アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく建国けんこくちち

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アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう署名しょめいHoward Chandler Christy
独立どくりつ宣言せんげん』(ジョン・トランブル)。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく独立どくりつ宣言せんげん草案そうあん起草きそう委員いいんの5にん提出ていしゅつしているところ。この現在げんざいの2ドルさつうら使つかわれている[1]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく建国けんこくちち(アメリカがっしゅうこくけんこくのちち、ファウンディング・ファーザーズ、えい: Founding Fathers of the United States)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく独立どくりつ宣言せんげんまたはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう署名しょめいした政治せいじてき指導しどうしゃ、あるいは愛国あいこくしゃいたる指導しどうしゃとしてアメリカ独立どくりつ戦争せんそうかかわったものたちである。

建国けんこくちち経歴けいれき[編集へんしゅう]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう制定せいてい会議かいぎ出席しゅっせきした55にん代議員だいぎいん18世紀せいきアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく指導しどうしゃいち断面だんめんあらわしていた。かれらのほとんどが教養きょうようがあり、ぞくする社会しゃかい指導しどうてき地位ちいにあり、国事こくじについてすで実績じっせきのあるものがおおかった。実際じっさいじょう、すべてのもの独立どくりつ革命かくめいかかわった。すくなくとも29にん大陸たいりくぐん従軍じゅうぐんし、ほとんどが指揮しきかんしょくにあった。独立どくりつ宣言せんげん憲法けんぽう署名しょめいしたもの経歴けいれきについて以下いかのような調査ちょうさ記録きろくがある[2]

政治せいじ活動かつどう経験けいけん[編集へんしゅう]

憲法けんぽう署名しょめいしゃ幅広はばひろ政治せいじ活動かつどうおこなった経験けいけんがある。1787ねんまでに、4ぶんの3の41にん大陸たいりく会議かいぎのメンバーであった。実際じっさいに、55にん全員ぜんいんがそれぞれの植民しょくみん議会ぎかい経験けいけんがあり、だい多数たすう地方ちほう行政ぎょうせい単位たんいちょうつとめていた[3]

  • トマス・ミフリンとナサニエル・ゴーラムは、大陸たいりく会議かいぎ議長ぎちょうつとめた。
  • 大陸たいりく会議かいぎ経験けいけんものは、リチャード・バセット全部ぜんぶで15にんであった。
  • 8にん独立どくりつ宣言せんげん憲法けんぽう両方りょうほう署名しょめいした。
  • 6にん連合れんごう規約きやく憲法けんぽう両方りょうほう署名しょめいした。
  • 2人ふたり(ロジャー・シャーマンとロバート・モリス)が3けんともに署名しょめいした。
  • 4にん(ジョン・ディキンソン、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・ラングドン、ジョン・ラトリッジ)が知事ちじであった。

職業しょくぎょう[編集へんしゅう]

1787ねん代議員だいぎいん幅広はばひろく、上中かみなかきゅうなされる職業しょくぎょうき、おおくは複数ふくすう仕事しごと同時どうじにこなしていた。代議員だいぎいん職業しょくぎょうおう党派とうは場合ばあい極端きょくたんちがいはなかったが、その職業しょくぎょうにおいてはわかほうであった[4]。35にん弁護士べんごしであり法律ほうりつかんする知識ちしきかせたが、すべてのものがその職業しょくぎょう生活せいかつかてにしているわけではなかった。判事はんじ出身しゅっしんものもいた[5]

  • 会議かいぎ時点じてんで13にん商人しょうにんだった。
  • 6にん規模きぼおおきい土地とち投機とうきだった。
  • 11にんだい規模きぼ証券しょうけん投資とうしおこなっていた。
  • 12にん奴隷どれい労働ろうどうによるプランテーションあるいはだい規模きぼ農場のうじょう所有しょゆうしゃまたは経営けいえいしゃであった。
  • 2人ふたり小規模しょうきぼ農夫のうふであった。
  • 9にん地方ちほう政庁せいちょうから相当そうとう比率ひりつ収入しゅうにゅうていた。
  • 3にん実際じっさい経済けいざいてき活動かつどうから隠退いんたいしていた。
  • 2人ふたり科学かがくしゃであり、活動かつどうもしていた。
  • 3にん医者いしゃであり、また1人ひとり大学だいがく学長がくちょうであった。
  • 1人ひとりプロテスタント牧師ぼくしであった。また3にんあるいは何人なんにんかは神学しんがくまなんでいたが聖職せいしょくについてはいなかった。

家族かぞくおよび財政ざいせい[編集へんしゅう]

1787年代ねんだい議員ぎいん何人なんにんかは裕福ゆうふくであった (植民しょくみんもっと裕福ゆうふくものおおくはおう党派とうはであり、イギリスにかえった)。 ものおおくはかなりあるいはそこそこの財政ざいせい基盤きばんがあった。とみめんでは、がいしておう党派とうはよりも見劣みおとりしていた[4]

