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中川 正左(なかがわ しょうざ、1881年(明治14年)10月3日 – 1964年(昭和39年)1月19日[2])は、日本の鉄道官僚。実業家。教育者。
奈良県吉野郡十津川村出身[2]。1905年(明治38年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。逓信省鉄道局に入り、逓信書記官、鉄道院参事、同理事、中部鉄道管理局運輸課長、逓信大臣秘書官、鉄道院総裁秘書、鉄道省運輸局長、鉄道次官を歴任した。
退官後は、東京地下鉄道副社長、日満亜麻紡織株式会社取締役、玉川電鉄取締役、池上電気鉄道取締役、目黒蒲田電鉄取締役、東京横浜電鉄取締役、東武鉄道取締役、理研重工業取締役、鉄道同志会理事・副会長・会長、ジャパンツーリストビューロー常務理事、帝国自動車協会副会長、日本交通協会常務理事・会長、日満実業協会監事・常務理事、東亜経済懇談会常務理事、東京商工会議所交通部長、鉄道軌道統制会会長、東京帝国大学経済学部講師、拓殖大学講師、昭和高等鉄道学校校長、豊島商業学校校長、東京交通短期大学学長など多くの公職に就いた。
- 『鐵道論』(巌松堂書店、1921年)
- 『帝國鐵道政策論』(鐵道研究社、1928年)
- 『アメリカの産業合理化』(天人社、1930年)
- 『最近鐵道論』(日本交通學會、1937年)
- 中村雄次郎 - 妻の父。陸軍中将、男爵、貴族院議員、南満州鉄道総裁、宮内大臣、枢密顧問官。
- 中川良一 - 長男。航空技術者、自動車技術者。
- ^ a b 十津川かけはしネット. “十津川人物史” (日本語). 2016年8月20日閲覧。
- ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(下)』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
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