういん議員ぎいんしゅう議会ぎかいえらんでいた)。しかし、この討論とうろん全国ぜんこくてき新聞しんぶんげたことで、リンカーンは全国ぜんこくられた人物じんぶつとなり、2ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょでは共和党きょうわとう候補者こうほしゃ指名しめいされる可能かのうせいてきた。実際じっさい候補こうほ指名しめい大統領だいとうりょうしょくをどちらもれ、その過程かてい北部ほくぶ民主党みんしゅとう大統領だいとうりょう候補こうほになったダグラスに勝利しょうりすることになった。

リンカーン・ダグラス論争ろんそうすすかたは、今日きょうでも高校こうこうやカレッジの討論とうろんかい使つかわれており、その名前なまえ方式ほうしきめいになっている。現代げんだい大統領だいとうりょう選挙せんきょでの討論とうろんもそのルーツはリンカーン・ダグラス論争ろんそうにあるが、方式ほうしき当初とうしょのものからかなりことなるようになってきている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ だい1かい討論とうろん、イリノイしゅうオタワ、1858ねん8がつ21にち – リンカーンはつぎのようにかたっていた。「その判事はんじ(ダグラスのこと)にたいして、奴隷どれい制度せいどはあるしゅうでは80年間ねんかん存在そんざいしているが、あるしゅうでは存在そんざいしていないとわたしがしばしばっていたことをおもさせてくれたとき、わたしはその事実じじつ同意どういし、建国けんこくちちたち当初とうしょめた制度せいど、すなわちあたらしい領土りょうどでは奴隷どれい制度せいど制限せいげんし、奴隷どれい制度せいどひろがるのを封印ふういんするために奴隷どれい貿易ぼうえき禁止きんしすることでその供給きょうきゅうげんつという立場たちばることにより、説明せつめいできる。大衆たいしゅうしんは、奴隷どれい制度せいど究極きゅうきょくてき廃絶はいぜつ過程かていにあるという信念しんねんにはっていない(「そうだ、そうだ、そうだ」のさけごえ)。しかし、最近さいきんわたしおもうに、ここで判事はんじ動機どうきについてなに告発こくはつはしないが、最近さいきんわたしおもうに、かれおよびかれともうごいているひとたちはあの制度せいどあたらしい基盤きばんえ、それが奴隷どれい制度せいど恒久こうきゅうてきかつ全国ぜんこくてきなものにえるようにしているとおもう。それがあたらしい基盤きばんえられる一方いっぽうで、奴隷どれい制度せいど反対はんたいしゃがこれ以上いじょう制度せいど拡大かくだいめるまで、また大衆たいしゅう心理しんり制度せいど究極きゅうきょく廃絶はいぜつかっているとかんがえるようになるところくまで、この問題もんだいかないとかんがえるとっており、これまでもってきた。一方いっぽうで、奴隷どれい制度せいど提唱ていしょうしゃは、ふるきもあたらしきも、北部ほくぶわず南部なんぶわず、すべてのしゅうひとしく合法ごうほうになるまですすむことだろう」
  2. ^ だい1かい討論とうろんかい、イリノイしゅうオタワ、1858ねん8がつ21にち – スティーブン・ダグラスはつぎのようにかたっていた。「1853ねんから1854ねん連邦れんぽう議会ぎかい会期かいきで、わたしアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく上院じょういんに、1850ねん妥協だきょう手段しゅだん採択さいたくされていた原則げんそくもとづき、カンザスとネブラスカのじゅんしゅう組織そしきする法案ほうあん提出ていしゅつした。これは1851ねんのイリノイしゅうでホイッグとう民主党みんしゅとう承認しょうにんされ、1852ねんのホイッグとう民主党みんしゅとう全国ぜんこく大会たいかい追認ついにんされたものだ。カンザス・ネブラスカほうまれた原則げんそくかんして誤解ごかいいようにするために、わたしはつぎ言葉ことばほうしん意図いと意味合いみあいを提示ていじする。『如何いかなるしゅうでもじゅんしゅうでも奴隷どれい制度せいど合法ごうほうするのではなく、それを排除はいじょするものでもなくて、州法しゅうほうしゅう制度せいどとして奴隷どれい制度せいどさだめるかは、唯一ゆいいつ合衆国がっしゅうこく憲法けんぽうしたがうのみで、その完全かんぜんにその州民しゅうみんまかせられることがしん意図いと意味合いみあいである』」
