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中山 秀司(なかやま しゅうじ、1821年8月21日(文政4年7月24日) - 1881年(明治14年)4月8日)は、江戸時代・明治時代の宗教家。天理教教祖・中山みきと中山善兵衛の長男。大和国庄屋敷村(現在の奈良県天理市)出身[1]。
大和国庄屋敷村(現在の奈良県天理市)の中山善兵衛と妻で天理教教祖の中山みきの長男として生まれる。名は善右衛門。紋付を着て野菜を行商していたことから「紋付さん」と呼ばれた[2]。
1837年(天保8年10月26日)に天理教の足痛となる。1876年(明治9年)、堺県(現在の大阪府)より風呂屋兼宿屋業の監札を受けて開業[2]。
1869年(明治2年)、平等寺村の小東松恵と結婚し中山たまへを儲ける。またそれまでに内縁関係にあった女性との間に中山しゅうと中山音次郎のふたりの子供を儲けた。娘のたまへは中山眞之亮と結婚し、眞之亮が天理教の初代真柱となった[2]。
1881年(明治14年)4月8日、死去。享年61[2]。
- ^ 1977年,平凡社『みかぐらうた・おふでさき』
- ^ a b c d 1933年,日本学術研究会『天理教の研究』
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真柱 | |
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