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リンダウ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章もんしょう 地図ちず
Lindauer Wappen
基本きほん情報じょうほう
連邦れんぽうしゅう: バイエルンしゅう
行政ぎょうせい管区かんく: シュヴァーベン行政ぎょうせい管区かんく
ぐん: リンダウぐん
緯度いど経度けいど: 北緯ほくい 4732ふん45びょう
東経とうけい 0941ふん02びょう
標高ひょうこう: 海抜かいばつ 400.7 m
面積めんせき: 33.18 km²
人口じんこう:

26,155にん(2023ねん12月31にち現在げんざい[1]

人口じんこう密度みつど: 788 にん/km²
郵便ゆうびん番号ばんごう: 88131
市外しがい局番きょくばん: 0 83 82
ナンバープレート: LI
自治体じちたいコード: 09 7 76 116
市庁舎しちょうしゃ住所じゅうしょ: Bregenzer Straße 6-12
88131 Lindau
ウェブサイト: Stadt Lindau
行政ぎょうせい
上級じょうきゅう市長しちょう: ペトラ・マイアー・トゥ・ベルント=ザイドル (Petra Meier to Bernd-Seidl) (CSU/Freie-Bürgerschaft)
きゅう市庁舎しちょうしゃ(1436ねん建築けんちく
みなとのライオンぞう

リンダウ標準ひょうじゅんドイツ: Lindauアレマン: Lindou)は、ドイツ連邦れんぽう共和きょうわこくバイエルンしゅうシュヴァーベン行政ぎょうせい管区かんくぞくする都市とし人口じんこうやく2まん4せんにん

地勢ちせい産業さんぎょう

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スイスオーストリア国境こっきょうめんするボーデンかぶしま鉄道てつどうしままではし沿いにれる。観光かんこう産業さんぎょう発展はってんし、おおくの観光かんこうきゃくあつめる。ドイツ・アルペン街道かいどう起点きてんとなるまち近隣きんりん都市としとしては、やく20キロ北西ほくせいフリードリヒスハーフェン、40キロ北西ほくせいコンスタンツ、30キロ南西なんせいにスイスのザンクトガレン位置いちしている。毎年まいとしリンダウ・ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃ会議かいぎ開催かいさいされる。

歴史れきし

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Lindau の表記ひょうき1339ねん以来いらいのもの。もっとふる表記ひょうき882ねんのLintoua。これは古高ふるたかドイツのlinta(今日きょうのドイツLindeに対応たいおうし、「リンデ、シナノキ、ぼだいじゅ」を意味いみする)とouwa(「しま」)の合成ごうせいで、「みずうみなかのぼだいじゅしげしま」であることをあらわした地名ちめいおもわれる[2]

810ねんあるいは820ねんに、おそらくアーダルベルトはく(Graf Adalbert von Rätien)によって、設立せつりつされたたてちかいども唱共じゅうかい女子じょし修道院しゅうどういん(Kanonissenstift)が出発しゅっぱつてんとなった。修道院しゅうどういん839ねん公吏こうり不入ふにゅうけん(Immunität)を賦与ふよされた。叙任じょにんけん闘争とうそうなか北側きたがわ湖畔こはんにあった市場いちば集落しゅうらくエシャハ(Äschach)が、より安全あんぜんなリンダウとううつされた。ホーエンシュタウフェン教会きょうかい守護しゅごけん(Vogtei)にはいった修道院しゅうどういん1180ねんころ市場いちば集落しゅうらくのためにシュテファン教会きょうかい建設けんせつした。1216ねん計画けいかくてき都市とし造成ぞうせいがなされ、石造せきぞうかべない面積めんせきは 12 haじゃく人口じんこうは 2000にんきょうであった。王権おうけんによる特権とっけん賦与ふよ1274ねん/1275ねん伯爵はくしゃく裁判さいばんけんからの解放かいほうBefreiung vom Grafengerichtと守護しゅごけん質入しちい禁止きんしNichtverpfändung der Vogtei)と経済けいざいてき発展はってんそして修道院しゅうどういん財政ざいせいてき弱体じゃくたいにより修道院しゅうどういんちょう支配しはいからだっするようになった。1264ねん参事さんじかい関税かんぜい造幣ぞうへい代官だいかん(Amman)にかんする権利けんり獲得かくとくした。1345ねん ツンフト参事さんじかい参加さんかした。1396ねんには流血りゅうけつ裁判さいばんけん(Blutbann)を獲得かくとくした。陸上りくじょう水上みずかみ交通こうつう要衝ようしょうとして穀物こくもつ、ワイン、しおぬのイタリアみなみフランススイスへの遠隔えんかく交易こうえきによってさかえた[3]

1530ねんころ宗教しゅうきょう改革かいかくれた。1803ねんはブレッツェンハイムこう(Fürsten von Bretzenheim)のかえし、ほう修道院しゅうどういん確保かくほしてここにリンダウこうこく(Fürstentum Lindau)がまれた。当時とうじ人口じんこうは5‐6000にんであった。ほう翌年よくねんハンガリー土地とち取得しゅとくするわりにほうこくオーストリア譲渡じょうとした。その翌年よくねんリンダウはバイエルン帰属きぞくした[4]

13世紀せいき神聖しんせいローマ皇帝こうていルドルフ1せい(Rudolf von Habsburg)によって、帝国ていこく自由じゆう都市とし地位ちいみとめられた。中世ちゅうせいより、ボーデン舞台ぶたいとした物流ぶつりゅう拠点きょてんとしてさかえた。17世紀せいきさんじゅうねん戦争せんそうでスウェーデンぐんまちせまるが、略奪りゃくだつまぬかれた。19世紀せいき初頭しょとうよりバイエルンの支配しはいはいった。

住民じゅうみん

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上部うわべドイツぞくするアレマン一方いっぽうげんである低地ていちアレマンぞくするボーデンアレマン使用しようするアレマンけいおおい。

出身しゅっしんしゃ

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引用いんよう

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  1. ^ https://www.statistikdaten.bayern.de/genesis/online?operation=result&code=12411-003r&leerzeilen=false&language=de Genesis-Online-Datenbank des Bayerischen Landesamtes für Statistik Tabelle 12411-003r Fortschreibung des Bevölkerungsstandes: Gemeinden, Stichtag (Einwohnerzahlen auf Grundlage des Zensus 2011)
  2. ^ Dieter Berger: Duden, geographische Namen in Deutschland: Herkunft und Bedeutung der Namen von Ländern, Städten, Bergen und Gewässern. Mannheim/Leipzig/Wien/Zürich: Dudenverlag, 1993 (ISBN 3-411-06251-7), S. 170.
  3. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. V. München und Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 1998 (Beitrag von M. Tönsing zu Lindau). - Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck, 1999 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 352-353.
  4. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck, 1999 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 352-353.

外部がいぶリンク

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