  3. ^ だい3かい討論とうろんかい、イリノイしゅうジョーンズボロ、1858ねん9がつ15にち – リンカーンはダグラスの仲間なかまである民主みんしゅ党員とういんが、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう策定さくていした人々ひとびと方針ほうしんは、1787ねん北西ほくせい条例じょうれいはじめとして、奴隷どれい制度せいど拡大かくだい防止ぼうしすることにあるとかたっていたことに言及げんきゅうした。リンカーンはそれを証明しょうめいするためにつぎ議事ぎじろく使つかった。「そこで再度さいど、1850ねんおなじやりかたで、ジョリエットで連邦れんぽう議会ぎかい予備よび会議かいぎがあり、R・S・モロニーを代表だいひょう指名しめいし、つぎ決議けつぎ全会ぜんかい一致いっち採択さいたくした『決議けつぎ我々われわれ奴隷どれい制度せいど拡大かくだい断固だんことして反対はんたいすること。奴隷どれい制度せいどすで存在そんざいするしゅう利益りえきさまたげるような反対はんたいをする意図いとはないが、現在げんざい自由じゆう領域りょういきであるじゅんしゅう奴隷どれい制度せいど拡大かくだいすることには反対はんたいするのが連邦れんぽう議会ぎかい義務ぎむであることを、おだやかではあるがきっぱりと主張しゅちょうし、このとき憲法けんぽう義務ぎむ矛盾むじゅんしないことと、同朋どうほうであるしゅうたいしても誠実せいじつであることとする。さらにこれらの方針ほうしんは1787ねん条例じょうれい認知にんちされており、その条例じょうれい我々われわれ信念しんねん偉大いだい提唱ていしょうしゃであり解説かいせつしゃだったとみとめられているトーマス・ジェファーソンによって認可にんかけていた。』」
  4. ^ だい1かい討論とうろんかい、イリノイしゅうオタワ、1858ねん8がつ21にち – リンカーンは奴隷どれい制度せいど拡大かくだいふせ方針ほうしんもどることを提案ていあんし、「建国けんこくちちたち当初とうしょ設定せっていした姿勢しせいは、奴隷どれい制度せいどかったあたらしい領土りょうどではその制度せいど制限せいげんすること」とした。この見解けんかいとくのクーパー・ユニオン演説えんぜつ拡張かくちょうし、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう策定さくていしゃ大半たいはんは、1787ねん条例じょうれいとミズーリ妥協だきょうという手段しゅだん奴隷どれい制度せいど拡大かくだい防止ぼうしすることをめたとろんじた。
  5. ^ だい3かい討論とうろんかい、イリノイしゅうジョーンズボロ、1858ねん9がつ15にち – リンカーンは、「この(1850ねん妥協だきょうつくられたとき、ミズーリ妥協だきょう撤廃てっぱいはしなかった。現在げんざいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく領土りょうど半分はんぶん相当そうとうする地域ちいき、すなわち北緯ほくい3630ふんよりきた地域ちいきは、連邦れんぽう議会ぎかいほうによって奴隷どれい制度せいどきんじられているままにした。この妥協だきょう以前いぜんのものを撤廃てっぱいはしなかった。それを撤廃てっぱいすることに影響えいきょうせず、提案ていあんもしなかった。しかし、すくなくとも領土りょうど委員いいんかい委員いいんちょうであるダグラス判事はんじかんがえたように(わたしかれについてなに欠点けってんいだせない)、まず1つ、つづいて2つのそのせんよりきたにあるじゅんしゅう政府せいふ組織そしきについて法案ほうあん提出ていしゅつするのがダグラス判事はんじ任務にんむになってきた。かれがそうすれば、ミズーリ妥協だきょう実質じっしつてき撤廃てっぱいする条項じょうこう挿入そうにゅうすることでミズーリ妥協だきょうわることになる。それは1850ねん妥協だきょうがミズーリ妥協だきょう撤廃てっぱいしなかったからである。そしてわたしは、かれ何故なぜ1850ねん妥協だきょうだけにしてけなかったかをいかける。」とかたった。
  6. ^ だい1かい討論とうろんかい、イリノイしゅうオタワ、1858ねん8がつ21にち – リンカーンは、「それでは奴隷どれい制度せいど全国ぜんこくてきなものにするにはなに必要ひつようだろうか?それは単純たんじゅんあらたなドレッド・スコット判決はんけつである。たん最高さいこう裁判所さいばんしょが、憲法けんぽうでは連邦れんぽう議会ぎかいじゅんしゅう議会ぎかい奴隷どれい制度せいど排除はいじょできないとすで裁定さいていしたように、憲法けんぽう如何いかなるしゅうもそれを排除はいじょできないと裁定さいていくだすことである。」とかたった。
  7. ^ だい3かい討論とうろんかい、イリノイしゅうジョーンズボロ、1858ねん9がつ15にち – リンカーンは、「この政府せいふ最初さいしょつくられたとき、その設立せつりつしゃたち方針ほうしんは、それまで奴隷どれい制度せいど存在そんざいしていなかったアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくあたらしい領土りょうどまでの奴隷どれい制度せいど拡大かくだいきんじることだった。しかし、ダグラス判事はんじとその友人ゆうじんたちはその方針ほうしんやぶり、奴隷どれい制度せいど全国ぜんこくてき恒久こうきゅうてきなものになるあたらしい基準きじゅんえた。わたしもとのぞすべてはその基準きじゅんをこの政府せいふ設立せつりつしゃたち設定せっていした基準きじゅん再度さいどもどすことである。わたしはうたがいなく将来しょうらい永久えいきゅう奴隷どれい制度せいどくなるとかんがえており、それはすで存在そんざいする制限せいげんない奴隷どれい制度せいど制限せいげんすることで、つまりあたらしいじゅんしゅうには奴隷どれい制度せいどをもたらさないようにすることで、建国けんこくちちたち方針ほうしん再度さいど採用さいようしさえすればよいことである。」とかたった。リンカーンはさらにダグラスが「建国けんこくちちたち方針ほうしんえる主導しゅどうしゃとなってきた」とくわえた。
