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ローマじん

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ローマ市民しみんから転送てんそう

ローマじん(ローマじん)は、古代こだいローマにおける国籍こくせきローマ民権みんけん)をもの。その背景はいけい時代じだい状況じょうきょうによっておおきくことなる。

  1. 古代こだいイタリア半島はんとう中部ちゅうぶ居住きょじゅうしていたインド・ヨーロッパ語族ごぞくけい民族みんぞくであるラテンじん。ローマは元々もともとラテンじん都市とし国家こっかひとつであり、さらラティウム戦争せんそうぜんラテンじんはローマ住民じゅうみんとして両者りょうしゃ同一どういつした。
  2. 1.が建設けんせつしたローマ共和きょうわこくおよびマ帝国まていこくセウェルスあさまで)で、ローマ民権みんけん付与ふよされたもの同盟どうめい戦争せんそう市民しみんけん獲得かくとくしたイタリア半島はんとう在住ざいじゅうしゃ補助ほじょぐんでの軍役ぐんえき植民しょくみんしゃとの混血こんけつなどでローマされた人々ひとびと付与ふよされた場合ばあいおおい。一方いっぽうで、イタリア半島はんとう南部なんぶのギリシアけい住民じゅうみん多額たがく納税のうぜいによる取得しゅとく民族みんぞく有力ゆうりょくしゃへの名誉めいよてき市民しみんけん付与ふよなどもおこなわれたためラテンじん血統けっとうかないものラテン語らてんご話者わしゃでない人々ひとびと存在そんざいした。
  3. 帝政ていせい中期ちゅうきおこなわれたカラカラみかどによる「アントニヌスみことのりれいローマ民権みんけん取得しゅとくしたもの。このみことのりれい帝国ていこくないぜん自由じゆうみんがローマ民権みんけん保有ほゆうすることをさだめたもので、そのかず無秩序むちつじょ拡大かくだいされたんにローマ領内りょうない民衆みんしゅう言葉ことばになった(特定とくてい民族みんぞく意味いみしなくなった)。東西とうざい分裂ぶんれつひがしマ帝国まていこくでは住民じゅうみん大半たいはんギリシャけいであったが、ローマ民権みんけん保持ほじしゃとして15世紀せいき帝国ていこく滅亡めつぼうまで「ローマじん」(ギリシア: Ρωμαίοι、ローマイオイ)と自称じしょうしつづけた。滅亡めつぼうも、オスマン帝国ていこくせい教徒きょうとのことを「ルーム」(ローマじん)とんでいた。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • ルーマニアじん - トラヤヌスみかど時代じだい征服せいふくされたダキア地方ちほうに、地域ちいきからの移民いみん集団しゅうだんてき移住いじゅうさせたこと由来ゆらいする。「ルーマニア」という国名こくめいも「ローマじんくに」と意味いみであり、ルーマニア国歌こっか目覚めざめよ、ルーマニアじん!」でも「いまこそ世界せかいしめときたのだ ローマじんいまもなおわれらにながれていることを(Acum ori niciodată să dăm dovezi la lume, Că-n aste mâni mai curge un sânge de roman)」とうたわれている。