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ローラン・カスグラン (仏 ふつ : Laurent Cassegrain , 1629年 ねん - 1693年 ねん 9月1日 にち )は、フランス のカトリック教会 きょうかい の司祭 しさい 、天文学 てんもんがく 者 しゃ 。カセグレン式 しき 望遠鏡 ぼうえんきょう の考案 こうあん 者 しゃ として最 もっと も有力 ゆうりょく な人物 じんぶつ である。
ローラン・カスグラン(カセグレンは英語 えいご 読 よ み)は、1629年 ねん に、マチュラン・カスグランとジュアンヌ・マルケの息子 むすこ としてシャルトル で生 う まれた。彼 かれ がどのような教育 きょういく を受 う けたかについては明 あき らかでないが、1654年 ねん には司祭 しさい と教授 きょうじゅ であった。彼 かれ は、音響 おんきょう 、光学 こうがく と力学 りきがく に関心 かんしん を持 も っていたと考 かんが えられている。ショドンのリセ 、コレージュ・ド・シャルトルで科学 かがく を教 おし える教師 きょうし として働 はたら いていた1693年 ねん 9月1日 にち に他界 たかい した[1] 。
カセグレン式 しき 望遠鏡 ぼうえんきょう の発明 はつめい [ 編集 へんしゅう ]
カセグレン式 しき 望遠鏡 ぼうえんきょう
カセグレン式 しき 望遠鏡 ぼうえんきょう は、凹面鏡 おうめんきょう の主 おも 鏡 きょう の中心 ちゅうしん に穴 あな を開 あ け、そこから主 おも 鏡 きょう の焦点 しょうてん に設置 せっち した凸面 とつめん の副 ふく 鏡 かがみ で反射 はんしゃ した光 ひかり を外部 がいぶ に導 みちび く形式 けいしき の望遠鏡 ぼうえんきょう である。
カセグレン式 しき 望遠鏡 ぼうえんきょう は、1672年 ねん 4月 がつ 25日 にち にジャン=バティスト・デニ が出版 しゅっぱん した科学 かがく 誌 し Recueil des memoires et conferences concernant les arts et les sciences の第 だい 8版 はん に、その最初 さいしょ の記述 きじゅつ が見 み られる。カスグランが発明 はつめい した「メガホン式 しき 反射 はんしゃ 望遠鏡 ぼうえんきょう 」についての記述 きじゅつ が、シャルトルの科学 かがく アカデミーの代表 だいひょう として働 はたら いていた M. de Berce という人物 じんぶつ からの手紙 てがみ の抜粋 ばっすい においてこの版 はん の中 なか に発見 はっけん されている。
これは、アイザック・ニュートン のニュートン式 しき 望遠鏡 ぼうえんきょう の製作 せいさく 法 ほう が出版 しゅっぱん されたちょうどその頃 ころ のことである。1672年 ねん 6月 がつ 13日 にち には、クリスティアン・ホイヘンス がカセグレン式 しき 望遠鏡 ぼうえんきょう について厳 きび しく批評 ひひょう している。このような論争 ろんそう が続 つづ くうちに、カスグランのファーストネームは忘 わす れられてしまった。
1997年 ねん に、二人 ふたり のフランス人 じん 天文学 てんもんがく 者 しゃ 、Andre Baranne と Francois Launay は、未 み 発表 はっぴょう の原稿 げんこう の検索 けんさく や、カスグランが住 す んでいたシャルトル及 およ びショドンの教区 きょうく 記録 きろく 簿 ぼ の分析 ぶんせき を含 ふく む長 なが く細心 さいしん の調査 ちょうさ の後 のち 、「ローラン・カスグランが最 もっと も可能 かのう 性 せい が高 たか い候補 こうほ である」と識別 しきべつ した[2] 。
月面 げつめん のクレーター 「カスグラン」は、彼 かれ が何者 なにもの なのか明 あき らかではなかった頃 ころ に命名 めいめい されたものの、彼 かれ の業績 ぎょうせき を記念 きねん して命名 めいめい されたものである。
^ “Chaudon web page on Laurent Cassegrain ”. 2014年 ねん 1月 がつ 30日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Fred Watson (2006). Stargazer: The Life and Times of the Telescope . Perseus Books Group. p. 131. ISBN 9780306814839