出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中島 和三(なかじま わぞう、慶応元年8月1日(1865年9月20日) - 1944年(昭和19年)1月2日)は、明治から昭和時代前期の政治家。高知県高岡郡須崎町長、高知市長。高知県会議員。
五藤家の旧臣・中島作次の次男として土佐国安芸郡土居村(現・安芸市)に生まれる。1883年(明治16年)高知県師範学校中等科を卒業後、安芸郡大井・井ノ口、土佐郡潮江などの訓導を経て、幡多郡視学。その後、県属となり、1908年(明治41年)香美郡長、1912年(大正元年)吾川郡長、1914年(大正3年)高岡郡長を経て、1917年(大正6年)12月、高知市長に就任。1921年(大正10年)12月まで務める。
満期辞任後は、1922年(大正11年)高知県教育会長を15年務め、さらに同年、高知信用組合を設立し、組合長に就任した。ほか、1923年(大正12年)県会議員、1925年(大正14年)須崎町長、1929年(昭和4年)城東商業学校長などを歴任した。