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中村なかむらみちふとし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
豊橋とよはし公園こうえんうちにある中村なかむらみちたい

中村なかむら みちふとし(なかむら みちた、天保てんぽう7ねん3がつ10日とおか1836ねん4がつ25にち) - 大正たいしょう10ねん1921ねん1がつ3にち)は、幕臣ばくしん明治めいじ大正たいしょう実業じつぎょう教育きょういくしゃ

おとうと実業じつぎょう花火はなび)の平山ひらやま甚太作家さっか獅子しし文六ぶんろくは甚太のまご[1]

人物じんぶつ

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三河みかわ吉田よしだはん出身しゅっしん大政奉還たいせいほうかんはんいのちにより江戸えどめをめいじられて穂積ほづみきよしのき従事じゅうじし、行動こうどうともにする。やがて江戸えど屋敷やしき上屋敷かみやしきうつり、公用こうようじんげられた。江戸えど奉公ほうこう上府かみこう幕臣ばくしんとなる。ここでかつ海舟かいしゅう外国がいこくかた翻訳ほんやくきょく福澤ふくさわ諭吉ゆきちり、築地つきじ鉄砲てっぽうしゅう慶應義塾けいおうぎじゅくまなぶ。戊辰戦争ぼしんせんそうはんだい参事さんじとなり、豊橋とよはしこうといしゃ創立そうりつし、女子じょし教育きょういくはじめる。明治維新めいじいしんいえろくうしなった武士ぶしあつめて中村屋なかむらや創業そうぎょうする。横浜よこはま貿易ぼうえきなどに挑戦ちょうせんする。福澤ふくさわ諭吉ゆきち門下もんか丸屋まるや商社しょうしゃ丸善まるぜん)のつかまつゆうてき懇意こんいになり、それがえん横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう初代しょだい頭取とうどり就任しゅうにんする。西南せいなん戦争せんそうのち愛知あいちけん渥美あつみぐんちょうとなり、だいはち国立こくりつ銀行ぎんこう創立そうりつする。東京とうきょうべい商会しょうかいしょ頭取とうどりとなるが、薩長さっちょうばつ官僚かんりょうによって終生しゅうせいその商才しょうさい妨害ぼうがいされることになった。

参考さんこう文献ぶんけん

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出典しゅってん

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  1. ^ 牧村まきむら健一郎けんいちろう獅子しし文六ぶんろくふたつの昭和しょうわ』(朝日あさひ新書しんしょ)P.24

外部がいぶリンク

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先代せんだい
初代しょだい
横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう頭取とうどり
初代しょだい:1879ねん - 1882ねん
次代じだい
小野おの光景こうけい