  8. ^ だい1かい討論とうろんかい、イリノイしゅうオタワ、1858ねん8がつ21にち – ダグラスは共和党きょうわとうの1集団しゅうだん奴隷どれい制度せいど拡大かくだい逃亡とうぼう奴隷どれいほう反対はんたいしていた記事きじげ、「さて紳士しんし諸君しょくん、あなたかたブラック共和党きょうわとうはこれら命題めいだいのすべてに喝采かっさいおくってきた。えてわたしは、これらの1つ1つに賛成さんせいしていることをうために、リンカーンきたさせることはできないといたい」とかたった。
  9. ^ だい1かい討論とうろんかい、イリノイしゅうオタワ、1858ねん8がつ21にち – ダグラスは「リンカーンはすべてのしゅうふるいホイッグとう奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんかためるためにうごき、かれは以前いぜんおなじようにきホイッグ党員とういんりをしていた。さらにトランブルはかれしゅうって、そのやわらかでかる方法ほうほう奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんき、民主党みんしゅとう奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんみちびこうとつとめ、民主党みんしゅとういん手錠てじょうをかけ、手足てあししばって奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんのキャンプにれてこうとしている。それをやるために(共和きょうわとうは1854ねん10がつにスプリングフィールドで集会しゅうかいひらき、あたらしい綱領こうりょう宣言せんげんした。リンカーンは奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんのキャンプにふる路線ろせんのホイッグ党員とういんれてき、すで彼等かれら受入うけいれ準備じゅんびができており、あたらしい信仰しんこう洗礼せんれいおこなうべく、ギディングス、チェイス、フレッド・ダグラス、およびパーソン・ラブジョイのところにわたした。彼等かれらあたらしく結成けっせいされる共和党きょうわとう綱領こうりょうをその機会きかい制定せいていした。」とかたった。
  10. ^ だい1かい討論とうろんかい、イリノイしゅうオタワ、1858ねん8がつ21にち – ダグラスはリンカーンの「かれたるいえ演説えんぜつ」についてつぎのようにかたった。「リンカーンはこん奴隷どれい制度せいど廃止はいしろんという立場たちばり、その宣言せんげんをしている。かれ上院じょういん議員ぎいん候補こうほ指名しめいされたスプリングフィールド党員とういん集会しゅうかいおこなった演説えんぜつ一部いちぶませてしい。 そこでは『おもうに、このうごきは、将来しょうらい危機ききにまですすめられ、それをけるまではやむことがないでしょう。かれたるいえつことあたわず。なか奴隷どれいで、なか自由じゆう状態じょうたいで、この国家こっかながつづくことはないでしょう。わたし連邦れんぽう瓦解がかいするのを期待きたいしません。- たおれることを期待きたいするものではありません。わたし期待きたいするところは、この連邦れんぽうかれあらそうことをめることです。それは全体ぜんたいとして一方いっぽうのものになるか、あるいは他方たほうのものとなるか、いずれかになるでしょう。奴隷どれい制度せいど反対はんたいしゃが、奴隷どれい制度せいどのこれ以上いじょう蔓延まんえん阻止そしし、一般人いっぱんじんしんをして、それが究極きゅうきょくには絶滅ぜつめつされる運命うんめいかれたとしんじて、安堵あんどせしめるか、あるいは奴隷どれい制度せいど擁護ようごしゃが、奴隷どれい制度せいどをおし拡めてついには新旧しんきゅう各州かくしゅうに、また南北なんぼくりょう地方ちほうにおいて、奴隷どれい制度せいど合法ごうほうてきとするにいたるか、そのいずれかでありましょう(高木たかぎはちしゃく、p.43-44)。』とっている」