  • ジョージ・ワシントンとロバート・モリスはもっと裕福ゆうふくひと位置いちづけられていた。
  • 4にんがかなりの資産しさんであった。
  • 7にんはあまり財政ざいせい状態じょうたいではなかったが、なんとかりはできていた。
  • かなりのかずもの土地とち指導しどうてき立場たちば家柄いえがらまれだった。
  • 何人なんにんかはまずしいらしからがってものだった。

その経歴けいれき[編集へんしゅう]

  • 1787年代ねんだい議員ぎいんのほとんどが13植民しょくみんまれだった。
  • 4にんアイルランド出身しゅっしん2人ふたりイングランド出身しゅっしんスコットランドおよび西にしインド諸島しょとう出身しゅっしんかく1人ひとりだった。
  • おおくのもの複数ふくすう植民しょくみんまたが転居てんきょ経験けいけんがあった。
  • 海外かいがい留学りゅうがくまたは旅行りょこう経験けいけんがあるものがいた。

建国けんこくちちたちにはつよ教養きょうよううらづけがあった[6]。フランクリンのようにほとんどが独学どくがくで、あるいは奉公ほうこうあいだまなんだものもいた。家庭かてい教師きょうしについてまなんだものもいれば、専門せんもん学校がっこうまなんだものもいた。やく半数はんすう植民しょくみんまたはイギリスの大学だいがくていた。医学いがく学位がくいもの神学しんがく修行しゅぎょうをしたものもいた。すうにん弁護士べんごしロンドン法律ほうりつ学校がっこう勉強べんきょうしてきていたが、おおくはアメリカの弁護士べんごしいて修行しゅぎょうしていた。

寿命じゅみょう家庭かてい生活せいかつ[編集へんしゅう]

1787年代ねんだい議員ぎいん寿命じゅみょう当時とうじ平均へいきんてきなものであった[5]平均へいきん寿命じゅみょうは67さいであった。

  • さい長寿ちょうじゅはウィリアム・サミュエル・ジョンソンで92さいだった。
  • 80さい以上いじょうきたものは4にんだった。
  • 15にんないし16にんが70だいまできた。
  • 20にんないし21にんが60だいまできた。
  • 8にんが50だいまできた。
  • 5にんは40だいまでしかきられなかった。
  • 2人ふたり決闘けっとうころされた。

代議員だいぎいんおおくが結婚けっこんし、子供こどもそだてた。ロジャー・シャーマンが最大さいだい家族かぞくで、2人ふたりつまにより15にん子供こどもをもうけた。

  • すくなくとも9にん複数ふくすう結婚けっこん履歴りれきがあった。
  • 4にん終生しゅうせい独身どくしんであった。

宗教しゅうきょう[編集へんしゅう]

1787年代ねんだい議員ぎいん何人なんにんかは宗教しゅうきょうであった。ローマ・カトリック信徒しんとの3にんのぞいてはプロテスタントであった。プロテスタントのなかで28にん監督かんとく教会きょうかいいん、8にん長老ちょうろう教会きょうかいいん、7にん組合くみあい教会きょうかい主義しゅぎしゃ2人ふたりルター教会きょうかいいん2人ふたりメソジスト教徒きょうとであった。著名ちょめい建国けんこくちちおおく、たとえばジェファーソンが既存きそん宗教しゅうきょうたいする反発はんぱつ教権きょうけん反対はんたい主義しゅぎ主張しゅちょうしていた。その講演こうえん文書ぶんしょなか既存きそん教会きょうかい組織そしき反対はんたいする論旨ろんし展開てんかいするものがいた。ジェファーソンは自分じぶん聖書せいしょいた。しかし、パトリック・ヘンリーのように伝統でんとうてき宗教しゅうきょうつよ擁護ようごしゃもいた。自然しぜんしんきょうあるいはそれにちかかたち信条しんじょうあらわものもいた。

建国けんこくちちたち多様たよう信仰しんこう形態けいたいにもかかわらず、ほとんどが宗教しゅうきょう好意こういてきていた。このことは、かれらの講演こうえん文書ぶんしょからもれる。たとえば、国民こくみん倫理りんりせい形作かたちづくるとき、ほう遵守じゅんしゅ確保かくほするとき(ワシントン)、ひと邪悪じゃあくさを調しらべるとき(ベンジャミン・フランクリン)、アメリカのような自由じゆう政府せいふ保護ほごするとき(ジョン・アダムズ)の宗教しゅうきょう役割やくわりである。教会きょうかい国事こくじ分裂ぶんれつ建国けんこくちちたちによってつね強調きょうちょうされるものだった。「アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく議会ぎかいはいかなる意味いみでもキリスト教きりすときょうもとづくものではない」というぶん1797ねんトリポリ条約じょうやくにある。この文書ぶんしょ議会ぎかいでさして議論ぎろんもされずに批准ひじゅんされ、建国けんこくちちたち意図いとおもこさせるものになっている[7]

