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三ツ沢みつざわ (横浜よこはま)

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三ツ沢みつざわ(みつざわ)は、神奈川かながわけん横浜よこはま神奈川かながわ南西なんせい住宅じゅうたく商業しょうぎょう地区ちく

概要がいよう[編集へんしゅう]

三ツ沢みつざわ公園こうえん球技きゅうぎじょう陸上りくじょう競技きょうぎじょうなどがある)が南西なんせいはしにある。横浜よこはま保土ケ谷ほどがや西側にしがわ)および西にし南側みなみがわ)にせっする。三ツ沢上みつざわかみまち三ツ沢中みつざわなかまち三ツ沢下みつざわしもまち三ツ沢西みつざわにしまち三ツ沢南みつざわみなみまち三ツ沢東みつざわひがしまちの6まちかれる。町名ちょうめい正式せいしきかたは「みつざわかみまち」「みつざわなかまち」「みつざわしもまち」「みつざわにしまち」「みつざわみなみまち」「みつざわひがしまち」であるが、住民じゅうみんなかには「まち」ではなく「ちょう」とものもいる。後述こうじゅつ駅名えきめいも「ちょう」である。また、隣接りんせつする地域ちいき神奈川かながわ松本まつもとまち松ケ丘まつがおか保土ヶ谷ほどがや峰沢みねさわまち岡沢おかざわまちひとし)も通称つうしょう三ツ沢みつざわぶことがある。

西にしからひがしながれるたきかわ沿たに両側りょうがわ丘陵きゅうりょうからなる。現在げんざいは、「さんさわせせらぎみどりどう」になっており、平成へいせいもと年度ねんど国土こくど交通省こうつうしょうづくり郷土きょうどしょう生活せいかつなかにいきる水辺みずべ受賞じゅしょう

たに沿って国道こくどう1ごう横浜よこはま新道しんどう)がとおり、横浜よこはま市営しえい地下鉄ちかてつ三ツ沢下みつざわしもまちえき三ツ沢上みつざわかみまちえきがある。西端せいたん付近ふきん新横浜しんよこはまどお南北なんぼくとおり、首都高しゅとこうそく道路どうろ神奈川かながわ2ごう三ツ沢みつざわせんつうじる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

三ツ沢みつざわは、上流じょうりゅう横浜よこはま保土ケ谷ほどがやさかい付近ふきん)でたにが3つにかれるため、または地区ちくないちいさなさわが3つあったためともいわれる。上流じょうりゅう横浜よこはま保土ケ谷ほどがや峰沢みねさわまちには三ツ沢みつざわというためいけがあったが、現在げんざいはない(バス停ばすていめいと「大池おおいけ道路どうろ」にのこる)。16世紀せいき三河みかわこく八名やなぐん多米ため愛知あいちけん豊橋とよはし)からゆたかあきらてら(ぶげんじ)が移転いてん建立こんりゅうされ、江戸えど時代じだいには関東かんとう有数ゆうすうだんりん三沢みさわだんりん)としてさかえた。

横浜よこはま編入へんにゅうは、北側きたがわ丘陵きゅうりょう市営しえい三ツ沢みつざわ墓地ぼちつくられた。戦後せんご横浜よこはま新道しんどう三ツ沢みつざわ公園こうえん整備せいびされ、それまでの農村のうそんから住宅じゅうたくとしての開発かいはつすすんだ。三ツ沢みつざわ公園こうえん1964ねん東京とうきょうオリンピックでも使つかわれた。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだい武蔵むさしこくたちばないつきぐん神奈川かながわ宿やど青木あおきまち枝郷えだごう1889ねん市制しせい町村ちょうそんせいともない、神奈川かながわ宿やどまち神奈川かながわまち青木あおきまち)が芝生しぼうむら合併がっぺいして神奈川かながわまち成立せいりつし、三ツ沢みつざわ大字だいじ青木あおき小字こあざとなる。1901ねん横浜よこはま編入へんにゅうされ青木あおきまちきた三ツ沢みつざわちゅう三ツ沢みつざわみなみ三ツ沢みつざわとなり、1927ねん10月1にち横浜よこはませい施行しこう神奈川かながわ編入へんにゅうされ、1932ねん1がつ1にち三ツ沢みつざわさん現行げんこうろっまち分立ぶんりつ。なおみなみ三ツ沢みつざわ一部いちぶ沢渡さわわたり松ケ丘まつがおか編入へんにゅうした。

町名ちょうめい[編集へんしゅう]

施設しせつ史跡しせきとう[編集へんしゅう]

交通こうつう[編集へんしゅう]