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ロバート・ダール

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ロバート・ダール
イェール大学だいがく政治せいじがくおしえるダール
人物じんぶつ情報じょうほう
生誕せいたん 1915ねん12月17にち
アイオワしゅう
死没しぼつ (2014-02-05) 2014ねん2がつ5にち(98さいぼつ
コネチカットしゅうハムデン
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
出身しゅっしんこう イェール大学だいがく
ワシントン大学だいがく
学問がくもん
時代じだい 20世紀せいき - 21世紀せいき
研究けんきゅう分野ぶんや 政治せいじがく
おも指導しどう学生がくせい キャサリン・マッキノン
ネルソン・ウルフ・ポルスビー
イアン・シャピーロ
ジェイムズ・フィシュキン
学位がくい Ph.D.
特筆とくひつすべき概念がいねん ポリアーキー多元たげんろん
主要しゅよう作品さくひんポリアーキー
影響えいきょうけた人物じんぶつ ケネス・アロー
レオン・デュギー
ジェームズ・コールマン
カール・グスタフ・ヘンペル
影響えいきょうあたえた人物じんぶつ チャールズ・リンドブロム
学会がっかい アメリカ政治せいじ学会がっかい
会長かいちょうしょく:1966 - 1967)
おも受賞じゅしょうれき ヨハン・スクデ政治せいじがくしょう
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ロバート・アラン・ダール英語えいご: Robert Alan Dahl1915ねん12月17にち - 2014ねん2がつ5にち[1] )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく政治せいじ学者がくしゃイェール大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅ(スターリング記念きねん寄付きふ講座こうざ教授きょうじゅごう)。

経歴けいれき

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アイオワしゅうまれ。アラスカしゅう幼少ようしょうごし、ワシントン大学だいがく卒業そつぎょう1940ねんイェール大学だいがく大学院だいがくいんから博士はかせごう取得しゅとく農務のうむしょう勤務きんむおよび兵役へいえき1944ねん-1945ねん)をて、1946ねんからイェール大学だいがく教鞭きょうべんをとり、1986ねん退官たいかん1966ねんから1967ねんまでアメリカ政治せいじ学会がっかい会長かいちょうつとめた。1995ねんヨハン・スクデ政治せいじがくしょう受賞じゅしょう

アメリカ政治せいじ学界がっかいの「長老ちょうろう」とひょうされる。旺盛おうせい著作ちょさく活動かつどうと、沢山たくさん優秀ゆうしゅう政治せいじ学者がくしゃそだてたためである。ダールのおかげでイェール大学だいがく政治せいじ学部がくぶ国内こくない屈指くっし影響えいきょうりょくたというものもいる[だれ?]

1960年代ねんだいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく政治せいじ本質ほんしつめぐライト・ミルズ有名ゆうめい論争ろんそうおこなった。ミルズのかんがえではアメリカ各州かくしゅう政府せいふはごく少数しょうすう一致いっち団結だんけつしたエリートたちのにぎられている。これにたいしてダールは、エリートといっても多種たしゅ多様たようで、相互そうご緊張きんちょうもあればあゆることもあるとした。ダールのかんがえでは、そこにあるのは大衆たいしゅう迎合げいごうてき民主みんしゅ主義しゅぎではないが、すくなくともポリアーキー(つまり多元たげん主義しゅぎ)ではある。1961ねん刊行かんこうの『統治とうちしているのはだれか』はダールの有名ゆうめい著作ちょさくの1つであるが、このほんかれおこなっているのは、ニューヘイブンという都市としうごかしている(公式こうしきてき非公式ひこうしきてきわない)権力けんりょく構造こうぞう分析ぶんせきすることであり、このケーススタディによって自説じせつ立証りっしょうしようとしたのである。

もう1つの代表だいひょうさく民主みんしゅ主義しゅぎとその批判ひはん』(1989ねん)ではダールは民主みんしゅ主義しゅぎ概念がいねんさい検討けんとうしている。近代きんだい国家こっか民主みんしゅ主義しゅぎ理想りそう実現じつげんしたくにはない。ダールによれば、そのわり政治せいじてき先進せんしんこくは、「ポリアーキー」の状態じょうたいにある。ポリアーキーのしたでは公職こうしょく従事じゅうじしゃ自由じゆう公正こうせい選挙せんきょによって選出せんしゅつされる。包括ほうかつてき投票とうひょうおこなわれ、公職こうしょくもとめる権利けんり立候補りっこうほけん)がみとめられ、表現ひょうげん報道ほうどう結社けっしゃ自由じゆう保証ほしょうされている。これらの制度せいどのおかげで、政治せいじ権力けんりょく中心ちゅうしん複数ふくすうしょうじる。しかし、これは民主みんしゅ主義しゅぎ基準きじゅんたさない。民主みんしゅ主義しゅぎ要求ようきゅうされる徹底てっていした市民しみん参加さんか厳重げんじゅう政策せいさく監視かんし実現じつげんしている国家こっかは、ダールによれば1つもないのである。

2001ねんの『アメリカ憲法けんぽう民主みんしゅ主義しゅぎてきか』では、合衆国がっしゅうこく憲法けんぽう起草きそうしゃたちは将来しょうらいについて「まったくなにらない」という立場たちばって憲法けんぽうつくったため、本来ほんらいあるべき民主みんしゅ主義しゅぎがそこにはないとべている。しかし、ダールがうには「民主みんしゅ主義しゅぎ崩壊ほうかいという欠損けっそんこることをわたし予見よけんしているわけではないし、もちろんのぞんでいるわけでもないが、それについてできることはほとんど、あるいはまったくないのである」とされた。

2014ねん2がつ5にちコネティカットしゅう死去しきょ[2]。98さいぼつ

批判ひはん

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日本語にほんごやく著書ちょしょ

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脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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