宗教しゅうきょうではないが、かなりのかずものフリーメイソンであった。

憲法けんぽう制定せいてい会議かいぎのち経歴けいれき[編集へんしゅう]

1787年代ねんだい議員ぎいんのその経歴けいれきは、その能力のうりょくとともに運命うんめいしずみを反映はんえいした[8]。たいていは成功せいこうしたが、7にんだけは財政ざいせいてきくるしみ破産はさんかそれにちか状態じょうたいになった。2人ふたり背信はいしん行為こういまれた。しかしおおくは、会議かいぎまえにもなしていたように公共こうきょうてき仕事しごとき、とくかれらがつくったしん政府せいふ貢献こうけんした。

1787年代ねんだい議員ぎいんおおくがしゅう役職やくしょくいた。12にん知事ちじとその代議員だいぎいんである。ほとんどのもの地域ちいき社会しゃかいしゅう文化ぶんかてき生活せいかつおおくの方法ほうほう貢献こうけんした。かれらの子供こども子孫しそんがアメリカの政界せいかい知的ちてき世界せかい高位こういめた。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく独立どくりつ宣言せんげん署名しょめいしゃ[編集へんしゅう]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう制定せいてい会議かいぎ代議員だいぎいん[編集へんしゅう]

憲法けんぽう署名しょめいした代議員だいぎいん[編集へんしゅう]

早期そうき会議かいぎからはなれたために憲法けんぽう署名しょめいできなかった代議員だいぎいん12にん[編集へんしゅう]

憲法けんぽうへの署名しょめい拒否きょひした代議員だいぎいん3にん[編集へんしゅう]

建国けんこくちちなされる独立どくりつ戦争せんそう時代じだい人物じんぶつ[編集へんしゅう]

建国けんこくはは[編集へんしゅう]

近年きんねん歴史れきしたちしん国家こっかささえた女性じょせいたち役割やくわり研究けんきゅうしてきた。政治せいじてき地位ちいには女性じょせいがいなかったが、アビゲイル・アダムズマーシー・オーティス・ウォーレン英語えいごばんのようなれいもあり、建国けんこくはは共和きょうわせい価値かちたかめ、国家こっか価値かち一部いちぶとなるかれていない伝統でんとうつくげた[9]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ americanrevolution.org Key to Trumbull's picture
  2. ^ See Brown (1976); Martin (1973); "Data on the Framers of the Constitution," at [1]
  3. ^ Martin (1973); Greene (1973)
  4. ^ a b Greene (1973)
  5. ^ a b Brown (1976)
  6. ^ Brown (1976); Harris (1969)
  7. ^ Mother Jones. “The Great Debate of Our Season”. http://www.motherjones.com/news/feature/2005/12/great_debate.html 
  8. ^ Martin (1973)
  9. ^ Previdi (1999); Kann (1999); Roberts (2005)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • American National Biography Online, (2000), scholarly biographies of 18,000 Americans, including all the Founders. online edition
  • Richard D. Brown. "The Founding Fathers of 1776 and 1787: A Collective View," The William and Mary Quarterly, 3rd Ser., Vol. 33, No. 3 (Jul., 1976), pp. 465–480 online at JSTOR
  • Joseph J. Ellis. Founding Brothers: The Revolutionary Generation (2002), Pulitzer Prize
  • Jack P. Greene. "The Social Origins of the American Revolution: An Evaluation and an Interpretation," Political Science Quarterly, Vol. 88, No. 1 (Mar., 1973), pp. 1–22 online in JSTOR
  • P.M.G. Harris, "The Social Origins of American Leaders: The Demographic Foundations, " Perspectives in American History 3 (1969): 159-364.
  • Mark E. Kann; The Gendering of American Politics: Founding Mothers, Founding Fathers, and Political Patriarchy Praeger, 1999
  • Adrienne Koch; Power, Morals, and the Founding Fathers: Essays in the Interpretation of the American Enlightenment 1961
  • Frank Lambert. The Founding Fathers and the Place of Religion in America. 2003.
  • Martin, James Kirby. Men in rebellion: Higher governmental leaders and the coming of the American Revolution, (1973)
  • Robert Previdi; "Vindicating the Founders: Race, Sex, Class, and Justice in the Origins of America," Presidential Studies Quarterly, Vol. 29, 1999
  • Cokie Roberts. Founding Mothers: The Women Who Raised Our Nation (2005)
  • Gordon S. Wood. Revolutionary Characters: What Made the Founders Different (2006)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]