  11. ^ だい1かい討論とうろんかい、イリノイしゅうオタワ、1858ねん8がつ21にち – リンカーンは、「それでは奴隷どれい制度せいど全国ぜんこくてきなものにするにはなに必要ひつようだろうか?それは単純たんじゅんあらたなドレッド・スコット判決はんけつである。たん最高さいこう裁判所さいばんしょが、憲法けんぽうでは連邦れんぽう議会ぎかいじゅんしゅう議会ぎかい奴隷どれい制度せいど排除はいじょできないとすで裁定さいていしたように、憲法けんぽう如何いかなるしゅうもそれを排除はいじょできないと裁定さいていくだすことである。それが裁定さいていされ、全体ぜんたいだましたがえされれば、ことる」とかたった。
  12. ^ だい2かい討論とうろんかい、イリノイしゅうフリーポート、1858ねん8がつ27にち – ダグラスはその「フリーポート原理げんり英語えいごばん」についてつぎのようにべた。「げん憲法けんぽうで、あるじゅんしゅう奴隷どれい制度せいど導入どうにゅうするかしないかという抽象ちゅうしょうてき疑問ぎもんかんして、今後こんご最高さいこう裁判所さいばんしょ如何様いかさま判決はんけつくだしたとしても、住民じゅうみんはそののぞむところにしたがって奴隷どれい制度せいど導入どうにゅうするか排除はいじょするか合法ごうほうてき手段しゅだんをもっているのであり、それゆえ地元じもと警察けいさつ規制きせい支援しえんされなければ、奴隷どれい制度せいどは1にちも、1時間じかんたりとも存在そんざいできない。警察けいさつ規制きせい地方ちほう議会ぎかいによってのみ確立かくりつされるのであり、住民じゅうみん奴隷どれい制度せいど反対はんたいするならば、そのなか制度せいど導入どうにゅうすることを効果こうかてきふせ議会ぎかい代表だいひょう選出せんしゅつすることになる。もし導入どうにゅう賛成さんせいであれば、その議会ぎかい奴隷どれい制度せいど拡大かくだい賛成さんせいするだろう。この抽象ちゅうしょうてき問題もんだい最高さいこう裁判所さいばんしょがどのような裁定さいていくだそうと、ネブラスカほうしたでは、住民じゅうみん奴隷どれいせいじゅんしゅうとするか自由じゆうじゅんしゅうとするかをめる権利けんり完全かんぜんなものである。」
  13. ^ チャールストン討論とうろんかい — ダグラスは、「北部ほくぶでの彼等かれら原則げんそくくろ中部ちゅうぶではそこそこ混血こんけついろ、エジプト低地ていちではほとんどしろだ。わたしはジョーンズボロでのリンカーンの演説えんぜつふくまれるおおくの白人はくじん感情かんじょう賞賛しょうさんするが、おな傑出けっしゅつした演説えんぜつしゅう北部ほくぶおこなった演説えんぜつ対比たいひせざるをない」とかたった。
  14. ^ だい3かい討論とうろんかい、イリノイしゅうジョーンズボロ、1858ねん9がつ15にち – リンカーンは、「奴隷どれい制度せいど問題もんだい我々われわれがいして比較的ひかくてき平和へいわ状態じょうたいたもち、あたらしいじゅんしゅう奴隷どれい制度せいどひろげることで喚起かんきされるまでは警鐘けいしょう理由りゆうがなかったことは価値かちがある。奴隷どれい制度せいど現在げんざい境界きょうかい制限せいげんされているかぎり、またそれをひろげるうごきがかぎり、平和へいわつづく。トラブルと動乱どうらんすべては奴隷どれい制度せいどおおくの領土りょうどひろげようといううごきからこされてきた。それがミズーリ妥協だきょうときだった。テキサス併合へいごうときがそうであり、メキシコ戦争せんそう領土りょうど獲得かくとくしたときがそうであり、そしていまだ。奴隷どれい制度せいど拡大かくだいしようというときはいつも、扇動せんどう抵抗ていこうがあった。さてわたし聴衆ちょうしゅうに(そのなか数少かずすくないしゃたちわたし政治せいじてき友人ゆうじんだ)、国民こくみんとして、この問題もんだいかんする扇動せんどうこと期待きたいする理由りゆうがあるか、扇動せんどう再生さいせいする傾向けいこうのある理由りゆう実際じっさいはたらくかをうったえる。ミズーリ妥協だきょうまれた1820ねん扇動せんどうんだのとおな理由りゆうが、テキサス併合へいごうなどのときに扇動せんどうみ、つねおな結果けっかになるのだろうか?」とかたった。

出典しゅってん

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  1. ^ Nevins, Fruits of Manifest Destiny, 1847–1852, page 163 — "As the fifties wore on, an exhaustive, exacerbating and essentially futile conflict over slavery raged to the exclusion of nearly all other topics."
  2. ^ Abraham Lincoln, Speech at New Haven, Conn., March 6, 1860 — "This question of Slavery was more important than any other; indeed, so much more important has it become that no other national question can even get a hearing just at present."
  3. ^ Abraham Lincoln, Notes for Speech at Chicago, February 28, 1857
  4. ^ David Herbert Donald, Lincoln, pages 206–210
  5. ^ David Herbert Donald, Lincoln, pages 212–213
  6. ^ Allan Nevins, Ordeal of the Union: Fruits of Manifest Destiny 1847–1852, pages 219–345
  7. ^ a b First Debate: Ottawa, Illinois, Douglas quote, August 21, 1858
  8. ^ a b c d First Debate: Ottawa, Illinois, August 21, 1858
  9. ^ James McPherson, Battle Cry of Freedom, page 195
  10. ^ David Herbert Donald, Lincoln, pages 220
  11. ^ Debate at Charleston, Illinois, September 18, 1858
  12. ^ David Herbert Donald, Lincoln, page 221
  13. ^ Debate at Galesburg, Illinois, October 7, 1858 — These quotes were originally from a speech made by Lincoln at Chicago, July 10, 1858
  14. ^ a b Debate at Alton, Illinois, October 15, 1858
  15. ^ Debate at Quincy, Illinois, October 13, 1858
  16. ^ Guelzo, Allen C. (2008). Lincoln and Douglas: The Debates That Defined America. Pages 273–277

参考さんこう文献ぶんけん

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  • On January 6, 2009, BBC Audiobooks America, published the first complete recording of the Lincoln–Douglas Debates, starring actors David Strathairn as Abraham Lincoln and Richard Dreyfuss as Stephen Douglas with an introduction by Allen C. Guelzo, Henry R. Luce III Professor of the Civil War Era at Gettysburg College. The text of the recording was provided courtesy of the Abraham Lincoln Association as presented in The Collected Works of Abraham Lincoln.
  • Jaffa, Harry V. (2009). Crisis of the House Divided: An Interpretation of the Issues in the Lincoln–Douglas Debates, 50th Anniversary Edition. University of Chicago Press. ISBN 9780226391182 
  • Good, Timothy S. (2007). The Lincoln–Douglas Debates and the Making of a President,. McFarland Press. ISBN 9780786430659 
  • 高木たかぎはちしゃくやく、1957、『リンカーン演説えんぜつしゅう』、岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉 ISBN 4-00-340121-2

外部がいぶリンク

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